コミュタン福島訪問等

 福島の事故から5年以上が経過し、その間自分の中でもいろいろな変化があった。

 特に2014年に乳がんの手術を受け、治療の一環で放射線治療を受けた後は、医療上のことと事故のことという違いはあるものの、「放射線」というテーマに対して、変ないい方かもしれないが、何か一つ肩の力が抜けたような気がする。そんなこともあって、今回SNBさんより「何かこのテーマについて書いてみませんか」とお誘いを受けたときも、何か書いてもいいかな、という気分になることができた。ただ、私はジャーナリストでも、とりたてて博識なわけでもないので内容は稚拙なところがたくさんあると思うので最初にその点だけお断りしておきたい。

 201611月。用事があって日本に帰省するのに合わせ、福島県郡山市に1泊することにした。大きな理由は震災後から毎年クリスマス時期に郡山からほど近い三春町にある葛尾村の仮設幼稚園に小さなプレゼントを送っているのだが、ちょっと早いプレゼントを直接持参しようと思い立ったからである。高速バスやホテルを予約したのち頭をよぎったのが、そういえば武藤類子さんのお住まいがこのエリアではなかったか、ということを思い出し、連絡を取ってみたところ、ちょうどその週末はアメリカから知人の方がいらしているがご自宅にはいらっしゃるということで何度かメールのやりとりをする中で、三春についにできた「コミュタン福島」という施設を見たほうがよいとお勧めいただき、当日コミュタン福島で待ち合わせをさせていただくことになった。

   8時半の郡山行き高速バスに乗ってちょうどお昼すぎ、郡山駅前に到着。急いでホテルに荷物を置いて13時発の「コミュタン福島」への無料シャトルバス(日曜日だけ運行されている)に乗るべくダッシュした。多分13時ちょっと過ぎたと思うが、シャトルバスはまだ出発しておらず、運転手の方も何かちょっとびっくりされたような風で迎えてくださった。。。50人乗りの大型バスには私一人がちょこんと乗車しているだけだったので、なんとなくびっくりされた理由がわかった(私もびっくりした)。30分ぐらい走った後だったか、途中バスが止まったので何事かと思い運転手の方にお尋ねしたところ「この停留所で一応止まることになっていましてね、まあ誰も来ないんですけど、すみませんお急ぎですか?」と申し訳なさそうに答えられてしまった。。。

当日は私一人でびっくり、の車内

 さてそれから10分後ぐらいだったか、ようやく「コミュタン福島」に到着した。武藤さんと、アメリカからいらしていた知人の方もともにいらして、それがシカゴ大学日本文学名誉教授ノーマフィールドさんということをこの時初めて知った。

 さて、「コミュタン福島」とは「福島県環境創造センター 交流棟」の愛称である。

コンクリートでできたシンプルな外観

ホームページには

 ”福島県環境創造センター交流棟は、県民の皆さまの不安や疑問に答え、放射線や環境問題を身近な視点から理解し、環境の回復と創造への意識を深めていただくための施設です。

コミュタン福島には、放射線やふくしまの環境の現状に関する展示のほか、360度全球型シアター、200人収容が可能なホールなどを備えております。

コミュタン福島で得た学びや体験から得た知識や深めた意識を、子どもたちや様々な団体が共有し、それぞれの立場から福島の未来を考え、創り、発信するきっかけとなる場を目指します。”

 と記載がある。

 当日ほとんど事前知識のない状態でさらりとこの「コミュタン福島」を見てみると、入口で福島の事故が起こった時のビデオ、そして放射能とは何か云々(ようは自然界にも存在するとかそういった「安心感」を与えるようなよくある内容)の他に展示の何パーセントかがいわゆる自然エネルギー紹介であることもあり、ちょっと錯覚を起こしてしまいそうな雰囲気となっている。錯覚とは、放射能について正しく学びつつ将来は自然エネルギーについて考え、未来は原子力に頼らない県づくりを、といった前向きなメッセージを感じ取れるような施設に仕上がっている風に思い違いを起こすような、という意味だ。

写真がぼけていてすみません
コンピュータで自分で学べる図書館のような場所がある

 この施設の建設時には武藤さんをはじめとした脱原発に取り組んでいる方々からもいろいろ意見を取り入れますということで話し合いが持たれたそうだ。そういった面で多少の意見が取り入れられたのだと思われるが、ただ冷静になって考えてみると例えば原発事故はまだ収束していない、原発労働者の問題や汚染水の問題等は一切この施設には出てきていない。汚染水の流出などは数値化して毎日更新するなどしたほうが現実味が増すような気がするがそういったものではなく、数値化されているのは福島に観光で訪れた人の人数(震災後観光客足がどう増えたか)だったりで、負の側面を「巧妙に語らない」ようにできた施設といえるかと思う。

放射能に対する知識をつけるような冊子類に交じって、水俣病問題の本やシリア難民についての本が置かれていた。

 あと特出したものといえば、360度全球型シアターで上映されるイメージ映画?というのか、震災、原発事故という災難を超え、福島の美しい四季を西田敏行さんの素晴らしいナレーションで堪能できるシアターがあった。聞いた話によればこの360度のスクリーンを使った施設は世界で2件しかないという最先端の技術だそうだ。。。
 ちなみに施設の建設費は70 億円(南相馬にもある環境放射能センターと合わせて全体で192億円)、年間運営費は9億円×10年 という話で、これは国の復興費からでているそうだ。日本国民はこういうこと知っているのか?と不思議に思う次第。。。復興とは何ぞや。。。

 さっと見学したのち、武藤さんとノーマさんの3人で休憩室にて少しお話しをすることができた。

 個人的なことを最初に書けば、ノーマさんとは今回初めてお会いしたのだが武藤さんとは2度目になる。1度目は2013年に当方のイベントにてビデオ上映をするため東京にてインタビューをさせていただいた経緯がある。武藤さんにお会いする前まで、私の中の勝手なイメージは失礼ながら「長いこと脱原発に取り組んでいらっしゃるバリバリの活動家の方」で、何か変な質問したら怒られそう、とか戦々恐々としていたのだが、実際お会いした時の第一印象がとても柔らかで、それでいて一つ芯の通った素敵な女性、こういう方を「大和撫子」というのだ、と感動したことが忘れられない。知識のない私の稚拙な、どうでもいいような質問に対してもゆっくりと丁寧に、わかりやすく答えてくださる。何よりも私が尊敬するのは、武藤さんの言葉の背景にはいつも「人への愛情」がこもっていると感じさせてくれる点である。武藤さんご自身はもちろん脱原発という確固とした意志を持っていらっしゃるわけだが、例えばその意志が何か相手を傷つけるような場面に遭遇したとしたら、武藤さんは決して相手に自分の意見を強いるようなことはしないと感じる点である。静かに、相手の意見に耳を貸しながら、寄り添っていかれるのだと私は推測する。

 私が悲しく思うのも、攻撃の矛先が国や東電ではなく何故か避難しなければならなかった人たちだったり、県民同士国民同士が争う構造だ。武藤さんの今回のお話の中で例えば「被災者支援の延長を求める人たちはクレーマー扱いとなっている」などのことは、日本人の冷酷さを感じるところである。以前東京の山谷地区で長年ホームレスと活動している方と話しをしたことがあるが、ホームレスについていえば「ホームレスになった本人に問題がある」的な意見が普通にまかり通るのが日本の風土のようである。よくよく思うに、これはホームレスの方に対してばかりでなく、何か社会的弱者の立場にあるような人々に対してよく見られる反応、いわゆる「自己責任」という言葉でばっさり切り捨てるような風土があるように思う。実際私も15年東京で暮らしていた際はそのように思っていた節があるし、そのままずっと日本に暮らしていたらそんな風に思って一生を終えていたかもしれない。今は、例え自己責任があったとして、どうしてそれが「人を助けない」理由になるのか、と疑問に思うようになった。震災を海外ドイツで体験したわけだが、それでもこの出来事は自分の考え方を変える大きなきっかけとなったといえる。

 さて、武藤さんからうかがって空恐ろしいと感じたことといえば、福島県内の小学校5年生は全員「コミュタン福島」へ課外授業として訪問することとなっているそうだ。すでにその取り組みは始まっている。武藤さんのお話しではなんでも水俣病問題の際も小学校5年生がターゲットになっていたらしい。日本の小学校5年生のレベルで、この施設に対して負の側面を見極めることのできる子はどれくらいいるのか、正直判らない。私が訪問した日曜日には数人の家族連れの方がいて、子供たちが「放射能撃退ゲーム(?)」(大きなスクリーンを使って、何か専用の板をかざして放射能に見立てた点やら記号やらから自身の体を防御するといった風なゲームと思われる・下記写真)をしながらキャッキャッとはしゃいでいる様子を見た限り、よほどご両親か教員の方がきちんとした状況を伝えないことには難しいのではと思う。

インタラクティブなシステムを使ってこのようにゲーム感覚で放射能(と見立てた記号物)と遊ぶことができる

 そもそも放射能を安易に撃退できるような術はないと思うが、こういったゲームで何か「自分が撃退できる」ような疑似体験をさせるのはいかがなものか、と考えてしまう。 

 そういう意味で親御さんや教員の皆さんの役割は極めて大きいと思う。子供たちに事故の罪はないから明るい未来を見てほしい、と思うかもしれない(大人自身がそう思いたい)が、このような重大な事故を起こした現実を大人たちにはきちんと伝える義務と責任があると私は思う。特に「コミュタン福島」の館長が原子力村出身、その他IAEAJAEAのジョイントベンチャー施設ということを冷静に見つめれば、いろんなことを「疑ってみる」べきだと思う。

 脱原発の活動において全く先が暗いというわけでもない点ということで武藤さんにお話しいただいたこととしては、ご自身が活動されている福島原発告訴団の活動がようやく実を結んで東電の当時の役員を強制起訴すべきであるという結果を導くことができた点と前新潟県知事の突然の不出馬に混乱を来した新潟県知事選において脱原発を掲げた米山氏が当選したということだ。(その後柏崎市長選では原発容認候補が勝利してしまいましたが。。。)
 強制起訴については活動が実を結ぶというのはうれしいことではあるが、5年もウヤムヤにしている司法制度、国、東電はどうなんだ、という感もある。というかまだ決着していないわけなので大変な道のりと思う。オリンピック、オリンピックと浮かれている場合ではないと思うのは日本から離れた場所に住んでいるからだろうか。オリンピックでよくなったであろう景気を堪能できない身分なので「そんなに大事なこと、すごいことなのか?」と思うばかり。。。

 今年もすぐに6年目の311日がやってくる。不精な私はそれこそ毎日アクティブに日本の状況をネット等で検索しているわけではないが、年を追って原発事故のニュースが目につきやすいトップページに掲載されることは少なくなってきたと感じる。それはただ、決して「56年たって状況が良くなってきた」からではない。下記の201719日放映のドキュメンタリーを見たが5年の歳月を耐え、また状況に戦って来られ、そのエネルギーが今尽きようとしている方々がたくさんいらっしゃるという現実を知るべきと思った。

東日本大震災「それでも、生きようとした~原発事故から5年・福島からの報告~20170109
http://www.dailymotion.com/video/x57x49t
(リンク切れの場合はご容赦ください)

 子供たちの甲状腺がん(疑いを含む)についていえば、201612月までに183人になったそうだ。ニュースではだいたい数字の報告だけの「冷たい」お知らせになっているかと思うが、例えば183人の子供という数値を現実感をもって「想像」しようとすれば、これは小中学校の4クラス分とかそんなとんでもない数ではないか?ちなみに武藤さんたちが20167月より設立した「3.11甲状腺がん子ども基金 」の第一回療養費給付金補助には36件の応募(うち福島県外から9件)があったそうである。

福島第一の模型が飾られていたがなんとなく危機感がない

 この文章を記載するにあたり再度武藤類子さんに数値上の誤り等を修正していただきたくコンタクトをしたところ、

「昨年11月にお会いした後に、身近に甲状腺がんを含めた健康被害が見つかり、また自死などの事象も起こり、やりきれない状況です。それでもおそらく3月までには、刑事裁判が始まると思います(福島原発告訴団の活動,東電の当時の役員を強制起訴)。出来うることを、一つずつやっていくしかありませんね。」という静かで力強いメッセージをいただいた。

 ご自身が福島にて被災され、福島の被災された方々に寄り添いながらいろいろな活動をされる中、心が何度も折れるような大変な状況下をすごしていらっしゃるのに、こうやって一歩一歩前進していこうと心を振るい立たせるのは本当に並大抵のことではない。その原動力は、と思いをはせたとき、思い出すのはコミュタン福島でお会いしたときに話してくださった梨の話だ。

 お知り合いの農家の方で長年梨を生産していた方がいらしたそう。原発事故で放射能汚染され、最初の数年はセシウム値が検知され、心を痛めつつ購入をせずにいたそうだ。それが今年になってセシウム値がゼロとなった旨連絡がき、不安に思いながらも一箱梨を購入されたそうだ。

「もし私に子供がいたら食べさせるかどうかわからない、、、でもねえ、この買った梨を食べたときは(原発事故以前と変わらず)本当においしい~ぃって思ってね、、、」

 ”おいしい~”と話されたときの武藤さんの、複雑な声のトーン。このような”おいしい~” は初めて聞いたように思う。戻ることのできない過去への思慕と悲しみの中にミックスされた「郷土への深い愛情」が静かに響く、そんな寂しくも強い音色だった。

Manami N.

リンク
3.11甲状腺がん子ども基金
http://www.311kikin.org/