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汚染水海洋放出への抗議メッセージ

SNBもメンバーになっている在外邦人の脱原発ネットワーク「よそものネット」で、現在日本政府が計画している放射能汚染水海洋放出に対する抗議声明を日・英・独・仏4か国語で発信しましたhttps://yosomono-net.jimdofree.com/

フクシマ原発事故/日本:放射能汚染水を海へ放出?

日本は、福島第一原発事故から出る、フィルター処理後もまだ放射能汚染されている水を希釈して2023年の夏にも海へ放出しようとしています。

「フクシマ原発事故」とは?

2011年3月11日の大地震と津波の発生後、福島第一原発で水素爆発と炉心溶融を伴う深刻な原子力事故が起こりました。これにより大量の放射性物質が環境に放出され、大気、土壌、水、食物を海陸で汚染し、それが今も続いています。

12年以上経った今も、当時発令された原子力緊急事態宣言は出されたままで、2万人以上の人が公に避難者として登録されています。子ども、若者、妊婦を含む近隣の住民たちには年間20ミリシーベルトという被ばく限度線量が強いられていますが、これは法律で民間人に許されている最大被ばく線量の20倍で、原発労働者の基準値と同じです。

なにを海に放出?

事故を起こした原子炉は、冷却回路が壊れていてもずっと水で冷却する必要があるため、強度に汚染した冷却水がどんどん溜まり、それが漏れ出てくる地下水と雨水と混ざって日々大量の汚染水に膨れ上がっています。今では130万トンもの量となって約千基ものタンクで福一の敷地で保管されています。この水を日本はフィルター設備で処理し、希釈してから海に放出しようとしています。

日本政府の言い分

放射性核種の含まれた水はALPSというフィルター設備で「問題のないレベル」まで処理される。残るのは主に水から分離が難しいトリチウムだけである。トリチウム水は世界のどの原発からも放出されている。水に含まれている放射性核種はすべてそれぞれの濃度限度を下回るまで処理され、さらに放出前に希釈される。国際原子力機関IAEAからも承認を得た。東電によればタンクを置く場所がもうすぐなくなる、こう主張しています。

問題点

福島第一に保管されている水は、溶けた燃料棒に触れた液体の放射性廃棄物であり、通常の原子炉の運転で放出されるトリチウム水とは比べることはできません。ALPSは放射性核種すべてを取り除けるわけではありません。水素の同位元素であるトリチウムだけが処理後に残る唯一の核種かのように言われていますが、実際にはトリチウムのほか、セシウム134および137、ストロンチウム90、コバルト60、炭素14、ヨウ素129などが含まれています。

生態系および食物連鎖におけるトリチウムの影響はしかし、調査が不十分なほか、わずかな調査結果も考慮されていません。どの量からは何が「問題ない」と、誰が判断するのでしょうか? 放射性物質の環境への放出に関し、日本政府はそれぞれの核種に対する告示濃度限度を定めました。これは、人が70年にわたり毎日その濃度の水を2リットル飲み続けた場合、1年間で平均1ミリシーベルト被ばくする、という濃度です。ということは、長期にわたる影響評価はここでは全く考慮されていないことになります。また、個々の放射性核種がどのように海水で変化し、どのように食物連鎖で濃縮され、どのような害を及ぼす可能性があるかについての研究も不十分です。濃度がいくら希釈されても、トリチウムは年間22兆ベクレル/ℓ分が海に放出されることになります。希釈されてもばらまかれても、量に変わりはありません。

トリチウムの半減期:12年、ストロンチウム90:28.8年、炭素14:5730年、ヨウ素129:1570万年。

予防の原則

放射線防護の観点から言えば、福島第一の汚染水は厳重な管理のもと、タンクに保管されたままであるべきです。疑義がある場合には予防の原則に則るべきです!

ことに心配されているのが近隣の港で捕れる魚から検出されるセシウム134/137 が増加している事実です。2023年6月には、クロソイでなんと18,000ベクレル/キロが測定されました。汚染水の漏洩が続いている可能性があります。これを徹底的に調査し対策をとらずに汚染水を海洋放出するなどは無責任です。

「心の除染」と「風評被害」

市民を放射能によるさらなる危険から守る代わりに日本政府は「少しくらいの放射能は大丈夫、それより不安の方が問題だ」というおとぎ話を広めています。その不安克服のため彼らは、厳重な健康調査や放射能汚染の計測ではなく、「心の除染」という大規模な宣伝キャンペーンで、原発推進派の科学者の意見だけを集めた偏った結論を繰り返しています。人々の正当な恐れを「放射能パニック」、経済に害を及ぼす「風評被害」だとしているのです。

原子力推進のためのIAEA

1957年に「原子力の平和利用」というモットーの下原子力エネルギー推進を目的に作られた国際原子力機関の任務は、放射線防護ではありません。それよりどこまで放射線リスクを「軽微であり無視できる」と呼べるかの規定を作っています。IAEAの影響評価報告書には、海の生態系への長期影響は考慮されていません。どうして彼らの報告書が「認可」だと言えるでしょうか?

去るもの日々疎し?

近隣国、南太平洋諸国は当然ながらこの日本の計画に反対しています。国連の専門家も人体の健康と環境に及ぶ可能性のある危険について懸念を表明しています。一度海洋放出を始めてしまえば、将来も汚染水の海洋投棄を許す前例を作ることになります。日本は、すでにあらゆる環境汚染の影響を受けている海、地球のほかのどの海洋とも繋がっている海を30年以上にわたってさらに汚染しようというのです。海は汚染物の廃棄場ではありません。汚染をできるだけ限られた場所に閉じ込める努力をする代わりに、それを散りばめようとするなど、無責任極まりありません。しかし、東電も日本政府も、大量の水タンクなど、事故がもたらした目に見える結果を、汚染水を海に放出することでできるだけ見えなくしてしまおうというのです。決してそれを許してはなりません!

従って以下のことを求めます:

  • フクシマであろうがどこであろうが、放射能汚染された水を海洋放出してはならない!
  • 世界各地の原子力施設に対し、生態系変化と人体への健康への影響をモニタリング・分析する、独立した団体による管理・研究システムの設立
  • 研究・モニタリング結果の透明性高い開示

2023年7月23日付

出典:

http://oshidori-makoken.com/

https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/decommissioning/committee/fukushimahyougikai/2021/23/shiryou_04_2.pdf

https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal-de/de04-02.html

https://www.ohchr.org/en/press-releases/2021/04/japan-un-experts-say-deeply-disappointed-decision-discharge-fukushima-water

https://www.iaea.org/sites/default/files/iaea_comprehensive_alps_report.pdf

 

リンゲンでの祝脱原発デモ参加報告

2023年4月15日。この日をどんなにたくさんの人たちが待ちわびていたことか。4か月半遅れでドイツの脱原発が実現した。矛盾と噓に満ちた「脱原発」、解決されていない問題が山積みと、手放しに喜べないものだとはいえ、とにかくドイツ国内原子炉の最後の三基が停止されることになったのは、前進だ。ドイツ国内で発電のために核燃料棒が燃やされることはなくなり、そこからはもうこれ以上放射能のゴミは出なくなったのだ。

 

 

4月15日付けのTAZ紙第一面©ゆう

 

 

これまでの経過(事情に通じた方はここを飛ばして読んでください)

本来なら、昨年2022年末でドイツ国内で最後に残ったEmsland、Isar II、Neckarwestheim IIの三基が停止して脱原発を完成するはずだった。それが、ロシアのウクライナ侵攻でロシアに依存していたガス・石油の輸入が途絶え、一挙に「エネルギー危機」が叫ばれることとなった。今の連立政権に加わっているFDPや野党のCDU/CSUは、ドイツの「優秀でまだ十分に安全に使える原発をなぜこのエネルギー危機の最中に停止しなければならないのか、この原発を止めて、その代わりに石炭火力発電を運転期間延長して動かしてさらに二酸化炭素を排出するなどもってのほか」というシナリオで世論を誘導して、それまで反原発派だった多くの人たちも、今脱原発すべきではない、という風潮が高まった。脱原発が党成立以来のレゾンデートルでもあった緑の党のハーベック経済相・副首相はそこで、電気安定供給性について調査し、これら三基を停止しても安定供給は実現できるという判断をした。これらの三基は22年いっぱいで運転停止されることになっていたため、新しい燃料棒は用意されていない(どの燃料棒もそれぞれの原発タイプ、サイズによって特別注文される必要があり、そのウランの注文にもほぼ2年はかかるということだ)し、その他のスペアパーツも欠乏、運転要員も確保されていない。急に運転延長を決めても、どの道残っている燃料棒を長く持たせるために性能レベルを低くして「水増し運転」させる以外にないことは明らかだった。それに、2022年末に停止されることが決まっていたため、本来なら定期検査をされなければいけないのを、去年はしないできた。つまり、運転期間を延長するということになれば、定期検査を行わなければならず、当分運転できないことになるのだ。だから急に去年の秋になってこれらの原発の継続運転が、足りなくなったロシアからのガスや石油に取って代わる「オールマイティソリューション」になれるわけはなかったのに、それをFDPやCDUはそのことを言わずに、あたかもこの原発を延長運転しさえすればエネルギー危機が回避できるかのように声高に宣伝し、脱原発をやめさせようとしたのだ。

ショルツ首相は、連立政府内での諍いを治めるためもあって、妥協して4月15日まで4か月半運転停止を延長するものの、その代わり新しい燃料棒注文はせず、それ以降脱原発の日にちをずらすことはない、と去年の10月23日に宣言した。それ以降もFDPやCDUは何度もエネルギー危機を煽り、ことに緑の党や反原発の人たちは理性からでなくただ「イデオロギーのため」だけに脱原発にこだわっているのだ、というような話をして、世論を扇動した。しかし、メルケルの下で政権に長く就いていたそのCDU/CSUこそ、2011年にフクシマ事故があって脱原発を決定したものの、ついこの間までの16年間、原子力からも二酸化炭素からも脱した本物の再生可能エネルギーによる完全なエネルギーシフトを推し進めてこなかったからこそ、今の化石エネルギー危機があるのだ。現在はまだエネルギーミックスの約半分ちょっとを再生エネルギーが占めているだけだが、本来ならばこの割合がもっと広がっていなければいけなかったはずだ。

ロシアからのガスをことに推進したのはその前のプーチンの盟友シュレーダー(SPD)だったかもしれないが、その方針を変えずにエネルギーにおけるロシア依存を推進してきたのはメルケルだ。ドイツ北部では風力発電が立ち並び、再生可能エネルギーの割合が高くなったのに、それをエネルギー消費の高い南ドイツまで運ぶ送電線も計画通りに建たず、風力発電建設も南ドイツでは遅々として進まなかった。ドイツ国内で北から南へのエネルギー供給がそのためできないだけではない。原発は急激な発電量の調整が難しい発電方法であるため、原発からの発電量が送電キャパシティを占めて「詰まらせて」しまうと、その分再生エネルギーからの電気が受け入れられなくなるということも忘れられがちだ。再生エネルギーは太陽の照り具合、風の吹き具合で発電量が変わるが、そのため調整しやすいガスによる発電が便利で、調整のできない原発は不向きであるのは知られた事実である。

また、電気市場はEUレベルだ。ドイツで作られる電気もEU電気市場で扱われる。隣の核大国フランスでは、去年から原発の故障、弁やパイプなどでひびがいくつも発見されるなどの理由で停止が相続くほか、さらに気候変動で川が枯渇し冷却が不可能となって、フランスの原発のほぼ半分が運転しなかったため、EUの電気市場で電気量が欠乏し、電気の値段が上がった。これはロシアとは無関係だ。フランスはたくさんの原発で発電し、それをスペインやポルトガルなどに輸出していて、それを一定の金額で給電する契約をしているため、急遽足りなくなった電気を高い値段で輸入し、それを契約で決まっている安い値段でスペインなどに送らなければならないという赤字の契約履行を強いられている。EU電気市場ではそこで、ドイツからの電気も少しでも多く欲しい、と言われたのだった。ドイツが残りの三基(しかも残っている燃料棒で発電量を抑えながら水増し発電しての状態で)が供給できる電気量は市場にとっては焼け石に水程度の量だったにもかかわらず、だ。

脱原発?

4月15日という日にちはしかしありがたいことに守られた。今年の私たちのかざぐるまデモでも、4月が近づけば、脱原発をやめさせようとする声がきっとまた高まり、覆されるかもしれないという危惧を何人もの演説者が少なからず示していた。でも、私たちはこの脱原発が、決して一貫性のある本当の脱原発ではないことを知っている。なぜかと言えばドイツでは原子力法が脱原発を定めたにもかかわらず、原発で使用される燃料棒を製造する工場(リンゲン)と、ウラン濃縮工場(グローナウ)も平気で稼働したままであるからだ。それだけではない。あれだけプーチン支配下のロシアを裁くために経済制裁を行うと言いながら、ロシアからのウランはオランダを通ってドイツ国内に運ばれてきているばかりか、フランスに至ってはフランスの原子力企業Framatome(もとAREVA)がロシアのRosatomとジョイントベンチャーを作り、このリンゲンでロシア型原子炉向けの燃料棒を製造する計画まで立てられている。原子力関係に関しては、ロシアは一切経済制裁から除外されているのだ。そして、放射性廃棄物処理問題はまだ一切解決されていない。問題は山積みである。

 

 

燃料棒製造工場の門の表示©ゆう

 

 

そこで、ドイツの脱原発を祝いながらも同時に、一貫性のないドイツの原子力政策、そして時代錯誤で経済性のない原子力にいまだにしがみつきたいフランス・日本を始めとする世界各国のまやかしの「二酸化炭素を排出しないグリーンな」イメージで原発をどうにか推進したい無責任な政策を非難するために、4月15日にはドイツ各地でデモやアクションが行われた。

ことに今回運転停止されることになっているEmsland(リンゲン)、Isar II(バイエルン州)、Neckarwestheim II(バーデン・ビュルテンベルク州)では大きなデモが予定された。私が行ったのは、燃料棒工場があり、Emsland原発があるリンゲンというほぼオランダ国境に近い町(ニーダーザクセン州)で、ここで駅から集合場所である燃料棒工場前までバスがデモ隊用にチャーターされて向かった。皆が集まってからは、工場の入り口前でプラカートを掲げながら記念撮影などを撮って、いくつか演説、その後デモ行進をして今回運転停止されるEmsland原発前まで歩いて、またそこで演説をして、解散となった。

 

 

雨の中のデモ行進©ゆう

 

あいにくドイツは全国的に寒さが続き、しかもリンゲンは小糠雨が降り続いてうらめしかった。雨は予報されていたのでレインコートや雨用の帽子を持って行ったが、それでもかなり濡れそぼった。雨でなければもう少し人も集まったにちがいない。それでもきっと昔から反原発運動を続けてきた闘士に違いないという人たちがたくさんいて、和やかな雰囲気だった。子供連れの人もいたし、私のように遠くから集まった人もいれば、すぐ近くに住んでいるという人たちもいた。「親がすでにチェルノブイリやヴァッカースドルフ再処理工場建設計画反対で闘ってきて、私は二代目、私の娘たちもその精神を受け継いでいる」と話してくれた自転車で参加した男性にも出会った。

この日は約300人がリンゲンのデモには集まった。ちなみにバイエルン州のIsar II停止を祝ってミュンヘンでは約1500人、Neckarswestheimには約500人が集まったという。南ドイツでは少なくとも雨が降らなかったため、人も集まりやすかったのだろう。ベルリンのブランデンブルク門前でもGreenpeaceとGreen Planet Energyが主催して大きな原発の恐竜を倒して太陽の反原発シンボルがVサインをしているポーズで写真が撮られた。

©Christoph Soeder / dpa                                     ベルリン・ブランデンブルク門前のアクション。脱原発を最初に2002年に決めた赤・緑政権で環境相だったTrittin(緑の党)の姿が(その後メルケル率いる政権が脱・脱原発を決定、フクシマで再びそれを覆す)。

リンゲンでのデモでは、ゴアレーベンの市民グループBürger Initiative Umweltschutz Lüchow-Dannenbergの理事・共同代表の一人でもあるElisabeth Hafner-Reckers に再会した。彼女に会ったのは、彼女がかざぐるまデモの演説に来てくれた2017年なので、6年ぶりだ。彼女は、寿都町の町長が最終処分場候補地選定に向けた国の文献調査に応募してからできあがった反対グループ「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」に励ましのメッセージを書いてほしいという私の頼みに二つ返事で承諾し、すぐにすばらしいテキストを送ってくれた(http://kakugomi.no.coocan.jp/pdf/rentai_BILW.pdf)。彼女を始めとするゴアレーベンの人たちの抵抗運動の在り方は、あらゆる人たちに勇気とインスピレーションを与えてきた。彼らは、単に国家権力の方針や決定に抵抗してきただけではない。反暴力であらゆるアイディアを駆使した市民抵抗(日本ではなかなか当たり前の語彙として馴染まないZiviler Ungehorsam市民的不服従)の方法を実行に移してきただけでなく、彼らは「国が私たちに民主主義を実践し、人と自然に優しい国を提供してくれないなら、私たちが代わりにもっといいものを作ろう」というモットーで「Republik Wendland(ヴェントラント共和国)」と名乗って、ゴアレーベン周辺地区を、住みやすく、あらゆる年齢層が一緒に楽しく暮らせるコミューンのような共同体に作り上げてきた。まだ風力発電のない頃から独自で風力発電機を建てる人、バイオガスを作る人、太陽光パネルを自分の土地や屋根に付けて、自分で使い切れない電気を近所と分け合う人がいた。

そのエリザベスに今の心境を聞くとこういう答えが返ってきた。

「やっと最後の3基が運転停止されるのは、とりあえず嬉しい。これでドイツで新たに作られる放射性廃棄物がなくなる。でも、まだその運転停止を取りやめてまた再起動したくてたまらない人たちがこれだけいるから、まだまだ監視の目を緩めるわけにはいかない。私たちのグループは、単に抵抗するだけでなく、どんなに平和に、クリエイティブに、仲良くあるものを分かち合いながら生活していけるか、実践で示してきた。お上が何かを勝手に作り、それがただ与えられる、または買わされる大人しい「消費者」になりきるのではない、どんどん新しいものを買わされ、消費し、そのためのお金を稼ぐことだけで生活がいっぱいになる、そういう図式ではない人間らしい在り方を私たちは求めてきたし、その方がよっぽど楽しいしお互いに優しく助け合いながら生きられる(彼女はFreundlichという言葉をよく使った)。ゴアレーベンには最終処分場候補地のリストからは消されたものの、あいかわらずキャスクが「中間貯蔵所」に置きっぱなしにされていて、それはまったく安全な方法でなど保管されてはいない。これは後に続く世代に残していかなければならない負の遺産だ。親から受け継ぐ遺産が嫌な場合は、子どもは普通はそれを「拒否」することができる。しかし、この放射性廃棄物の遺産の場合、彼らにはそれを拒否することが許されていない。だからこそ、私たちにはそれを少しでも安全に、長期にわたって保管するための方法のコンセプトを国に求めていく義務がある。」

©Lars Klemmer/dpa

「共に勝ち取った!50年間続いた反原発運動」と書かれた横断幕

 

それから、もう一人会うことができて嬉しかったのは、Atommüllreport(放射性廃棄物報告)という放射性廃棄物に関する情報、危険性も含め詳しいデータを集める専門ポータルである団体の代表Ursula Schönberger氏だった。彼女はもともと緑の党で連邦議員にまでなり(1994年~1998年まで)その後別の緑の党連邦議員の科学調査担当を受け持って、そこで2013年にドイツ国内の「核のゴミ」の「在庫調べ」と状況について詳しい報告書(272ページにのぼる)を作成している。それは今でも、ドイツの放射性廃棄物に関する包括的報告書の第一号として連邦議会図書館にも保管されており、それをさらに引き継いでオンラインプラットフォームとして続行してきたのが、彼女のAtommüllreportだ。彼女は2002年にはしかし当時ヨシュカ・フィッシャーが副首相・外務大臣を務めていたSPDとの連立政権で、戦後初めてドイツがNATOの一員としてコソボ紛争に参加すべくドイツ軍隊を派遣し、さらにアフガニスタンでもドイツが戦争加担したことに反対して、脱党している。そういう意味でも、個人的にも価値観が似ていて親近感がもてるのが彼女だ。低・中レベル放射性廃棄物最終処分場になることが決まっているSchacht-Konradの反対グループともずっと活動してきた彼女は、私にこう話してくれた。

「いよいよ脱原発の日を迎えることは嬉しい。これまでの苦労の実が結ばれた。この日のためにずっと長年闘ってきたのだ。もちろん、抱えている問題がこれで小さくなるわけではない。そして脱原発を遂げたことになれば、ドイツでの反原発運動が小さくなる懸念はもちろんある。私たちは、核のゴミの「在庫調べ」をし、何がどのくらい、どこに、どういう風に「保管」(かぎ付きにするのは、まったく信じられない危険そのものという感じの放置状態で放っておかれているドラム缶も多いからだ)されているのかを事細かく調査し、報告してきた。そしてそれをどのようにすればよりこれから何万年、何百万年にわたりそれなりに「安全」に保管していけるか考えていかなければならないが、それを進めるうえでの第一歩は、「これ以上危険なゴミをもう作らない」ということだとずっと訴えてきた。保管方法が定まっていないのに、どんどん次から次へと危険なゴミを作り出すのであっては、議論にならない。とにかくそれが終わるのは正しい方向への第一歩だ」。

 

© Lars Klemmer/dpa                「脱原発というからには燃料棒工場もやめなきゃ」と書かれた横断幕

 

この祝脱原発の国内でのデモ・アクションはことに環境保護団体BUNDとドイツ最大の反原発団体.ausgestrahltが提携してキャンペーンを繰り広げていたが、リンゲンでのイベントでは、私が参加できなかった今年3月11日のかざぐるまデモでも演説をしてくれたBUNDのJuliane Deckel(彼女はもともと日本学を大学で専攻していたということで、デモでも日本語で少し演説していた)と.ausgestrahltのHelge Bauerが二人で一緒に司会をしていた。

ドイツで原発が操業されたのが1961年、それから2023年4月15日に全基が停止されるまで62年間。この「原子力時代」の「恩恵」を得てきたのは多くてもせいぜい3世代だが、そのために排出された解毒できないこの放射能のゴミが危険でなくなるまで、これからさらに33000世代以上がこれとともに生きなければならない、と言われている。そんな無茶が押し通されたのがこの狂気の「原子力時代」だ。未来の世代にとってはまったくいい迷惑だ。

©Hakuba Kuwano

悪天候でもリンゲンでのデモに集まった人たち

デモ解散前の最後のディスカッションには上記のElisabethやUrsula、それにEmsland近郊でチェルノブイリ以降、トーマスのように市民測定所を作って放射能検査をしてきた男性、Schacht Konradの活動家の女性などが司会であるHelgeとJulianeに質問され、それに答える形で参加した。「低・中レベル放射性廃棄物」と名付けることで、あたかも「高レベル」より危険性が少ない、大したことがないような印象を与えているが、それは大きな間違いだ、という話にも、まったくだと私は同感した。放射線は高いから危険、低いからより安全ということはない、定量の被ばくで癌などを発症するのは、「宝くじ」に当たるようなもので、線量が高い低いは「安全性に無関係」で、運のようなものなのだということは放射線テレックスのトーマスも常々言っている。これをここで訴えている人たちは、いわゆる「低・中レベル放射性廃棄物」が保管されている場所のすぐそばに住んでいる人たちで、それらの「廃棄物」がどの程度危険な形で山積みされているか知っているからこそ、その危機感が強い。そして自分たちは「もうすぐ死んでいく運命にあり、これらのゴミが今後どのような形で残されるか、見届けることができない」と思っているということだ。それだけ彼らには焦りもある。どうすればなるべく危険がない形で、コントロールしながら保管ができるのか、そのコンセプトを根本的に考え直す必要がある、ということを皆が語っていた。いわゆる「地層処分」(日本のような火山、地震の多い島国ですら地層処分にこだわっているが)になぜこれだけ固執するのか、という疑問もある。でも、今「仮」に保管されているたくさんの放射性廃棄物(低・中・高レベルの)の貯蔵方法はあまりにお粗末で、いつ「安全な場所に処分されるのか」わからないのに、危険極まりない。飛行機墜落やドローンによる攻撃などがあれば、またはサイバー攻撃などがあればすぐに恐ろしい事態が訪れかねない状態のまま何年も置きっぱなしになっている。

私がしっかり反原発運動にかかわるようになったのはフクシマからで、そういう意味ではここにいたたくさんの「闘志」たちと比べて新米だが、矛盾を抱え問題の多いドイツで、とにかくまがりなりにも最後の原子炉が停止されたこの記念すべき日を、この問題にずっと立ち向かい、ぶれることなく長い息で闘ってきた人たちの話を聞きながら過ごすことができたのは、有意義なことだった。日本のGX束ね法案、札幌で行われるG7環境相会合で日本政府が「汚染土リサイクルや汚染水海洋放出を歓迎する」旨の共同声明を出すべく各国に働きかけた問題、汚染水を何が何でも今年の夏には海洋放出開始する方針など、日本からは原子力関係を挙げただけでも幻滅するようなテーマに尽きないが、とにかく「反原発」運動がドイツでは長く続いて市民権を得、とにかく動いている原発をやめさせることに成功した、というのはポジティブなニュースだ。ドイツが原発による発電をしなくても、ドイツは原発信仰をやめない国々に囲まれている。フランスも、ベルギーもポーランドも、危ない老巧化した原発を何が何でも運転期間延長して動かすつもりだし(日本も同じ)、原子力がなければ気候変動の点からも今のエネルギー危機に立ち向かえない、などとグリーンウォッシングしながら、実は、おんぼろのひびの入った危ない原発を延長して運転する以外に、新しい原発はあまりに建設費用が高くて実現しないし、今動いている世界の原発がどれももう古くなってきていて修理や追加工事が必要であることに変わりはない。フランスのように気候変動で冷却に必要な川の水が枯れてしまえば原発を動かすことはできないし、急にこれから水不足が解決するとは思えない。エネルギー危機を解決するには、「今すぐ」安全に動ける発電方法が必要なのに、いつ建設が完了するかもわからない原発に未来を託すなど、絵に描いた餅で明日からの食事の支度に備えるようなものだ。できるだけ自然に介入しない方法で、環境になるべく優しく、有毒なゴミも、二酸化炭素も排出せず、となれば、再生可能エネルギーでできる限りの電気需要が賄えるようシフトしていく以外ないことは誰の目にも明らかだ。そのために投資をせず、若い世代に恐ろしいほどの負の遺産を押し付け、政治家にたくさんの嘘をつかせ守れない約束をさせながら、いつまでも既存の利益構造にしがみつくロビーの言いなりになっている世界は哀しい。

とにかくドイツでの原発のスイッチは切られた。それを日本にも、フランスにも、イギリスにもポーランドにも、ベルギーにも拡大していかなければならない。やはり市民が動かなければだめだ。気が滅入るニュースに溢れた今、このドイツの祝脱原発デモに参加したことは私にとって、力の与えられる貴重な体験だった。私一人では遠くのリンゲンのデモには参加しなかったと思うが、デモの取材やインタビューの通訳として赤旗の特派員桑野氏に同行させていただき、このデモ参加が実現した。桑野氏に感謝。(ゆう)

©Hakuba Kuwano

ひびが入って絆創膏の貼られたEmsland原発のスイッチを切るアクティビストたち

 

©ゆう

この日の未明まで原発からはまだ煙が出ている

 

福島の証言が海外でコミックに!「Fukushima 3.11」ドイツ語版

 

閲覧はこちらのリンクから↓

Fukushima-3.11_deutsch_web_

 

このコミック「Fukushima 3.11」はフランスの国立科学研究所CNRSのプロジェクトの枠内で行われたインタビューに応じたよこたすぐる氏の証言をもとに出来上がった作品です。フランス在住の杉田くるみさんがインタビューを行いそれをまとめ、漫画家のダミアン・ヴィダル氏が実際の史実に忠実に研究を重ねコミックに仕立て上げました(オリジナルはフランス語で、英訳もあります)。このコミックはまずTOPOという漫画雑誌の2019年1月/2月号に掲載されました。

今回杉田さん、ヴィダルさんの許可と、お二人が所属なさっている「遠くの隣人3.11」のご厚意で、ドイツ語翻訳が完成しました。「遠くの隣人3.11」はフクシマ原発事故以来被害者の方々を支援してきているグループで、このコミックを無料で誰にでも読めるように提供してくださっていますが、著作権はもちろんこのお二人にありますので、このコミックをどこかで紹介・公開・拡散なさる場合には、必ず「遠くの隣人3.11」を通じて著者の方に連絡してくださいますよう、お願いします。

 

広島・長崎原爆投下記念日の式典にSNB代表が演説

「平和の鐘協会」主催の広島・長崎の原爆被害者追悼記念式でSNBを代表してのロッコの演説(2022年8月6日)和訳(演説執筆:梶川ゆう)

ドイツと日本は署名しなかったものの去年は、核兵器禁止条約がついに発効し、今年末にはドイツ最後の原子炉がとうとう停止される予定でした。

戦時中世界で初めて広島と長崎に原爆が投下されてから77年後経った今、このかすかな希望の光がこうも簡単に消されてしまうなどと誰が想像したでしょうか?

ロシアによるウクライナ侵攻で核の脅威はまた現実的なものとなり、これまで軍縮に賛成だった人たちが急に、核抑止力や核傘下の重要性を強調し始めました。そしてまた、ロシアによるウクライナ侵攻によりヨーロッパは、急激なエネルギー危機を迎えることになりました。これは私たちがロシアのガスだけでなく化石燃料にまだまだ依存し過ぎだからです。それに伴い、まだ稼働しているドイツの最後の原発を今年末より長く運転させようという声が高くなっています。現在のガス欠乏の危機は必ずしも電気の欠乏を意味してはいないにもかかわらず、です。EUは原子力エネルギーを「持続可能」とみなし、天然ガスに並んで「タクソノミー」というグリーンのラベルを貼ろうとさえしています。このように私たちは今年の夏までにまったくひどいニュースに見舞われてしまったのです。

原爆が初めて戦争で使われてから、人類は世界各地で核武装しました。2021年の始め、13,080の核兵器を9か国が所有、そのうち3825投下準備と予測されました。世界第一の核保有国であるロシアは6,255の核弾頭を所有し、アメリカ所有の数は5,550でした。人類を何回も破滅させられる、これだけの数の恐ろしいものがどうしてできてしまったのかは、まったく理解しがたいと言えます。

しかしそれだけではありません。この「悪魔の技術」を使いこなし、平和利用できると軽々しく信じている人たちがたくさん世界に存在します。2021年末には33か国に436もの原子炉がありました。しかし、今年2月に私たちは、軍事で原発も攻撃目標になり得るということを思い知らされたのではなかったでしょうか? 77年にはこれはまだなかったことです。事故で破壊したチェルノブイリ原発は2月末にロシアの手に堕ち、その次にヨーロッパ最大級の原発ザポリージヤも攻撃されました。あの時何が起きる可能性があったのでしょうか、そしてこれから何が起きる可能性があるのでしょうか?

原子炉は恐ろしい脅威となるのに、直接攻撃される必要はありません。電力供給が中断されるだけで十分です。それが2011年にフクシマで起こったことです。それに、ヨーロッパに戦争があるだけではありません。私たちは予測できない極端な異常気象をもたらすグローバルな気候危機を迎えています。核保有国であるフランスはエネルギー供給でロシアにほとんど依存せず、電力需要の約80%を原子力でカバーしているとことを誇りにしていますが、気候変動で原子炉冷却に必要な川が枯渇したり川の水温が温かくなり過ぎることに関してはなにも考えてきませんでした。

核兵器と原子力エネルギーは同じコインの両面に過ぎないことを私たちはよく知っています。残念ながら今の世界は自然災害、武力紛争、人間であるがゆえの過失、技術的欠陥や故障、あるいはテロ行為により、いつ爆発するかしれない核兵器と原発に覆われています。核分裂の連鎖反応や放射線は敵と仲間の区別はしないし、同じ技術が軍事的に使用されようが平和利用されようが構いはしません。広島と長崎に77年前に初めて原爆が落とされてから、軍事紛争でまだ一つも原爆が落とされていないという事実は、これから先もだから安全だという保証には一切なりません。私たちはすでにチェルノブイリ、スリーマイル島、そしてフクシマを体験してきました。原発がある限り、それはどこかに装備されている原子爆弾と同じように人類の脅威を意味するものです。だからこんなものを持ち続けるべきではないということを理解するのが、どうしてそんなに難しいというのでしょうか。

 

北海道・寿都町の最終処分場反対グループへのゴアレーベン市民グループからの連帯メッセージ

2022年9月末

日本・北海道の寿都町が最終処分場建設に向けた政府の調査を受け入れる誘致を表明し、それに反対する運動グループができている(この内容については、詳しく報道している次の北海道放送の動画を参考にしてほしい:「ネアンデルタール人は核の夢を見るか〜“核のごみ”と科学と民主主義」https://youtu.be/N0ciJo7gxPo)このことを知ったビュール(フランスで最終処分場建設が計画されている場所)の反対運動のグループが、 連帯メッセージを寿都町の「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」に送り届けた(フランス・リヨンで活動する「遠くの隣人3.11」が中心となってメッセージを和訳し仲介した)。(そのメッセージは以下のリンクで閲覧可能:https://nosvoisinslointains311.home.blog/2022/10/07/message-de-soutien-aux-habitant-e-s-de-suttsu-depuis-bure/

それで、私もドイツからもぜひ同様の連帯メッセージを貰えればいいと思い、ゴアレーベンのBürgerinitiative Lüchow-Dannenbergの理事会メンバーとアッセの「核のゴミレポート」(Atommüllreport)を発行しているグループ、アッセのArbeitsgemeinschaft Schacht KONRADに連絡をして事情を説明したところ、ゴアレーベンのグループからはさっそくメッセージを貰うことができた。核のゴミレポートからもぜひAG Schacht KONRADと一緒にメッセージを出すからもう少し待ってくれ、という返事が来ている。このゴアレーベンからのメッセージはさっそく和訳し、「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」に送り届けることができたので、そのメッセージを以下に紹介する(この市民団体の説明は最後)。

寿都町の皆さまへ

かつて核廃棄物処分場として選ばれたゴアレーベンで生まれた抵抗運動のグループである私たちは皆様にここに、心からの連帯の気持ちをお届けしたいと思います。核廃棄物処分場探索が、唯一地学的条件だけを考慮して行われることを祈ります。それがどんなに難しいことであるかは、私たちがよく知っていますが、それだけが正しい道です。それを達成する上で、皆様が信頼、勇気、持続力を持ち続けることを祈ります。核廃棄物処分場を決定するまでに村や共同体に与えられるお金は、そこに住む住民たちの生活基盤をかえって悪化させるのだという事実を、皆さんがいろいろな人たちに説得していけることも望みます。

皆さんは今は、広大な砂漠の中で声を上げている孤立した存在のように思えるかもしれませんが、あなた方の勇気、先見の明、そして次に続く世代に対する顧慮はとても重要であると同時に、正しいものです。原子力エネルギーと核兵器のない世界を実現するため、一緒に歩んでいきましょう。

皆様に対し心から励ましと勇気を送ります。

市民イニシアチブ・環境保護リューホフ=ダンネンベルク、ダンネンベルク・フクシマピケ、そしてそのほか世界中の心ある人たちより

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(団体の説明)

市民イニシアチブ・環境保護リューホフ=ダンネンベルク(Bürgerinitiative Umweltschutz Lüchow-Dannenberg):1972年、かつての西ドイツの東ドイツ国境近くに位置したゴアレーベンという岩塩ドームのある土地に核廃棄物処分場および再処理工場などを含めた複合核関連センターを建設するという計画に反対してできあがった市民環境保護団体。ヴェントラントという地域にあるこの市民NGOは千名以上のメンバーを数え、農民たちのグループも含め、長いこと政党などに属さない独立した団体として活発に反原発運動を展開してきた、ドイツの反核運動で長い歴史を持つグループである。ことに使用済み燃料から再処理後、処理できない高レベルの放射性廃液などがガラス固化されいわゆる「キャスク」となってフランスのラアーグなどからドイツに戻される際、その貯蔵方法や場所に対する問題が未解決なままゴアレーベンなどに持ち込まれることに反対して、その輸送を非暴力的に阻止する運動を展開し、何度も話題になった。ドイツ政府はずっとゴアレーベンを処分場候補から外さなかったが、どういう地学的条件で選定するかを定める「最終処分場サイト選定法」が2017年に出来上がり、2020年になってようやくゴアレーベンの岩塩ドームは最終処分場としては不適当であると判断され、最終処分場候補から消された。それでも今もこの市民グループは核のない世界を目指して活動を続けている。

(ゆう)

民主主義を壊した安倍元首相の国葬を許さない

民主主義を壊した安倍元首相の国葬を許さない

よそものネット有志による声明

日本政府は、カルト教団の被害者に暗殺された安倍元首相の「国葬」を法的根拠のないまま勝手に閣議決定した。彼が行った政治を賛美し、国民に弔意を強制する儀式を国会で議論もせずに押しつけたのである。これに対して国民の大多数が反対しているが、改める様子はない。

これは言語道断である。安倍元首相が進めた政治とは、日本国憲法の平和理念を「拡大解釈」して覆し軍事拡大を促進、大日本帝国と軍による植民地支配・侵略戦争の加害と犯罪を矮小化・否定する歴史修正主義を正当化し、ヘイトスピーチを助長させ、さらに教育とメディアの統制を強化した、まさに「民主主義壊し」であった。また、福島原発事故の実態を隠蔽・矮小化してオリンピックを誘致し開催、原子力政策を推進し被害者を切り捨て、ネオリベラル政策で格差の拡大を深めて弱者を苦しめる一方、元統一教会や日本会議など右翼(極右)団体と癒着して政権存続に利用し、国政を私有化して利権者・集団を優遇した。

このように民主主義と立憲主義に反する政治を進め、公文書の改ざんさえ行った安倍元首相の不正行為の数々は、死後も検証され、追及されるべきである。私たち、民主主義と立憲主義の擁護・強化をめざす海外に住む日本人を主としたグループ・個人
は、以下に述べられた竹内康人氏のテキストに賛同し、多額の国税が投じられる安倍晋三の国葬に、断固反対の意を表明する。

反天ジャーナル アベノツミ10条、勲章の内実
竹内康人(歴史研究家)
https://www.jca.apc.org/hanten-journal/?p=1697(転載許可済)

発起人
梶川ゆう(ベルリン、ドイツ)
杉田くるみ(グルノーブル、フランス)
飛幡祐規(パリ、フランス)
団体・個人名
Sayonara Nukes Berlin
よそものネット・フランス
スイス・アジサイの会
JAN(Japanese Against Nuclear) UK
ドイツ在住
熊崎実佳
藤井隼人・弘子
フランス在住
辻俊子
小森浩子
波嵯栄ジュフロワ総子
坂田英三
宮崎洋一
齋藤紀子(Motoko Saito)
Shukuko Voss-Tabe (田部淑子)
深作裕喜子
田中千春
桐島敬子
柴田真紀子
林瑞絵
白髭節子
富樫一紀

ビュールレスク訪問記

2022年8月5日(金)~7日(日)の週末、フランス東部ムー  ズ県の、CIGEOという放射性廃棄物最終処分場建設が計画されているビュールという過疎化した村を中心に、何年も前から行われている抵抗運動グループが毎年(コロナ禍の過去2年を除いて)行っている反核・反原発フェスティバルに、グルノーブルの「遠くの隣人3.11」を代表してK.S.さん、よそものフランス(パリ)からY.T.さんを始めとする四人が参加するのに私も便乗した。

このCIGEOという名はCentre industriel de stockage géologiqueのイニシャルを取ったもので、地層貯蔵産業センターといったところか。フランスではもともと、1980年代から放射性廃棄物を地下に埋蔵するべく候補地を探したが、どこも大きな反対運動が起きたため1991年に処分場建設のための法的根拠を作った。「貯蔵所としてふさわしい地層かどうかを調べる研究所」の候補地として三つを提出するはずが、口先だけ三か所提示したものの、結論はビュールと決まっていたことから「ビュール、ビュール、ビュール」だったと揶揄されるほどだった(ちなみに、この「ビュール、ビュール、ビュール」がここでの抵抗運動のスローガンにもなっている)。1998年末の閣議決定後、ビュールでの研究所設立をANDRAに任せる政令が1999年8月に発布された2006年には「可逆性のある」地層埋蔵所を作る法律を通してしまった。どこのどういう地層が最適かという根本的な比較調査も科学的根拠を透明に人々の理解を求めるプロセスも経ずに、上から押し付けたのだ。ムーズ県ビュール地方の地層は主として粘土でできている。2016年になると最早調査ではないパイロットプロジェクト段階に入り、建設にかかる全体費用のおよそ25%を費やしたとみられているそうだ。

ここで計画されている最終処分場は、ムーズ県の5つの村(ビュール、ソードロン、リボークール、ボネ、マンドル)を犠牲とし、270ヘクターの土地(地上)に及ぶ施設建設物(敷地ではなく、あくまでも地上に建てられる建物全体の広さ。廃棄物を輸送で受け取る駅や、地下に送る前の梱包のための施設等も含む)を作り、270キロ/15キロ平米の地下トンネル貯蔵庫(ギャラリーと呼んでる)を作って、高レベル放射性廃棄物を保管しようという巨大なものである。地下埋蔵所に運ぶトンネル通路の長さは5キロ、貯蔵できる廃棄物の量は約8万立方メートル(一度貯蔵すればもう取り出すことのできないもの)。建設および貯蔵が完了するまでに130年かかると予想されているが、これにかかる費用はほぼ400億ユーロの費用と見積もられている。

CIGEOの計画の図
https://bureburebure.info/qu-est-ce-qui-se-passe-a-bure/

今年の7月8日にマクロン政権ではまず、国務院がこの計画を遂に「公益事業」と名付ける政令を、続いてボルヌ首相が「国益事業」だとする政令を出し、自治体の権限を越えて環境調査などを省き、規則も無視して事業を施工できるようにしてしまった。まだ放射性廃棄物はビュールには持ち込まれていないし、それが行われるのは2025年以降だろうと言われているが、ANDRA(Agence Nationale pour la Gestion des Déchets Radioactifs)(放射性廃棄物管理のための国立機関とでも訳すか)はすでに3000ヘクタールにわたる土地を買い取り、ここに計画に必要なインフラストラクチャーを着々と作り始めている(線路、道路、電線等)が、この法律でもっと広範囲にわたる土地の買収が可能になるほか、工事も可能となるだろうと言われている。これはあらゆる反対派の議論、問題提起を無視して行われたものだ。反対派はすぐにコミュニケを出してCIGEO事態の許可はまだ下りていないのに準備工事を始めてしまうことになることを批判し、地下埋蔵所の火災や爆発の危険性についての専門的調査が終わるのは2026年のはずなのに、既成事実を作るためにこの政令を出したと言って反対している。ANDRAはまだCIGEO建設許可の申請書を政府に提出していないのに、どうして準備工事が始められるのかと反対派は訴えているわけだが、それはドイツ・ゴアレーベンの最終処分場計画が進められていたときの話とまったく似ている。調査は形式的なものにして結論ありきでことを進め、既成事実をどんどん作ってしまおうという構造は、いわゆる「国策事業」ではよくあることなのだろう。ことに、この土地の粘土地層が花崗岩の場所と比べてどうなのかという調査研究が透明に行われてこなかった経過が気になる。ビュールが選択された後の2000年から花崗岩地層の地域15か所で調査をやろうとしたがすべて反対運動で停止になったため、しっかりした比較は行われていないようだ。

2004年からフランスとドイツの運動家たちが集まってBZL(Bure Zone Libre:自由解放の土地ビュール)という団体を作って、ビュールに古い家を購入してそれを修復し、抵抗の家(まさに名も、メゾン・ド・レジスタンス)を作った。ここで同志が集まって話し合い、コンサートや議論を催したり、寝泊まりもできる場所を作ったりしている。これも、数年前に訪ねたゴアレーベンで見た運動の在り方ととてもよく似ていると私は感じた。

このグループが主体となって毎年行っているのが私が今回参加したフェスティバルで、その名もアメリカのヴァラエティショーのジャンルの一つバーレスクのフランス語読みをもじった「ビュールレスク」だ。主催者に若い人が多いとはいえ、フェスティバルのプログラムの豊富さと大きさにはびっくりした。映画ばかりを上映するテント、講演会、議論の場を提供するテント、コンサートのテント、スペクタクルを提供する場所、それに毎日700名分の温かい食事(ビーガン)を昼間と夜提供するテントに、飲み物(地元のワインやシードルなども)、その他の食べ物(すべてビオ)を提供するスタンドなどがあり、用足しの後、木屑をかける方式のトイレが並び、救急医療のためのテントもあった。入場料はすべて「寄付」で、自分が払える、払いたい額を払えばよかった。プログラムはあまりにたくさんで、どれに行ったらいいかわからないほどだった。私が行きたいとかねがね思いながら(車がないために)まだ行けないでいるゴアレーベン(Wendland)のグループが聖霊降臨祭の頃に行うフェスティバルもこんな感じのはずだ。ただ、産業も何もない過疎化した地方であるビュール近くで行われるフェスティバル会場には行くのも大変で、私はよそものフランスのグループの人たちが車でパリから来るのに駅でピックアップしてもらわなければ当然行くことは叶わなかった。一番近くの駅からも35キロほどあり、テント野宿する元気はさすがになかったので、その会場からさらに30キロほど離れた民宿を計6人で予約した。ベルリンからは本当に遠くて、ストラスブールで一泊して次の日にビュール近くの駅へと向かったのだった。

 

 

毎日2回700名分のメニューを提供する食堂テント

 

 

私が今回ここに行くことになったのは、グルノーブルのグループ「遠くの隣人3.11」がフランス語字幕をつけた松原保監督のドキュメンタリー映画「被ばく牛と生きる」がここで上映されることになり、そのトーク・質疑応答のためにこのグループを代表してK.S.さんが招かれていたからで、それにパリのグループの数人と私が一緒についていくことに決めたからだ。「被ばく牛と生きる」は私も国際ウラン映画祭のためにドイツ語字幕をつけたのでよく知っているし、あれは詳しくフクシマまたは日本のことを知らない人でも、農家の人たちや動物好きの人たちなどには特に身につまされる作品で、世界のどこでも見せられる作品だ。映画の中で希望の牧場の吉沢さんが環境省の前で職員に向かい、「オリンピックなんてしてる場合か!」というところでは、パリ・オリンピックを控えているフランスだけに、観客から拍手が沸き起こっていた。

上映された映画用のテントはほぼ満員になり、真剣に長編の映画を見てからも、すぐに席を立つ人はほとんどいなかった。そしてその後の挨拶・質疑応答にも残ってじっと聞き入っていた。トークに残ったのはK.S.さんとY.T.さんで、映画の話というよりは、あの映画撮影時から何年も経った現在のフクシマの状況、先日の屈辱的な最高裁判決、同時に一筋の希望を与えた東電株主訴訟判決についても報告し、汚染水海洋放出が計画されている中、それに反対する運動があることもアピールした。またこの二人と一緒にフランスの環境派の農民連を代表した男性も登壇し、話をした。

質疑応答で印象に残っている質問は「こういう事故が起こってしまった場所では、人々にはレジリエンス(最近は日本語でもレジリエンスと言っているようだが、柔軟性・回復力・適応能力をひっくるめたような言葉だと私は理解している)がつくのではないか、ついて当然なのではないか、というような質問があった。しかし、これでは私たちが以前から批判しているエートスの考えと同じで、原発事故があった場合、放射能との共存を当然のように求められることにつながってしまう。本来なら事故の加害者や原因を追究し、汚染を詳細に測定して把握し、放射線防護を徹底して住民が被ばくしないように最大限の努力をして避難生活を援助すべきところを、漏れてしまったのだからそれでどうにか生きるよりない、放射能と共存することは可能だ、レジリエンスは作れる、ちょっとくらいの放射能なら大丈夫、と押し付けてしまうことになり、実に危険だ。だからレジリエンスという観念をここに持ち出すのは問題だ、ということをKさんは淡々と明確に答えていた。

 

 

映画上映後のトークに聞き入る観衆

 

 

私はかつてフランス語を勉強したとはいえ、もう35年もドイツに住んでいるうちにすっかりさび付いているので、アクティブな参加はできなかったが、自分に関心がある話だからか、議論や人の話はそこそこついていくことができた。それでも100%理解できたわけではないので、情報の正確さについては一緒にいたフランスからの仲間にチェックしてもらうことにして、参加したプログラムの中から印象に残ったものをいくつか紹介したい。

かなり以前から環境団体などから問題視されている湧き水の私有化(NestleやVittelなど)というテーマがあるが、大体水という本来その土地に住む生物の生命維持に必要なみんなの物であるはずのものを国際企業が独占してボトルに詰め、商品として有料で売る、ということがそもそも問題だ。こうした水の国際的大企業による私有化(とそれにまつわる環境汚染、社会問題その他)と廃棄物処分場の国益・公益事業としての上からの押し付けとその強硬な進め方には類似性があるのではないか、という見方での講演があった。水を土地に当てはめると、その類似性ははっきりする。

ある目的のため(商業営利、国益、臭いものには蓋の論理、とにかく行き場に困ったゴミの処分に対する解決法を強引に提示して押し付けるなど)に、そこに住む生命(人間だけではない)すべてのものであるはずの土地を買い取り、環境破壊、汚染、そこに住む生命の健康への影響などを無視もしくは軽視して、反対意見や議論は相手にせず、結論ありきの不透明な調査分析を名目上行って計画を強行する、という点で確かに類似したやり方と言える。原発建設ももちろん同じだ。ことに原発建設および運転は国策と言えど国ではなく企業が行うのだから、もっと類似性は高いかもしれない。これほど長年にわたり(放射線を出すものは半永久的に)環境を汚染し生命を脅かす危険のあるものを、本来は皆のものであるはずの土地を買収して建設し、維持していくということを、利潤追求する企業と、ある(不透明な)団体(ドイツで言えば最近バイエルン州で話題となっているTÜV、日本なら原子力規制委員会など)がお墨付きの許可さえ出せば、実行に移してもいいのか、それほどのことを一部の人間だけで決定することが許されるのか、というのは常々争われてきている問題点だ。ことに気候変動で今ヨーロッパは各地で雨が何か月もまともに降らず、川が枯渇するところが増え、水不足で水制限を始めている場所も多い。そんな中で湧き水を営利企業が独占してどんどん汲み上げプラスチックのボトルに大量に詰めて高い値で売るということが許されていいのか。ビュールのことで言えば、粘土質の地層に高レベル放射性廃棄物を貯蔵して、もし地下水が汚染されることがあれば、首都のパリも簡単に汚染されてしまう。そういう意味で、この議論は水だけでなく、フラッキング(水圧破砕法)によるガス採掘(今エネルギー危機でそれをまた推進しようとする動きが世界各地で増えている)、ウラン採掘、電池に使われるリチウム、コバルト、ニッケルその他の資源採掘、金採掘、もちろんもういい加減にやめてほしい石炭採掘でも同じことが言える。

もう一つ興味深かったのが、1980年以来、放射性廃棄物処分場候補となってきた各地方やラ・アーグ再処理工場の地元の市民たち、チェルノブイリ事故後作られたフランスの放射能に関する調査および情報提供の独立委員会(放射線防護のためのNGO)のクリラッドのメンバーなどが続けてきた地道な「戦い」の歴史を映像やインタビューでまとめたドキュメンタリーを見せながら、過去40年どのようにフランス各地で核廃棄物の埋蔵に人々が反対し、抵抗運動を展開して、実際に候補リストから抹消させるという勝利を勝ち取ったこともあったという事実を紹介する講演会だった。「過疎」地を狙って原発や廃棄物処分場を建設しようとするのはどこの原子力ロビーも同じだが、市民がさまざまな知恵を出し合って敗退させることもあったエピソードは痛快だった。ここでも長年の「闘志」が「ユニークな反対運動のアイディアはゴアレーベンのグループたちから多く学んだ」とも述べていた。こうした「成功」の経験をビュールでも生かそう、ということで各地から闘志たちが集まって思い出話やこれからの抱負などを語っていた。

私はゴアレーベンの闘志たちに会った時も痛感したが、自分の住んでいる場所、働いている場所(ことに土地や川、海と密接に結びついている農民や漁民など)がこのような想像もつかない放射性廃棄物という猛毒で取り返しがつかない形で汚染されてしまうという切迫した危険のある場所の市民の方が、遠くの都会にいる市民たちよりもずっと真剣に根強い抵抗・反対運動を続けるのだと思う。彼らは一度汚染されてしまっては遅すぎる、今抵抗して何が何でもそれを防がなければ、という危機感で連帯し、譲歩しない運動を展開できる。それがゴアレーベンでもあったことだし、このビュールでも今回見れるものだったと思う。それが、その切迫感から離れて遠くに住んでいたり、土地や川・海に直接依存した生業をしていない人たちは、世界はそのほかにも各種深刻な問題には事欠かず、注意も散漫し、危機感が薄れてしまうのかもしれない。日本を見ても、フクシマ事故から十一年経って、事故発生直後にあった反原発運動のうねりは年々減って、今も変わらず声を上げ運動し続けている人の大半は、故郷を奪われ、土地や海、川を汚され、生業を奪われ、人生が変わってしまった事故の犠牲者、被害者か、危険な原発立地地域の市民たち、もしくは最終処分場候補を名乗り上げた自治体の市民たちなどだ。しかし放射能に関しては対岸の火事、ということはあり得ない。日本列島は狭い。ロシアのウクライナ侵攻でさかんと防衛費を大幅増額し、非核三原則の見直しを求めたり核共有などと言い出す輩が増えているが、ウクライナのサポリージャ原発が攻撃を受けてヨーロッパが震撼としているように、日本が防衛強化する根拠となっているはずの中国や北朝鮮、ロシアからミサイルで日本海岸沿いの原発銀座を狙うのは簡単なはずだ。そうすればどんな防衛力を日本が持っていようが、日本列島は簡単に放射能まみれになってしまうだろう。そういう想像をしていけばいくほど、日本のどこにいても切迫感はあって当然なはずで、反原発・反核運動をしないわけにはいかないように思うのだが、そういう恐怖や不安を「大丈夫・安心・安全」のプロパガンダに包み込む機能は素晴らしく発達しているのだ。

それはフランスも似たような状況にあるように思う。フランスはまして核保有国であり、原子力によりエネルギー自立していることを誇りとしている国だ。そのフランスもしかし、そのほとんどの原発は老朽化し、支障が出て止まったりしているだけでなく、冷却水に使う川が旱続きで枯渇したり少なくなって使えなくなり、停止せざるを得なくなっている。ヨーロッパでエネルギー危機を迎えているのは、もちろんロシアからのガスや石炭が来ないこともあるが、フランスが不足する電気を(自国の需要だけでなく、オーストリアやイタリア等には契約があるから安値で売り続けなければならない)ドイツなどから輸入しなければならなくなってヨーロッパ電気市場を圧迫させているからでもある。

ドイツに至っては、せっかく今年2022年末までに最後の原子炉を停止させ脱原発を完了させる予定なのに、延長して動かせるようにバイエルン州のズーダー首相を始め、今の連邦政府の連合政権の中でもFDPなどが強く働きかけている。しかし原発は不足しているガスの代わりにはならず(ガスによる発電はわずか)、年末に停止予定だったために、今動いている最後の三基は10年ごとに行われるはずの原発定期検査を受けていないですでに数年経っており、もし運転延長をすることになればその定期検査をしなければ運転はできないはずであり、燃料棒も今年末までのものしか注文していないので、続きはない。ガスは、化学産業などの原料、そしてドイツでは多いコジェネによる地域の熱供給のために必要であり、それから石炭による火力発電や原発では細かく発電調整ができないため、再生エネルギーで電力が不足したときに微調整可能な発電としてガスが必要なのだ。そういうことをしっかり言わずに、電力不足という部分だけを煽り、原発さえ動けばすべてが解決できるように演出する原発ロビーが根強くいることを憤ると同時に、そのことにドイツにいる市民も「切迫した危機感」をもって反対していかなければならないはずなのである。

最後に参加した講演会は、最終日の日曜の最後の目玉として注目されていたもので、フェスティバル主催者側が強く推薦したらしい「Oublier Fukushima」(フクシマを忘れる)という本を書いた三人の著者(ジャーナリストなのか、アクティビストなのかはっきりしない)を招いてのものだった。この本は、核にまつわる最悪事故を忘れさせようというはっきりとした意図による、忘却のためのシナリオ、メソッドがある、ということを書いたものだ。ことに「被ばく牛と生きる」を見た著者の一人が、KさんやYさんに、ぜひここでの討論に参加してほしいと要望したこともあって、私たちもどういう本なのか、彼らがどういうことを書いているのか知りたかったし、フクシマに関することなので私たちが参加する意義があると思い、話を聞いた。

本は分厚いもので細かく章に分かれており、事故の後「事故処理をする」「避難させる」「復興する」「矮小化する」「破壊する」「帰還させる」「調査する」「祝う」などが見える。彼らが言っているのはどうやら、フクシマで起きたことを忘れさせようとする戦略シナリオがあり、最悪原発事故などは本当はなかったのだ、原発(政策)に反対する理由はどこにもないのだ、原発事故の後起こったことはすべて「非可視化」できるのだ、という方法を原子力ロビーはフクシマで実行に移した/今も移している、そしてそれはどこでも繰り返し行われるだろう、ということを主張したいようだ。そのこと自体はわかるし、一理あるのだが(実際政府・東電が電通を使って行ってきた/いることが明らかになればなるほどその通りだということがはっきりする)、この本については私たちはどう見ても賛成することができなかった。というのは、まずこの本はいろいろな人たちの発言の引用をしているのにも関わらず、その原典がどこなのかがすべてに対しては書かれていないこと、情報源提示が少ないことだ。またもとは日本語である情報源を誰がフランス語に訳したのかもわからない。だからジャーナリストとしての本としても科学者としての本としても不十分だ。この三人はそれなりにフクシマの事故の経過や何があったかを詳しく勉強してきたかもしれないが、実際に日本語ができるわけでもなく、長く福島(または日本)に住んでいたわけでもない、ほとんどがまた聞き、聞きかじりで書いたのではないかと思われるところが多い。しかも、彼らがフクシマに関する話をしていくと、詳しく知っている部分もあるが、例えば小児・若者の健康調査での甲状腺がん症例の経緯についてなど、事実とは異なる内容を憶測で適当に述べていたりする。実際あったことはより自分たちの話に合うようにドラマチックに、なかったことはあったかのように演出して話すなど、私たちとしては許せない姿勢だったことが鼻についた。

       問題の本

反原発なら、フクシマの犠牲者の味方なら、あることないこと何でも言っていいわけではない。それよりは正しく証拠のある事実をよく正視してそれを注意深く分析し、現状把握をし、同時にどうあるべきか、なにをしていくべきかを議論したり、政府や東電の批判をすべきであることは、私たちが以前から口を酸っぱくして言っていることだ。事実を矮小化したり、小さいものを誇張するのでは、私たちが批判・非難している相手と同じレベルに落ちることだ。それにしても、自分のよく知らない国や文化、人々のことをあたかも熟知しているかの如く書いたり語ったりするということはやはり恐ろしいことである。自分が長く住み、言葉もある程度マスターし、メンタリティや文化も熟知し、歴史や思想も理解して初めて少しはその国や土地について話すことも許される、というような、当然あるべき謙虚さをなくしてしまうと非常に怖いと思うし、外国に住む私たちも気を付けていかなければならないことだと思う。フクシマ原発事故後、あらゆるドキュメンタリー映画ができて、そこには外国から来た人による作品もあり、中にはこれは絶対に許せない、というのを私はいくつも見てきたが、それと同じ感想をこの本の著者三人に対しても抱いた。

日本では北海道の自治体のいくつかが高レベル放射性廃棄部の最終処分場建設に向けた政府の調査を受け入れる誘致を表明した。それでさっそく寿都町では反対運動グループができている。そのことを聞いたビュールのグループがぜひ連帯メッセージを送りたいと考え、そのやり取り仲介を「遠くの隣人3.11」のK.S.さんに依頼した。今その調整が始まっているところだ。私はそれを聞いて、ゴアレーベンの仲間に連絡を取り、彼らからも同様の連帯メッセージを出してもらってはどうかと考えている。同じような国策の被害を被ろうとしている地域の抵抗運動グループから連帯し応援するメッセージを受け取ることが少しでも励みになれば、と思う。市民抵抗の方法などに関しても学べるところがあるかもしれない。たくさんのプログラムの中でコンサートやスペクタクルなどは見る暇がなかったが、和気あいあいとした、子どもからお年寄りまであらゆる年齢層が集まったビュールレスクは、核廃棄物の最終処分場という重くのしかかるテーマをめぐりながらも実にエネルギーに満ちて、皆が楽しんでいる活気あふれたものだった。これだけのフェスティバルを計画し実際に運営するのはどんなに大変だっただろう。でも若々しくあらゆる人々に対して開かれた「反抗の祭典」であった。

フェスティバル会場で汚染水海洋放水反対を呼びかける

私たち六人は一台はパリからYさんが乗ってきた車、一台はレンタカーを地元で借りて移動していたのだが、Yさんはパリナンバーのため、二度もフェスティバル会場のそばで待ち構えていた憲兵(フランスでは大都市にしか警察はいないらしく、農村部で警察の役割を果たすのは軍に所属する憲兵ということだ)に車を止めさせられ、厳しい職務質問を受けた。一度は私も乗車していたが、乗車している者たちにもIDを出させてしっかりチェックしていた。ビュールレスクに行った人たちの中に、警察に「デモに行くのか」と尋問され「フェスティバルに行く」と答えると「じゃあデモに行くんだな」と言われた、とネットに書いている人がいたが、このフェスティバルに参加する人たちは政府の原発・核政策に反対する危険分子なのだ。孤立した反対運動は辛いし切ないが、こうやって同じように考え、行動する人たちとその考えが間違っていないことを確かめ合うことができると、やはりほっとする。私もとても遠いビュールだったが、フランスの仲間のおかげで今回参加することができて、感謝の気持ちでいっぱいである。そして切羽詰まった危機感を、私も忘れるわけにはいかない、と改めて確信した。(ゆう)

 

「被ばく牛と生きる」上映の際去年作成したフクシマ十年後の状況を伝えるチラシを配るよそものフランス

 

 

協力:「遠くの隣人3.11」K.S.さん、「よそものフランス」Y.T.さん

写真提供:「よそものフランス」、「遠くの隣人3.11」、ゆう(SNB)

参考リンク:

Bure‘lesque(ビュールレスク)フェスティバルサイト:https://burefestival.org/

ビュール反対運動グループのサイト:https://bureburebure.info/qu-est-ce-qui-se-passe-a-bure/

寿都町「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」サイト:http://kakugomi.no.coocan.jp/index.html

よそものフランスのフェスティバル参加報告記事:
http://yosomononet.blog.fc2.com/blog-entry-459.html

 

情報パンフレットやバッジ、シールなどを売るテント

 

 

 

 

2022年3月5日かざぐるまデモの報告

戦勝記念柱からブランデンブルク門を埋め尽くした2月27日の反戦デモ©SNB/Yu
©Christoph Eckelt / Green Planet Energy eG

今年のデモを計画し始めた時には、予想もしていなかった事態が起きた。2月23日にロシア軍がウクライナ侵攻を開始したのだ。そして次の日にはすぐに、原発事故のあったチェルノブイリがロシア軍によって占拠されたというニュースが入って、私たちを震撼させた。プーチンは、核兵器を特別警戒態勢に移したと脅し、ドイツから飛行機で2時間しか離れていないヨーロッパで、また核の脅威が具体的なものとなってしまったのである。ヨーロッパで急遽起こってしまった戦争に対する市民の怒り、不安、無力感は大きく、27日の日曜日にベルリンでいくつもの市民団体が共催して呼び掛けた戦争反対のデモには、主催者側が50万人というほどの人数が集まり、文字通りベルリンの中心街を埋め尽くした。子どもからお年寄りまで、ありとあらゆる国や文化の出身者が各地から集まって平和にデモを行っている間、ドイツ連邦議会ではショルツ首相が演説し、連邦政府の特別資産プールからなんと1000億ユーロを、古くなって有事での戦闘力が疑われているというドイツ軍補強・再軍備に充てる、さらにこれまでの、軍事衝突している地域に兵器は送らないという伝統を破りウクライナに兵器を供給する、そしてNATOにこれからは毎年GNPの2%を超える出費をすることを約束した。爆弾宣言だ。まだSPD、緑の党、FDPの連合による新政府ができあがって数か月だが、この新たなる軍拡宣言は、ちょうど前の赤・緑連合政府の時、それまで戦争には参加しなかったドイツがコソボ紛争やアフガニスタン戦争に参加してしまった時のあの私の脱力感を髣髴とさせる。プーチンのウクライナ侵攻は、まったくもって言語道断だが、それに対する応えが西側、しかもドイツの軍拡なのか、と問わざるを得ない。軍拡は、平和とは相いれないはずではないのか。これでますます軍事力競争と武力の連鎖が高まることにつながり、ロシアをもっと刺激することになるのではないか、と不安だ。しかも、そんな1000億ユーロもパッと出すお金があるのなら、それこそ、ロシアに依存していたガスや石油を断ち切って独立するため、そして本当に安全で持続可能な自然に優しいエネルギーを自国で持てるよう、再生エネルギーのインフラストラクチャーや建設に充てるべきではないのか。そんなことを考えて一人で悶々としていたら、今度は私たちのデモのすぐ直前、ウクライナだけでなくヨーロッパで最大の規模というサポロジア原発がロシア軍の空襲に遭い、火事まで出たという報道が入った。それこそ私たちが一番恐れていることだ。原発の建物が破壊されれば、あるいは電源がストップしてしまえば、フクシマで起こった事故がヨーロッパで、しかもまたウクライナで起こることになる。どうしてこんなことになってしまったのか。どうして人間はまだこんなに危ない原発なんかを持っているのか。ロシアからのガスにはもう期待できないことを踏まえて、さっそくバイエルン州のゼーダーを始め、今年いっぱいで停止するはずのドイツの最後の原発の稼働年数を延ばすべきだなどと言う議論も聞こえるようになった(注:これを書いている3月8日になって、やっとハーベック経済相が稼働年数を延長することはないと表明した)。危ないのは核兵器だけでなくて原発も同じであることが、今わからない人たちはどういう頭の構造をしているのだろうか。今更、どうやって原子力が「安全なエネルギー源」などと言えるのだろうか。というわけで、今年のデモは、もともとフクシマの放射能汚染水の海洋放出反対が中心テーマだったのだが、デモの意味付けが最後になってこんなにも変わることになってしまった。今の時点で核の脅威を訴え、反原発反核を訴えることは、今までより増して重要で、自宅で籠って悶々としているよりは、仲間と街頭に立ち反原発反核を訴える方がずっといいとも思えた。そうして3月5日のデモの日を迎えることとなった。

気温は0℃前後と寒かったが、太陽が出てデモ日和。2月は風の強い嵐がいくつも続いたが、そういうこともなくデモで横断幕を持って練り歩くのもきつくなかった。動員数は少ないと最初から思っていたが、デモ開始時間になるとあらゆる旗や横断幕を持った人たち、デモでしか毎年会わないがそれでも必ず来てくれる人たちの顔がそろい始めた。ダンサーのかずまは、まだ日本にいて、本来は3月初めにベルリンに戻ってデモでパフォーマンスをしたかったようだが、ウクライナでの戦争が始まり、ロシア上空も飛べなくなって来ることを断念した。

レクイエムのコーラス ©M.Naganuma

コーラスでよく歌っている歌手のえみ子が仲間の指揮者、同僚に声をかけてくれ、彼女を含め計六人が揃い、レクイエムを歌ってくれた。ブランデンブルク広場がその時静まり返って、彼らの澄んだ声の合唱が響いた。胸にしみる歌声だった。長くなく、それでいてひきしまるような合唱でのデモの始まりは、とても効果的だったと思う。

お馴染みの司会のNaturFreundeのUweは、響く声で背も高く体格もよく、たくさんの人の中でもしっかり目立つありがたい存在だが、彼がメモなど一切使わずに明確なメッセージを発言してくれるのを、今年も安心して聞けた。彼もこの反原発運動で司会を務めてからもう何十年、と自分で笑っていた。ベルリンの反原発デモには、ウィンズケール(セラフィールド)の原子炉火災事故やチェルノブイリ原発事故の頃から反原発をしている「ベテラン」運動家が多いのだが、今回SNBは若いアクティビストたちにもぜひ声を上げてほしいと願い、Fridays for Futureのベルリン支部やBUND Jugendのベルリン支部に演説を依頼したところ、喜んで引き受けてくれた。またGreenpeaceと一応一線を画すために名前を新たにGreen Planet Energyに変え、今回もまた主催者として参加してくれた広報担当のChristophがハンブルクから来られなかったため、ベルリン事務所で働いている若手の男性を演説に送り込んでくれた。そういう意味で演説者の平均年齢がぐっと下がり、それもとても気持ちのいいことだった。

150人ほど集まった参加者 ©T.Kajimura

個人的には、私は今年からは第一線でデモのオーガナイズやPR担当をするのをやめるつもりで控え目に参加するつもりだったが、急に起きたプーチンのウクライナ侵攻とチェルノブイリ原発占拠やヨーロッパ最大級といわれる原発が襲撃に遭って火事まであったということがあって、どうしてもSNBとしては何かを言わないわけにはいかないという気持ちに突き動かされ、急遽私も飛び入りで話すことになった。

Sayonara Nukes Berlinを代表して梶川ゆうと山内ひとしの演説

私がどうしても訴えずにいられなかったのは、原発がある国でまさに原発が戦争で襲撃され、停電が続いて冷却が不可能になったり原子炉建屋が破壊されたり、または管理している人員が怪我したり襲われたりすることで無人状態になってしまったりすれば、フクシマ、チェルノブイリと同じことが、いやそれ以上にひどい悪夢が起きる可能性がある、それはプーチンが核兵器で脅しをかけているのと同じくらい恐ろしく、その危険がこれほど具体的になっているのに、ロシアからのガスが望めなくなるなら、または国内でのエネルギー供給が独自に賄えるようになるために、今年中に停止するといっている原発の稼働年数を延長しようなどという声がすぐに聞こえていることに対する絶望感だった。こんなことがあってもいまだに原発がどれだけ怖いか、わからないのだろうか。私は気候温暖化を食い止めるためだけでなく、平和、民主主義的な自由とエネルギー問題は切り離せないものだという、そのことを語りたかった。(ゆうの演説はこちら:SayonaraNukesBeriln_YuKajikawa.jp

SNBの山内は、彼らしいエピソードを踏まえて科学的にどうして原発が持続可能でも未来志向でもないかという話をした。5分にはできないほど彼独特の話の展開を書いた演説より詳しいテキストがあるので、ぜひそちらを読んでほしい。(山内のテキストはこちら:SayonaraNukesBerlin_HitoshiYamauchi.jp

IPPNW/Alex Rosen ©T.Kajimura

IPPNWのAlex Rosenは、去年から代表をやめ、自分の小児クリニックを開業したりマイホームを建てたりと忙しくしているようだが、このデモでの演説は自分にとっても大切なテーマだからと、今年も快く引き受けてくれた。用意してきた原稿を読み上げずに、これだけしっかりとまとまって力強いメッセージが演説できる彼を羨ましく思う。彼は本当に私が思っていることを代弁してくれたと思う。彼はいくつかのテーマに触れたが、大体まとめると以下のようなことを語っていた。2011年の3月11日にフクシマから届いたニュースは私たちにとって衝撃だった。たくさんの人が忘れていないはずだ。その前にはチェルノブイリがあった。でもウクライナから日本、そしてまた今ウクライナに戻ってきてしまった。昨日の3月4日、もう少しで大惨事が起きるところだった。恐ろしい経験をかろうじて逃れることとなった。原発のある国で戦争をするというのは、前例のないことだ。原子力エネルギーは、平和な時代でも決して受け入れることのできない危険なテクノロジーだということを、私たちは常に言ってきたはずだ。どの科学者たちも、真剣に科学を追い、金に買われていない者ならば、右翼でなく、気が確かで良識ある者なら、誰も「グリーン」だとも「安全」だとも「安い」とも決していうことのできないはずの原子力を、まだどうにか進めようとしている者たちがいる。それを推進している国、いまだに原子力発電にしがみつき、それをこれからも続けると言っている国は、どれも結局は核兵器を持っている国か、そこと利害関係で結ばれている国だけである。原子力エネルギーと核兵器は同じ硬貨の表裏だということを忘れてはいけない。フクシマ原発事故後、健康に対する影響や被害を調査しようにも、因果関係をはっきりさせないようにするために、日本政府は甲状腺やその他の健康被害の調査を故意に怠ってきた。福島県の18歳以下の人たちも、甲状腺に関してしか調査をしなかったし、そのほかの健康被害やほかの県に住む人、若者以外の年齢層の人たちに関しては無視してきたため、科学的で独立した健康調査ができていない。これはわざと因果関係を隠蔽するためとしか思えない。原子力エネルギーがある限り、核兵器のない世界は得られない。核兵器を持つ国がある限り、原子力エネルギーのない世界も得られない、この二つは同じく、撲滅すべく闘っていかなければならない。今私たちはウンターデンリンデン通りに立っているが、すぐそばのロシア大使館の前で戦争に反対してデモをしているウクライナの人たち、そしてこのすぐ後ろで平和のために集まっているロシアの人たちと私たちは連帯している、私たちは同じ目的、核の脅威のない世界のために闘っている!以上がアレックスの演説の要約だ。

デモ行進前にGreen Planet EnergyのMaximilian Weißが演説をしたが、彼はタクソノミーに原子力エネルギーとガスが入れられグリーンウォッシングされていることを批判しながらも、どうして原子力エネルギーには未来がないか、投資家もだまされないはずであろうことや、原子力はどんなに原発ロビーがタクソノミーなどをしてもそれは彼らの最後のあがきであり、実は世界中で後退の一途をたどっていることを分析して楽観主義的な見方をした。世界もそのように理性的であることを願うしかない。(Green Planet Energyの演説の和訳はこちら:GreenPlanetEnergy_MaximilianWeiß.jp

©Christoph Eckelt/Green Planet Energy

それからデモ行進に移った。今回もコロナの影響もあり、去年と似てそんなに人は来ないだろうと考えてたくさんかざぐるまを作らなかったが、去年との大きな違いはツーリストがすでにたくさんベルリンに来るようになっていることだった。子ども連れや若者のツーリストが、黄色いかざぐるまに魅せられて寄ってきて、デモが始まる前にセルフサービスのように手にして立ち去ったため、デモ隊の持っているかざぐるまは今年は少なかったように思う。

©SNB/Yu

デモ隊はウンターデンリンデンを通ってから一回りしてまたブランデンブルク門に戻った。今回は行進後のパフォーマンスや音楽がなかったが、それで参加者の注意が散漫にならず、演説を熱心に聞いてくれ、却ってよかったと思えた。最後のプログラムの演説は今回のデモで初めて参加してくれたKorea VerbandのYujin Jungで、日本政府が放射能汚染水を海に放出するという勝手な決定をしたことに対し、海を挟んだ近隣の国の人たちがどんなに不安な思いでいるかを話してくれた。(Yujin Jungの演説の和訳はこちら:KoreaVerband_YujinJung.jp

Fridays for Future Berlin/ Johanna Buchmann ©T.Kajimura

次にはFridays for FutureのJohannaがとてもエネルギッシュではっきりしたメッセージを話してくれた。彼女がフクシマ事故が起きた時12歳だったと聞いて、唸ってしまったが、そうだ、フクシマでも事故当時子どもだった人たちで甲状腺がんに罹った人たちが成人して、原発事故と甲状腺がんとの因果関係を究明して責任を追及するため、東電を相手に集団訴訟を起こしてもいるのである。当時10歳だった子どもは、今年はもう21歳だ。この件については今年の武藤類子さんのメッセージにも書かれているが、アレックス・ローゼンも演説で話していたように、がんと原発事故もしくは被ばくとの因果関係を追求するには、独立して信頼できる調査が少なすぎるだけでなく、公害訴訟などで健康被害と事故や公害の因果関係を追求した経験のある弁護士がいないことを心配する向きもある。また東電だけで、国を訴えていないことも問題である。この件については5月半ばに予定しているおしどりマコ&ケンさんとの講演会で、彼らにも詳しく語ってもらうつもりだ。(Johannaの演説の和訳はこちら:FridaysforFutureBerlin_JohannaBuchmann.jp)

今年も、福島第一原子力発電所の事故による被害者で、福島原発告訴団の団長である武藤類子さんからメッセージが届いた。ドイツ語はSayonara Nukes Berlin、英訳はJAN UK、フランス語はyosomono-net France、イタリア語はTomoAmici、そのほか在外の有志によって、スペイン語、オランダ語に翻訳されている。

武藤類子さんのメッセージ:
日本語 https://yosomono-net.jimdofree.com/ Deutsch:https://yosomono-net.jimdofree.com/german/ English:https://yosomono-net.jimdofree.com/english/ Français:https://yosomono-net.jimdofree.com/french/ Español:https://yosomono-net.jimdofree.com/spanish/ Català:https://yosomono-net.jimdofree.com/catalan/ Italiano:https://yosomono-net.jimdofree.com/italian/ Nederlands:https://yosomono-net.jimdofree.com/dutch/
BUND Jugend Berlin/Jonathan ©T.Kajimura

最後は二十代の若者で、ドイツ最大の環境保護団体BUNDの若者の支部BUND Jugend Berlinを代表し、Jonathanが演説してくれた。彼も最初に反原発でデモ行進したときは父親の肩車に乗ってホイッスルを吹き鳴らしたそうだ。彼は去年の連邦議会選挙で初めて選挙権が与えられ選挙をしたが、もうとっくの昔に政治家が勝手に決めていて、自分たちに関係することでも、なんの決定権もないものがある、その中の一つが原発を稼働して大量の放射性廃棄物を後世に残してもいいか、という問題だと話していた。もっともである。若い世代は、私たちが何も考えずにどんどん作り出して置いていく負の遺産ばかりを背負わされるのだ。(Jonathanの演説の和訳はこちら:BUNDJugendBerlin_JonathanDeisler.jp

予定していた演説者はこれだけだったが、飛び入りの演説者が入った。ゴアレーベンの市民グループの人で、ICANなどと一緒に始めた運動「Don’t nuke the climate」のキャンペーンでベルリンを訪れたGüntherが話をした。彼は去年11月にグラスゴーで行われた気候変動枠組条約締約国会議でも、堂々と原子力ロビーが赤いじゅうたんを敷いた晴れの舞台を与えられ、いかに原子力が気候変動の対策として重要か、持続可能でクリーンかを述べ、EUのタクソノミーに入れることを歓迎するような話をしたことで、肝心の会議が悪用された話をしていた。彼らはあらゆる独立した機関の気候や地球の状態に関する報告分析にもかかわらず、いまだに原子力が持続可能な経済的発展に必要なテクノロジーかなどということを語っていると嘆いた。また、いわゆる先進工業国が気候危機を打開していくためにまずは最低1000億ユーロを出し合うのが必要と言いながらも、なかなかその額が揃わないでいる中、ショルツ首相は簡単に1000億ユーロを連邦軍に出すと決めてしまった。このことはよく覚えておく必要がある。

司会のUweは最後に鋭く語った。こうして今年のフクシマ原発事故十一周年を記念する私たちのかざぐるまデモも無事に終わった。2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻によるヨーロッパでの戦争という思いがけない事態が黒い影を落とし、デモでも新たな「核の脅威」を訴えざるを得なくなった。戦争で苦しむのも原発事故で苦しむのも、常に普通の市民、弱者たちだ。絶対に許せないと思う。このような信じられない武力行使がすぐそばで行われていることを思うと、無力感を感じて憂鬱な気持ちになるが、そういう時にこそこうしてデモに繰り出し、同じ気持ちの人たちと一緒に行動するのは、一人でうちに籠って悶々としているより、よかった。ウクライナから逃げてポーランドなどに難民が何百万人と入っているが、ポーランドの人は彼らを暖かく迎え入れ、ドイツでも支援する人たちが後を絶たない。私たちがデモをやっている間も、ベルリン中央駅にはぞくぞくとウクライナの難民が汽車でたどり着き、それを出迎えるボランティアたちが朝から遅くまできびきびと働いている様子がニュースに映った。私たちは戦争を知らない子どもたちとして育ち、なんの不自由もなくひもじい思いもせずに好きに旅行し、消費生活を送り、電気も大量に使って生きてきたから、ここでパンデミックを体験しなければならなくなったのかと思っていたが、そうではなくてこのコロナ禍はこれから続いていく灰色の時代のプロローグだったのかと思うと、なんとも心が暗くなる。戦争は、どうしてもだめだ。どうしてこんなことになってしまったのか。西側の国々は単にプーチンを悪魔呼ばわりするだけでなく(いくら彼が悪くとも、だ)、自分たちの失策、失敗、手抜かりを総括して反省すべきだし、今これから軍拡しても冷戦時代の軍備拡張競争となって死の商人を儲けさせるばかりで、ウクライナの人たちの助けにはならない。どうしてもっと早く再生可能エネルギーの割合を増やし、ロシアだけでなくどこにも頼らない自立した本当にクリーンなエネルギー供給体制を作ってこなかったのか、戦争で原発が空襲の標的とされるような事態が起きて、どうしていまだに原発がなければ、というような考えが出るのか、私には理解できない。それより教訓を得て、エネルギー危機を後回しにせず、今こそこの平和と民主主義とエネルギーの危機を未来の世代のために乗り越えていってほしいとひたすら願うが、悪夢は終わらないのか。私たちはこれからもずっと声をからして脱原発と核兵器廃絶を気候危機の悲鳴と共に訴えていなければならないのか。私は、やはりなかなか楽天家にはなれそうもない。(ゆう)

かざぐるまデモダイジェスト版 on YouTube↓↓

IPPNWドイツ支部「東京2020ー放射能オリンピック」キャンペーンの報告

2020年夏に開催予定の東京オリンピックはコロナパンデミックにより1年延期され、それで去年IPPNWドイツ支部(核戦争防止国際医師会議)と、ドイツ最大の反原発団体である.ausgestrahltと、私たちSayonara Nukes Berlin(以後SNB)とで共同で行う予定だったアクションが一年延びて、日本が聖火リレースタートを去年と同じ3月25日に予定しているため、23日に記者会見、24日に署名運動で集めた署名リストを日本大使館に届けるというアクションを行った。

日本でも時を同じく東京や福島で反対行動やデモが行われたが、ドイツからもオリンピックの祭りをフクシマがあたかも収束し原発事故が克服されたかのような演出をする舞台に悪用しないことに対する抗議をする人たちがいることを伝えるのは大切だったと思うし、そのためにSNBのような日本人のグループも一緒にいることが必要だと考えて私を記者会見に誘ってくれたことに感謝したい。

IPPNWドイツ支部と.ausgestrahltが書いたNo radioactive Olympicsの声明自体は、詳しく言えば私には賛成しかねる部分もあったが、フクシマの人たちを本当に支え助けるためにお金やエネルギーを使わず、演出と宣伝ばかりにお金を使って、福島第一から20キロほどしか離れていない、東電の作ったJヴィレッジから聖火リレーをスタートさせ、人もまだほとんど戻っていない双葉の駅をピカピカに作って開通し、それであたかも元通りに戻ったかのように見せるために聖火リレーのコースを通過させること、それはそこを通る選手にとって放射線が高いから問題だというよりは、そこに「大丈夫だから住みなさい」と帰還政策で戻され、もとより20倍以上の年間線量を許容するよう強要されている人たちを思えばこそ許すことができないということでは気持ちは同じだと、何度もIPPNWドイツ支部の代表であるAlex Rosenの話を聞きながら確認することができたので、私は彼らとこのアクションを行うことができたのは良かったと思う。

記者会見でSNBを代表したステートメントでは、私は、ほぼおしどりマコさんケンさんが1月末の講演会で話してくれたデータを使った。

ここでは特に日本人を代表し、日本の政策批判と、オリンピック決定の背景について話してほしいと言われていたのだ。私がステートメントを読み上げた後、グリーンピースがJヴィレッジや福島での聖火リレーコースで線量測定を行い、いくつものホットスポットが見つかった数分の画像を流した。


菊のご紋を背景に(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

 

 

 

 

 

 

Sayonara Nukes Berlinを代表してのゆうのメッセージ

『すべては嘘から始まりました。2013年9月、当時の安倍首相はオリンピック招致の舞台で世界に向けてこう宣言しました。「福島はアンダーコントロールです。汚染水はブロックされています」と。 しかし当時も今も「アンダーコントロール」からは程遠い状態なのが真実です。安倍首相が2020年のオリンピック招致で演説した2013年は、地下貯水槽で漏えいが見つかり、護岸エリアで地下水の汚染が発見され、高濃度汚染水を貯留していたタンク群から大量の汚染水が漏えいしました。この2013年8月19日のタンクからの汚染水漏えいはINES(原子力事象評価尺度)で2011年のフクシマ原発事故とは別のレベル3の事故して認定されました。そのなんと十日後、2013年9月に東京オリンピックが決定しました。フクシマはアンダーコントロールだから、というわけです。 しかし東電が2021年1月に出したデータから見ると、原発事故から十年経った福島第一は今も12000ベクレルの放射性物質を大気に放出しています。この放出量は、同等の稼働中の原発の大気への放射性物質放出量と比較すると、通常に稼働している原発が一年に大気へ放出する量の40倍を、福島第一はたったの1時間に放出している計算になります。 安倍元首相とその政府はしかし、福島原発事故はもう過去のことなのだという印象を世界にアッピールするため、是が非でも東京オリンピックを悪用したいと考えました。彼らはそれで「復興オリンピック」と謳っていますが、果たして誰のための「復興」だというのでしょうか? Jヴィレッジはもともと1997年に東電が原子力発電所立地地域の地域振興事業の一つとして出資して建設してから福島県に寄付したスポーツトレーニングセンターです。フクシマ事故後は事故現場の対応拠点となり福島第一で働く人たちが寝泊まりもしていました。事故を起こした原発からは20キロしか離れていません。日本政府がほかでもないここからオリンピックの聖火リレーをスタートさせたいと言っているのは偶然ではありません。彼らはそれにより世界に示したいのです。「ほら、みてごらん、原発事故はもう克服できた! 大したことないのがわかるだろう!」と。 しかし、2011年3月に発令された原子力緊急事態宣言は、今でも発令されたままです。事故を起こした原発の周辺には、2011年3月以来避難命令が解除されていない町や村がいくつもあります。この原子力緊急事態宣言が発令されて以来、日本政府は、事故以前の許容線量を20倍に引き上げて、線量が高い場所にも戻って住むように人々に強要しています。これが彼らの言う「帰還政策」です。避難命令が解除され帰還を促された村や町でも線量が高いのはそのためです。そして避難命令が解除されると、放射線が高いのを恐れたり、昔とはインフラ設備が同じではないから、または以前の仕事に従事することができないからなどの理由で帰還しない場合にも、賠償金の支払いや住宅支援は中止されてしまいます。これまでに、事故前に住んでいた人たちの約1割、それもほとんどお年寄りの方たちしか解除された地区に帰還していません。 いわゆる除染作業というのは、そのほとんどが畑や住宅地域の汚染された土を剥ぎ取り、それをフレコンバッグに詰め込み何列にも並べて積み重ねる、ということだけを意味しています。フクシマにあるたくさんの山々や森は除染などできません。風が吹けば、雨が降れば、台風が来れば、放射性物質はまた除染した場所に戻ってきます。 それでも国や官庁は原発事故の危険性や影響をなるべく見えないようにしたいと、線量測定モニターを外したり、未成年対象の健康調査の規模を小さくしたり、または約1400万立方メートルほどの汚染土をリサイクルしようとしたりしています。彼らはあらゆる方法で、原発事故のマイナスの影響が皆の目に明らかにならないようにしているのです。そのためにはオリンピックは、それをメディア効果よく演出するために適した舞台というわけです。日本政府は原発事故の犠牲者を精神的に、医学的にそして財政的に支援する代わりに、おとぎ話を伝える方によりたくさんの支出をしています。しかし、今はそんな幻想をばらまいている時ではありません。』

Alex Rosen(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

IPPNWドイツ支部を代表してAlex Rosenは以下のような話をした。

『オリンピックが行われれば、世界が日本を注目することになる。その時に、日本は実際に国の中で起きていることを「なかったことにする」「ない振りをする」そして政治的に悪用し、復興という名を与えて違うイメージを与えようとしてはいけない。先ほどのグリーンピースの動画でも見えたように、ホットスポット、高い線量のある場所がいくつもある場所に選手が数時間競技を行うことで健康に被害がある、と私たちは言っているのではない。福島で聖火リレーを行い、また福島県の各地で競技を行うことは日本政府が意図して選んだ象徴的な選択である。東京オリンピックでありながらわざわざ福島でも競技を行うことで、日本政府はフクシマの事故の影響をなかったことに、あたかもかつての日常が戻ってきてるかのような幻想を世界に与えようとしている。私たちはオリンピックそれ自体を批判しているわけではない。しかしフクシマの現実から目を閉じること、ましてはそれ以上に違ったイメージを与えようとすることにオリンピックを悪用しようとしていることに私たちは抗議するものである。』 あとは彼がデモでも話したような、健康調査をしっかり行わなかったことの批判、それでもはっきりと被ばくが原因としか考えられない、ことに甲状腺がんを始めとする例が出ていることを語った。

.ausgestrahltの代表Jochen Stayはハンブルクに住むため、かざぐるまデモには今回演説を予定しながら参加することができなかった人物だ。.ausgestrahltはドイツで最大規模の反原発団体だが、こことはかつて映画「Furusato」のことでいやな経験をしたことがあり、私は彼らの運動の方法を必ずしもいいとは思っていないのだが、Jochenはここでドイツの原子力政策(例えばお馴染みの、脱原発を決定して来年で原子炉自体は停止するかもしれないが燃料棒製造もウラン濃縮も続けて、それをヨーロッパ各国に売っているとか)についての批判などを加えていた。

次の日、24日にこの署名運動はとうとう1万人以上の署名を集めることができたので、それをプリントアウトして日本大使館に届けるときにちょっとしたアクションを計画した。

(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

日本大使館は当然ながら署名を受け取るために大使館職員を出迎えに出すということはないが受付に渡すのならいい、ということで、代表してAlexRosenが重いファイルを届けたが、その前に私たちはティアガーテン側で横断幕やIPPNWが用意した聖火トーチ(炎に放射能マークがついている)などをもって写真撮影するアクションをする届け出をしてあり、そこに20人くらいで集まった。その後でIPPNWはメディアも招いてブランデンブルク門前でもっと演出した写真撮影を行うということで私ももともとは動員されていたのだが、人数は足りているから必要ない、ということになって大使館前で私は別れて自宅に帰ることができた。コロナでなかなか人と会うことがままならない今、デモの時以来初めてまた人とこうして「生」で会うことができるのはかなり新鮮な感じがし、春の気配が濃厚なティアガーテンを友と一緒に気持ちよく散歩することができたので、このアクションは今年のフクシマ関連最後のアクションとなるかもしれないが、なかなか気持ちのいいものになったことを喜びたい。

ブランデンブルク門前で(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

私は十周年のアクション、イベントを終えたら少し第一線から下がりたい、と話していたし、やはり今年もマコさんケンさんの講演会からデモ、その他の講演会の主催やステートメント発表、イベント出演、アクションなどでかなり消耗してしまった。これでやっと責任を果たし肩の荷が下りたとほっとすると同時に、これからの私の運動、社会参加のあり方について考えていかなければならないことを実感する。マコさんには講演会で「2021年の3月12日から本気を出さないと」と言われてしまっている。私にとってもこの十年はいろいろな意味でたくさんを学んだ十年だった。私にとってこのフクシマをきっかけに考えたこと、学んだことは、きっとこれからもどうでもよくはならないはずで、どういう形で私があまり息を切らずに社会参画していけるか、どういう方法なら私はいいと思えるのか、ということを自問していかなければならないだろう。フクシマ事故に凝縮された問題は非常に複雑で、国家がその市民を守ろうとしないばかりか、その市民を裏切り、見棄て、洗脳しようとさえするものであることを明らかにした。日本にも世界にも憂うべきことが山ほどあるこの現在の中にあって私という人間はどう生きていくのか、どう生きていきたいのか、なにをする責任があるのかという問いかけはこれからもずっと続いていくだろう。

(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

それは、私になにか動かしたり変えたりすることができる、というような幻想があるからではなく、今生きている人間としてなにかをせざるを得ない、何もしないわけにはいかないという存在のあり方、姿勢として、考えないわけにはいかないからだ。私が頻繁にSNBを代表して発言してきたため、また私が言い出したことで皆にも用事を増やし、強引な部分もあったかもしれないが、暖かく受け止め、協力してくれたSNBの仲間全員に心からお礼を言いたい。そしてこれからも私たち一人一人ができることを積み重ねていきたいと思う。(ゆう)

 

フクシマ10周年、かざぐるまデモ2021の報告

十周年のために制作した大型かざぐるま(©Uwe Hiksch)

去年はぎりぎりセーフでロックダウン前にデモが実行できたが、今年はまだロックダウン真っ最中。それもあって予定していた演説者が二人来れなくなったり、参加者も少ないことが予想されていたが、十周年のフクシマ・デモをやらないわけにはいかないとトラックの舞台も準備してブランデンブルク門でかざぐるまデモを行った。共催団体はいつもの通りNaturFreundeAntiAtom BerlinGreenpeace Energyだ。今年は動員数も少ないと思われたため、配布するかざぐるまもずっと少なくし、その代わり10周年として大きなかざぐるまを作ってみたのが、なかなか目立ってよかった。赤と黄色が灰色のベルリンの町でも目立っていたようだ。

今年の横断幕(©Sayonara Nukes Berlin)

当日は寒いながらも天気も晴れの予報で、朝起きた時には本当に青空だったので、よかったと思っていたのに、実際にブランデンブルク門前のパリ広場に集まった時は空がかき曇って雪が舞い始め、恨めしそうに空を仰いだ。でもありがたいことに、デモを開始する時間にはそれもやんで、それからは雪も雨も降らないでもってくれた。

東日本大震災から十年。あの日、コンピューターで見る東日本の津波の映像に釘付けになりながら、福島の原発が全電源を喪失し、原子力緊急事態が発令されたのを知った。それから心配で不安で何も手につかずに過ごした数日のことを思い出さずにはいられない。あれからもう十年も経ってしまったのか、という気持ちと、いや十年など放射性物質にとってはわずかな時間なのだという思いが一緒に広がっている。まして十年経っても元の生活を取り返すことのできない人たちにとっては、その思いはどれだけのものだろうか。

ブランデンブルク門前に立った柱の先端で 回るかざぐるま(©Sayonara Nukes Berlin)

舞踏家の古谷充康(ふるたに・みちやす)氏が今年はパフォーマンスを引き受けてくれた。これまでのように、デモ開始の合図として、アイキャッチャーとしてのダンスや音楽を期待していた人たちには「まだデモの準備をしているの?」と思われるように、静かなスローモーションのパフォーマンスだった。彼は木材と工具を用意し、高い柱を組み立ててその先にかざぐるまを結び付け、それを立てる、というパフォーマンスをしたのだった。何の音楽もない「無言」のその動きをじっと見ている、またはその意味を考える、悟ることができずに、お喋りし出してしまう人、その周りを横切る人、イライラして「いつパフォーマンスは始まるのか?」と私に聞く人、など様々だった。でもそのパフォーマンスを見ながら、誰にも聞かれも頼まれもしないのに手助けをする人が何人か出始め、しかも最後に柱を立てるときは一人では立ち上げることができない、何人もの力を合わせて初めてそれが可能になるということを一緒に体験し、その柱がブランデンブルク門の前で厳かに立ってそのてっぺんで私たちの平和なエネルギーのシンボルであるかざぐるまがくるくると回った時は確かに圧巻だった。

あのパフォーマンスは、エネルギーシフトを成功させるにはそうした人々の積極的な協力、共同作業があって初めて可能になる、ということを言葉を使わずに表現したものだったのかもしれない。思えば無言というのは難しいことで、無言に耐えることは、ことに「なにかを見たい、聞きたいと期待されている場面」ではなかなか理解されない。特にデモのようにこうしてたくさん人が集まっているところでは、無言は「空っぽ、なにも起きていない」ということと解釈されてしまうことが多く、刺激を求める人たち、「なにか見えるもの、聞こえるもの」を求める人たちには興味を持たれない、無視されてしまいがちだが、無言というのは本来力強いメッセージでもある。しかし、同時にそれは受け取る側にその用意ができていないと難しく、無言を受け止めることをああいうデモで求めるのは難しかったのかもしれない。しかし無言の古谷さんのパフォーマンスのメッセージを受け止めた人も中にはいたようだ。一人一人に考えさせるパフォーマンスを用意して実現してくれた古谷さんにここでもう一度感謝したい。

今年のかざぐるまには、ロンドンの在外邦人で立ち上げた反原発団体Japanese Against Nuclear UK(JAN UK)で活躍されているデザイナーの方から中央に添えるイラストを提供していただいた。(©Uwe Hiksch)
ゆうの演説(©Sayonara Nukes Berlin)

演説はかざぐるまデモの「伝統」に則り、SNBの演説から始まった。私はあの事故から10年ということで、自分なりのこの10年、この事故を他人ごと、遠い話とは思えずにずっとかかわらざるを得なかった自分のこれまでの運動を通じた思いを総括する気持ちを籠めた話をした。SNBの皆もそれぞれ自分なりの思い、感情があると思うが、私にとってはこの「フクシマ」という名で括っている悲劇の中に潜むそれぞれの「あの事故さえなければ」という体験、人生計画や喜び、幸せを奪われたり台無しにされたりした人たちの一人一人の運命、10年経っても変わらない不安や恐れを思わずにはいられず、同時に、それなのにきちんと自分たちの政策や決定の過ちを認めず、責任を一切取らず、その上事故が起きても市民を守らず、助けず、支えないばかりか見棄て、「なかったことにしよう」とするためのプロパガンダの方には費用を惜しまない国と東電に対する怒りをどうしても訴えずにはいられなかった。

かざぐるまデモ2021_Sayonara Nukes Berlin_梶川ゆう演説_和訳(オリジナルはドイツ語:KazagurumaDemo2021_YuKajikawa_Original_de)

IPPNWドイツ支部代表Alex Rosen(©Uwe Hiksch)

IPPNWのAlex Rosenは毎度のことながら原稿を読むのでなしにフリーにそれでいてあれだけ説得力ある力強い演説ができるのに感心してしまう。反原発運動の中心となるアクティビストたちはドイツでも高齢化が進む中、IPPNWドイツ支部の代表である彼はまだ小さい子供のいる40代くらいのエネルギッシュな若手で、彼のような人がIPPNWを代表してフクシマのテーマを扱ってくれるのはとても頼もしい。デモの1週間前に行われたIPPNWドイツの「フクシマから10年」のシンポジウムでも原発事故後の健康への影響や健康調査の結果をよくあれだけしっかり扱ってくれたと思う。Alexは演説ではまず原子力発電というのは決して制御できないものであり、社会にとって決して容認することのできないリスクであるということを伝えるとともに、ドイツで原発をすべて停止するとしながら、Gronauでまだウラン濃縮を行ったり、Lingenで燃料棒を製造して、ベルギーやフランスの原発にそれらを売り、これらの原発の稼働年数を延長することをとどのつまり認めているということは許せない、と訴えた。そしていくつかの原子力産業や軍事産業が民間のインフラストラクチャーと税金を使って原子力潜水艦や長距離ミサイルを配備できるようにするために原子力は利用されているのだとも語った。彼は「自分は子どもの父親として」「一市民として」そして「小児科医として」憂慮していることをそれぞれ伝えたが、それが心に響いた。彼は、フクシマで最初からしっかり健康調査していればいろいろなことが判明し、防ぎ、救えたかもしれないことが敢えて隠され、した方がいい調査をしないで済まされ、この大事な十年をある意味でずいぶん棒に振ってきてしまったことを日本政府に対して非難していた。また、妊婦や子供であっても事故前より20倍の線量で生活することを余儀なくされているフクシマで、これから何十年とかけて出てくるだろうあらゆる健康に対する影響に対して、彼らを保護せずに放っておく政策に対しても批判していた。

今年のモットーの横断幕(©Uwe Hiksch)

今年のデモは一年経ってもまだ終わりの見えないコロナ禍ロックダウンの続く中行われ、演説のため遠くから来る予定だった二人がベルリン訪問をあきらめたこともあり、あまり動員数が期待できない状況ではあったものの、十周年という区切りのデモはそれでもやろうという共催団体との気持ちは固く実行に臨んだ。配布するかざぐるまの数もそれで思い切り少なくしたが、およそ250人が集まり、雰囲気はとてもよかった。新型コロナの規制の影響により、Greenpeaceのドラム隊は今年は来られなかったがドラムを持ってきてくれた人もいたし、Friday for

自作の自転車に積んだスピーカーから100%のエコエネルギーで音楽を流す(©Sayonara Nukes Berlin)

futureでいつも音楽を流しているという、自転車にスピーカーを載せて反原発や環境問題をテーマにしたラップを流す人も来て雰囲気を出してくれた。しかもNaturFreundeのUweまでがシュプレヒコールの余興をしたりして、気持ちよくUnter den Lindenを練り歩くことができた。私はロッコとデモの先頭に立って今年のデモのモットーを掲げた横断幕を持って歩いた。今年、十周年のためにつくった大型かざぐるまも大きさも色も灰色の町の中で目立ち、風にくるくると回っていたのが嬉しかった。

デモ隊はUnter den LindenからGendarmenmarktの方に折れ、Französische Straßeの地下鉄の入り口の横を通ってまたUnter den Lindenに戻りブランデンブルク門前に帰った。観光客の少ないコロナ禍だが、それでも通り過ぎる人たちは皆携帯を向けて写真を撮ったり、楽しそうに見物していた。時々風が強くて、横断幕をピンと張ってしっかり持っているのが大変だった。

Unter den Lindenを歩く(©Uwe Hiksch)

パリ広場のトラック舞台のところに戻ってみると、古谷さんはかざぐるまが先端についてくるくる回っている長い棒を持ったまま立っていた。そしてその棒をまた数人の助っ人に助けられながらゆっくり倒して石畳の上に置き、黙々と解体を始めていった。

多和田葉子氏(©Sayonara Nukes Berlin)

ここでの演説の始めはSNBが今年招待した作家の多和田葉子氏だった。彼女は自分がフクシマ事故後に書いたという詩というのかエッセイを使って今回の十周年フクシマ記念デモのために書いてくれた文章を読み上げてくれた。運動家の演説とは違って、誰か(国や東電その他)を批判したり、データを挙げたりあってはならない事態を憂いたりする文章とは違って、彼女が感じている放射能や原発に対する恐怖、不安を、彼女ならではの感性で綴った文章で、とても印象的だった。「記憶の半減期はどれくらい長いのか」という表現はことに心に残った。彼女にその文章をぜひブログで紹介したいのでテキストが欲しい、それを日本語でも載せたいが、と申し出たところ、承諾してくれた上、翻訳は私に頼みたい、と言ってくださった。私はでは、翻訳したら彼女にそれを見せるからチェックして必要なところを訂正してほしい、と言い、私が彼女のテキストを翻訳させてもらった。私にとってもこういう文章の翻訳は願ってもない仕事で、任せてもらったことを感謝している。

かざぐるまデモ2021_多和田葉子演説_和訳(オリジナルはドイツ語:KazagurumaDemo2021_YokoTawada_Original_de

(©Sayonara Nukes Berlin)

いつもならGreenpeace EnergyのChristoph Raschがヨーロッパでの原発問題をテーマに話すところだが、去年の夏から彼はベルリンからGreenpeace Energy本部のあるハンブルクに移ってしまい、コロナ禍でベルリンに来るのを諦めたため、その代わりにめずらしく司会のUwe Hiksch(NaturFreunde)が最後に話をした。彼は現在新建設や拡張が予定されているEU内の原発計画に言及した。ポーランド、チェコ、スロバキア、スロベニア、ハンガリー、リトアニア、ルーマニア、ブルガリアやフィンランド、それからEUを離れたイギリスだ。また、ついこの間原発運転年数を40年から最大50年までを許可することにしたフランスの政策(フランスの原発はもうそのほとんどが古く、40年を超えているのに稼働しているものもある)についても批判した。さらにUweは現在アフリカの16か国が原発を建設して原子力エネルギーを始めようとしていることに対する危機感を表明した。政治は原子力エネルギーを「クリーンなエネルギー」「二酸化炭素を出さないのでエネルギーシフトには欠かせない電源」という風に宣伝することによって、風力発電や太陽光発電を増やしていくのを妨げているのだと。そしてドイツはまずEURATOM欧州原子力共同体を脱退して、原子力エネルギーと核兵器の開発管理にこれ以上手を貸してはならないと求めた。気候変動を救う、という謳い文句で原子力エネルギーを再興しようという動きが世界で広まっていることにはっきりとノーを叩きつけるUweの迫力ある演説だった。

(©Midori Naganuma)

2013年にSNBがデモを始めてから、8年。NaturFreundeとAntiAtom Berlinと一緒にデモを始めてから7年。彼らともこのデモの運営に関しては気心の知れる仲となって、信頼感が育ったのを今年は強く感じた。ドイツの反原発運動の人たちにとっては、フクシマの事故はまさに「警告」であったわけで、だからこそ追悼というよりは今起きていること、これから起きる可能性のある危険について人々に訴えるためにデモをするのだが、フクシマを機に集うデモだからこそ、私たち日本人のグループと一緒にデモをやることがいいと思ってくれているのでもあるし、それでこのように単に日本人による追悼だけでなくドイツ、ヨーロッパとどのつまりは世界の問題について議論し合う場、これからも反核・反原発運動を続けていくしかないと確認しあう場となるのはいいと思う。このデモでフクシマのことを中心に据えて追悼しないことについて日本の人たちの中には「不本意だ」と思う向きもあるかもしれないが、私はドイツでデモをやる以上、それは当然だと思う。そしてこのような事故が本当に二度とどこでも起きてはならないのだ、これを戒めとして原発はやめなければいけないのだということを言い続ける責任があると思う。だって、こんな恐ろしいことを続けていけば、またどこかで必ず事故が起こるに決まっている。そして事故が起こらないまでも放射性廃棄物はどんどん溜まっていくばかりだ。

(©Midori Naganuma)

そして十年が過ぎてもその前の平穏な日常生活に戻ることのできないたくさんの福島近郊の人たちのことを思うと、私たちはそれを忘れてはいけない義務があると思う。忘れさせよう、風化させよう、見えなくしてしまおうという政府のやり方がこれほどひどいのが分かっていれば、なおさらだ。しつこく、従順にならないでいつまでも言い続けよう。ノーモア・フクシマと。(ゆう)


日本語報道:
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ドイツで原発廃止訴えるデモ福島第一原発事故から10年を前にベルリンかざぐるまデモ | NHKニュース https://www3.nhk.or.jp/…/20210307/k10012901971000.html
ドイツ ベルリン で日本人ら反原発デモ 作家の多和田葉子さん「即時停止を」(共同通信)
#Yahooニュース
ベルリンで反原発デモ ノーベル賞候補作家・多和田葉子 さんが訴えたことは?:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/90111
福島原発事故 からまもなく10年 ドイツ ベルリンで脱原発デモ|TBS NEWS https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4215899.html
ドイツ語報道:
Zehn Jahre nach Reaktorunglück in Fukushima Atomkraftgegner demonstrieren vor dem Brandenburger Tor: https://www.rbb24.de/politik/beitrag/2021/03/atomkraftgegner-demonstration-berlin-10-jahre-fukushima.html
Atomkraftgegner demonstrieren zehn Jahre nach Fukushima:
Protest am Brandenburger Tor: Erinnerung an Fukushima:

Fukushima: “Von Normalität kann keine Rede sein” https://www.dgs.de/news/en-detail/120321-fukushima-von-normalitaet-kann-keine-rede-sein/


かざぐるまデモライブ動画アーカイブ:

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