ビュールレスク訪問記

2022年8月5日(金)~7日(日)の週末、フランス東部ムー  ズ県の、CIGEOという放射性廃棄物最終処分場建設が計画されているビュールという過疎化した村を中心に、何年も前から行われている抵抗運動グループが毎年(コロナ禍の過去2年を除いて)行っている反核・反原発フェスティバルに、グルノーブルの「遠くの隣人3.11」を代表してK.S.さん、よそものフランス(パリ)からY.T.さんを始めとする四人が参加するのに私も便乗した。

このCIGEOという名はCentre industriel de stockage géologiqueのイニシャルを取ったもので、地層貯蔵産業センターといったところか。フランスではもともと、1980年代から放射性廃棄物を地下に埋蔵するべく候補地を探したが、どこも大きな反対運動が起きたため1991年に処分場建設のための法的根拠を作った。「貯蔵所としてふさわしい地層かどうかを調べる研究所」の候補地として三つを提出するはずが、口先だけ三か所提示したものの、結論はビュールと決まっていたことから「ビュール、ビュール、ビュール」だったと揶揄されるほどだった(ちなみに、この「ビュール、ビュール、ビュール」がここでの抵抗運動のスローガンにもなっている)。1998年末の閣議決定後、ビュールでの研究所設立をANDRAに任せる政令が1999年8月に発布された2006年には「可逆性のある」地層埋蔵所を作る法律を通してしまった。どこのどういう地層が最適かという根本的な比較調査も科学的根拠を透明に人々の理解を求めるプロセスも経ずに、上から押し付けたのだ。ムーズ県ビュール地方の地層は主として粘土でできている。2016年になると最早調査ではないパイロットプロジェクト段階に入り、建設にかかる全体費用のおよそ25%を費やしたとみられているそうだ。

ここで計画されている最終処分場は、ムーズ県の5つの村(ビュール、ソードロン、リボークール、ボネ、マンドル)を犠牲とし、270ヘクターの土地(地上)に及ぶ施設建設物(敷地ではなく、あくまでも地上に建てられる建物全体の広さ。廃棄物を輸送で受け取る駅や、地下に送る前の梱包のための施設等も含む)を作り、270キロ/15キロ平米の地下トンネル貯蔵庫(ギャラリーと呼んでる)を作って、高レベル放射性廃棄物を保管しようという巨大なものである。地下埋蔵所に運ぶトンネル通路の長さは5キロ、貯蔵できる廃棄物の量は約8万立方メートル(一度貯蔵すればもう取り出すことのできないもの)。建設および貯蔵が完了するまでに130年かかると予想されているが、これにかかる費用はほぼ400億ユーロの費用と見積もられている。

CIGEOの計画の図
https://bureburebure.info/qu-est-ce-qui-se-passe-a-bure/

今年の7月8日にマクロン政権ではまず、国務院がこの計画を遂に「公益事業」と名付ける政令を、続いてボルヌ首相が「国益事業」だとする政令を出し、自治体の権限を越えて環境調査などを省き、規則も無視して事業を施工できるようにしてしまった。まだ放射性廃棄物はビュールには持ち込まれていないし、それが行われるのは2025年以降だろうと言われているが、ANDRA(Agence Nationale pour la Gestion des Déchets Radioactifs)(放射性廃棄物管理のための国立機関とでも訳すか)はすでに3000ヘクタールにわたる土地を買い取り、ここに計画に必要なインフラストラクチャーを着々と作り始めている(線路、道路、電線等)が、この法律でもっと広範囲にわたる土地の買収が可能になるほか、工事も可能となるだろうと言われている。これはあらゆる反対派の議論、問題提起を無視して行われたものだ。反対派はすぐにコミュニケを出してCIGEO事態の許可はまだ下りていないのに準備工事を始めてしまうことになることを批判し、地下埋蔵所の火災や爆発の危険性についての専門的調査が終わるのは2026年のはずなのに、既成事実を作るためにこの政令を出したと言って反対している。ANDRAはまだCIGEO建設許可の申請書を政府に提出していないのに、どうして準備工事が始められるのかと反対派は訴えているわけだが、それはドイツ・ゴアレーベンの最終処分場計画が進められていたときの話とまったく似ている。調査は形式的なものにして結論ありきでことを進め、既成事実をどんどん作ってしまおうという構造は、いわゆる「国策事業」ではよくあることなのだろう。ことに、この土地の粘土地層が花崗岩の場所と比べてどうなのかという調査研究が透明に行われてこなかった経過が気になる。ビュールが選択された後の2000年から花崗岩地層の地域15か所で調査をやろうとしたがすべて反対運動で停止になったため、しっかりした比較は行われていないようだ。

2004年からフランスとドイツの運動家たちが集まってBZL(Bure Zone Libre:自由解放の土地ビュール)という団体を作って、ビュールに古い家を購入してそれを修復し、抵抗の家(まさに名も、メゾン・ド・レジスタンス)を作った。ここで同志が集まって話し合い、コンサートや議論を催したり、寝泊まりもできる場所を作ったりしている。これも、数年前に訪ねたゴアレーベンで見た運動の在り方ととてもよく似ていると私は感じた。

このグループが主体となって毎年行っているのが私が今回参加したフェスティバルで、その名もアメリカのヴァラエティショーのジャンルの一つバーレスクのフランス語読みをもじった「ビュールレスク」だ。主催者に若い人が多いとはいえ、フェスティバルのプログラムの豊富さと大きさにはびっくりした。映画ばかりを上映するテント、講演会、議論の場を提供するテント、コンサートのテント、スペクタクルを提供する場所、それに毎日700名分の温かい食事(ビーガン)を昼間と夜提供するテントに、飲み物(地元のワインやシードルなども)、その他の食べ物(すべてビオ)を提供するスタンドなどがあり、用足しの後、木屑をかける方式のトイレが並び、救急医療のためのテントもあった。入場料はすべて「寄付」で、自分が払える、払いたい額を払えばよかった。プログラムはあまりにたくさんで、どれに行ったらいいかわからないほどだった。私が行きたいとかねがね思いながら(車がないために)まだ行けないでいるゴアレーベン(Wendland)のグループが聖霊降臨祭の頃に行うフェスティバルもこんな感じのはずだ。ただ、産業も何もない過疎化した地方であるビュール近くで行われるフェスティバル会場には行くのも大変で、私はよそものフランスのグループの人たちが車でパリから来るのに駅でピックアップしてもらわなければ当然行くことは叶わなかった。一番近くの駅からも35キロほどあり、テント野宿する元気はさすがになかったので、その会場からさらに30キロほど離れた民宿を計6人で予約した。ベルリンからは本当に遠くて、ストラスブールで一泊して次の日にビュール近くの駅へと向かったのだった。

 

 

毎日2回700名分のメニューを提供する食堂テント

 

 

私が今回ここに行くことになったのは、グルノーブルのグループ「遠くの隣人3.11」がフランス語字幕をつけた松原保監督のドキュメンタリー映画「被ばく牛と生きる」がここで上映されることになり、そのトーク・質疑応答のためにこのグループを代表してK.S.さんが招かれていたからで、それにパリのグループの数人と私が一緒についていくことに決めたからだ。「被ばく牛と生きる」は私も国際ウラン映画祭のためにドイツ語字幕をつけたのでよく知っているし、あれは詳しくフクシマまたは日本のことを知らない人でも、農家の人たちや動物好きの人たちなどには特に身につまされる作品で、世界のどこでも見せられる作品だ。映画の中で希望の牧場の吉沢さんが環境省の前で職員に向かい、「オリンピックなんてしてる場合か!」というところでは、パリ・オリンピックを控えているフランスだけに、観客から拍手が沸き起こっていた。

上映された映画用のテントはほぼ満員になり、真剣に長編の映画を見てからも、すぐに席を立つ人はほとんどいなかった。そしてその後の挨拶・質疑応答にも残ってじっと聞き入っていた。トークに残ったのはK.S.さんとY.T.さんで、映画の話というよりは、あの映画撮影時から何年も経った現在のフクシマの状況、先日の屈辱的な最高裁判決、同時に一筋の希望を与えた東電株主訴訟判決についても報告し、汚染水海洋放出が計画されている中、それに反対する運動があることもアピールした。またこの二人と一緒にフランスの環境派の農民連を代表した男性も登壇し、話をした。

質疑応答で印象に残っている質問は「こういう事故が起こってしまった場所では、人々にはレジリエンス(最近は日本語でもレジリエンスと言っているようだが、柔軟性・回復力・適応能力をひっくるめたような言葉だと私は理解している)がつくのではないか、ついて当然なのではないか、というような質問があった。しかし、これでは私たちが以前から批判しているエートスの考えと同じで、原発事故があった場合、放射能との共存を当然のように求められることにつながってしまう。本来なら事故の加害者や原因を追究し、汚染を詳細に測定して把握し、放射線防護を徹底して住民が被ばくしないように最大限の努力をして避難生活を援助すべきところを、漏れてしまったのだからそれでどうにか生きるよりない、放射能と共存することは可能だ、レジリエンスは作れる、ちょっとくらいの放射能なら大丈夫、と押し付けてしまうことになり、実に危険だ。だからレジリエンスという観念をここに持ち出すのは問題だ、ということをKさんは淡々と明確に答えていた。

 

 

映画上映後のトークに聞き入る観衆

 

 

私はかつてフランス語を勉強したとはいえ、もう35年もドイツに住んでいるうちにすっかりさび付いているので、アクティブな参加はできなかったが、自分に関心がある話だからか、議論や人の話はそこそこついていくことができた。それでも100%理解できたわけではないので、情報の正確さについては一緒にいたフランスからの仲間にチェックしてもらうことにして、参加したプログラムの中から印象に残ったものをいくつか紹介したい。

かなり以前から環境団体などから問題視されている湧き水の私有化(NestleやVittelなど)というテーマがあるが、大体水という本来その土地に住む生物の生命維持に必要なみんなの物であるはずのものを国際企業が独占してボトルに詰め、商品として有料で売る、ということがそもそも問題だ。こうした水の国際的大企業による私有化(とそれにまつわる環境汚染、社会問題その他)と廃棄物処分場の国益・公益事業としての上からの押し付けとその強硬な進め方には類似性があるのではないか、という見方での講演があった。水を土地に当てはめると、その類似性ははっきりする。

ある目的のため(商業営利、国益、臭いものには蓋の論理、とにかく行き場に困ったゴミの処分に対する解決法を強引に提示して押し付けるなど)に、そこに住む生命(人間だけではない)すべてのものであるはずの土地を買い取り、環境破壊、汚染、そこに住む生命の健康への影響などを無視もしくは軽視して、反対意見や議論は相手にせず、結論ありきの不透明な調査分析を名目上行って計画を強行する、という点で確かに類似したやり方と言える。原発建設ももちろん同じだ。ことに原発建設および運転は国策と言えど国ではなく企業が行うのだから、もっと類似性は高いかもしれない。これほど長年にわたり(放射線を出すものは半永久的に)環境を汚染し生命を脅かす危険のあるものを、本来は皆のものであるはずの土地を買収して建設し、維持していくということを、利潤追求する企業と、ある(不透明な)団体(ドイツで言えば最近バイエルン州で話題となっているTÜV、日本なら原子力規制委員会など)がお墨付きの許可さえ出せば、実行に移してもいいのか、それほどのことを一部の人間だけで決定することが許されるのか、というのは常々争われてきている問題点だ。ことに気候変動で今ヨーロッパは各地で雨が何か月もまともに降らず、川が枯渇するところが増え、水不足で水制限を始めている場所も多い。そんな中で湧き水を営利企業が独占してどんどん汲み上げプラスチックのボトルに大量に詰めて高い値で売るということが許されていいのか。ビュールのことで言えば、粘土質の地層に高レベル放射性廃棄物を貯蔵して、もし地下水が汚染されることがあれば、首都のパリも簡単に汚染されてしまう。そういう意味で、この議論は水だけでなく、フラッキング(水圧破砕法)によるガス採掘(今エネルギー危機でそれをまた推進しようとする動きが世界各地で増えている)、ウラン採掘、電池に使われるリチウム、コバルト、ニッケルその他の資源採掘、金採掘、もちろんもういい加減にやめてほしい石炭採掘でも同じことが言える。

もう一つ興味深かったのが、1980年以来、放射性廃棄物処分場候補となってきた各地方やラ・アーグ再処理工場の地元の市民たち、チェルノブイリ事故後作られたフランスの放射能に関する調査および情報提供の独立委員会(放射線防護のためのNGO)のクリラッドのメンバーなどが続けてきた地道な「戦い」の歴史を映像やインタビューでまとめたドキュメンタリーを見せながら、過去40年どのようにフランス各地で核廃棄物の埋蔵に人々が反対し、抵抗運動を展開して、実際に候補リストから抹消させるという勝利を勝ち取ったこともあったという事実を紹介する講演会だった。「過疎」地を狙って原発や廃棄物処分場を建設しようとするのはどこの原子力ロビーも同じだが、市民がさまざまな知恵を出し合って敗退させることもあったエピソードは痛快だった。ここでも長年の「闘志」が「ユニークな反対運動のアイディアはゴアレーベンのグループたちから多く学んだ」とも述べていた。こうした「成功」の経験をビュールでも生かそう、ということで各地から闘志たちが集まって思い出話やこれからの抱負などを語っていた。

私はゴアレーベンの闘志たちに会った時も痛感したが、自分の住んでいる場所、働いている場所(ことに土地や川、海と密接に結びついている農民や漁民など)がこのような想像もつかない放射性廃棄物という猛毒で取り返しがつかない形で汚染されてしまうという切迫した危険のある場所の市民の方が、遠くの都会にいる市民たちよりもずっと真剣に根強い抵抗・反対運動を続けるのだと思う。彼らは一度汚染されてしまっては遅すぎる、今抵抗して何が何でもそれを防がなければ、という危機感で連帯し、譲歩しない運動を展開できる。それがゴアレーベンでもあったことだし、このビュールでも今回見れるものだったと思う。それが、その切迫感から離れて遠くに住んでいたり、土地や川・海に直接依存した生業をしていない人たちは、世界はそのほかにも各種深刻な問題には事欠かず、注意も散漫し、危機感が薄れてしまうのかもしれない。日本を見ても、フクシマ事故から十一年経って、事故発生直後にあった反原発運動のうねりは年々減って、今も変わらず声を上げ運動し続けている人の大半は、故郷を奪われ、土地や海、川を汚され、生業を奪われ、人生が変わってしまった事故の犠牲者、被害者か、危険な原発立地地域の市民たち、もしくは最終処分場候補を名乗り上げた自治体の市民たちなどだ。しかし放射能に関しては対岸の火事、ということはあり得ない。日本列島は狭い。ロシアのウクライナ侵攻でさかんと防衛費を大幅増額し、非核三原則の見直しを求めたり核共有などと言い出す輩が増えているが、ウクライナのサポリージャ原発が攻撃を受けてヨーロッパが震撼としているように、日本が防衛強化する根拠となっているはずの中国や北朝鮮、ロシアからミサイルで日本海岸沿いの原発銀座を狙うのは簡単なはずだ。そうすればどんな防衛力を日本が持っていようが、日本列島は簡単に放射能まみれになってしまうだろう。そういう想像をしていけばいくほど、日本のどこにいても切迫感はあって当然なはずで、反原発・反核運動をしないわけにはいかないように思うのだが、そういう恐怖や不安を「大丈夫・安心・安全」のプロパガンダに包み込む機能は素晴らしく発達しているのだ。

それはフランスも似たような状況にあるように思う。フランスはまして核保有国であり、原子力によりエネルギー自立していることを誇りとしている国だ。そのフランスもしかし、そのほとんどの原発は老朽化し、支障が出て止まったりしているだけでなく、冷却水に使う川が旱続きで枯渇したり少なくなって使えなくなり、停止せざるを得なくなっている。ヨーロッパでエネルギー危機を迎えているのは、もちろんロシアからのガスや石炭が来ないこともあるが、フランスが不足する電気を(自国の需要だけでなく、オーストリアやイタリア等には契約があるから安値で売り続けなければならない)ドイツなどから輸入しなければならなくなってヨーロッパ電気市場を圧迫させているからでもある。

ドイツに至っては、せっかく今年2022年末までに最後の原子炉を停止させ脱原発を完了させる予定なのに、延長して動かせるようにバイエルン州のズーダー首相を始め、今の連邦政府の連合政権の中でもFDPなどが強く働きかけている。しかし原発は不足しているガスの代わりにはならず(ガスによる発電はわずか)、年末に停止予定だったために、今動いている最後の三基は10年ごとに行われるはずの原発定期検査を受けていないですでに数年経っており、もし運転延長をすることになればその定期検査をしなければ運転はできないはずであり、燃料棒も今年末までのものしか注文していないので、続きはない。ガスは、化学産業などの原料、そしてドイツでは多いコジェネによる地域の熱供給のために必要であり、それから石炭による火力発電や原発では細かく発電調整ができないため、再生エネルギーで電力が不足したときに微調整可能な発電としてガスが必要なのだ。そういうことをしっかり言わずに、電力不足という部分だけを煽り、原発さえ動けばすべてが解決できるように演出する原発ロビーが根強くいることを憤ると同時に、そのことにドイツにいる市民も「切迫した危機感」をもって反対していかなければならないはずなのである。

最後に参加した講演会は、最終日の日曜の最後の目玉として注目されていたもので、フェスティバル主催者側が強く推薦したらしい「Oublier Fukushima」(フクシマを忘れる)という本を書いた三人の著者(ジャーナリストなのか、アクティビストなのかはっきりしない)を招いてのものだった。この本は、核にまつわる最悪事故を忘れさせようというはっきりとした意図による、忘却のためのシナリオ、メソッドがある、ということを書いたものだ。ことに「被ばく牛と生きる」を見た著者の一人が、KさんやYさんに、ぜひここでの討論に参加してほしいと要望したこともあって、私たちもどういう本なのか、彼らがどういうことを書いているのか知りたかったし、フクシマに関することなので私たちが参加する意義があると思い、話を聞いた。

本は分厚いもので細かく章に分かれており、事故の後「事故処理をする」「避難させる」「復興する」「矮小化する」「破壊する」「帰還させる」「調査する」「祝う」などが見える。彼らが言っているのはどうやら、フクシマで起きたことを忘れさせようとする戦略シナリオがあり、最悪原発事故などは本当はなかったのだ、原発(政策)に反対する理由はどこにもないのだ、原発事故の後起こったことはすべて「非可視化」できるのだ、という方法を原子力ロビーはフクシマで実行に移した/今も移している、そしてそれはどこでも繰り返し行われるだろう、ということを主張したいようだ。そのこと自体はわかるし、一理あるのだが(実際政府・東電が電通を使って行ってきた/いることが明らかになればなるほどその通りだということがはっきりする)、この本については私たちはどう見ても賛成することができなかった。というのは、まずこの本はいろいろな人たちの発言の引用をしているのにも関わらず、その原典がどこなのかがすべてに対しては書かれていないこと、情報源提示が少ないことだ。またもとは日本語である情報源を誰がフランス語に訳したのかもわからない。だからジャーナリストとしての本としても科学者としての本としても不十分だ。この三人はそれなりにフクシマの事故の経過や何があったかを詳しく勉強してきたかもしれないが、実際に日本語ができるわけでもなく、長く福島(または日本)に住んでいたわけでもない、ほとんどがまた聞き、聞きかじりで書いたのではないかと思われるところが多い。しかも、彼らがフクシマに関する話をしていくと、詳しく知っている部分もあるが、例えば小児・若者の健康調査での甲状腺がん症例の経緯についてなど、事実とは異なる内容を憶測で適当に述べていたりする。実際あったことはより自分たちの話に合うようにドラマチックに、なかったことはあったかのように演出して話すなど、私たちとしては許せない姿勢だったことが鼻についた。

       問題の本

反原発なら、フクシマの犠牲者の味方なら、あることないこと何でも言っていいわけではない。それよりは正しく証拠のある事実をよく正視してそれを注意深く分析し、現状把握をし、同時にどうあるべきか、なにをしていくべきかを議論したり、政府や東電の批判をすべきであることは、私たちが以前から口を酸っぱくして言っていることだ。事実を矮小化したり、小さいものを誇張するのでは、私たちが批判・非難している相手と同じレベルに落ちることだ。それにしても、自分のよく知らない国や文化、人々のことをあたかも熟知しているかの如く書いたり語ったりするということはやはり恐ろしいことである。自分が長く住み、言葉もある程度マスターし、メンタリティや文化も熟知し、歴史や思想も理解して初めて少しはその国や土地について話すことも許される、というような、当然あるべき謙虚さをなくしてしまうと非常に怖いと思うし、外国に住む私たちも気を付けていかなければならないことだと思う。フクシマ原発事故後、あらゆるドキュメンタリー映画ができて、そこには外国から来た人による作品もあり、中にはこれは絶対に許せない、というのを私はいくつも見てきたが、それと同じ感想をこの本の著者三人に対しても抱いた。

日本では北海道の自治体のいくつかが高レベル放射性廃棄部の最終処分場建設に向けた政府の調査を受け入れる誘致を表明した。それでさっそく寿都町では反対運動グループができている。そのことを聞いたビュールのグループがぜひ連帯メッセージを送りたいと考え、そのやり取り仲介を「遠くの隣人3.11」のK.S.さんに依頼した。今その調整が始まっているところだ。私はそれを聞いて、ゴアレーベンの仲間に連絡を取り、彼らからも同様の連帯メッセージを出してもらってはどうかと考えている。同じような国策の被害を被ろうとしている地域の抵抗運動グループから連帯し応援するメッセージを受け取ることが少しでも励みになれば、と思う。市民抵抗の方法などに関しても学べるところがあるかもしれない。たくさんのプログラムの中でコンサートやスペクタクルなどは見る暇がなかったが、和気あいあいとした、子どもからお年寄りまであらゆる年齢層が集まったビュールレスクは、核廃棄物の最終処分場という重くのしかかるテーマをめぐりながらも実にエネルギーに満ちて、皆が楽しんでいる活気あふれたものだった。これだけのフェスティバルを計画し実際に運営するのはどんなに大変だっただろう。でも若々しくあらゆる人々に対して開かれた「反抗の祭典」であった。

フェスティバル会場で汚染水海洋放水反対を呼びかける

私たち六人は一台はパリからYさんが乗ってきた車、一台はレンタカーを地元で借りて移動していたのだが、Yさんはパリナンバーのため、二度もフェスティバル会場のそばで待ち構えていた憲兵(フランスでは大都市にしか警察はいないらしく、農村部で警察の役割を果たすのは軍に所属する憲兵ということだ)に車を止めさせられ、厳しい職務質問を受けた。一度は私も乗車していたが、乗車している者たちにもIDを出させてしっかりチェックしていた。ビュールレスクに行った人たちの中に、警察に「デモに行くのか」と尋問され「フェスティバルに行く」と答えると「じゃあデモに行くんだな」と言われた、とネットに書いている人がいたが、このフェスティバルに参加する人たちは政府の原発・核政策に反対する危険分子なのだ。孤立した反対運動は辛いし切ないが、こうやって同じように考え、行動する人たちとその考えが間違っていないことを確かめ合うことができると、やはりほっとする。私もとても遠いビュールだったが、フランスの仲間のおかげで今回参加することができて、感謝の気持ちでいっぱいである。そして切羽詰まった危機感を、私も忘れるわけにはいかない、と改めて確信した。(ゆう)

 

「被ばく牛と生きる」上映の際去年作成したフクシマ十年後の状況を伝えるチラシを配るよそものフランス

 

 

協力:「遠くの隣人3.11」K.S.さん、「よそものフランス」Y.T.さん

写真提供:「よそものフランス」、「遠くの隣人3.11」、ゆう(SNB)

参考リンク:

Bure‘lesque(ビュールレスク)フェスティバルサイト:https://burefestival.org/

ビュール反対運動グループのサイト:https://bureburebure.info/qu-est-ce-qui-se-passe-a-bure/

寿都町「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」サイト:http://kakugomi.no.coocan.jp/index.html

よそものフランスのフェスティバル参加報告記事:
http://yosomononet.blog.fc2.com/blog-entry-459.html

 

情報パンフレットやバッジ、シールなどを売るテント