Category Archives: 再生可能エネルギー

#日本は原発をやめられないのか -ドイツの取り組みと現状から学ぶ-

日本はなぜ原発をやめられないのか

福島第一原子力発電所の事故から10周年を迎える今年、これまでに個人的にも度々、勉強の機会をいただいている西村さんに、単独で講演していただいた。西村さんはいつものようの穏やかな口調で、ドイツはなぜ脱原発の道を選んだのか、その背景を詳しく語ってくださった。

 

地球温暖化 

世界の気温が100年あたり0.73度上昇している。日本では1.24度、1.3度上がると東京都の気候が宮崎県ほどの気候の様になるという。このままでは今までのような生活ができなくなる。ほぼ確実に言えることは、二酸化炭素の排出と気温の上昇は密接に関係しており、人間の出す温室効果ガスが世界の気温の上昇に強い影響を与えているということだ。またコロナによる経済活動の停滞での温室効果ガスの排出量の急減は、一時的なものに過ぎないだろう。IPCCIntergovernmental Panel on Climate Change/気候変動に関する政府間パネル)の研究によると、気候変動の経済的な被害も甚大なものとなるとの予測がされている。例えば日本の気温が今後100年間でさらに3度上昇すると、世界の5分の1に当たるGDPの21%が失われることになる。今後、災害被害はますます大きくなる。

冒頭に紹介されたシロクマとヒグマ

この100年で北極の氷は40%ほど減少しており、居住環境を失ったシロクマたちは食べ物を求めて南下し、一方アラスカのヒグマは北上、ヒグマとシロクマの間に子どもができるという、自然界の生態系にも、これまでになかった異常事態が起きている。

写真左:暖房のないドイツのホテル (ドイツのエコ建築については、文末にある過去のブログもぜひ参照してください)

ドイツの取り組み

冬でも暖房なしで快適性を保てるエコ建築への推進。ハロゲンランプをLEDに変え、熱エネルギーの消費量を5分の1へ。クリーンエネルギーへの転換。ドイツでは消費電力のおよそ50%以上が再生可能エネルギーに転換された。しかし熱と交通分野の再生可能エネルギーの目標が停滞している。

エネルギーの消費量を抑えたライフスタイル。大量生産・大量消費のグローバル経済とはなじまないことから、社会そのものの仕組みを変えていく。同じ量の原料でより多くの製品を作る大量生産の仕組みから、より少ない資源で適切に製品をつくるビジネスへの転換。

こうして先進的な循環型社会に即したサーキュラー・エコノミーCircular Economy/循環型経済)は、これまで主流であったリサイクルのみならず、ものづくりの段階で材料から考えていく。

西村さんがドイツのエネルギー転換で非常に優れているなと思うのは、地域の経済価値循環を維持するための取り組みが非常に進んでいること。経済価値循環というのは、基本的には、地域のお金を地域の外へ出さず、地域で循環させるということ。

日本では?安定供給⇒化石燃料と原発のベースロード、 経済効率性⇒コスパ 、環境適合性⇒科学的安全性、再エネの無謀な開発 、安全性⇒再エネの無謀な開発、原発を運転する企業の適格性…

世界のエネルギーの4Dとは、脱炭素化、分散化、デジタル化、自由化。ここにドイツでは民主化が加わり、日本では少子高齢化が加わることもある。蓄電の限界があることからも電力の3E+S(安定供給、経済効率性、環境適合性、安全性)が重要になるが、日本ではすべての項目において、SDGsやサーキュラー・エコノミーとの間にずれが生じ(写真)、世界の潮流に乗れていないという。

ドイツでは、再生可能エネルギーの発電所を一般市民である個人や農家が所有していることが多い。誰かが投資して与えてくれるものではなく、自分たちで投資して自分たちで地元に立ち上げていくものであるという意識も定着していると言える。日本にも市民が出資して再エネ発電所を建設する、日本のNPOのひとつ北海道グリーンファンドの“はまかぜ”をはじめとする各地域の取り組みがある。

基本的には再エネの推進、取り組むほどに地域が潤う。

こうした取り組みに熱心で、最も進んでいる自治体にドイツのライン=フンスリュック郡が挙げられる。この自治体では、ドイツの中でもとりわけ地域の経済価値循環に成功している。ライン=フンスリュック郡の借金は、市民一人当たり594ユーロ。同規模の自治体では平均2780ユーロ、ドイツ全体の自治体の平均が3519ユーロであることからも、非常に健全な運営がされていることがわかる。この地域では、これまでに年間約350億円、市民一人当たり34万円がエネルギーを輸入するために地域外に流出しており、2050年までに年間300億円を地域にとどめることが目標としてきた。地域にとどまったお金によって商店街の活性化や、自治体の建造物の省エネ改修、図書館の新設、幼稚園の完全無料化などを実現し、地元の価値はますます高まっている。

省エネ 

蛍光灯などをLEDに交換するだけで、一年間に一世帯1万円の電気代の節約にもつながるという。冷蔵庫を最新の冷蔵庫に買い替えると、10年前の冷蔵庫と比較して2倍、20年前のものでは3倍も電気代が異なる。こちらも年間1万円以上の電気代の節約となり、化石燃料の使用を減らすことができる。

小さな村の小高い丘には風車が立ち並ぶ。

ドイツの人口2500人規模のヴィルトポルツリート村では、地域の住民が出資して風車を建設、電力需要のおよそ7倍を発電し、出資者が8%の配当金を得るまでになった。気候変動に貢献するのみならず、再エネに取り組むとお金が入ってくることを実感した地元住民の92%が、小さな村に立ち並ぶ風車に賛成している。さらには余った電力を利用し、2011年に蓄電池の会社Sonnenを設立。わずか10年で、ドイツで最も蓄電池を売り上げる企業に成長し、2018年には石油会社Shellに買収され、人口2500人の村に再エネが数百億円をもたらした。

 

再エネにおける課題

再エネのコストは高いという印象があるが、ドイツではすでに再エネは化石燃料よりも低コストになっている。LEDや省エネ型の新しい冷蔵庫への買い替えも進み、ドイツでは個人の電気使用量はずっと下がっているため、電気代の単価が上がっても、全体的な家庭での支出は下がっていると言える。

発電業界では、大規模集中型から小規模分散型への転換が進み、電気の安定供給への対策としてVPP(Virtual Power Plant/仮想発電所)が主流に。ネットワーク化された巨大なエネルギーマネジメントシステムは、大規模電源よりも優れた安定供給を実現する。日本とドイツでは、電気系統が異なるが、必ずしもドイツのシステムが応用できないわけではないという。

このほか電気が足りないわずかな時間を補うために、蓄電池や水素をあてがい、地域で発電したものを地域で循環させることを目指す。結果として、先に挙げた自治体などのように、使ったお金は地元にとどまり、地域の経済価値が高まる。

ドイツでは、これまでの経験から大規模電源は扱いづらいということがわかってきた。従来の大規模電源である原発と小規模分散型の電源の共存は、経済効率の観点から持続不可能であり、システムの安定性を確保するためには、いずれどちらかの選択を迫られる。エネルギーの効率化を鑑みて、ドイツは国産で経済価値が循環する小規模循環型の再エネを選んだ。

エネルギー転換を目指すことによって、再エネは、地域にお金を残し、残ったお金は市民に健全かつ文化的に役立てられ、誰もが平等である社会に貢献される。このようにドイツでは、原発ではなし得なかったことが起きているという。

ドイツは総エネ60%の再エネ化を目指す

再エネの発電率を比較すると、それでもドイツはEUのなかで遅れを取り、足を引っ張っている。

今後ドイツでは、間近に迫る2022年の脱原発、2038年の化石燃料からの脱退が計画されており、2050年をめどに電力供給の80%、交通や熱を含めた総エネルギー供給の60%の再エネ化を目指すことになっている。

 

Q: 地域にお金を落とす再エネというのが日本の人々の意識に定着しないのはなぜ?

A: 専門的な話になると税制の違いなどもあるが、ざっくり言えば、日本では、誰かに任せておけば物事が解決するとの考え方が多い。ドイツでは、地方への交付金が非常に少なく、自治体は自分でお金を稼がないと地元を維持することができないため、地域が自主的に取り組んでいる。日本の場合は、稼ぎが増えると地方交付税・交付金が削減される。地方の努力が地方の豊かさに直結しない、中央集権型のシステムが国家レベルの問題としてある。もうひとつに学校など教育の場で、エネルギーについて話す機会が非常に少ないことも一因なのではないか。

(質疑応答の一部より)

参加者からのこのほかの質疑にも、丁寧にお答えしていただいていますので、以下のリンク先より、西村さんの講演の動画をぜひご覧ください。

日本のNPO団体アースウォーカーズによるプロジェクトで、ドイツの再エネを学びに渡独した福島県内の高校生を対象に、西村さんが開催された講演のブログも合わせてご一読ください。ドイツの省エネ建築と日本との制度の違いについても触れています。

ドイツの再生可能エネルギーに学ぶ福島の高校生 2019 http://snbblog.sundayresearch.eu/?p=4222
講演者:西村健佑氏

ベルリン自由大学・環境政策研究所環境学修士、エネルギー市場・政策エキスパート、ベルリンでエネルギー市場調査に関するコンサルタント会社Umwerlin (https://note.com/umwerlin) を経営。欧州のエネルギー・産業政策の調査、通訳、翻訳、また日独中小企業のビジネスコンサルも手がける。クラブヴォーバンメンバー。共著に『海外キャリアのつくり方 〜 ドイツ・エネルギーから社会を変える仕事とは? 〜 』『進化するエネルギービジネス(ポストFIT時代のドイツ)』

 

3月20日オンライン講演 「エネルギーの未来 ‐日本は原発をやめられないのか?ドイツの取り組みと現状から学ぶ」

フクシマから十年:西村健佑氏を迎えてのオンライン講演
「エネルギーの未来 ‐日本は原発をやめられないのか?ドイツの取り組みと現状から学ぶ」
ZOOMウェビナー
3月20日(土)12時(ドイツ時間)20時(日本時間)から

※参加お申込みは、https://us02web.zoom.us/.../reg.../WN_n58JCWq-TtmCgVzQale4nAにてご登録ください。
フクシマ原発事故から今年で10年。この事故をきっかけにドイツは脱原発へ舵を切り、2022年の終わりまでにすべての原発が停止されることになっています。一方原発事故があった日本では、いまだに原子力発電を「ベースロード電源」と据え、事故後すべて停止されていた原発も何基か再稼働されています。
ドイツのエネルギー政策に関して日本では間違った情報も聞こえるほか、原発をやめてどのようにエネルギー需要を賄っていくのか、疑問に思う方も多いでしょう。 まだ石炭に依存した火力発電が多いドイツですが、それでどうカーボンニュートラルを達成できるのか、再生可能エネルギーの割合を高めていく上での今後の課題など、ドイツから学べることはたくさんあります。
これから先、負の遺産・放射性廃棄物を残すばかりの原子力エネルギーとも、二酸化炭素を排出する化石エネルギーとも別れを告げ、どのようにして持続可能な社会を子どもたちに託していくことができるかは、今、私たちに与えられている最大の課題と言えます。フクシマ原発事故から10年、単に現状批判だけでなく、どのような社会を私たちは求めていきたいのか、どういうエネルギー政策がそれを可能にするのか、2005年以来ドイツに住む環境・エネルギーエキスパート、西村健佑氏に話を聞きながら皆さんと一緒に考えたいと思います。
ZOOMウェビナー
3月20日(土)12時(ドイツ時間)20時(日本時間)から
※参加お申込みは、https://us02web.zoom.us/.../reg.../WN_n58JCWq-TtmCgVzQale4nA
にて事前にご登録ください。

講演者:西村健佑氏(ベルリン自由大学・環境政策研究所環境学修士、エネルギー市場・政策エキスパート、ベルリンでエネルギー市場調査に関するコンサルタント会社Umwerlin (https://note.com/umwerlin) を経営)
主催:Sayonara Nukes Berlin (http://sayonara-nukes-berlin.org)

 

ドイツの再生可能エネルギーに学ぶ福島の高校生 2019

メモを取る高校生たち、私も負けじとメモを取る

2019年8月11日。この日は福島を伝え再生可能エネルギーを学ぶ福島からの高校生たちのために、ベルリンに在住する再生可能エネルギーと環境政策のエキスパートである、西村健佑さんの講演が開かれた。

提供:UMwErlin

背景にある模様はClimate Stripe/気候ストライプと言われ、温暖化の傾向を視覚的に伝えるものだ。日本、ドイツ、北米、世界の過去20年に遡った気温の推移を表したストライプの紹介の後で、気候変動によって野生動物の生態系にも変化が見られており、このところはClimate Crisis/気候危機とも呼ばれるようになっている。今夏の欧州は二度の熱波に見舞われ、ドイツも二回の過去最高気温を記録したが、最も深刻なのはアイスランドやグリーンランドで観測史上最も多く氷河が融解している。放っておけば2020年代の終わりには北極の氷はほとんど失われるだろうといわれている。スウェーデンの高校生グレタさんが始め、国際的に拡大している気候変動問題のための学校ストライキについてはご存じの方も多いだろう。福島の高校生たちは、ベルリンで行われたこのFridays for Futureにも参加して、再生可能エネルギーの拡大を訴えている。(*1)

基礎中の基礎、エネルギー資源とは。

提供:UMwErlin

再生可能エネルギーは無限にあって環境に優しいが新しい土地が要る、原子力エネルギーは少ない量で多くのエネルギーを生み出すが、ウラン採掘からの健康被害、廃棄物の問題ともに深刻だ。化石燃料は万能型と呼ばれ、貯蔵や移動も簡単、しかし環境破壊、地球温暖化の原因につながっている。

提供:UMwErlin

これまでのドイツの脱原発までの道のりを電力の歴史と振り返る。ドイツのエネルギー転換は1986年のチェルノブイリの事故後、80年代後半には始まっている。2000年初頭には当時の政権が電力会社との脱原発への合意を得るも、のちのメルケル政権によってこの政策は後退していた。2011年に起きた先進国日本の福島の原発事故による衝撃は大きく、メルケル政権は2050年に最終的なエネルギー転換を完結するべく大きく舵を切った。2020年には脱原発、2025年には電力供給の40~45%、2030年には60%、2050年には80%の再エネ化を目標に掲げ、今年の話し合いでは2038年には脱化石燃料が新たな目標に加わった。

再エネと名高いドイツで本当に重要とされるのは省エネ。

省エネというと、冷暖房の我慢をはじめ、私たちの暮らしを窮屈なものにするようなイメージがあるが、実際にはどういう取り組みがなされているのか。

ドイツの建築物は壁が厚い!厚いほどに断熱性が高くなる。夏は屋外の熱を入れず、冬は屋内の熱を逃さない。年間を通してエネルギーを使わずに一定の温度が保たれる。また日本の窓枠に使われるアルミは熱伝導率が高いためドイツでは主に樹脂や木材が使われる。

ひとつには建物の性能をあげる(*2)ことであると西村さん。ドイツでは国で定められている省エネルギー政令の基準を満たさない新たな建築はできない。既存のアパートや家屋を改修する際にも、この基準が適用されなければならない。政令の基準は日本よりずっと高く、日本で一般的に売られているハウスメーカーの住宅では、各社の最高品質のものでもこの基準を満たすことは難しい。日本の学校ではせっかく設置された冷房が使われないなどの声を耳にするが、省エネ建築の窓を入れ替えてブラインドを入れ替えるだけでも学校の室温はだいぶ変わりますと西村さん。目指すべきは我慢することではなくほしいものを伝えること、エネルギーを使わなくても快適な居住空間や教室を手に入れることができる。

再エネはコストが高い、使いづらい、不安定と言われているが。

ドイツでは再エネの発電単価は、すでに原発や化石燃料よりも安くなっており、2014年には再エネの買取価格はこれまでの3分の1以下に。原発や化石燃料の高い理由には多大な補助金も含まれている。

提供:UMwErlin

ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州にある人口700人ほどの町ザーベック(*3)にある高校の高校生が自分たちの学校の屋根に太陽光パネルを設置して、この電気を販売し、売り上げを遠足などに利用している。こうした取り組みの結果、ドイツ国内の再生可能エネルギーの発電設備の所有者は、そのほとんどが市民である。およそ35%は家屋に太陽光パネルを設置している市民。ほか風力やバイオマス設備のほとんどが農家、そして電力会社ではない一般の民間企業。ドイツの大手電力会社4社は全体の5%しか所有していない。理由に大きな企業は効率の悪いものには投資できないことがあげられ、”使いづらさ”はむしろ一般市民の取り組み易さにつながっている。

提供:UMwErlin

また再エネの安定化には課題が残るもすでに技術はそろっている。電力の安定化というが、供給側のみならず、需要側である私たちが使用する電力も実は不安定であると西村さん。こちらは2014年6月28日サッカーのワールドカップの決勝戦の日のブラジルの電力消費図。青いラインは通常の一日を表している。この日は赤いラインで決勝戦があったため、仕事をしないもしくは早々帰宅して自宅やパブで試合を観戦したことで午後にはグラフが深く落ちている。ハーフタイムには、おそらく一斉に冷蔵庫を開けて飲み物を取ったりしたのではないか、ちょっぴり突起している。試合終了後には街に繰り出し大騒ぎをしたであろう、再び電力の消費量が上がっている。

こうした電力の需要と供給の安定化を目指すためのドイツの取り組みは、小規模の再エネ発電を制御し、管理することを目的としたVPPと言われるVirtual power plant/仮想発電所だ。日本ではまだ完全とは言えないが、ローカルエナジーみんな電力でも取り組んでおり、熊本電力でも試みがなされようとしている。

なぜドイツは再エネと省エネの道を選ぶことになったのだろう。

日本の福島の原発事故を受け、時のメルケル首相が専門家を招集し安全なエネルギー供給に関する倫理委員会を設けたことは有名である。技術者による報告では、ドイツでは地震や津波がないことから、同様の事故が起きる確率は限りなく低いというものであった。しかし倫理委員会では、倫理的なエネルギー制度をつくりたいのであれば原子力はやめたほうが良い、地球温暖化をもたらすエネルギーからも脱退したほうが良い。これらの使用をやめることで、ドイツ社会には一時的な負担がかかるが、次世代のことを考えるなら今その方向に舵を切り、投資をする必要があるとの結論を示し、市民の批判や運動の高まりとともにメルケル首相の脱原発を後押ししたのである。

みんなが使うエネルギーをみんなが決めてよいし、決めなくてはならない。

第四世代原子炉に向けた技術やそれを推進したい人々がいるなか、総合して個人的に調べた結果、原発は要らないと考えるようになった。誰かの意見を聞くだけではなく、自ら調べて選んで決めて、できる限り行動してほしいと西村さん。

例えば30万人規模の日本の自治体が化石エネルギーを買うために、およそ40億円のお金が出ている。再エネを選択することで、この費用の3分の1から半分のお金を地域にとどめ、循環させることで、より良い意思決定を長期的にしていくことが可能である。安い電力を地域の外から買うだけでは全体的な最適化は成り立たない。こうした全体最適と部分最適の観点も大事である。そして情報の真贋を自ら確認すること、エネルギーを選べる時代に選ぶことへの責任、立場の違う人々との効率的なコミュニケーションについてを説かれた。講演を通して西村さんの人柄や人生哲学をも垣間見たように思う。

※一部に筆者による補足と脚色が含まれます。


*1:独で世界的な環境保護行動に参加 福島の高校生9人:社会:中日新聞(CHUNICHI Web)  https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019081001001415.html

*2:ドイツの環境建築 – ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト http://www.newsdigest.de/newsde/features/8672-environmental-architecture-1/

*3:エネルギー政策の大転換を自治体が実践 - ドイツ NRW州の町ザーベックの挑戦 2014 https://www.klimakommune-saerbeck.de/city_info/display/dokument/show.cfm?region_id=408&id=375006


講演者:西村健佑氏 

ベルリン自由大学・環境政策研究所環境学修士、エネルギー市場・政策エキスパート、ベルリンでエネルギー市場調査に関するコンサルタント会社Umwerlin (https://note.com/umwerlin) を経営。欧州のエネルギー・産業政策の調査、通訳、翻訳、また日独中小企業のビジネスコンサルも手がける。クラブヴォーバンメンバー。共著に『海外キャリアのつくり方 〜 ドイツ・エネルギーから社会を変える仕事とは? 〜 』『進化するエネルギービジネス(ポストFIT時代のドイツ)』

福島からの高校生と独日高校生交流会 2019

2019年8月8日、日本のNGO団体アースウォーカーズによる、福島を伝え再生可能エネルギーを学ぶ福島・ドイツ高校生交流プロジェクトの一環で開催された独日高校生交流会に参加した。

会場はプレンツラウアーベルグ地区にあるギムナジウム
絆・ベルリンのフランク・ブローゼ会長

会場のギムナジウムの校長のあいさつの後、ベルリンのNPO団体、絆・ベルリンのブローゼ会長によって、津波の解説や、東北大震災の被災地で立ち上げた数々のプロジェクトの紹介がされた。

ジャーナリストのふくもとまさおさん

ベルリン在住のジャーナリストであるふくもとまさおさんからは、福島の原発事故後の避難指示区域の解除の基準として年間線量20mSv(*1)が限界値となったが、これは本来原発作業員などに適用される値で、帰還地域ではそれが子どもや妊婦など公衆一般に適用されており、さらに原発通常運転時の国際標準として年間1mSvが現在上限値となっているが、それもいずれ年間20mSvに引き上げられることを心配しているとのお話があった。

小玉さんが2019年3月に国道6号線の原発から2km界隈を走る車内で撮影された動画によると、測定値はおよそ0.6μSv/hから最高で1.8μSv/hを超えた。通常一般市民が立ち入りを許可される区域ではないが、一般車の通行が事実上可能となっている。

福島の高校生らの英語でのスピーチを前に、アースウォーカーズの代表理事である小玉さんから、農作物の放射性物質は震災直後はかなり高かったが、今では一部の山菜や魚以外からは、ほとんど検出されなくなり、それらも事前に検査され市場に出荷されにくくなっていること(*2)、9人の高校生の居住地が異なることからも原発事故当時からこれまでに身を置かれる状況や体験も異なることが説明された。

聖真さん

聖真さんは、東北大震災の当時7歳、保護者の迎えを待って小学校から帰宅する道すがらに見た、倒壊した家屋や市役所の様子を語った。およそ1年後に政府による除染活動が始まり、自宅の周りの放射線量は減少している。当時は外遊びを叱られる理由を理解できなかったが、やがて原子力による発電は危険であると認識し、クリーンエネルギーに関心を持つようになった。

崚真さん
崚真さん

崚真さんも震災当時7歳だった。祖父母の家に向かう車内で感じた東北大震災の恐怖を語った。福島の原発の事故を知り、他県に住む親戚の家におよそひと月ほど避難した。学校の再開後に配られたひとりひと箱のマスク、外遊びは禁止され、学校の窓が開くことはなかった。福島県のナンバープレートを付けた車が他県で嫌がらせを受けた話に悔しい思いを抱くも、旅行先では福島から来たということを告げるのがためらわれた。福島県産の食べ物は、市場に流通する前に検査がされるようになったため、ほかの土地のものよりむしろ安全になっていると思う。僕たちは放射線の使い方を身勝手に間違えた、節度を持って扱えば人命をも救う。将来は放射線技師になりたいと述べた。

菫さん

菫さんは8歳だった。家族みんなが自らの命を守ることに必死だった当時の状況を語る。まだ雪の降る季節の避難所の固い床で家族で身を寄せ合って寝た三日間は忘れられない。物資の限られる中、心身ともに疲弊した。8年を経て復興が進むが、まだ避難生活を送る人がたくさんいる。津波の被害を受けた一部の地域は、時が止まったように当時のままである。

華恵さんと、発表を励ます菫さん

華恵さんは、避難地域の浪江町に住んでいた。発表の最中、涙に言葉が詰まった。避難所では大人の弱さを見ることとなったと語る。衛生状況の悪さから体調を崩すなどつらかった避難所から、夏は暑く冬は寒すぎるという仮設住宅に移る。8年の月日は早かったが、この間に賠償金をもらっている、放射線を持ち込んでいる、避難先を出ていけなどのひどい言葉をあびてきた。親しい友人からは、ロッカーに死ねと書かれた。福島県は変わっていないと思う。浪江町に行くことがあるが、瓦礫はなくなるも居住者が激減し活気を失った町の様子から良い方向に向かっているとは思わないが、元の浪江町に戻したほうが良いと思うので行動していきたいと語った。

美悠さん

美悠さんは9歳だった。電力会社に勤めていたため呼び出しを受け発電所に駆け付けた家族の身を案じて眠れぬ夜を過ごした。原発の事故の影響で、大好きな外遊びが制限されていたが、8年を経て、次第に元の日常を取り戻しつつある様子を語った。原発はたくさんのエネルギーを生み出すものの事故が起きた時の被害の甚大さを知り、福島県のみならず、日本全国で再生可能エネルギーの発展を願っている。

愛由さん

愛由さんは7歳だった。津波の被害をそれほど受けない町にいたが、報道を見た時のその衝撃は大きかった。当時は原発の事故や放出された放射性物質による被害の深刻さがわからなかったが、原発の事故によって避難せざるを得なかった友人ができたことを境に、理解を深めるようになった。食品の安全も図られ、福島はゆっくり回復しつつあるが、かつての姿はない。悲劇的な事故が福島で二度と起こらないことを願っていると述べた。

真帆さん

真帆さんは7歳だった。震災直後は生活に必要なあらゆるものが手に入らなかったこと、また放射性物質による汚染のために、真夏であっても肌の露出を避けるため長袖や長ズボンで過ごし、様々な野外活動の制限を受けた。県内でも最も放射線の測定値の高い町に住んでいたため、級友の半分は引越を余儀なくされ、友人からは避難先でばい菌のように扱われたとの体験談を聞いた。除染が進み、学校給食から消えた福島県産の農産物も検査を重ねて戻ってきており、震災前の暮らしを取り戻しつつある。

颯人さん

颯人さんは7歳だった。原発の事故により、多くの人々が避難したが、避難所では動物が受け入れられなかったために、ペットが取り残され命を失ったりした。被災したペットの多くには新しい飼い主が見つかるも、まだ飼い主の見つかっていない動物もいる。また被災した犬のなかには訓練によって災害救助犬になった犬がいる、自らもドッグトレイナーになりたいという夢を語った。

里桜さん

里桜さんは、かつての記憶に涙をつのらせながら、原発の事故の影響から友人が避難したり、学校に通えなくなったりしたことがつらかったが、もっともつらく怒りが湧いたのは報道やネットの情報が適切ではなかったことだと述べ、メディアリテラシーに対する不信感を感じた。そのため、友人は避難先で、放射能が移るから近寄るな、福島に帰れなどの暴言をあびるいじめにあった。そうした中、世界中から届く支援や韓国や中国から届いた励ましの言葉に感動し、今度は自分が困っている世界中の人々を助けたいとその意欲を語った。

福島の原発事故を受けて、国内外で様々な議論の声が上がるなか、取り残されたままの現地の声もあるのではないか。私は、生活を変えることを余儀なくされた人々、当たり前に生きる権利を奪われる人々を思えば、原子力エネルギーを発電に利用することに反対する立場である。日本政府には、直ちに政策の過ちを認め、エネルギー政策の転換を求めたい。また私たちが身を守るために必要な正確な情報公開を望むと同時に、自らも正しい情報を習得して発信できるよう努めたい。

会場からは、震災や原発事故から心的外傷を負った子どもたちをケアする取り組みはなされているのかという質問の声が上がった。自治体や学校ごとに取り組みがなされるべきではあるかと思う。福島県のウェブサイトには、被災者への心のケアや派遣支援のマニュアルの紹介があり、そのほか子どもの育成企画や状況報告はされている。NPO法人で相馬フォローケアチームという有志による取り組み等があるが、外部からは福島県内の取り組みの全容を知るには至らなかった。

2013年から支援の調達状況の限り取り組まれてきたこの企画であるが、折に触れて高校生たちの経験が互いへの連帯感や学びの見聞を広める様子を見ることができた。帰国報告会は、8月18日10:00〜東京ボランティアセンター(飯田橋駅徒歩2分)、8月18日18:00〜福島市ダイユーエイトMAX4階アオウゼ研修室(福島駅徒歩6分)。また各年齢に応じて福島県内に居住する子どもたちの県外での保養など、多くの企画を手がけている。詳細はウェブサイトにて:アースウォーカーズ。

2019 福島・ドイツ高校生交流プロジェクト 帰国報告会: https://youtu.be/Wbjz4svIDlo @YouTube


*1:京都大学原子炉実験所の今中哲司さんによる記事を紹介したい。◇「20ミリシーベルト」と幻の安全・安心論 今中哲二 岩波「科学」2017年7月号 (岩波書店許諾)

*2: 福島県のウェブサイトでは県内の農産物をはじめとする各種放射線モニタリング検査の結果や詳細が公開されている。
https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/list280-889.html


高校生たちが各自作文し発表された内容については、全文から公平に抜粋するよう努めたもので、表現については発表のまま掲載する。

福島県をはじめとする各自治体の農産物の放射線検査とその安全性については、当団体が推奨するものではなく、各ご家庭の自主的な判断に任せるものとする。

ソーラーハウス (Effizienzhaus) 見学

2016 年 2 月 1 日に何人かで Berlin の Fasanenstrasse にあるソーラーハウスを見学する機会がありました.このソーラーハウスは Bundesministerium fürUmwelt, Naturschutz, Bau und Reaktorsicherheit によって実験として建てられたものです.プロジェクトは Effizienzhaus Plus mit Elektromobilität と言い,「電気自動車を含む効率的家屋プラス」とでも訳せばいいでしょうか.

このソーラーハウスはドイツでは 35 件建てられたエネルギー効率の高い実験用の通常の家屋の1軒です.それぞれが異なる建築家によるもので,一件一件異なります.ベルリンのものは写真のようにかなりモダンなキューブ形状です.しかし,伝統的なドイツの家のようなものもあります.

Berlin にある Effizienzhaus Plus
Berlin にある Effizienzhaus Plus
Effizienzhaus Plus 内
見学会での説明会 (Effizienzhaus Plus 内)

エネルギーの効率的な家屋,と言っても Plus と名前にあるように,省エネではなく,「年間で作るエネルギーが消費するエネルギー以上になる家」の実験として建てられています.これは電気自動車 1 台を含みます.それぞれの家では,公募で選ばれた家族が1 年住んでエネルギー消費の実験をします.この家にはこれまで 2 家族がそれぞれ 1 年住みました.

この家はソーラーパネルを使って電気を生産し,蓄電池に貯める方式です.この家の建築家は家庭でのエネルギー消費は,主に朝,そして夕方から夜にかけてあり,昼は家族が仕事や学校に行くために下がると予想し,ソーラーパネルを東と西の壁に設置してあります.また,外観 (色) を重視したため,エネルギー変換効率が10% と比較的効率の低いパネルを利用しています.

ドイツでは家屋では暖房でのエネルギー使用が大きいので,窓は 3 重構造の熱を伝えにくいもの,換気には熱交換器,暖房はヒートポンプを利用し,南側と北側は大きなガラスで採光を重視,また,電灯は LED を利用,壁も断熱を重視するなど,様々な省エネの技術を利用しています.また電気エネルギーだけで全てすむようにガスなどは利用されていません.

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熱を逃がさない 3 重構造ガラス

実験結果は,初年度には家で消費する分のエネルギーは生産できましたが,自動車の分まではまかなえませんでした.しかし,この家ではエネルギー消費をモニタリングしており,2つの大きなエネルギー消費源が特定されました.1つは熱交換器が製造した会社の説明通りに作動しなかったことで,これは交換されました.そして,リビングからすぐ階段がありますが,リビングの熱が階段に抜けていくことも判明しました.そこでリビングの出口にガラスのドアを1枚設置しました.この変更の後,2年目にはこの家で生産されたエネルギーの総量は年間を通すと,家屋と電気自動車のエネルギー消費を含めて上まわりました.また,動きセンサーライトは,猫を飼っていた最初の家族には合わないという話もありました.

様々な最新技術が使われているのに,目標達成には結局「1枚のドア」が足りなかったということは興味深いことでした.やはり,実際に実験する必要があるのです.また,利用者のマインドが省エネをあまり考えずに,少し浪費する傾向があったことです.確かにエネルギーが全部自分の家で生産されるとなると,あまり省エネを考えなくなるかもしれません.しかしそれは社会のマインドとしてどうなのかという新しい問題を提起します.あとは,空気の熱を逃がさないという意味では窓は開けない設計というものもあるそうなのですが,住んだ家族には窓が手動で開けられるということは重要な要素だという結果などもあります.これらの結果は全て online で見ることができます.

さて,ここからは私の感想です.

私がこの家を見て思ったことは,「こんなボーグキューブみたいな家には住みたくないな」でした.ただ,これはこの家が3年で解体する実験予定だったことや,建築家のデザインによるもので,他の Effizienzhaus Plus には「この家なら住んでみたい」というものもありました.また外観は私の好みではありませんが,内装は良かったと思います.

今回の見学では,技術の成熟が見えてきたことが印象に残りました.この家は既に 2012 年のものですが,ドイツの技術は既に,

省エネではなく,エネルギー生産であること

です.そして,先にデザインの好みの話をしましたが,私が感じた問題は既に技術的な性能問題ではありません.デザインが重要になってきたということは技術が成熟してきていることを示していると思います.私は 1999 年に 5 色の iMacというコンピュータが登場した時のことを思い出します.私にとって,コンピュータは性能でした.「CPU が Power PC 750 の 266MHz はいいが,メモリが少ないかな.」などと思っていました.しかしその当時,あまりコンピュータになじみのない人達が,「何色の iMac がいい?」と,色の話をしていたことに驚きました.インテリアのデザインの一部としてコンピュータが考えられた時,技術の成熟を感じました.一般に広まる時には,性能はあまり問題ではないのだと驚きでした.

今回の家でもそうでしたが,ソーラパネルの性能は落としても色を重視するというデザインが考えられていました.今後重要なのは,色のあるソーラーパネルなどかもしれません.今後,様々な色のパネルが生まれ,それがデザインとなって,やがてソーラーパネルとはわからなくなる時に,この技術はより成熟するのでしょう.このような家は,エネルギー効率だけを語る時代ではなくなりつつあるまで進歩していました.たとえば,緑のソーラーパネルのある家は,遠目には庭の植物と一体化するようになるかもしれません.

自然エネルギーの他のもの,例えば風力も,風力と見てわかるようなものではまだまだかもしれません.それはオランダの風車のように風景となる方向に進歩するかもしれません.もしかしたら遠くから見たら木のように見える風力発電機ができるかもしれません.垂直軸発電方式など既にある技術がやがて景観を考えたデザインとなる日が来るでしょう.風力発電地域はいつか森のようにしか見えないという時が来るでしょうか.いや,本物の森の木々の中に気がつかないように風力発電機がある,そういう形で技術が成熟していくのかもしれません.発電所は自然がいっぱいある公園であるという未来をふと想像してしまうような家でした.

自然エネルギー促進のための共有経済の試み

自然エネルギーへの転換を進めるために,市民にできることはなんでしょうか.私は時々そういうことを考えます.今日は共有経済という考えを使って,自然エネルギーへの転換を図っている人達の記事を紹介します.

共有経済 (Sharing economy) はモノやサービスという資源を共同で利用する形の経済活動です.ソフトウェアの共有という形で Open Source が,オークションの共有という形で eBay が,Uber のような車の共有,Airbnb や CouchSurfing のように部屋の共有などがあります.もちろん,時には行きすぎて共有の範囲を越えてしまう問題なども含みながら,それでも様々な共有経済がでてきています.

自然エネルギーも共有経済を使えないでしょうか? 私はアパート暮らしで,屋根がありません.ソーラーパネルを自分の家の屋根に置くことはできません.風力発電機を置く庭がありません.しかし,IT の力で同じことはできないでしょうか.屋根はあるが,ソーラーに投資するお金がない人と,ソーラーに投資したいが,屋根がない人をつなぐのはどうでしょうか.

実はそういう経済が始まっています.2015年 4 月にソーラーの共有をはじめたのは,Yeloha [1] というアメリカのスタートアップです.たとえば,65 ドルで1 枚のソーラーパネルを 1 年間借りることができます.発電した電気は,屋根を貸した側が買ったり,売電し,そのうちの何割かが投資者に戻る形になっています.これで投資対象になるほどのお金もうけができるかというと,それははっきりしないのですが,自然エネルギーの発展を望む市民が少しだけ投資することに参加できるようになります.そしてそれは自然エネルギーの発展に寄与できます.Yeloha では,屋根を貸す側の地理的条件や,建物などを判断して年間どれだけの電気が作れるかなどを評価するソフトウェアを開発しているようです[2].

このような考えやビジネスが小規模の風力発電,バイオ発電などにも適用され,自然エネルギーの発展を進めてくれたらいいなと私は考えました.こういうものが日本やドイツでもでてこないかと期待します.

現在(2016-1-23(Sat)),原油の価格が下がっています.これでエネルギーの価格が少し安くなるでしょうが,こういう時にこそ地産地消の自然エネルギーに投資しておくのが良いと私は思います.再びエネルギー価格がグローバルで上がった時への備えとなるからです.

参考文献

  1. Yeloha, http://www.yeloha.com/
  2. Lauren J. Young, Startup Profile: Yeloha Brings Solar Into the
    Sharing Economy,
    http://spectrum.ieee.org/at-work/start-ups/startup-profile-yeloha-brings-solar-into-the-sharing-economy,
    IEEE Spectrum, Nov. 2015

エネルギー自給自足の村、フェルトハイム(3)

フェルトハイムでは、バイオガスとバイオマスの発電所の見学の後で、このプロジェクトの中心的存在であるラシェマンさん(Michael Raschemann)のお話を伺い、SayonaraNukesBerlinのみんなの質問に答えていただきました。

ラシェマンさんは1997年にエネルギークヴェレ(Energiequelle)という再生可能エネルギーの会社を立ち上げました。まずは風力発電、それからいろいろな再生可能エネルギーを手がけるようになり、今では150人の従業員を有する会社に成長しました。

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ラシェマンさんの話をヒントに、フェルトハイムでエネルギー自給自足が成り立つのはなぜかを考えてみました。

まず、人口が200人以下というのは、フェルトハイムのような画期的なプロジェクトを立ち上げ、運営していく上で、理想的な規模なのではないかと思います。たくさんの人をまとめていくのは難しいでしょうし、逆に人数が少なすぎては投資に見合う結果を出すことができません。前例のないプロジェクトを進めていくには、顔の見える範囲でみんなが協力していくのが不可欠でしょう。

では、フェルトハイム程度の規模の村ならどこでもエネルギー自給自足ができるかと言えばそうとも限りません。風力や太陽光での大規模な発電なら、それに適した土地さえあればできるでしょうが、再生可能エネルギーで安定した電気を供給するとなると、フェルトハイムのように、バイオバスやバイオマスを活用することになります。フェルトハイムのバイオガス発電では、原料になる植物も糞尿も地元の農業と畜産業でまかなっています。エネルギーの元となる素材を現地で調達できるというのは、単に便利なだけでなく、地元の農家や企業を支えるという点でも意義があります。まっ平らで、畑に囲まれた、第一次産業がメインの村というのは、再生可能エネルギーをフル活用するにはもってこいなのでしょう。

さらに、フェルトハイムがブランデンブルク州西部の村であるというのは、実は重要な要素だと思います。ベルリンからはかなり遠いし、周辺に大きな街はないし、特別な産業や企業があるわけでもなく、観光資源に恵まれているわけでもない、旧東ドイツの「陸の孤島」。(それは言い過ぎなんじゃないかと思う人は実際にフェルトハイムを訪れてみれば、私の言わんとすることが分かると思います。この日、乗せていってくれたSNBのメンバーの車にナビがついていなかったら、フェルトハイムにまっすぐ辿りつけたかどうか怪しいくらい、目立たない村です。)

東西ドイツ統一後、こうした旧東ドイツの田舎は、過疎化と少子高齢化と(まだ若い人がいれば)高い失業率に悩まされるというのがありがちなパターンです。東ドイツ時代の安定した生活の枠組みが無くなってしまった後、農業メインの村をどうやって維持していくかというのは、おそらくフェルトハイムの人々だけでなく、市や州のレベルでも立てられた問いだと思います。その先にあったのが、有り余るほどある土地と、その土地を吹き抜けていく風を利用する風力発電であり、地元の産業を活用できるバイオガス発電だったのではないかと思います。

「このプロジェクトに反対する人はいなかったのですか?」と、私はラシェマンさんにも、発電所の説明をしてくださった方にも聞いてみたのですが、地元の人にはとても好意的に受け入れられたようです。何かしなければ村が廃れていくことは、誰の目にも明らかだったのかもしれません。

プロジェクトを経済的な面で支えたのは州やEUからの補助金です。行政側も、地方の活性化と再生可能エネルギーの普及を後押ししたことで、フェルトハイムのプロジェクトは順調に進んでいったようです。

フェルトハイムで再生可能エネルギーへの転換が実現したのは、社会的・政治的に条件が整っていたからだけではありません。村の人々にとって決定的に重要なのは、このプロジェクトによって安い光熱費という具体的な恩恵を受けられることです。生産者でもあり消費者でもある地元の人々に、目に見える形で利益が出るというのは、新しいことをする際にとても重要なことでしょう。

ラシェマンさんの話の中で興味深かったのは、フェルトハイムでは世代交代が順調に進んでいるということです。再生可能エネルギーへの転換を実現させた世代は現役を去りつつあり、彼らの子供の世代がこの村を担うようになってきているそうです。安定した農業と、安くてクリーンなエネルギーの土台が整っているというのは、若い世代にとっては心強いことでしょうし、世界各国から訪問者が訪れる村に対する誇りというのもあるのではないかと思います。

再生可能エネルギーは、初期投資は大きいものの、その後のメンテナンスや原料や後処理に莫大なコストがかかるものではありません。再生可能エネルギーの基盤を整えるというのは、環境のためだけではなく、次の世代に安くて安心して使えるエネルギーを手渡すことでもあります。

フェルトハイムは、「持続可能な社会」という概念が実現可能であることを示す良い例ですが、私がいいなと思ったのは、そんなスゴイことを成し遂げた社会が、本当に地味な田舎だったということです。畑があって、その中に村があって、そのとなりにたくさんの風車と小さな発電所があって、普通の人々が普通に暮らしている。「持続可能な社会」というのは、エコに凝り固まらずとも、頭でっかちの議論に明け暮れなくとも実現できる―いや、むしろ、仕事や、光熱費や、子供の将来といった、生活者としてのリアルな感覚がなければ実現しないのではないかと思いました。そういう本当に現実的なことを考えれば考えるほど、「持続可能でない社会」のナンセンスさや、「再生可能でないエネルギー」の効率の悪さというのが見えてきます。

今後、フェルトハイムのような自治体や団体が増えていけば、地産地消のクリーンなエネルギーはどんどん身近なものになっていくことでしょう。原発に反対するだけでなく、こうした地道な取り組みを支える社会やシステムを整えていく必要があります。

最後になりましたが、今回の見学に同行してくださった慶應義塾大学の小熊英二教授、どうもありがとうございました。

エネルギー自給自足の村、フェルトハイム(2)

今回は、「エネルギー自給自足の村」フェルトハイムで見学したバイオガス発電とバイオマス発電について。

バイオガス発電というのは、有機ゴミを発酵させることで生じるガスを使う発電方法です。バイオガスの設備はこんな感じ。発電所と聞いて想像するより、ずっとこじんまりしています。(下の写真はNeue Energien Forum Feldheimのホームページからお借りしました)

biogasanlage feldheim

フェルトハイムでは、地元で飼っている豚と牛の糞尿と地元の農家が作っているトウモロコシ(植物全体を使う)と穀物を使っています。ここに細かく刻まれた植物が入っています。

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糞尿と植物の屑は大きな発酵槽に入れられ、加熱・攪拌されます。ここでの発酵によって、主にメタンと二酸化炭素から成るバイオガスができます。このガスを燃焼させてタービンを回すことで、電気を作ったり、熱を利用したりできます。

この発電施設は常にコンピューターによって管理されています。複雑なメンテナンスは必要ないため、通常は農家の人が時々チェックするだけでいいそうです。

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ガスを作る時に出るゴミは肥料として使われます。この肥料でまた穀物を作って、それを動物に食べさせて、その糞尿や穀物を使って電気を作って、その時にできる肥料でまた穀物を作って・・・と、見事な循環です。エネルギーを供給するために特別なものを作ったというより、農業や畜産業の一環としてこの発電施設があるのではないかという印象を受けました。

調べてみると、ドイツでは農家が糞尿やゴミから出るガスを有効に利用するために小型のバイオガスプラントを作るようになり、それが発展していってエネルギー供給の一旦を担うようになったそうです。今では商業ベースで行われるバイオガス発電も、ゴミ置き場で発生するガスをどうにかして上手く利用できないかという発想から生まれたもののようです。いらない、もしくはあまり利用価値のないものを創意工夫で価値のあるものに変えていく。その合理性は、いろんなものをリサイクルしたりシェアしたりするのが上手なドイツ人にピッタリだなと思いました。環境云々難しいこと以前に、「もったいないじゃないか」というその視点はとても大事だと思います。

さて、次に見たのはバイオマスの発電所。これも発電所と聞いて想像するような大げさなものではなく、ちょっとした工場のような感じです。

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バイオガスとは違い、こちらでは木屑を燃やして電気と熱を作ります。仕組みとしては暖炉のようなもので、火力発電の一種と言えばそうですが、石油や石炭ではなく、木屑を燃やすので「カーボンニュートラル(環境中の炭素循環量に対して中立)」な環境に優しいエネルギー供給方法だと考えられます。

時間や天候に左右されてしまう太陽光や風力と違い、バイオガスやバイオマスはエネルギーを安定して供給できます。また、設備そのものもさほど場所をとらない上に、メンテナンスも簡単なようなので、村や町の単位でエネルギーの自給自足をするならもってこいの方法なのではないかと思いました。

次回はフェルトハイムのプロジェクトがなぜ成功したのかを考えます。

エネルギー自給自足の村、フェルトハイム(1)

フクシマの事故を機に私が知って驚いたことの一つに、あの原発では基本的に首都圏の需要をまかなうための電気が作られていた、ということがあります。「東京湾に原発を、どうせ使うの都会だけ・・・」という反原発の歌がありましたが、送電のコストとその際の電力ロスを考えれば、電気も「地産地消」であるのが一番でしょう。
家庭菜園みたいに、自分のところで使う電気は自分でまかなえたらいいのにな。
市民が自分の手で作り上げる安全でエコロジーでフェアなエネルギーがあったらいいのにな。
そういうのはあくまで理想であって、現実とは程遠いんだろうと思っていたのですが、ベルリンからそう遠くないところに、エネルギー自給自足を実現している村が本当にあるということで、SayonaraNukesBerlinのみんなと見学に行ってきました。今回はその報告をしたいと思います。

ドイツでも唯一という、エネルギー自給自足の村フェルトハイム(Feldheim)は、ベルリンの南西50キロほどのところにあります。トロイエンブリーツェン(Treuenbrietzen)という街の一部ですが、この街はエッセン市やシュトゥッツガルト市より面積が大きく、人口密度は一キロ平方メートル当たり35人。だだっ広い平地に村が点在する、のどかな地域です。フェルトハイムは、トロイエンブリーツェンの中心地からはかなり離れたところにある、人口128人の小さな村です。
今回はこの村の一般公開日ということで、SNBのみんなと一緒にベルリンから車で行ったのですが、そもそも、車がないとベルリンからたどり着くのも難しいところです。(当初、トロイエンブリーツェンの電車の駅から自転車で行けないかと考えていたのですが、当日、やっぱり車で来てよかったと胸を撫で下ろしました)

エネルギー自給自足の村としてのフェルトハイムの運営や広報活動は、この村の振興団体Neue Energien Forum Feldheim (= 新しいエネルギーフォーラム、フェルトハイム)によって行われており、今回の一般公開日もこの団体が主催したものです。村のメインストリートを少し行くと、Neue Energien Forum Feldheim の真新しい建物があります。かつては食堂や納屋などを兼ね備えていたという古い建物は、この日の数週間前に改築が完了したばかりだそうです。中は見学に訪れた人たちや、彼らにケーキや昼ごはんを振舞う村の人たちでにぎわっていました。この建物の床や壁や内装は真新しいものの、間取りには農家の建物の名残を感じることができます。

2階の会議室には外国からの訪問客が持ってきたお土産が飾ってありました。Exif_JPEG_PICTURE

安倍首相夫人もこの村を訪れ、非常に興味を持った様子で帰っていったそうです。大人ばかりでなく、学校の社会見学で訪れる子供達も多いそうで、フェルトハイムは単にエネルギー自給自足を実践しているだけでなく、新しいエネルギーのあり方を考える人たちにとっての学びの場でもあるのだなと思いました。

この建物の裏には風力発電の風車の一部が飾ってあります。

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フェルトハイムには43基の風車からなる風力発電所があります。広い畑の中にたくさんの風車が立っているのは壮観です。(下の写真はNeue Energien Forum Feldheimのホームページからお借りしました)

windpark feldheim

今回の見学のメインはNeue Energien Forum Feldheim の近くにあるバイオガスとバイオマスの施設です。この2つは、天候や時間帯に左右されることなく電力を供給することができ、再生可能エネルギーの中でも今後の発展が期待されています。次回はフェルトハイムで行われているこの2つの発電方法について説明します。