Endstation Krasnokamensk

先日、ロシアのウラン採掘場のある街についての映画
Endstation Krasnokamensk. Ein Heimatbesuch (Final Destination Krasnokamensk. A Visit Home)
を見ました。
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クラスノカーメンスクは、中国とモンゴルの国境の近くにある人口5万5千人ほどのロシアの街です。1963年にこの街の近くでウランが発見され、1969年に街ができました。延々とステップが広がる「なんにもない」ところに、ウランを採掘するために作られたこの街では、毎年3000トンのウランが採掘され、それはロシア全土のウラン生産の90%を、世界レベルでみると約10%を占めているそうです。

「地の果て」にあるウラン採掘の街には刑務所もあり、数年前にそこにロシアの大物実業家が収監されたことで注目を浴びましたが、メディアにおけるこの街の描写というのは惨憺たるものです。
この映画の監督の一人であるオルガさんは、16歳の時にこの街を離れてドイツに移住しました。クラスノカーメンスクで子供時代を過ごした彼女にとって、自分の記憶にある街と、メディアで取り上げられる街には大きな隔たりがありました。実際にクラスノカーメンスクとはどんなところなのかという彼女の問いに加え、そこで暮らしているであろう、会った事のない彼女の父親を探すというのが、この映画のストーリーです。

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かつては地図にも載せられず、訪れるには特別な許可が必要だった街、クラスノカーメンスク。
どんなに物々しいところだろうか?
放射能の影響はどれほど深刻なのだろうか?
住民はどんな犠牲を強いられているのか?
そもそもそんなところで撮影をして大丈夫なのか?
そういう思いでこの映画を見ると、カメラに映し出される人々の明るさ、素朴さ、そして無邪気ともいえる雰囲気にびっくりするでしょう。街の成立40周年のお祭りに沸く街に、放射能汚染の影をみつけることはできません。
40年前に作られたであろう団地が立ち並ぶ町並みは、私の感覚では美しいとはいえないのだけれど、インタビューを受ける人々は口々に彼らの故郷の美しさと「普通さ」を強調します。ウソをついているのではなく、故郷に対する愛着と誇りから本心で言っているのでしょう。ドイツからはるばる戻ってきたオルガさんは人々に暖かく迎えられ、カメラを向けられた人はみな、それぞれの言葉でクラスノカーメンスクを語ります。

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「放射能の影響はないんですか」という問いをオルガさんは至るところで発するのですが、人々はいたって無頓着です。全然大丈夫だと言い張る行政側だけでなく、一般の住民からウラン鉱山で働く労働者まで、誰も深刻に考えていません。「ウォッカを飲めば大丈夫だとどこぞの教授が言っていた」だの、「どのみち死ぬんだからいいんじゃないか」だの、「汚染された石や服を家にもって帰るわけじゃないから平気だ」だの言う人がいる一方で、「気にはなるが、だからといってどうすることもできない」というのが大方の意見のようだと思いました。
「気にはなる」という程度で留まっているのは、言うまでもなく、クラスノカーメンスクの人々が放射能に関する知識とそれに対応するための十分な情報を持ち合わせていないからです。
行政側が根拠にする統計では、放射能による明らかな健康被害を証明することはできません。
病院は先天性異常や流産に関して「そういうこともあるけれど、それはタバコやお酒の問題なのだと思う」という返事をします。体調が悪いと言う人も、それを放射能のせいだとは断言しません。
事故で亡くなれば本人が悪いということになり、働けなくなってもちゃんとした補償はされません。
一方で、若くして亡くなった人の話や、肺の検査をうけるように勧める通達が貼られていたりと、そこここに放射能の被害が現実にあるのではないかと思わせる部分があります。

実際にウラン採掘に関わっている人々はというと、彼らの関心は放射能ではなく、労働条件です。
ソ連時代は非常に優遇されていた労働者が、今では生活の基盤すら脅かされる程度の賃金しか与えられず、彼らいわく「奴隷のような」労働に駆り出されているのです。昔からウラン採掘に関わってきた人々にとって、正体のつかめない放射能より、日々の生活に直接響く労働条件のほうが深刻なのです。
かつて国の根幹をささえているのだという誇りを持って働き、それに見合った待遇を受けていた人々が、今では私有化された企業の末端で使い捨てにされている。その現実に労働者は憤っても、ウラン採掘そのものを問題視することはありません。

「どうしようもない。」これがクラスノカーメンスクの人々の放射能に対する認識なのだと思います。労働条件の悪さを訴えれば「嫌なら辞めてください」と言われるだけ。クラスノカーメンスクを出ようにも、どこへ行って何をして暮らせばいいのか。人々はその閉塞感の中で、「今までどおり」に暮らしているのです。

映画が終わってから、監督の二人を前に質疑応答がありました。
ジャーナリストの女性が、「なぜもっとちゃんと調査しなかったのか、問題だと思う」という意見を述べ、面白い議論が起こりました。「これはロードムービーであって、ジャーナリズムの作品ではない。厳密な調査をするとなれば全く違う作品になっていただろう。クラスノカーメンスクのいろいろな立場の人に話をきけたが、ひとつの結果を出そうという意図はない」というのが監督2人の答えでした。
もう一人のジャーナリストの女性が「こういうテーマを扱うのに無責任なのではないか」というようなことも言いましたが、それは会場からもブーイング。私も、この映画が「ひとつの真実」を追求するのではなく、クラスノカーメンスクに存在する「たくさんの事実」を描き出したことを評価したいと思います。
原子力産業は、ウラン採掘から放射性廃棄物の処理に至るまで、多くの人々の生活と結びついたものです。それは、日本でも言えることではないでしょうか。原発をやめるとなったら、今までそれに依存してた自治体や人々の生活はどうなるのか。地域の誇りだった産業が悪と断罪された時、人々はその故郷とどう向き合えばいいのか。

質疑応答のあとで、もう一人の監督であるマリアンネさんと話をしました。はじめてクラスノカーメンスクに行ったのが2009年で、映画が出来上がったのが2012年ということで、その間に起きたフクシマの影響はあったのかと聞くと、全然なかった、との返事。「心配する声があったとすれば、それは原発が減ることで彼らの仕事が無くなるのではないかという事だ」という話を聞いて、なるほどと思いました。そこにウラン採掘を環境や健康の問題として考える私たちと、生活の糧としてとらえるクラスノカーメンスクの人々との決定的な立場の違いを読み取ることができるでしょう。

低予算の映画なので、大きな映画館で定期的に上映されることはないと思いますが、(ロシア語のインタビューにドイツ語のナレーションと字幕なので)ドイツ語かロシア語が堪能な人にはオススメです。(文責:KIKI)

参考
Endstation Krasnokamensk. Ein Heimatbesuch. Ein Dukumentarfilm von Marianne Kapfer & Olga Delane. 87min (2013)
トレイラー(英語):https://www.youtube.com/watch?v=dgjJF0sz_Bw
写真はフェイスブックからお借りしました。