リンゲンでの祝脱原発デモ参加報告

2023年4月15日。この日をどんなにたくさんの人たちが待ちわびていたことか。4か月半遅れでドイツの脱原発が実現した。矛盾と噓に満ちた「脱原発」、解決されていない問題が山積みと、手放しに喜べないものだとはいえ、とにかくドイツ国内原子炉の最後の三基が停止されることになったのは、前進だ。ドイツ国内で発電のために核燃料棒が燃やされることはなくなり、そこからはもうこれ以上放射能のゴミは出なくなったのだ。

 

 

4月15日付けのTAZ紙第一面©ゆう

 

 

これまでの経過(事情に通じた方はここを飛ばして読んでください)

本来なら、昨年2022年末でドイツ国内で最後に残ったEmsland、Isar II、Neckarwestheim IIの三基が停止して脱原発を完成するはずだった。それが、ロシアのウクライナ侵攻でロシアに依存していたガス・石油の輸入が途絶え、一挙に「エネルギー危機」が叫ばれることとなった。今の連立政権に加わっているFDPや野党のCDU/CSUは、ドイツの「優秀でまだ十分に安全に使える原発をなぜこのエネルギー危機の最中に停止しなければならないのか、この原発を止めて、その代わりに石炭火力発電を運転期間延長して動かしてさらに二酸化炭素を排出するなどもってのほか」というシナリオで世論を誘導して、それまで反原発派だった多くの人たちも、今脱原発すべきではない、という風潮が高まった。脱原発が党成立以来のレゾンデートルでもあった緑の党のハーベック経済相・副首相はそこで、電気安定供給性について調査し、これら三基を停止しても安定供給は実現できるという判断をした。これらの三基は22年いっぱいで運転停止されることになっていたため、新しい燃料棒は用意されていない(どの燃料棒もそれぞれの原発タイプ、サイズによって特別注文される必要があり、そのウランの注文にもほぼ2年はかかるということだ)し、その他のスペアパーツも欠乏、運転要員も確保されていない。急に運転延長を決めても、どの道残っている燃料棒を長く持たせるために性能レベルを低くして「水増し運転」させる以外にないことは明らかだった。それに、2022年末に停止されることが決まっていたため、本来なら定期検査をされなければいけないのを、去年はしないできた。つまり、運転期間を延長するということになれば、定期検査を行わなければならず、当分運転できないことになるのだ。だから急に去年の秋になってこれらの原発の継続運転が、足りなくなったロシアからのガスや石油に取って代わる「オールマイティソリューション」になれるわけはなかったのに、それをFDPやCDUはそのことを言わずに、あたかもこの原発を延長運転しさえすればエネルギー危機が回避できるかのように声高に宣伝し、脱原発をやめさせようとしたのだ。

ショルツ首相は、連立政府内での諍いを治めるためもあって、妥協して4月15日まで4か月半運転停止を延長するものの、その代わり新しい燃料棒注文はせず、それ以降脱原発の日にちをずらすことはない、と去年の10月23日に宣言した。それ以降もFDPやCDUは何度もエネルギー危機を煽り、ことに緑の党や反原発の人たちは理性からでなくただ「イデオロギーのため」だけに脱原発にこだわっているのだ、というような話をして、世論を扇動した。しかし、メルケルの下で政権に長く就いていたそのCDU/CSUこそ、2011年にフクシマ事故があって脱原発を決定したものの、ついこの間までの16年間、原子力からも二酸化炭素からも脱した本物の再生可能エネルギーによる完全なエネルギーシフトを推し進めてこなかったからこそ、今の化石エネルギー危機があるのだ。現在はまだエネルギーミックスの約半分ちょっとを再生エネルギーが占めているだけだが、本来ならばこの割合がもっと広がっていなければいけなかったはずだ。

ロシアからのガスをことに推進したのはその前のプーチンの盟友シュレーダー(SPD)だったかもしれないが、その方針を変えずにエネルギーにおけるロシア依存を推進してきたのはメルケルだ。ドイツ北部では風力発電が立ち並び、再生可能エネルギーの割合が高くなったのに、それをエネルギー消費の高い南ドイツまで運ぶ送電線も計画通りに建たず、風力発電建設も南ドイツでは遅々として進まなかった。ドイツ国内で北から南へのエネルギー供給がそのためできないだけではない。原発は急激な発電量の調整が難しい発電方法であるため、原発からの発電量が送電キャパシティを占めて「詰まらせて」しまうと、その分再生エネルギーからの電気が受け入れられなくなるということも忘れられがちだ。再生エネルギーは太陽の照り具合、風の吹き具合で発電量が変わるが、そのため調整しやすいガスによる発電が便利で、調整のできない原発は不向きであるのは知られた事実である。

また、電気市場はEUレベルだ。ドイツで作られる電気もEU電気市場で扱われる。隣の核大国フランスでは、去年から原発の故障、弁やパイプなどでひびがいくつも発見されるなどの理由で停止が相続くほか、さらに気候変動で川が枯渇し冷却が不可能となって、フランスの原発のほぼ半分が運転しなかったため、EUの電気市場で電気量が欠乏し、電気の値段が上がった。これはロシアとは無関係だ。フランスはたくさんの原発で発電し、それをスペインやポルトガルなどに輸出していて、それを一定の金額で給電する契約をしているため、急遽足りなくなった電気を高い値段で輸入し、それを契約で決まっている安い値段でスペインなどに送らなければならないという赤字の契約履行を強いられている。EU電気市場ではそこで、ドイツからの電気も少しでも多く欲しい、と言われたのだった。ドイツが残りの三基(しかも残っている燃料棒で発電量を抑えながら水増し発電しての状態で)が供給できる電気量は市場にとっては焼け石に水程度の量だったにもかかわらず、だ。

脱原発?

4月15日という日にちはしかしありがたいことに守られた。今年の私たちのかざぐるまデモでも、4月が近づけば、脱原発をやめさせようとする声がきっとまた高まり、覆されるかもしれないという危惧を何人もの演説者が少なからず示していた。でも、私たちはこの脱原発が、決して一貫性のある本当の脱原発ではないことを知っている。なぜかと言えばドイツでは原子力法が脱原発を定めたにもかかわらず、原発で使用される燃料棒を製造する工場(リンゲン)と、ウラン濃縮工場(グローナウ)も平気で稼働したままであるからだ。それだけではない。あれだけプーチン支配下のロシアを裁くために経済制裁を行うと言いながら、ロシアからのウランはオランダを通ってドイツ国内に運ばれてきているばかりか、フランスに至ってはフランスの原子力企業Framatome(もとAREVA)がロシアのRosatomとジョイントベンチャーを作り、このリンゲンでロシア型原子炉向けの燃料棒を製造する計画まで立てられている。原子力関係に関しては、ロシアは一切経済制裁から除外されているのだ。そして、放射性廃棄物処理問題はまだ一切解決されていない。問題は山積みである。

 

 

燃料棒製造工場の門の表示©ゆう

 

 

そこで、ドイツの脱原発を祝いながらも同時に、一貫性のないドイツの原子力政策、そして時代錯誤で経済性のない原子力にいまだにしがみつきたいフランス・日本を始めとする世界各国のまやかしの「二酸化炭素を排出しないグリーンな」イメージで原発をどうにか推進したい無責任な政策を非難するために、4月15日にはドイツ各地でデモやアクションが行われた。

ことに今回運転停止されることになっているEmsland(リンゲン)、Isar II(バイエルン州)、Neckarwestheim II(バーデン・ビュルテンベルク州)では大きなデモが予定された。私が行ったのは、燃料棒工場があり、Emsland原発があるリンゲンというほぼオランダ国境に近い町(ニーダーザクセン州)で、ここで駅から集合場所である燃料棒工場前までバスがデモ隊用にチャーターされて向かった。皆が集まってからは、工場の入り口前でプラカートを掲げながら記念撮影などを撮って、いくつか演説、その後デモ行進をして今回運転停止されるEmsland原発前まで歩いて、またそこで演説をして、解散となった。

 

 

雨の中のデモ行進©ゆう

 

あいにくドイツは全国的に寒さが続き、しかもリンゲンは小糠雨が降り続いてうらめしかった。雨は予報されていたのでレインコートや雨用の帽子を持って行ったが、それでもかなり濡れそぼった。雨でなければもう少し人も集まったにちがいない。それでもきっと昔から反原発運動を続けてきた闘士に違いないという人たちがたくさんいて、和やかな雰囲気だった。子供連れの人もいたし、私のように遠くから集まった人もいれば、すぐ近くに住んでいるという人たちもいた。「親がすでにチェルノブイリやヴァッカースドルフ再処理工場建設計画反対で闘ってきて、私は二代目、私の娘たちもその精神を受け継いでいる」と話してくれた自転車で参加した男性にも出会った。

この日は約300人がリンゲンのデモには集まった。ちなみにバイエルン州のIsar II停止を祝ってミュンヘンでは約1500人、Neckarswestheimには約500人が集まったという。南ドイツでは少なくとも雨が降らなかったため、人も集まりやすかったのだろう。ベルリンのブランデンブルク門前でもGreenpeaceとGreen Planet Energyが主催して大きな原発の恐竜を倒して太陽の反原発シンボルがVサインをしているポーズで写真が撮られた。

©Christoph Soeder / dpa                                     ベルリン・ブランデンブルク門前のアクション。脱原発を最初に2002年に決めた赤・緑政権で環境相だったTrittin(緑の党)の姿が(その後メルケル率いる政権が脱・脱原発を決定、フクシマで再びそれを覆す)。

リンゲンでのデモでは、ゴアレーベンの市民グループBürger Initiative Umweltschutz Lüchow-Dannenbergの理事・共同代表の一人でもあるElisabeth Hafner-Reckers に再会した。彼女に会ったのは、彼女がかざぐるまデモの演説に来てくれた2017年なので、6年ぶりだ。彼女は、寿都町の町長が最終処分場候補地選定に向けた国の文献調査に応募してからできあがった反対グループ「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」に励ましのメッセージを書いてほしいという私の頼みに二つ返事で承諾し、すぐにすばらしいテキストを送ってくれた(http://kakugomi.no.coocan.jp/pdf/rentai_BILW.pdf)。彼女を始めとするゴアレーベンの人たちの抵抗運動の在り方は、あらゆる人たちに勇気とインスピレーションを与えてきた。彼らは、単に国家権力の方針や決定に抵抗してきただけではない。反暴力であらゆるアイディアを駆使した市民抵抗(日本ではなかなか当たり前の語彙として馴染まないZiviler Ungehorsam市民的不服従)の方法を実行に移してきただけでなく、彼らは「国が私たちに民主主義を実践し、人と自然に優しい国を提供してくれないなら、私たちが代わりにもっといいものを作ろう」というモットーで「Republik Wendland(ヴェントラント共和国)」と名乗って、ゴアレーベン周辺地区を、住みやすく、あらゆる年齢層が一緒に楽しく暮らせるコミューンのような共同体に作り上げてきた。まだ風力発電のない頃から独自で風力発電機を建てる人、バイオガスを作る人、太陽光パネルを自分の土地や屋根に付けて、自分で使い切れない電気を近所と分け合う人がいた。

そのエリザベスに今の心境を聞くとこういう答えが返ってきた。

「やっと最後の3基が運転停止されるのは、とりあえず嬉しい。これでドイツで新たに作られる放射性廃棄物がなくなる。でも、まだその運転停止を取りやめてまた再起動したくてたまらない人たちがこれだけいるから、まだまだ監視の目を緩めるわけにはいかない。私たちのグループは、単に抵抗するだけでなく、どんなに平和に、クリエイティブに、仲良くあるものを分かち合いながら生活していけるか、実践で示してきた。お上が何かを勝手に作り、それがただ与えられる、または買わされる大人しい「消費者」になりきるのではない、どんどん新しいものを買わされ、消費し、そのためのお金を稼ぐことだけで生活がいっぱいになる、そういう図式ではない人間らしい在り方を私たちは求めてきたし、その方がよっぽど楽しいしお互いに優しく助け合いながら生きられる(彼女はFreundlichという言葉をよく使った)。ゴアレーベンには最終処分場候補地のリストからは消されたものの、あいかわらずキャスクが「中間貯蔵所」に置きっぱなしにされていて、それはまったく安全な方法でなど保管されてはいない。これは後に続く世代に残していかなければならない負の遺産だ。親から受け継ぐ遺産が嫌な場合は、子どもは普通はそれを「拒否」することができる。しかし、この放射性廃棄物の遺産の場合、彼らにはそれを拒否することが許されていない。だからこそ、私たちにはそれを少しでも安全に、長期にわたって保管するための方法のコンセプトを国に求めていく義務がある。」

©Lars Klemmer/dpa

「共に勝ち取った!50年間続いた反原発運動」と書かれた横断幕

 

それから、もう一人会うことができて嬉しかったのは、Atommüllreport(放射性廃棄物報告)という放射性廃棄物に関する情報、危険性も含め詳しいデータを集める専門ポータルである団体の代表Ursula Schönberger氏だった。彼女はもともと緑の党で連邦議員にまでなり(1994年~1998年まで)その後別の緑の党連邦議員の科学調査担当を受け持って、そこで2013年にドイツ国内の「核のゴミ」の「在庫調べ」と状況について詳しい報告書(272ページにのぼる)を作成している。それは今でも、ドイツの放射性廃棄物に関する包括的報告書の第一号として連邦議会図書館にも保管されており、それをさらに引き継いでオンラインプラットフォームとして続行してきたのが、彼女のAtommüllreportだ。彼女は2002年にはしかし当時ヨシュカ・フィッシャーが副首相・外務大臣を務めていたSPDとの連立政権で、戦後初めてドイツがNATOの一員としてコソボ紛争に参加すべくドイツ軍隊を派遣し、さらにアフガニスタンでもドイツが戦争加担したことに反対して、脱党している。そういう意味でも、個人的にも価値観が似ていて親近感がもてるのが彼女だ。低・中レベル放射性廃棄物最終処分場になることが決まっているSchacht-Konradの反対グループともずっと活動してきた彼女は、私にこう話してくれた。

「いよいよ脱原発の日を迎えることは嬉しい。これまでの苦労の実が結ばれた。この日のためにずっと長年闘ってきたのだ。もちろん、抱えている問題がこれで小さくなるわけではない。そして脱原発を遂げたことになれば、ドイツでの反原発運動が小さくなる懸念はもちろんある。私たちは、核のゴミの「在庫調べ」をし、何がどのくらい、どこに、どういう風に「保管」(かぎ付きにするのは、まったく信じられない危険そのものという感じの放置状態で放っておかれているドラム缶も多いからだ)されているのかを事細かく調査し、報告してきた。そしてそれをどのようにすればよりこれから何万年、何百万年にわたりそれなりに「安全」に保管していけるか考えていかなければならないが、それを進めるうえでの第一歩は、「これ以上危険なゴミをもう作らない」ということだとずっと訴えてきた。保管方法が定まっていないのに、どんどん次から次へと危険なゴミを作り出すのであっては、議論にならない。とにかくそれが終わるのは正しい方向への第一歩だ」。

 

© Lars Klemmer/dpa                「脱原発というからには燃料棒工場もやめなきゃ」と書かれた横断幕

 

この祝脱原発の国内でのデモ・アクションはことに環境保護団体BUNDとドイツ最大の反原発団体.ausgestrahltが提携してキャンペーンを繰り広げていたが、リンゲンでのイベントでは、私が参加できなかった今年3月11日のかざぐるまデモでも演説をしてくれたBUNDのJuliane Deckel(彼女はもともと日本学を大学で専攻していたということで、デモでも日本語で少し演説していた)と.ausgestrahltのHelge Bauerが二人で一緒に司会をしていた。

ドイツで原発が操業されたのが1961年、それから2023年4月15日に全基が停止されるまで62年間。この「原子力時代」の「恩恵」を得てきたのは多くてもせいぜい3世代だが、そのために排出された解毒できないこの放射能のゴミが危険でなくなるまで、これからさらに33000世代以上がこれとともに生きなければならない、と言われている。そんな無茶が押し通されたのがこの狂気の「原子力時代」だ。未来の世代にとってはまったくいい迷惑だ。

©Hakuba Kuwano

悪天候でもリンゲンでのデモに集まった人たち

デモ解散前の最後のディスカッションには上記のElisabethやUrsula、それにEmsland近郊でチェルノブイリ以降、トーマスのように市民測定所を作って放射能検査をしてきた男性、Schacht Konradの活動家の女性などが司会であるHelgeとJulianeに質問され、それに答える形で参加した。「低・中レベル放射性廃棄物」と名付けることで、あたかも「高レベル」より危険性が少ない、大したことがないような印象を与えているが、それは大きな間違いだ、という話にも、まったくだと私は同感した。放射線は高いから危険、低いからより安全ということはない、定量の被ばくで癌などを発症するのは、「宝くじ」に当たるようなもので、線量が高い低いは「安全性に無関係」で、運のようなものなのだということは放射線テレックスのトーマスも常々言っている。これをここで訴えている人たちは、いわゆる「低・中レベル放射性廃棄物」が保管されている場所のすぐそばに住んでいる人たちで、それらの「廃棄物」がどの程度危険な形で山積みされているか知っているからこそ、その危機感が強い。そして自分たちは「もうすぐ死んでいく運命にあり、これらのゴミが今後どのような形で残されるか、見届けることができない」と思っているということだ。それだけ彼らには焦りもある。どうすればなるべく危険がない形で、コントロールしながら保管ができるのか、そのコンセプトを根本的に考え直す必要がある、ということを皆が語っていた。いわゆる「地層処分」(日本のような火山、地震の多い島国ですら地層処分にこだわっているが)になぜこれだけ固執するのか、という疑問もある。でも、今「仮」に保管されているたくさんの放射性廃棄物(低・中・高レベルの)の貯蔵方法はあまりにお粗末で、いつ「安全な場所に処分されるのか」わからないのに、危険極まりない。飛行機墜落やドローンによる攻撃などがあれば、またはサイバー攻撃などがあればすぐに恐ろしい事態が訪れかねない状態のまま何年も置きっぱなしになっている。

私がしっかり反原発運動にかかわるようになったのはフクシマからで、そういう意味ではここにいたたくさんの「闘志」たちと比べて新米だが、矛盾を抱え問題の多いドイツで、とにかくまがりなりにも最後の原子炉が停止されたこの記念すべき日を、この問題にずっと立ち向かい、ぶれることなく長い息で闘ってきた人たちの話を聞きながら過ごすことができたのは、有意義なことだった。日本のGX束ね法案、札幌で行われるG7環境相会合で日本政府が「汚染土リサイクルや汚染水海洋放出を歓迎する」旨の共同声明を出すべく各国に働きかけた問題、汚染水を何が何でも今年の夏には海洋放出開始する方針など、日本からは原子力関係を挙げただけでも幻滅するようなテーマに尽きないが、とにかく「反原発」運動がドイツでは長く続いて市民権を得、とにかく動いている原発をやめさせることに成功した、というのはポジティブなニュースだ。ドイツが原発による発電をしなくても、ドイツは原発信仰をやめない国々に囲まれている。フランスも、ベルギーもポーランドも、危ない老巧化した原発を何が何でも運転期間延長して動かすつもりだし(日本も同じ)、原子力がなければ気候変動の点からも今のエネルギー危機に立ち向かえない、などとグリーンウォッシングしながら、実は、おんぼろのひびの入った危ない原発を延長して運転する以外に、新しい原発はあまりに建設費用が高くて実現しないし、今動いている世界の原発がどれももう古くなってきていて修理や追加工事が必要であることに変わりはない。フランスのように気候変動で冷却に必要な川の水が枯れてしまえば原発を動かすことはできないし、急にこれから水不足が解決するとは思えない。エネルギー危機を解決するには、「今すぐ」安全に動ける発電方法が必要なのに、いつ建設が完了するかもわからない原発に未来を託すなど、絵に描いた餅で明日からの食事の支度に備えるようなものだ。できるだけ自然に介入しない方法で、環境になるべく優しく、有毒なゴミも、二酸化炭素も排出せず、となれば、再生可能エネルギーでできる限りの電気需要が賄えるようシフトしていく以外ないことは誰の目にも明らかだ。そのために投資をせず、若い世代に恐ろしいほどの負の遺産を押し付け、政治家にたくさんの嘘をつかせ守れない約束をさせながら、いつまでも既存の利益構造にしがみつくロビーの言いなりになっている世界は哀しい。

とにかくドイツでの原発のスイッチは切られた。それを日本にも、フランスにも、イギリスにもポーランドにも、ベルギーにも拡大していかなければならない。やはり市民が動かなければだめだ。気が滅入るニュースに溢れた今、このドイツの祝脱原発デモに参加したことは私にとって、力の与えられる貴重な体験だった。私一人では遠くのリンゲンのデモには参加しなかったと思うが、デモの取材やインタビューの通訳として赤旗の特派員桑野氏に同行させていただき、このデモ参加が実現した。桑野氏に感謝。(ゆう)

©Hakuba Kuwano

ひびが入って絆創膏の貼られたEmsland原発のスイッチを切るアクティビストたち

 

©ゆう

この日の未明まで原発からはまだ煙が出ている

 

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *