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ヒロシマ、そしてナガサキから74年目のベルリンの平和の鐘

2019年8月6日、ベルリンでも平和の鐘協会ベルリンIPPNWドイツ日独平和フォーラム・ベルリン、ベルリン市のクロイツベルグ・フリードリッヒスハイン区役所の共催によって、ヒロシマ、そしてナガサキの原爆投下から74年目を迎える追悼記念の行事があった。

クロイツベルグ・フリードリッヒスハイン地区の副区長でドイツ左派党/DIE LINKEのクヌート・ミルドナー・スピンドラーさんは、89年から30年間ずっとこの活動をしてきたが、立ち上げた時代は反核運動が盛んで87年には米露の間で結ばれた軍縮条約の中距離核戦力全廃条約があったが、米露の離脱、兵器を持つ国が増えている。この時代にふたたびこの活動の重要性が増している。大事なのは記憶すること、記念すること、啓発することだ、と述べた。

ノーベル平和賞を受賞したICANのドイツ支部、ICANドイツのヨアーナ・カリピディスさんは、平和が当たり前過ぎて人々が無関心になってきている。意識を高めるためにも、こうしたセレモニーは重要である、と述べ、ウェブサイトを訪ねて私たちの活動も見てほしいと話した。

 

 

2013年の初年度にSNBでも手伝った日本のNGO、アースウォーカーズによる、福島を伝え再生可能エネルギーを学ぶ福島・ドイツ高校生交流プロジェクトが続いており、この日に福島の高校生がベルリンに到着、彼らを代表して2人の16歳の高校生らが自らの体験談を英語で発表した。3.11当時は小学1年生、7歳である。先に発表した里桜さんは、明るい挨拶のあと、当時の体験を振り返り涙が止まらずスピーチを何度も中断した。クリーンエネルギーに携わりたいとの意欲を語る聖真さんは、原発の事故をきっかけに、当時7歳の自分が何が起きたのかわからないままに生活を変えることを余儀なくされた様子を語り、ヒロシマとナガサキのために集まった人々への謝意を述べた。

 

かつての大戦の記憶は薄れつつあるのか、世界情勢は刻一刻と変化している様に思う。このところは日本国内でも中距離核戦力全廃条約をめぐる報道が熱を帯びている。報道では主にINF全廃条約、INF条約などの表現が用いられる。これまでに米露でミサイルの開発、または試験等が繰り返され、双方が批判の応酬を繰り返していた。その結果、米国は昨年10月に条約の離脱を表明し、8月2日にこの条約の失効を迎えることとなった。この条約は核弾頭の中距離ミサイルに限ったものではないが、核兵器の抑止力のひとつとしてもとらえられてきただけに、国連をはじめ、世界の平和団体からの懸念の声は高まっている。

式典の終わりには、犠牲者に思いを馳せるとともに核兵器の廃絶を願って、来場者らが平和の鐘をつく長い長い列をつくった。平和とは、常にそこにあるものではない。先人の苦労とたゆまぬ努力の上に成り立っている。恒久的な平和を目指すためにも、今後ともできることを模索して行動していきたい。


広島市 - 平和宣言【令和元年(2019年)】 http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html
長崎市│令和元年長崎平和宣言(宣言文) http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p033237.html @nagasakimaster

 

 

ヒロシマとナガサキ原爆投下70年/70 Jahre Atombomben auf Hiroshima und Nagasaki

SNBの活動を立ち上げて以来お世話になっているベルリン在住のジャーナリストのふくもとさんも運営されるポツダム・ヒロシマ広場をつくる会(Hiroshima-Platz-Potsdam e.V. )の開催で、去る7月25日にベルリン市から電車で20分ほど郊外にあるポツダム市内の、ポツダム会談時に米国トルーマン大統領の宿泊先であった邸宅前にあるヒロシマ・ナガサキ広場にて、原爆投下70年の追悼式典が行われた。

バス停もヒロシマ・ナガサキ広場(Hiroshima-Nagasaki-Platz)

この日は15時から、ポツダム市に住む芸術家たちによって共同運営されている工房で、親子で参加できる千羽鶴のための折り鶴と灯籠のワークショップも開催された。快晴には恵まれたものの、強風にあおられながら、参加者たちは黙々と灯籠づくりに精を出した。広島市からも二人の参加者の姿があった。

工房のカフェには美味しい手作りケーキ。お茶の後では実にエコロジーな方法で各自が水を張った桶で皿を洗った。
ヒロシマ・ナガサキ広場の記念碑には千羽鶴が置かれ

19時からの式典ではヒロシマ、ナガサキについてのそれぞれの思いが交錯する演説が続いた。ポツダム市の市議で緑の党に所属するマッティアス・クリップ氏(Matthias Klipp) は演説の途中「日本がこの戦争を起こした事も忘れてはいけない」と、日本でかつての戦争について語られるときに忘れられがちな、とても大切な事をおっしゃった。くれぐれも単純な比較をしてはいけないが、ともに敗戦国のドイツと日本では戦後の歩み方がまるで違う。私の長男は今年15歳になるが、自国の過ちを学ぶ教育制度とは別に、ドイツの学校では授業内容が教師に委ねられていることから、結局、様々な教科で毎年のようにドイツの戦争責任を学んでいる。2013年に福島市から8人の高校生らが脱原発を学ぶプロジェクトと称しベルリン市を訪れた。プログラムの一環で、ベルリン市内のカニジウス高校の日本語クラスの生徒らが「大戦後の平和教育についての学校の役割と歴史認識」というタイトルでドイツの戦争責任についてパワーポイントを使って発表してくれた際、福島の高校生のひとりからこんな質問の声が上がった。

ベルリン市内のカニジウス高校でドイツの戦争責任の取り方を学ぶ福島市の高校生ら(2013年8月20日撮影)

「ドイツでは戦争犯罪者のお墓や記念碑がありますか」

―もちろん人が死んでいるのだからどこかに墓はあるだろう。でも僕たちはそれを知らないし知る必要はないと、カニジウス高校の学生から即座に回答があった。終戦記念日に、戦争で亡くなった日本人の為に祈る日本と、戦争で死なせた被害者の為に祈るドイツ。この違いについて関心を持たれた方があれば、それぞれについて学んでみて欲しいと思 う。

※ドイツでは祈るという事はたいへん宗教的な意味合いとなるため、ドイツ語にした場合、直訳では”考える”が正しい表現にはなります。

※広島、長崎の原爆投下にともなう被害を矮小化する目的はなく、そのための式典を批判する意図もありません。非道な原爆による体験を継承するべく尽力されてきた方々に心より感謝しています。また終戦記念日に日本人のために祈ることを批判するものでもなく、すべての日本の方が日本人のためにのみ祈っていると限定するものでもありません。一部の有識者による良心的な演説や試みがあることも理解しています。

 

 

 

 

 

 

さて、ベルリンの夏時間は日暮れも遅い。21時より、ポツダム市内のグリープニッツゼー(Griebnitzsee)の湖のほとりで、関範子氏とシュテッフェン・フィントアイゼン氏(Noriko Seki, Steffen Findeisen) のパフォーマンスが始まった。

この後の灯籠流しはあいにくの強風で大変難しいものとなったが、家族や友人らと共に暗闇に吸い込まれゆく灯籠にヒロシマ・ナガサキの死者への追悼の思いを馳せた。

この日、早めに記念碑の前に到着した私たち家族はベンチに座って軽食をとっていたのだが、中年のドイツ人カップルが角のアイスクリーム屋からアイスを手に歩いて来て、私たちを不思議そうに眺めながらふと記念碑に足を止めた。男性が記念碑の文字を読みあげ、「これは日本から運ばれたヒバク石だ」と云った。女性が少し退いたあとで、男性が「今はこの石には危険はない」と読むと、二人は並んでしばらくそれを眺めていた。おそらく記念碑が設置されてからと云うもの、何度もこう云った場面があったのだろうと思いを巡らせると、思わず目頭が熱くなるのだった。

最後になるが、ふくもとさんから戴いたメッセージから以下を拝借する。

近くでアイス クリームを買ったこどもたちが記念碑の周りでアイスクリームを食べたりしている。
こうして日常化してきているし、日常の生活の場で戦争や平和の問題に接することがたいへん大切だと思っています。

私はふくもとさんの意見に賛成で、日頃から家族や友人、子どもたちと平和について分かち合って行きたい考えだ。

また、かつての戦争について省みる事を忘れずに語り継いでいく事は、今後の発展的な未来づくりのためにも私たちに課せられた大切な使命の様にも感じる。

今年は戦後70年と云う節目の年である。日本の現状を憂えてばかりもいられまい。今年は特に日本の現況や過去の戦争に鑑み て、この機会に戦争や平和についてみなさんと一緒に考えていけたら良いなと思う。私たち在外邦人らも日本で活動するみなさんと共に手を取り合い、今後とも日本の様々な活動を支援していきたい。

ポツダム会談が行われたポツダム市内のセシリエンホーフにて。

”アベ政治を許さない”

日本では多くの憲法学者が憲法違反だと指摘し、国民の大多数が反対している「安全保障関連法案」が7月15日に強行採決されたことを受け、この安倍政権の暴挙に対し日本では作家の澤地久枝さんの発案で、この法案に反対する新しい試み「アベ政治を許さない」一斉行動アクションが行なわれた。日本の第2次世界大戦の終戦記念日である8月15日(土) にドイツのさようなら原発デュッセルドルフの呼びかけで、国内外問わず、再びこのプラカートを表明するアクションを行う。このイベントはどなたもその場で参加することができる。デュッセルドルフではK20美術館前で、ドイツ時間の14時に作家の北原みのり氏らと声明を読み上げる予定。IWJの中継もあり。

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ふくもとまさお:
ドイツ・ベルリン在住。1985年東ドイツへ渡り、邦人企業に勤める。東西ドイツ統一後、会社を共同経営、フンボルト大学非常勤講師などを経て、フリーライターとなる。著書に「ドイツ ・低線量被曝から28年チェルノブイリはおわっていない」、今月6日に発行されたばかりの「小さな革命 東ドイツ市民の体験」 (共に言叢社) がある。この近著にドレスデン空襲体験者の話も書いており、その和解の試みについては8日発行の岩波書店「世界」9月号にも記事を投稿。

暮らしから考える『小さな革命 東ドイツ市民の体験』 フリージャーナリスト ふくもとまさおさん(58)

「ナチズムの反省から地方分権を徹底し均衡経済を打ち出したドイツから日本を見ると、日本はまだ経済成長期のままのように感じる。原発が必要なのは誰なのか。長い目で捉え、市民の暮らしから考えることが大切なことを、二冊の本で訴えたかった」。書名の「小さな革命」とはそんな思いで立ち上がった人たちの思いや行為のことだ。

(東京新聞Tokyo Web/2015年8月9日版より一部抜粋)

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こちらはおまけ。ベルリンの活動でお世話になっているジャーナリストの永井潤子氏が日本で開いた勉強会の文字起こしを発見。
「戦争責任に向き合うドイツと目をそむける日本~被害国に受け入れられたドイツの戦後補償の歩み~」
永井潤子:
ジャーナリスト。1972年から1999年3月までドイツ国際放送の日本語放送記者としても活躍。近著に在独歴40年放送記者歴50年を紡いだ「放送記者、ドイツに生きる」がある。