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フランス・ノルマンディー地方で行われた「抵抗」フェスティバル参加報告

Les Résistantes „Rencontres des Luttes locales et globales” ‐Terres de Luttes

2022年8月に私は、フランスで高レベル放射性廃棄物最終処分場が計画されているビュールで行われた大きなビュールレスク反核・反原発フェスティバルに参加したが(報告記事:https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2022/08/18/%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%82%af%e8%a8%aa%e5%95%8f%e8%a8%98/)、2025年の今年は、反核・反原発というテーマだけにとどまらず、現在世界で起きているあらゆる社会的政治的軍事的人道的環境・生態的問題点を取り上げ闘い、運動しているグループ、団体を総動員して「レジスタント」(抵抗運動自体は「レジスタンス」だが、レジスタントというのは抵抗するの形容詞でもあり、抵抗する強さ、堅牢さも指し、さらに抵抗する人たちのグループ、という意味にもなる。ただし、なぜ女性系の複数なのかははっきりしない。「闘い」が女性だからか?)という名のフェスティバルに参加した。これは、フランスのノルマンディー地方オルヌ県のサン・イレール・ド・ブリウーズという田舎の村で市民グループTerres de Luttes(土地を守る闘い、とでも訳すか)を主とする主催者により催された。このグループは、土地を不毛にするだけで、自然(大地)にとってもそこで生を営む人々や生物、植物、環境にとっても有害ばかりで無益、反民主的な大計画(土地整備・開発)に反対する各地の草の根の運動の間をつなげ、ノウハウを共有して連帯しているネットワークのような集まりといえようか。

どんな発想から始まったかは知る由もないが、最終的に計画実行されたのは大規模な市民フェスティバルで、これだけたくさんのテント会場や駐車場などを仮設する土地を見つけるのは容易ではなかったはずだ。だから実際に、会場のすぐ隣に駐車場が作れなかったなどの問題点もあり、大きな酪農地をもっている農家の人が提供した土地(通常は牛が放牧される場所)で、開催が可能となったと聞いた。

以下がそのプロモーション動画:

3年前私が参加したビュールレスクの開催に協力したフランスの最大反核団体ネットワークであるRéseau Sortir du Nucléaireがこのレジスタントにも協力団体に入っていたため、反核・反原発テーマももちろん「抵抗運動」としてここで取り上げられていた(ちなみに、このネットワークも含む反原発・反核・処分場反対等の各団体は今年も共同で、9月にビュール地方で規模は3年前よりは小さいものの、最終処分場計画に反対するマニフェストアクションを計画している:La manif du futur : à Bure contre la poubelle nucléaire

信じられないほどのたくさんのイベント(ディスカッション、展示パネル、各グループのインフォスタンド、アクション、映画上映、芝居などなど)がいくつも同時進行であらゆるテントや野外で行われ、その数も種類もあまりにたくさんで、プログラムもはっきり言って見にくく、どこで何が行われていて、自分は何を見たいか、何に興味があるかを探し出すのも一苦労なのは確かだった。それにこのフェスティバルは8月7日(木)から始まり、8月10日(日)まで続いたのだが、そこにその間訪れた人たちの数は合計で約7500人(主催者側の発表)ということもあって、野外トイレの設置や食事や飲み物の提供、子どもの遊び場、救急医療体制、音響技術、はたまた最寄りの駅からの送迎バス(最寄りの駅からはかなり何キロもある)、駐車場(いくつかに分かれている)のロジスティクス、その案内・門番係だけでもたくさんのボランティアを総動員しての大イベントだった。

広いフェスティバル会場にはいくつもの大きなイベント用テントが        建てられていた

私は前回ビュールレスクを訪問した時のように、フランスのよそものフランスのパリのグループ数人と、遠くの隣人3.11のグループ数人とでパリで合流し、2台の車(1台はよそものメンバーの一人の自家用車、1台はレンタカー。車がないとフェスティバルの場所と借りていた休暇用貸家との往復や買い物などができないため)にブースで使う折り畳みの机や椅子、横断幕、資料と私たちの荷物を載せ、さらに4人は電車でノルマンディー地方のArgentanという駅まで向かった。

ここでは、上記のフランスの最大脱原発ネットワークRéseau Sortir du NucléaireとTerres de Luttesにより今回、ヒロシマ・ナガサキ原爆投下から80年ということで、広島平和記念資料館資料調査研究会委員、都立第五福竜丸展示館専門委員も務める奈良大学文学部史学科の高橋博子教授が招かれていた。それで私も彼女と知り合いになる機会に恵まれ、一緒に時間を過ごし、お話をうかがうことができた。彼女はヒロシマ・ナガサキ原爆による黒い雨・米核実験による放射性降下物の歴史的検証という研究を続けてきた方だ(著書に「封印されたヒロシマ・ナガサキ: 米核実験と民間防衛計画」、「核時代の神話と虚像――原子力の平和利用と軍事利用をめぐる戦後史」など)。

このフェスティバルでは、高橋氏の演説、「世界の再軍備に対してどう闘うべきか」というタイトルでの円卓会議への高橋氏の出席、長崎原爆忌である9日の朝は、(私も秋にドイツで上映会を予定している)伊東英朗監督の映画「Silent Fallout」のフランス語字幕付きの上映会(その後の討論に高橋さんが参加)が予定されていた。そのほか、よそものフランスが、広島平和記念資料館、長崎原爆死没者追悼平和祈念館から被爆者が描いた絵を選んでデータとして借り出し、それをA2の大きさにきれいにプリントアウトしてラミネート加工し、キャプションも丁寧に翻訳して、フェスティバル開催中誰もが見られるように展示されることになっていた。

残念ながらパリからArgentanの駅に到着して、駅前で車組と電車組が合流して昼食を取った最初の日から私たちは不運が続いた。2台の車のうち、1台はフェスティバルの会場でよそものフランスと遠くの隣人3.11の共同ブースの設置や、被爆者の絵の展示の準備に会場に向かい、もう1台は食料の買い出しをしてから高橋さんを宿泊先に送り届け、私たちの宿泊先にもチェックインする予定だったのだが、あいにくこのレンタカーが故障してしまい、道中レッカー車を手配して運び込まれることとなった。

私はフェスティバルに向かう組だったが、駐車場の標識がわかりにくく、また駐車場自体が会場からとても遠くて、会場設置用の荷物があるから、入り口まで行かせてほしいという頼みも剣もほろろと厳重に断られ、私たちはなんの陰もない田舎道や土地を強い日差しと高い気温の中、えんえんと歩かされる羽目となった。駐車場からこれだけ歩かされるのでは、若い人はともかく、年配の方やハンディキャップのある方たち、ベビーカー連れの家族などはどんなに大変か、と思われる感じで、しかも人によって説明や指示が異なったり、コミュニケーションが全体に行き通っていないのを感じた。入り口にたどり着いても、そこから反核・反原発・放射性廃棄物処分場建設反対の団体が集まっているブース用テントまで標識もない中をかなり歩き、やっと着いた時には私は半分熱中症になった感じで、しばらく日陰で腰をおろして休憩しなければならなかったが、飛幡祐規さんははるばるパリから車を運転しただけでなく、何度も遠い駐車場から会場を行ったり来たりし、関係者と交渉し、役立たずの私とはまったく対照的な活躍ぶりだったが、この彼女の精力的な活躍は、最後パリに帰り着くまで続いた。

駐車場から会場入り口までなかなか到着しない長い道のりで、          「あともうちょっとだよ」という標識が出た時は思わず失笑

一方、同じころレンタカーが買い物をした後で故障してしまった車組は、車を脇道に入れたまま、レンタカーに連絡したもののレッカー車が来るまで、結局何時間も待たされていたのだった。そんなつもりではなかったため、皆がわずかな飲料水しか持っていなくて、暑い中を杉田さんが最後まで持っていた少ない水筒の残りを皆で分け合いながら飲んだということだった。

というわけですっかり恵まれない星の下で私たちのレジスタントフェスティバルは始まった。次の日、金曜の高橋さんも出席する「円卓会議」(テーマ:「世界の再軍備に対してどう闘うべきか」)は夕方から開始だということで、金曜はゆっくりでかけた。被爆者の絵の展示は、展示用のイーゼルを真似たスタンドが木曜はしっかりできあがっていなかったのだが、それも完成し、見事に並び、思わず立ち止まって説明を読み、絵に見入ってしまう、といった人たちがフェスティバル開催中、続いた。これは私もぜひベルリンでも原爆投下から80周年の今年、実現したかったのだが、ICANやIPPNW、ICBUWなどとも相談したのだが、展示する場所も資金もなく、あきらめたものだ。やはり原爆投下後の写真や被爆者の写真とは違い、実際に被爆した人たちがその体験を絵に描いたものというのはまた別の大きく人の心を揺さぶるものがある。そして大切なのはそれぞれの絵についているキャプションで、そこにその絵をめぐるストーリーが隠れている。広島平和記念資料館と長崎原爆死没者追悼平和祈念館のウェブサイトで見ることのできるたくさんのイメージデータの中から、力強い絵を何枚も選び出し、それをデータとしてプリントアウトし、キャプションも丁寧に翻訳してこれだけ力強い展示会を実現したよそものフランスのメンバーを称えたいと思う。

圧巻だった被爆者の絵の展示。たくさんの訪問者が足を止めて          じっくり見て、説明を読んでいた

次の金曜日に行われた「世界の再軍備に対してどう闘うべきか」というテーマの円卓会議には、もともと予定されていた最初のコンセプトからどんどん変わってしまい、会議に並ぶ面々もかなり増えてしまった、という話を聞いていた。それにしても、テーマもさることながら、きっと自分たちの応援するグループの誰かが出席している、などの理由か、会場は開始前からあふれるほどの人々が入り込み、席が足りずに地面にじかに座り込む若者たちも大勢いた。高橋さんだけがフランス以外から来た方として壇上に並び、彼女は英語で発言するため、同時通訳用のイヤホンなどが貸し出され、ブースにも同時通訳の人たちが並んだ。これだけ盛況に始まったのはいいが、実際に見せられたものは円卓会議でもパネルディスカッションでもなんでもなかった。私のフランス語ヒアリング能力では残念ながらすべてを理解することはできなくて、完全にいろいろな内容が把握できたわけでも、各グループの背景などがわかっていたわけでもないので、後から情報をよそものフランスの飛幡祐規さんや遠くの隣人3.11の杉田くるみさんに補ってもらったことを、ここに記しておく。

モデレーションをすることになっていた男性はいたのだが、その彼も、舞台正面のテーブルに所狭しと座っていた円卓会議「発言者たち」も、自分が参加している、または率先して行っている「闘争」について饒舌にまくしたてるだけで、「世界の再軍備」という本来のテーマで、その数々の世界における武力衝突、戦争、植民地主義的・帝国主義的・構造的レイシズムを推し進めるような政策の共通点や違いを比べることも、根本にある共通の問題を問うこともなく、どう異なる場所や問題を超えてお互いに連帯しあい、「再軍備」を超越することが可能か、という話にはいっさいならなかった。

大体、司会者であるはずの人がいっさいモデレートすることなく、わざわざ日本から招待されてここまで来た高橋氏をしっかり紹介することも、彼女がこの「再軍備」のテーマの円卓会議で発言をすることの意味を語ることもなく、たくさんの世界各地の現在の「武力衝突・戦争に対する市民闘争」をしている人たちの話から浮き上がってしまう形になってしまったことがとても残念だった。しかも、彼女はこのフェスティバルで演説するために、彼女の今回の発言内容はすでに用意されていた英語のテキストが渡されてあったにもかかわらず、同時通訳者はそれをまったく読んでも準備してもいなくて、高橋氏の英語での発言の仏訳は間違いだらけだったと、飛幡祐規さんが嘆いていた。高橋さんの横に座って彼女の次に話をしたのが、Patrice Bouveret氏 (グループObservatoire des armements代表、武装監視市民グループとでも訳すか)だったが、彼の話が唯一、この円卓会議発言者の中で高橋さんおよびテーマに繋がる話をしたと私は理解した。

この司会をしなかった司会者はCoalition Guerre à la guerre(戦争に対する戦争連合、とても訳すか)という連合の代表で研究者のMathieu Rigouste氏という人で、現在は、植民地支配で培われてきた軍や警察の抑圧的暴力的な取り締まり方法が、治安問題における国内の「敵」に対して使われるようになっている、という視点から反軍備、反軍拡を主張しているようだ。このGuerre à la guerre(戦争に対する戦争)というのはもともと、アメリカの哲学者William Jamesが19世紀後半に確立した表現「War against war」の仏訳だ。この表現に対するWikipediaの英語版を読んでいたら、これは20世紀初頭にヨーロッパでも平和主義・反戦運動のスローガンとなった表現であり、平和主義アナキストだったドイツの作家Ernst Friedrichは、これに同調して「Krieg dem Kriege」というタイトルで1925年にパンフレットを出版し、この翻訳がヨーロッパ中に広がったという。彼は1924年にベルリンで反戦博物館(Antikriegsmuseum)を開館し、新しいラジカルな抵抗運動を提唱したという。もちろんこの博物館はナチス台頭でヒットラーが政権を取った1933年に破壊され、Friedrichもベルギーに逃亡せざるを得なかったようだが、彼はWar Against Warというタイトルで本まで出版している。(詳しくはこちらを参照:https://en.wikipedia.org/wiki/War_against_war

ここで提唱された理想を継承する形で、現在ウクライナやパレスチナでの戦争をきっかけに、フランスやEU、そして世界全体が軍拡に舵を切っている状況に対し、これではいけない、その傾向に抵抗していかなければならない、と左派の団体や個人が集まってできたのがこの新しいGuerre à la guerreという連合だそうだ。ここに、反核・反原発の運動も参加すべきだという指摘があり、それに賛同するグループが加わっていくことになったらしい。ただ、この円卓会議はもともと、フランスで反核・反軍備をずっとやってきた前述の武装監視市民グループ(Observatoire de armements)の代表と高橋博子さんが中心になって進めるという計画だったはずなのに、Guerre à la guerreの運動が結びついたことで、この連合の中心的存在であるSoulèvements de la terre(大地の蜂起、とでも訳すか)連帯グループの人たちに、ある意味乗っ取られてしまった感じらしい。それで私の耳にも繰り返し「Guerre à la guerre」という言葉が聴こえた理由も納得できた。ただし、戦争、武装、軍拡に対し、どのように闘い、それを抑止、または縮小して平和への道を築いていけるかどうかのビジョンや、あらゆる武力闘争・戦争の共通の問題を問いただす視線は、ここでは覗えなかったと思う。

名ばかりの円卓会議は超満員だった

とにかく、この名ばかりの「円卓会議」で、唯一遠い国からはるばる招かれてきていて、フランス語話者ではない高橋さんだけが異様に浮く場となってしまったのは、この円卓会議の主催者と司会の完全な失敗であり、高橋氏に対してとても失礼な扱いでもあっただけでなく、「世界の再軍備に対してどう闘うべきか」というテーマにふさわしくないイベントとなってしまった。今、世界各地でどんどん進められている再軍備・軍拡の共通の問題を問いただし、どうやってそうでない平和運動を目指すことが可能か、なにを互いの闘いから学ぶことができるか、どんな歴史からの教訓があるか、議論することができれば意味があっただろうし、すばらしい機会であったはずなのに、残念だったとしかいいようがない。

ただ最後まで耳に残ったのは、「Guerre à la guerre」だった。私は個人的には、Antikrieg、反戦、反暴力、反武装はもっともだが、戦争に対しても戦争・闘い、という表現を用いるのに抵抗がある。この表現には武力的、暴力的な印象があり、不適切に聞こえ、自分では使いたくないと思うのだ。Krieg dem Kriege、戦争に対する戦争、と言ったところで、具体的になにを示すのか? 戦争をやめるためには手段を択ばない、という立場には私にはなれない。戦争をやめるために暗殺やテロ行為を認めるわけにはいかない。「Guerre à la guerre」に参加している人たちがそういうことを主張しているというわけではもちろんないが、戦争に反対するばかりにそれに対し戦争を宣言してしまうと、そういうラジカルなものも許してしまうニュアンスが生まれてしまうので、私にはあまり使いたくない表現だ。とにかく、この「円卓」ならぬ円卓会議は、私にはとても不満なままで終わった。

次の日、8月9日は朝早くからドキュメンタリー映画「サイレント・フォールアウト」(伊東英朗監督)の上映が行われた。これは、私も10月からドイツ各地で上映会を行うべくドイツ語字幕版を作ってプロモーションしている映画だが、フランスでは遠くの隣人3.11.がフランス語字幕版を作り、フランス各地で上映会を行っており、このフェスティバルでもその上映会が実現したのだった。遠くの隣人3.11のメンバーである杉田くるみさんが司会をし、上映後は高橋博子氏がこの映画のテーマ、背景の解説者として話をした。

マンハッタン計画ですでにアメリカ軍は放射線兵器開発をして、人体実験もしていたこと、だからこそ放射能フォールアウトの問題性をアメリカは世界に知られては困ると、できるだけ放射能の影響を矮小化し、隠蔽しようとしていたこと、ABCCも米エネルギー省が管轄していたもので、ヒロシマ・ナガサキでの原爆投下後の調査も、その後のマーシャル諸島での一連の核兵器実験での調査も、次の核戦争の準備のために行われていたのだという、高橋さんの研究結果を踏まえた話が力強く語られた。

左から:ICAN FRANCEのJean-Marie Collin氏、よそものフランスの        飛幡祐規さん、奈良大学の高橋博子さん、遠くの隣人3.11の杉田くるみさん

また、この映画にでてきたように、乳歯を集めることでかなりのフォールアウトの分析ができるのに、それをフクシマ原発事故後に始めようと言い出した人が当初は自民党の福島県議員にさえいたのに、その後その話は姿を消していき、「乳歯を集めることの意味のなさ」を説明する話に取り替わって、福島県を中心に乳歯を集めるという企画は水に流されたことも、話してくれた。「サイレント・フォールアウト」はまさに、アメリカ本土でのアメリカによる核実験による放射能汚染とその影響を調べるために、大々的に乳歯を集めたプロジェクトをある女性医師がイニシアチブを取って始め、分析を可能にしたことを土台にしたドキュメンタリー映画なので、高橋さんの解説はとても大切な補足情報となった。

そしてこの映画は、女性たち(母親)が子どもを守ろうとして立ち上がったことを示すものでもあるが、司会の杉田くるみさんが、日本のフクシマ原発事故後も、母親である女性が主に、子どもたちを放射能から守ろうと、夫(子供の父親)と離れ離れになろうとも自己避難し、一人で故郷を離れ子どもと新生活を始め、差別や非難に晒されても、国・自治体や東電からの援助や損害賠償の欠乏にも耐え、それでも子どもがさらなる差別に遭わないようにとできるだけ名前を表に出さないようにし、子どもを支えながら事故発生後からずっと頑張ってきている、その女性たちに対し大いなる尊敬の意を表したい、と語り、会場の拍手を買ったが、私もまったく同感である。

また、ヒロシマ・ナガサキや、サイレント・フォールアウトに出てきたアメリカによる核実験による被害の話だけでなく、ICAN Franceの男性が、フランスがアルジェリアや南ポリネシア、ムルロア環礁でおこなった核実験の被害についても語って、情報を補足したのは、とてもよかったと思う。

正午になって、たくさんのフェスティバル参加者たちが昼食のための長い行列を作る横で、原爆投下から80年を記念したアクション行列に私も参加し、横断幕を掲げながらフランスのICANなどを始めとする運動家たちと一緒に練り歩いた。ここでは、スティルツ(竹馬のようなもの)で背を高くし、仮面を被った「死神」が鎌で人をどんどん打ち倒していく(要するに倒された人たちはそこでダイイン)というパフォーマンスや、招かれた舞踏家のダンスなどがあった。よそものフランスにいた、今は亡くなってしまったメンバーの一人が、毛糸の残りなどを使って編み、さらに刺繍やパッチワークをして作ったという、オリジナルの素晴らしい編み物横断幕があり、私もそれを持たせてもらって一緒に行進した。この横断幕はそれだけで十分にアート作品なので、たくさんの人が写真を撮っていた。ただ、この日も昼間はものすごく暑く、さらに会場はテントを出ると日陰というものが一切ないので、この日帽子を宿に忘れていった私としてはなかなか辛かった。

夜は、毎晩いくつものテントで遅くまであらゆるコンサートが開かれているようだったが、9日の夜はLGBTQ+の人たちが多いパンクロックといった感じのコンサートがあり、そこでコンサートの合間に高橋さんを舞台に登場させて演説してもらう予定だという。それからその頃、会場のどこかで、原爆投下80年を記念して、ランタンを空に昇らせる、ということだった。最初はどの程度の規模のものなのか、高橋さんの演説がそんなコンサートの会場で聞く耳をもたれるのか、疑問だったのだが、蓋を開けてみたら、それは素晴らしい驚きとなった。

皆が熱狂して踊っているコンサート会場で、舞台のバンドが休憩で引っ込むと同時に、高橋さんを紹介すると言って、その前から高橋さんのプロフィールなどを彼女に直接インタビューして話を聞いていた若いタトゥーも見事な男性(彼もクイアかな)が、それまでに音楽に酔っていた会場の聴衆の熱を冷まさずに、ラップとも思われるノリで高橋さんを紹介し、彼女と通訳の飛幡祐規さんを舞台に呼んだ。そこで熱狂的な拍手と歓声で迎えられた二人は、レジスタント・フェスティバルのトレードマークである拳を上げている「抵抗」のロゴが背後にそびえる舞台で、力強い演説を行った。高橋さんもその熱い歓迎に応えて、演説の前に「音楽がレジスタンスであることがよくわかりました!」と英語でいうと、観衆はまた熱烈な歓声で応えた。それから高橋さんが用意してあった演説(彼女の演説はこちら:https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2025/08/11/80-jahrestag-der-atombombenabwurfe-auf-hiroshima-und-nagasaki-august-2025/)を区切りながら読み、その仏訳を飛幡さんが読んだのだが、その区切りのたびに観衆は最後まで歓声や指笛で応酬していて、こんなにこの反核テーマで盛り上がった演説はこれまでになかったのでは、と思えた。

熱狂に包まれたコンサート会場での高橋博子氏の演説

高橋さんの演説をこのコンサートの合間にするというアイディアは、ビュールで最終処分場計画に反対するグループで活躍しているアンジェルという女性が強く推したからだそうだが、単に「世界初の原爆投下から80年を記念して」というタイトルでは決してこれだけの人が集まらないことが安易に予想されるだけ、こういうところで演説をさせることによって、こういうところでなければ、きっとこのテーマに関する演説を聞くことはなかっただろうというタイプの若者たちにも耳を傾けてもらうチャンスとなったので、まさに大当たりのアイディアだった。ここにいた人たちも、マイノリティーとして差別や弾圧、人権問題に敏感にならざるを得ない当事者であることが多いと考えられ、それだけに高橋さんのスピーチが受け入れられたのかもしれない。

ちょうど高橋さんが舞台で熱狂的な応酬を得ながら演説していているときに、大きな気球が「No Nukes」と日本語で「脱原発」と書かれた垂れ幕を付けて空に上がった。それから、紙のランタンがいくつもいくつも上げられていくのが見えた。高橋さんが拍手喝采を得て演説から戻ったときには、彼女の出番をコーディネートしてくれていた若い女性が「高橋さんが見られるように、最後の2つを取ってあるから、ぜひ一緒にきて」といって私たちをランタンを飛ばしている、少し離れた場所まで連れて行ってくれた。そこで、私たちは高橋さんとともに最後の2つのランタンに火を点けて、空に飛ばすのを体験できたのだった。レンタカーが故障して車が1台しかなくなり、移動が難しくなった私たちを助けて、車での送迎を引き受けてくれていたGuyさんという主催者の一人の男性が、その最後のランタンが空に昇るときに「No more Hiroshima Nagasaki, plus jamais ça!」としっかり声を上げていたのが嬉しかった。

このように、最初はかなり印象が悪く、悪運も続いて始まったレジスタンス・フェスティバルだったが、この9日は長丁場の一日で疲れたことは疲れたが、とてもいい結果となり、高橋さんもわざわざ訪れた甲斐があり、とても喜んでいた。このコンサート会場での演説は、忘れがたい思い出となった。全体的には、確かに問題点が多く残り、不消化気味の、オーガナイズが今一つよくない、大きくなり過ぎたフェスティバル、という印象は残ったが、あらゆる「抵抗運動」を1か所に集めて提示する、というのは興味深い試みだと思う。それも、これだけあらゆる問題が満載している今の世界では、そういう俯瞰図的な視野、全体像を見る試みは必要なはずだ。抵抗しなければならない問題、対処していかなければならない問題は、山積みにあり、増える一方だ。

これまでにもずっとあったあらゆる環境問題は悪化の一途をたどっており、解決されない原発や核廃棄物とその最終処分場計画問題に加え、ウクライナやガザ、スーダンなどで現実に悲劇となっている戦争の実態、それにともなう世界の武装強化、はたまた当たり前のように議論され始めたヨーロッパ独自の核の傘構想がある。あっという間に軍事費のGNPに対するパーセンテージが各国で吊り上がったことは言及するまでもない。同時に気候変動は確実に進んでおり、あらゆる土地の砂漠化、森林火事の増加(ちょうどこのフェスティバルの間も、南フランスの各地で大きな森林火事がニュースとなっていた)洪水や水不足、猛暑記録の更新などは日常茶飯事だ。それなのに、相変わらず石油や石炭は惜しまず使われており、土の地面をコンクリート舗装して覆い、断熱対策をきちんとしないまま大都市のヒートアイランド現象は増加している。飛行機のCO2 の排出量が高いことは知られているのに、ローコストキャリアの運航サービスで、鉄道よりも安上がりに観光のための長距離旅行ができるシステムはいまだに変わらない。グリーンディールとしてEUがかつて掲げていたあらゆるエネルギーシフトのための政策はどんどん骨抜きとなっていっている。

レジスタント直後に開かれていた、プラスチック環境汚染を規制するための国際プラスチック条約交渉も、合意に至らなかった。気候変動の対策に関する各国、EUまたは世界のコンセンサスもできないまま、さらにたくさんの人命を奪い、その人たちの築いている生活、社会、生命線、インフラストラクチャー、住居、農地を夥しいエネルギーを使って破壊する戦争が各地で続けられており、それらに私たちはなんらかの形で望む望まないにかかわらず加担させられている。性暴力、あらゆるマイノリティに対する差別、人権問題、レイシズム、女性蔑視、LGBTQ+差別、そして新植民地主義的思想や支配構造もなくならない。

そして、市民が「抵抗」せずにいられないのは、一部の独裁者、権力者、資産家、グローバル企業などが自分たちの利害獲得や維持のために、環境・生態系を破壊し、資源を独占・消耗し、社会・共同体を破壊し、権力・軍事・経済力で人々の生命を殺傷し、生活手段を奪い、貧困や飢餓を招き、経済的精神的なトラウマを生み出し、一方でその罪も自らもたらした加害の事実も認めないばかりでなく、あらゆる影響・損害を矮小化し、黙殺し、なかったことにするか事実を書き換えようとすることがあらゆる場所とレベルで行われてきて、それに声を上げずにはいられないからだ。そういう意味で、私たちは「抵抗」し、闘って解放と変革・改善を求めていかなければいけないものに囲まれて生きているともいえるし、同時にあらゆる異質の抵抗がその根元で、同等であるべき人間の尊厳に関する「人権問題」なのだということもできる。だからこそ、このフェスティバルのようなありとあらゆる「抵抗」運動を集めて一緒に問題提起しよう、連帯しよう、交流を深めよう、という試みはとても意義あることだと、私は思う。ただ同時に、これだけ多彩多様な運動、グループ、市民たちを集めるだけの意義にふさわしい、交流・発表・マニフェスト・話し合いを可能にするためには、それなりのモデレーションとビジョン、方向性、シナリオが必要だと感じた。

手作りのベンチにはリラックスのシンボルと                    抵抗の拳のシンボルが両方描かれている

私の知る限り、まだドイツではこのようにあらゆる抵抗運動を1つに集中させてフェスティバルの様な場で集まり交流し、意見・情報交換しよう、という試みはまだ行われていない。オーガナイズはかなりカオティックではあったが、それでもこれだけボランティアを集め、あらゆる企画を実現させ、合計7500人もの参加者を集めたのは凄いことだ。資金もかなり必要だっただろうし、ボランティアの数は約2500人いたという。こうしたアクションに情熱をかけ、エネルギーと時間を注いで頑張る人たち(特に若者たち)がこんなにもいることが、まさに今、日々少なくなってきている希望の光であると思った。この光がたくましく育つよう、私も非力ながら私なりの努力を今後も続けていきたいと思った。(ゆう)

私たちにできる10のこと

Sayonara Nukes Berlinは、2013年以来「かざぐるまデモ」を毎年3月に行い、ベルリンから脱原発を訴えている。メンバーのひとりひとりは、前回の投稿で紹介したように、ごく普通の生活者だ。原発なしのエネルギーへの転換は、国の政策や企業の方針に左右されるが、生活者である私たちひとりひとりの声や行動がうねりとなったとき、政府や企業の方向性に影響を与えることができると思う。あらゆる分野において、市民の訴えに応える形で法律や制度が作られ社会が少しずつ変わってきた歴史を見れば、よりよい社会を形成していくために市民運動はとても大切な役割を持っていることがわかる。問題の多くは、突き詰めれば「いのち」「人権」という大きなテーマに行きつく。それがないがしろにされているとき、市民がアクションを起こすことはとても重要なことだ。

「運動する」ことは、特別のことではなく、私たちの生活の一部になるべきだろう。SNSの発達により、いろいろな形態で参加できるようになった。そして、運動に参加することによって、生きていくうえで何を大切にすべきかということを自らもっと考えるようになるし、私たちの考え方や生活のしかたも変革していく。さらに言えば、自らの選択によって生活のしかたを変えていくことも、一つの「運動」なのかもしれない。

そんなことを考えながら、原発のない未来を実現するために、私たちが具体的にどんなことができるのか、メンバーと話し合ってみた。それを「私たちにできる10のこと」としてまとめてみた。

未来のために原発とさよなら ― 私たちにできる10のこと ―

1.エネルギー問題や放射能汚染について関心を持つ
2.チェルノブイリやフクシマを忘れず、家族や友人と原発事故の教訓について会話する
3.エネルギー問題をテーマにした講演会に参加したり書籍を読んで学ぶ
4.ひとつのニュースソースを鵜呑みにしないで、自分で調べて考えてみる
5.エネルギー関係の情報をSNSで共有する
6.原発に反対するデモに参加して共に声を上げる
7.エネルギーを含めた環境問題に取り組む団体を支援する(ボランティア・寄付など)
8.電気を含むエネルギーの節約の工夫をする
9.再生可能エネルギーによる電力会社を選ぶ
10.エネルギーや環境に配慮した政策を提示している候補者に投票する

脱原発を訴えるグループとしてイベントを行うだけではなく、自分たちの日常生活ではどんなことを実践しているかメンバーに振り返ってもらった。ここで何人かのメンバーから集まった実践例を紹介する。

♦再生可能エネルギーの電力会社と契約しています。
♦感情的/扇動的/一方的な情報を見分けて精査する能力を養う努力をしています。そういった情報や精査の過程をとくに賢いわけでもない普通の市民の疑問として友人や家族の目に触れるようにしています。
♦友人と原発事故の様々な影響について直に話すようにしています。

♦再生可能エネルギーの電力を選択しています。
♦エネルギーとは何かという物理の話を議論する集まりをしていました(コロナ前)。エネルギー問題に取り組んでいる人たちでもエネルギーとは何かを知らず(例えばエネルギーの単位は何かなど)、エネルギーとは何かを説明できない場合もありました。そして原発に賛成する側でも反対する側でも間違ったことが共有されてしまったりすることがあったためです。

♦私たちの生活に密着する深刻な問題だからそれぞれの記念日はもちろん、普段からこの問題にまつわる会話を積極的にしてきた。
♦自分の余暇の範囲で、できるだけ信頼のおける専門家の話に耳を傾けるようになった。
♦政治的な発信は時に勇気のいるものだったけど、続けるうちに気づいたら思ったことを何でも言えるようになった。
♦原発に反対するデモに参加している。
♦普段からまめに電気を消して、衣類に気を付けなるべく冷暖房に頼らない工夫をしている。必要以上に家電を購入しないようになった。
♦投票は欠かしたことがないが、ただ投票へ行くだけではなく、周りの友人や家族に声をかけるようになった。
♦再生可能エネルギーによる電力の選択では、代々木公園で環境フェスティバルに参加して各社のテントでパンフレットをもらったり話を聞くなどしてより具体的な選択ができた。

♦あまりたいしたことをやってないので恥ずかしいが、しいて言えば、エネルギー問題の書籍を読んで勉強し、自分で調べて考えるようにしている。

♦わたしの個人の家の電力会社は再生エネルギーの会社にしています。
♦テレビ、ラジオの電源は切っておきます。使い終わったらコンセントから外してます。

♦確実に再生可能エネルギー100%による電力しか供給していない電力会社と契約するのはもちろんのこと、私なりのダイベストメント(投資の反対で投資から撤退すること)を実施し、原子力、化石燃料を扱う企業に出資することをはっきり拒否し、環境に優しいプロジェクトにだけ投資している銀行に口座を変えた。
♦なるべく地元で、無農薬で栽培され野菜・果物を買い、できるだけアフリカや南米から届いた野菜・果物等は買わない。
♦2番にも共通するが、外貨が儲かるからと森林を破壊し大量に水を吸い取って地下水を枯渇させていく南米のアボガド栽培で、水不足をうみ、労働者(子どもも)低賃金・悪労働条件で働かされていることから、アボガドは好きだが非買運動をして、買っていない。

♦子どもたちと原発問題について話してます(息子は興味を持って小学校で原発問題をテーマに作文執筆!)。
♦デモ用のかざぐるまづくりワークショップを小学校を借りて行った(息子のクラスメートも参加)。
♦幼稚園にデモのポスターを貼らせてもらった(保護者がかざぐるまづくりのワークショップに参加してくれたり、先生がデモに参加してくれた)。
♦語学学校のテーマで原発問題を話題にする。
♦エネルギーの節約、できるだけやってるつもりですが、電気のついてるところでまとめて作業するとか、できるだけ昼間の電力を使って調理やアイロンとかするようにしてます。

♦関連のドキュメンタリーがあったら観てみる。
♦センセーショナルなニュースであればあるほどいろんな情報を読んでみます。なるべく別の見方も知りたいので。
♦FaceBookしか使ってないですが、これは!と思ったニュースとかpetitionなどはシェアしてる。
♦毎月引き落としでWWFなどNGOに寄付してる。
♦アマゾンとかの森林を破壊したくないので、なるべく肉は食べない。食べる時はスーパーの安肉じゃなくてマルクトのブランデンブルグ周辺の畜産業者扱いの肉屋で買う。
♦野菜もなるべく遠くから来たのじゃなくて、近くの農園のをマルクトで買う。
♦最安値の会社ではなく、グリーンエネルギーの電力会社と契約してます。
♦在外投票してます。候補者の政策も比べて投票してる。
♦かざぐるまデモには友達誘って毎年参加!

福島の原発事故から10年、被災地がどう変わったかという報道はよく目にするが、私たち自身の意識や生活はどう変わったのだろう?

あなたの意識や生活にはどんな変化がありましたか?

何か新しく始めてみようと思うこと、ありますか?

 

 

コミュタン福島訪問等

 福島の事故から5年以上が経過し、その間自分の中でもいろいろな変化があった。

 特に2014年に乳がんの手術を受け、治療の一環で放射線治療を受けた後は、医療上のことと事故のことという違いはあるものの、「放射線」というテーマに対して、変ないい方かもしれないが、何か一つ肩の力が抜けたような気がする。そんなこともあって、今回SNBさんより「何かこのテーマについて書いてみませんか」とお誘いを受けたときも、何か書いてもいいかな、という気分になることができた。ただ、私はジャーナリストでも、とりたてて博識なわけでもないので内容は稚拙なところがたくさんあると思うので最初にその点だけお断りしておきたい。

 201611月。用事があって日本に帰省するのに合わせ、福島県郡山市に1泊することにした。大きな理由は震災後から毎年クリスマス時期に郡山からほど近い三春町にある葛尾村の仮設幼稚園に小さなプレゼントを送っているのだが、ちょっと早いプレゼントを直接持参しようと思い立ったからである。高速バスやホテルを予約したのち頭をよぎったのが、そういえば武藤類子さんのお住まいがこのエリアではなかったか、ということを思い出し、連絡を取ってみたところ、ちょうどその週末はアメリカから知人の方がいらしているがご自宅にはいらっしゃるということで何度かメールのやりとりをする中で、三春についにできた「コミュタン福島」という施設を見たほうがよいとお勧めいただき、当日コミュタン福島で待ち合わせをさせていただくことになった。

   8時半の郡山行き高速バスに乗ってちょうどお昼すぎ、郡山駅前に到着。急いでホテルに荷物を置いて13時発の「コミュタン福島」への無料シャトルバス(日曜日だけ運行されている)に乗るべくダッシュした。多分13時ちょっと過ぎたと思うが、シャトルバスはまだ出発しておらず、運転手の方も何かちょっとびっくりされたような風で迎えてくださった。。。50人乗りの大型バスには私一人がちょこんと乗車しているだけだったので、なんとなくびっくりされた理由がわかった(私もびっくりした)。30分ぐらい走った後だったか、途中バスが止まったので何事かと思い運転手の方にお尋ねしたところ「この停留所で一応止まることになっていましてね、まあ誰も来ないんですけど、すみませんお急ぎですか?」と申し訳なさそうに答えられてしまった。。。

当日は私一人でびっくり、の車内

 さてそれから10分後ぐらいだったか、ようやく「コミュタン福島」に到着した。武藤さんと、アメリカからいらしていた知人の方もともにいらして、それがシカゴ大学日本文学名誉教授ノーマフィールドさんということをこの時初めて知った。

 さて、「コミュタン福島」とは「福島県環境創造センター 交流棟」の愛称である。

コンクリートでできたシンプルな外観

ホームページには

 ”福島県環境創造センター交流棟は、県民の皆さまの不安や疑問に答え、放射線や環境問題を身近な視点から理解し、環境の回復と創造への意識を深めていただくための施設です。

コミュタン福島には、放射線やふくしまの環境の現状に関する展示のほか、360度全球型シアター、200人収容が可能なホールなどを備えております。

コミュタン福島で得た学びや体験から得た知識や深めた意識を、子どもたちや様々な団体が共有し、それぞれの立場から福島の未来を考え、創り、発信するきっかけとなる場を目指します。”

 と記載がある。

 当日ほとんど事前知識のない状態でさらりとこの「コミュタン福島」を見てみると、入口で福島の事故が起こった時のビデオ、そして放射能とは何か云々(ようは自然界にも存在するとかそういった「安心感」を与えるようなよくある内容)の他に展示の何パーセントかがいわゆる自然エネルギー紹介であることもあり、ちょっと錯覚を起こしてしまいそうな雰囲気となっている。錯覚とは、放射能について正しく学びつつ将来は自然エネルギーについて考え、未来は原子力に頼らない県づくりを、といった前向きなメッセージを感じ取れるような施設に仕上がっている風に思い違いを起こすような、という意味だ。

写真がぼけていてすみません

コンピュータで自分で学べる図書館のような場所がある

 この施設の建設時には武藤さんをはじめとした脱原発に取り組んでいる方々からもいろいろ意見を取り入れますということで話し合いが持たれたそうだ。そういった面で多少の意見が取り入れられたのだと思われるが、ただ冷静になって考えてみると例えば原発事故はまだ収束していない、原発労働者の問題や汚染水の問題等は一切この施設には出てきていない。汚染水の流出などは数値化して毎日更新するなどしたほうが現実味が増すような気がするがそういったものではなく、数値化されているのは福島に観光で訪れた人の人数(震災後観光客足がどう増えたか)だったりで、負の側面を「巧妙に語らない」ようにできた施設といえるかと思う。

放射能に対する知識をつけるような冊子類に交じって、水俣病問題の本やシリア難民についての本が置かれていた。

 あと特出したものといえば、360度全球型シアターで上映されるイメージ映画?というのか、震災、原発事故という災難を超え、福島の美しい四季を西田敏行さんの素晴らしいナレーションで堪能できるシアターがあった。聞いた話によればこの360度のスクリーンを使った施設は世界で2件しかないという最先端の技術だそうだ。。。
 ちなみに施設の建設費は70 億円(南相馬にもある環境放射能センターと合わせて全体で192億円)、年間運営費は9億円×10年 という話で、これは国の復興費からでているそうだ。日本国民はこういうこと知っているのか?と不思議に思う次第。。。復興とは何ぞや。。。

 さっと見学したのち、武藤さんとノーマさんの3人で休憩室にて少しお話しをすることができた。

 個人的なことを最初に書けば、ノーマさんとは今回初めてお会いしたのだが武藤さんとは2度目になる。1度目は2013年に当方のイベントにてビデオ上映をするため東京にてインタビューをさせていただいた経緯がある。武藤さんにお会いする前まで、私の中の勝手なイメージは失礼ながら「長いこと脱原発に取り組んでいらっしゃるバリバリの活動家の方」で、何か変な質問したら怒られそう、とか戦々恐々としていたのだが、実際お会いした時の第一印象がとても柔らかで、それでいて一つ芯の通った素敵な女性、こういう方を「大和撫子」というのだ、と感動したことが忘れられない。知識のない私の稚拙な、どうでもいいような質問に対してもゆっくりと丁寧に、わかりやすく答えてくださる。何よりも私が尊敬するのは、武藤さんの言葉の背景にはいつも「人への愛情」がこもっていると感じさせてくれる点である。武藤さんご自身はもちろん脱原発という確固とした意志を持っていらっしゃるわけだが、例えばその意志が何か相手を傷つけるような場面に遭遇したとしたら、武藤さんは決して相手に自分の意見を強いるようなことはしないと感じる点である。静かに、相手の意見に耳を貸しながら、寄り添っていかれるのだと私は推測する。

 私が悲しく思うのも、攻撃の矛先が国や東電ではなく何故か避難しなければならなかった人たちだったり、県民同士国民同士が争う構造だ。武藤さんの今回のお話の中で例えば「被災者支援の延長を求める人たちはクレーマー扱いとなっている」などのことは、日本人の冷酷さを感じるところである。以前東京の山谷地区で長年ホームレスと活動している方と話しをしたことがあるが、ホームレスについていえば「ホームレスになった本人に問題がある」的な意見が普通にまかり通るのが日本の風土のようである。よくよく思うに、これはホームレスの方に対してばかりでなく、何か社会的弱者の立場にあるような人々に対してよく見られる反応、いわゆる「自己責任」という言葉でばっさり切り捨てるような風土があるように思う。実際私も15年東京で暮らしていた際はそのように思っていた節があるし、そのままずっと日本に暮らしていたらそんな風に思って一生を終えていたかもしれない。今は、例え自己責任があったとして、どうしてそれが「人を助けない」理由になるのか、と疑問に思うようになった。震災を海外ドイツで体験したわけだが、それでもこの出来事は自分の考え方を変える大きなきっかけとなったといえる。

 さて、武藤さんからうかがって空恐ろしいと感じたことといえば、福島県内の小学校5年生は全員「コミュタン福島」へ課外授業として訪問することとなっているそうだ。すでにその取り組みは始まっている。武藤さんのお話しではなんでも水俣病問題の際も小学校5年生がターゲットになっていたらしい。日本の小学校5年生のレベルで、この施設に対して負の側面を見極めることのできる子はどれくらいいるのか、正直判らない。私が訪問した日曜日には数人の家族連れの方がいて、子供たちが「放射能撃退ゲーム(?)」(大きなスクリーンを使って、何か専用の板をかざして放射能に見立てた点やら記号やらから自身の体を防御するといった風なゲームと思われる・下記写真)をしながらキャッキャッとはしゃいでいる様子を見た限り、よほどご両親か教員の方がきちんとした状況を伝えないことには難しいのではと思う。

インタラクティブなシステムを使ってこのようにゲーム感覚で放射能(と見立てた記号物)と遊ぶことができる

 そもそも放射能を安易に撃退できるような術はないと思うが、こういったゲームで何か「自分が撃退できる」ような疑似体験をさせるのはいかがなものか、と考えてしまう。 

 そういう意味で親御さんや教員の皆さんの役割は極めて大きいと思う。子供たちに事故の罪はないから明るい未来を見てほしい、と思うかもしれない(大人自身がそう思いたい)が、このような重大な事故を起こした現実を大人たちにはきちんと伝える義務と責任があると私は思う。特に「コミュタン福島」の館長が原子力村出身、その他IAEAJAEAのジョイントベンチャー施設ということを冷静に見つめれば、いろんなことを「疑ってみる」べきだと思う。

 脱原発の活動において全く先が暗いというわけでもない点ということで武藤さんにお話しいただいたこととしては、ご自身が活動されている福島原発告訴団の活動がようやく実を結んで東電の当時の役員を強制起訴すべきであるという結果を導くことができた点と前新潟県知事の突然の不出馬に混乱を来した新潟県知事選において脱原発を掲げた米山氏が当選したということだ。(その後柏崎市長選では原発容認候補が勝利してしまいましたが。。。)
 強制起訴については活動が実を結ぶというのはうれしいことではあるが、5年もウヤムヤにしている司法制度、国、東電はどうなんだ、という感もある。というかまだ決着していないわけなので大変な道のりと思う。オリンピック、オリンピックと浮かれている場合ではないと思うのは日本から離れた場所に住んでいるからだろうか。オリンピックでよくなったであろう景気を堪能できない身分なので「そんなに大事なこと、すごいことなのか?」と思うばかり。。。

 今年もすぐに6年目の311日がやってくる。不精な私はそれこそ毎日アクティブに日本の状況をネット等で検索しているわけではないが、年を追って原発事故のニュースが目につきやすいトップページに掲載されることは少なくなってきたと感じる。それはただ、決して「56年たって状況が良くなってきた」からではない。下記の201719日放映のドキュメンタリーを見たが5年の歳月を耐え、また状況に戦って来られ、そのエネルギーが今尽きようとしている方々がたくさんいらっしゃるという現実を知るべきと思った。

東日本大震災「それでも、生きようとした~原発事故から5年・福島からの報告~20170109
http://www.dailymotion.com/video/x57x49t
(リンク切れの場合はご容赦ください)

 子供たちの甲状腺がん(疑いを含む)についていえば、201612月までに183人になったそうだ。ニュースではだいたい数字の報告だけの「冷たい」お知らせになっているかと思うが、例えば183人の子供という数値を現実感をもって「想像」しようとすれば、これは小中学校の4クラス分とかそんなとんでもない数ではないか?ちなみに武藤さんたちが20167月より設立した「3.11甲状腺がん子ども基金 」の第一回療養費給付金補助には36件の応募(うち福島県外から9件)があったそうである。

福島第一の模型が飾られていたがなんとなく危機感がない

 この文章を記載するにあたり再度武藤類子さんに数値上の誤り等を修正していただきたくコンタクトをしたところ、

「昨年11月にお会いした後に、身近に甲状腺がんを含めた健康被害が見つかり、また自死などの事象も起こり、やりきれない状況です。それでもおそらく3月までには、刑事裁判が始まると思います(福島原発告訴団の活動,東電の当時の役員を強制起訴)。出来うることを、一つずつやっていくしかありませんね。」という静かで力強いメッセージをいただいた。

 ご自身が福島にて被災され、福島の被災された方々に寄り添いながらいろいろな活動をされる中、心が何度も折れるような大変な状況下をすごしていらっしゃるのに、こうやって一歩一歩前進していこうと心を振るい立たせるのは本当に並大抵のことではない。その原動力は、と思いをはせたとき、思い出すのはコミュタン福島でお会いしたときに話してくださった梨の話だ。

 お知り合いの農家の方で長年梨を生産していた方がいらしたそう。原発事故で放射能汚染され、最初の数年はセシウム値が検知され、心を痛めつつ購入をせずにいたそうだ。それが今年になってセシウム値がゼロとなった旨連絡がき、不安に思いながらも一箱梨を購入されたそうだ。

「もし私に子供がいたら食べさせるかどうかわからない、、、でもねえ、この買った梨を食べたときは(原発事故以前と変わらず)本当においしい~ぃって思ってね、、、」

 ”おいしい~”と話されたときの武藤さんの、複雑な声のトーン。このような”おいしい~” は初めて聞いたように思う。戻ることのできない過去への思慕と悲しみの中にミックスされた「郷土への深い愛情」が静かに響く、そんな寂しくも強い音色だった。

Manami N.

リンク
3.11甲状腺がん子ども基金
http://www.311kikin.org/

大切なあなたの一票を海外から届けよう―在外選挙の呼びかけ

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日本国外在住のみなさん、在外選挙人登録はもうお済みですか?

※2016年に書かれた記事ですが、記事の終わりにある在外選挙を呼びかけるためのフライヤーをいつでもどこでも配布できるよう更新してあります。ぜひご活用ください。今回が間に合わなくとも、この機会にぜひ在外選挙への登録を。(2017年更新)

今年2016年の夏(6月下旬以降)に参院選があります。この参院選は、連日ニュースで伝えられているとおり、野党共闘初の選挙となり、自民・公明とそれ以外の党というかたちで二つの選択肢が明確に提示される選挙になります。私たちベルリン在住の日本人グループSayonara Nukes Berlin(SNB)は、今度の参院選を前に、みなさんにぜひ在外選挙制度を活用していただくよう呼びかけています。

今回の参院選で自公が2/3以上の議席を占めることになれば、憲法改正が現実となってきますし、川内原発や高浜原発につづいて他の原発も再稼働される可能性が出てきます。日本の未来がどうあってほしいか、今回の選挙を機会に海外からあなたの意思を票にのせて送りましょう。

申請から在外選挙人証を受け取るまでに2~3か月かかります。まだお持ちでない方は、ぜひ今から準備をし、夏の参院選に備えましょう。

申請の流れ(総務省ホームページより)

http://www.soumu.go.jp/senkyo/pdf/061025_02.pdf

在外選挙関連申請書一覧(外務省ホームページより)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/senkyo/shinseisyo.html

さらに詳しい情報は下記Q&Aでチェック!

Nさん(81歳・ドイツ在住43年)のおはなし

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『1970年代ドイツで「海外在住の日本人にも投票のチャンスを」という運動を一人で始め、日本に一時帰国した時に当時の自治省の担当者などに会って希望を伝えましたが、何年も何も起こりませんでした。そのずっと後になって、アメリカ在住の大勢の日本人の運動が実り、2000年から海外の日本人も投票できるようになりました。なかばあきらめていた私はすごく喜び、以来1度も棄権したことはありません。私たちは一票で日本の政治につながっているわけですから、この権利を海外でも行使するのはとても大切だと思っています』

 

在外選挙Q&A

Q. 日本と出てくるときに転出届をだしていないのですが、在外選挙人証を取得することができますか?

A. ①在外選挙人証を取得するには、まず市区町村役場に転出届を提出し、日本での住民登録を除籍しておく必要があります。転出届を行わないと日本国内の選挙人名簿に登録されたままとなるため、在外選挙人名簿に登録できません。

②転出届けは代理人でも可能です。代理申請に必要な書類は:

1.パスポートのコピー(出国した日付が確認できるページと、本人確認ができるページ)

2.出国してから14日以上たってしまった場合は、遅れた理由を一筆書いたもの(原則として、1年以上転出する場合は、転出届を出すのが義務なため。)

3.同じ世帯同居人が代理ではなく、一人暮らしだった場合、代理人は上記の書類のほか申請者の委任状の提出が必要。(様式は各市町村のホームページなどでダウンロードできます)

Q. 移転先でまだ在留届を出していないのですが。

A. 在外選挙人登録申請には、在住の地域を管轄する日本大使館または領事館等に「在留届」が提出されている必要があります(オンラインでも簡単に届け出ることができます)。在外公館に出向いて在留届を提出する場合、一緒に在外選挙証を申請することができます。

在留届について(在独日本大使館ホームページより)

http://www.de.emb-japan.go.jp/nihongo/konsular/001zairyu.html#zairyu

Q. 国民年金を払い続けるために、日本に住民票を置いてきたのですが。

A. 日本に住所がなくても国民年金を払うことができます。転出届を出す前に、年金課で「任意加入」の手続きをすれば可能です。

Q. 在外選挙人登録申請は郵便でもできますか?

A. パスポートの提示など本人確認が必要ですので、必ず本人が在外公館に出向く必要があります。

この他にもご質問などありましたら、どうぞお気軽に、sayonara-nukes-berlin@posteo.net までお送りください。

在外選挙呼びかけフライヤーを印刷用にダウンロードする ↓

在外選挙制度2017 呼びかけ更新版_表

在外選挙制度活用の呼びかけ_裏

 

被爆、終戦70年、現在、そして未来

「兵隊が姉の遺体を竹棒でつつきながら焼くところを見ても、涙が一滴も流れず、自分が非情な人間に思えて自分を責め続け、このことがずっと私を苦しめることになった。」

被爆体験を語り継いでいる、カナダ在住のサーロー節子さんは、足の痛みを押して杖をつきながら被爆体験の証言をするためにドイツに来られ、講演の司会者に「広島の原爆を経験し、感情的にどのように乗り越えたのか」という質問に、冒頭こう答えた。

私は自分の持てる限りの想像力でそのときの節子さんの状況を心の中で思い描いてみた。

目を閉じてその光景を描き、自分の愛する家族と置き換えて考えてみた。

でもそれは、また次に訪れる日常の出来事にかき消され、痛みを共有できたように思えたのはほんの一時だった。

でも、節子さんは70年、その痛みとともに人生を送ってこられたのだ。

「ある精神科の専門家に、“人間は悲惨な出来事にあうと、その渦中を生き抜くために感情機能を一時的に遮断する。それは人間的に自然な現象なのだ” と聞いたとき、初めて罪の意識から解放され、自分が泣きたいだけ泣けるようになった」と節子さんは語る。

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ICAN主催のベルリンでの講演会で証言するサーロー節子さん

節子さんは戦後、母校広島女学院の恩師の勧めで、ソーシャルワーカーの学びをするために奨学金を得てアメリカに留学する。

到着してすぐ、広島から来た女学生ということでインタビューを受けたそうだ。

その時に、原爆投下を批判的に語った彼女の元に、たくさんのヘイト・レターが届き、渡米して早々傷つき、悲しみのスタートを切った。

しかしそれにくじけることなく、ソーシャルワーカーとしてキャリアを積み、同時に、生き残った者としての使命を感じて被爆体験と核兵器廃絶を訴えて国連本部を初め世界中で語ってきた。

その原動力とは何かと問われ、彼女はこう答えた。”Demonstrating faith through action” ― クリスチャンである節子さんは、行動を通して信仰を証するという信念が彼女を支えているという。

「世界で唯一の被爆国であり、フクシマ事故という大惨事を起こした日本が、原発を再稼動しようとし、また法案を作って再び戦争のできる国にしようとしている今の日本の状況をどう思いますか?安倍総理に手紙を書くとしたらどんなことを書きますか?」という質問が会場からあった。

「Wake Up! 目を覚ましなさい!そして嘘をつくのはおやめなさい。国民の命を守る政権が、権力と利権のために、国民の命を再び危機におとしめるようなことをしている。国民と十分に話し合わないうちにアメリカと約束をして、国民に不正直になり、憲法を守らず暴走するのは、国民の意思に反することだということに気づきなさい、と言いたい。」

心の底からふりしぼられたような声で節子さんは語った。

壮絶な過去の戦争体験を自ら語るのは簡単なことではない。

生き残った被爆者の方々でも沈黙を続けている人たちも多い。

過去を思い出すことがあまりにも辛いからだ。

だから、思う。

節子さんたち被爆者の方々は単に被爆という日本の戦争被害をアピールするために証言を続けているのではないと。

勇気を持って証言を語り続けるのは、懲りずに核兵器を持ち続けるこの世界へ警鐘を鳴らし、再び過ちを繰り返さず平和な未来をつくるためのミッションなのだ。

広島と長崎の原爆投下という過去を記憶し続けることも。

そのような証言を続ける人たちの努力とは裏腹に、日本はまた戦争に加担する道を歩もうとしている。

いくら後方支援とか国際貢献とか言っても、戦争は戦争だ。ひとたび始まってしまえば歯止めが利かなくなる。

過去の戦争責任をあいまいにしている日本が、再び戦争犯罪の歴史を塗り重ねるようなことをしていいはずがない。

終戦からもう70年、私たちにとっても、戦争の証言をじかに聞く機会はもうあまり残されていない。

私たちは自国の過去の被害だけでなく加害の歴史も直視して真摯に取り組み、「不戦の誓い」を貫くべきである。

もう”意図的な無知”を続けるのはやめて、声に出して語り合おう。

この日はアメリカ人プロデューサー、キャサリーン・スリヴァン さんの作品The Ultimate Wish – Ending the nuclear age-という映画も上映された。

映画ではアメリカで被爆体験を証言し、核兵器の恐ろしさを語り継ぐ長崎の被爆者の女性、フクシマ事故の被災者で避難した女性、また技術者や科学者の証言を通して、核の狂気に私たちは目をつむり続けてはいけないことを訴える。

映画の中である専門家は言う。「核兵器は原発とまったく同じ技術者、科学者でつくれてしまう。」

すなわち、原発を持つということは、核兵器を所持することに等しいのだ。

世界には17,000以上の核兵器があり、これは地球上の人類を滅ぼすに足る量であるという。

それに既存の原発を加えれば、どんなにおびただしい数の恐ろしい爆弾を抱えているかがわかる。

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サーロー節子さんと映画プロデューサーのキャサリーン・スリヴァンさん(中央)

ベルリン近郊ブランデンブルク州の州都であるポツダムは、ドイツが降伏したあと、アメリカのトゥルーマン大統領、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチル首相が集い戦後処理を協議した有名なポツダム会談が行われた場所だ。(現在でも会談が行われたツェツェリエンホーフは日本語オーディオガイド付きで見学することができる。)

会談に出席するためポツダムに滞在していたトゥルーマン大統領は、1945年7月25日、宿舎となっていたポツダムの邸宅から、広島と長崎に原爆を落とすGoサインを出したのだ。

2010年、トゥルーマン大統領が宿としていたポツダムの邸宅前の公園に、原爆犠牲者の慰霊と核兵器のない平和な世界を願って、広島から送られてきた被爆石と石碑が築かれ、ヒロシマ・ナガサキ広場と名づけられた。

広島と長崎に原爆が投下されて70周年でもある今年の7月25日、ポツダムのヒロシマ・ナガサキ広場では被爆者の慰霊式典と灯篭流しが行われる。(詳細は下記ヒロシマ広場をつくる会のホームページをご覧ください。)

異国の地ドイツでも、広島・長崎の原爆のことが覚えられている。

なぜなら、これは現在進行形の人類全体に対する脅威の問題だ、とドイツ人も認識しているからなのだ、と思う。

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ヒロシマ/・ナガサキ広場の慰霊碑に花をささげる節子さん

★サーロー節子さんの証言全文はHibakusha Storiesというサイトで読むことができます。また朝日新聞デジタルにその日本語訳が掲載されていますので、ぜひご一読ください。

Hibakusha Stories

http://www.hibakushastories.org/meet-the-hibakusha/meet-setsuko-thurlow/

広島・長崎の記憶 - 被爆者からのメッセージ(朝日新聞デジタル)

http://www.asahi.com/hibakusha/others/jogakuin/jogakuin-028j.html

The Ultimate Wish – Ending the nuclear age-

https://theultimatewish.wordpress.com/

ヒロシマ広場をつくる会 ホームページ

http://www.hiroshima-platz-potsdam.de/jp/aktuellesjp.htm

写真提供 International Campaign to Abolish Nuclear Weapons(ICAN) Germany

http://www.icanw.de/

秘密保護法案と今後の問題を考える。

今日本で秘密保護法案が国会を通過しようとしています。これに対して各界から反対の声が上がっていますが、何が問題となっているのでしょうか。この法案は基本的に国の防衛機密を守ることを目標に掲げているのですが、その規定が曖昧なため、表現の自由、報道の自由などが侵されるのではないかという危惧があるのです。少し具体的に説明しますと、国家の安全を守るために各行政機関は政令を出して、機密にかかわる事柄や仕事を期限付きで指定し、それを警察庁が法に基づいて監視するという体制ですね。この法に抵触すると、重い場合は10年の懲役刑が課せられます。

問題は、この行政機関による機密事項の指定です。国家の安全を守るための特定機密という言葉はきわめて曖昧で、直接的な軍事戦略上の機密から、それに関連する事業内容も含まれます。たとえばわかりやすいところでは、沖縄の基地で何がおこなわれているのか。これを機密事項に指定することができます。軍需産業の内容ももちろん指定の対象です。今日の軍需産業のハイテク化を考えると、機密事項の範囲は相当に広がるでしょう。

そこで気になるのは、われわれが今問題にしている原発はどうなるのかということです。よく知られているように、原発の現場労働には非常に多くの、しかも重大な問題があります。これが機密事項の対象として指定されれば、ただでさえも闇に包まれている問題がさらに隠されることになります。現場の労働者が何かを訴えようとしても、処罰を受けることになりますし、その情報を受け取った側もやはり処罰の対象になります。つまり、今でさえも原発報道に尻込みをしているマスコミ、ジャーナリズムはもっと口をつぐんでしまうことになるわけです。

そこで疑問が湧きます。そもそも原発は国の安全を守る特定機密に当たるのだろうかという疑問ですね。そこで問題になるのがテロの防止という項目です。ヨーロッパでは常識化していますが、原発はテロの目標として考えられています。このテロ防止のために原発に関する情報を機密事項として指定する可能性は充分にあります。しかもこの指定は国会の議論を通してではありません。法案によると、各行政機関が各自の権限で指定することができるのです。経産省がこの法律を利用して原発報道を規制することは充分に考えられますね。

さらに問題なのは、機密事項に指定された事業にかかわる人物には厳格な適性評価がおこなわれるのですが、この場合本人だけではなく、その家族や同居人も調査されることになります。原発の場合で言えば、小出裕章さんや平井憲夫さんのように内部から告発をしてきたような人物を初めから排除することができるわけです。「原子力ムラ」がいっそう閉鎖的になるのは明らかです。(BK)

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電力供給の市民表決 Volksentscheid

volksentscheid2この日曜日に、ベルリンでは電力供給を電力会社から市民組織に移行させるか否かの選挙がありました。この選挙が成功すれば、今まで電力会社が牛耳っていた電力に関するすべてのプロセス(発電方法から組織としての管理まで)を市民が参加して決められる上に、100%再生可能なエネルギーをフェアに配分できるということで、私も非常に期待していました。
しかし・・・残念ながら選挙は失敗してしまい、ベルリン独自のエコなエネルギーの夢は消えてしまいました。それでも、今回の選挙から学ぶこと、得られたことはたくさんあると思うので、今回はそれについて書いてみたいと思います。

まず、こういう政治参加の形態があるということ自体、私はすごいと思いました。
今回のような選挙のことをドイツ語ではVolksentscheidといい、日本語だと住民(国民)表決、レファレンダムなどというようですが、ピッタリ来る日本語訳が思い浮かびません。そもそも、こういう形の政治参加は日本にはない、少なくとも一般市民の日常生活のなかで起こるイベントとしては稀なのではないかと思います。今回の選挙はベルリン市だけで行われたものなので、便宜上ここでは市民表決という言葉を使います。 Continue reading 電力供給の市民表決 Volksentscheid

ベクレルフリーライフのすゝめ。

横浜の市民測定所の創立者のおひとりである高雄先生から、ほとんどの食品の6割が測定不可・非検出を表す中、この半年の測定で汚染が目立ってきている食品についてお話しいただいた。なめこ、レンコン、銀杏、干し芋、大豆、タラ、栗などがそうだ。他に注意が必要なものは、山菜、タケノコ、淡水魚などがある。森の中の野生動物や植物等に未だチェルノブイリの被害の残るドイツを例に見ても、野山や森林では放射線汚染の被害が半永久的に循環され続けることがわかる。

麦・麦製品、米などに至っては、福島の作物に比べ神奈川の作物の被害が顕著に見られる。これは当時、神奈川の気温の方が東北に比べてあたたかく稲穂が開いていた事などが要因に考えられている。ただこれらは全てセシウムのみの測定結果で、人体に同じく深刻な被害をもたらし、カルシウムに置き換えられ骨にたまるストロンチウムは、その測定も、高価な機械の維持も難しく調査が追いついていない。ストロンチウムがセシウムほど飛距離を持たず、近郊に降り注いだであろう事は、多くの専門家の推測にも見られるのでご存じの方も多いかと思う。

チェルノブイリの被害報告にも、ナッツ系などの木の実、芋(干すことで上がる)などは例があるが、水産物においては海を持たないチェルノブイリは例にならない。タラということでは来場の主婦らからおでんなど加工された食品はどうかとの不安の声も上がった。

この他に日本の緑茶の汚染状況が問題に上がったが、ドイツでもチェルノブイリ以後、自国をはじめとするヨーロッパの一部の食品、中には60000Bqという検査結果を出したものもあったというトルコの紅茶、ドイツではおよそ80%がトルコからの輸入に頼っていると言われるヘーゼルナッツの汚染のその後にも不安が残る。セシウムの半減期は30年。30年を経ても半分の数値が残るということだ。ドイツの測定所は現在ミュンヘンに残る一か所で、放射線防護協会のデアゼー氏の話によると、ドイツでは既にこれらの調査は打ち切られているそうだ。同じく氏の話によれば、ドイツに輸入される日本食品は日本で定められた基準値が守られ、諸外国からの食品においてはドイツの基準値で輸入されるとあったが、報道によると現在ではドイツ水際での測定は5%とほとんどされていない。こうした中、高雄先生が話された通り、測定所ができる事は測定結果の発表をしていく事だけだ。数字を見て何を思うか、どう選択していくかはあくまで私たち個人の問題なのである。

先日は長男を連れて2週間ほどの一時帰国、日本は秋の味覚を楽しんでいる真っ最中であった。レストランや電車のつり広告にも、秋の味覚をうたった色とりどりのメニューが並ぶ。私にとっても好きな物ばかり。しかしながら不安とむやみにたたかう事を避け、話にあった食品をはじめ、水産物に至ってはまったく摂取を避けて過ごした。高雄先生のお話を聞き、全ての食品が汚染されているわけではないのだとわかり、気持ちが和らいだ。高雄先生も私たちも人々の不安をかき立て煽る事を目的として、こうした活動をしているわけではない。ゼロとはいくまいと思う。だが少しの知識と努力で回避できる事は多い。住んでいればこんなことはやっていられないはずとあきらめないで欲しい。私もここ、ヨーロッパはドイツに居住をおいても気を付けている食品のキーワード群がある。チェルノブイリの汚染も未だ終わってはいないのだ。

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滞在中、妹夫婦に連れられて港北のセンター北にある自然食品を扱う「ナチュラル&ハーモニック レストラン&カフェ コア」(http://www.naturalharmony.co.jp/coa/20110927coaLP.html)にて、話には聞いていたベクレルフリーなディナーをご馳走になった。多彩な調理方法で自然栽培された野菜それぞれの味が生きたこちらのワンプレートは、視覚にも美しく、大変おいしかった。何より、滞在中に食べたどの名店の食事より、心安らかに味わえた。このレストランに併設されたショップでは、非検出、もしくは基準値以下の検出を全て明らかにした野菜や果物、スイーツも各種販売される。詳細はHPにてご確認いただきたい。(http://www.dreamnews.jp/press/0000047660/

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一部の企業の宣伝をするつもりはないのだが素直に嬉しいと感じたので、数年前から首都圏での人気を博した男前豆腐店(http://otokomae.jp/index_jpn.html)。直営店でなくとも巷のスーパーに商品が並ぶようになり、いずれもおいしく、パッケージも洒落ている。本社を京都に構えるこの豆腐会社の商品ラベルに放射能検査済み“の文字。HPではゲルマニウム半導体検出器検査結果の詳細を紹介している。こうした各社の真摯な企業努力に惜しみなく応援と感謝の意を表したい。

高雄先生のお話では、食事会の開催などベクレルフリーレストランを応援するも、だからと言って店に来客が増えるなどの反響が少ないため、努力してくれる店舗の拡大を妨げているようだ。私の周囲にも日頃から気を遣い、通販の野菜などの購入に踏み切った家庭も少なくないが、やむなく一般のレストランで食事する例が多い。お近くのベクレルフリーレストランで、家族そろって心からおいしい食事を楽しんでいただきたいと思った。私たちがこうした選択をする事は、真のベクレルフリーライフにつながりはしないだろうか。R

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・横浜市民測定所 http://www.ycrms.net/

・日本全国での測定結果の統合を目指すフォーラム http://minnanods.jimdo.com/

The L and R problem

Sayonara Nukes Berlinはメンバーの他、様々な人たちの参加・助けをいただいて活動している。先日、いつも我々の活動を手伝ってくださるミュージシャンのManami.Nこと長針真奈美さんのライブがあったので行ってみた。

Berlin のFreunde Guter Musik e.V.主催の社会派作品を集めた3日間にわたるライブ・イベント Relevante Musik – Festival of Political Media Art, Performance and Musicだ。こういうイベントが企画されて、普通の学生や社会人がたくさんやってくるのがいかにもベルリンらしい。日本だったら、ちょっとでも政治色が出ると敬遠されてしまうだろう。

Manami.N さんは日本で一般企業に勤めるかたわらバンド活動をしていたが、ある日突然ドイツ人の音楽関係者から、「君たちの音楽はおもしろいからドイツに来てライブをしないか?」とコンタクトがあり、お金を貯めて、2003年にライプチヒ、ケムニッツ、ハンブルクでライブを実現させた。それからベルリンが気に入って、2006年に日本からベルリンに本格移住。エレクトロニック・ミュージック、ゲーム音楽などの制作に携わっている。

そんなManami.Nさんが原発のこと、エネルギーのことを考えるようになったのは、やはり3.11がきっかけだという。知れば知るほど疑問が湧く原発問題。未来の世代に対して無責任なこの原発政策を推し進めてきた日本。福島第一原発事故という大惨事を起こしたにもかかわらず、命を一番に優先するという誠実な対応に欠ける国と東電。権力・官僚・経済の癒着で脱原発に潔く移行する決断ができない国。なぜそうなのか。

Manami.Nさんはその源泉をたどってみるべく日本の歴史的事実を拾い上げて調べてみた。そこでひとつの共通点を見つけた。それは、福島の問題と戦争責任の取り方は、その精神構造が似ているということだ。犯した重大な罪に対する贖罪の意識なく、犠牲者の痛みに寄り添わず、なし崩し的に何もなかったかのように背を向ける。

今回のライブで初披露した作品 『The L  and R problem』は、流れる映像とともに、日本が包み隠したい出来事を淡々と、しかしそのことを見つめていくという覚悟のようなものが感じられる声で歌う、なかなかお腹にずっしりくるものだった。

心で感じていてもなかなか発言できないことを、外国に住む日本人の視点で、作品を通して発信していくことが、表現者としての役割であるとManami.Nさんは最近強く感じている。これからまたどんな表現が彼女から生まれるか楽しみだ。

 

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ライブの様子、今後の活動予定などはManami.Nホームページをご覧ください。

http://manami-n.com/