ドイツの再生可能エネルギーに学ぶ福島の高校生 2019

メモを取る高校生たち、私も負けじとメモを取る

2019年8月11日。この日は福島を伝え再生可能エネルギーを学ぶ福島からの高校生たちのために、ベルリンに在住する再生可能エネルギーと環境政策のエキスパートである、西村健佑さんの講演が開かれた。

提供:UMwErlin

背景にある模様はClimate Stripe/気候ストライプと言われ、温暖化の傾向を視覚的に伝えるものだ。日本、ドイツ、北米、世界の過去20年に遡った気温の推移を表したストライプの紹介の後で、気候変動によって野生動物の生態系にも変化が見られており、このところはClimate Crisis/気候危機とも呼ばれるようになっている。今夏の欧州は二度の熱波に見舞われ、ドイツも二回の過去最高気温を記録したが、最も深刻なのはアイスランドやグリーンランドで観測史上最も多く氷河が融解している。放っておけば2020年代の終わりには北極の氷はほとんど失われるだろうといわれている。スウェーデンの高校生グレタさんが始め、国際的に拡大している気候変動問題のための学校ストライキについてはご存じの方も多いだろう。福島の高校生たちは、ベルリンで行われたこのFridays for Futureにも参加して、再生可能エネルギーの拡大を訴えている。(*1)

基礎中の基礎、エネルギー資源とは。

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再生可能エネルギーは無限にあって環境に優しいが新しい土地が要る、原子力エネルギーは少ない量で多くのエネルギーを生み出すが、ウラン採掘からの健康被害、廃棄物の問題ともに深刻だ。化石燃料は万能型と呼ばれ、貯蔵や移動も簡単、しかし環境破壊、地球温暖化の原因につながっている。

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これまでのドイツの脱原発までの道のりを電力の歴史と振り返る。ドイツのエネルギー転換は1986年のチェルノブイリの事故後、80年代後半には始まっている。2000年初頭には当時の政権が電力会社との脱原発への合意を得るも、のちのメルケル政権によってこの政策は後退していた。2011年に起きた先進国日本の福島の原発事故による衝撃は大きく、メルケル政権は2050年に最終的なエネルギー転換を完結するべく大きく舵を切った。2020年には脱原発、2025年には電力供給の40~45%、2030年には60%、2050年には80%の再エネ化を目標に掲げ、今年の話し合いでは2038年には脱化石燃料が新たな目標に加わった。

再エネと名高いドイツで本当に重要とされるのは省エネ。

省エネというと、冷暖房の我慢をはじめ、私たちの暮らしを窮屈なものにするようなイメージがあるが、実際にはどういう取り組みがなされているのか。

ドイツの建築物は壁が厚い!厚いほどに断熱性が高くなる。夏は屋外の熱を入れず、冬は屋内の熱を逃さない。年間を通してエネルギーを使わずに一定の温度が保たれる。また日本の窓枠に使われるアルミは熱伝導率が高いためドイツでは主に樹脂や木材が使われる。

ひとつには建物の性能をあげる(*2)ことであると西村さん。ドイツでは国で定められている省エネルギー政令の基準を満たさない新たな建築はできない。既存のアパートや家屋を改修する際にも、この基準が適用されなければならない。政令の基準は日本よりずっと高く、日本で一般的に売られているハウスメーカーの住宅では、各社の最高品質のものでもこの基準を満たすことは難しい。日本の学校ではせっかく設置された冷房が使われないなどの声を耳にするが、省エネ建築の窓を入れ替えてブラインドを入れ替えるだけでも学校の室温はだいぶ変わりますと西村さん。目指すべきは我慢することではなくほしいものを伝えること、エネルギーを使わなくても快適な居住空間や教室を手に入れることができる。

再エネはコストが高い、使いづらい、不安定と言われているが。

ドイツでは再エネの発電単価は、すでに原発や化石燃料よりも安くなっており、2014年には再エネの買取価格はこれまでの3分の1以下に。原発や化石燃料の高い理由には多大な補助金も含まれている。

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ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州にある人口700人ほどの町ザーベック(*3)にある高校の高校生が自分たちの学校の屋根に太陽光パネルを設置して、この電気を販売し、売り上げを遠足などに利用している。こうした取り組みの結果、ドイツ国内の再生可能エネルギーの発電設備の所有者は、そのほとんどが市民である。およそ35%は家屋に太陽光パネルを設置している市民。ほか風力やバイオマス設備のほとんどが農家、そして電力会社ではない一般の民間企業。ドイツの大手電力会社4社は全体の5%しか所有していない。理由に大きな企業は効率の悪いものには投資できないことがあげられ、”使いづらさ”はむしろ一般市民の取り組み易さにつながっている。

提供:UMwErlin

また再エネの安定化には課題が残るもすでに技術はそろっている。電力の安定化というが、供給側のみならず、需要側である私たちが使用する電力も実は不安定であると西村さん。こちらは2014年6月28日サッカーのワールドカップの決勝戦の日のブラジルの電力消費図。青いラインは通常の一日を表している。この日は赤いラインで決勝戦があったため、仕事をしないもしくは早々帰宅して自宅やパブで試合を観戦したことで午後にはグラフが深く落ちている。ハーフタイムには、おそらく一斉に冷蔵庫を開けて飲み物を取ったりしたのではないか、ちょっぴり突起している。試合終了後には街に繰り出し大騒ぎをしたであろう、再び電力の消費量が上がっている。

こうした電力の需要と供給の安定化を目指すためのドイツの取り組みは、小規模の再エネ発電を制御し、管理することを目的としたVPPと言われるVirtual power plant/仮想発電所だ。日本ではまだ完全とは言えないが、ローカルエナジーみんな電力でも取り組んでおり、熊本電力でも試みがなされようとしている。

なぜドイツは再エネと省エネの道を選ぶことになったのだろう。

日本の福島の原発事故を受け、時のメルケル首相が専門家を招集し安全なエネルギー供給に関する倫理委員会を設けたことは有名である。技術者による報告では、ドイツでは地震や津波がないことから、同様の事故が起きる確率は限りなく低いというものであった。しかし倫理委員会では、倫理的なエネルギー制度をつくりたいのであれば原子力はやめたほうが良い、地球温暖化をもたらすエネルギーからも脱退したほうが良い。これらの使用をやめることで、ドイツ社会には一時的な負担がかかるが、次世代のことを考えるなら今その方向に舵を切り、投資をする必要があるとの結論を示し、市民の批判や運動の高まりとともにメルケル首相の脱原発を後押ししたのである。

みんなが使うエネルギーをみんなが決めてよいし、決めなくてはならない。

第四世代原子炉に向けた技術やそれを推進したい人々がいるなか、総合して個人的に調べた結果、原発は要らないと考えるようになった。誰かの意見を聞くだけではなく、自ら調べて選んで決めて、できる限り行動してほしいと西村さん。

例えば30万人規模の日本の自治体が化石エネルギーを買うために、およそ40億円のお金が出ている。再エネを選択することで、この費用の3分の1から半分のお金を地域にとどめ、循環させることで、より良い意思決定を長期的にしていくことが可能である。安い電力を地域の外から買うだけでは全体的な最適化は成り立たない。こうした全体最適と部分最適の観点も大事である。そして情報の真贋を自ら確認すること、エネルギーを選べる時代に選ぶことへの責任、立場の違う人々との効率的なコミュニケーションについてを説かれた。講演を通して西村さんの人柄や人生哲学をも垣間見たように思う。

※一部に筆者による補足と脚色が含まれます。


*1:独で世界的な環境保護行動に参加 福島の高校生9人:社会:中日新聞(CHUNICHI Web)  https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019081001001415.html

*2:ドイツの環境建築 – ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト http://www.newsdigest.de/newsde/features/8672-environmental-architecture-1/

*3:エネルギー政策の大転換を自治体が実践 - ドイツ NRW州の町ザーベックの挑戦 2014 https://www.klimakommune-saerbeck.de/city_info/display/dokument/show.cfm?region_id=408&id=375006


講演者:西村健佑氏 

ベルリン自由大学・環境政策研究所環境学修士、エネルギー市場・政策エキスパート、ベルリンでエネルギー市場調査に関するコンサルタント会社Umwerlin (https://note.com/umwerlin) を経営。欧州のエネルギー・産業政策の調査、通訳、翻訳、また日独中小企業のビジネスコンサルも手がける。クラブヴォーバンメンバー。共著に『海外キャリアのつくり方 〜 ドイツ・エネルギーから社会を変える仕事とは? 〜 』『進化するエネルギービジネス(ポストFIT時代のドイツ)』

福島からの高校生と独日高校生交流会 2019

2019年8月8日、日本のNGO団体アースウォーカーズによる、福島を伝え再生可能エネルギーを学ぶ福島・ドイツ高校生交流プロジェクトの一環で開催された独日高校生交流会に参加した。

会場はプレンツラウアーベルグ地区にあるギムナジウム
絆・ベルリンのフランク・ブローゼ会長

会場のギムナジウムの校長のあいさつの後、ベルリンのNPO団体、絆・ベルリンのブローゼ会長によって、津波の解説や、東北大震災の被災地で立ち上げた数々のプロジェクトの紹介がされた。

ジャーナリストのふくもとまさおさん

ベルリン在住のジャーナリストであるふくもとまさおさんからは、福島の原発事故後の避難指示区域の解除の基準として年間線量20mSv(*1)が限界値となったが、これは本来原発作業員などに適用される値で、帰還地域ではそれが子どもや妊婦など公衆一般に適用されており、さらに原発通常運転時の国際標準として年間1mSvが現在上限値となっているが、それもいずれ年間20mSvに引き上げられることを心配しているとのお話があった。

小玉さんが2019年3月に国道6号線の原発から2km界隈を走る車内で撮影された動画によると、測定値はおよそ0.6μSv/hから最高で1.8μSv/hを超えた。通常一般市民が立ち入りを許可される区域ではないが、一般車の通行が事実上可能となっている。

福島の高校生らの英語でのスピーチを前に、アースウォーカーズの代表理事である小玉さんから、農作物の放射性物質は震災直後はかなり高かったが、今では一部の山菜や魚以外からは、ほとんど検出されなくなり、それらも事前に検査され市場に出荷されにくくなっていること(*2)、9人の高校生の居住地が異なることからも原発事故当時からこれまでに身を置かれる状況や体験も異なることが説明された。

聖真さん

聖真さんは、東北大震災の当時7歳、保護者の迎えを待って小学校から帰宅する道すがらに見た、倒壊した家屋や市役所の様子を語った。およそ1年後に政府による除染活動が始まり、自宅の周りの放射線量は減少している。当時は外遊びを叱られる理由を理解できなかったが、やがて原子力による発電は危険であると認識し、クリーンエネルギーに関心を持つようになった。

崚真さん
崚真さん

崚真さんも震災当時7歳だった。祖父母の家に向かう車内で感じた東北大震災の恐怖を語った。福島の原発の事故を知り、他県に住む親戚の家におよそひと月ほど避難した。学校の再開後に配られたひとりひと箱のマスク、外遊びは禁止され、学校の窓が開くことはなかった。福島県のナンバープレートを付けた車が他県で嫌がらせを受けた話に悔しい思いを抱くも、旅行先では福島から来たということを告げるのがためらわれた。福島県産の食べ物は、市場に流通する前に検査がされるようになったため、ほかの土地のものよりむしろ安全になっていると思う。僕たちは放射線の使い方を身勝手に間違えた、節度を持って扱えば人命をも救う。将来は放射線技師になりたいと述べた。

菫さん

菫さんは8歳だった。家族みんなが自らの命を守ることに必死だった当時の状況を語る。まだ雪の降る季節の避難所の固い床で家族で身を寄せ合って寝た三日間は忘れられない。物資の限られる中、心身ともに疲弊した。8年を経て復興が進むが、まだ避難生活を送る人がたくさんいる。津波の被害を受けた一部の地域は、時が止まったように当時のままである。

華恵さんと、発表を励ます菫さん

華恵さんは、避難地域の浪江町に住んでいた。発表の最中、涙に言葉が詰まった。避難所では大人の弱さを見ることとなったと語る。衛生状況の悪さから体調を崩すなどつらかった避難所から、夏は暑く冬は寒すぎるという仮設住宅に移る。8年の月日は早かったが、この間に賠償金をもらっている、放射線を持ち込んでいる、避難先を出ていけなどのひどい言葉をあびてきた。親しい友人からは、ロッカーに死ねと書かれた。福島県は変わっていないと思う。浪江町に行くことがあるが、瓦礫はなくなるも居住者が激減し活気を失った町の様子から良い方向に向かっているとは思わないが、元の浪江町に戻したほうが良いと思うので行動していきたいと語った。

美悠さん

美悠さんは9歳だった。電力会社に勤めていたため呼び出しを受け発電所に駆け付けた家族の身を案じて眠れぬ夜を過ごした。原発の事故の影響で、大好きな外遊びが制限されていたが、8年を経て、次第に元の日常を取り戻しつつある様子を語った。原発はたくさんのエネルギーを生み出すものの事故が起きた時の被害の甚大さを知り、福島県のみならず、日本全国で再生可能エネルギーの発展を願っている。

愛由さん

愛由さんは7歳だった。津波の被害をそれほど受けない町にいたが、報道を見た時のその衝撃は大きかった。当時は原発の事故や放出された放射性物質による被害の深刻さがわからなかったが、原発の事故によって避難せざるを得なかった友人ができたことを境に、理解を深めるようになった。食品の安全も図られ、福島はゆっくり回復しつつあるが、かつての姿はない。悲劇的な事故が福島で二度と起こらないことを願っていると述べた。

真帆さん

真帆さんは7歳だった。震災直後は生活に必要なあらゆるものが手に入らなかったこと、また放射性物質による汚染のために、真夏であっても肌の露出を避けるため長袖や長ズボンで過ごし、様々な野外活動の制限を受けた。県内でも最も放射線の測定値の高い町に住んでいたため、級友の半分は引越を余儀なくされ、友人からは避難先でばい菌のように扱われたとの体験談を聞いた。除染が進み、学校給食から消えた福島県産の農産物も検査を重ねて戻ってきており、震災前の暮らしを取り戻しつつある。

颯人さん

颯人さんは7歳だった。原発の事故により、多くの人々が避難したが、避難所では動物が受け入れられなかったために、ペットが取り残され命を失ったりした。被災したペットの多くには新しい飼い主が見つかるも、まだ飼い主の見つかっていない動物もいる。また被災した犬のなかには訓練によって災害救助犬になった犬がいる、自らもドッグトレイナーになりたいという夢を語った。

里桜さん

里桜さんは、かつての記憶に涙をつのらせながら、原発の事故の影響から友人が避難したり、学校に通えなくなったりしたことがつらかったが、もっともつらく怒りが湧いたのは報道やネットの情報が適切ではなかったことだと述べ、メディアリテラシーに対する不信感を感じた。そのため、友人は避難先で、放射能が移るから近寄るな、福島に帰れなどの暴言をあびるいじめにあった。そうした中、世界中から届く支援や韓国や中国から届いた励ましの言葉に感動し、今度は自分が困っている世界中の人々を助けたいとその意欲を語った。

福島の原発事故を受けて、国内外で様々な議論の声が上がるなか、取り残されたままの現地の声もあるのではないか。私は、生活を変えることを余儀なくされた人々、当たり前に生きる権利を奪われる人々を思えば、原子力エネルギーを発電に利用することに反対する立場である。日本政府には、直ちに政策の過ちを認め、エネルギー政策の転換を求めたい。また私たちが身を守るために必要な正確な情報公開を望むと同時に、自らも正しい情報を習得して発信できるよう努めたい。

会場からは、震災や原発事故から心的外傷を負った子どもたちをケアする取り組みはなされているのかという質問の声が上がった。自治体や学校ごとに取り組みがなされるべきではあるかと思う。福島県のウェブサイトには、被災者への心のケアや派遣支援のマニュアルの紹介があり、そのほか子どもの育成企画や状況報告はされている。NPO法人で相馬フォローケアチームという有志による取り組み等があるが、外部からは福島県内の取り組みの全容を知るには至らなかった。

2013年から支援の調達状況の限り取り組まれてきたこの企画であるが、折に触れて高校生たちの経験が互いへの連帯感や学びの見聞を広める様子を見ることができた。帰国報告会は、8月18日10:00〜東京ボランティアセンター(飯田橋駅徒歩2分)、8月18日18:00〜福島市ダイユーエイトMAX4階アオウゼ研修室(福島駅徒歩6分)。また各年齢に応じて福島県内に居住する子どもたちの県外での保養など、多くの企画を手がけている。詳細はウェブサイトにて:アースウォーカーズ。

2019 福島・ドイツ高校生交流プロジェクト 帰国報告会: https://youtu.be/Wbjz4svIDlo @YouTube


*1:京都大学原子炉実験所の今中哲司さんによる記事を紹介したい。◇「20ミリシーベルト」と幻の安全・安心論 今中哲二 岩波「科学」2017年7月号 (岩波書店許諾)

*2: 福島県のウェブサイトでは県内の農産物をはじめとする各種放射線モニタリング検査の結果や詳細が公開されている。
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list280-889.html


高校生たちが各自作文し発表された内容については、全文から公平に抜粋するよう努めたもので、表現については発表のまま掲載する。

福島県をはじめとする各自治体の農産物の放射線検査とその安全性については、当団体が推奨するものではなく、各ご家庭の自主的な判断に任せるものとする。

ヒロシマ、そしてナガサキから74年目のベルリンの平和の鐘

2019年8月6日、ベルリンでも平和の鐘協会ベルリンIPPNWドイツ日独平和フォーラム・ベルリン、ベルリン市のクロイツベルグ・フリードリッヒスハイン区役所の共催によって、ヒロシマ、そしてナガサキの原爆投下から74年目を迎える追悼記念の行事があった。

クロイツベルグ・フリードリッヒスハイン地区の副区長でドイツ左派党/DIE LINKEのクヌート・ミルドナー・スピンドラーさんは、89年から30年間ずっとこの活動をしてきたが、立ち上げた時代は反核運動が盛んで87年には米露の間で結ばれた軍縮条約の中距離核戦力全廃条約があったが、米露の離脱、兵器を持つ国が増えている。この時代にふたたびこの活動の重要性が増している。大事なのは記憶すること、記念すること、啓発することだ、と述べた。

ノーベル平和賞を受賞したICANのドイツ支部、ICANドイツのヨアーナ・カリピディスさんは、平和が当たり前過ぎて人々が無関心になってきている。意識を高めるためにも、こうしたセレモニーは重要である、と述べ、ウェブサイトを訪ねて私たちの活動も見てほしいと話した。

 

 

2013年の初年度にSNBでも手伝った日本のNGO、アースウォーカーズによる、福島を伝え再生可能エネルギーを学ぶ福島・ドイツ高校生交流プロジェクトが続いており、この日に福島の高校生がベルリンに到着、彼らを代表して2人の16歳の高校生らが自らの体験談を英語で発表した。3.11当時は小学1年生、7歳である。先に発表した里桜さんは、明るい挨拶のあと、当時の体験を振り返り涙が止まらずスピーチを何度も中断した。クリーンエネルギーに携わりたいとの意欲を語る聖真さんは、原発の事故をきっかけに、当時7歳の自分が何が起きたのかわからないままに生活を変えることを余儀なくされた様子を語り、ヒロシマとナガサキのために集まった人々への謝意を述べた。

 

かつての大戦の記憶は薄れつつあるのか、世界情勢は刻一刻と変化している様に思う。このところは日本国内でも中距離核戦力全廃条約をめぐる報道が熱を帯びている。報道では主にINF全廃条約、INF条約などの表現が用いられる。これまでに米露でミサイルの開発、または試験等が繰り返され、双方が批判の応酬を繰り返していた。その結果、米国は昨年10月に条約の離脱を表明し、8月2日にこの条約の失効を迎えることとなった。この条約は核弾頭の中距離ミサイルに限ったものではないが、核兵器の抑止力のひとつとしてもとらえられてきただけに、国連をはじめ、世界の平和団体からの懸念の声は高まっている。

式典の終わりには、犠牲者に思いを馳せるとともに核兵器の廃絶を願って、来場者らが平和の鐘をつく長い長い列をつくった。平和とは、常にそこにあるものではない。先人の苦労とたゆまぬ努力の上に成り立っている。恒久的な平和を目指すためにも、今後ともできることを模索して行動していきたい。


広島市 - 平和宣言【令和元年(2019年)】 http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html
長崎市│令和元年長崎平和宣言(宣言文) http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p033237.html @nagasakimaster