6月2日日曜日の環境フェストUmweltfestivalのスタンドの場所は下の図の110番になります。ほぼブランデンブルク門西側前になります。
ベルリン横断自転車デモルート詳細
9.3 Anti-Atomkraft-Demo ベルリンから日本へ、脱原発デモ
昨年夏、日本に一時帰国の際、矢も楯もいられず生まれて初めてデモ行進に参加した。さようなら原発集会の企画する毎週金曜の首相官邸前デモと、代々木公園から都心を3時間練り歩く大規模なデモだ。ある金曜のデモでは、夏の雨の降りしきる中、ファッショナブルで洗練された若い男女、ベビーカーの乳幼児から高齢者に至るまで、本当に様々な人々が各々のプラカードを掲げ、原子力発電所の再稼働反対の声を上げた。
また、3時間のデモ行進は、7月の半ば。12歳の長男は途中何度かコンビニエンスストアに飲み物やアイスを買いに走り、小休憩を取っては列に戻った。2万5千人とも、5万人とも言われているが、福島の事故を経て原子力エネルギーに不満の声を上げる人々の列は何度の休憩を経ても途絶えることなく夕刻まで続いた。そこにはかつての学生運動のような荒々しさはなく、列に加わる人々も、沿道から声をかける人々も、みな笑顔で、爽やかではつらつとしたものだった。思いもかけず何度も息子に励ましの声がかかった。主にお年寄りからの労いだった。今でも表参道の行進の事を思うと胸が熱くなる。
国外に住む日本人の間でも、日本の現状について不安を訴える声は日増しに大きくなっている。様々な事情により、自分の故郷を離れてはいるが、故郷の事を忘れる人間はいない。今年の年明けに、いろいろな思いが錯綜し、ついには自分の中で解決することができなくなった。その足で、ひとり警察署に出向いた。ベルリンでも反原発デモをやろうと決めた。
3月9日は、東京でさようなら原発集会の大規模デモが計画されていたので、日本にエールを送るとともに、日頃のジレンマをこの地で共有する事で少しでも晴らしたかった。この日のベルリンは氷点下と寒く、空はどこまでも灰色の雲に覆われた。あまりの寒さにジェネレーターがいう事を利かず、Ryo Humanelectro Fujimoto氏の演奏を合図に、予定の時間を40分も押しての開会となった事をお詫びする。
福島第一原子力発電所から40キロメートル程に位置する福島県浜通りで自営業を営んでいた香川智之さんは、国が正確な情報公開をしないがために、多くの人々がより放射線の汚染のひどい地域に避難してしまったと言う。日本政府は今もなお、正確な発表をしていないとは、専門情報誌シュトラーレンテレックス(Strahrentelex)の発行者で放射線防護協会の役員であるトーマス・デアゼー(Thomas Dersee) 氏のスピーチだ。アメリカの会社がモニタリングポストを設置したところ、この線量に驚いた日本の環境省は、「これでは値が高すぎる、変えることはできないか」と文句をつけたそうだ。その会社は、いや、それはできない、モニタリング装置というのは測定するためにあるのだから」と答えると、日本にある企業にモニタリングポストの設置が発注される。デアゼー氏ら専門家が福島を訪れる度、官庁の発表する数値がいかにインチキであるか、それは直ちに露見するのである。
デアゼー氏の演説の全容を知りたい方は当日、通訳を務めていただいた梶川ゆうさんのこちらのブログを⇒ http://donpuchi.blogspot.de/2013/03/blog-post.html
郡山市の協力者から寄せられたデアゼー氏の告発を裏付ける資料を以下に添付する。
有限会社アルファ通信プレスリリース
緊急報告書モニタリングポストの実態調査
南相馬市合同庁舎前モニタリングポスト調査
この演説の後、Bodypoet (Kazuma Glen Motomura氏)の原子力カムラ扮する風刺劇が始まった。後日、寒かった!との苦情の声が大きかった中、これには大変好評をいただいた。
ベルリン自由大学で長年教鞭を振るわれた福沢啓臣准教授、また日本の反原発運動を現地で追いかけ日本の運動について卒業論文を書いていた同じくベルリン自由大学日本学科の学生イザベル・ピッヒラさん、署名活動にご尽力くださった女の会を代表してジャーナリストの水野博子さんからそれぞれ演説をいただき、ライプツィヒ大学の小林敏明教授と同大学日本学科の主任教授ステフィ・リヒター(Steffi Richter)教授と、世界的に著名な哲学者であるヴィルヘルム・シュミート(Wilhelm Schmid )さんらが、共に、行進後のポツダマープラッツでお話ししてくださった。この日は170数人程の参加者であったが、シュミートさんからは、「40年前、ドイツで反原発運動が起こった頃、この日の様に、小規模なデモが始まりであった。日本の40年後に期待する」との励ましを戴いた。
人々が現状から多くの物事を考え、学び、話し合う事をやめない事で、日本の未来が変るかもしれない。年老いた政治家たちが再稼働を決め、福島での経験をものともせず首相が「原子力発電所を新設する」と言っている。こんな日本に、未来はあるのだろうか。私たちはただ傍観をし続けて良いのだろうか。何よりも、日本の未来を担う子供たちが犠牲になっている。
政治は面倒だ。アツいことは実は苦手だ。人とつるむのは実はあまり好きではない。協調という言葉を何より嫌うはみ出し者の私だが、自分にとってつまらない事でも、自分が生かしてもらっている社会の仕組みを無視することはできない。自分にできる限りの義務を果たし、この先10年後も20年後も永遠に続く世代交代の中で、後続する日本の子どもたちに私たちの未来が明るいものであると呼びかけ続ける事をやめてはいけないと思った。
私たちSayonara Nukes Berlinは、メンバーわずか5人からなる非営利団体である。3月のデモの開催に至っては、多方面から大きな助力を得た。また、反原発運動の為、Vj Chuu氏が無償でデザインを提供してくださったバッヂの売上、デアゼー氏が提供してくださったカルタの売上と募金を合わせ385ユーロ55セントから、活動にかかる経費を補う事ができた。残る144ユーロ51セントを今後の活動に生かしたい。この場を借りて、ご協力いただいたみなさまへ多大なる感謝の意を表したいと思う。
さてはて、ベルリンの長い冬が明けた。
次は6月2日。この日は首都圏でまた大規模デモが予定されている。メンバーそれぞれが多忙であるため、せいぜい年に一度の立ち上げを話し合ったものだが、日本の現状に関する情報を発信し日本の脱原発に向けた”さようなら原発集会”の署名を集める方針で、新たなメンバーを迎え、ベルリンで行われる大規模なエコロジー・フェスティバルであるUmweltfestivalへの参加を決めた。この日は、福島県郡山市の児童が起こした集団疎開裁判の取り下げを受け、子どもたちへの励ましのメッセージも集める方針である。より多くの来場者がある事を願って。R