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リンゲンでの祝脱原発デモ参加報告

2023年4月15日。この日をどんなにたくさんの人たちが待ちわびていたことか。4か月半遅れでドイツの脱原発が実現した。矛盾と噓に満ちた「脱原発」、解決されていない問題が山積みと、手放しに喜べないものだとはいえ、とにかくドイツ国内原子炉の最後の三基が停止されることになったのは、前進だ。ドイツ国内で発電のために核燃料棒が燃やされることはなくなり、そこからはもうこれ以上放射能のゴミは出なくなったのだ。

 

 

4月15日付けのTAZ紙第一面©ゆう

 

 

これまでの経過(事情に通じた方はここを飛ばして読んでください)

本来なら、昨年2022年末でドイツ国内で最後に残ったEmsland、Isar II、Neckarwestheim IIの三基が停止して脱原発を完成するはずだった。それが、ロシアのウクライナ侵攻でロシアに依存していたガス・石油の輸入が途絶え、一挙に「エネルギー危機」が叫ばれることとなった。今の連立政権に加わっているFDPや野党のCDU/CSUは、ドイツの「優秀でまだ十分に安全に使える原発をなぜこのエネルギー危機の最中に停止しなければならないのか、この原発を止めて、その代わりに石炭火力発電を運転期間延長して動かしてさらに二酸化炭素を排出するなどもってのほか」というシナリオで世論を誘導して、それまで反原発派だった多くの人たちも、今脱原発すべきではない、という風潮が高まった。脱原発が党成立以来のレゾンデートルでもあった緑の党のハーベック経済相・副首相はそこで、電気安定供給性について調査し、これら三基を停止しても安定供給は実現できるという判断をした。これらの三基は22年いっぱいで運転停止されることになっていたため、新しい燃料棒は用意されていない(どの燃料棒もそれぞれの原発タイプ、サイズによって特別注文される必要があり、そのウランの注文にもほぼ2年はかかるということだ)し、その他のスペアパーツも欠乏、運転要員も確保されていない。急に運転延長を決めても、どの道残っている燃料棒を長く持たせるために性能レベルを低くして「水増し運転」させる以外にないことは明らかだった。それに、2022年末に停止されることが決まっていたため、本来なら定期検査をされなければいけないのを、去年はしないできた。つまり、運転期間を延長するということになれば、定期検査を行わなければならず、当分運転できないことになるのだ。だから急に去年の秋になってこれらの原発の継続運転が、足りなくなったロシアからのガスや石油に取って代わる「オールマイティソリューション」になれるわけはなかったのに、それをFDPやCDUはそのことを言わずに、あたかもこの原発を延長運転しさえすればエネルギー危機が回避できるかのように声高に宣伝し、脱原発をやめさせようとしたのだ。

ショルツ首相は、連立政府内での諍いを治めるためもあって、妥協して4月15日まで4か月半運転停止を延長するものの、その代わり新しい燃料棒注文はせず、それ以降脱原発の日にちをずらすことはない、と去年の10月23日に宣言した。それ以降もFDPやCDUは何度もエネルギー危機を煽り、ことに緑の党や反原発の人たちは理性からでなくただ「イデオロギーのため」だけに脱原発にこだわっているのだ、というような話をして、世論を扇動した。しかし、メルケルの下で政権に長く就いていたそのCDU/CSUこそ、2011年にフクシマ事故があって脱原発を決定したものの、ついこの間までの16年間、原子力からも二酸化炭素からも脱した本物の再生可能エネルギーによる完全なエネルギーシフトを推し進めてこなかったからこそ、今の化石エネルギー危機があるのだ。現在はまだエネルギーミックスの約半分ちょっとを再生エネルギーが占めているだけだが、本来ならばこの割合がもっと広がっていなければいけなかったはずだ。

ロシアからのガスをことに推進したのはその前のプーチンの盟友シュレーダー(SPD)だったかもしれないが、その方針を変えずにエネルギーにおけるロシア依存を推進してきたのはメルケルだ。ドイツ北部では風力発電が立ち並び、再生可能エネルギーの割合が高くなったのに、それをエネルギー消費の高い南ドイツまで運ぶ送電線も計画通りに建たず、風力発電建設も南ドイツでは遅々として進まなかった。ドイツ国内で北から南へのエネルギー供給がそのためできないだけではない。原発は急激な発電量の調整が難しい発電方法であるため、原発からの発電量が送電キャパシティを占めて「詰まらせて」しまうと、その分再生エネルギーからの電気が受け入れられなくなるということも忘れられがちだ。再生エネルギーは太陽の照り具合、風の吹き具合で発電量が変わるが、そのため調整しやすいガスによる発電が便利で、調整のできない原発は不向きであるのは知られた事実である。

また、電気市場はEUレベルだ。ドイツで作られる電気もEU電気市場で扱われる。隣の核大国フランスでは、去年から原発の故障、弁やパイプなどでひびがいくつも発見されるなどの理由で停止が相続くほか、さらに気候変動で川が枯渇し冷却が不可能となって、フランスの原発のほぼ半分が運転しなかったため、EUの電気市場で電気量が欠乏し、電気の値段が上がった。これはロシアとは無関係だ。フランスはたくさんの原発で発電し、それをスペインやポルトガルなどに輸出していて、それを一定の金額で給電する契約をしているため、急遽足りなくなった電気を高い値段で輸入し、それを契約で決まっている安い値段でスペインなどに送らなければならないという赤字の契約履行を強いられている。EU電気市場ではそこで、ドイツからの電気も少しでも多く欲しい、と言われたのだった。ドイツが残りの三基(しかも残っている燃料棒で発電量を抑えながら水増し発電しての状態で)が供給できる電気量は市場にとっては焼け石に水程度の量だったにもかかわらず、だ。

脱原発?

4月15日という日にちはしかしありがたいことに守られた。今年の私たちのかざぐるまデモでも、4月が近づけば、脱原発をやめさせようとする声がきっとまた高まり、覆されるかもしれないという危惧を何人もの演説者が少なからず示していた。でも、私たちはこの脱原発が、決して一貫性のある本当の脱原発ではないことを知っている。なぜかと言えばドイツでは原子力法が脱原発を定めたにもかかわらず、原発で使用される燃料棒を製造する工場(リンゲン)と、ウラン濃縮工場(グローナウ)も平気で稼働したままであるからだ。それだけではない。あれだけプーチン支配下のロシアを裁くために経済制裁を行うと言いながら、ロシアからのウランはオランダを通ってドイツ国内に運ばれてきているばかりか、フランスに至ってはフランスの原子力企業Framatome(もとAREVA)がロシアのRosatomとジョイントベンチャーを作り、このリンゲンでロシア型原子炉向けの燃料棒を製造する計画まで立てられている。原子力関係に関しては、ロシアは一切経済制裁から除外されているのだ。そして、放射性廃棄物処理問題はまだ一切解決されていない。問題は山積みである。

 

 

燃料棒製造工場の門の表示©ゆう

 

 

そこで、ドイツの脱原発を祝いながらも同時に、一貫性のないドイツの原子力政策、そして時代錯誤で経済性のない原子力にいまだにしがみつきたいフランス・日本を始めとする世界各国のまやかしの「二酸化炭素を排出しないグリーンな」イメージで原発をどうにか推進したい無責任な政策を非難するために、4月15日にはドイツ各地でデモやアクションが行われた。

ことに今回運転停止されることになっているEmsland(リンゲン)、Isar II(バイエルン州)、Neckarwestheim II(バーデン・ビュルテンベルク州)では大きなデモが予定された。私が行ったのは、燃料棒工場があり、Emsland原発があるリンゲンというほぼオランダ国境に近い町(ニーダーザクセン州)で、ここで駅から集合場所である燃料棒工場前までバスがデモ隊用にチャーターされて向かった。皆が集まってからは、工場の入り口前でプラカートを掲げながら記念撮影などを撮って、いくつか演説、その後デモ行進をして今回運転停止されるEmsland原発前まで歩いて、またそこで演説をして、解散となった。

 

 

雨の中のデモ行進©ゆう

 

あいにくドイツは全国的に寒さが続き、しかもリンゲンは小糠雨が降り続いてうらめしかった。雨は予報されていたのでレインコートや雨用の帽子を持って行ったが、それでもかなり濡れそぼった。雨でなければもう少し人も集まったにちがいない。それでもきっと昔から反原発運動を続けてきた闘士に違いないという人たちがたくさんいて、和やかな雰囲気だった。子供連れの人もいたし、私のように遠くから集まった人もいれば、すぐ近くに住んでいるという人たちもいた。「親がすでにチェルノブイリやヴァッカースドルフ再処理工場建設計画反対で闘ってきて、私は二代目、私の娘たちもその精神を受け継いでいる」と話してくれた自転車で参加した男性にも出会った。

この日は約300人がリンゲンのデモには集まった。ちなみにバイエルン州のIsar II停止を祝ってミュンヘンでは約1500人、Neckarswestheimには約500人が集まったという。南ドイツでは少なくとも雨が降らなかったため、人も集まりやすかったのだろう。ベルリンのブランデンブルク門前でもGreenpeaceとGreen Planet Energyが主催して大きな原発の恐竜を倒して太陽の反原発シンボルがVサインをしているポーズで写真が撮られた。

©Christoph Soeder / dpa                                     ベルリン・ブランデンブルク門前のアクション。脱原発を最初に2002年に決めた赤・緑政権で環境相だったTrittin(緑の党)の姿が(その後メルケル率いる政権が脱・脱原発を決定、フクシマで再びそれを覆す)。

リンゲンでのデモでは、ゴアレーベンの市民グループBürger Initiative Umweltschutz Lüchow-Dannenbergの理事・共同代表の一人でもあるElisabeth Hafner-Reckers に再会した。彼女に会ったのは、彼女がかざぐるまデモの演説に来てくれた2017年なので、6年ぶりだ。彼女は、寿都町の町長が最終処分場候補地選定に向けた国の文献調査に応募してからできあがった反対グループ「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」に励ましのメッセージを書いてほしいという私の頼みに二つ返事で承諾し、すぐにすばらしいテキストを送ってくれた(http://kakugomi.no.coocan.jp/pdf/rentai_BILW.pdf)。彼女を始めとするゴアレーベンの人たちの抵抗運動の在り方は、あらゆる人たちに勇気とインスピレーションを与えてきた。彼らは、単に国家権力の方針や決定に抵抗してきただけではない。反暴力であらゆるアイディアを駆使した市民抵抗(日本ではなかなか当たり前の語彙として馴染まないZiviler Ungehorsam市民的不服従)の方法を実行に移してきただけでなく、彼らは「国が私たちに民主主義を実践し、人と自然に優しい国を提供してくれないなら、私たちが代わりにもっといいものを作ろう」というモットーで「Republik Wendland(ヴェントラント共和国)」と名乗って、ゴアレーベン周辺地区を、住みやすく、あらゆる年齢層が一緒に楽しく暮らせるコミューンのような共同体に作り上げてきた。まだ風力発電のない頃から独自で風力発電機を建てる人、バイオガスを作る人、太陽光パネルを自分の土地や屋根に付けて、自分で使い切れない電気を近所と分け合う人がいた。

そのエリザベスに今の心境を聞くとこういう答えが返ってきた。

「やっと最後の3基が運転停止されるのは、とりあえず嬉しい。これでドイツで新たに作られる放射性廃棄物がなくなる。でも、まだその運転停止を取りやめてまた再起動したくてたまらない人たちがこれだけいるから、まだまだ監視の目を緩めるわけにはいかない。私たちのグループは、単に抵抗するだけでなく、どんなに平和に、クリエイティブに、仲良くあるものを分かち合いながら生活していけるか、実践で示してきた。お上が何かを勝手に作り、それがただ与えられる、または買わされる大人しい「消費者」になりきるのではない、どんどん新しいものを買わされ、消費し、そのためのお金を稼ぐことだけで生活がいっぱいになる、そういう図式ではない人間らしい在り方を私たちは求めてきたし、その方がよっぽど楽しいしお互いに優しく助け合いながら生きられる(彼女はFreundlichという言葉をよく使った)。ゴアレーベンには最終処分場候補地のリストからは消されたものの、あいかわらずキャスクが「中間貯蔵所」に置きっぱなしにされていて、それはまったく安全な方法でなど保管されてはいない。これは後に続く世代に残していかなければならない負の遺産だ。親から受け継ぐ遺産が嫌な場合は、子どもは普通はそれを「拒否」することができる。しかし、この放射性廃棄物の遺産の場合、彼らにはそれを拒否することが許されていない。だからこそ、私たちにはそれを少しでも安全に、長期にわたって保管するための方法のコンセプトを国に求めていく義務がある。」

©Lars Klemmer/dpa

「共に勝ち取った!50年間続いた反原発運動」と書かれた横断幕

 

それから、もう一人会うことができて嬉しかったのは、Atommüllreport(放射性廃棄物報告)という放射性廃棄物に関する情報、危険性も含め詳しいデータを集める専門ポータルである団体の代表Ursula Schönberger氏だった。彼女はもともと緑の党で連邦議員にまでなり(1994年~1998年まで)その後別の緑の党連邦議員の科学調査担当を受け持って、そこで2013年にドイツ国内の「核のゴミ」の「在庫調べ」と状況について詳しい報告書(272ページにのぼる)を作成している。それは今でも、ドイツの放射性廃棄物に関する包括的報告書の第一号として連邦議会図書館にも保管されており、それをさらに引き継いでオンラインプラットフォームとして続行してきたのが、彼女のAtommüllreportだ。彼女は2002年にはしかし当時ヨシュカ・フィッシャーが副首相・外務大臣を務めていたSPDとの連立政権で、戦後初めてドイツがNATOの一員としてコソボ紛争に参加すべくドイツ軍隊を派遣し、さらにアフガニスタンでもドイツが戦争加担したことに反対して、脱党している。そういう意味でも、個人的にも価値観が似ていて親近感がもてるのが彼女だ。低・中レベル放射性廃棄物最終処分場になることが決まっているSchacht-Konradの反対グループともずっと活動してきた彼女は、私にこう話してくれた。

「いよいよ脱原発の日を迎えることは嬉しい。これまでの苦労の実が結ばれた。この日のためにずっと長年闘ってきたのだ。もちろん、抱えている問題がこれで小さくなるわけではない。そして脱原発を遂げたことになれば、ドイツでの反原発運動が小さくなる懸念はもちろんある。私たちは、核のゴミの「在庫調べ」をし、何がどのくらい、どこに、どういう風に「保管」(かぎ付きにするのは、まったく信じられない危険そのものという感じの放置状態で放っておかれているドラム缶も多いからだ)されているのかを事細かく調査し、報告してきた。そしてそれをどのようにすればよりこれから何万年、何百万年にわたりそれなりに「安全」に保管していけるか考えていかなければならないが、それを進めるうえでの第一歩は、「これ以上危険なゴミをもう作らない」ということだとずっと訴えてきた。保管方法が定まっていないのに、どんどん次から次へと危険なゴミを作り出すのであっては、議論にならない。とにかくそれが終わるのは正しい方向への第一歩だ」。

 

© Lars Klemmer/dpa                「脱原発というからには燃料棒工場もやめなきゃ」と書かれた横断幕

 

この祝脱原発の国内でのデモ・アクションはことに環境保護団体BUNDとドイツ最大の反原発団体.ausgestrahltが提携してキャンペーンを繰り広げていたが、リンゲンでのイベントでは、私が参加できなかった今年3月11日のかざぐるまデモでも演説をしてくれたBUNDのJuliane Deckel(彼女はもともと日本学を大学で専攻していたということで、デモでも日本語で少し演説していた)と.ausgestrahltのHelge Bauerが二人で一緒に司会をしていた。

ドイツで原発が操業されたのが1961年、それから2023年4月15日に全基が停止されるまで62年間。この「原子力時代」の「恩恵」を得てきたのは多くてもせいぜい3世代だが、そのために排出された解毒できないこの放射能のゴミが危険でなくなるまで、これからさらに33000世代以上がこれとともに生きなければならない、と言われている。そんな無茶が押し通されたのがこの狂気の「原子力時代」だ。未来の世代にとってはまったくいい迷惑だ。

©Hakuba Kuwano

悪天候でもリンゲンでのデモに集まった人たち

デモ解散前の最後のディスカッションには上記のElisabethやUrsula、それにEmsland近郊でチェルノブイリ以降、トーマスのように市民測定所を作って放射能検査をしてきた男性、Schacht Konradの活動家の女性などが司会であるHelgeとJulianeに質問され、それに答える形で参加した。「低・中レベル放射性廃棄物」と名付けることで、あたかも「高レベル」より危険性が少ない、大したことがないような印象を与えているが、それは大きな間違いだ、という話にも、まったくだと私は同感した。放射線は高いから危険、低いからより安全ということはない、定量の被ばくで癌などを発症するのは、「宝くじ」に当たるようなもので、線量が高い低いは「安全性に無関係」で、運のようなものなのだということは放射線テレックスのトーマスも常々言っている。これをここで訴えている人たちは、いわゆる「低・中レベル放射性廃棄物」が保管されている場所のすぐそばに住んでいる人たちで、それらの「廃棄物」がどの程度危険な形で山積みされているか知っているからこそ、その危機感が強い。そして自分たちは「もうすぐ死んでいく運命にあり、これらのゴミが今後どのような形で残されるか、見届けることができない」と思っているということだ。それだけ彼らには焦りもある。どうすればなるべく危険がない形で、コントロールしながら保管ができるのか、そのコンセプトを根本的に考え直す必要がある、ということを皆が語っていた。いわゆる「地層処分」(日本のような火山、地震の多い島国ですら地層処分にこだわっているが)になぜこれだけ固執するのか、という疑問もある。でも、今「仮」に保管されているたくさんの放射性廃棄物(低・中・高レベルの)の貯蔵方法はあまりにお粗末で、いつ「安全な場所に処分されるのか」わからないのに、危険極まりない。飛行機墜落やドローンによる攻撃などがあれば、またはサイバー攻撃などがあればすぐに恐ろしい事態が訪れかねない状態のまま何年も置きっぱなしになっている。

私がしっかり反原発運動にかかわるようになったのはフクシマからで、そういう意味ではここにいたたくさんの「闘志」たちと比べて新米だが、矛盾を抱え問題の多いドイツで、とにかくまがりなりにも最後の原子炉が停止されたこの記念すべき日を、この問題にずっと立ち向かい、ぶれることなく長い息で闘ってきた人たちの話を聞きながら過ごすことができたのは、有意義なことだった。日本のGX束ね法案、札幌で行われるG7環境相会合で日本政府が「汚染土リサイクルや汚染水海洋放出を歓迎する」旨の共同声明を出すべく各国に働きかけた問題、汚染水を何が何でも今年の夏には海洋放出開始する方針など、日本からは原子力関係を挙げただけでも幻滅するようなテーマに尽きないが、とにかく「反原発」運動がドイツでは長く続いて市民権を得、とにかく動いている原発をやめさせることに成功した、というのはポジティブなニュースだ。ドイツが原発による発電をしなくても、ドイツは原発信仰をやめない国々に囲まれている。フランスも、ベルギーもポーランドも、危ない老巧化した原発を何が何でも運転期間延長して動かすつもりだし(日本も同じ)、原子力がなければ気候変動の点からも今のエネルギー危機に立ち向かえない、などとグリーンウォッシングしながら、実は、おんぼろのひびの入った危ない原発を延長して運転する以外に、新しい原発はあまりに建設費用が高くて実現しないし、今動いている世界の原発がどれももう古くなってきていて修理や追加工事が必要であることに変わりはない。フランスのように気候変動で冷却に必要な川の水が枯れてしまえば原発を動かすことはできないし、急にこれから水不足が解決するとは思えない。エネルギー危機を解決するには、「今すぐ」安全に動ける発電方法が必要なのに、いつ建設が完了するかもわからない原発に未来を託すなど、絵に描いた餅で明日からの食事の支度に備えるようなものだ。できるだけ自然に介入しない方法で、環境になるべく優しく、有毒なゴミも、二酸化炭素も排出せず、となれば、再生可能エネルギーでできる限りの電気需要が賄えるようシフトしていく以外ないことは誰の目にも明らかだ。そのために投資をせず、若い世代に恐ろしいほどの負の遺産を押し付け、政治家にたくさんの嘘をつかせ守れない約束をさせながら、いつまでも既存の利益構造にしがみつくロビーの言いなりになっている世界は哀しい。

とにかくドイツでの原発のスイッチは切られた。それを日本にも、フランスにも、イギリスにもポーランドにも、ベルギーにも拡大していかなければならない。やはり市民が動かなければだめだ。気が滅入るニュースに溢れた今、このドイツの祝脱原発デモに参加したことは私にとって、力の与えられる貴重な体験だった。私一人では遠くのリンゲンのデモには参加しなかったと思うが、デモの取材やインタビューの通訳として赤旗の特派員桑野氏に同行させていただき、このデモ参加が実現した。桑野氏に感謝。(ゆう)

©Hakuba Kuwano

ひびが入って絆創膏の貼られたEmsland原発のスイッチを切るアクティビストたち

 

©ゆう

この日の未明まで原発からはまだ煙が出ている

 

2023年3月11日かざぐるまデモのお知らせ

福島原発事故12周年・かざぐるまデモ:放射能の危険はごめんだ ‐ 原発からも核爆弾からも

 

ドイツの脱原発が最後の原子炉停止を目の前に延期されることになろうとはだれが想像したでしょうか、それも緑の党が政権に加わっているときに! 原発の運転続行がエネルギー危機の解決とでもあるかのように謳う風潮が急激に広がりました。核保有国・原子力大国であるフランスでは、稼働するはずの原発の半分しか運転できない状態が続き、原子力エネルギーがどんなに信頼できないものであるかを証明しています。この議論では、原発がどのような安全リスクを生みかねないか、なぜフクシマ原発事故後、ドイツで脱原発が決定されたのかが不思議なほどに忘れられています。
2023年4月半ばまで現在残っている原子炉はいわゆる「Streckbetrieb」(使っている燃料棒を能力を押さえながら長持ちさせて延長して使う)で運転されることになっています。推進派は、原子力エネルギーによりエネルギー独立が可能かのように言っていますが、燃料棒を作るためにEUではウランの多くがロシアから輸入されている事実に目を閉じています。原子力ロビーは原子力セクターをEUの制裁から外させることに見事に成功しているのです。

 

ロシアのウクライナ侵攻により核の脅威がいかに現実的なものであるかがはっきりしました。これまで軍縮を支持してきた人たちの多くが突然、核抑止、核の傘下にあることの重要性を謳い始めています。
ウクライナでの戦争でもう一つのことが明らかになりました。それは原発が軍事作戦の攻撃目標になるという事実です。ヨーロッパ最大級のサポリージャ原発は何度も攻撃され、非常用のディーゼルジェネレーターで給電されていることが何度もありました。電気供給が断ち切られるだけで、フクシマのような過酷事故が起き得るのです。
核の連鎖反応や放射線には、味方と敵の間の境界線を見分けることができません。同じ技術が軍事的または「平和」的に利用されようが、区別はありません。安全で気候正義な解決法はただ、できるだけ早く徹底して再生可能エネルギーを世界中で広めていくことだけです。

 

ですから一緒に求めましょう:
• ドイツでこれ以上原発の運転期間を延長しない
• 無責任な原子力エネルギーからの世界規模での撤退
• リンゲンとグローナウの核施設の即刻停止
• 原子力エネルギーを持続可能エネルギーと分類するEUタクソノミーからの削除
• EURATOM欧州原子力共同体協定の解約
• フクシマであろうと世界のどこであろうと、放射能汚染水を海洋放出しない

 

 

主催:
NaturFreunde Berlin
Green Planet Energy
Sayonara Nukes Berlin

 

共催:
AK Rote Beete (Linke Regionalgruppe)
AntiAtom Berlin
BürgerInitiative Lüchow-Dannenberg
BUND
BUND Jugend Berlin
Friedensglocken
Greenpeace Berlin
IPPNW Germany
Japanese Against Nuclear UK
Korea Verband
Rote Beete
Strahlentelex

 

 

2022年3月5日かざぐるまデモの報告

戦勝記念柱からブランデンブルク門を埋め尽くした2月27日の反戦デモ©SNB/Yu
©Christoph Eckelt / Green Planet Energy eG

今年のデモを計画し始めた時には、予想もしていなかった事態が起きた。2月23日にロシア軍がウクライナ侵攻を開始したのだ。そして次の日にはすぐに、原発事故のあったチェルノブイリがロシア軍によって占拠されたというニュースが入って、私たちを震撼させた。プーチンは、核兵器を特別警戒態勢に移したと脅し、ドイツから飛行機で2時間しか離れていないヨーロッパで、また核の脅威が具体的なものとなってしまったのである。ヨーロッパで急遽起こってしまった戦争に対する市民の怒り、不安、無力感は大きく、27日の日曜日にベルリンでいくつもの市民団体が共催して呼び掛けた戦争反対のデモには、主催者側が50万人というほどの人数が集まり、文字通りベルリンの中心街を埋め尽くした。子どもからお年寄りまで、ありとあらゆる国や文化の出身者が各地から集まって平和にデモを行っている間、ドイツ連邦議会ではショルツ首相が演説し、連邦政府の特別資産プールからなんと1000億ユーロを、古くなって有事での戦闘力が疑われているというドイツ軍補強・再軍備に充てる、さらにこれまでの、軍事衝突している地域に兵器は送らないという伝統を破りウクライナに兵器を供給する、そしてNATOにこれからは毎年GNPの2%を超える出費をすることを約束した。爆弾宣言だ。まだSPD、緑の党、FDPの連合による新政府ができあがって数か月だが、この新たなる軍拡宣言は、ちょうど前の赤・緑連合政府の時、それまで戦争には参加しなかったドイツがコソボ紛争やアフガニスタン戦争に参加してしまった時のあの私の脱力感を髣髴とさせる。プーチンのウクライナ侵攻は、まったくもって言語道断だが、それに対する応えが西側、しかもドイツの軍拡なのか、と問わざるを得ない。軍拡は、平和とは相いれないはずではないのか。これでますます軍事力競争と武力の連鎖が高まることにつながり、ロシアをもっと刺激することになるのではないか、と不安だ。しかも、そんな1000億ユーロもパッと出すお金があるのなら、それこそ、ロシアに依存していたガスや石油を断ち切って独立するため、そして本当に安全で持続可能な自然に優しいエネルギーを自国で持てるよう、再生エネルギーのインフラストラクチャーや建設に充てるべきではないのか。そんなことを考えて一人で悶々としていたら、今度は私たちのデモのすぐ直前、ウクライナだけでなくヨーロッパで最大の規模というサポロジア原発がロシア軍の空襲に遭い、火事まで出たという報道が入った。それこそ私たちが一番恐れていることだ。原発の建物が破壊されれば、あるいは電源がストップしてしまえば、フクシマで起こった事故がヨーロッパで、しかもまたウクライナで起こることになる。どうしてこんなことになってしまったのか。どうして人間はまだこんなに危ない原発なんかを持っているのか。ロシアからのガスにはもう期待できないことを踏まえて、さっそくバイエルン州のゼーダーを始め、今年いっぱいで停止するはずのドイツの最後の原発の稼働年数を延ばすべきだなどと言う議論も聞こえるようになった(注:これを書いている3月8日になって、やっとハーベック経済相が稼働年数を延長することはないと表明した)。危ないのは核兵器だけでなくて原発も同じであることが、今わからない人たちはどういう頭の構造をしているのだろうか。今更、どうやって原子力が「安全なエネルギー源」などと言えるのだろうか。というわけで、今年のデモは、もともとフクシマの放射能汚染水の海洋放出反対が中心テーマだったのだが、デモの意味付けが最後になってこんなにも変わることになってしまった。今の時点で核の脅威を訴え、反原発反核を訴えることは、今までより増して重要で、自宅で籠って悶々としているよりは、仲間と街頭に立ち反原発反核を訴える方がずっといいとも思えた。そうして3月5日のデモの日を迎えることとなった。

気温は0℃前後と寒かったが、太陽が出てデモ日和。2月は風の強い嵐がいくつも続いたが、そういうこともなくデモで横断幕を持って練り歩くのもきつくなかった。動員数は少ないと最初から思っていたが、デモ開始時間になるとあらゆる旗や横断幕を持った人たち、デモでしか毎年会わないがそれでも必ず来てくれる人たちの顔がそろい始めた。ダンサーのかずまは、まだ日本にいて、本来は3月初めにベルリンに戻ってデモでパフォーマンスをしたかったようだが、ウクライナでの戦争が始まり、ロシア上空も飛べなくなって来ることを断念した。

レクイエムのコーラス ©M.Naganuma

コーラスでよく歌っている歌手のえみ子が仲間の指揮者、同僚に声をかけてくれ、彼女を含め計六人が揃い、レクイエムを歌ってくれた。ブランデンブルク広場がその時静まり返って、彼らの澄んだ声の合唱が響いた。胸にしみる歌声だった。長くなく、それでいてひきしまるような合唱でのデモの始まりは、とても効果的だったと思う。

お馴染みの司会のNaturFreundeのUweは、響く声で背も高く体格もよく、たくさんの人の中でもしっかり目立つありがたい存在だが、彼がメモなど一切使わずに明確なメッセージを発言してくれるのを、今年も安心して聞けた。彼もこの反原発運動で司会を務めてからもう何十年、と自分で笑っていた。ベルリンの反原発デモには、ウィンズケール(セラフィールド)の原子炉火災事故やチェルノブイリ原発事故の頃から反原発をしている「ベテラン」運動家が多いのだが、今回SNBは若いアクティビストたちにもぜひ声を上げてほしいと願い、Fridays for Futureのベルリン支部やBUND Jugendのベルリン支部に演説を依頼したところ、喜んで引き受けてくれた。またGreenpeaceと一応一線を画すために名前を新たにGreen Planet Energyに変え、今回もまた主催者として参加してくれた広報担当のChristophがハンブルクから来られなかったため、ベルリン事務所で働いている若手の男性を演説に送り込んでくれた。そういう意味で演説者の平均年齢がぐっと下がり、それもとても気持ちのいいことだった。

150人ほど集まった参加者 ©T.Kajimura

個人的には、私は今年からは第一線でデモのオーガナイズやPR担当をするのをやめるつもりで控え目に参加するつもりだったが、急に起きたプーチンのウクライナ侵攻とチェルノブイリ原発占拠やヨーロッパ最大級といわれる原発が襲撃に遭って火事まであったということがあって、どうしてもSNBとしては何かを言わないわけにはいかないという気持ちに突き動かされ、急遽私も飛び入りで話すことになった。

Sayonara Nukes Berlinを代表して梶川ゆうと山内ひとしの演説

私がどうしても訴えずにいられなかったのは、原発がある国でまさに原発が戦争で襲撃され、停電が続いて冷却が不可能になったり原子炉建屋が破壊されたり、または管理している人員が怪我したり襲われたりすることで無人状態になってしまったりすれば、フクシマ、チェルノブイリと同じことが、いやそれ以上にひどい悪夢が起きる可能性がある、それはプーチンが核兵器で脅しをかけているのと同じくらい恐ろしく、その危険がこれほど具体的になっているのに、ロシアからのガスが望めなくなるなら、または国内でのエネルギー供給が独自に賄えるようになるために、今年中に停止するといっている原発の稼働年数を延長しようなどという声がすぐに聞こえていることに対する絶望感だった。こんなことがあってもいまだに原発がどれだけ怖いか、わからないのだろうか。私は気候温暖化を食い止めるためだけでなく、平和、民主主義的な自由とエネルギー問題は切り離せないものだという、そのことを語りたかった。(ゆうの演説はこちら:SayonaraNukesBeriln_YuKajikawa.jp

SNBの山内は、彼らしいエピソードを踏まえて科学的にどうして原発が持続可能でも未来志向でもないかという話をした。5分にはできないほど彼独特の話の展開を書いた演説より詳しいテキストがあるので、ぜひそちらを読んでほしい。(山内のテキストはこちら:SayonaraNukesBerlin_HitoshiYamauchi.jp

IPPNW/Alex Rosen ©T.Kajimura

IPPNWのAlex Rosenは、去年から代表をやめ、自分の小児クリニックを開業したりマイホームを建てたりと忙しくしているようだが、このデモでの演説は自分にとっても大切なテーマだからと、今年も快く引き受けてくれた。用意してきた原稿を読み上げずに、これだけしっかりとまとまって力強いメッセージが演説できる彼を羨ましく思う。彼は本当に私が思っていることを代弁してくれたと思う。彼はいくつかのテーマに触れたが、大体まとめると以下のようなことを語っていた。2011年の3月11日にフクシマから届いたニュースは私たちにとって衝撃だった。たくさんの人が忘れていないはずだ。その前にはチェルノブイリがあった。でもウクライナから日本、そしてまた今ウクライナに戻ってきてしまった。昨日の3月4日、もう少しで大惨事が起きるところだった。恐ろしい経験をかろうじて逃れることとなった。原発のある国で戦争をするというのは、前例のないことだ。原子力エネルギーは、平和な時代でも決して受け入れることのできない危険なテクノロジーだということを、私たちは常に言ってきたはずだ。どの科学者たちも、真剣に科学を追い、金に買われていない者ならば、右翼でなく、気が確かで良識ある者なら、誰も「グリーン」だとも「安全」だとも「安い」とも決していうことのできないはずの原子力を、まだどうにか進めようとしている者たちがいる。それを推進している国、いまだに原子力発電にしがみつき、それをこれからも続けると言っている国は、どれも結局は核兵器を持っている国か、そこと利害関係で結ばれている国だけである。原子力エネルギーと核兵器は同じ硬貨の表裏だということを忘れてはいけない。フクシマ原発事故後、健康に対する影響や被害を調査しようにも、因果関係をはっきりさせないようにするために、日本政府は甲状腺やその他の健康被害の調査を故意に怠ってきた。福島県の18歳以下の人たちも、甲状腺に関してしか調査をしなかったし、そのほかの健康被害やほかの県に住む人、若者以外の年齢層の人たちに関しては無視してきたため、科学的で独立した健康調査ができていない。これはわざと因果関係を隠蔽するためとしか思えない。原子力エネルギーがある限り、核兵器のない世界は得られない。核兵器を持つ国がある限り、原子力エネルギーのない世界も得られない、この二つは同じく、撲滅すべく闘っていかなければならない。今私たちはウンターデンリンデン通りに立っているが、すぐそばのロシア大使館の前で戦争に反対してデモをしているウクライナの人たち、そしてこのすぐ後ろで平和のために集まっているロシアの人たちと私たちは連帯している、私たちは同じ目的、核の脅威のない世界のために闘っている!以上がアレックスの演説の要約だ。

デモ行進前にGreen Planet EnergyのMaximilian Weißが演説をしたが、彼はタクソノミーに原子力エネルギーとガスが入れられグリーンウォッシングされていることを批判しながらも、どうして原子力エネルギーには未来がないか、投資家もだまされないはずであろうことや、原子力はどんなに原発ロビーがタクソノミーなどをしてもそれは彼らの最後のあがきであり、実は世界中で後退の一途をたどっていることを分析して楽観主義的な見方をした。世界もそのように理性的であることを願うしかない。(Green Planet Energyの演説の和訳はこちら:GreenPlanetEnergy_MaximilianWeiß.jp

©Christoph Eckelt/Green Planet Energy

それからデモ行進に移った。今回もコロナの影響もあり、去年と似てそんなに人は来ないだろうと考えてたくさんかざぐるまを作らなかったが、去年との大きな違いはツーリストがすでにたくさんベルリンに来るようになっていることだった。子ども連れや若者のツーリストが、黄色いかざぐるまに魅せられて寄ってきて、デモが始まる前にセルフサービスのように手にして立ち去ったため、デモ隊の持っているかざぐるまは今年は少なかったように思う。

©SNB/Yu

デモ隊はウンターデンリンデンを通ってから一回りしてまたブランデンブルク門に戻った。今回は行進後のパフォーマンスや音楽がなかったが、それで参加者の注意が散漫にならず、演説を熱心に聞いてくれ、却ってよかったと思えた。最後のプログラムの演説は今回のデモで初めて参加してくれたKorea VerbandのYujin Jungで、日本政府が放射能汚染水を海に放出するという勝手な決定をしたことに対し、海を挟んだ近隣の国の人たちがどんなに不安な思いでいるかを話してくれた。(Yujin Jungの演説の和訳はこちら:KoreaVerband_YujinJung.jp

Fridays for Future Berlin/ Johanna Buchmann ©T.Kajimura

次にはFridays for FutureのJohannaがとてもエネルギッシュではっきりしたメッセージを話してくれた。彼女がフクシマ事故が起きた時12歳だったと聞いて、唸ってしまったが、そうだ、フクシマでも事故当時子どもだった人たちで甲状腺がんに罹った人たちが成人して、原発事故と甲状腺がんとの因果関係を究明して責任を追及するため、東電を相手に集団訴訟を起こしてもいるのである。当時10歳だった子どもは、今年はもう21歳だ。この件については今年の武藤類子さんのメッセージにも書かれているが、アレックス・ローゼンも演説で話していたように、がんと原発事故もしくは被ばくとの因果関係を追求するには、独立して信頼できる調査が少なすぎるだけでなく、公害訴訟などで健康被害と事故や公害の因果関係を追求した経験のある弁護士がいないことを心配する向きもある。また東電だけで、国を訴えていないことも問題である。この件については5月半ばに予定しているおしどりマコ&ケンさんとの講演会で、彼らにも詳しく語ってもらうつもりだ。(Johannaの演説の和訳はこちら:FridaysforFutureBerlin_JohannaBuchmann.jp)

今年も、福島第一原子力発電所の事故による被害者で、福島原発告訴団の団長である武藤類子さんからメッセージが届いた。ドイツ語はSayonara Nukes Berlin、英訳はJAN UK、フランス語はyosomono-net France、イタリア語はTomoAmici、そのほか在外の有志によって、スペイン語、オランダ語に翻訳されている。

武藤類子さんのメッセージ:
日本語 https://yosomono-net.jimdofree.com/ Deutsch:https://yosomono-net.jimdofree.com/german/ English:https://yosomono-net.jimdofree.com/english/ Français:https://yosomono-net.jimdofree.com/french/ Español:https://yosomono-net.jimdofree.com/spanish/ Català:https://yosomono-net.jimdofree.com/catalan/ Italiano:https://yosomono-net.jimdofree.com/italian/ Nederlands:https://yosomono-net.jimdofree.com/dutch/
BUND Jugend Berlin/Jonathan ©T.Kajimura

最後は二十代の若者で、ドイツ最大の環境保護団体BUNDの若者の支部BUND Jugend Berlinを代表し、Jonathanが演説してくれた。彼も最初に反原発でデモ行進したときは父親の肩車に乗ってホイッスルを吹き鳴らしたそうだ。彼は去年の連邦議会選挙で初めて選挙権が与えられ選挙をしたが、もうとっくの昔に政治家が勝手に決めていて、自分たちに関係することでも、なんの決定権もないものがある、その中の一つが原発を稼働して大量の放射性廃棄物を後世に残してもいいか、という問題だと話していた。もっともである。若い世代は、私たちが何も考えずにどんどん作り出して置いていく負の遺産ばかりを背負わされるのだ。(Jonathanの演説の和訳はこちら:BUNDJugendBerlin_JonathanDeisler.jp

予定していた演説者はこれだけだったが、飛び入りの演説者が入った。ゴアレーベンの市民グループの人で、ICANなどと一緒に始めた運動「Don’t nuke the climate」のキャンペーンでベルリンを訪れたGüntherが話をした。彼は去年11月にグラスゴーで行われた気候変動枠組条約締約国会議でも、堂々と原子力ロビーが赤いじゅうたんを敷いた晴れの舞台を与えられ、いかに原子力が気候変動の対策として重要か、持続可能でクリーンかを述べ、EUのタクソノミーに入れることを歓迎するような話をしたことで、肝心の会議が悪用された話をしていた。彼らはあらゆる独立した機関の気候や地球の状態に関する報告分析にもかかわらず、いまだに原子力が持続可能な経済的発展に必要なテクノロジーかなどということを語っていると嘆いた。また、いわゆる先進工業国が気候危機を打開していくためにまずは最低1000億ユーロを出し合うのが必要と言いながらも、なかなかその額が揃わないでいる中、ショルツ首相は簡単に1000億ユーロを連邦軍に出すと決めてしまった。このことはよく覚えておく必要がある。

司会のUweは最後に鋭く語った。こうして今年のフクシマ原発事故十一周年を記念する私たちのかざぐるまデモも無事に終わった。2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻によるヨーロッパでの戦争という思いがけない事態が黒い影を落とし、デモでも新たな「核の脅威」を訴えざるを得なくなった。戦争で苦しむのも原発事故で苦しむのも、常に普通の市民、弱者たちだ。絶対に許せないと思う。このような信じられない武力行使がすぐそばで行われていることを思うと、無力感を感じて憂鬱な気持ちになるが、そういう時にこそこうしてデモに繰り出し、同じ気持ちの人たちと一緒に行動するのは、一人でうちに籠って悶々としているより、よかった。ウクライナから逃げてポーランドなどに難民が何百万人と入っているが、ポーランドの人は彼らを暖かく迎え入れ、ドイツでも支援する人たちが後を絶たない。私たちがデモをやっている間も、ベルリン中央駅にはぞくぞくとウクライナの難民が汽車でたどり着き、それを出迎えるボランティアたちが朝から遅くまできびきびと働いている様子がニュースに映った。私たちは戦争を知らない子どもたちとして育ち、なんの不自由もなくひもじい思いもせずに好きに旅行し、消費生活を送り、電気も大量に使って生きてきたから、ここでパンデミックを体験しなければならなくなったのかと思っていたが、そうではなくてこのコロナ禍はこれから続いていく灰色の時代のプロローグだったのかと思うと、なんとも心が暗くなる。戦争は、どうしてもだめだ。どうしてこんなことになってしまったのか。西側の国々は単にプーチンを悪魔呼ばわりするだけでなく(いくら彼が悪くとも、だ)、自分たちの失策、失敗、手抜かりを総括して反省すべきだし、今これから軍拡しても冷戦時代の軍備拡張競争となって死の商人を儲けさせるばかりで、ウクライナの人たちの助けにはならない。どうしてもっと早く再生可能エネルギーの割合を増やし、ロシアだけでなくどこにも頼らない自立した本当にクリーンなエネルギー供給体制を作ってこなかったのか、戦争で原発が空襲の標的とされるような事態が起きて、どうしていまだに原発がなければ、というような考えが出るのか、私には理解できない。それより教訓を得て、エネルギー危機を後回しにせず、今こそこの平和と民主主義とエネルギーの危機を未来の世代のために乗り越えていってほしいとひたすら願うが、悪夢は終わらないのか。私たちはこれからもずっと声をからして脱原発と核兵器廃絶を気候危機の悲鳴と共に訴えていなければならないのか。私は、やはりなかなか楽天家にはなれそうもない。(ゆう)

かざぐるまデモダイジェスト版 on YouTube↓↓

かざぐるまデモ2022年 -原子力は私たちの気候を救えない!

かざぐるまデモ2022年
-原子力は私たちの気候を救えない!

 

日時: 2022年 3 月 5日 (土),12 時より
場所: ブランデンブルグ門前 パリ広場

 

私たちは憂慮しています。原子力と石炭火力のエネルギーを再生可能エネルギーに置き換える決定にもかかわらず、最近、原子力が気候変動の対策として役立つと主張するEUのメンバーが少なくありません。

 

EUの 10か国以上の政府が、自国の原子力エネルギーを拡大すると発表しました。新しい日本政府もまた、小型原子力発電所(SMR)の開発と建設を促進する意向を明らかにしました。これは全く受け入れられません。

 

原子力発電所の通常運転によって引き起こされる日々の放射能汚染に目をつぶることはできません。大量の放射性廃棄物を最終的に処分するという問題も残っています。核廃棄物の最終処分問題は、ドイツだけでなく、世界のどこでもまだ解決されていません。原子力は環境に害を及ぼさないという主張を受け入れてはなりません。原子力発電所が一度事故を起こすと、環境、動物、そして人々にとって取り返しのつかない、想像を絶するほどの大きな被害が出ます。私たちはそのことをチェルノブイリやフクシマで学んだはずです。

 

福島第一原発事故から10年後の昨年4月、日本政府は福島第一原発事故以降に貯蔵されている放射能汚染水を太平洋に放出する計画を承認しました。東京電力がすべての放射性元素を除去したと主張するこの汚染水は、依然として主にトリチウムを含み、環境を汚染しています。この放出は、国際社会だけでなく、住民や漁師からの強い反対のためにまだ行われていません。
私たちは原子力エネルギーの最終的な終了を要求します。私たちは核のない未来を築きたいと願っています。原子力は私たちの気候を救うことはできません。

 

私たちは一丸となって要求します:

•無責任な原子力エネルギーの世界的な終了
•リンゲンとグローナウの原子力施設の即時停止
•原子力エネルギーを持続可能なエネルギーとして分類しない
•EURATOM契約の終了
•放射能汚染水を海へ放出しない

 

 

 

共催:

 

 

 

フクシマ10周年、かざぐるまデモ2021の報告

十周年のために制作した大型かざぐるま(©Uwe Hiksch)

去年はぎりぎりセーフでロックダウン前にデモが実行できたが、今年はまだロックダウン真っ最中。それもあって予定していた演説者が二人来れなくなったり、参加者も少ないことが予想されていたが、十周年のフクシマ・デモをやらないわけにはいかないとトラックの舞台も準備してブランデンブルク門でかざぐるまデモを行った。共催団体はいつもの通りNaturFreundeAntiAtom BerlinGreenpeace Energyだ。今年は動員数も少ないと思われたため、配布するかざぐるまもずっと少なくし、その代わり10周年として大きなかざぐるまを作ってみたのが、なかなか目立ってよかった。赤と黄色が灰色のベルリンの町でも目立っていたようだ。

今年の横断幕(©Sayonara Nukes Berlin)

当日は寒いながらも天気も晴れの予報で、朝起きた時には本当に青空だったので、よかったと思っていたのに、実際にブランデンブルク門前のパリ広場に集まった時は空がかき曇って雪が舞い始め、恨めしそうに空を仰いだ。でもありがたいことに、デモを開始する時間にはそれもやんで、それからは雪も雨も降らないでもってくれた。

東日本大震災から十年。あの日、コンピューターで見る東日本の津波の映像に釘付けになりながら、福島の原発が全電源を喪失し、原子力緊急事態が発令されたのを知った。それから心配で不安で何も手につかずに過ごした数日のことを思い出さずにはいられない。あれからもう十年も経ってしまったのか、という気持ちと、いや十年など放射性物質にとってはわずかな時間なのだという思いが一緒に広がっている。まして十年経っても元の生活を取り返すことのできない人たちにとっては、その思いはどれだけのものだろうか。

ブランデンブルク門前に立った柱の先端で 回るかざぐるま(©Sayonara Nukes Berlin)

舞踏家の古谷充康(ふるたに・みちやす)氏が今年はパフォーマンスを引き受けてくれた。これまでのように、デモ開始の合図として、アイキャッチャーとしてのダンスや音楽を期待していた人たちには「まだデモの準備をしているの?」と思われるように、静かなスローモーションのパフォーマンスだった。彼は木材と工具を用意し、高い柱を組み立ててその先にかざぐるまを結び付け、それを立てる、というパフォーマンスをしたのだった。何の音楽もない「無言」のその動きをじっと見ている、またはその意味を考える、悟ることができずに、お喋りし出してしまう人、その周りを横切る人、イライラして「いつパフォーマンスは始まるのか?」と私に聞く人、など様々だった。でもそのパフォーマンスを見ながら、誰にも聞かれも頼まれもしないのに手助けをする人が何人か出始め、しかも最後に柱を立てるときは一人では立ち上げることができない、何人もの力を合わせて初めてそれが可能になるということを一緒に体験し、その柱がブランデンブルク門の前で厳かに立ってそのてっぺんで私たちの平和なエネルギーのシンボルであるかざぐるまがくるくると回った時は確かに圧巻だった。

あのパフォーマンスは、エネルギーシフトを成功させるにはそうした人々の積極的な協力、共同作業があって初めて可能になる、ということを言葉を使わずに表現したものだったのかもしれない。思えば無言というのは難しいことで、無言に耐えることは、ことに「なにかを見たい、聞きたいと期待されている場面」ではなかなか理解されない。特にデモのようにこうしてたくさん人が集まっているところでは、無言は「空っぽ、なにも起きていない」ということと解釈されてしまうことが多く、刺激を求める人たち、「なにか見えるもの、聞こえるもの」を求める人たちには興味を持たれない、無視されてしまいがちだが、無言というのは本来力強いメッセージでもある。しかし、同時にそれは受け取る側にその用意ができていないと難しく、無言を受け止めることをああいうデモで求めるのは難しかったのかもしれない。しかし無言の古谷さんのパフォーマンスのメッセージを受け止めた人も中にはいたようだ。一人一人に考えさせるパフォーマンスを用意して実現してくれた古谷さんにここでもう一度感謝したい。

今年のかざぐるまには、ロンドンの在外邦人で立ち上げた反原発団体Japanese Against Nuclear UK(JAN UK)で活躍されているデザイナーの方から中央に添えるイラストを提供していただいた。(©Uwe Hiksch)
ゆうの演説(©Sayonara Nukes Berlin)

演説はかざぐるまデモの「伝統」に則り、SNBの演説から始まった。私はあの事故から10年ということで、自分なりのこの10年、この事故を他人ごと、遠い話とは思えずにずっとかかわらざるを得なかった自分のこれまでの運動を通じた思いを総括する気持ちを籠めた話をした。SNBの皆もそれぞれ自分なりの思い、感情があると思うが、私にとってはこの「フクシマ」という名で括っている悲劇の中に潜むそれぞれの「あの事故さえなければ」という体験、人生計画や喜び、幸せを奪われたり台無しにされたりした人たちの一人一人の運命、10年経っても変わらない不安や恐れを思わずにはいられず、同時に、それなのにきちんと自分たちの政策や決定の過ちを認めず、責任を一切取らず、その上事故が起きても市民を守らず、助けず、支えないばかりか見棄て、「なかったことにしよう」とするためのプロパガンダの方には費用を惜しまない国と東電に対する怒りをどうしても訴えずにはいられなかった。

かざぐるまデモ2021_Sayonara Nukes Berlin_梶川ゆう演説_和訳(オリジナルはドイツ語:KazagurumaDemo2021_YuKajikawa_Original_de)

IPPNWドイツ支部代表Alex Rosen(©Uwe Hiksch)

IPPNWのAlex Rosenは毎度のことながら原稿を読むのでなしにフリーにそれでいてあれだけ説得力ある力強い演説ができるのに感心してしまう。反原発運動の中心となるアクティビストたちはドイツでも高齢化が進む中、IPPNWドイツ支部の代表である彼はまだ小さい子供のいる40代くらいのエネルギッシュな若手で、彼のような人がIPPNWを代表してフクシマのテーマを扱ってくれるのはとても頼もしい。デモの1週間前に行われたIPPNWドイツの「フクシマから10年」のシンポジウムでも原発事故後の健康への影響や健康調査の結果をよくあれだけしっかり扱ってくれたと思う。Alexは演説ではまず原子力発電というのは決して制御できないものであり、社会にとって決して容認することのできないリスクであるということを伝えるとともに、ドイツで原発をすべて停止するとしながら、Gronauでまだウラン濃縮を行ったり、Lingenで燃料棒を製造して、ベルギーやフランスの原発にそれらを売り、これらの原発の稼働年数を延長することをとどのつまり認めているということは許せない、と訴えた。そしていくつかの原子力産業や軍事産業が民間のインフラストラクチャーと税金を使って原子力潜水艦や長距離ミサイルを配備できるようにするために原子力は利用されているのだとも語った。彼は「自分は子どもの父親として」「一市民として」そして「小児科医として」憂慮していることをそれぞれ伝えたが、それが心に響いた。彼は、フクシマで最初からしっかり健康調査していればいろいろなことが判明し、防ぎ、救えたかもしれないことが敢えて隠され、した方がいい調査をしないで済まされ、この大事な十年をある意味でずいぶん棒に振ってきてしまったことを日本政府に対して非難していた。また、妊婦や子供であっても事故前より20倍の線量で生活することを余儀なくされているフクシマで、これから何十年とかけて出てくるだろうあらゆる健康に対する影響に対して、彼らを保護せずに放っておく政策に対しても批判していた。

今年のモットーの横断幕(©Uwe Hiksch)

今年のデモは一年経ってもまだ終わりの見えないコロナ禍ロックダウンの続く中行われ、演説のため遠くから来る予定だった二人がベルリン訪問をあきらめたこともあり、あまり動員数が期待できない状況ではあったものの、十周年という区切りのデモはそれでもやろうという共催団体との気持ちは固く実行に臨んだ。配布するかざぐるまの数もそれで思い切り少なくしたが、およそ250人が集まり、雰囲気はとてもよかった。新型コロナの規制の影響により、Greenpeaceのドラム隊は今年は来られなかったがドラムを持ってきてくれた人もいたし、Friday for

自作の自転車に積んだスピーカーから100%のエコエネルギーで音楽を流す(©Sayonara Nukes Berlin)

futureでいつも音楽を流しているという、自転車にスピーカーを載せて反原発や環境問題をテーマにしたラップを流す人も来て雰囲気を出してくれた。しかもNaturFreundeのUweまでがシュプレヒコールの余興をしたりして、気持ちよくUnter den Lindenを練り歩くことができた。私はロッコとデモの先頭に立って今年のデモのモットーを掲げた横断幕を持って歩いた。今年、十周年のためにつくった大型かざぐるまも大きさも色も灰色の町の中で目立ち、風にくるくると回っていたのが嬉しかった。

デモ隊はUnter den LindenからGendarmenmarktの方に折れ、Französische Straßeの地下鉄の入り口の横を通ってまたUnter den Lindenに戻りブランデンブルク門前に帰った。観光客の少ないコロナ禍だが、それでも通り過ぎる人たちは皆携帯を向けて写真を撮ったり、楽しそうに見物していた。時々風が強くて、横断幕をピンと張ってしっかり持っているのが大変だった。

Unter den Lindenを歩く(©Uwe Hiksch)

パリ広場のトラック舞台のところに戻ってみると、古谷さんはかざぐるまが先端についてくるくる回っている長い棒を持ったまま立っていた。そしてその棒をまた数人の助っ人に助けられながらゆっくり倒して石畳の上に置き、黙々と解体を始めていった。

多和田葉子氏(©Sayonara Nukes Berlin)

ここでの演説の始めはSNBが今年招待した作家の多和田葉子氏だった。彼女は自分がフクシマ事故後に書いたという詩というのかエッセイを使って今回の十周年フクシマ記念デモのために書いてくれた文章を読み上げてくれた。運動家の演説とは違って、誰か(国や東電その他)を批判したり、データを挙げたりあってはならない事態を憂いたりする文章とは違って、彼女が感じている放射能や原発に対する恐怖、不安を、彼女ならではの感性で綴った文章で、とても印象的だった。「記憶の半減期はどれくらい長いのか」という表現はことに心に残った。彼女にその文章をぜひブログで紹介したいのでテキストが欲しい、それを日本語でも載せたいが、と申し出たところ、承諾してくれた上、翻訳は私に頼みたい、と言ってくださった。私はでは、翻訳したら彼女にそれを見せるからチェックして必要なところを訂正してほしい、と言い、私が彼女のテキストを翻訳させてもらった。私にとってもこういう文章の翻訳は願ってもない仕事で、任せてもらったことを感謝している。

かざぐるまデモ2021_多和田葉子演説_和訳(オリジナルはドイツ語:KazagurumaDemo2021_YokoTawada_Original_de

(©Sayonara Nukes Berlin)

いつもならGreenpeace EnergyのChristoph Raschがヨーロッパでの原発問題をテーマに話すところだが、去年の夏から彼はベルリンからGreenpeace Energy本部のあるハンブルクに移ってしまい、コロナ禍でベルリンに来るのを諦めたため、その代わりにめずらしく司会のUwe Hiksch(NaturFreunde)が最後に話をした。彼は現在新建設や拡張が予定されているEU内の原発計画に言及した。ポーランド、チェコ、スロバキア、スロベニア、ハンガリー、リトアニア、ルーマニア、ブルガリアやフィンランド、それからEUを離れたイギリスだ。また、ついこの間原発運転年数を40年から最大50年までを許可することにしたフランスの政策(フランスの原発はもうそのほとんどが古く、40年を超えているのに稼働しているものもある)についても批判した。さらにUweは現在アフリカの16か国が原発を建設して原子力エネルギーを始めようとしていることに対する危機感を表明した。政治は原子力エネルギーを「クリーンなエネルギー」「二酸化炭素を出さないのでエネルギーシフトには欠かせない電源」という風に宣伝することによって、風力発電や太陽光発電を増やしていくのを妨げているのだと。そしてドイツはまずEURATOM欧州原子力共同体を脱退して、原子力エネルギーと核兵器の開発管理にこれ以上手を貸してはならないと求めた。気候変動を救う、という謳い文句で原子力エネルギーを再興しようという動きが世界で広まっていることにはっきりとノーを叩きつけるUweの迫力ある演説だった。

(©Midori Naganuma)

2013年にSNBがデモを始めてから、8年。NaturFreundeとAntiAtom Berlinと一緒にデモを始めてから7年。彼らともこのデモの運営に関しては気心の知れる仲となって、信頼感が育ったのを今年は強く感じた。ドイツの反原発運動の人たちにとっては、フクシマの事故はまさに「警告」であったわけで、だからこそ追悼というよりは今起きていること、これから起きる可能性のある危険について人々に訴えるためにデモをするのだが、フクシマを機に集うデモだからこそ、私たち日本人のグループと一緒にデモをやることがいいと思ってくれているのでもあるし、それでこのように単に日本人による追悼だけでなくドイツ、ヨーロッパとどのつまりは世界の問題について議論し合う場、これからも反核・反原発運動を続けていくしかないと確認しあう場となるのはいいと思う。このデモでフクシマのことを中心に据えて追悼しないことについて日本の人たちの中には「不本意だ」と思う向きもあるかもしれないが、私はドイツでデモをやる以上、それは当然だと思う。そしてこのような事故が本当に二度とどこでも起きてはならないのだ、これを戒めとして原発はやめなければいけないのだということを言い続ける責任があると思う。だって、こんな恐ろしいことを続けていけば、またどこかで必ず事故が起こるに決まっている。そして事故が起こらないまでも放射性廃棄物はどんどん溜まっていくばかりだ。

(©Midori Naganuma)

そして十年が過ぎてもその前の平穏な日常生活に戻ることのできないたくさんの福島近郊の人たちのことを思うと、私たちはそれを忘れてはいけない義務があると思う。忘れさせよう、風化させよう、見えなくしてしまおうという政府のやり方がこれほどひどいのが分かっていれば、なおさらだ。しつこく、従順にならないでいつまでも言い続けよう。ノーモア・フクシマと。(ゆう)


日本語報道:
(リンク先の記事が読めなくなることがあります)
ドイツで原発廃止訴えるデモ福島第一原発事故から10年を前にベルリンかざぐるまデモ | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/…/20210307/k10012901971000.html
ドイツ ベルリン で日本人ら反原発デモ 作家の多和田葉子さん「即時停止を」(共同通信)
#Yahooニュース
ベルリンで反原発デモ ノーベル賞候補作家・多和田葉子 さんが訴えたことは?:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/90111
福島原発事故 からまもなく10年 ドイツ ベルリンで脱原発デモ|TBS NEWS https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4215899.html
ドイツ語報道:
Zehn Jahre nach Reaktorunglück in Fukushima Atomkraftgegner demonstrieren vor dem Brandenburger Tor: https://www.rbb24.de/politik/beitrag/2021/03/atomkraftgegner-demonstration-berlin-10-jahre-fukushima.html
Atomkraftgegner demonstrieren zehn Jahre nach Fukushima:
Protest am Brandenburger Tor: Erinnerung an Fukushima:

Fukushima: “Von Normalität kann keine Rede sein” https://www.dgs.de/news/en-detail/120321-fukushima-von-normalitaet-kann-keine-rede-sein/


かざぐるまデモライブ動画アーカイブ:

https://fb.watch/4xGuss6e4r/

https://fb.watch/4xGwdhlScM/

https://fb.watch/4xGxE_fiC9/

https://fb.watch/4xGq2B6wSs/

 

フクシマ10周年 ベルリンかざぐるまデモ – 原子力は気候変動を救わない –

フクシマ原発事故10周年・かざぐるまデモ

  2021年3月6日(土)12時から
  ベルリン・ブランデンブルク門前(パリ広場)

10年経っても戻らぬ日常/原子力は要らない

2021年3月11日にフクシマ原発事故は10周年を迎えます。日本政府や国際原子力機関がどれだけこの大事故の影響を過小評価しようとしても、事実が物語っています:被害を受けた地域にかつての日常は戻りません。故郷に帰れない人たちが今も数多くおり、事故を起こした原発は放射性物質を環境に放出し続けています。保管する場所がなくなるという理由で、日本政府は汚染水を海に放出することすら考えています。

収束したなどと言えるどころかその反対で、いまだに危険に満ちているのがフクシマの現状です。それなのに原子力ロビーは危険で醜悪な原発ビジネスを活性化させようとし、原子力エネルギーなしでは気候中立は達成できないなどと言いふらしています。発電を原子力に頼っている国はまだ多く、原発の新設や古い原発の運転期間延長を発表している国もあります。

私たちはこうした狂気の沙汰に毅然として対抗していかざるを得ません。原子力は気候変動を解決するオプションになれないだけでなく、人類と環境にとって恐るべき脅威です。フクシマ原発事故から10年、私たちは一貫してエネルギー革命を求めていく必要があります。本当に大切なのは、100%再生可能エネルギーによる発電を可能にし、核と化石燃料から解放された経済へと向かうことです。これ以上核のゴミをつくらせてはなりません!

原子力は気候変動の解決にはなりません!

気候中立からは程遠い原子力は「核の鎖」(ウラン採掘から発電、再処理、使用済核燃料の(最終)処分場に至るまで)のプロセス全体で夥しい二酸化炭素を排出します。

汚染の恐怖原子力産業が半永久的に出し続ける危険な放射性廃棄物は人類にとっても環境にとっても大きな脅威です。

危険過ぎる原子力エネルギーはフクシマのような重大事故や、それに伴う人類と環境への長期的な影響というリスクが常につきまといながらも、それが黙認されて続けられています。また原子力技術イコール核技術で、核兵器の開発を推進します。

無謀なコスト原子力エネルギーは最もコストの高い発電方法で、国からの補助金や助成金がなければ経済的に成り立ちません。

だからこそ、これまでにも増して私たちは次のことを求めます:

  • 世界中の原発・原子力関係工場の即刻停止。ことにドイツはグローナウのウラン濃縮工場やリンゲンの核燃料製造工場の操業を停止すること
  • EURATOMおよびその他の原子力技術を促進する団体を解散すること
  • 原子力技術を促進するための補助金等を、再生可能エネルギーおよび放射性廃棄物処分・保管のための、独立した市民団体が管理する研究へ回すこと
  • ドイツと日本は「核兵器禁止条約」に署名すること
演説者:

1) Yu Kajikawa/梶川 ゆう(Sayonara Nukes Berlin)
2) Michael Müller (NaturFreunde)
3) Alex Rosen (IPPNW)

デモ行進

4) Yoko Tawada/多和田 葉子 (作家)
5) AntiAtom Plenum
6) Uwe Hiksche (NaturFreunde)

パフォーマンス:Michiyasu Furutani/古谷 充康 (舞踏ダンサー)

かざぐるまデモフライヤー_2021

かざぐるまデモポスターPDF_2021

ウェブサイトhttp://kazagurumademo.de

主催:
Anti Atom Berlin
NaturFreunde Berlin
Greenpeace Energy      
Sayonara Nukes Berlin

共催:
AK Rote Beete
Anti-Atom-Plenum Berlin
BUND für Umwelt und Naturschutz Deutschland
BürgerBegehren Klimaschutz
BürgerInitiative Lüchow-Dannenberg
Coop AntiWar Cafe
Die Linke Landesverband Berlin
Friedensglockengesellschaft Berlin e.V.
IPPNW Germany
Japanese Against Nuclear
Kuhle Wampe
Robin Wood Berlin

                               
           

2020年3月7日(土)フクシマ9周年かざぐるまデモ@ベルリン

去年亡くなられた木内みどりさんから送呈していただいた横断幕 撮影:Bernd Frieboese

天気予報では雨だったが、デモの間、雨は降らないでいてくれたのが救いだった。それでも嵐のような風で、舞台のパヴィリオンの屋根がブランデンブルク門の吹き抜けの風にあおられてひっくり返るかと思われるほどだった。かざぐるまがくるくると回り過ぎ…横断幕が風に吹き飛ばされそう…ダンス舞台を区切るための三角コーンも倒された…などと風によるハプニングはあったものの、無事今年もかざぐるまデモを終えることができた。

ブランデンブルグ門を背に 撮影:Rokko

デモの集合場所がパリ広場ではなくて反対側になっていたり、デモルートが最初の予定とは違っていたりというハプニングもあったが、雨模様という天気予報、そしてコロナウィルスのため人の出が悪くなっているにもかかわらず、集まってくれた人たちが今年もたくさんいたことを嬉しく思う。そして雰囲気はとてもよかった。いろいろなことはこれまでにもあったが、それでも何年も一緒にデモをしてきて、その信頼感が出来上がっていることを、NaturfreundeのUwe Hiksch(司会担当)や、Greenpeace EnergyのChristophや、IPPNW GermanyのAlex Rosenなどと話をしていて実感でき、そのことが実績なのだと感じた。また、数日前に緑の党の議員Sylvia Kotting-Uhl氏が演説をキャンセルしてきたり、ICANの人は来なかったのだが、この日の演説者の内容は濃く、それでいて長すぎなくて、寒い風の中を立っている人が震えすぎずに済んだのも、後から見ればよかったと思う。

津軽三味線・川口汐美さん 撮影:Bernd Frieboese

まずは津軽三味線の川口汐美さんの演奏とTsukiさんのダンスから始まった。寒くて、しかも風が吹きとおす舞台で、汐美さんもTsukiさんもよく力を出してくれた。津軽三味線の音は迫力があり、たくさんの人に印象深く映ったようで、あれは何という楽器なの?という質問をいくつも受けた。

ダンスのTsukiさん 撮影:Bernd Frieboese

Tsukiさんは羽衣を感じさせる布を使った踊りで、風が強かったことがかえって良かったかもしれない。こうした機会に恵まれたことをとても喜んでくれた。二人に気持ちよく引き受けていただいて今年もライブ音楽のあるデモが行われたことに感謝したい。

NaturfreundeのUwe Hiksch 撮影:Rokko
ゆうの演説 撮影:Bernd Frieboese

その後に挨拶と演説が二人続いた。司会のUweから挨拶とともに、フクシマはまだ収束していない、そしてことに昨今、気候温暖化で二酸化炭素排出を減らすために原子力エネルギーの見直しを迫る声などが上がり始めた今、原子力エネルギーは気候温暖化を救うものではない、と訴えることの重要さ、それから今も変わらず核武装の恐怖があり、ドイツは脱原発を決定し、動き出したものの、変わらずウラン濃縮や燃料棒製造工場が操業している、EURATOMは相変わらず存在する、などに言及した話によるデモ開始宣言があった後、このかざぐるまデモを毎年企画し、参加団体を呼び掛けるSayonara Nukes Berlin(SNB)を代表して私のことが紹介された。私は日本人の一人として、とにかくフクシマの現状を伝え、収束などしていないのにあたかもすべてが復興して元通りになったかのような錯覚を世界に与えようとする場としてオリンピックを悪用しようとしている政府を批判する話をした。内容的には武藤類子さんからのメッセージにも言及された内容に沿ったものにした。

Sayonara Nukes Berlinを代表してゆうの演説(日独):

2020年3月7日かざぐるまデモ Sayonara Nukes Berlin 演説和訳

Sayonara Nukes Berlin Rede für die Kazaguruma-Demo am 7. März 2020
武藤類子さん
今年も、福島第一原子力発電所の事故による被害者で、福島原発告訴団の団長である武藤類子さんからメッセージが届いたので、ドイツ語と英語に翻訳したものを配布することができた。英訳は、英国在住の日本人を中心に活動する反原発団体JAN UKの有志によるもの。

武藤類子さんのメッセージ(日独英): 
武藤類子さんのメッセージ 2020 日本語
Botschaft von Frau Ruiko Muto 2020 Deutsch
Message from Ruiko Muto 2020 English 
IPPNWのAlex Rosen 撮影:Bernd Frieboese

次に緑の党のSylvia Kotting-Uhl氏が演説予定だったが、キャンセルとなったため、IPPNWのドイツ支部代表Alex Rosen氏が医者の立場から話をしてくれた。彼は原稿を持たずに演説したので私の記憶だけで心に留まったことを書き留めたい。チェルノブイリではソ連はあらゆる過ちを犯したのは確かだが、それでもただ一つこのことは彼らも認めて実行した。つまり、放射線被害の高いところは、除染などはできないため、そこには住民はこれからそこに住まわせることは何百年先までできない、ということである。そこでソ連は、線量の高い場所の住民を別の場所に避難させた。日本は、そのことを認めようとしない。除染ということが可能であるということにして、多大な費用をエネルギーと時間をつぎ込んで、除染を行ってきた。そもそもはそこが問題である。山や森などは除染は不可能だし、土をそぎ取ってもその土をどこに隔離して保管するかということもしっかり行われていない。「除染」しても、一度雨が降ったり風が吹けば、山や森からすぐに放射能が吹き飛んでくるので、無意味だ。ことに、聖火リレーをJヴィレッジで始めたいためもあり、双葉の一部で今避難解除が行われたが、ここではGreenpeaceが線量の高いホットスポットをたくさん見つけており、それを指摘してまた除染しても、1メートル離れたところでは高い線量がまた見つかる、というもぐら叩きのような感じである。そういう場所に子どもたちを応援に連れていく、または若い選手を連れてきてリレーさせる、ということが非常に問題である。それから、ゆうの演説で一つだけ反論したいのは、FUKUSHIMA is under controlと安倍首相が言ったのは、彼の目からすれば「フクシマは政府を含めた原子力村によって見事に制御、抑制されている」という意味においては正しい、ということだ。彼らは今でもうまく「コントロール」している。それを変えていかなければならない、というようなことをAlex Rosenは明快に話してくれた。

撮影:Uwe Hiksch

それからデモ行進に移った。大体150人ほどだったと思うが、それでもかざぐるまを手にした人たち、数々の横断幕をもった人たちでベルリンの中心街の通りが埋まった。コロナウィルスの影響で観光客が少ないのが目に立った。いつもなら観光客で賑わう土曜日のベルリン中心街で、こんなに人が少ないのは初めてだ、というくらい人が少なかった。それでも私たちのデモを見て写真を撮る人、声をかける人たちも数々いた。

AntiAtomPlenumの演説者 撮影:Rokko

ブランデンブルク門前まで戻り、また汐美さんによる演奏で皆が集まってから、次の演説に移った。ICANの演説者は残念ながら現れなかったので、AntiAtomPlenumの女性の演説から始まった。彼女はことに放射性廃棄物の問題を取り上げ、ことに今年の2月にまた使用済核燃料乾式キャスク(ドイツではCastorと呼ばれる)がイギリスの再処理工場セラフィールドから送り返されて3月1日にヘッセン州のBiblis中間貯蔵施設に運ばれることになっていることを語った。よく知られている通り、ドイツではGorlebenなどのグループが中心となってかねてよりこのキャスク輸送の抵抗運動があり、デモ隊が線路に鎖で自分を繋げたり、道路に横たわったりする反対運動が繰り広げられてきた。2015年に連邦政府が電気会社との話し合いで決定して以来、このキャスクの行き場はGorlebenではなくBiblisになっている。これから運ばれるキャスクは21もあるようだが、これらはBiblis、Philippsburg、IsarそしてBrokdorfのいわゆる中間貯蔵施設に分けられて貯蔵されることになる。このキャスク輸送の反対運動というのは、この恐ろしい放射性廃棄物のキャスクを輸送するということは危険であるだけでなく、そうした危険な放射性廃棄物を「作らないようにする」ことには一切努力せず、それを処分する場所もないのに「中間貯蔵」という体裁で安全とは言えない貯蔵をしようとするために大変なお金をかけ、リスクを冒すことをたくさんの人に知ってもらうため、そうした政府の原子力エネルギーに対する態度を批判するために行ってきているものだ。そしてこの輸送は、「安全確保の理由」のために前もってどこをいつどのルートを通って輸送されるかは、知らされない。それで、この抵抗運動に興味のある人には、情報を伝えるためのメールリストに参加したり、またはSMSで事前に運動情報を伝えるために携帯番号を教えるシステムがあるので、https://castor-stoppen.de/を読んでほしいと伝えていた。

それから最後に演説をしたのは、2016年のProtestival以来、ずっとデモに参加してくれているGreenpeace EnergyのChristoph Raschである。演説の全文をここに掲載する。

Greenpeace EnergyのChristoph Raschの演説(日独):

2020年3月7日かざぐるまデモ Greenpeace Energy 演説和訳

Greenpeace Energy Rede auf der Kazaguruma-Demo am 7. März 2020
最後に記念撮影 撮影:Uwe Hiksch

Uweの提案で、初めてだが参加者全員がブランデンブルク門前に並んで写真を撮った。Uweがその夕方さっそくFlickerに載せた写真をここにも掲示する。

かざぐるまが威勢よく回った9周年目のかざぐるまデモ。コロナウィルスの関係で日本でもフクシマ追悼行事が中止になったり、小規模な集まりに縮小されたりしていると聞くが、それでもベルリンで今年もデモを成功させ、私たちの意思表示をしたことを喜びたい。コロナ蔓延の危機マネージメントを見ても、本当に被害者を少なくするため、人々を守るためよりは、なるべく数を少なくしたい(だから検査しない)、自分たちのコントロール下に置きたい(だから民間業者に依頼しない)政府のあり方が目立ち、フクシマの時と変わらない、と腹が立つ。これだけいろいろ自粛し、禁止・中止にしていて、それでどうして夏にオリンピックをしようというのか、と思うが、これから事態は変わる可能性もある。また、新型インフル特措法改定や緊急事態宣言が発令されるなどの危険性も出てきた。これからもよくよく注意して日本を見守り、声を上げていかなければならない。残念ながら、気の休まるゆとりがないのが今の日本であり、世界である。(ゆう)

Greenpeace Energy が3月11日を迎える前に発表した動画:

関連記事:

SNBを代表して、ゆうのインタビュー記事が3月11日にターゲシュピーゲル紙のウェブサイトに掲載された。紙面では9日発刊。

Fukushima ist noch lange nicht Geschichte https://www.tagesspiegel.de/sport/olympische-spiele-in-japan-fukushima-ist-noch-lange-nicht-geschichte/25621924.html

 

 

フクシマ8周年かざぐるまデモの報告

2019年3月9日(土)に恒例の「かざぐるまデモ」をブランデンブルク門を出発点として行った。これまで通り、Sayonara Nukes BerlinとNaturFreunde BerlinAnti Atom Berlinが主催者として計画実行した。

今回のデモのテーマとして、行き場所のない「放射性廃棄物」問題とIPPNWでも反対キャンペーンを始めた「東京オリンピック」について取り上げる提案をSNBでは最初していたが、最終的にオリンピック問題をデモで取り上げるのは(反対ばかり、マイナス面ばかりを強調するデモはなるべくやめたいとの意見もあり)やめ、ドイツひいては世界中で変わらず未解決の大問題である廃棄物問題に集中することにした。SNBで叩き台として作った呼び掛け文に対しNaturFreundeとAnti Atom Berlinから訂正や補足があり、呼び掛け文が出来上がった。

The Japsの演奏(写真:Bernd Frieboese)

今回はカズマBodypoetがデモ直前まで日本に行っていてパフォーマンスの準備が出来ないこともあり、デモの演説以外のプログラムとしてジャズの安藤明氏とそのグループThe Japsにライブ演奏をしてもらうこととなった。生の演奏ということでGEMAにも申告をしたりしていささか手続きは面倒であること、少し料金がかかることとなったが、ブランデンブルク門での日本のジャズの演奏はよかったし注目を浴びた。当日は旅行から帰ったばかりの病気のカズマが具合が悪いのに来て、最初の演奏に合わせて即興で踊ってくれた。ブランデンブルク門からウンターデンリンデンを下り 左に曲がって川沿いを歩き、フリードリヒシュトラーセの駅の方を回ってまたウンターデンリンデンに出てブランデンブルク門に戻るコースだったが、川沿いの道は人通りが少なく、コースとしてはあまり適していなかったかもしれない。

カズマの即興パフォーマンス(写真:Bernd Frieboese)

ブランデンブルク門に戻って3人がまた演説をしたあと、最後にまた演奏をしてもらった。最後の曲は、安藤さんがSNBに捧げてくれた亡者だった。快くデモでのライブ演奏をしてくれた安藤さんとThe Japsのメンバーに深謝。

 

 

安藤明とThe Japs

バンドメンバー: 
安藤明(コントラバス)
小瀬泉(ピアノ) 
佐藤汎(サクソフォン)
Felix Komoll(フルート)     
Zam Johnson(ドラム)

公式サイト:https://aandjaps.wixsite.com/sitetop

天気が心配されたが当日風は強かったものの雨にはならず幸いだった。しかし今年からベルリンでは3月8日の国際婦人デーが祭日となり、それが金曜だったため長い週末となってベルリンを留守にした人も多かったこと、前日の国際婦人デーのデモの動員数がすでに大きく、その翌日にまたフクシマ8周年というテーマで市民を動員するのは難しかった、またはほかのテーマ(例えば学校の生徒、学生が中心になってやっているFridays for Futureを始め、脱石炭など)の方が環境問題としては中心を占め、「脱原発」を一応決定したドイツでは原子力・核のテーマの重要性が意識から薄れてきていることなどから、最近の傾向ではあるがそれに輪をかけるようにデモ参加者は少なかった。8年も経つと意識は薄れ、「フクシマ原発事故」で人を動員するのは難しいことがよく分かった。一部の在独団体からは、これからデモは10周年、15周年と5年ごとに行うのがいいのではないかという意見もすでに出されている。これについては私たちも考えていかざるを得ないだろう。

SNBを代表してゆうの演説(写真:Bernd Frieboese)

というわけで大目に見て300名ほどだったが、それでも恒例の黄色いかざぐるまが強い風にくるくる回ってブランデンブルク門を飾り、まずThe Japsの音楽を合図にスタートした。NaturFreundeのUweが挨拶したのち、SNBを代表して私がフクシマの現状を簡単に伝える演説をした。その後BUND(ドイツ環境自然保護同盟)の代表Hubert Weigerがデモ呼び掛け文で私たちが訴えているように、脱原発を決定しながらもまだ実際の実現はできていない事実を挙げ、ウラン濃縮や核燃料製造からも一切手を引くことをドイツ政府に要求した。それからICANのLukas Breunigは、核兵器廃絶に対する彼らの運動と目標に関して話をした。デモ隊が出発してウンターデンリンデンを出てまたブランデンブルク門に戻ってからBürgerinitiative Lüchow-Dannenberg (ゴアレーベンの市民団体)代表のMartin Donat(2016年にも彼はパネルディスカッションとデモ演説に二度も来てくれた)がまだ最終処分場候補リストから外されないままいくつもの危険なキャスクを抱えているゴアレーベンでの現状について、Anti-Atom-Bündnis Berlin PotsdamのStephan Worseckが、今年末に予定されているヴァンゼーそば(Helmholtz Zentrum Berlin)の研究用原子炉BER II 廃炉計画について、そして最後にお馴染みのGreenpeace Energyの広報担当Christoph Raschがヨーロッパにおける原発をめぐる状況について話した。

SNBを代表したゆうの演説:
Rede zur Demo Yu 和訳
Rede zur Demo Yu Deutsch
Greenpeace EnergyのChristoph Raschの演説:
Rede von Christoph Rasch 和訳
Rede von Christoph Rasch Deutsch
風が強くかざぐるまが勢いよく回った(写真:梶川ゆう)

ベルリンで環境問題を専門にドイツ発信の最新問題を論じているブログ「緑の1kWh」でもかざぐるまデモを取材してくれ、詳しい記事を発表していただいたので、ここにそのリンクを紹介する:

https://midori1kwh.de/2019/03/13/10428

Greenpeace Energyのサイトでもこのデモを紹介する記事が掲載されている:                                                              

https://blog.greenpeace-energy.de/aktuelles/anti-atom-demo-keine-neuen-akws-in-europa/   

今年もまたフクシマの女たちを代表する武藤類子さんからメッセージを寄せていただいたので、ドイツ語訳・英訳でデモの当日に配布した。 
Botschaft von Frau Ruiko Muto  Deutsch  

Message 2019 by Ruiko Muto  English  

2019年武藤類子さんによるメッセージ 日本語

SNBでもデモのミーティングに集まる人数が前年より減った。フクシマや原発に関する危機意識は、8年経って薄れてきているのは紛れもない事実だ。でも、私たちにはそれでもフクシマのことをチェルノブイリ事故や広島長崎の原爆投下と合わせて、警鐘を鳴らしていく義務があるということはデモの一週間後に行われた反省会でも確認し合えた。私たちも一人一人余裕のない忙しい生活を送っていることは確かで、これからそれぞれがどれだけSNBでの運動にアクティブに参加し行動していけるかはわからない。それでもとにかくせめて10周年の2021年まではデモは必ず続けようといい合った。

デモより1か月前に行われたおしどりマコ&ケン講演会での通訳や二人とのその前後の話し合いでも、フクシマが決して「過去」のことでも「アンダーコントロール」されていることでもないことをつくづく確信した。そしてそこで忘れ去られようとしている悲劇、なかったことにされようとしているたくさんの事実、国からすでに棄民として扱われているたくさんの人たちのことを、私たちはドイツに住んでいてもしっかり認識し、私たちに可能な範囲で周りの人に、これから生きていく人たちのために伝えていく義務があると再確認した。この当然の怒りは風化させてはならない、と思う。そして毎日世界中で増え続ける行き場のない恐ろしい放射性廃棄物に関しても、いまだに行われているウラン採掘やウラン濃縮・核燃料製造に関しても、危機感が薄れてしまうことにこそ危機感を覚えていたい。津波も地震も飛行機墜落事故もその他の人災も規模が大きくなればなるほど怖いし被害も広がるが、放射性物質さえなければその被害が何世代にもこれほど悲惨にわたって続くことはない。津波に呑み込まれたところも、地震であらゆるライフラインが絶たれたところも、それだけであるならその後同じ場所でまた営みを再建することが可能なはずだ。しかしフクシマ、チェルノブイリは、放射性物質のあるところではそれができないのだということをこんなにもあからさまに示しているのに、なんで人はそれを悟り、過りを正し、方向転換を行うことができないのか。それはしかしあらゆる環境問題、人権問題にも適用できることだろう。スウェーデンで一人で生徒のストライキを始めた現代のホープGreta Thunbergが「今もうすでに地球が火事だと皆にパニックになって慌ててほしい」と訴えていたが、私も同じ意見だ。私たち一人一人になにができるのか、これからも考え続け、行動し続けていきたいと確認するためのデモでもあった。(ゆう)


写真協力:

Bernd Frieboese


報道:

※リンク切れはご容赦ください。

ドイツでかざぐるまデモ「原発はコントロールできない」:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASM3974Z7M39UHBI02K.html

 

NEWS:フクシマ原発事故8周年 かざぐるまデモのお知らせ

Kazaguruma Demo zum Fukushima Jahrestag am 09.03.2019
Fukushima mahnt: Atomausstieg weltweit!
フクシマ原発事故8周年 かざぐるまデモ

開催日時:2019年3月9日 12時より
集合場所:Brandenburger Tor, Pariser Platz, 10117 Berlin

2011年3月11日に起きた東日本大震災の一環で、深刻な原発事故が起きました。このフクシマ原発事故こそ、技術大国であっても原子力は制御できないことを証明しています。原発が世界にある限り、このような原発事故はいつでもどこでもまた起こり得るものです。

2018年現在で、世界中に運転可能な原子炉は446基あります。各原子炉は1年に20から30トンの放射性廃棄物を出します。でも操業可能な最終処分場はまだどこにもありません。

ドイツでは脱原発は決定されたものの実現は徹底されていません。今でも7基の原子炉が稼働しており、毎日放射性廃棄物は増えています。原発のいくつかの稼働時間を延長せよと訴えている影響力の強いロビーもあります。同時に、リンゲンにある燃料棒製造工場、グローナウにあるウラン濃縮工場、研究用原子炉は脱原発から除外されています。

2022年までにドイツには1万5千トンの高レベル放射性廃棄物が山積みになる予定です。8000世代以来存在する人類が、たった3世代で夥しい量の放射性廃棄物を生み出してしまいました。しかも、このゴミはこれから3万3千世代も生物圏から隔離していかなければならないものです。

原子力ロビーはこの無責任な原子力技術を「二酸化炭素を排出しない地球にやさしいエネルギー」などと宣伝しています。しかし、ウラン採掘から電力や兵器のための原子力エネルギー利用、それから放射性廃棄物の貯蔵に至るまで、大量な二酸化炭素が作られます。再生可能エネルギーへなるべく早く転換し、エネルギーをなるべく節約することでしか、本当に地球温暖化を抑えていく方法がないことは明らかです。

原子力技術は私たちの地球をあらゆる形で「住めない場所」にしようとしています。核兵器やその他の放射能兵器、「通常の操業」における原子力施設から出される放射性廃棄物、いつどこでまた起こるかわからないチェルノブイリやフクシマのような原発事故、そしてどこでどう生物圏に忍び込んでくるかわからない放射性廃棄物のそれらがすべて地球を脅かしています。

私たちは次のことを求めます:
• 世界中の原子力施設を即刻停止すること
•およびその他の原子力技術を促進する団体の解散
• 原子力技術を促進するための補助金等を、再生可能エネルギーおよび放射性廃棄物処分・保管のための独立した市民団体が管理する研究へ回すこと
• 世界全体の核兵器廃絶。ドイツと日本は国連の「核兵器禁止条約」に署名してください

Website:
http://kazagurumademo.de

Facebookイベントページ:
https://www.facebook.com/events/2327156154275022/

主催:
Sayonara Nukes Berlin sayonara-nukes-berlin.org
Anti Atom Berlin www.antiatomberlin.de
NaturFreunde Berlin www.naturfreunde-berlin.de
Greenpeace Energy www.greenpeace-energy.de

共催:
BUND
IPPNW
Rote Beete
ICAN
Coop AntiWar Cafe
Kuhle Wampe
BürgerInitiative Lüchow-Dannenberg
Friedensglockengesellschaft Berlin e.V.
Ausländer mit uns
Die Linke Landesverband Berlin

2018年かざぐるまデモ 「核の鎖を断ち切ろう!」

今年のモットーを掲げた横断幕      写真©Uwe Hiksch

2018年3月11日は日曜となったため、今年は一日前の3月10日土曜日にベルリンにおけるフクシマ7周年のデモを、例年通りSayonara Nukes Berlin(以後SNB)がNaturFreundeAntiAtom Berlinと共催で開催した。今年は寒かったことと天気が崩れるのが心配されたこと、原発に関する市民の関心が薄れてきていることもあって、どれだけ動員できるか懸念されたが、400名ほどのベルリン市民が参加してくれた。動員数としては少なかったが、デモの最中だけ天気に恵まれ、デモが終わってから雨が降り出したので、ラッキーだったと言えよう。

ブランデンブルク門前に集合       写真©Uwe Hiksch

今年のデモでも準備を去年の11月ごろから始め、まずSNBの中で話し合ってから、モットーを決めた。フクシマの事故をきっかけに運動を始めたSNBだが、脱原発を決定したと言いながら、ドイツではまだ完全に脱原発は実現していないし、核分裂性物質の製造は変わらずに行われていること、北朝鮮の核実験やそれに対するトランプ米大統領の脅しなどから核の脅威がまた強まったこと、ウラン採掘による世界各地での環境汚染と人権蹂躙は相変わらず行われていること、死の灰の置き場、最終処分の問題はまったく解決されていないこと、そしてもちろん、日本ではフクシマ事故の後、まだその影響が続き、故郷を失った人がたくさんいる、甲状腺がんを始め健康被害もどんどん出始めているだけでなく、まだ汚染のひどい場所へ避難した住民を帰還させようとしている日本が、海外に原発を建設しようとしている、しかも国が信用保証を与えようとしていることなどから、単に脱原発を言うだけでなく、その核の鎖全体を断ち切っていかなければ事態は解決しないので、そのことをテーマに上げることに決めた。それで、この鎖のそれぞれの環に対して演説者を選ぼうということになった。

パフォーマンスに加わる人々 写真©矢嶋宰
「原子力と安倍は…」 写真©Uwe Hiksch
Stralentelex/放射線テレックスのThomas Dersee                 写真©矢嶋宰

演説者に選んだのは最終的に、フクシマの現状報告にSNBを代表してベルリン自由大学元准教授福澤啓臣、放射性廃棄物処分問題に関しゴアレーベンの市民団体、原発事故及び放射線による健康被害の話をIPPNW代表Alex Rosen、ウラン採掘に関しAusgestrahltの代表Jochen Stay、核兵器に関してノーベル平和賞を受賞した団体ICANのドイツ代表、EURATOM問題点に関しNaturFreundeを代表してMichael Müller(同姓同名だが、今のベルリン市長とは別人)、ヨーロッパにおける新原発建設ブームに関しGreenpeace Energyを代表してChristoph Raschにそれぞれ話をしてもらう運びとなった。実際には、Michael Müller氏は病気でデモに欠席し、デモの最後に飛び入りで放射線テレックスの発行人であるThomas Dersee氏が去年のデモでも話してくれた、身の回りに「リサイクル」で戻されている放射性廃棄物の話などをした。

写真©矢嶋宰

今回のデモではしかし、これまでと違って共催したグループとのコミュニケーションがいろいろな意味でうまくいかないことが様々に影響した。NaturFreundeとAABはほかのデモやアクションで忙しく、去年末までに2回共同のミーティングを行った以外は一切一緒に話し合いができなかったのに加え、メールを通しての私からの度重なる質問やお願いにもほとんど返事が来なかったりしたことから、呼び掛け文作成の時から、最後のデモプログラムの詳細決定まで意思疎通が叶わず、デモになってみてそれが共通認識の違いになって表れ、私としては納得のいかない結果となってしまったことが多い残念なデモとなった。それが顕著に表れたのは、デモ隊がブランデンブルク門に戻ってくる頃、デモ隊の最後が到着するまでといった感じでアートパフォーマンスを行うことになっていたのに、

去年に引き続き大地・小野アートライブパフォーマンスSympathetic Cardiogram        写真©矢嶋宰

NaturFreundeやAABは、すべての演説が終わってからパフォーマンスを行うものと思っていたこと、いつから始めるかという話し合いができていなかったため、デモのドラム隊が到着するまでドラムを叩き続けていたことから、待機していた大地・小野チームが計画通りパフォーマンスを始められなかったなど、私としては二人に申し訳ないことをしてしまったと反省している。せめて進行予定表を前もって交換しておくべきだった。

デモは、13時に集合ということだったが、演説者の一人、ドイツ最大規模の反原発団体Ausgestrahltの代表Jochen Stayの到着が遅れ、さらに彼のインタビューが終わるのを待っていたため、開始が遅れた。警察からもクレームがついたせいか、進行関係者は苛立つことになった。カズマ率いるMad World Danceの核の鎖をテーマにしたパフォーマンスはインパクトが大きかったが、いつもと同じように、前に陣取っていないと見えない、時間が長かった、パフォーマンスが終わっても挨拶などが長かったために演説にすぐ移れなかった、演説が始まってみると、今度は一人5分という制約はほとんどの人が忘れて長々と話す人が多かったなどから、さらに出発が遅れた。

フクシマ現状報告、福澤啓臣  写真©矢嶋宰

SNBを代表してフクシマの現状を報告してくれた福澤さんは、何度もこれまでに福島を訪れ、彼のNPOである絆やその他のプロジェクトであらゆる交流があるため、詳しくあらゆる角度からフクシマ、率いては日本の問題点を話してくれた。しかも、演説をすべて暗記してこられたというので敬服する。

福澤啓臣氏の演説和訳:
2018 Kazaguruma-Demo.Hiroomi Fukuzawa.jp
ドイツ語原文:
2018 Kazaguruma-Demo.Hiroomi Fukuzawa.de
IPPNWドイツ代表Alex Rosen   写真©Uwe Hiksch

IPPNWドイツ代表のAlex Rosen氏は小児科の医師であり、フクシマ事故以来、フクシマにおける健康被害を問題にしてきたエネルギッシュな人物だ。しかし彼はデモが3月11日にあると勘違いしていたため、3月10日は仕事をしているので昼休みにしか抜け出せない、ということで急遽演説の順番を変えて昼休み時間に演説できるようにした、というハプニングがあったのだが、メモや原稿なしに手短に、でもとても問題点をしっかり捉えた話をしてくれた。彼はフクシマ7周年を機にIPPNWの機関誌にフクシマにおける甲状腺がんについての報告を出しているので、それをここで紹介したい。この報告は2018年4月発行のStrahlentelexでも紹介されているほか、翻訳家のグローガー理恵さんが和訳をすでに日本で紹介しているので、それをここに掲載させていただくことにした。

Dr. Alex Rosenのフクシマにおける甲状腺がんの報告:
IPPNW.SD Artikel Fukushima März 2018
Greenpeace Energy、Christoph Rasch 写真©矢嶋宰

今年のデモでも、Greenpeace Energyは全面的に協力してくれ、Protestival以来親しくさせてもらっている広報担当のChristoph Rasch氏が今回もヨーロッパにおける原発ルネサンスに関し、気持ちのいい演説をしてくれた。彼の演説もここで紹介したい。

Greenpeace Energy広報担当Christoph Rasch氏の演説和訳:
2018 Kazaguruma-Demo.Christoph.Rede.jpドイツ語原文:
2018 Kazaguruma-Demo.Christoph Rasch
カズマ・グレン・モトムラMad World Danceのパフォーマンス         写真©Uwe Hiksch
フクシマ・チェルノブイリは警告する   写真©Uwe Hiksch
木内みどり氏からベルリンに託されたバナー、フクシマを忘れない!       写真©Uwe Hiksch
核の鎖に縛られない未来を築こう!    写真©Uwe Hiksch

デモから1週間後のSNB反省会でもいろいろ反省点が出されたが、今年は共催団体とのコミュニケーションがうまく取れなかったことから、私としては納得のいかない部分が多かったのだが、それでも恒例の私たちのデモのシンボル、かざぐるまをみんなが持ちながらベルリン市内を行進するデモが今年も実現できたことは喜びたいし、これからもこれを「伝統」として続けていきたいと思う。Natur FreundeとAABとの共催で行うこのデモは、私たちだけでやるより多くの人たちを動員できるほか、協力し合うことによってできることが多いのだからこれからも協力関係を続けていきたいのだが、数年間一緒にデモをやってきて、ある意味で「馴れ」からくる安心感が緊張感のないものとなって、コミュニケーションがうまくとりにくかったのかもしれない。渉外担当者を交代するなどして、新たな気持ちに立ってそれが改善できればいいと思う。また、フクシマを記念したデモなのだから、モットーやテーマがどのようなものであれ、やはりフクシマがあったから私たちの運動は始まったのだ、とい いう基本姿勢を忘れずに、それをかざぐるまデモではもっと中心に据えたいと思う。そのためにもこのデモが、ベルリンで頻繁に行われている「あらゆるデモやアクションのうちの一つ」に埋もれてしまわないよう努めたいと思った。SNBが始めたフクシマへの思いを込めた、そしてかざぐるまを希望のシンボルとしたデモを、毎年3.11への思いを喚起して、続けていきたいと願う。(ゆう)


写真協力:

矢嶋宰

Uwe Hiksch


報道:

※リンク切れはご容赦ください。

ロイター
7 Jahre nach Fukushima – Demonstranten in Berlin fordern schnellere Energiewende
https://in.reuters.com/video/2018/03/10/7-jahre-nach-fukushima-demonstranten-in?videoId=407824150&videoChannel=118261

独ベルリンで反原発・核兵器デモ 震災と福島原発事故から7年で | 2018/3/11 – 共同通信
https://this.kiji.is/345352752949986401

東京新聞:独ベルリンで反原発・核兵器デモ 震災と福島原発事故から7年で:国際(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018031101001195.html

東日本大震災7年 独ベルリンで震災7年で反原発・核兵器デモ:イザ!
https://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/180311/evt18031110450007-n1.html @iza_events

【東日本大震災7年】独ベルリンで震災7年で反原発・核兵器デモ
http://www.sankei.com/world/news/180311/wor1803110013-n1.html @Sankei_news

独ベルリンで反原発・核兵器デモ 震災と福島原発事故から7年で
2018年03月11日 山形新聞
http://yamagata-np.jp/news_core/index_pr.php?kate=World&no=2018031101001195

独ベルリンで反原発・核兵器デモ 震災と福島原発事故から7年で
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/220919 @theokinawatimes

独ベルリンで反原発・核兵器デモ 震災と福島原発事故から7年で|国際|全国・世界のニュース|新潟日報モア
http://www.niigata-nippo.co.jp/sp/world/world/20180311379874.html

独ベルリンで反原発・核兵器デモ? 神戸新聞NEXT
https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201803/sp/0011057892.shtm

独ベルリンで反原発・核兵器デモ | IWATE NIPPO 岩手日報
https://www.iwate-np.co.jp/article/kyodo/2018/3/11/9978

独ベルリンで反原発・核兵器デモ 震災と福島原発事故から7年で – 徳島新聞社
http://www.topics.or.jp/sp/worldNews/worldInternational/2018/03/2018031101001195.html @徳島新聞

独ベルリンで反原発・核兵器デモ 震災と福島原発事故から7年で|静岡新聞アットエス
http://www.at-s.com/news/article/international/466650.html

独ベルリンで反原発・核兵器デモ 震災と福島原発事故から7年で – BIGLOBEニュース
https://news.biglobe.ne.jp/international/0311/kyo_180311_9789272644.html

独ベルリンで反原発・核兵器デモ、福島原発事故から7年で – LINE NEWS
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