ベクレルフリーライフのすゝめ。

横浜の市民測定所の創立者のおひとりである高雄先生から、ほとんどの食品の6割が測定不可・非検出を表す中、この半年の測定で汚染が目立ってきている食品についてお話しいただいた。なめこ、レンコン、銀杏、干し芋、大豆、タラ、栗などがそうだ。他に注意が必要なものは、山菜、タケノコ、淡水魚などがある。森の中の野生動物や植物等に未だチェルノブイリの被害の残るドイツを例に見ても、野山や森林では放射線汚染の被害が半永久的に循環され続けることがわかる。

麦・麦製品、米などに至っては、福島の作物に比べ神奈川の作物の被害が顕著に見られる。これは当時、神奈川の気温の方が東北に比べてあたたかく稲穂が開いていた事などが要因に考えられている。ただこれらは全てセシウムのみの測定結果で、人体に同じく深刻な被害をもたらし、カルシウムに置き換えられ骨にたまるストロンチウムは、その測定も、高価な機械の維持も難しく調査が追いついていない。ストロンチウムがセシウムほど飛距離を持たず、近郊に降り注いだであろう事は、多くの専門家の推測にも見られるのでご存じの方も多いかと思う。

チェルノブイリの被害報告にも、ナッツ系などの木の実、芋(干すことで上がる)などは例があるが、水産物においては海を持たないチェルノブイリは例にならない。タラということでは来場の主婦らからおでんなど加工された食品はどうかとの不安の声も上がった。

この他に日本の緑茶の汚染状況が問題に上がったが、ドイツでもチェルノブイリ以後、自国をはじめとするヨーロッパの一部の食品、中には60000Bqという検査結果を出したものもあったというトルコの紅茶、ドイツではおよそ80%がトルコからの輸入に頼っていると言われるヘーゼルナッツの汚染のその後にも不安が残る。セシウムの半減期は30年。30年を経ても半分の数値が残るということだ。ドイツの測定所は現在ミュンヘンに残る一か所で、放射線防護協会のデアゼー氏の話によると、ドイツでは既にこれらの調査は打ち切られているそうだ。同じく氏の話によれば、ドイツに輸入される日本食品は日本で定められた基準値が守られ、諸外国からの食品においてはドイツの基準値で輸入されるとあったが、報道によると現在ではドイツ水際での測定は5%とほとんどされていない。こうした中、高雄先生が話された通り、測定所ができる事は測定結果の発表をしていく事だけだ。数字を見て何を思うか、どう選択していくかはあくまで私たち個人の問題なのである。

先日は長男を連れて2週間ほどの一時帰国、日本は秋の味覚を楽しんでいる真っ最中であった。レストランや電車のつり広告にも、秋の味覚をうたった色とりどりのメニューが並ぶ。私にとっても好きな物ばかり。しかしながら不安とむやみにたたかう事を避け、話にあった食品をはじめ、水産物に至ってはまったく摂取を避けて過ごした。高雄先生のお話を聞き、全ての食品が汚染されているわけではないのだとわかり、気持ちが和らいだ。高雄先生も私たちも人々の不安をかき立て煽る事を目的として、こうした活動をしているわけではない。ゼロとはいくまいと思う。だが少しの知識と努力で回避できる事は多い。住んでいればこんなことはやっていられないはずとあきらめないで欲しい。私もここ、ヨーロッパはドイツに居住をおいても気を付けている食品のキーワード群がある。チェルノブイリの汚染も未だ終わってはいないのだ。

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滞在中、妹夫婦に連れられて港北のセンター北にある自然食品を扱う「ナチュラル&ハーモニック レストラン&カフェ コア」(http://www.naturalharmony.co.jp/coa/20110927coaLP.html)にて、話には聞いていたベクレルフリーなディナーをご馳走になった。多彩な調理方法で自然栽培された野菜それぞれの味が生きたこちらのワンプレートは、視覚にも美しく、大変おいしかった。何より、滞在中に食べたどの名店の食事より、心安らかに味わえた。このレストランに併設されたショップでは、非検出、もしくは基準値以下の検出を全て明らかにした野菜や果物、スイーツも各種販売される。詳細はHPにてご確認いただきたい。(http://www.dreamnews.jp/press/0000047660/

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一部の企業の宣伝をするつもりはないのだが素直に嬉しいと感じたので、数年前から首都圏での人気を博した男前豆腐店(http://otokomae.jp/index_jpn.html)。直営店でなくとも巷のスーパーに商品が並ぶようになり、いずれもおいしく、パッケージも洒落ている。本社を京都に構えるこの豆腐会社の商品ラベルに放射能検査済み“の文字。HPではゲルマニウム半導体検出器検査結果の詳細を紹介している。こうした各社の真摯な企業努力に惜しみなく応援と感謝の意を表したい。

高雄先生のお話では、食事会の開催などベクレルフリーレストランを応援するも、だからと言って店に来客が増えるなどの反響が少ないため、努力してくれる店舗の拡大を妨げているようだ。私の周囲にも日頃から気を遣い、通販の野菜などの購入に踏み切った家庭も少なくないが、やむなく一般のレストランで食事する例が多い。お近くのベクレルフリーレストランで、家族そろって心からおいしい食事を楽しんでいただきたいと思った。私たちがこうした選択をする事は、真のベクレルフリーライフにつながりはしないだろうか。R

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・横浜市民測定所 http://www.ycrms.net/

・日本全国での測定結果の統合を目指すフォーラム http://minnanods.jimdo.com/

セシウム137:ゴイアニアの悪夢

先日、ベルリンで行われた放射能に関わる映画を扱う「ウラニウム映画祭」に行ってきました。いくつか見た中から、特に興味深かった「セシウム137:ゴイアニアの悪夢」について。cesio137

この映画は1987年にブラジルのゴイアニア市で本当に起きた被曝事故をもとに作られています。私は今回、ドイツ語字幕で見たこの映画を通して初めてこの事故のことを知りました。
ゴイアニアの事故とはどんなものだったのでしょう。小出裕章さんが詳しく書いているので、以下に引用します。

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1987年 9月、ブラジル、ゴヤス州の州都ゴイアニア市で セシウム137(Cs-137)による被曝事故が発生しました。廃院となった民間の放射線治療クリニックに放射線治療装置が放置されたままになっていて、それを廃品回収業者が持ち出し、市内にあるその業者の作業場で分解されたことで事故は発生しました。
2人の若者(22才と19才)が、廃院となった病院から放置されていた治療用セシウム137 照射装置 (50.9TBg (1375Ci))を価値があるものと思い、持ち帰りました。その段階から被曝が始まり、2~3日後から2人は下痢、目まいなどに悩まされ始めました。彼らは1週間後にようやく線源容器に穴を開けることに成功し、今度は放射能汚染が始まりました。2人はこれを別の廃品回収業者に売り払いました。セシウム137は青白く光る粉末(セシウムの塩化物)であったため、暗いガレージの中で光っていました。買い取った廃品回収業者はそれを家の中に運び込み、その後数日にわたって家族、親類、隣人が、これを眺め、手を触れ、体に塗ったりしました。また業者の親戚、隣人が好奇心から自宅に持ち帰ったりしました。その家の娘は綺麗に光る粉を舐めて遊びました。作業に当たった人とその家族全員の体の調子が次第におかしくなり、廃品業者の妻が青白く光る粉に原因があるのではないかと気付き、それをゴイアニア公衆衛生局に届けました。医師は症状から放射線障害の疑いを持ち、市の公衆衛生部と州の環境局に連絡しました。放射線測定器で測定して放射線被曝事故が起こっていることがようやくに明らかになりました。当時、ゴイアニア周辺は雨季のため解体された線源中のセシウム137が溶解し、放射能汚染が広い地域に広がりました。
事故後の9月30日から12月22日までの間に約112,800名の住民の汚染検査が行われ、249名の汚染者が発見されました。120名は衣服、履物のみの汚染、残り129名には体内取込みと体外汚染がありました。0.5グレイ以上約 70人、1グレイ以上 21人、4グレイ以上8人でした。結局、この事故で38歳の女性と6歳の女の子、22歳と18歳の男性の合計4名が亡くなりました。死亡者4名の推定被曝線量は4.5~ 6.0グレイでしたが、7.0グレイを被曝しても生き延びた人もいました。もちろん、JCO事故と同じように、被曝によって加えられたエネルギーによって死んだ人たちの体温はわずか1000分の1度ほどしか上昇しませんでした。
回収できた汚染は一部でしかありませんが、ブラジルの原野に広大な置き場を作って隔離されました。

http://chikyuza.net/n/archives/5043 (図は省略)
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これと似たような事故が2000年にタイでもあったそうで、その際はセシウム137ではなく、コバルト60が原因でした。ちなみに、コバルト60が金属に混じる事故はいろいろなところで起きています。

放射性物質というと、原発や原爆や水爆の影響で出てくる非日常的なものという印象がありますが、医療器具だけでなく、いろいろなところに使われていているそうです。それに気づかずに、もしくはずさんな管理の結果、作業員が被曝したり、気づかないうちに放射能汚染が広まってしまうことがあります。

ゴイアニアの場合も、一般市民の日常生活の中で突如起こった放射能事故です。廃院から機材を持ち出した人たちは、金属をお金に変えたかっただけで、まさか放射性物質が中にはいっているなどとは思いもしなかった、それどころか、放射能がなんであるかすら知りませんでした。

映画を見ていて面白かった(というと語弊があるのですが)のは、セシウム137の存在を全く知らない人たちが、どうやってこの物質と自分や身の回りに起きる異変を理解するかということです。

セシウム137がどれだけ恐ろしいものか分かっている観客は、映画の中で人々がセシウムの入った容器を開けたり、中身を取り出したり、それで遊んだりするという「ありえない」行為に遭遇し、言葉を失ってしまいます。それと同時に、すぐに危険だと分からない放射能のおそろしさを痛感するのです。

セシウム137が暗いところで放つ青白い光は美しく、人々はその不思議な美しさに魅了されます。「おもしろいものがあるから見てみろ」「子供が喜ぶから少し持って行け」。そうやって放射能汚染が広まっていってしまうのですが、危ないものだと知らなければ、全く普通の、なんとも人間らしい言動です。そういえば、マリー・キュリーの伝記で、ラジウムの放つ青い光に感動するシーンがあったよな、とそんなことも思い出しました。鉄くずを売って生計を立てている貧しい人々や子供たちが、見たこともない美しい光に目を輝かせるのは、その後起こる悲劇を予想できるだけに、見ていて切ないです。

この映画を通してよくわかる、もう一つの放射能の恐ろしさは、放射線障害が食あたりや他の病気でも起きうる症状として現れることです。何か悪いものを食べたからだろう、そのうち治るだろう。そう思って、誰もすぐに病院に行こうとしません。そして病院にいっても、(本当の)原因は見つかりません。そうしているうちに放射能の汚染はどんどん広がっていきます。
あの光る物質が来てからどうもおかしい。人々が体調を壊しているのはあれのせいではないか?その因果関係を見つけるまでに時間がかかるのです。そこに気づくと、病院だったところから持ってきたものだということが引っかかり、医療知識のある人が、これは放射能なんじゃなかと疑いだします。

どこからどこまでが放射能による被害なのか。放射線障害は放射能の存在が確認されて、汚染の量が測られてみて初めてわかります。健康被害との関係は、結局のところ推測の域をでません。大量に放射能を浴びても生き延びる人は生き延び、少量でも深刻な被害を受ける人がいます。実際に、この事件でもっとも多く放射線を浴びたであろう鉄くず回収業者の男性は、事故の直後ではなく数年後に亡くなっています。
もし今私の近くで似たような事故が起きて、放射能の影響で吐き気を催しても、私はこの吐き気が放射能によるものだとはまず思わないでしょう。映画の中の人々のように、何か悪いものを食べただろうかと考え、タチの悪い風邪だろうか、しばらくすれば治るんじゃないかと思うことでしょう。
この事故で亡くなったのは4人ということになっていますが、直接の関連性が証明できないだけで、事故の影響で病気になって亡くなった人というのはおそらくもっと多いことでしょう。この映画を作った監督も、この事故の被害者の一人だそうです。後遺症に苦しむ人や、精神的なダメージを負う人がいたであろうことを考えると、たった一つの医療器具の不始末によっておこる事故の恐ろしさは計り知れません。

こうした事故が起こることで、身近なところで使われている放射性物質が確実に管理されるようになると思いたいところですが、すでに書いたように、近年でも事故は起きています。やはり、人間がやることに100%安全なことはないのです。
ずさんな管理の結果だけでなく、こうした危険な物質が意図的に盗まれて悪用される可能性も否定できません。原発は空からの攻撃に無防備だということは知られていますが、身近なところにある放射性物質を使ってテロを起こすということも理論的には可能でしょう。そう考えると・・・怖いですね。

何かおかしいと思ったときにどうするか。ゴイアニアの事故で大事な役割を果たしたのは、廃品回収業者の妻でした。夫や男たちは全く無邪気で、飼っていた小鳥が死のうが、犬が病気になろうが、自分や周りの人々が体調を崩そうが、危機感を感じません。
すべては光る粉のせいではないかと気づき、病院に行き、セシウム137を(夫の反対を押し切って)衛生局に持っていった彼女の存在がなければ、この事故はもっと深刻なものになっていたでしょう。もう一人、光る粉に最初から懐疑の目を向けたのも女性でした。放射能だと気づき激怒し絶望する、この映画の中でようやく私が理解できる行動を取ったのは、この、放射能の存在を知る母親でした。直感的に異変に気づく能力や、おかしいことをおかしいと認識する能力、それを裏付ける知識というのが大事なのだと思いました。フクシマ後、放射能が身近になった私たちにとっても、それは言えることではないでしょうか。(KIKI)

参考
・Césio 137. O Pesadelo de Goiânia ブラジル(1989), 95 min, 監督: Roberto Pires
・「終焉に向かう原子力」(第10回)放射線被曝事故の悲惨さと避ける道(小出 裕章)」
http://chikyuza.net/n/archives/5043
・日常生活の中で起きた放射能事故についてはここの書き出しも参考になります
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-927.html