福島原発のトリチウム、何が問題か 河田昌東(2021年4月12日)

NPO法人チェルノブイリ救援・中部の理事を務める河田昌東さんの論文をご本人の許可を得て、ライプツィヒ大学のシュテフィ・リヒター教授がドイツ語に翻訳し、日本語とドイツ語でSayonara Nukes Berlinのホームページに掲載しました。


現在も続いている福島第一原発からの放射能汚染水流出問題は、今後も簡単には解決出来そうにない。その大きな原因は「トリチウム」にある。原子炉内で溶けた燃料を冷やすために10年経った今も毎日140トンの冷却水を炉心に注入しており、それが汚染水となってたまり続けている。東電の発表では2011年5月~2013年7月にかけて流出したトリチウム量は約20~40兆(20~40×1012)ベクレル(Bq)で、この中には事故直後に流出した高濃度の汚染水や東電が意図的に放出した汚染水中のトリチウムは含まれていないという。また、汚染水に含まれるセシウムその他の放射性元素はALPS(多核種処理装置)で回収できるが、このシステムではトリチウムは処理できない。そのため、ALPS等で処理後のトリチウム汚染水は、タンクに貯蔵しているがその量は既に120万トン、1200個の貯蔵タンクにためられているが、敷地に余裕がなくなり廃炉作業にさしつかえるという。東電や原子力規制委員会はじめIAEAまでもが「海水で薄めて放出」を主張し、政府は福島県民はじめ全漁連や国民の声を無視して、2021年4月13日に、トリチウム汚染水の海洋放出を決めるという

。ではトリチウム水の海洋放出は何故問題なのか。

 

(1)トリチウムって何?

トリチウム(Tritium:略号T)は日本語では三重水素と呼ばれ、化学的性質は水素(H)と同じである。水素は原子核に一個の陽子(P)、その周りを一個の電子(e)が回っている最も小さい安定元素である。トリチウムは原子核に一個の陽子の他に2個の中性子(N)を含み(1P2N)、不安定なため中性子の1個が電子を放出して陽子に変化し、原子核に2個の陽子と1個の中性子を含む(2P1N)新しい元素(ヘリウム He)になって安定化する。この時放出される電子がベータ放射線である。トリチウムの半減期は12.3年である。原子炉の中では、冷却水(H2O)に僅かに含まれる重水(H-O-D)の重水素(D)の原子核に中性子が取り込まれたり、不純物のリチウム-6という物質が分解したりしてトリチウムが出来る。従って、原子炉の冷却を続ける限りトリチウムは新たに生産され続ける。一方、我々が生きている生活圏でもトリチウムは存在する。過去の核実験や宇宙線の影響で、地球上の水の中には1~2Bq/L程度のトリチウムが含まれている。

 

(2)トリチウムは何故除去出来ない?

国や東電、原子力規制委員会などは、トリチウム水は処理できないから海洋放出せざるを得ない、という。何故処理できないのか。トリチウムの化学的性質が水素と同じで、トリチウム(T)を含む水(T-O-H)と通常の水(H-O-H)が区別出来ないからである。セシウム137やストロンチウム90など多くの放射性物質の除去には、その元素の化学的性質を利用し吸着や濾過などを行い除去する。しかし、通常の水とトリチウムを含む水はこうした化学的方法では区別できず除去できない。その結果、沸騰水型原発では原子炉内で年間20兆Bq(20×1012)のトリチウムが生成されるが、その殆どを放出可能な年間22兆(22×1012)Bqの海洋放出基準が定められている(濃度では60000Bq/L)。余談だが、青森県六ヶ所村の再処理工場が通常に稼働すれば、年間1900兆Bq(1.9×1015)を大気中に、1.8京Bq(1.8×1016)を海中に放出する予定である。トリチウムの放出基準は事実上存在せず、現実追認であり原発を運転すれば必ず発生する。これも原発を稼働してはならない原因の一つである。

 

  • トリチウムの何が問題か

トリチウム水は通常の水と同様、経口や呼吸、皮膚を通じて体内に入る。体内でも普通の水と同様に血液や体液を通じて細胞内の様々な代謝反応に関与し、タンパク質や遺伝子(DNA)の中の水素の代わりにその成分として入り込む。体内で水として存在する場合は新たに入ってくる水に置きかわり体外に排出される(生物学的半減期は12日)が、こうした細胞内の有機物の構成成分として取り込まれたトリチウムは容易に代謝されず、その分子が分解されて水になるまで長時間留まり(放射線生物学者ロザリー・バーテルによると少なくとも15年以上)、ベータ線を出し続けることになる(1)。 盛んに細胞分裂する若い細胞ではより多くのトリチウムを成分として取り込む。体内の有機物に取り込まれたトリチウムはOBT (Organic Bound Tritium:有機結合トリチウム)と呼ばれ、セシウムのように単に元素として体内に存在し放射線を出す放射能とは区別が必要だが、国際放射性防護委員会(ICRP)はこの点を過小評価している。トリチウムの出すベータ線はエネルギーが極めて小さく、外部被爆は殆ど問題にならないが、こうして体内の構成成分に取り込まれると、全てのベータ線は内部被曝の原因になる。

 

(4)DNAに取り込まれたトリチウムの問題

トリチウム水を介してトリチウムはDNAの中の酸素や炭素、窒素、リン原子と結合し、化学的には通常の水素原子と同じ振る舞いをするが、半減期とともに電子(ベータ線)を放出して周囲を内部被曝させ様々な分子を破壊する。しかし、それだけではない。トリチウムが壊れヘリウム原子に変わると、トリチウムと結合していた炭素や酸素、窒素、リン等の原子とトリチウムとの化学結合(共有結合)が切断する。ヘリウムは全ての元素の中で元も安定な元素で、他の元素とは結合出来ないからである。その結果、DNAを構成している炭素や酸素、窒素、リン原子は不安定になり、DNAの化学結合の切断が起こる。このように、トリチウムの効果は崩壊時に出すベータ線の被曝だけではなく、一般的な放射性物質による照射被爆とは異なる次元の、構成元素の崩壊という分子破壊をもたらすのである。いわゆる照射被爆は確率論的現象だが、DNAの破壊はトリチウムの崩壊と共に必ず起こる現象である(1)。

 

  • トリチウム汚染で起こること

核実験が始まった1950年代以降、トリチウムの生物学的影響に関する研究は数多く行われている。最も広く知られているのは染色体の切断などの異常である。人リンパ球を使った実験ではトリチウム水に晒された場合、3700Bq/ml位から染色体異常が起こり、370万Bq/mlではほぼ全ての細胞で染色体の切断が起こる。DNAの構成要素の一つチミジンの水素をトリチウムで置換した場合、37Bq/ml位から染色体の異常が始まり19万Bq/mlの濃度では100%の細胞が染色体異常を起こす(2)。生体次元での研究も数多くあり、染色体異常(突然変異)の結果、致死的なガンなどの健康障害が指摘されている。特に問題なのは子宮内胎児への影響である。胎盤は通常の水とトリチウムを区別出来ないため、トリチウム水はそのまま胎児に入り、盛んに分裂中の細胞に取り込まれる。その結果、胎児に異常が起こり死産や早産、流産などの他、様々な先天異常などの原因になる。米国カリフォルニア州のローレンス・リバモア国立核研究所のT. ストラウムらの研究(3)ではトリチウムによる催奇形性の確率は致死性ガンの確率の6倍にのぼる。カナダのオンタリオ湖はカナダ特有の重水原子炉から出る大量のトリチウムによる汚染が知られている。その結果、周辺地域で1978~1985年の間に出産異常や流死産の増加が認められ、ダウン症候群が1.8倍に増加し、胎児の中枢神経系の異常も確認された(4)

 

このように、トリチウムは放射線のエネルギーが低いためにその影響が過小評価されがちだが、ベータ線被曝だけでなく、生体分子の構成成分の破壊を通じて、他の放射性物質とは全く異なる生物への影響もたらすことが大きな問題である。トリチウムの海洋放出は、政府の言うような単なる風評被害ではなく実害が起こる。

  • 文献
  • Rosalie Bertell : The Health Effects of Tritium (http://www.beyondnuclear.org/)
  • 堀、中井:総説:低レベル・トリチウムの遺伝的効果について:保健物理(1976年)11, p1-11.
  • Straume, T and Carsten, AL.:Tritium Radiobiology and Relative Biological Effectiveness. Health Physics. 65 (6) :657-672;(1993)
  • Tritium Releases from the Pickering Nuclear Generating Station and Birth Defects and Infant Mortality in Nearby Communities :Atomic Energy Control Board, Report INFO-0401 (1991)

河田昌東:1940年秋田県生まれ。2004年名古屋大学理学部定年退職。現在、NPO法人チェルノブイリ救援・中部理事。遺伝子組換え情報室代表。専門は分子生物学、環境科学。