フクシマ10周年、かざぐるまデモ2021の報告

十周年のために制作した大型かざぐるま(©Uwe Hiksch)

去年はぎりぎりセーフでロックダウン前にデモが実行できたが、今年はまだロックダウン真っ最中。それもあって予定していた演説者が二人来れなくなったり、参加者も少ないことが予想されていたが、十周年のフクシマ・デモをやらないわけにはいかないとトラックの舞台も準備してブランデンブルク門でかざぐるまデモを行った。共催団体はいつもの通りNaturFreundeAntiAtom BerlinGreenpeace Energyだ。今年は動員数も少ないと思われたため、配布するかざぐるまもずっと少なくし、その代わり10周年として大きなかざぐるまを作ってみたのが、なかなか目立ってよかった。赤と黄色が灰色のベルリンの町でも目立っていたようだ。

今年の横断幕(©Sayonara Nukes Berlin)

当日は寒いながらも天気も晴れの予報で、朝起きた時には本当に青空だったので、よかったと思っていたのに、実際にブランデンブルク門前のパリ広場に集まった時は空がかき曇って雪が舞い始め、恨めしそうに空を仰いだ。でもありがたいことに、デモを開始する時間にはそれもやんで、それからは雪も雨も降らないでもってくれた。

東日本大震災から十年。あの日、コンピューターで見る東日本の津波の映像に釘付けになりながら、福島の原発が全電源を喪失し、原子力緊急事態が発令されたのを知った。それから心配で不安で何も手につかずに過ごした数日のことを思い出さずにはいられない。あれからもう十年も経ってしまったのか、という気持ちと、いや十年など放射性物質にとってはわずかな時間なのだという思いが一緒に広がっている。まして十年経っても元の生活を取り返すことのできない人たちにとっては、その思いはどれだけのものだろうか。

ブランデンブルク門前に立った柱の先端で 回るかざぐるま(©Sayonara Nukes Berlin)

舞踏家の古谷充康(ふるたに・みちやす)氏が今年はパフォーマンスを引き受けてくれた。これまでのように、デモ開始の合図として、アイキャッチャーとしてのダンスや音楽を期待していた人たちには「まだデモの準備をしているの?」と思われるように、静かなスローモーションのパフォーマンスだった。彼は木材と工具を用意し、高い柱を組み立ててその先にかざぐるまを結び付け、それを立てる、というパフォーマンスをしたのだった。何の音楽もない「無言」のその動きをじっと見ている、またはその意味を考える、悟ることができずに、お喋りし出してしまう人、その周りを横切る人、イライラして「いつパフォーマンスは始まるのか?」と私に聞く人、など様々だった。でもそのパフォーマンスを見ながら、誰にも聞かれも頼まれもしないのに手助けをする人が何人か出始め、しかも最後に柱を立てるときは一人では立ち上げることができない、何人もの力を合わせて初めてそれが可能になるということを一緒に体験し、その柱がブランデンブルク門の前で厳かに立ってそのてっぺんで私たちの平和なエネルギーのシンボルであるかざぐるまがくるくると回った時は確かに圧巻だった。

あのパフォーマンスは、エネルギーシフトを成功させるにはそうした人々の積極的な協力、共同作業があって初めて可能になる、ということを言葉を使わずに表現したものだったのかもしれない。思えば無言というのは難しいことで、無言に耐えることは、ことに「なにかを見たい、聞きたいと期待されている場面」ではなかなか理解されない。特にデモのようにこうしてたくさん人が集まっているところでは、無言は「空っぽ、なにも起きていない」ということと解釈されてしまうことが多く、刺激を求める人たち、「なにか見えるもの、聞こえるもの」を求める人たちには興味を持たれない、無視されてしまいがちだが、無言というのは本来力強いメッセージでもある。しかし、同時にそれは受け取る側にその用意ができていないと難しく、無言を受け止めることをああいうデモで求めるのは難しかったのかもしれない。しかし無言の古谷さんのパフォーマンスのメッセージを受け止めた人も中にはいたようだ。一人一人に考えさせるパフォーマンスを用意して実現してくれた古谷さんにここでもう一度感謝したい。

今年のかざぐるまには、ロンドンの在外邦人で立ち上げた反原発団体Japanese Against Nuclear UK(JAN UK)で活躍されているデザイナーの方から中央に添えるイラストを提供していただいた。(©Uwe Hiksch)
ゆうの演説(©Sayonara Nukes Berlin)

演説はかざぐるまデモの「伝統」に則り、SNBの演説から始まった。私はあの事故から10年ということで、自分なりのこの10年、この事故を他人ごと、遠い話とは思えずにずっとかかわらざるを得なかった自分のこれまでの運動を通じた思いを総括する気持ちを籠めた話をした。SNBの皆もそれぞれ自分なりの思い、感情があると思うが、私にとってはこの「フクシマ」という名で括っている悲劇の中に潜むそれぞれの「あの事故さえなければ」という体験、人生計画や喜び、幸せを奪われたり台無しにされたりした人たちの一人一人の運命、10年経っても変わらない不安や恐れを思わずにはいられず、同時に、それなのにきちんと自分たちの政策や決定の過ちを認めず、責任を一切取らず、その上事故が起きても市民を守らず、助けず、支えないばかりか見棄て、「なかったことにしよう」とするためのプロパガンダの方には費用を惜しまない国と東電に対する怒りをどうしても訴えずにはいられなかった。

かざぐるまデモ2021_Sayonara Nukes Berlin_梶川ゆう演説_和訳(オリジナルはドイツ語:KazagurumaDemo2021_YuKajikawa_Original_de)

IPPNWドイツ支部代表Alex Rosen(©Uwe Hiksch)

IPPNWのAlex Rosenは毎度のことながら原稿を読むのでなしにフリーにそれでいてあれだけ説得力ある力強い演説ができるのに感心してしまう。反原発運動の中心となるアクティビストたちはドイツでも高齢化が進む中、IPPNWドイツ支部の代表である彼はまだ小さい子供のいる40代くらいのエネルギッシュな若手で、彼のような人がIPPNWを代表してフクシマのテーマを扱ってくれるのはとても頼もしい。デモの1週間前に行われたIPPNWドイツの「フクシマから10年」のシンポジウムでも原発事故後の健康への影響や健康調査の結果をよくあれだけしっかり扱ってくれたと思う。Alexは演説ではまず原子力発電というのは決して制御できないものであり、社会にとって決して容認することのできないリスクであるということを伝えるとともに、ドイツで原発をすべて停止するとしながら、Gronauでまだウラン濃縮を行ったり、Lingenで燃料棒を製造して、ベルギーやフランスの原発にそれらを売り、これらの原発の稼働年数を延長することをとどのつまり認めているということは許せない、と訴えた。そしていくつかの原子力産業や軍事産業が民間のインフラストラクチャーと税金を使って原子力潜水艦や長距離ミサイルを配備できるようにするために原子力は利用されているのだとも語った。彼は「自分は子どもの父親として」「一市民として」そして「小児科医として」憂慮していることをそれぞれ伝えたが、それが心に響いた。彼は、フクシマで最初からしっかり健康調査していればいろいろなことが判明し、防ぎ、救えたかもしれないことが敢えて隠され、した方がいい調査をしないで済まされ、この大事な十年をある意味でずいぶん棒に振ってきてしまったことを日本政府に対して非難していた。また、妊婦や子供であっても事故前より20倍の線量で生活することを余儀なくされているフクシマで、これから何十年とかけて出てくるだろうあらゆる健康に対する影響に対して、彼らを保護せずに放っておく政策に対しても批判していた。

今年のモットーの横断幕(©Uwe Hiksch)

今年のデモは一年経ってもまだ終わりの見えないコロナ禍ロックダウンの続く中行われ、演説のため遠くから来る予定だった二人がベルリン訪問をあきらめたこともあり、あまり動員数が期待できない状況ではあったものの、十周年という区切りのデモはそれでもやろうという共催団体との気持ちは固く実行に臨んだ。配布するかざぐるまの数もそれで思い切り少なくしたが、およそ250人が集まり、雰囲気はとてもよかった。新型コロナの規制の影響により、Greenpeaceのドラム隊は今年は来られなかったがドラムを持ってきてくれた人もいたし、Friday for

自作の自転車に積んだスピーカーから100%のエコエネルギーで音楽を流す(©Sayonara Nukes Berlin)

futureでいつも音楽を流しているという、自転車にスピーカーを載せて反原発や環境問題をテーマにしたラップを流す人も来て雰囲気を出してくれた。しかもNaturFreundeのUweまでがシュプレヒコールの余興をしたりして、気持ちよくUnter den Lindenを練り歩くことができた。私はロッコとデモの先頭に立って今年のデモのモットーを掲げた横断幕を持って歩いた。今年、十周年のためにつくった大型かざぐるまも大きさも色も灰色の町の中で目立ち、風にくるくると回っていたのが嬉しかった。

デモ隊はUnter den LindenからGendarmenmarktの方に折れ、Französische Straßeの地下鉄の入り口の横を通ってまたUnter den Lindenに戻りブランデンブルク門前に帰った。観光客の少ないコロナ禍だが、それでも通り過ぎる人たちは皆携帯を向けて写真を撮ったり、楽しそうに見物していた。時々風が強くて、横断幕をピンと張ってしっかり持っているのが大変だった。

Unter den Lindenを歩く(©Uwe Hiksch)

パリ広場のトラック舞台のところに戻ってみると、古谷さんはかざぐるまが先端についてくるくる回っている長い棒を持ったまま立っていた。そしてその棒をまた数人の助っ人に助けられながらゆっくり倒して石畳の上に置き、黙々と解体を始めていった。

多和田葉子氏(©Sayonara Nukes Berlin)

ここでの演説の始めはSNBが今年招待した作家の多和田葉子氏だった。彼女は自分がフクシマ事故後に書いたという詩というのかエッセイを使って今回の十周年フクシマ記念デモのために書いてくれた文章を読み上げてくれた。運動家の演説とは違って、誰か(国や東電その他)を批判したり、データを挙げたりあってはならない事態を憂いたりする文章とは違って、彼女が感じている放射能や原発に対する恐怖、不安を、彼女ならではの感性で綴った文章で、とても印象的だった。「記憶の半減期はどれくらい長いのか」という表現はことに心に残った。彼女にその文章をぜひブログで紹介したいのでテキストが欲しい、それを日本語でも載せたいが、と申し出たところ、承諾してくれた上、翻訳は私に頼みたい、と言ってくださった。私はでは、翻訳したら彼女にそれを見せるからチェックして必要なところを訂正してほしい、と言い、私が彼女のテキストを翻訳させてもらった。私にとってもこういう文章の翻訳は願ってもない仕事で、任せてもらったことを感謝している。

かざぐるまデモ2021_多和田葉子演説_和訳(オリジナルはドイツ語:KazagurumaDemo2021_YokoTawada_Original_de

(©Sayonara Nukes Berlin)

いつもならGreenpeace EnergyのChristoph Raschがヨーロッパでの原発問題をテーマに話すところだが、去年の夏から彼はベルリンからGreenpeace Energy本部のあるハンブルクに移ってしまい、コロナ禍でベルリンに来るのを諦めたため、その代わりにめずらしく司会のUwe Hiksch(NaturFreunde)が最後に話をした。彼は現在新建設や拡張が予定されているEU内の原発計画に言及した。ポーランド、チェコ、スロバキア、スロベニア、ハンガリー、リトアニア、ルーマニア、ブルガリアやフィンランド、それからEUを離れたイギリスだ。また、ついこの間原発運転年数を40年から最大50年までを許可することにしたフランスの政策(フランスの原発はもうそのほとんどが古く、40年を超えているのに稼働しているものもある)についても批判した。さらにUweは現在アフリカの16か国が原発を建設して原子力エネルギーを始めようとしていることに対する危機感を表明した。政治は原子力エネルギーを「クリーンなエネルギー」「二酸化炭素を出さないのでエネルギーシフトには欠かせない電源」という風に宣伝することによって、風力発電や太陽光発電を増やしていくのを妨げているのだと。そしてドイツはまずEURATOM欧州原子力共同体を脱退して、原子力エネルギーと核兵器の開発管理にこれ以上手を貸してはならないと求めた。気候変動を救う、という謳い文句で原子力エネルギーを再興しようという動きが世界で広まっていることにはっきりとノーを叩きつけるUweの迫力ある演説だった。

(©Midori Naganuma)

2013年にSNBがデモを始めてから、8年。NaturFreundeとAntiAtom Berlinと一緒にデモを始めてから7年。彼らともこのデモの運営に関しては気心の知れる仲となって、信頼感が育ったのを今年は強く感じた。ドイツの反原発運動の人たちにとっては、フクシマの事故はまさに「警告」であったわけで、だからこそ追悼というよりは今起きていること、これから起きる可能性のある危険について人々に訴えるためにデモをするのだが、フクシマを機に集うデモだからこそ、私たち日本人のグループと一緒にデモをやることがいいと思ってくれているのでもあるし、それでこのように単に日本人による追悼だけでなくドイツ、ヨーロッパとどのつまりは世界の問題について議論し合う場、これからも反核・反原発運動を続けていくしかないと確認しあう場となるのはいいと思う。このデモでフクシマのことを中心に据えて追悼しないことについて日本の人たちの中には「不本意だ」と思う向きもあるかもしれないが、私はドイツでデモをやる以上、それは当然だと思う。そしてこのような事故が本当に二度とどこでも起きてはならないのだ、これを戒めとして原発はやめなければいけないのだということを言い続ける責任があると思う。だって、こんな恐ろしいことを続けていけば、またどこかで必ず事故が起こるに決まっている。そして事故が起こらないまでも放射性廃棄物はどんどん溜まっていくばかりだ。

(©Midori Naganuma)

そして十年が過ぎてもその前の平穏な日常生活に戻ることのできないたくさんの福島近郊の人たちのことを思うと、私たちはそれを忘れてはいけない義務があると思う。忘れさせよう、風化させよう、見えなくしてしまおうという政府のやり方がこれほどひどいのが分かっていれば、なおさらだ。しつこく、従順にならないでいつまでも言い続けよう。ノーモア・フクシマと。(ゆう)


日本語報道:
(リンク先の記事が読めなくなることがあります)
ドイツで原発廃止訴えるデモ福島第一原発事故から10年を前にベルリンかざぐるまデモ | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/…/20210307/k10012901971000.html
ドイツ ベルリン で日本人ら反原発デモ 作家の多和田葉子さん「即時停止を」(共同通信)
#Yahooニュース
ベルリンで反原発デモ ノーベル賞候補作家・多和田葉子 さんが訴えたことは?:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/90111
福島原発事故 からまもなく10年 ドイツ ベルリンで脱原発デモ|TBS NEWS https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4215899.html
ドイツ語報道:
Zehn Jahre nach Reaktorunglück in Fukushima Atomkraftgegner demonstrieren vor dem Brandenburger Tor: https://www.rbb24.de/politik/beitrag/2021/03/atomkraftgegner-demonstration-berlin-10-jahre-fukushima.html
Atomkraftgegner demonstrieren zehn Jahre nach Fukushima:
Protest am Brandenburger Tor: Erinnerung an Fukushima:

Fukushima: “Von Normalität kann keine Rede sein” https://www.dgs.de/news/en-detail/120321-fukushima-von-normalitaet-kann-keine-rede-sein/


かざぐるまデモライブ動画アーカイブ:

https://fb.watch/4xGuss6e4r/

https://fb.watch/4xGwdhlScM/

https://fb.watch/4xGxE_fiC9/

https://fb.watch/4xGq2B6wSs/

 

私たちにできる10のこと

Sayonara Nukes Berlinは、2013年以来「かざぐるまデモ」を毎年3月に行い、ベルリンから脱原発を訴えている。メンバーのひとりひとりは、前回の投稿で紹介したように、ごく普通の生活者だ。原発なしのエネルギーへの転換は、国の政策や企業の方針に左右されるが、生活者である私たちひとりひとりの声や行動がうねりとなったとき、政府や企業の方向性に影響を与えることができると思う。あらゆる分野において、市民の訴えに応える形で法律や制度が作られ社会が少しずつ変わってきた歴史を見れば、よりよい社会を形成していくために市民運動はとても大切な役割を持っていることがわかる。問題の多くは、突き詰めれば「いのち」「人権」という大きなテーマに行きつく。それがないがしろにされているとき、市民がアクションを起こすことはとても重要なことだ。

「運動する」ことは、特別のことではなく、私たちの生活の一部になるべきだろう。SNSの発達により、いろいろな形態で参加できるようになった。そして、運動に参加することによって、生きていくうえで何を大切にすべきかということを自らもっと考えるようになるし、私たちの考え方や生活のしかたも変革していく。さらに言えば、自らの選択によって生活のしかたを変えていくことも、一つの「運動」なのかもしれない。

そんなことを考えながら、原発のない未来を実現するために、私たちが具体的にどんなことができるのか、メンバーと話し合ってみた。それを「私たちにできる10のこと」としてまとめてみた。

未来のために原発とさよなら ― 私たちにできる10のこと ―

1.エネルギー問題や放射能汚染について関心を持つ
2.チェルノブイリやフクシマを忘れず、家族や友人と原発事故の教訓について会話する
3.エネルギー問題をテーマにした講演会に参加したり書籍を読んで学ぶ
4.ひとつのニュースソースを鵜呑みにしないで、自分で調べて考えてみる
5.エネルギー関係の情報をSNSで共有する
6.原発に反対するデモに参加して共に声を上げる
7.エネルギーを含めた環境問題に取り組む団体を支援する(ボランティア・寄付など)
8.電気を含むエネルギーの節約の工夫をする
9.再生可能エネルギーによる電力会社を選ぶ
10.エネルギーや環境に配慮した政策を提示している候補者に投票する

脱原発を訴えるグループとしてイベントを行うだけではなく、自分たちの日常生活ではどんなことを実践しているかメンバーに振り返ってもらった。ここで何人かのメンバーから集まった実践例を紹介する。

♦再生可能エネルギーの電力会社と契約しています。
♦感情的/扇動的/一方的な情報を見分けて精査する能力を養う努力をしています。そういった情報や精査の過程をとくに賢いわけでもない普通の市民の疑問として友人や家族の目に触れるようにしています。
♦友人と原発事故の様々な影響について直に話すようにしています。

♦再生可能エネルギーの電力を選択しています。
♦エネルギーとは何かという物理の話を議論する集まりをしていました(コロナ前)。エネルギー問題に取り組んでいる人たちでもエネルギーとは何かを知らず(例えばエネルギーの単位は何かなど)、エネルギーとは何かを説明できない場合もありました。そして原発に賛成する側でも反対する側でも間違ったことが共有されてしまったりすることがあったためです。

♦私たちの生活に密着する深刻な問題だからそれぞれの記念日はもちろん、普段からこの問題にまつわる会話を積極的にしてきた。
♦自分の余暇の範囲で、できるだけ信頼のおける専門家の話に耳を傾けるようになった。
♦政治的な発信は時に勇気のいるものだったけど、続けるうちに気づいたら思ったことを何でも言えるようになった。
♦原発に反対するデモに参加している。
♦普段からまめに電気を消して、衣類に気を付けなるべく冷暖房に頼らない工夫をしている。必要以上に家電を購入しないようになった。
♦投票は欠かしたことがないが、ただ投票へ行くだけではなく、周りの友人や家族に声をかけるようになった。
♦再生可能エネルギーによる電力の選択では、代々木公園で環境フェスティバルに参加して各社のテントでパンフレットをもらったり話を聞くなどしてより具体的な選択ができた。

♦あまりたいしたことをやってないので恥ずかしいが、しいて言えば、エネルギー問題の書籍を読んで勉強し、自分で調べて考えるようにしている。

♦わたしの個人の家の電力会社は再生エネルギーの会社にしています。
♦テレビ、ラジオの電源は切っておきます。使い終わったらコンセントから外してます。

♦確実に再生可能エネルギー100%による電力しか供給していない電力会社と契約するのはもちろんのこと、私なりのダイベストメント(投資の反対で投資から撤退すること)を実施し、原子力、化石燃料を扱う企業に出資することをはっきり拒否し、環境に優しいプロジェクトにだけ投資している銀行に口座を変えた。
♦なるべく地元で、無農薬で栽培され野菜・果物を買い、できるだけアフリカや南米から届いた野菜・果物等は買わない。
♦2番にも共通するが、外貨が儲かるからと森林を破壊し大量に水を吸い取って地下水を枯渇させていく南米のアボガド栽培で、水不足をうみ、労働者(子どもも)低賃金・悪労働条件で働かされていることから、アボガドは好きだが非買運動をして、買っていない。

♦子どもたちと原発問題について話してます(息子は興味を持って小学校で原発問題をテーマに作文執筆!)。
♦デモ用のかざぐるまづくりワークショップを小学校を借りて行った(息子のクラスメートも参加)。
♦幼稚園にデモのポスターを貼らせてもらった(保護者がかざぐるまづくりのワークショップに参加してくれたり、先生がデモに参加してくれた)。
♦語学学校のテーマで原発問題を話題にする。
♦エネルギーの節約、できるだけやってるつもりですが、電気のついてるところでまとめて作業するとか、できるだけ昼間の電力を使って調理やアイロンとかするようにしてます。

♦関連のドキュメンタリーがあったら観てみる。
♦センセーショナルなニュースであればあるほどいろんな情報を読んでみます。なるべく別の見方も知りたいので。
♦FaceBookしか使ってないですが、これは!と思ったニュースとかpetitionなどはシェアしてる。
♦毎月引き落としでWWFなどNGOに寄付してる。
♦アマゾンとかの森林を破壊したくないので、なるべく肉は食べない。食べる時はスーパーの安肉じゃなくてマルクトのブランデンブルグ周辺の畜産業者扱いの肉屋で買う。
♦野菜もなるべく遠くから来たのじゃなくて、近くの農園のをマルクトで買う。
♦最安値の会社ではなく、グリーンエネルギーの電力会社と契約してます。
♦在外投票してます。候補者の政策も比べて投票してる。
♦かざぐるまデモには友達誘って毎年参加!

福島の原発事故から10年、被災地がどう変わったかという報道はよく目にするが、私たち自身の意識や生活はどう変わったのだろう?

あなたの意識や生活にはどんな変化がありましたか?

何か新しく始めてみようと思うこと、ありますか?

 

 

SNBメンバー紹介!

原発事故後の福島の現状に心を痛めた一人が友人に声をかけ、5人が集まり、ベルリンで初めて日本人による脱原発のデモを開催してから8年。2013年、デモなど自分たちで企画したことがない素人だったが、とにかく始めてみた。そして毎年少しずつ一緒にやってくれる人が増え、今では主要メンバーは10人以上になった。

今年は原発事故から10周年ということもあり、毎年行っているかざぐるまデモのほか、二つのオンライン講演会を企画した。去年の7月から毎月Zoomでミーティングをし、アイディアを出し合い、様々なことを協議して民主的に決定し、それぞれができることを引き受けて実施した。毎年このようなプロセスを、お互いを尊重しつつ、ともに取り組むSayonara Nukes Berlin(SNB)のメンバーたちはとても多様だ。

「SNBはXXが背後にいるのでは」「危険な団体?」

というようなことがネットでどこかに書かれていたらしい:)

私たちは「子どもたちによりよい未来を残そう」という思いを共有している普通の市民ボランティアなのだけれど、そうか、どんな人間が集まってやっているのかあまり見えてこないのかも。ということで、今回はSNBのメンバーを紹介しようと思う。

RH – SNBの発起人。あらゆるジャンルの人たちとつながるネットワーキング力と、分け隔てない包容力で人の輪を広げてきた。料理上手な二児の母。

YK – プロのドイツ語翻訳者としての忙しい仕事の傍ら、原発や社会問題について、やる意義を見出せばボランティアで翻訳を引き受けるなど、こなす仕事量は半端でない。

AM – SNBのイベントのポスターやフライヤーのデザインを担当。ミーティングでは発言は控えめだが、彼女が意見を言うときは、短くピシッと的を射る。

ES – ソプラノ歌手で二児の母。会計担当。デモが近づくと、家族全員を動員し、かざぐるま製作で職人技を発揮する。作業も会計も太陽のように明朗にこなす。

IO – 育児で忙しくしているが、デモのビラ配りにかけてはSNBでピカいち。戦略的に配布場所を考えて配りまくるフットワークの持ち主。

MI – 美術家として長年ベルリンで活動。ポスターやフライヤーなど制作物のデザインについてアドバイスをくれる。温厚な人柄でSNBにとって暖炉のような存在。

SR – 子どもにかかわる仕事をする傍ら、イタリア人と3人組バンドを結成。アートの才能もあり、デモのポスターの原画描きや、ワークショップ系の企画も引き受けてくれる。

HY – ドイツ企業で活躍するプログラマー。SNBのウェブサイトなどテクニカル部門を担当。仕事の傍ら、数学を教える動画をボランティアで長年配信している。

MN – SNBのイベントのポスターやフライヤーのデザインを担当。常に冷静沈着、ボランティア活動でもプロフェッショナルさがキラリと光る。

HF – ベルリンの大学で教鞭を取っていた。東日本大震災をきっかけに立ち上げた東北を支援するNPOを運営するが、SNBでもドイツの団体との協議などを担当してくれている。

KGM – ダンサー・振付師。第一回目のデモからのメンバー。SNBのイベントでパフォーマンスを担当。ダンスを教える傍ら、自身のダンス作品でも原発や社会問題をテーマに取り組んでいる。

TK – ドイツ国内の大学で教鞭を取っていたが、定年後、執筆活動へ。長年学生と付き合ってきたせいか、メンバーのとっぴな意見も柔軟に受け止め面白がってくれる。

YM – 第一回目のデモからのメンバー。途中、国際協力の仕事でドイツを離れてブランクがあったが、再びドイツに戻りSNBの活動に復帰。英訳・書記担当。

MF – ジャーナリスト。メンバーではないが、第一回目のデモから協力してくれていて関わりは深い。ドイツの原発事情・エネルギー問題に精通。

No Nukes Usagi – SNBのマスコット。初めてデモを行った年、ベルリン在住のアーティストChuuuさんがボランティアでSNBのためにデザインしてくれた。レインボー色は、多様性を認め合う社会をイメージしている。

***

あるときミーティングで、市民グループとして脱原発を目指す活動をしているが、自分たちの実生活でもいろいろと実践することが大切だね、という話になった。そこで、みんなで『未来のために原発とさよなら ― 私たちにできる10のこと ―』と、メンバーが日頃どんなことをこころがけているかまとめてみた。それは次回のブログ記事で紹介したい。

3月20日オンライン講演 「エネルギーの未来 ‐日本は原発をやめられないのか?ドイツの取り組みと現状から学ぶ」

フクシマから十年:西村健佑氏を迎えてのオンライン講演
「エネルギーの未来 ‐日本は原発をやめられないのか?ドイツの取り組みと現状から学ぶ」
ZOOMウェビナー
3月20日(土)12時(ドイツ時間)20時(日本時間)から

※参加お申込みは、https://us02web.zoom.us/.../reg.../WN_n58JCWq-TtmCgVzQale4nAにてご登録ください。
フクシマ原発事故から今年で10年。この事故をきっかけにドイツは脱原発へ舵を切り、2022年の終わりまでにすべての原発が停止されることになっています。一方原発事故があった日本では、いまだに原子力発電を「ベースロード電源」と据え、事故後すべて停止されていた原発も何基か再稼働されています。
ドイツのエネルギー政策に関して日本では間違った情報も聞こえるほか、原発をやめてどのようにエネルギー需要を賄っていくのか、疑問に思う方も多いでしょう。 まだ石炭に依存した火力発電が多いドイツですが、それでどうカーボンニュートラルを達成できるのか、再生可能エネルギーの割合を高めていく上での今後の課題など、ドイツから学べることはたくさんあります。
これから先、負の遺産・放射性廃棄物を残すばかりの原子力エネルギーとも、二酸化炭素を排出する化石エネルギーとも別れを告げ、どのようにして持続可能な社会を子どもたちに託していくことができるかは、今、私たちに与えられている最大の課題と言えます。フクシマ原発事故から10年、単に現状批判だけでなく、どのような社会を私たちは求めていきたいのか、どういうエネルギー政策がそれを可能にするのか、2005年以来ドイツに住む環境・エネルギーエキスパート、西村健佑氏に話を聞きながら皆さんと一緒に考えたいと思います。
ZOOMウェビナー
3月20日(土)12時(ドイツ時間)20時(日本時間)から
※参加お申込みは、https://us02web.zoom.us/.../reg.../WN_n58JCWq-TtmCgVzQale4nA
にて事前にご登録ください。

講演者:西村健佑氏(ベルリン自由大学・環境政策研究所環境学修士、エネルギー市場・政策エキスパート、ベルリンでエネルギー市場調査に関するコンサルタント会社Umwerlin (https://note.com/umwerlin) を経営)
主催:Sayonara Nukes Berlin (http://sayonara-nukes-berlin.org)

 

フクシマ10周年 ベルリンかざぐるまデモ – 原子力は気候変動を救わない –

フクシマ原発事故10周年・かざぐるまデモ

  2021年3月6日(土)12時から
  ベルリン・ブランデンブルク門前(パリ広場)

10年経っても戻らぬ日常/原子力は要らない

2021年3月11日にフクシマ原発事故は10周年を迎えます。日本政府や国際原子力機関がどれだけこの大事故の影響を過小評価しようとしても、事実が物語っています:被害を受けた地域にかつての日常は戻りません。故郷に帰れない人たちが今も数多くおり、事故を起こした原発は放射性物質を環境に放出し続けています。保管する場所がなくなるという理由で、日本政府は汚染水を海に放出することすら考えています。

収束したなどと言えるどころかその反対で、いまだに危険に満ちているのがフクシマの現状です。それなのに原子力ロビーは危険で醜悪な原発ビジネスを活性化させようとし、原子力エネルギーなしでは気候中立は達成できないなどと言いふらしています。発電を原子力に頼っている国はまだ多く、原発の新設や古い原発の運転期間延長を発表している国もあります。

私たちはこうした狂気の沙汰に毅然として対抗していかざるを得ません。原子力は気候変動を解決するオプションになれないだけでなく、人類と環境にとって恐るべき脅威です。フクシマ原発事故から10年、私たちは一貫してエネルギー革命を求めていく必要があります。本当に大切なのは、100%再生可能エネルギーによる発電を可能にし、核と化石燃料から解放された経済へと向かうことです。これ以上核のゴミをつくらせてはなりません!

原子力は気候変動の解決にはなりません!

気候中立からは程遠い原子力は「核の鎖」(ウラン採掘から発電、再処理、使用済核燃料の(最終)処分場に至るまで)のプロセス全体で夥しい二酸化炭素を排出します。

汚染の恐怖原子力産業が半永久的に出し続ける危険な放射性廃棄物は人類にとっても環境にとっても大きな脅威です。

危険過ぎる原子力エネルギーはフクシマのような重大事故や、それに伴う人類と環境への長期的な影響というリスクが常につきまといながらも、それが黙認されて続けられています。また原子力技術イコール核技術で、核兵器の開発を推進します。

無謀なコスト原子力エネルギーは最もコストの高い発電方法で、国からの補助金や助成金がなければ経済的に成り立ちません。

だからこそ、これまでにも増して私たちは次のことを求めます:

  • 世界中の原発・原子力関係工場の即刻停止。ことにドイツはグローナウのウラン濃縮工場やリンゲンの核燃料製造工場の操業を停止すること
  • EURATOMおよびその他の原子力技術を促進する団体を解散すること
  • 原子力技術を促進するための補助金等を、再生可能エネルギーおよび放射性廃棄物処分・保管のための、独立した市民団体が管理する研究へ回すこと
  • ドイツと日本は「核兵器禁止条約」に署名すること
演説者:

1) Yu Kajikawa/梶川 ゆう(Sayonara Nukes Berlin)
2) Michael Müller (NaturFreunde)
3) Alex Rosen (IPPNW)

デモ行進

4) Yoko Tawada/多和田 葉子 (作家)
5) AntiAtom Plenum
6) Uwe Hiksche (NaturFreunde)

パフォーマンス:Michiyasu Furutani/古谷 充康 (舞踏ダンサー)

かざぐるまデモフライヤー_2021

かざぐるまデモポスターPDF_2021

ウェブサイトhttp://kazagurumademo.de

主催:
Anti Atom Berlin
NaturFreunde Berlin
Greenpeace Energy      
Sayonara Nukes Berlin

共催:
AK Rote Beete
Anti-Atom-Plenum Berlin
BUND für Umwelt und Naturschutz Deutschland
BürgerBegehren Klimaschutz
BürgerInitiative Lüchow-Dannenberg
Coop AntiWar Cafe
Die Linke Landesverband Berlin
Friedensglockengesellschaft Berlin e.V.
IPPNW Germany
Japanese Against Nuclear
Kuhle Wampe
Robin Wood Berlin

                               
           

おしどりマコ&ケン オンライン講演会を開催します!    – フクシマ原発事故から10年 「緊急事態」を取材し続けてきた二人が語る フクシマの今とこれから –

 

※多くの方にご登録いただき、定員の500人に達しましたので、登録を締め切りさせていただきました。講演会の動画を3月10日に字幕付き(日本語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、カタルーニャ語)でYouTubeのSayonara Nukes Berlinチャンネルから配信する予定です。

※3月9日に配信しました!

日時:2021年1月31日(日)

日本時間 22:00、ベルリン・マドリッド・パリ14:00     ロンドン13:00、モントリオール・ニューヨーク08:00

ZOOMウェビナー・参加費無料               ※参加ご希望の方は事前登録が必要です。

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2021年3月、フクシマ原発事故は10周年を迎えます。人間にとって長い10年も放射性物質にとってはわずかな時間に過ぎません。コロナ禍、緊急事態宣言が発令されましたが、原発事故の緊急事態宣言は、2011年3月からずっと発令中のままであることを、今誰が意識しているでしょうか?

10年前に地震と津波に耐えた我が家を見えない放射線のために捨てることを余儀なくされ、故郷も生業も奪われた人たちは、今どうしているのでしょうか。

基準値を20倍の年間20mSvに引き上げ、おざなりの除染で帰還困難区域を避難解除をし、住民を戻そうとしてきた政府ですが、実際にどれだけかつての生活が甦ったのでしょうか。

実際に高い放射線を浴びた土地や海で農業や漁業を営んでいる方たちは今どうしているのでしょうか。

政府および福島県は事故以来、問題点はありながらも子どもたちの甲状腺定期検診を続けてきましたが、それを中止しようという動きもあるようです。実際に若者の甲状腺がんやその他の健康被害は増えているのでしょうか。

福島第一原発サイトでの保管場所が限られているからと、日本政府はフィルタ後も多種の放射性物質を含む汚染水の海洋放出を検討しています。放出に関する真相はどうなのでしょうか。

このようにいくらでも疑問はあるのに、詳しい情報がなかなか得られないのが実情です。そこでヨーロッパ大陸と英国、米大陸に住み、故郷の日本の問題を憂いつつ反原発・反核運動をする日本人のネットワーク「よそものネット」では、おしどりマコさんケンさんにオンライン講演会で報告していただく場を設けることにしました。お二人は事故以来東電の記者会見に通い続け、厳しい質問を投げかけてきただけでなく、健康や環境に対する影響を調査し、現地の人と交流し、福島第一原発での作業、フクシマに住み続ける人や避難した人が直面している問題を取り上げてきています。

切実な問題ながらも、未来に目を向けた希望ある姿勢で、接する人たちの心を朗らかにしてくれるのが彼らの魅力です。

各国にまたがる「よそものネット」が世界各地で同時視聴可能な時間帯を選択しています。時間が合わなくてライブ視聴できない、という方のために、そして報道されないフクシマの現状を世界の人々に知ってほしいという思いで、私たちはこの動画を録画編集し、字幕付き(日本語・英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・カタロニア語)で3.11までに公開することにしていますので、必ずご覧いただけます。公開の日程等は後日当サイトでお知らせします。

 ■講演会参加ご希望の方は こちらをクリック してご登録をお願いいたします。

講演会フライヤーのPDF版はこちら☞ 講演会フライヤーPDF

【プロフィール】

マコとケンの夫婦コンビ。 漫才協会/落語協会/保健物理学会会員。 東京電力福島第一原子力発電所事故(東日本大震災)後、 随時行われている東京電力の記者会見、様々な省庁、 地方自治体の会見、議会・検討会・学会・シンホシウムを取材。 また現地にも頻繁に足を運び取材し、その模様を様々な媒体で公開している。 2016年「平和・協同シャーナリスト基金」奨励賞受賞。

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また、お二人の取材活動を支援する寄付金にもご協力ください。マコさんケンさんのご祝儀口座:                                      http://oshidori-makoken.com/?page_id=126

海外からの送金は、当サイトのお問い合わせメールアドレスへご相談ください。

“#汚染水の海洋放出に反対します” 写真投稿アクションへの呼びかけ

東電と日本政府は前から、福島第一原発で増え続ける汚染水を保管するタンクの設置場所が限界に達するという理由のもと、代替案を十分検討することもなく汚染水を海洋放出する話を進め、その最終決定を今月(2020年11月)末までに出すとしています。ここで問題となっている「汚染水」はしかし、メルトダウンしたデブリに触れた液体放射性廃棄物です。ALPSフィルター処理後も多くの各種放射性核種を含んでおり、通常運転中に原発から放出されるトリチウム水とは異なります。詳しくはこちらをお読みください:https://www.greenpeace.org/japan/nature/press-release/2020/10/23/45772/

私たちは断固としてこのような危険な液体放射性廃棄物の海洋放出に反対します。

海は世界共通の大切な生物圏で、一度汚染してしまえば取り返しがつきません。この声をSNSを通じて日本政府と世界に訴えていくため、Sayonara Nukes Berlinでは写真投稿アクションを始めることにしました。ぜひ、一緒にご参加ください!

汚染水海洋放出反対呼びかけ文PDF

 

写真投稿ステップ
【ステップ1】プラカードを用意する

添付の「#汚染水の海洋放出に反対します/Don’t dump radioactive water into the ocean!」の4種類のプラカードからお好みのものを選び印刷します。③と④はあなたのメッセージやイラストを入れるスペースがあります。

プラカードはこちらからダウンロードできます。
①#汚染水の海洋放出に反対します
②#汚染水の海洋放出に反対します
③#汚染水の海洋放出に反対します
④#汚染水の海洋放出に反対します
【ステップ2】写真を撮る

 プラカードを手に掲げ、ご自宅やお好きな場所で写真を撮ります。
【ステップ3】SNSで投稿する

 ハッシュタグをつけて「#汚染水の海洋放出に反対します」「#NoNukeDump」「#お住まいの国や地域名」を添えてSNSで投稿します。

 ※注意※ #の後はスペースを入れないで入力してください。

みなさんからの投稿の輪が拡がることで、大きなうねりにしていけたらと願っています。SNSのアカウントをお持ちにならない方や、投稿手順のわからない方は、私たちのメールアドレスまで、写真とお住まいの地域を添えてご連絡ください。

たくさんの人と共有できるよう、この呼びかけ文を各言語に翻訳してくださるのは大歓迎です。ただし、アクションとして統一する意味で、添付ファイルの日本語と英語のテキストは変更せずにそのままお使いください。

写真ファイルの送り先:sayonara-nukes-berlin(at)posteo.net
※ (at) を@マークに置き換えてご送信ください。

SNBが発信するSNSアドレス:

Facebook:https://www.facebook.com/sayonara.nukes.berlin
Twitter:https://twitter.com/NoNukesBerlin
Instagram:https://www.instagram.com/sayonaranukesberlin
SNSのアカウントお持ちにならない方も、こちらのリンク先ですべてのお写真をご覧になることができます。

Facebook上の写真アルバム:
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.3560774300624816&type=3
Instagram:
https://www.instagram.com/sayonaranukesberlin/
Twitter:
https://twitter.com/NoNukesBerlin/status/1326512277374328832?s=20

グリーンピースジャパンによる署名:

東京電力福島第一原発事故から8年たっても増え続ける放射能汚染水。海はごみ捨て場ではありません。選択肢に上げられている  
#汚染水の海洋放出に反対します

https://act.gp/3b1tjdS

 

国際ウラン映画祭との協力関係終了についての報告

最終日授賞式でBalentesの監督LIsa Camillo(左)と話すManfred Mohr(ICBUW/IALANA) 写真:Marek Karakasevic

私がこの国際ウラン映画祭(IUFF)のことを知ったのはベルリンに来てからで、その後Sayonara Nukes Berlin(以後SNB)がProtestivalを開催した2016年、チェルノブイリ30周年を機会にIUFFベルリンでも4月23日のチェルノブイリ事故記念日にディスカッションが行われ、その時に私がSNBを代表して招かれて以来の付き合いでもある。それまでIUFFで上映された日本に関係する映画(特にフクシマ関係)の中に、これは日本の事情を知っている人があまりにいないために判断できずにエントリーしてしまったのではないか?と思わずにいられない、ある意味「とんでもない」作品がいくつかあったため、ベルリンで反原発運動をしているSNBとしては見ていられないと、IUFFに協力を申し出たのがきっかけで、私にできる範囲で援助サポートしてきた。

私は核・原子力の問題点を画像から追求する映画ばかりを世界各地から集めて上映するというこの映画祭の趣旨に賛成し、それならこのIUFFをさらに充実させるべく協力しようと思い、日本に関わる題材を扱った映画をチェックして、映画祭で見せるべきか判断を下すためのコメントを出す存在ともなり、日本からの作品を探す努力もし、同時に日本でもこの映画祭の存在をもっと知ってもらうべく、サイトを和訳する仕事などをボランティアでやってきた。松原保監督の「被ばく牛と生きる」、坂田雅子監督の「私の終わらない旅」のドイツ語字幕も作成したことなどは、かつて当ブログで報告したとおりである。

しかし、この映画祭の組織運営を知っていけば知っていくほど、私はそのやり方にも人材にも疑問が膨らむ一方だった。建設的な批判をしてもそれで議論が行われるわけでも改善されるのでもなくただ無視されるだけ、上映する映画の選考も不透明なら、賞を授与する映画の選考までなにもかも不透明で、審査員などが決まっているわけでもない。つまりは、この映画祭を創立したリオの二人だけ(おそらくはNorbertだけ)が決めているのだということが見えてきた。

ベルリンのKulturbrauereiのような映画館を使って数日間のイベントを行うとなると、非常にたくさんの資金が必要となるのはわかっている。だからこそスポンサーが必要なのはどのイベントも同じだが、ベルリンのIUFFでは何年も前から核兵器撲滅のための国際連合体(ICBUW)、核兵器に反対する弁護士連合(IALANA)、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)がパートナーとなりSchönau電力会社やExberlinerなどもスポンサーとなり、さらにドイツ連邦環境庁、連邦環境省からの助成も受けて、ここに並んだロゴの数々は堂々としたものだ。テーマが商業的な映画を集めた映画祭と違ってあまり興味を持たれない、話題にならないというのは当然あるにせよ、映画祭を開いても毎年集客数があまりにも少ない、映画祭としての認知度も低い、宣伝の仕方が悪い、というのは、核・原子力というテーマがますます普遍性を失っているというだけでなく、その他にも根本的な原因があるからだと私は思っている。

それは一つには、映画祭の組織運営と、その実現のためのしっかりしたコンセプトが不足しているからではないだろうか。ベルリンでの国際ウラン映画祭は、基本的にはドイツ語で行われている。司会も、挨拶も、インタビューもほとんどがドイツ語で行われ、ドイツ語を話さない監督には通訳を付けている。映画も可能な限りドイツ語の字幕を見せているが、予算の関係でドイツ語字幕を映画祭のために新たに付けられない時には、英語でも可能としているため、英語字幕のものもある。しかし、それなら映画祭の方針として徹底すべきである。というのは、私がこれまでにも経験したことで、今回も最終日で実感したことだが、例えば大賞を取った作品VALLEY OF THE GODS(神々の谷)はアメリカで撮影された英語の作品なので、字幕なしだった。これでは、英語がわからない市民にはあまり理解されなかっただけでなく、ポーランド人の監督が舞台に立って、英語で自己紹介したり映画の話をしたが、通訳がそこに控えているにもかかわらず彼女を差し置いて、ドイツ人の司会が(かなりお粗末な)英語でモデレートをしてインタビューをした。これまでにも急に使用言語が英語になってしまったことは何度かあって、そのたびに私はそれがまずいと思ってきたが、今回もそのコンセプトのなさが(司会とインタビューの質の悪さと共に)欠点として目立った。これでは「素人のイベント」とみられても仕方ない。言語はきちんとどれか一つに統一すべきだ。英語でするなら最初から最後まで英語で通すべきだし(ベルリン映画祭のように)、ドイツ語でするなら最後までドイツ語で徹底してほしい。

また、このウラン映画祭ではどの映画にもなぜか、このテーマに関し知識があるわけではない俳優・タレントなどに映画の推薦をさせるのだが、このことが私にとっては理解できない(これはベルリンの指揮を執っているJutta Wunderlichの方針)。そんな核・原発・反原発/平和運動・放射能問題などに知識のない人たちがうわべだけで何か感想のようなことを言っても(しかもその言い方がかなり恥ずかしいレベルだ)、映画の解説にも推薦にもならないだけでなく、私に言わせればこれらの映画に対する侮辱ですらある。そんな無駄な推薦も俳優の存在も無用だ。それなら、専門知識や経験があり、自ら反原発または平和運動に加わっているような審査員(Jury)数人を充実させるべきだし、どの映画を見せるか、ひいてはどういう理由から賞を与えるか、はたまたどういうガイドラインや方針をもとにどういう賞を授与するのかという方針を固めてウェブサイトなどで公開し、審査員に十分議論をさせて、それに沿って受賞する映画を選び、その理由、議論内容をしっかり透明に示すことが世界で意味ある「映画祭」として認められるための第一歩であるだろう。そして審査員に誰が入っているかも毎年発表すべきだ。そのようなものが一切なく、専門知識も経験もない、単にイベントオーガナイザーである人間にベルリンでの組織運営を依頼し、俳優などを司会や推薦者に招くことで「集客」しようとする試み自体が本来のこの映画祭の趣旨に反していて、だから人を説得する力も持ち得ないのではないかと私は思う。

司会者などは映画祭を通じて一人でよい。毎回いろんな(このテーマに関しては無知の)人に別々に司会をやらせる必要はなく、それよりは一人の人間がいつも同じコンセプトで、ドイツ語ならドイツ語、英語なら英語(がちゃんと話せる人)で最初から最後まで同じやり方で徹底して、プロフェッショナルにモデレートもインタビューもやってほしい。派手なイベントよりはそうした中身を充実させて映画祭としての質を上げることの方が、映画祭として価値を認めてもらうためにも必要だと私は思う。せっかくこれだけのスポンサーや協力団体がありながら、どうして素人芸のような、内輪のお祝いみたいな感じになってしまうのか、とても残念だが、それは私の見る限り、この映画祭を創立したNorbert Suchanekがそれをさせたくないからだとしか思えない。彼は自分ですべてを決めることに固執し、他の人とJuryを作って決定を誰かと共に下したり、批判や議論を受け容れたり、共同でやっていくために妥協したりすることができない。私がこれまでに提案してきた改善案や批判はことごとく無視されてきた。結局は「彼個人の映画祭」なのだ。それなら、どんなにこれを創立した時の趣旨や意図が素晴らしいものだったとしても、映画祭としては成り立たない、あるいは今回も同じで、一応できあがっても「これではちょっと…」と首をかしげざるを得ない程度のものにしかならないのだ。これでは映画祭としても、反原発・反核運動の一つとしても認められるだけのものに育たないのも仕方がないだろう。

私は日本関係の映画を担当するということになっていたのに、今年は最初から蚊帳の外で、私が推薦した映画に対するコメントも一切なく、気が付いたらもうプログラムが決まっていた。Norbertからは一切連絡はなかった。今年はコロナのせいで、ベルリンの映画祭にリオデジャネイロから来ることができなかったため、彼と話をすることはできなかったが、私はこれでは「協力」をしている関係だとは思えないため、今年度の映画祭をもってIUFFへのサポートを終えることにした。この映画祭によって知り合いになった人も、この映画祭で見ることができた数々の素晴らしい作品もあるので残念ではあるが、主催者が、協力者とコミュニケーションも取れない、たくさんの雑用はやってもらうが肝心な決定は自分以外の人にはやらせない、というのでは共同でなにかをやっていくことはできないし、こちらの時間もエネルギーがもったいない。それなら、今後はどうしても上映したいという映画があれば、SNBが主催して上映会を催す方がいい。なんだか後味の悪い国際ウラン映画祭とその協力関係となってしまった。

(ゆう)

上映作品の報告については、こちらの記事でどうぞ。

2020年国際ウラン映画祭@ベルリン(10月15日~18日) http://snbblog.sundayresearch.eu/?p=4487

2020年国際ウラン映画祭@ベルリン(10月15日~18日)

今年のIUFFポスター

2019年は十分な資金が集まらなかったこともありベルリンでの開催が見送られた国際ウラン映画祭だが、今年2020年はコロナ禍にもかかわらず無事にオープニングにこぎつけ、18日に終了した。

2010年にブラジルに住むドイツ人ジャーナリストNorbert Suchanekと彼のパートナーMarcia Gomes de Oliveiraがリオデジャネイロで創立した国際ウラン映画祭(IUFF)は、ウラン採掘から原子力、核兵器、放射性廃棄物に至るまで、原子の鎖に関わる(批判的)映画ばかりを集めた世界で唯一の映画祭である。ベルリンでもここ数年毎年開催され、最近ではオープニングと閉会式はベルリンの大プラネタリウムで行われてきたのだが、今年はコロナ禍のためプラネタリウムからはキャンセルされ、Prenzlauer BergのKulturbrauereiの映画館内だけでの開催となった。

今回の映画からいくつか紹介する。

「Vom Sinn des Ganzen」の1シーン

オープニングで上映された映画は、この映画祭で何度もオープニングなどの司会を務めてきたClaus Biegert(ドイツのジャーナリスト。1992年に世界会議Uranium Hearing をザルツブルクで創立し、Nuclear-Free Future Award Foundation基金によるNuclear-Free Future Awardを設立、1998年以来毎年世界各地で核兵器・原子力エネルギーのない世界のために貢献している人たちを選んで授与している)による新作ドキュメンタリー映画「Vom Sinn des Ganzen(全体の意味)」だった。これはドイツの物理学者兼平和運動家Hans-Peter Dürrの功績に光を当てた映画だが、私はこの素晴らしい人物のことをあまりに知らなかったため、すごく感銘を受けることとなった。Dürrはドイツの原爆開発チームにも加わっていた物理学者Werner Heisenbergからマックスプランク研究所の後任者として指名された物理学者だが、1987年にStarnbergでGlobal Challenges Network e.V. というNGOを創立し、自然環境を脅かす数々の問題を克服するために建設的に共同で作業する企業と団体・グループによるネットワークを作った。ゲッティンゲン宣言という有名な科学者・研究者によるマニフェストがある。これは1957年に、当時のアデナウァー首相と防衛大臣シュトラウスが、ドイツも核武装すべきだとしていた考えに反対し、核武装を認めれば、世界中での緊張感が増し核武装競争がさらにひどくなるだけだと科学者たちがドイツの核武装政策に全面的に反対したのだが、Dürrはその意志を継ぐだけでなく、戦略的防衛イニシアティブという考えに対する批判を続け、技術開発は平和目的のためにしか利用されるべきでないという立場を崩さなかったために、Right Livelihood Award(第二のノーベル賞ともいわれる)を受賞したばかりか、1995年にはノーベル平和賞も受賞している。核戦争の恐れが実際にあった時から心ある科学者として当然のあり方として平和運動を熱心に続けてきた彼だが、物理学者だからこそ持ちえたのかもしれない崇高な哲学・自然観を身に着けていたのがDürrだった。2005年には彼は仲間とPotsdamer Manifest「ポツダムマニフェスト」を発表したが、ここでの彼の核となる訴えは「We have to learn to think in a new way」(私たちは新しい別の考え方を学ぶ必要がある)、我々はこれまで「思考」の中に嵌り込み、にっちもさっちもいかなくなってしまっている、しかし新しい思考法が生まれなければ新生もありえない、人生をもっと生気に満ちたもの、持続可能なものにしていくにはどうすればいいのか真剣に考えていかなければならない、これまでのようにただ自然、地球の資源をどんどん使い、あらゆる人間の多様性、生活様式を踏みにじっていくのでは先が見えている、量子物理学の進歩で得られた新しい見識をもとに、脅威を沈静し、問題を解決して新しい方向へ向かっていかなければならない、ということであり、どういう方向に向かっていくべきか、そのために科学者たちがどう研究を続けていくべきかを2005年にすでに明確に訴えている。そして彼は「物質というのは本当はないんだ、あるのは凍り付いた光だけだ」ということを物理学者として主張し、仏教的哲学にも通じた世界観を持っていた。そしてそのために生気ある、楽しい、喜ばしいものとして人生を「祝って」いた。彼は友だちと集まって踊り、歌い、そしてよりよい世界のためにあらゆる人と議論を交わし、当時の平和運動に大きなインスピレーションと影響を与えた。映画を作ったClaus Biegertは実際にDürrが亡くなる数年前に長くインタビューをしていたため、たくさんの撮影フィルムがあり、それを使いながら、また新たに彼の人生のパートナーであるアメリカ人の夫人や、彼と一緒に研究や運動をしてきた人たちにインタビューし、Dürrの人柄と功績が目の前に甦るように作られている。最後に、ドイツでは有名なシンガーソングライターのKonstantin Weckerを訪ね、彼がDürrの言葉を歌詞にして作った歌を披露している。長くなったが、このドキュメンタリー映画で初めてDürrの人柄や哲学について知った私は、市民の運動のあり方、その背後の考え方、そして人としての生き方に関しても感銘を受け、とてもインスピレーションを受けた。Claus Biegertはこのオープニングにも来て話をしたが、彼もDürrという存在に学び感銘を受けたからこそ彼の生涯を紹介する映画を作らないではいられなかったということがよく伝わってきた。私はこれからもWe have to learn to think in a new wayということを考えていくだろうし、自分の市民参画に関しても、彼の言葉を幾度となく思い出すことになるだろうと思った。この作品はぜひ他でも上映してたくさんの人々に見てほしい映画だ。

土曜日は日本関係の映画が2本上映された。

1作はアメリカのKeith Reimink監督が作った、第五福竜丸の乗組員の運命を語ったアニメーション・ドキュメンタリー映画「Day of the Western Sunrise」と、もう1本は2011年3月11日の地震津波のあとから最初の5日間に起きた菅政権下での日本の様子を劇映画にした「太陽の蓋」(ドイツ語字幕付)だ。コロナ禍で監督やプロデューサー等関係者が誰も映画祭に来ることができないため、私がこの2作の映画の背景などを解説することとなった。第五福竜丸が1954年3月1日、ビキニ環礁で行われたアメリカのこれまで世界最大規模の水爆実験「キャッスル作戦ブラボー」で被ばくした際、その爆発時の閃光が西の空で見えたため、乗組員たちが太陽がまさか西から昇るはずはなし、と訝ったということからこのタイトルWestern Sunriseは来ている。現在もまだ健在の元乗組員3人にインタビューをし、当時の体験とそれから日本に帰ってきてからのアメリカと日本政府の対応、故郷での差別、放射線障害との闘いについて語っている画像と、思い出をイメージしたアニメが交互に出てくる。インタビューもその編集もなかなかいいのだが、私が耐えられなかったのはそのアニメというか絵の質である。本物通りである必要はないが、実際にあったことだし船も日本で見ることができ、写真や資料は豊富に残っているのだから、ある程度史実考証をした服装、船や建物の内装などを手本にすることはできなかったのか。そこがあまりにお粗末なので、インタビューとの釣り合いが取れていないことと同時に、観る者が馬鹿にされているような気にもなってしまった。インタビューをここまでして編集するだけの時間、エネルギー、考えをもって臨んだ映画なら、どうしてそこは徹底できなかったのか。また、ナレーションとアニメの登場人物のセリフ(日本語)などは素人の人たちがやったようだが、これについてももう少し質をよくすることはできなかったかと思ってしまうレベルだった。予算がない、というのはあるかもしれないが、それでももう少し練習してわかりやすい話し方などにすることはできたのではないかと残念である。

「太陽の蓋」は数年前にすでにハンブルクで上映されたためドイツ語字幕があるもので、SNBにもこの映画をウラン映画祭と共に上映してくれないかという話が入ったことがあったが、去年はウラン映画祭がベルリンで開催されず、SNBが主催者となって上映会を行う作品としては、実際のフクシマの状況を伝えるドキュメンタリーでもなく、俳優が演じているフィクションの部分が多い劇映画であることもあり、私たちの趣旨には沿わないとして上映会を見送ったものだった。今回は(私の憶測では)IUFFのNorbertと製作者の橘氏と直接話し合いの上ここで上映されることになったのではないかと思う。この映画についての私の意見は伝えてあったのだが、見事に無視され、この映画が上映されるという話を聞いたのは、IUFFベルリンでのプログラムが出来上がってからだった。それでも、私がこの映画の背景と批判も交えた解説をするよう依頼されたため、もちろんきちんと紹介をした。私も久しぶりにこの映画を見ることとなったが、この回の観客は残念ながら非常に少なかった。私としては、当時の(やや英雄的に描かれているのが気になる)管直人元首相率いる政府が、電源が切れ、緊急宣言が出されてからも東電からはっきりとした情報をリアルタイムで得ることができずにとうとう東電本社に乗り込まざるを得なかった当時のやり取りなどがかなり史実通りに再現されているので、それを詳しく知らなかった人に臨場感を与えることができるとはいえ、それと同時に描かれるフィクションの新聞記者、原発に詳しい元記者、市民の姿、避難を余儀なくされたフクシマの市民たちの描かれ方が物足りない。この映画は原発事故から時間が経ってから同じ新聞記者が当時の政府関係者にインタビューしていく形にもなっているのだが、実際はまだ収束していない原発事故なのに、なにか終わってしまったことに関して分析しているような印象を与えるのが、私には問題に思えた。こういう実際の最悪事故を劇映画にすること自体の難しさなのかもしれない。

「Atomlos durch die Macht」の1シーン

私は受付も担当している日があったので、上映された映画を全部見ることはできなかった。その中で私がもう1作、半分くらいだが見ることができたのは、最終日の日曜の夕方に上映されたオーストリアのドキュメンタリー映画「Atomlos durch die Macht」(監督 Markus Kaiser-Mühlecker)だ。オーストリアは、原発を作りながらも、人民投票で稼働反対が多数を占めたため、完成した原発を一度も運転することなく博物館にしてしまったという世界で唯一の国である。1978年のことだ。原発を作ったからにはもちろんそれを稼働したい人はたくさんいてロビーも強かったに違いない。政治的目論見も当然ある。その中で市民運動を続け、稼働させないと多数の市民が反対の投票をするまで導き、ついにはオーストリアは今後一切原子力エネルギーには手を出さないと決定させた活動家たちとのインタビューがこの映画のメインである。しかもこの原発は、2011年に事故を起こした福島第一のと同じ沸騰水型で、それもあってフクシマ事故のあとは胸をなでおろした人が少なからずいたという。しかし自国に原発がなくてもオーストリアはヨーロッパの中の小さい国に過ぎず、周りにたくさんの原子炉を持つ国々に囲まれているため、危険は変わらず存在している。だから反原発運動は今なお続いている。市民が反対しても、それでも甚大な被害を受ける可能性のある危険をはらむのがこの非民主主義的な発電方法である。ドイツは2022年に脱原発が実現するからと、この問題をもう問題視しなくてもいいように、片付いたことのように思う人たちもいるようだが、そうなってもオーストリアと同じで、問題はちっとも解決されていないことが分かる。ましてや今ドイツでは最終処分地問題で岐路に立っている。そしてドイツでは、最後の原子炉が2022年末で停止されても、ウラン濃縮工場(グローナウ)や核燃料製造工場(リンゲン)は期限なく稼働し続けており、ここからは相変わらず放射性廃棄物が出されるばかりか、世界の原発の10基につき1基がドイツで作られる燃料棒で動かされる計算であることが分かっている。それでは決して「脱原発」などではないはずだが、そういうまやかしと共にあるのがドイツの原発政策だ。このオーストリアのドキュメンタリー映画を最後まで見ることができず(受付に戻らなければならない時間になったため)上映後の監督とのQ&Aにも参加することができなかったのは、残念だった。

Valley oft he Godsの1シーン

今年最優秀映画賞を受賞したのは私には納得のいかない映画だった。ポーランドの監督Lech MajewskiによるVALLEY OF TH E GODS(神々の谷)(トレイラー:https://vimeo.com/357576802)という映画自体は、私の好みではないにせよ、画像もカメラワークもプロの質で、SFと広大な自然風景、そしてインディアンの神話に興味のある人にとってはきっと興味深い作品だったかもしれないが、問題は内容である。まがりなりにも「原子力・核・放射能・ウラン採掘などに関するテーマを扱い、それらの問題点を明らかにしていく映画を集めた」映画祭のはずなのに、この映画ではまったくそのことがテーマではないのだ。ハリウッド俳優のジョン・マルコヴィッチがナバホ族が神々の渓谷と名付けている聖なる谷でウランを採掘しようとする億万長者を演じている、という設定はあるものの、そしてナバホ族の神話や生活が描かれたりするものの、聖なる谷に眠るウランを揺り起こされようとするナバホ族の葛藤や、それが起こすだろう汚染問題などが描かれるわけではない。なんだか話は(私にはまったく納得のいかない)キツネにつままれたような話で、最後にはキングコングならぬ巨大な赤ん坊が大都市を根こそぎにしてしまうというようなSFになっていくのだが、私にはこういう映画をウラン映画祭で見させられている理由もわからなかったし、それが最初から「大賞」受賞と決まっていたために最終日の最後に授賞式で上映されるわけもわからなかった。しかも、その最後の授賞式での司会の賞授与の理由や監督とのインタビューも実にお粗末だった。

もう一つ、北大西洋条約機構(NATO)の軍隊が十年以上も演習・実験を目的に劣化ウラン弾を投下しているイタリアのサルデーニャで、自分の故郷の問題に向かい合い、観光で賑わうこの島を軍事に利用する悪習に闘う勇気ある市民たちの運動を捉えたLisa Camilloによる映画BALENTES – THE BRAVE ONES:(トレイラー:http://www.balentesfilm.com/abouthefilm)もドキュメンタリー映画賞を受賞したが、私はこの作品は受付で働いていて観ることができなかったので、残念ながらコメントできない。

以上が2020年のIUFFベルリンでのウラン映画祭に参加しての報告である。私がIUFFとの協力関係を今回をもって終了する経過は、別の記事で報告する。(ゆう)

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