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リンゲンでの祝脱原発デモ参加報告

2023年4月15日。この日をどんなにたくさんの人たちが待ちわびていたことか。4か月半遅れでドイツの脱原発が実現した。矛盾と噓に満ちた「脱原発」、解決されていない問題が山積みと、手放しに喜べないものだとはいえ、とにかくドイツ国内原子炉の最後の三基が停止されることになったのは、前進だ。ドイツ国内で発電のために核燃料棒が燃やされることはなくなり、そこからはもうこれ以上放射能のゴミは出なくなったのだ。

 

 

4月15日付けのTAZ紙第一面©ゆう

 

 

これまでの経過(事情に通じた方はここを飛ばして読んでください)

本来なら、昨年2022年末でドイツ国内で最後に残ったEmsland、Isar II、Neckarwestheim IIの三基が停止して脱原発を完成するはずだった。それが、ロシアのウクライナ侵攻でロシアに依存していたガス・石油の輸入が途絶え、一挙に「エネルギー危機」が叫ばれることとなった。今の連立政権に加わっているFDPや野党のCDU/CSUは、ドイツの「優秀でまだ十分に安全に使える原発をなぜこのエネルギー危機の最中に停止しなければならないのか、この原発を止めて、その代わりに石炭火力発電を運転期間延長して動かしてさらに二酸化炭素を排出するなどもってのほか」というシナリオで世論を誘導して、それまで反原発派だった多くの人たちも、今脱原発すべきではない、という風潮が高まった。脱原発が党成立以来のレゾンデートルでもあった緑の党のハーベック経済相・副首相はそこで、電気安定供給性について調査し、これら三基を停止しても安定供給は実現できるという判断をした。これらの三基は22年いっぱいで運転停止されることになっていたため、新しい燃料棒は用意されていない(どの燃料棒もそれぞれの原発タイプ、サイズによって特別注文される必要があり、そのウランの注文にもほぼ2年はかかるということだ)し、その他のスペアパーツも欠乏、運転要員も確保されていない。急に運転延長を決めても、どの道残っている燃料棒を長く持たせるために性能レベルを低くして「水増し運転」させる以外にないことは明らかだった。それに、2022年末に停止されることが決まっていたため、本来なら定期検査をされなければいけないのを、去年はしないできた。つまり、運転期間を延長するということになれば、定期検査を行わなければならず、当分運転できないことになるのだ。だから急に去年の秋になってこれらの原発の継続運転が、足りなくなったロシアからのガスや石油に取って代わる「オールマイティソリューション」になれるわけはなかったのに、それをFDPやCDUはそのことを言わずに、あたかもこの原発を延長運転しさえすればエネルギー危機が回避できるかのように声高に宣伝し、脱原発をやめさせようとしたのだ。

ショルツ首相は、連立政府内での諍いを治めるためもあって、妥協して4月15日まで4か月半運転停止を延長するものの、その代わり新しい燃料棒注文はせず、それ以降脱原発の日にちをずらすことはない、と去年の10月23日に宣言した。それ以降もFDPやCDUは何度もエネルギー危機を煽り、ことに緑の党や反原発の人たちは理性からでなくただ「イデオロギーのため」だけに脱原発にこだわっているのだ、というような話をして、世論を扇動した。しかし、メルケルの下で政権に長く就いていたそのCDU/CSUこそ、2011年にフクシマ事故があって脱原発を決定したものの、ついこの間までの16年間、原子力からも二酸化炭素からも脱した本物の再生可能エネルギーによる完全なエネルギーシフトを推し進めてこなかったからこそ、今の化石エネルギー危機があるのだ。現在はまだエネルギーミックスの約半分ちょっとを再生エネルギーが占めているだけだが、本来ならばこの割合がもっと広がっていなければいけなかったはずだ。

ロシアからのガスをことに推進したのはその前のプーチンの盟友シュレーダー(SPD)だったかもしれないが、その方針を変えずにエネルギーにおけるロシア依存を推進してきたのはメルケルだ。ドイツ北部では風力発電が立ち並び、再生可能エネルギーの割合が高くなったのに、それをエネルギー消費の高い南ドイツまで運ぶ送電線も計画通りに建たず、風力発電建設も南ドイツでは遅々として進まなかった。ドイツ国内で北から南へのエネルギー供給がそのためできないだけではない。原発は急激な発電量の調整が難しい発電方法であるため、原発からの発電量が送電キャパシティを占めて「詰まらせて」しまうと、その分再生エネルギーからの電気が受け入れられなくなるということも忘れられがちだ。再生エネルギーは太陽の照り具合、風の吹き具合で発電量が変わるが、そのため調整しやすいガスによる発電が便利で、調整のできない原発は不向きであるのは知られた事実である。

また、電気市場はEUレベルだ。ドイツで作られる電気もEU電気市場で扱われる。隣の核大国フランスでは、去年から原発の故障、弁やパイプなどでひびがいくつも発見されるなどの理由で停止が相続くほか、さらに気候変動で川が枯渇し冷却が不可能となって、フランスの原発のほぼ半分が運転しなかったため、EUの電気市場で電気量が欠乏し、電気の値段が上がった。これはロシアとは無関係だ。フランスはたくさんの原発で発電し、それをスペインやポルトガルなどに輸出していて、それを一定の金額で給電する契約をしているため、急遽足りなくなった電気を高い値段で輸入し、それを契約で決まっている安い値段でスペインなどに送らなければならないという赤字の契約履行を強いられている。EU電気市場ではそこで、ドイツからの電気も少しでも多く欲しい、と言われたのだった。ドイツが残りの三基(しかも残っている燃料棒で発電量を抑えながら水増し発電しての状態で)が供給できる電気量は市場にとっては焼け石に水程度の量だったにもかかわらず、だ。

脱原発?

4月15日という日にちはしかしありがたいことに守られた。今年の私たちのかざぐるまデモでも、4月が近づけば、脱原発をやめさせようとする声がきっとまた高まり、覆されるかもしれないという危惧を何人もの演説者が少なからず示していた。でも、私たちはこの脱原発が、決して一貫性のある本当の脱原発ではないことを知っている。なぜかと言えばドイツでは原子力法が脱原発を定めたにもかかわらず、原発で使用される燃料棒を製造する工場(リンゲン)と、ウラン濃縮工場(グローナウ)も平気で稼働したままであるからだ。それだけではない。あれだけプーチン支配下のロシアを裁くために経済制裁を行うと言いながら、ロシアからのウランはオランダを通ってドイツ国内に運ばれてきているばかりか、フランスに至ってはフランスの原子力企業Framatome(もとAREVA)がロシアのRosatomとジョイントベンチャーを作り、このリンゲンでロシア型原子炉向けの燃料棒を製造する計画まで立てられている。原子力関係に関しては、ロシアは一切経済制裁から除外されているのだ。そして、放射性廃棄物処理問題はまだ一切解決されていない。問題は山積みである。

 

 

燃料棒製造工場の門の表示©ゆう

 

 

そこで、ドイツの脱原発を祝いながらも同時に、一貫性のないドイツの原子力政策、そして時代錯誤で経済性のない原子力にいまだにしがみつきたいフランス・日本を始めとする世界各国のまやかしの「二酸化炭素を排出しないグリーンな」イメージで原発をどうにか推進したい無責任な政策を非難するために、4月15日にはドイツ各地でデモやアクションが行われた。

ことに今回運転停止されることになっているEmsland(リンゲン)、Isar II(バイエルン州)、Neckarwestheim II(バーデン・ビュルテンベルク州)では大きなデモが予定された。私が行ったのは、燃料棒工場があり、Emsland原発があるリンゲンというほぼオランダ国境に近い町(ニーダーザクセン州)で、ここで駅から集合場所である燃料棒工場前までバスがデモ隊用にチャーターされて向かった。皆が集まってからは、工場の入り口前でプラカートを掲げながら記念撮影などを撮って、いくつか演説、その後デモ行進をして今回運転停止されるEmsland原発前まで歩いて、またそこで演説をして、解散となった。

 

 

雨の中のデモ行進©ゆう

 

あいにくドイツは全国的に寒さが続き、しかもリンゲンは小糠雨が降り続いてうらめしかった。雨は予報されていたのでレインコートや雨用の帽子を持って行ったが、それでもかなり濡れそぼった。雨でなければもう少し人も集まったにちがいない。それでもきっと昔から反原発運動を続けてきた闘士に違いないという人たちがたくさんいて、和やかな雰囲気だった。子供連れの人もいたし、私のように遠くから集まった人もいれば、すぐ近くに住んでいるという人たちもいた。「親がすでにチェルノブイリやヴァッカースドルフ再処理工場建設計画反対で闘ってきて、私は二代目、私の娘たちもその精神を受け継いでいる」と話してくれた自転車で参加した男性にも出会った。

この日は約300人がリンゲンのデモには集まった。ちなみにバイエルン州のIsar II停止を祝ってミュンヘンでは約1500人、Neckarswestheimには約500人が集まったという。南ドイツでは少なくとも雨が降らなかったため、人も集まりやすかったのだろう。ベルリンのブランデンブルク門前でもGreenpeaceとGreen Planet Energyが主催して大きな原発の恐竜を倒して太陽の反原発シンボルがVサインをしているポーズで写真が撮られた。

©Christoph Soeder / dpa                                     ベルリン・ブランデンブルク門前のアクション。脱原発を最初に2002年に決めた赤・緑政権で環境相だったTrittin(緑の党)の姿が(その後メルケル率いる政権が脱・脱原発を決定、フクシマで再びそれを覆す)。

リンゲンでのデモでは、ゴアレーベンの市民グループBürger Initiative Umweltschutz Lüchow-Dannenbergの理事・共同代表の一人でもあるElisabeth Hafner-Reckers に再会した。彼女に会ったのは、彼女がかざぐるまデモの演説に来てくれた2017年なので、6年ぶりだ。彼女は、寿都町の町長が最終処分場候補地選定に向けた国の文献調査に応募してからできあがった反対グループ「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」に励ましのメッセージを書いてほしいという私の頼みに二つ返事で承諾し、すぐにすばらしいテキストを送ってくれた(http://kakugomi.no.coocan.jp/pdf/rentai_BILW.pdf)。彼女を始めとするゴアレーベンの人たちの抵抗運動の在り方は、あらゆる人たちに勇気とインスピレーションを与えてきた。彼らは、単に国家権力の方針や決定に抵抗してきただけではない。反暴力であらゆるアイディアを駆使した市民抵抗(日本ではなかなか当たり前の語彙として馴染まないZiviler Ungehorsam市民的不服従)の方法を実行に移してきただけでなく、彼らは「国が私たちに民主主義を実践し、人と自然に優しい国を提供してくれないなら、私たちが代わりにもっといいものを作ろう」というモットーで「Republik Wendland(ヴェントラント共和国)」と名乗って、ゴアレーベン周辺地区を、住みやすく、あらゆる年齢層が一緒に楽しく暮らせるコミューンのような共同体に作り上げてきた。まだ風力発電のない頃から独自で風力発電機を建てる人、バイオガスを作る人、太陽光パネルを自分の土地や屋根に付けて、自分で使い切れない電気を近所と分け合う人がいた。

そのエリザベスに今の心境を聞くとこういう答えが返ってきた。

「やっと最後の3基が運転停止されるのは、とりあえず嬉しい。これでドイツで新たに作られる放射性廃棄物がなくなる。でも、まだその運転停止を取りやめてまた再起動したくてたまらない人たちがこれだけいるから、まだまだ監視の目を緩めるわけにはいかない。私たちのグループは、単に抵抗するだけでなく、どんなに平和に、クリエイティブに、仲良くあるものを分かち合いながら生活していけるか、実践で示してきた。お上が何かを勝手に作り、それがただ与えられる、または買わされる大人しい「消費者」になりきるのではない、どんどん新しいものを買わされ、消費し、そのためのお金を稼ぐことだけで生活がいっぱいになる、そういう図式ではない人間らしい在り方を私たちは求めてきたし、その方がよっぽど楽しいしお互いに優しく助け合いながら生きられる(彼女はFreundlichという言葉をよく使った)。ゴアレーベンには最終処分場候補地のリストからは消されたものの、あいかわらずキャスクが「中間貯蔵所」に置きっぱなしにされていて、それはまったく安全な方法でなど保管されてはいない。これは後に続く世代に残していかなければならない負の遺産だ。親から受け継ぐ遺産が嫌な場合は、子どもは普通はそれを「拒否」することができる。しかし、この放射性廃棄物の遺産の場合、彼らにはそれを拒否することが許されていない。だからこそ、私たちにはそれを少しでも安全に、長期にわたって保管するための方法のコンセプトを国に求めていく義務がある。」

©Lars Klemmer/dpa

「共に勝ち取った!50年間続いた反原発運動」と書かれた横断幕

 

それから、もう一人会うことができて嬉しかったのは、Atommüllreport(放射性廃棄物報告)という放射性廃棄物に関する情報、危険性も含め詳しいデータを集める専門ポータルである団体の代表Ursula Schönberger氏だった。彼女はもともと緑の党で連邦議員にまでなり(1994年~1998年まで)その後別の緑の党連邦議員の科学調査担当を受け持って、そこで2013年にドイツ国内の「核のゴミ」の「在庫調べ」と状況について詳しい報告書(272ページにのぼる)を作成している。それは今でも、ドイツの放射性廃棄物に関する包括的報告書の第一号として連邦議会図書館にも保管されており、それをさらに引き継いでオンラインプラットフォームとして続行してきたのが、彼女のAtommüllreportだ。彼女は2002年にはしかし当時ヨシュカ・フィッシャーが副首相・外務大臣を務めていたSPDとの連立政権で、戦後初めてドイツがNATOの一員としてコソボ紛争に参加すべくドイツ軍隊を派遣し、さらにアフガニスタンでもドイツが戦争加担したことに反対して、脱党している。そういう意味でも、個人的にも価値観が似ていて親近感がもてるのが彼女だ。低・中レベル放射性廃棄物最終処分場になることが決まっているSchacht-Konradの反対グループともずっと活動してきた彼女は、私にこう話してくれた。

「いよいよ脱原発の日を迎えることは嬉しい。これまでの苦労の実が結ばれた。この日のためにずっと長年闘ってきたのだ。もちろん、抱えている問題がこれで小さくなるわけではない。そして脱原発を遂げたことになれば、ドイツでの反原発運動が小さくなる懸念はもちろんある。私たちは、核のゴミの「在庫調べ」をし、何がどのくらい、どこに、どういう風に「保管」(かぎ付きにするのは、まったく信じられない危険そのものという感じの放置状態で放っておかれているドラム缶も多いからだ)されているのかを事細かく調査し、報告してきた。そしてそれをどのようにすればよりこれから何万年、何百万年にわたりそれなりに「安全」に保管していけるか考えていかなければならないが、それを進めるうえでの第一歩は、「これ以上危険なゴミをもう作らない」ということだとずっと訴えてきた。保管方法が定まっていないのに、どんどん次から次へと危険なゴミを作り出すのであっては、議論にならない。とにかくそれが終わるのは正しい方向への第一歩だ」。

 

© Lars Klemmer/dpa                「脱原発というからには燃料棒工場もやめなきゃ」と書かれた横断幕

 

この祝脱原発の国内でのデモ・アクションはことに環境保護団体BUNDとドイツ最大の反原発団体.ausgestrahltが提携してキャンペーンを繰り広げていたが、リンゲンでのイベントでは、私が参加できなかった今年3月11日のかざぐるまデモでも演説をしてくれたBUNDのJuliane Deckel(彼女はもともと日本学を大学で専攻していたということで、デモでも日本語で少し演説していた)と.ausgestrahltのHelge Bauerが二人で一緒に司会をしていた。

ドイツで原発が操業されたのが1961年、それから2023年4月15日に全基が停止されるまで62年間。この「原子力時代」の「恩恵」を得てきたのは多くてもせいぜい3世代だが、そのために排出された解毒できないこの放射能のゴミが危険でなくなるまで、これからさらに33000世代以上がこれとともに生きなければならない、と言われている。そんな無茶が押し通されたのがこの狂気の「原子力時代」だ。未来の世代にとってはまったくいい迷惑だ。

©Hakuba Kuwano

悪天候でもリンゲンでのデモに集まった人たち

デモ解散前の最後のディスカッションには上記のElisabethやUrsula、それにEmsland近郊でチェルノブイリ以降、トーマスのように市民測定所を作って放射能検査をしてきた男性、Schacht Konradの活動家の女性などが司会であるHelgeとJulianeに質問され、それに答える形で参加した。「低・中レベル放射性廃棄物」と名付けることで、あたかも「高レベル」より危険性が少ない、大したことがないような印象を与えているが、それは大きな間違いだ、という話にも、まったくだと私は同感した。放射線は高いから危険、低いからより安全ということはない、定量の被ばくで癌などを発症するのは、「宝くじ」に当たるようなもので、線量が高い低いは「安全性に無関係」で、運のようなものなのだということは放射線テレックスのトーマスも常々言っている。これをここで訴えている人たちは、いわゆる「低・中レベル放射性廃棄物」が保管されている場所のすぐそばに住んでいる人たちで、それらの「廃棄物」がどの程度危険な形で山積みされているか知っているからこそ、その危機感が強い。そして自分たちは「もうすぐ死んでいく運命にあり、これらのゴミが今後どのような形で残されるか、見届けることができない」と思っているということだ。それだけ彼らには焦りもある。どうすればなるべく危険がない形で、コントロールしながら保管ができるのか、そのコンセプトを根本的に考え直す必要がある、ということを皆が語っていた。いわゆる「地層処分」(日本のような火山、地震の多い島国ですら地層処分にこだわっているが)になぜこれだけ固執するのか、という疑問もある。でも、今「仮」に保管されているたくさんの放射性廃棄物(低・中・高レベルの)の貯蔵方法はあまりにお粗末で、いつ「安全な場所に処分されるのか」わからないのに、危険極まりない。飛行機墜落やドローンによる攻撃などがあれば、またはサイバー攻撃などがあればすぐに恐ろしい事態が訪れかねない状態のまま何年も置きっぱなしになっている。

私がしっかり反原発運動にかかわるようになったのはフクシマからで、そういう意味ではここにいたたくさんの「闘志」たちと比べて新米だが、矛盾を抱え問題の多いドイツで、とにかくまがりなりにも最後の原子炉が停止されたこの記念すべき日を、この問題にずっと立ち向かい、ぶれることなく長い息で闘ってきた人たちの話を聞きながら過ごすことができたのは、有意義なことだった。日本のGX束ね法案、札幌で行われるG7環境相会合で日本政府が「汚染土リサイクルや汚染水海洋放出を歓迎する」旨の共同声明を出すべく各国に働きかけた問題、汚染水を何が何でも今年の夏には海洋放出開始する方針など、日本からは原子力関係を挙げただけでも幻滅するようなテーマに尽きないが、とにかく「反原発」運動がドイツでは長く続いて市民権を得、とにかく動いている原発をやめさせることに成功した、というのはポジティブなニュースだ。ドイツが原発による発電をしなくても、ドイツは原発信仰をやめない国々に囲まれている。フランスも、ベルギーもポーランドも、危ない老巧化した原発を何が何でも運転期間延長して動かすつもりだし(日本も同じ)、原子力がなければ気候変動の点からも今のエネルギー危機に立ち向かえない、などとグリーンウォッシングしながら、実は、おんぼろのひびの入った危ない原発を延長して運転する以外に、新しい原発はあまりに建設費用が高くて実現しないし、今動いている世界の原発がどれももう古くなってきていて修理や追加工事が必要であることに変わりはない。フランスのように気候変動で冷却に必要な川の水が枯れてしまえば原発を動かすことはできないし、急にこれから水不足が解決するとは思えない。エネルギー危機を解決するには、「今すぐ」安全に動ける発電方法が必要なのに、いつ建設が完了するかもわからない原発に未来を託すなど、絵に描いた餅で明日からの食事の支度に備えるようなものだ。できるだけ自然に介入しない方法で、環境になるべく優しく、有毒なゴミも、二酸化炭素も排出せず、となれば、再生可能エネルギーでできる限りの電気需要が賄えるようシフトしていく以外ないことは誰の目にも明らかだ。そのために投資をせず、若い世代に恐ろしいほどの負の遺産を押し付け、政治家にたくさんの嘘をつかせ守れない約束をさせながら、いつまでも既存の利益構造にしがみつくロビーの言いなりになっている世界は哀しい。

とにかくドイツでの原発のスイッチは切られた。それを日本にも、フランスにも、イギリスにもポーランドにも、ベルギーにも拡大していかなければならない。やはり市民が動かなければだめだ。気が滅入るニュースに溢れた今、このドイツの祝脱原発デモに参加したことは私にとって、力の与えられる貴重な体験だった。私一人では遠くのリンゲンのデモには参加しなかったと思うが、デモの取材やインタビューの通訳として赤旗の特派員桑野氏に同行させていただき、このデモ参加が実現した。桑野氏に感謝。(ゆう)

©Hakuba Kuwano

ひびが入って絆創膏の貼られたEmsland原発のスイッチを切るアクティビストたち

 

©ゆう

この日の未明まで原発からはまだ煙が出ている

 

北海道・寿都町の最終処分場反対グループへのゴアレーベン市民グループからの連帯メッセージ

2022年9月末

日本・北海道の寿都町が最終処分場建設に向けた政府の調査を受け入れる誘致を表明し、それに反対する運動グループができている(この内容については、詳しく報道している次の北海道放送の動画を参考にしてほしい:「ネアンデルタール人は核の夢を見るか〜“核のごみ”と科学と民主主義」https://youtu.be/N0ciJo7gxPo)このことを知ったビュール(フランスで最終処分場建設が計画されている場所)の反対運動のグループが、 連帯メッセージを寿都町の「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」に送り届けた(フランス・リヨンで活動する「遠くの隣人3.11」が中心となってメッセージを和訳し仲介した)。(そのメッセージは以下のリンクで閲覧可能:https://nosvoisinslointains311.home.blog/2022/10/07/message-de-soutien-aux-habitant-e-s-de-suttsu-depuis-bure/

それで、私もドイツからもぜひ同様の連帯メッセージを貰えればいいと思い、ゴアレーベンのBürgerinitiative Lüchow-Dannenbergの理事会メンバーとアッセの「核のゴミレポート」(Atommüllreport)を発行しているグループ、アッセのArbeitsgemeinschaft Schacht KONRADに連絡をして事情を説明したところ、ゴアレーベンのグループからはさっそくメッセージを貰うことができた。核のゴミレポートからもぜひAG Schacht KONRADと一緒にメッセージを出すからもう少し待ってくれ、という返事が来ている。このゴアレーベンからのメッセージはさっそく和訳し、「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」に送り届けることができたので、そのメッセージを以下に紹介する(この市民団体の説明は最後)。

寿都町の皆さまへ

かつて核廃棄物処分場として選ばれたゴアレーベンで生まれた抵抗運動のグループである私たちは皆様にここに、心からの連帯の気持ちをお届けしたいと思います。核廃棄物処分場探索が、唯一地学的条件だけを考慮して行われることを祈ります。それがどんなに難しいことであるかは、私たちがよく知っていますが、それだけが正しい道です。それを達成する上で、皆様が信頼、勇気、持続力を持ち続けることを祈ります。核廃棄物処分場を決定するまでに村や共同体に与えられるお金は、そこに住む住民たちの生活基盤をかえって悪化させるのだという事実を、皆さんがいろいろな人たちに説得していけることも望みます。

皆さんは今は、広大な砂漠の中で声を上げている孤立した存在のように思えるかもしれませんが、あなた方の勇気、先見の明、そして次に続く世代に対する顧慮はとても重要であると同時に、正しいものです。原子力エネルギーと核兵器のない世界を実現するため、一緒に歩んでいきましょう。

皆様に対し心から励ましと勇気を送ります。

市民イニシアチブ・環境保護リューホフ=ダンネンベルク、ダンネンベルク・フクシマピケ、そしてそのほか世界中の心ある人たちより

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(団体の説明)

市民イニシアチブ・環境保護リューホフ=ダンネンベルク(Bürgerinitiative Umweltschutz Lüchow-Dannenberg):1972年、かつての西ドイツの東ドイツ国境近くに位置したゴアレーベンという岩塩ドームのある土地に核廃棄物処分場および再処理工場などを含めた複合核関連センターを建設するという計画に反対してできあがった市民環境保護団体。ヴェントラントという地域にあるこの市民NGOは千名以上のメンバーを数え、農民たちのグループも含め、長いこと政党などに属さない独立した団体として活発に反原発運動を展開してきた、ドイツの反核運動で長い歴史を持つグループである。ことに使用済み燃料から再処理後、処理できない高レベルの放射性廃液などがガラス固化されいわゆる「キャスク」となってフランスのラアーグなどからドイツに戻される際、その貯蔵方法や場所に対する問題が未解決なままゴアレーベンなどに持ち込まれることに反対して、その輸送を非暴力的に阻止する運動を展開し、何度も話題になった。ドイツ政府はずっとゴアレーベンを処分場候補から外さなかったが、どういう地学的条件で選定するかを定める「最終処分場サイト選定法」が2017年に出来上がり、2020年になってようやくゴアレーベンの岩塩ドームは最終処分場としては不適当であると判断され、最終処分場候補から消された。それでも今もこの市民グループは核のない世界を目指して活動を続けている。

(ゆう)

IPPNWドイツ支部「東京2020ー放射能オリンピック」キャンペーンの報告

2020年夏に開催予定の東京オリンピックはコロナパンデミックにより1年延期され、それで去年IPPNWドイツ支部(核戦争防止国際医師会議)と、ドイツ最大の反原発団体である.ausgestrahltと、私たちSayonara Nukes Berlin(以後SNB)とで共同で行う予定だったアクションが一年延びて、日本が聖火リレースタートを去年と同じ3月25日に予定しているため、23日に記者会見、24日に署名運動で集めた署名リストを日本大使館に届けるというアクションを行った。

日本でも時を同じく東京や福島で反対行動やデモが行われたが、ドイツからもオリンピックの祭りをフクシマがあたかも収束し原発事故が克服されたかのような演出をする舞台に悪用しないことに対する抗議をする人たちがいることを伝えるのは大切だったと思うし、そのためにSNBのような日本人のグループも一緒にいることが必要だと考えて私を記者会見に誘ってくれたことに感謝したい。

IPPNWドイツ支部と.ausgestrahltが書いたNo radioactive Olympicsの声明自体は、詳しく言えば私には賛成しかねる部分もあったが、フクシマの人たちを本当に支え助けるためにお金やエネルギーを使わず、演出と宣伝ばかりにお金を使って、福島第一から20キロほどしか離れていない、東電の作ったJヴィレッジから聖火リレーをスタートさせ、人もまだほとんど戻っていない双葉の駅をピカピカに作って開通し、それであたかも元通りに戻ったかのように見せるために聖火リレーのコースを通過させること、それはそこを通る選手にとって放射線が高いから問題だというよりは、そこに「大丈夫だから住みなさい」と帰還政策で戻され、もとより20倍以上の年間線量を許容するよう強要されている人たちを思えばこそ許すことができないということでは気持ちは同じだと、何度もIPPNWドイツ支部の代表であるAlex Rosenの話を聞きながら確認することができたので、私は彼らとこのアクションを行うことができたのは良かったと思う。

記者会見でSNBを代表したステートメントでは、私は、ほぼおしどりマコさんケンさんが1月末の講演会で話してくれたデータを使った。

ここでは特に日本人を代表し、日本の政策批判と、オリンピック決定の背景について話してほしいと言われていたのだ。私がステートメントを読み上げた後、グリーンピースがJヴィレッジや福島での聖火リレーコースで線量測定を行い、いくつものホットスポットが見つかった数分の画像を流した。


菊のご紋を背景に(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

 

 

 

 

 

 

Sayonara Nukes Berlinを代表してのゆうのメッセージ

『すべては嘘から始まりました。2013年9月、当時の安倍首相はオリンピック招致の舞台で世界に向けてこう宣言しました。「福島はアンダーコントロールです。汚染水はブロックされています」と。 しかし当時も今も「アンダーコントロール」からは程遠い状態なのが真実です。安倍首相が2020年のオリンピック招致で演説した2013年は、地下貯水槽で漏えいが見つかり、護岸エリアで地下水の汚染が発見され、高濃度汚染水を貯留していたタンク群から大量の汚染水が漏えいしました。この2013年8月19日のタンクからの汚染水漏えいはINES(原子力事象評価尺度)で2011年のフクシマ原発事故とは別のレベル3の事故して認定されました。そのなんと十日後、2013年9月に東京オリンピックが決定しました。フクシマはアンダーコントロールだから、というわけです。 しかし東電が2021年1月に出したデータから見ると、原発事故から十年経った福島第一は今も12000ベクレルの放射性物質を大気に放出しています。この放出量は、同等の稼働中の原発の大気への放射性物質放出量と比較すると、通常に稼働している原発が一年に大気へ放出する量の40倍を、福島第一はたったの1時間に放出している計算になります。 安倍元首相とその政府はしかし、福島原発事故はもう過去のことなのだという印象を世界にアッピールするため、是が非でも東京オリンピックを悪用したいと考えました。彼らはそれで「復興オリンピック」と謳っていますが、果たして誰のための「復興」だというのでしょうか? Jヴィレッジはもともと1997年に東電が原子力発電所立地地域の地域振興事業の一つとして出資して建設してから福島県に寄付したスポーツトレーニングセンターです。フクシマ事故後は事故現場の対応拠点となり福島第一で働く人たちが寝泊まりもしていました。事故を起こした原発からは20キロしか離れていません。日本政府がほかでもないここからオリンピックの聖火リレーをスタートさせたいと言っているのは偶然ではありません。彼らはそれにより世界に示したいのです。「ほら、みてごらん、原発事故はもう克服できた! 大したことないのがわかるだろう!」と。 しかし、2011年3月に発令された原子力緊急事態宣言は、今でも発令されたままです。事故を起こした原発の周辺には、2011年3月以来避難命令が解除されていない町や村がいくつもあります。この原子力緊急事態宣言が発令されて以来、日本政府は、事故以前の許容線量を20倍に引き上げて、線量が高い場所にも戻って住むように人々に強要しています。これが彼らの言う「帰還政策」です。避難命令が解除され帰還を促された村や町でも線量が高いのはそのためです。そして避難命令が解除されると、放射線が高いのを恐れたり、昔とはインフラ設備が同じではないから、または以前の仕事に従事することができないからなどの理由で帰還しない場合にも、賠償金の支払いや住宅支援は中止されてしまいます。これまでに、事故前に住んでいた人たちの約1割、それもほとんどお年寄りの方たちしか解除された地区に帰還していません。 いわゆる除染作業というのは、そのほとんどが畑や住宅地域の汚染された土を剥ぎ取り、それをフレコンバッグに詰め込み何列にも並べて積み重ねる、ということだけを意味しています。フクシマにあるたくさんの山々や森は除染などできません。風が吹けば、雨が降れば、台風が来れば、放射性物質はまた除染した場所に戻ってきます。 それでも国や官庁は原発事故の危険性や影響をなるべく見えないようにしたいと、線量測定モニターを外したり、未成年対象の健康調査の規模を小さくしたり、または約1400万立方メートルほどの汚染土をリサイクルしようとしたりしています。彼らはあらゆる方法で、原発事故のマイナスの影響が皆の目に明らかにならないようにしているのです。そのためにはオリンピックは、それをメディア効果よく演出するために適した舞台というわけです。日本政府は原発事故の犠牲者を精神的に、医学的にそして財政的に支援する代わりに、おとぎ話を伝える方によりたくさんの支出をしています。しかし、今はそんな幻想をばらまいている時ではありません。』

Alex Rosen(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

IPPNWドイツ支部を代表してAlex Rosenは以下のような話をした。

『オリンピックが行われれば、世界が日本を注目することになる。その時に、日本は実際に国の中で起きていることを「なかったことにする」「ない振りをする」そして政治的に悪用し、復興という名を与えて違うイメージを与えようとしてはいけない。先ほどのグリーンピースの動画でも見えたように、ホットスポット、高い線量のある場所がいくつもある場所に選手が数時間競技を行うことで健康に被害がある、と私たちは言っているのではない。福島で聖火リレーを行い、また福島県の各地で競技を行うことは日本政府が意図して選んだ象徴的な選択である。東京オリンピックでありながらわざわざ福島でも競技を行うことで、日本政府はフクシマの事故の影響をなかったことに、あたかもかつての日常が戻ってきてるかのような幻想を世界に与えようとしている。私たちはオリンピックそれ自体を批判しているわけではない。しかしフクシマの現実から目を閉じること、ましてはそれ以上に違ったイメージを与えようとすることにオリンピックを悪用しようとしていることに私たちは抗議するものである。』 あとは彼がデモでも話したような、健康調査をしっかり行わなかったことの批判、それでもはっきりと被ばくが原因としか考えられない、ことに甲状腺がんを始めとする例が出ていることを語った。

.ausgestrahltの代表Jochen Stayはハンブルクに住むため、かざぐるまデモには今回演説を予定しながら参加することができなかった人物だ。.ausgestrahltはドイツで最大規模の反原発団体だが、こことはかつて映画「Furusato」のことでいやな経験をしたことがあり、私は彼らの運動の方法を必ずしもいいとは思っていないのだが、Jochenはここでドイツの原子力政策(例えばお馴染みの、脱原発を決定して来年で原子炉自体は停止するかもしれないが燃料棒製造もウラン濃縮も続けて、それをヨーロッパ各国に売っているとか)についての批判などを加えていた。

次の日、24日にこの署名運動はとうとう1万人以上の署名を集めることができたので、それをプリントアウトして日本大使館に届けるときにちょっとしたアクションを計画した。

(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

日本大使館は当然ながら署名を受け取るために大使館職員を出迎えに出すということはないが受付に渡すのならいい、ということで、代表してAlexRosenが重いファイルを届けたが、その前に私たちはティアガーテン側で横断幕やIPPNWが用意した聖火トーチ(炎に放射能マークがついている)などをもって写真撮影するアクションをする届け出をしてあり、そこに20人くらいで集まった。その後でIPPNWはメディアも招いてブランデンブルク門前でもっと演出した写真撮影を行うということで私ももともとは動員されていたのだが、人数は足りているから必要ない、ということになって大使館前で私は別れて自宅に帰ることができた。コロナでなかなか人と会うことがままならない今、デモの時以来初めてまた人とこうして「生」で会うことができるのはかなり新鮮な感じがし、春の気配が濃厚なティアガーテンを友と一緒に気持ちよく散歩することができたので、このアクションは今年のフクシマ関連最後のアクションとなるかもしれないが、なかなか気持ちのいいものになったことを喜びたい。

ブランデンブルク門前で(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

私は十周年のアクション、イベントを終えたら少し第一線から下がりたい、と話していたし、やはり今年もマコさんケンさんの講演会からデモ、その他の講演会の主催やステートメント発表、イベント出演、アクションなどでかなり消耗してしまった。これでやっと責任を果たし肩の荷が下りたとほっとすると同時に、これからの私の運動、社会参加のあり方について考えていかなければならないことを実感する。マコさんには講演会で「2021年の3月12日から本気を出さないと」と言われてしまっている。私にとってもこの十年はいろいろな意味でたくさんを学んだ十年だった。私にとってこのフクシマをきっかけに考えたこと、学んだことは、きっとこれからもどうでもよくはならないはずで、どういう形で私があまり息を切らずに社会参画していけるか、どういう方法なら私はいいと思えるのか、ということを自問していかなければならないだろう。フクシマ事故に凝縮された問題は非常に複雑で、国家がその市民を守ろうとしないばかりか、その市民を裏切り、見棄て、洗脳しようとさえするものであることを明らかにした。日本にも世界にも憂うべきことが山ほどあるこの現在の中にあって私という人間はどう生きていくのか、どう生きていきたいのか、なにをする責任があるのかという問いかけはこれからもずっと続いていくだろう。

(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

それは、私になにか動かしたり変えたりすることができる、というような幻想があるからではなく、今生きている人間としてなにかをせざるを得ない、何もしないわけにはいかないという存在のあり方、姿勢として、考えないわけにはいかないからだ。私が頻繁にSNBを代表して発言してきたため、また私が言い出したことで皆にも用事を増やし、強引な部分もあったかもしれないが、暖かく受け止め、協力してくれたSNBの仲間全員に心からお礼を言いたい。そしてこれからも私たち一人一人ができることを積み重ねていきたいと思う。(ゆう)

 

EURATOM欧州原子力共同体の条約を改正する約束を実現するように求める公開状

私たちSayonara Nukes Berlinは、EURATOM欧州原子力共同体の条約を改正する約束を実現するように求める公開状に賛同署名しました。

公開状ドイツ語原文:
Offener Brief Euratom PDF

(以下はSNBの有志による和訳です)

2020年7月1日からドイツはEU議長国となる。この公開状に署名した機関・グループはドイツ連邦共和国政府が議長となる機会を利用してEURATOM条約の改正を進める具体的な計画を取りまとめることをドイツ政府に求めるものである。

すでに2018年の連立政権合意書でCDU/CSUとSPDはEURATOM条約を「原子力エネルギー利用を将来の挑戦内容に合わせて調整するべきだ」と合意している。さらにこの連立政権合意書の中で将来「新しい原発建設に対しEUからは補助金は与えられるべきではない」としている。私たちはこの連立政権合意書におけるこの合意内容が不十分であることをここに表明するとともに、ドイツ政府に対しEU内で一刻も早く脱原発を実現すべく尽力することをここに求める。ドイツ政府からは少なくとも連立政権合意書の中で約束されているEURATOM条約の改正をEU理事会の議長国である間の最重要課題として推進することを期待する。

EURATOM条約はEU加盟国のエネルギー生産構造のエコロジカルな改革を妨げており、パリ協定の目標に真っ向から対立している。欧州原子力共同体の条約の前書きですでに、「強力な原子力産業を開発していく前提を作るものである」とはっきり目標を掲げており、原子力エネルギーを「経済の発展と活性化および平和の進展の基として欠かせないものである」と明言している。最近ではオーストリアがイギリスのヒンクリーポイント原子炉建設の大掛かりな補助金に対し訴訟を起こしたが、それに対し欧州司法裁判所では「国家による補助に対する規定もEURATOM条約のどちらも、技術的革新を求めるものではない」、従って新しい原発建設に対し国家が補助金を出すということは基本的に欧州条約と両立し得る」とされた。

欧州司法裁判所のヒンクリーポイント新原発計画に関する判決で、EURATOM条約の一義的な方針が確認されたことになる。欧州司法裁判所のプレスリリースでは「核エネルギーの推進の目的、ことに核エネルギー生産の新しいキャパシティを作り出すことに対するインセンティブ作成の目的は、核エネルギー分野の投資を容易にするというEURATOMの目標をカバーする…」と言及している。この判決があったからには、ドイツ連邦政府は行動起こし、EURATOM条約の改正をEU委員会で提案し、審議を他のEU加盟国にも求めていかなければならない。

「ドイツはヨーロッパにおける原子炉安全性においても、国内で脱原発したあとも持続して影響力を及ぼし続けるべきだ」と謳っている連立政権合意書の要求事項は、具体的な脱原発要求と結びつかなければならない。だから「包括的な安全性チェック」と「EUにおける勇気ある拘束力ある安全性目標」を求める要求も重要であるが、EU加盟国の全原発および核施設の即刻の停止を求める明確な要求へとつなげられていくべきである。

2020年後半にドイツがEU議長国を務める間に求める内容

・EU内での原子力推進を終了するため、EURATOM条約の撤回または契約変更に関する具体的な提案をする

・6か月内に上記の撤回または改正を実現するための契約委員会を招集すること

・Euratomの安全指針2014/87をさらに強化し、新しい原発(2020年かそれ以降に操業開始されるもの)が将来、現在の原発の安全基準を満たさなければならない(EPR欧州加圧水型炉など)ようにすること -これまでの30年前の原発建設が始められた当時のものの代わりに -

さらにドイツ政府に対し以下のことを要求する:

・EU内の全原発の即刻停止をアクティブに求めていくこと

・EU条約に、EU加盟国内での新原発建設を禁止する新条項記載を求めていくこと

署名団体・者 >

Deutschland:
.ausgestrahlt
Aachener Aktionsbündnis gegen Atomenergie
Aktionsbündnis Münsterland gegen Atomanlagen
Anti Atom Berlin
AntiAtomBonn
Anti-Atom-Bündnis Berlin Potsdam
Anti-Atom-Initiative Karlsruhe
Anti Atom Koordination Berlin
Antiatomplenumkoeln
Arbeitsgemeinschaft Schacht KONRAD e.V.
Arbeitskreis gegen Atomanlagen Frankfurt am Main
Arbeitskreis Umwelt (AKU) Gronau
Bayern Allianz für Atomausstieg und Klimaschutz
BISS e.V.
Brokdorf akut
BüfA Regensburg
Bund für Umwelt und Naturschutz Deutschland (BUND)
Bundesverband Bürgerinitiativen Umweltschutz (BBU)
Bündnis AgiEL
Bürgerinitiative Umweltschutz Lüchow-Dannenberg
Elternverein Restrisiko Emsland e.V.
EWS Elektrizitätswerke Schönau eG
Greenpeace Energy eG
IPPNW Deutschland
Mütter gegen Atomkraft e.V.
NaturFreunde Deutschlands
Natur- und Umweltschutzverein Gronau (NUG)
Sayonara Nukes Berlin
Sofortiger Atomausstieg Münster
Stop Tihange Deutschland e.V.
Umweltinstitut München e.V.
urgewald
Wolfenbütteler Atom(undKohle)AusstiegsGruppe

 

Bulgarien:
Naturfreunde Bulgarien

Dänemark:
NOAH Friends of the Earth Denmark

Finnland:
Women Against Nuclear Power

Frankreich:
Réaction en chaîne humaine

Österreich:
atomstopp_atomkraftfrei leben!
GLOBAL 2000 – Friends of the Earth Austria
Mütter gegen Atomgefahr
Salzburger Plattform gegen Atomgefahren (PLAGE)
Wiener Plattform Atomkraftfrei

Polen:
Wspólna Ziemia‘ / Association ‚Common Earth‘

Schweiz:
SES Energiestiftung

Spanien:
Ecologistas en Acción
Grup de Científics I Tècnics per un Futur No Nuclear
Movimiento Iberico Antinuclear
Stop Uranio

länderübergreifend:
Don´t nuke the climate campaign
Friends of the Earth Europe
Nuclear Consulting Group

 

フクシマでの聖火リレー開始に向けて、IPPNWドイツ支部、ausgestrahlt、SNBの共同プレスリリース

2020年3月24日午前11時ににIPPNWドイツ支部とausgestrahltとSNBは以下のプレスリリースを共同で公表した。つまり、2020年夏に開催予定の東京オリンピックが1年延期されることが公表される前のことである。当初の計画では、このプレスリリースで批判されている聖火リレーが3月26日の木曜に、事故を起こした福島第一原子力発電所から遠くないJビレッジでスタートされる予定になっていた。

オリンピックの延期に伴い、私たちは引き続き1年間このテーマと取り組んでいかなければならない。2020年東京オリンピックは(まだアンダーコントロールでない)フクシマのためではなく、コロナウィルスのために延期になったからだ。

 

Pressemitteilung von IPPNW, ausgestrahlt und Sayonara Nukes Berlin
Olympia-Show in der Fukushima-Sperrzone
Kritik am Start des Olympischen Fackeltransports am 26. März

https://www.ippnw.de/presse/artikel/de/olympia-show-in-der-fukushima-sperrz.html

ヒロシマ、そしてナガサキから74年目のベルリンの平和の鐘

2019年8月6日、ベルリンでも平和の鐘協会ベルリンIPPNWドイツ日独平和フォーラム・ベルリン、ベルリン市のクロイツベルグ・フリードリッヒスハイン区役所の共催によって、ヒロシマ、そしてナガサキの原爆投下から74年目を迎える追悼記念の行事があった。

クロイツベルグ・フリードリッヒスハイン地区の副区長でドイツ左派党/DIE LINKEのクヌート・ミルドナー・スピンドラーさんは、89年から30年間ずっとこの活動をしてきたが、立ち上げた時代は反核運動が盛んで87年には米露の間で結ばれた軍縮条約の中距離核戦力全廃条約があったが、米露の離脱、兵器を持つ国が増えている。この時代にふたたびこの活動の重要性が増している。大事なのは記憶すること、記念すること、啓発することだ、と述べた。

ノーベル平和賞を受賞したICANのドイツ支部、ICANドイツのヨアーナ・カリピディスさんは、平和が当たり前過ぎて人々が無関心になってきている。意識を高めるためにも、こうしたセレモニーは重要である、と述べ、ウェブサイトを訪ねて私たちの活動も見てほしいと話した。

 

 

2013年の初年度にSNBでも手伝った日本のNGO、アースウォーカーズによる、福島を伝え再生可能エネルギーを学ぶ福島・ドイツ高校生交流プロジェクトが続いており、この日に福島の高校生がベルリンに到着、彼らを代表して2人の16歳の高校生らが自らの体験談を英語で発表した。3.11当時は小学1年生、7歳である。先に発表した里桜さんは、明るい挨拶のあと、当時の体験を振り返り涙が止まらずスピーチを何度も中断した。クリーンエネルギーに携わりたいとの意欲を語る聖真さんは、原発の事故をきっかけに、当時7歳の自分が何が起きたのかわからないままに生活を変えることを余儀なくされた様子を語り、ヒロシマとナガサキのために集まった人々への謝意を述べた。

 

かつての大戦の記憶は薄れつつあるのか、世界情勢は刻一刻と変化している様に思う。このところは日本国内でも中距離核戦力全廃条約をめぐる報道が熱を帯びている。報道では主にINF全廃条約、INF条約などの表現が用いられる。これまでに米露でミサイルの開発、または試験等が繰り返され、双方が批判の応酬を繰り返していた。その結果、米国は昨年10月に条約の離脱を表明し、8月2日にこの条約の失効を迎えることとなった。この条約は核弾頭の中距離ミサイルに限ったものではないが、核兵器の抑止力のひとつとしてもとらえられてきただけに、国連をはじめ、世界の平和団体からの懸念の声は高まっている。

式典の終わりには、犠牲者に思いを馳せるとともに核兵器の廃絶を願って、来場者らが平和の鐘をつく長い長い列をつくった。平和とは、常にそこにあるものではない。先人の苦労とたゆまぬ努力の上に成り立っている。恒久的な平和を目指すためにも、今後ともできることを模索して行動していきたい。


広島市 - 平和宣言【令和元年(2019年)】 http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html
長崎市│令和元年長崎平和宣言(宣言文) http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p033237.html @nagasakimaster

 

 

2018年国際ウラン映画祭ベルリン

2018年国際ウラン映画祭ベルリン(10月9日~14日)

閉会式での記念撮影   Foto: Marek Karakasevic

今年も10月に国際ウラン映画祭が開かれた。去年は松原保監督の「被ばく牛を生きる」と坂田雅子監督の「私の終わらない旅」をドイツ語に字幕翻訳したが、今年は敢えて訳す必要のある日本語の映画はなかったため、私は応募されてきた日本関係の映画を見て推薦することと、ダンスパフォーマンスをオーガナイズするだけにとどまった。オープニングと閉会式(授賞式)だけツァイス大プラネタリウムで、あとは去年と同じくKulturbrauereiで映画上映が行われた。

スペシャルメンションを受賞した森山氏         Foto: Marek Karakasevic

唯一日本からは同志社大学の大学院グローバルスタディーズ研究科で博士論文を書いている森山拓也氏が、トルコに滞在している間に撮ったというトルコの反原発運動がテーマの短編ドキュメンタリー映画「Unsilenced」が出品され、あまり知られていないトルコの市民運動に光を当てたことを評価して「スペシャル・メンション」を受賞した。この短編ドキュメンタリー映画は、安倍政権の売り込みで日本の企業が受注した原発建設に反対するトルコでの反原発運動を、三権分立をなし崩しにしてしまうエルドアン大統領の憲法改正という他人ごとではない政治の右傾化に合わせて取材した作品である。フクシマ事故を起こした日本がやはり地震の多いトルコに原発を建設しようとしていることを日本人として捉え、トルコの反原発デモのシュプレヒコール「沈黙するな、原発に反対」に共鳴し、「黙っていてはいけない、声を出し続けなければいけない」という意味で「Unsilenced」というタイトルをつけた、と森山氏は語っている。だからこそことに日本人にとってはメッセージ性の高いものだ。彼は2016年3月にベルリンを訪れていて、その時にかざぐるまデモに参加してくれたそうである。(彼とのインタビューは文末を参照)

私はかねがね、日本とトルコは今あらゆる意味で類似性があると思っていたが、この映画の中で運動家のある女性がこういう言葉を語っていることが頭に残った:「トルコ人はなんでも『神』に委ねます。すべて、神がいいように導いてくれる、それに任せていればいい、ということで自分の意思でなにかを変えていこうという姿勢がない、それが致命的なのです」言葉は少し違っているかもしれないが、この姿勢も、一神教の強い神はもっていない人が多い日本人だが「お上に任せておけば」「仕方がない」と受け身で、自ら自分たちの住む環境、政治を変えていこう、という人が少ないことに関しては、これも似ていると感じてしまった。トルコでは国民投票でほんの僅かな差で賛成が上回り、憲法改正(改悪)をエルドアンに許してしまったが、そんなことが日本で起こらないことを願うばかりだ。

また日本をテーマにしたものとして、スイス・フランスの監督が製作した「フクシマの半減期(Half-life in Fukushima)」があった。この約1時間のドキュメンタリー映画では、フクシマ原発事故があってすべてを失った農家の男性が、「ここまで失うものをすべて失ったから、もうどうでもよくなった。だから、自分の息子一家はこんな危険な地帯には絶対帰ってきてはいけないが、俺はもう失うものは何もないから、うちに帰るんだ」と言って、線量の高い帰還困難地域に敢えて年老いた父親と二人で帰り、水道さえ繋がっていない孤独な中で、家畜に餌を与え、家族の墓を訪れ、かつての生活がすべて失われた町や森の光景を静かに見守っている松村氏という男性の生活をなんの説明やコメントもなく追った映画である。変な説明や分析が入らないだけ、その虚しさ、やるせなさ、生活や故郷を失うという悲劇が心に沁みる、静かなドキュメンタリー映画だった。

あと特筆したいのは、アメリカが40年代50年代に数々の核実験を行ったマーシャル諸島出身の詩人Kathy Jetnil-Kijinerがその悲劇と核実験の残した傷痕や死の灰の現実を感動的に謳い上げた詩を、圧倒されるような海と空と砂浜の自然の中で読み上げるポエトリー・フィルム、「Anoined(聖別)」だ。ビキニ環礁の壮大で美しい自然の中にまるでSFでもあるかのように建つ、この素晴らしい場所を人の住めない場所にしてしまった放射性廃棄物の墓地とでも呼ぶしかないドームが映る。たった6分の映画だが、とても心を揺さぶる映画だった。

今回は、ウラン採掘と放射能汚染をテーマにした映画が目立った。マンハッタンプロジェクトのためにウラン採掘がポルトガルでも行われたこと、それからグランドキャニオンなど、アメリカ先住民たちの保留地で今、トランプ政権によりウラン採掘が行われようとしていることをテーマにした映画も、その背景が詳しくわかるドキュメンタリー映画があった。ことに、インディアン保留地近くの核実験やウラン採掘計画などは、インディアンに対する差別問題と繋がっていて、とても身につまされるインタビューなどもあった。どこでも核の問題は差別と繋がっている。

また、グリーンランドのウラン採掘計画を扱った映画(Kuannersuit/Kvanefjeld)では今、ウランの採掘計画の賛否をめぐってグリーンランドの住民が真っ二つに分かれているということを知った。原発建設をめぐって住民が真っ二つに分かれる、というのは日本でもよく聞いた話だ。グリーンランドの南部にある原住民の町Narsaqは、世界でも最大級のウランが眠る山のふもとにある。グリーンランドはかつてデンマークの植民地で、現在でも経済的にデンマークに支えられて存在している。それで、デンマークからグリーンランドが経済的にも完全に独立するには、ウラン採掘が唯一のチャンスだと思っている人たちがウラン採掘を支持し、片やウラン採掘が行われたら、その近郊での農業を始め、人々の生活が危険に晒されることになると、自然保護を求めて反対している住民もいる。その二つの議論が平行線をたどっているのだが、こうして賛成推進派と反対派を二分して対立させてしまうのも、核・原子力の特徴なのかもしれない。このドキュメンタリー映画は30分ほどだが、そのほかにもグランドキャニオンやマーシャル諸島などの映像と同じく、圧倒的で神々しい大自然の景色が画面いっぱいに広がり、どうして人はこれを壊し、その内側に眠るものを掘り起こそうとするのか、その底知れぬ人間の欲の大きさに、改めて気持ちが萎えるような感じであった。

マペットのマスコットをもって授賞式に立つ監督二人。  Foto: Marek Karakasevic

今年の映画は一部の短編を除いて、私にとってはドキュメンタリー映画の出来としてはインタビューが多すぎたり、くどかったり、全体的に長すぎたりして去年ほど「これは」と思うものは少なかったのだが、それでも内容としては学ぶことが多く、良心的にこうしたテーマをしっかり扱い、インタビューや調査を続けて発表するジャーナリストがいることをありがたく思うし、同時にこのウラン映画祭の意義を感じた。重苦しくなりがちなこのウラン映画祭の核に関するテーマを、ユーモラスにわかりやすく扱ったことが評価され、マペットショー映画「Freddy and Fuzmo Fix the World」も受賞した。

卓志とマクシム           Foto: Marek Karakasevic
マクシムのパフォーマンス  Foto: Marek Karakasevic

私は今年は映画の字幕翻訳はしなかったが、その代わり10月13日土曜日にはダンスパフォーマンスをオーガナイズした。本当はSNBのメンバーで毎年デモでパフォーマンスをするカズマ(Kazuma Glen Motomura, Bodypoet)が去年から「ぜひウラン映画祭でパフォーマンスしたい」と言っていたので推薦したのだが、あいにく彼は当日ミュンヘンで公演があってベルリン不在、それで彼の代わりに、デモのパフォーマンスでもよく参加し、私たちが主催したProtestivalの時にはWilly-Brandt-Hausでの写真展オープニングの時にカズマと一緒に素晴らしいパフォーマンスをしてくれた皆川卓志君と、カズマの推薦で、チェルノブイリ事故をテーマにダンスパフォーマンスをしているウクライナのマクシムがパフォーマンスすることになった。最初はカズマがProtestivalの時に作った自分の短編動画「Lies & Harmony」を上映し、その後に卓志君が「アベノミクス」をもじりながらAve Mariaを歌ってガスマスクと共に「アベ」を土に葬り、そのあとマクシムがチェルノブイリ事故発生当時の音声を入れたビデオを背景にダンスパフォーマンスをした。合計15分だったが、力強く、評判がよかったので喜んでいる。

映画祭の画面にはSNBのロゴもちゃんと載っています!   Foto: Marek Karakasevic

2018年のウラン映画祭に出品し「スペシャルメンション」を受賞した森山拓也氏に最終日に短いインタビューをした。

 

 

 

 

森山拓也氏とのインタビュー

森山拓也氏(筆者撮影)

―森山さんがどうしてこの「Unsilenced」を作ったのか、経緯を教えてください。

僕はフクシマ事故のあった2011年に初めてトルコを訪問し、それからトルコ語を勉強しに何度も滞在することになりました。日本でもフクシマ事故の後原発問題についていろいろ考えるようになっていて、デモなどにも行ったりしていたので、トルコではどうなっているのか興味があったので、人に聞いたり、調べたりして、だんだん深くトルコの反原発運動について知るようになりました。トルコでは1970年代から原発の建設計画に反対する運動が始まっていたのです。映画は大体2016年に撮影したんですが、フクシマ事故の後、日本がトルコに原発を輸出することに決まりました。それまでに何度もトルコに行き、トルコ語も自由になってきて、グローバルスタディーズを専攻する中、このトルコでの反原発運動を自分の研究テーマとすることに決め、それでインタビューや撮影を始めたので、それがまずこういうドキュメンタリー映画という形になったわけです。

―私はこの映画を見て、フクシマ事故を起こしながらさらに原発を輸出しようとしている日本にとってメッセージのある作品だと思ったのですが、これはもう日本ではどこかで上映されたのですか?

横浜の「横濱インディペンデント・フィルム・フェスティバル」で準優秀作品に選ばれたのですが、残念ながらここでは、優秀作品に選ばれた作品しか上映されないので、実はまだ一般の映画館などでは上映されていません。愛知県のマイナーな映画祭や自主上映会といったところで上映しているだけです。

―森山さんは、2016年にベルリンでかざぐるまデモで一緒に行進してくださったとのことですが、Sayonara Nukes Berlinに対して一言メッセージをお願いします。

フクシマの事故が起こってから、日本でも反対運動は広がったと思います。今でも毎週金曜日に集まっている人たちがいます。でも、日本での一般市民の現状はあまり世界では知らされないことが多いと思います。報道されるのは国、政府の政策や企業の進出、プロジェクトなどで、市民がどのように反対したり、行動しているのか、あまり聞かれない。それで僕も、政府や役人、企業の言っていることではなくトルコの市民の意見を聞きたくて、取材をするようになったのです。だから、Sayonara Nukes Berlinにもそういう日本の市民の実際の姿や意見をドイツでも伝えていってほしいと思います。

上映した作品よりも前に作成した、5分間の短編がオンラインで視聴できるようになっています。映画祭上映作品とはバージョンが異なりますが、興味があればどうぞご覧ください:

https://vimeo.com/180398868

(ゆう)

 

IPPNWドイツ支部キャンペーン”2020年東京「放射能」オリンピック”について

IPPNW核戦争防止国際医師会議ドイツ支部のキャンペーンを日本語翻訳で紹介します。

Tokyo 2020 Die radioaktiven Olympischen Spiele
2020年東京「放射能」オリンピック

2018年7月16日付
日本は世界各地からアスリートを招こうとしています。2020年に東京でオリンピックが開催されることになっているからです。私たちは平和でフェアなスポーツ競争を願うものですが、同時に大変懸念もしています。というのは福島県の県庁所在地でもオリンピック競技が開かれる計画だからです。野球とソフトボールの試合が福島市で開催されるということです。ここは原発事故のあった福島第一原発から50キロほどしか離れていません。2011年にはここで複数の原子炉事故が相次いで起き、放射能雲が日本と周辺の海を汚染しました。この災害と唯一比較できるのはチェルノブイリ原発事故だけです。

これによって生態系と社会は深く影響を受け、それらは日本ではまだ消滅していません。故郷を失ってしまったたくさんの家族、住民がこぞって避難して人のいなくなってしまった地域、汚染土を入れた何百万というフレコンバッグ、放射能で汚染された森林、川、湖。「通常な状態」などに日本は戻っていないのです。

事故を起こして破壊した原子炉もまだまだ危険が去ったわけではありません。今も変わらずここから放射能汚染が出続けています。海、空気、土の放射能汚染は日々増えているのです。大量の放射性物質は壊れた原子炉建屋に今もあるだけでなく、原発敷地にも屋外で放射性物質が放置されたままです。この状況では、もし次に大地震があった場合に人間と環境におびただしい危険を及ぼす可能性があります。放射線災害はまだ続いているのです。この警告はそして、当分解除されることがないでしょう。

2020年のオリンピックの日本での開催にあたり、IPPNWドイツ支部では国際キャンペーンを始めることにしました。私たちは、参加するアスリートと競技を見物する観客たちがフクシマ近郊で被ばくするのではないかと懸念しています。特に放射線感受性の高い妊婦や子供たちが心配です。

日本政府は、このオリンピック開催には最終的に120億ユーロかかると予測しています。しかし同時に日本政府は、避難指示解除後、故郷に帰還しようとしない避難者たちには支援金の支払いを止めると脅しています。

国際的に、放射線災害があった場合に住民は、自然放射線を除いて年間で1ミリシーベルトしか放射線を被ばくしてはいけないと規定されています。フクシマの帰還政策により帰還を促された地域では、住民はそれより20倍も高い20ミリシーベルトまでの被ばくは我慢するように求められているのです。すでに村や町が除染された場合でも、森や山は放射線汚染を「貯蔵」する役割を果たすため、風や天気次第ですぐにまた汚染させられる可能性は高いのです。

この国際キャンペーンを通じて私たちはまた、世界中にまだ一つとして放射線廃棄物の最終処分場すらないことも改めて訴えていく次第です。原子力産業が残す猛毒の負の遺産を安全に保管できる場所はないのです。

オリンピックに対しては世界のマスコミが注目します。これを利用して私たちは、日本の脱原発の市民運動を支援し、世界的なエネルギー政策変換を訴えていきたいと思います。化石燃料と核燃料に別れを告げ、再生エネルギーへ向かわなければならないと訴えます。

キャンペーンでは、世界中の政治家がいかに軍産複合体と一緒になって政策を推し進めているか、より明確に指摘していきたいと思います。

IPPNWは放射能に汚染された地域にあたかも「日常生活」が戻ったような印象を世界に与えようとする日本政府に対しはっきり「ノー」を突きつけます。

このキャンペーン趣旨に賛同する個人または団体は、次のメールアドレスを通じてキャンペーンチームに連絡をくださるようお願いします。
olympia2020[at]ippnw.de

(翻訳:Yu Kajikawa von Sayonara Nukes Berlin)

#IPPNWGermany #IPPNWドイツ支部 呼びかけドイツ語 原文:http://www.ippnw.de/atomenergie/artikel/de/tokyo-2020.html

第6回 国際ウラン映画祭ベルリン2017

2017年10月11日から15日にかけて、ベルリンのKulturbrauereiの映画館で、ベルリンでは第6回目になる国際ウラン映画祭が開かれた。今年はそのプログラムの一環としてツァイスのプラネタリウムで協賛団体である
ドイツIPPNWが「世界の被ばく者」というパネル展示会を催し、そこで数本の短編映画も上映されるというおまけつきだった。

私はベルリンに来てからこのウラン映画祭を何年も一般の観客としてみてきたのだが、これからは積極的に応援していきたいと思ったのは、核・原子力・放射能を巡る問題だけをテーマにした映画(ドキュメンタリー、劇映画、アニメ、短編長編すべてを含む)を集めた世界でも稀なる映画祭があることにとても感銘を受けただけでなく、実際に私も知らなかったあらゆる世界での核に関する問題を提示され、勉強させられたことが少なくなかったからだ。同時に、広島・長崎やフクシマをテーマに、日本だけでなく世界中であらゆる映画が作られ、紹介されてきている。まだドイツでは紹介されていないものも多く、いい作品をここで紹介する橋渡しができるのではないか、翻訳などで協力することができるのではないか、と思っていた。また、去年Sayonara Nukes Berlin(以下SNB)がProtestivalでいろいろイベントをしていた時、ウラン映画祭でもチェルノブイリ30周年を記念したイベントを催したのだが、その時にSNBの代表として私をパネルディスカッションに呼んでくれたことをきっかけに個人的な交流が始まっていたことから、今回のベルリンでの映画祭にもっと強く関わることとなったのである。

でも、私が参加することを決定した理由は実は、もう一つある。去年「最優秀賞」をこのウラン映画祭で受賞した、フクシマを(一応)テーマにしたドキュメンタリー映画を見て、非常に失望したことだ。こんな映画に賞を上げるのか!と憤然としたくらいだった。あまり失望したのでそのことはその授賞式の際、監督とのトークで私は自分の意見も述べたくらいなのだが、この映画ではフクシマの問題というよりは、イタリア人のジャーナリストが個人的に菅直人(以下すべて敬称略)と親しいらしく、なんだか菅直人がそこで「ヒーロー」のように扱われており、そこで菅直人が自宅でくつろぎながら話している内容は、私たちにとってはまったく新しいことでも何でもないのに(これに関しては菅直人は本も出版し、それがドイツ語にも訳されている)、それをあたかも「スクープ」したかのように報告しているドキュメンタリーになっていることに私は面食らったのだった。それで、あまりに日本の事情を知らない人たちが映画を選んでいるからこういうことになるので、これは、もう少し日本のことを知っている人が映画祭のチームに入らないといけないのではないかと思ったのが、私の正直の気持ちだったのだ。

それでSNBとして、日本の映画の紹介に関して援助できることがあったらしたい、という申し出をしたところ、彼らも大変喜んでくれ、それでSNBが協賛団体として参加することになったのは、SNBのミーティングでもいつか報告したとおりである。

Aya Domenig作「太陽が落ちた日」
坂田雅子作「私の終わらない旅」

去年のウラン映画祭後から、2017年の準備に関わるようになり、それまであまり充実していなかったホームページの日本語版を少しずつ訳し始めたり、フクシマをめぐる映画、または日本の監督の作品を推薦してほしい、という要望に応え、新しい映画ではなかったが、私たちがProtestivalでも上映し、素晴らしかったAya Domenigの映画「太陽が落ちた日」と、その前にACUDでSNBが上映した坂田雅子の「私の終わらない旅」を推薦し、彼らに応募してもらって、この二作が上映される運びとなった。

松原保作「被ばく牛と生きる」

また、私とは別のルートで、フリーでドキュメンタリー映画監督、カメラマンとして活躍されている松原保が、「被ばく牛と生きる」というフクシマ事故後、被ばくした牛たちを殺さずに飼い続ける畜産農業に携わる人たちを巡る感動的なドキュメンタリー映画を応募したことを知った。坂田雅子とは二年半前にベルリンで会ってから、個人的に親しくさせていただいていることから、「いつかドイツ語の字幕が作りたいね」と話していたこともあったので、この機会に、ベルリンで上映される時には、やはりドイツ語の字幕があった方が観客には理解されやすいので、字幕を作ることとなった。

また、「被ばく牛と生きる」は、日本語版と並んですでに英語版が出来ているのだが、これも映画祭の方から、できればドイツ語訳を作ってほしいという希望があったので松原監督とコンタクトを取ってスクリプトをいただき、翻訳することになった。二作とも長編の映画で、ナレーションやインタビューシーンが多いため翻訳するテキストは多く、大変な作業ではあったのだが、私にとってはとても勉強になり、そしてやりがいのある仕事だった。もちろん、ドイツ語が母国語でない私は、翻訳を最終的にはいつものように大切な友人Annette Hackにチェックしてもらった。この二作の翻訳を仕事の傍ら完成させたのが9月の頭くらいである。私が関わることになった映画の翻訳を仕上げる上でAnnetteが気持ちよく協力してくれたことにここで改めてお礼を言いたい。

プログラムができ、今回は合計で27本の長編・短編映画が上映されることとなった。今年はブラジルのゴイアニアで起きた放射能事故からちょうど30年前になることから、それをテーマにした映画が多く上映されただけでなく、その記録写真展が展示され、生存者の一人で被害者グループの代表として活躍しているOdesson Alves Ferreiraが来独してその話を語った。そのほか、上映作品の監督が何人も訪れ、その作品の上映後には監督トークが行われた。松原保・坂田雅子両監督もこの映画祭のためにベルリンに来独したので、ここでは通訳を務めた。

このウラン映画祭は、リオデジャネイロに住むドイツ人のジャーナリストであり、自分でもかつてゴイアニアの放射能事故に関する映画を作ったこともあるNorbert Suchanekが2011年に始めたもので、翌年の2012年からはベルリンでも毎年開かれている。私が最初にこの映画祭に注目し始め何本か映画を見に行ったときは、私を入れて二人か三人ほどしか観客がいないようなこともあって、Pankowの映画館で寂しい思いをしたものだが、ベルリンのオフィスを代表して一人で奔騰しているJutta Wunderlichの努力の甲斐あって、去年くらいから規模が少しずつ大きくなってきた。協賛団体も増え、公的な団体、国会議員やベルリン市議会議員なども「後援者」となるほか、スポンサーができたことから、場所もKulturbrauereiの映画館という、町の中心に移ったし、プログラムも充実してきた。イベントを計画して実行に移し、運営することの大変さを、私も去年のProtestivalでいやというほど実感したが、それを続けていくことの意義を思って7年間映画祭をあらゆる困難を顧みず続けてきた人たちの尽力は素晴らしいし、また、SNBのようにそれを協力する人たち、団体たちも増え続けているのはうれしい。私は個人的にも映画が好きで、ことにこうした社会的、政治的テーマをたくさんの市民に訴えていくには、映画という媒体は適していると常々思っているからこそ、これまでもSNBで数々の映画を上映する努力をしてきたわけだが、それで今回からウラン映画祭を積極的に応援できることになって、私としては、自分の興味のある部分、能力を生かせる部分で運動を続けていく、ということがこういう形で実現できるのはうれしいと思った。

SNBのステッカーを手に授賞式で話をする松原保氏
受賞したトロフィーを持つ松原さん夫妻と私

最終日には数本映画が上映された後、賞の発表があった。最優秀賞に今回選ばれたのは「ムルロアから愛をこめて」という、フランスが行った一連の核実験で被ばくした元兵士や軍務関係者をレポートしたフランスのジャーナリストLarbi Benchiha監督のドキュメンタリー映画だった。短編映画最優秀賞にはブラジル・ゴイアニアの放射能事故をテーマにした劇映画Algo do que Fica (Something that remains)が選ばれた。それから今年は特別にBerlin Audience Awardというのが作られて、松原保監督の「被ばく牛と生きる」が受賞した。ジャンクアートを製作するブラジルのアーティストGetúlio Damadoが一つ一つ手作りする賞がそれぞれ手渡されるのだが、私は松原監督に賞を渡す役を引き受け、その時にSNBからのプレゼントとしてエコバッグとNo Nukesのステッカーを数枚贈らせてもらった。その時には舞台でばっちり、SNBが毎年かざぐるまデモを行っていることも宣伝してきた。

授賞式で

外で見ているのと、実際に運営に参加するのとでは大きな違いがあることは当然だが、成長しつつあるこの映画祭にもまだまだ改善の余地が多分にあることも分かった。賞を渡すのは意味のあることかもしれないが、数名でスタートさせた当時よりずっと規模も大きくなった映画祭では、Juryのメンバーも明記して、透明性を持たせるべきだし、今回は一つ一つの映画に「Filmpate」というのを設けて、俳優や舞台監督などにそれぞれの映画を推薦させる、というふうにしたのはいいが、それがあまり効果的に使われなかった(何のためにその人がいるのかわからないなど)、司会や進行などでも「素人的」な発言などが目立ってしまった、監督とのトークなどでも、司会がある程度リードしないと、誰かの発言が長くなりすぎてしまうなど、そばから見ていて気になるところはいくつかあった。

あまり「プロフェッショナル」になりすぎて大げさだったり尊大になったりするのはもっと嫌だから、そういう意味では「素人的」な部分があるのはいいのかもしれないが、こうしてたくさんの人を集めてイベントを行う以上、ある程度の枠は維持しないといけないように思った。でも、SNBでもデモの後、毎回「反省会」をしていることを伝え、この映画祭でもしようと呼び掛けたところ賛同を得、さっそく今週ウラン映画祭ベルリンスタッフで集まって反省会を行うことになっているので、いろいろ話し合い、来年は今年気になった部分を改善した素晴らしい映画祭が開けるよう、私も自分のできるところで努力したいと思う。私は、松原ご夫婦と知り合いになってお話がいろいろできたのが楽しかったし、今次のドキュメンタリー映画(ドイツの脱原発、エネルギーシフトをテーマ)を製作中の坂田雅子を手伝ってインタビューの通訳をしたりして、また充実した時間が持てたので、けっこう疲労はしたが、受け取ることの多い濃厚な時間だった。いい作品を紹介することで、ベルリンの市民に、核・原子力の恐ろしさ、核の鎖を断ち切る以外にないのだということを改めて考えてもらう機会を作ることに貢献できたことを喜びたい。これからも、SNBが「この作品はぜひベルリンでも紹介したい」というような映画があれば推薦し、ウラン映画祭で見られるようにしていければいいと思う。(ゆう)


国際ウラン映画祭 サイト:http://uraniumfilmfestival.org/de

日本語サイト:http://uraniumfilmfestival.org/ja

『太陽が落ちた日/ Als die Sonne vom Himmel fiel』 公式ウェブサイト(英/独):http://www.alsdiesonnevomhimmelfiel.com/

『私の終わらない旅』 公式ウェブサイト(和/英):http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/

『被ばく牛と生きる』 公式ウェブサイト(和/英):http://www.power-i.ne.jp/hibakuushi/

 

 

 

SNBはWerkstatt der Kulturenの解体決定に断固として反対します!

私も最初、Werkstatt der KulturenからのMLでその通知を読んだとき、信じられませんでした。ベルリン市参事会は2017年6月に、1994年に「Wissmannstrasseビール醸造工場e.V – WERKSTATT DER KULTUREN」と締結された「Wissmannstrasseの旧ビール醸造工場利用契約」を2017年12月31日をもって解約する旨を言い渡したというのです。

そこで、関係者、愛好者、ファンが集まって、その廃止決定に反対する運動が始まりました。

WERKSTATT DER KULTURENは開設以来、あらゆるルーツ、文化背景をもつベルリン市民が、その多彩性をそのままに表現をし、同時に政治的・社会的問題を捉えて議論し合い、音楽・芸術・映画・講演などを通して訴えることのできる、素晴らしいプラットフォームとして活動してきました。

去年SNBがProtestivalであらゆるイベントを計画した時にも、ちょうどベルリン在住のジャズミュージシャンである安藤明さんがイニシエートし、Werkstatt der Kulturenで実現することになったFukushima the Aftermathに共催させていただけることとなり、ここで芸術・音楽・言葉を通じてフクシマの現状を提起・議論する場所を設けてもらい、たくさんの観客が動員できたことは、皆さんの記憶にもまだ新しいと思います。ここでは私たちのあらゆる質問や問題の担当者となってくれたRätherさんが、誠意をもって最後まで対応してくれ、すばらしい共同作業を行うことができました。このような場所を与えてくださったことをもう一度感謝すると同時に、この場所がなくなることを認めたくありません。こうした場は、ベルリンにこそなくてはならないもので、これをベルリンがみすみす「廃止」してしまうというのは断固として納得できません。

多彩な文化をそれぞれが持ち寄り、複雑かつ味わい深い社会を可能にし、それぞれの多彩性、違いを謳歌しながら共存する社会を私たちは望んでいます。そのことをいち早く取り上げ、プログラムに反映させてきた存在として、WERKSTATT DER KULTUREN はベルリンだけでなくドイツ全体でも珍しいものです。ここでは旧植民地、移民・難民、差別されてきた(いる)あらゆる少数波グループの問題、その他政治・社会問題をあらゆる文化・芸術・アクション形式にして取り上げ、議論し合うプラットフォームを提供し続けてきてくれました。

どうしてベルリン市参事会が、難民問題やポピュリズムの危険がこれまでよりずっと迫っている今、こうした重要な場を廃止してしまうのか、全く理解に苦しみます。理由を求めても、答えは得られなかったそうです。

皆さんも、この市参事会の決定を拒否し、Werkstatt der Kulturen存続を求めるなら、ぜひ反対のメールを以下のSenatorenに送ってください。また、オンラインでもPetitionにサインできますので、ご協力お願いします。

Elke Breitenbach (DIE LINKE), Senatorin für Integration, Arbeit und Soziales, Senatorin@senias.berlin.de
Dr. Klaus Lederer (DIE LINKE), Bürgermeister und Senator für Kultur und Europa, klaus.lederer@kultur.berlin.de.

オンラインによるペティションはこちら: Online-Petition „Nein zur Abschaffung der WERKSTATT DER KULTUREN

オンラインでなく自筆で署名したい方は、Werkstatt der Kulturenの事務所で、火曜から金曜まで、12時から18時の間、署名が可能です。