国際ウラン映画祭との協力関係終了についての報告

最終日授賞式でBalentesの監督LIsa Camillo(左)と話すManfred Mohr(ICBUW/IALANA) 写真:Marek Karakasevic

私がこの国際ウラン映画祭(IUFF)のことを知ったのはベルリンに来てからで、その後Sayonara Nukes Berlin(以後SNB)がProtestivalを開催した2016年、チェルノブイリ30周年を機会にIUFFベルリンでも4月23日のチェルノブイリ事故記念日にディスカッションが行われ、その時に私がSNBを代表して招かれて以来の付き合いでもある。それまでIUFFで上映された日本に関係する映画(特にフクシマ関係)の中に、これは日本の事情を知っている人があまりにいないために判断できずにエントリーしてしまったのではないか?と思わずにいられない、ある意味「とんでもない」作品がいくつかあったため、ベルリンで反原発運動をしているSNBとしては見ていられないと、IUFFに協力を申し出たのがきっかけで、私にできる範囲で援助サポートしてきた。

私は核・原子力の問題点を画像から追求する映画ばかりを世界各地から集めて上映するというこの映画祭の趣旨に賛成し、それならこのIUFFをさらに充実させるべく協力しようと思い、日本に関わる題材を扱った映画をチェックして、映画祭で見せるべきか判断を下すためのコメントを出す存在ともなり、日本からの作品を探す努力もし、同時に日本でもこの映画祭の存在をもっと知ってもらうべく、サイトを和訳する仕事などをボランティアでやってきた。松原保監督の「被ばく牛と生きる」、坂田雅子監督の「私の終わらない旅」のドイツ語字幕も作成したことなどは、かつて当ブログで報告したとおりである。

しかし、この映画祭の組織運営を知っていけば知っていくほど、私はそのやり方にも人材にも疑問が膨らむ一方だった。建設的な批判をしてもそれで議論が行われるわけでも改善されるのでもなくただ無視されるだけ、上映する映画の選考も不透明なら、賞を授与する映画の選考までなにもかも不透明で、審査員などが決まっているわけでもない。つまりは、この映画祭を創立したリオの二人だけ(おそらくはNorbertだけ)が決めているのだということが見えてきた。

ベルリンのKulturbrauereiのような映画館を使って数日間のイベントを行うとなると、非常にたくさんの資金が必要となるのはわかっている。だからこそスポンサーが必要なのはどのイベントも同じだが、ベルリンのIUFFでは何年も前から核兵器撲滅のための国際連合体(ICBUW)、核兵器に反対する弁護士連合(IALANA)、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)がパートナーとなりSchönau電力会社やExberlinerなどもスポンサーとなり、さらにドイツ連邦環境庁、連邦環境省からの助成も受けて、ここに並んだロゴの数々は堂々としたものだ。テーマが商業的な映画を集めた映画祭と違ってあまり興味を持たれない、話題にならないというのは当然あるにせよ、映画祭を開いても毎年集客数があまりにも少ない、映画祭としての認知度も低い、宣伝の仕方が悪い、というのは、核・原子力というテーマがますます普遍性を失っているというだけでなく、その他にも根本的な原因があるからだと私は思っている。

それは一つには、映画祭の組織運営と、その実現のためのしっかりしたコンセプトが不足しているからではないだろうか。ベルリンでの国際ウラン映画祭は、基本的にはドイツ語で行われている。司会も、挨拶も、インタビューもほとんどがドイツ語で行われ、ドイツ語を話さない監督には通訳を付けている。映画も可能な限りドイツ語の字幕を見せているが、予算の関係でドイツ語字幕を映画祭のために新たに付けられない時には、英語でも可能としているため、英語字幕のものもある。しかし、それなら映画祭の方針として徹底すべきである。というのは、私がこれまでにも経験したことで、今回も最終日で実感したことだが、例えば大賞を取った作品VALLEY OF THE GODS(神々の谷)はアメリカで撮影された英語の作品なので、字幕なしだった。これでは、英語がわからない市民にはあまり理解されなかっただけでなく、ポーランド人の監督が舞台に立って、英語で自己紹介したり映画の話をしたが、通訳がそこに控えているにもかかわらず彼女を差し置いて、ドイツ人の司会が(かなりお粗末な)英語でモデレートをしてインタビューをした。これまでにも急に使用言語が英語になってしまったことは何度かあって、そのたびに私はそれがまずいと思ってきたが、今回もそのコンセプトのなさが(司会とインタビューの質の悪さと共に)欠点として目立った。これでは「素人のイベント」とみられても仕方ない。言語はきちんとどれか一つに統一すべきだ。英語でするなら最初から最後まで英語で通すべきだし(ベルリン映画祭のように)、ドイツ語でするなら最後までドイツ語で徹底してほしい。

また、このウラン映画祭ではどの映画にもなぜか、このテーマに関し知識があるわけではない俳優・タレントなどに映画の推薦をさせるのだが、このことが私にとっては理解できない(これはベルリンの指揮を執っているJutta Wunderlichの方針)。そんな核・原発・反原発/平和運動・放射能問題などに知識のない人たちがうわべだけで何か感想のようなことを言っても(しかもその言い方がかなり恥ずかしいレベルだ)、映画の解説にも推薦にもならないだけでなく、私に言わせればこれらの映画に対する侮辱ですらある。そんな無駄な推薦も俳優の存在も無用だ。それなら、専門知識や経験があり、自ら反原発または平和運動に加わっているような審査員(Jury)数人を充実させるべきだし、どの映画を見せるか、ひいてはどういう理由から賞を与えるか、はたまたどういうガイドラインや方針をもとにどういう賞を授与するのかという方針を固めてウェブサイトなどで公開し、審査員に十分議論をさせて、それに沿って受賞する映画を選び、その理由、議論内容をしっかり透明に示すことが世界で意味ある「映画祭」として認められるための第一歩であるだろう。そして審査員に誰が入っているかも毎年発表すべきだ。そのようなものが一切なく、専門知識も経験もない、単にイベントオーガナイザーである人間にベルリンでの組織運営を依頼し、俳優などを司会や推薦者に招くことで「集客」しようとする試み自体が本来のこの映画祭の趣旨に反していて、だから人を説得する力も持ち得ないのではないかと私は思う。

司会者などは映画祭を通じて一人でよい。毎回いろんな(このテーマに関しては無知の)人に別々に司会をやらせる必要はなく、それよりは一人の人間がいつも同じコンセプトで、ドイツ語ならドイツ語、英語なら英語(がちゃんと話せる人)で最初から最後まで同じやり方で徹底して、プロフェッショナルにモデレートもインタビューもやってほしい。派手なイベントよりはそうした中身を充実させて映画祭としての質を上げることの方が、映画祭として価値を認めてもらうためにも必要だと私は思う。せっかくこれだけのスポンサーや協力団体がありながら、どうして素人芸のような、内輪のお祝いみたいな感じになってしまうのか、とても残念だが、それは私の見る限り、この映画祭を創立したNorbert Suchanekがそれをさせたくないからだとしか思えない。彼は自分ですべてを決めることに固執し、他の人とJuryを作って決定を誰かと共に下したり、批判や議論を受け容れたり、共同でやっていくために妥協したりすることができない。私がこれまでに提案してきた改善案や批判はことごとく無視されてきた。結局は「彼個人の映画祭」なのだ。それなら、どんなにこれを創立した時の趣旨や意図が素晴らしいものだったとしても、映画祭としては成り立たない、あるいは今回も同じで、一応できあがっても「これではちょっと…」と首をかしげざるを得ない程度のものにしかならないのだ。これでは映画祭としても、反原発・反核運動の一つとしても認められるだけのものに育たないのも仕方がないだろう。

私は日本関係の映画を担当するということになっていたのに、今年は最初から蚊帳の外で、私が推薦した映画に対するコメントも一切なく、気が付いたらもうプログラムが決まっていた。Norbertからは一切連絡はなかった。今年はコロナのせいで、ベルリンの映画祭にリオデジャネイロから来ることができなかったため、彼と話をすることはできなかったが、私はこれでは「協力」をしている関係だとは思えないため、今年度の映画祭をもってIUFFへのサポートを終えることにした。この映画祭によって知り合いになった人も、この映画祭で見ることができた数々の素晴らしい作品もあるので残念ではあるが、主催者が、協力者とコミュニケーションも取れない、たくさんの雑用はやってもらうが肝心な決定は自分以外の人にはやらせない、というのでは共同でなにかをやっていくことはできないし、こちらの時間もエネルギーがもったいない。それなら、今後はどうしても上映したいという映画があれば、SNBが主催して上映会を催す方がいい。なんだか後味の悪い国際ウラン映画祭とその協力関係となってしまった。

(ゆう)

上映作品の報告については、こちらの記事でどうぞ。

2020年国際ウラン映画祭@ベルリン(10月15日~18日) http://snbblog.sundayresearch.eu/?p=4487

2020年国際ウラン映画祭@ベルリン(10月15日~18日)

今年のIUFFポスター

2019年は十分な資金が集まらなかったこともありベルリンでの開催が見送られた国際ウラン映画祭だが、今年2020年はコロナ禍にもかかわらず無事にオープニングにこぎつけ、18日に終了した。

2010年にブラジルに住むドイツ人ジャーナリストNorbert Suchanekと彼のパートナーMarcia Gomes de Oliveiraがリオデジャネイロで創立した国際ウラン映画祭(IUFF)は、ウラン採掘から原子力、核兵器、放射性廃棄物に至るまで、原子の鎖に関わる(批判的)映画ばかりを集めた世界で唯一の映画祭である。ベルリンでもここ数年毎年開催され、最近ではオープニングと閉会式はベルリンの大プラネタリウムで行われてきたのだが、今年はコロナ禍のためプラネタリウムからはキャンセルされ、Prenzlauer BergのKulturbrauereiの映画館内だけでの開催となった。

今回の映画からいくつか紹介する。

「Vom Sinn des Ganzen」の1シーン

オープニングで上映された映画は、この映画祭で何度もオープニングなどの司会を務めてきたClaus Biegert(ドイツのジャーナリスト。1992年に世界会議Uranium Hearing をザルツブルクで創立し、Nuclear-Free Future Award Foundation基金によるNuclear-Free Future Awardを設立、1998年以来毎年世界各地で核兵器・原子力エネルギーのない世界のために貢献している人たちを選んで授与している)による新作ドキュメンタリー映画「Vom Sinn des Ganzen(全体の意味)」だった。これはドイツの物理学者兼平和運動家Hans-Peter Dürrの功績に光を当てた映画だが、私はこの素晴らしい人物のことをあまりに知らなかったため、すごく感銘を受けることとなった。Dürrはドイツの原爆開発チームにも加わっていた物理学者Werner Heisenbergからマックスプランク研究所の後任者として指名された物理学者だが、1987年にStarnbergでGlobal Challenges Network e.V. というNGOを創立し、自然環境を脅かす数々の問題を克服するために建設的に共同で作業する企業と団体・グループによるネットワークを作った。ゲッティンゲン宣言という有名な科学者・研究者によるマニフェストがある。これは1957年に、当時のアデナウァー首相と防衛大臣シュトラウスが、ドイツも核武装すべきだとしていた考えに反対し、核武装を認めれば、世界中での緊張感が増し核武装競争がさらにひどくなるだけだと科学者たちがドイツの核武装政策に全面的に反対したのだが、Dürrはその意志を継ぐだけでなく、戦略的防衛イニシアティブという考えに対する批判を続け、技術開発は平和目的のためにしか利用されるべきでないという立場を崩さなかったために、Right Livelihood Award(第二のノーベル賞ともいわれる)を受賞したばかりか、1995年にはノーベル平和賞も受賞している。核戦争の恐れが実際にあった時から心ある科学者として当然のあり方として平和運動を熱心に続けてきた彼だが、物理学者だからこそ持ちえたのかもしれない崇高な哲学・自然観を身に着けていたのがDürrだった。2005年には彼は仲間とPotsdamer Manifest「ポツダムマニフェスト」を発表したが、ここでの彼の核となる訴えは「We have to learn to think in a new way」(私たちは新しい別の考え方を学ぶ必要がある)、我々はこれまで「思考」の中に嵌り込み、にっちもさっちもいかなくなってしまっている、しかし新しい思考法が生まれなければ新生もありえない、人生をもっと生気に満ちたもの、持続可能なものにしていくにはどうすればいいのか真剣に考えていかなければならない、これまでのようにただ自然、地球の資源をどんどん使い、あらゆる人間の多様性、生活様式を踏みにじっていくのでは先が見えている、量子物理学の進歩で得られた新しい見識をもとに、脅威を沈静し、問題を解決して新しい方向へ向かっていかなければならない、ということであり、どういう方向に向かっていくべきか、そのために科学者たちがどう研究を続けていくべきかを2005年にすでに明確に訴えている。そして彼は「物質というのは本当はないんだ、あるのは凍り付いた光だけだ」ということを物理学者として主張し、仏教的哲学にも通じた世界観を持っていた。そしてそのために生気ある、楽しい、喜ばしいものとして人生を「祝って」いた。彼は友だちと集まって踊り、歌い、そしてよりよい世界のためにあらゆる人と議論を交わし、当時の平和運動に大きなインスピレーションと影響を与えた。映画を作ったClaus Biegertは実際にDürrが亡くなる数年前に長くインタビューをしていたため、たくさんの撮影フィルムがあり、それを使いながら、また新たに彼の人生のパートナーであるアメリカ人の夫人や、彼と一緒に研究や運動をしてきた人たちにインタビューし、Dürrの人柄と功績が目の前に甦るように作られている。最後に、ドイツでは有名なシンガーソングライターのKonstantin Weckerを訪ね、彼がDürrの言葉を歌詞にして作った歌を披露している。長くなったが、このドキュメンタリー映画で初めてDürrの人柄や哲学について知った私は、市民の運動のあり方、その背後の考え方、そして人としての生き方に関しても感銘を受け、とてもインスピレーションを受けた。Claus Biegertはこのオープニングにも来て話をしたが、彼もDürrという存在に学び感銘を受けたからこそ彼の生涯を紹介する映画を作らないではいられなかったということがよく伝わってきた。私はこれからもWe have to learn to think in a new wayということを考えていくだろうし、自分の市民参画に関しても、彼の言葉を幾度となく思い出すことになるだろうと思った。この作品はぜひ他でも上映してたくさんの人々に見てほしい映画だ。

土曜日は日本関係の映画が2本上映された。

1作はアメリカのKeith Reimink監督が作った、第五福竜丸の乗組員の運命を語ったアニメーション・ドキュメンタリー映画「Day of the Western Sunrise」と、もう1本は2011年3月11日の地震津波のあとから最初の5日間に起きた菅政権下での日本の様子を劇映画にした「太陽の蓋」(ドイツ語字幕付)だ。コロナ禍で監督やプロデューサー等関係者が誰も映画祭に来ることができないため、私がこの2作の映画の背景などを解説することとなった。第五福竜丸が1954年3月1日、ビキニ環礁で行われたアメリカのこれまで世界最大規模の水爆実験「キャッスル作戦ブラボー」で被ばくした際、その爆発時の閃光が西の空で見えたため、乗組員たちが太陽がまさか西から昇るはずはなし、と訝ったということからこのタイトルWestern Sunriseは来ている。現在もまだ健在の元乗組員3人にインタビューをし、当時の体験とそれから日本に帰ってきてからのアメリカと日本政府の対応、故郷での差別、放射線障害との闘いについて語っている画像と、思い出をイメージしたアニメが交互に出てくる。インタビューもその編集もなかなかいいのだが、私が耐えられなかったのはそのアニメというか絵の質である。本物通りである必要はないが、実際にあったことだし船も日本で見ることができ、写真や資料は豊富に残っているのだから、ある程度史実考証をした服装、船や建物の内装などを手本にすることはできなかったのか。そこがあまりにお粗末なので、インタビューとの釣り合いが取れていないことと同時に、観る者が馬鹿にされているような気にもなってしまった。インタビューをここまでして編集するだけの時間、エネルギー、考えをもって臨んだ映画なら、どうしてそこは徹底できなかったのか。また、ナレーションとアニメの登場人物のセリフ(日本語)などは素人の人たちがやったようだが、これについてももう少し質をよくすることはできなかったかと思ってしまうレベルだった。予算がない、というのはあるかもしれないが、それでももう少し練習してわかりやすい話し方などにすることはできたのではないかと残念である。

「太陽の蓋」は数年前にすでにハンブルクで上映されたためドイツ語字幕があるもので、SNBにもこの映画をウラン映画祭と共に上映してくれないかという話が入ったことがあったが、去年はウラン映画祭がベルリンで開催されず、SNBが主催者となって上映会を行う作品としては、実際のフクシマの状況を伝えるドキュメンタリーでもなく、俳優が演じているフィクションの部分が多い劇映画であることもあり、私たちの趣旨には沿わないとして上映会を見送ったものだった。今回は(私の憶測では)IUFFのNorbertと製作者の橘氏と直接話し合いの上ここで上映されることになったのではないかと思う。この映画についての私の意見は伝えてあったのだが、見事に無視され、この映画が上映されるという話を聞いたのは、IUFFベルリンでのプログラムが出来上がってからだった。それでも、私がこの映画の背景と批判も交えた解説をするよう依頼されたため、もちろんきちんと紹介をした。私も久しぶりにこの映画を見ることとなったが、この回の観客は残念ながら非常に少なかった。私としては、当時の(やや英雄的に描かれているのが気になる)管直人元首相率いる政府が、電源が切れ、緊急宣言が出されてからも東電からはっきりとした情報をリアルタイムで得ることができずにとうとう東電本社に乗り込まざるを得なかった当時のやり取りなどがかなり史実通りに再現されているので、それを詳しく知らなかった人に臨場感を与えることができるとはいえ、それと同時に描かれるフィクションの新聞記者、原発に詳しい元記者、市民の姿、避難を余儀なくされたフクシマの市民たちの描かれ方が物足りない。この映画は原発事故から時間が経ってから同じ新聞記者が当時の政府関係者にインタビューしていく形にもなっているのだが、実際はまだ収束していない原発事故なのに、なにか終わってしまったことに関して分析しているような印象を与えるのが、私には問題に思えた。こういう実際の最悪事故を劇映画にすること自体の難しさなのかもしれない。

「Atomlos durch die Macht」の1シーン

私は受付も担当している日があったので、上映された映画を全部見ることはできなかった。その中で私がもう1作、半分くらいだが見ることができたのは、最終日の日曜の夕方に上映されたオーストリアのドキュメンタリー映画「Atomlos durch die Macht」(監督 Markus Kaiser-Mühlecker)だ。オーストリアは、原発を作りながらも、人民投票で稼働反対が多数を占めたため、完成した原発を一度も運転することなく博物館にしてしまったという世界で唯一の国である。1978年のことだ。原発を作ったからにはもちろんそれを稼働したい人はたくさんいてロビーも強かったに違いない。政治的目論見も当然ある。その中で市民運動を続け、稼働させないと多数の市民が反対の投票をするまで導き、ついにはオーストリアは今後一切原子力エネルギーには手を出さないと決定させた活動家たちとのインタビューがこの映画のメインである。しかもこの原発は、2011年に事故を起こした福島第一のと同じ沸騰水型で、それもあってフクシマ事故のあとは胸をなでおろした人が少なからずいたという。しかし自国に原発がなくてもオーストリアはヨーロッパの中の小さい国に過ぎず、周りにたくさんの原子炉を持つ国々に囲まれているため、危険は変わらず存在している。だから反原発運動は今なお続いている。市民が反対しても、それでも甚大な被害を受ける可能性のある危険をはらむのがこの非民主主義的な発電方法である。ドイツは2022年に脱原発が実現するからと、この問題をもう問題視しなくてもいいように、片付いたことのように思う人たちもいるようだが、そうなってもオーストリアと同じで、問題はちっとも解決されていないことが分かる。ましてや今ドイツでは最終処分地問題で岐路に立っている。そしてドイツでは、最後の原子炉が2022年末で停止されても、ウラン濃縮工場(グローナウ)や核燃料製造工場(リンゲン)は期限なく稼働し続けており、ここからは相変わらず放射性廃棄物が出されるばかりか、世界の原発の10基につき1基がドイツで作られる燃料棒で動かされる計算であることが分かっている。それでは決して「脱原発」などではないはずだが、そういうまやかしと共にあるのがドイツの原発政策だ。このオーストリアのドキュメンタリー映画を最後まで見ることができず(受付に戻らなければならない時間になったため)上映後の監督とのQ&Aにも参加することができなかったのは、残念だった。

Valley oft he Godsの1シーン

今年最優秀映画賞を受賞したのは私には納得のいかない映画だった。ポーランドの監督Lech MajewskiによるVALLEY OF TH E GODS(神々の谷)(トレイラー:https://vimeo.com/357576802)という映画自体は、私の好みではないにせよ、画像もカメラワークもプロの質で、SFと広大な自然風景、そしてインディアンの神話に興味のある人にとってはきっと興味深い作品だったかもしれないが、問題は内容である。まがりなりにも「原子力・核・放射能・ウラン採掘などに関するテーマを扱い、それらの問題点を明らかにしていく映画を集めた」映画祭のはずなのに、この映画ではまったくそのことがテーマではないのだ。ハリウッド俳優のジョン・マルコヴィッチがナバホ族が神々の渓谷と名付けている聖なる谷でウランを採掘しようとする億万長者を演じている、という設定はあるものの、そしてナバホ族の神話や生活が描かれたりするものの、聖なる谷に眠るウランを揺り起こされようとするナバホ族の葛藤や、それが起こすだろう汚染問題などが描かれるわけではない。なんだか話は(私にはまったく納得のいかない)キツネにつままれたような話で、最後にはキングコングならぬ巨大な赤ん坊が大都市を根こそぎにしてしまうというようなSFになっていくのだが、私にはこういう映画をウラン映画祭で見させられている理由もわからなかったし、それが最初から「大賞」受賞と決まっていたために最終日の最後に授賞式で上映されるわけもわからなかった。しかも、その最後の授賞式での司会の賞授与の理由や監督とのインタビューも実にお粗末だった。

もう一つ、北大西洋条約機構(NATO)の軍隊が十年以上も演習・実験を目的に劣化ウラン弾を投下しているイタリアのサルデーニャで、自分の故郷の問題に向かい合い、観光で賑わうこの島を軍事に利用する悪習に闘う勇気ある市民たちの運動を捉えたLisa Camilloによる映画BALENTES – THE BRAVE ONES:(トレイラー:http://www.balentesfilm.com/abouthefilm)もドキュメンタリー映画賞を受賞したが、私はこの作品は受付で働いていて観ることができなかったので、残念ながらコメントできない。

以上が2020年のIUFFベルリンでのウラン映画祭に参加しての報告である。私がIUFFとの協力関係を今回をもって終了する経過は、別の記事で報告する。(ゆう)