おしどりマコ&ケン        ZOOM講演会

フクシマ15年 ‐ 歴史を書き換えさせないために

2025年6月14日(日)

日本時間20:00~

ベルリン/パリ:13:00~

ロンドン12:00~

モントリオール/ニューヨーク07:00~

事前登録はこのリンクから:https://us06web.zoom.us/webinar/register/WN_5lZoZDGmT9-wdjXD7RPdhA

2026年3月でフクシマ原発事故から15年が経ちました。不十分な除染で帰還困難区域が次々に解除され、立ち入り禁止区域とそうでない区域との境を曖昧にし、イノベーションコーストなど、多大な資金を投入した復興再生と称するフクシマ事故歴史の書き換えと原子力産業の肯定が着々と進められています。ネガティブな事実を伝える報道が消え、社会でのフクシマ事故やその影響、被害者に対する関心が薄れていく中、福島第一ではたくさんの作業員が高線量の被ばくを強いられ、終わりの見えない廃炉作業が続けられています。同時に、「自己責任」で避難生活を強いられている方々が今もたくさんいます。その一方、東電広報担当者やその他のメディアの記者は次々に入れ替わり、事故発生以来の経緯を詳しく知る人は今や、おしどりマコ&ケンさんだけです。

フクシマ復興の成功例ばかりが広告記事で流される今、核心の問題点、東電や官庁が伝えない事実、見えにくくされているテーマを追求し続けるマコ&ケンの存在はますます貴重です。東電記者会見に通い続け、追及の手を緩めず、データをチェック分析するおしどりマコ&ケンによる恒例のオンライン講演会「フクシマ15年 ‐ 歴史を書き換えさせないために」。

【プロフィール】 マコとケンの夫婦コンビ。漫才協会/落語協会/保健物理学会会員。東京電力福島第一原子力発電所事故(東日本大震災) 後、随時行われている東京電力の記者会見、様々な省庁、地方自治体の会見、議会・検討会・学会・シンポジウム・被害者による 各地の裁判を取材。また現地にも頻繁に足を運び取材し、その模様を様々な媒体で公開している。2016年「平和・協同シャーナリス ト基金」奨励賞受賞。http://oshidori-makoken.com

欧州フランスとドイツで反原発・反核市民運動を続けている日本人を中心とした「よそものフランス」「Sayonara Nukes Berlin」「遠くの隣人3.11」で、今年も恒例のおしどりマコ&ケン・オンライン講演会を開催します。

2026年3月でフクシマ原発事故から15年が経ちました。不十分な除染のまま帰還困難区域が次々に解除され、立ち入り禁止区域と解除区域との境があいまいにされ、帰還政策が進められる中、「自己責任」で全国で避難生活を強いられている方々は今もたくさんいます。汚染水の海洋投棄や汚染土の再利用などの放射性物質の再拡散が強行され、同時に汚染水は処理水、汚染土は復興再生土としか称してはならないという言論統制まがいのことも行われています。今や原発は主要電源として位置付けられ、各地で止まっていた原発の再稼働が進められていますが、様々なトラブルで停止を繰り返しています。

そのほかにも報道されないため私たちが知らない事実がたくさんあります。力を持たない側の声を聞き、書き換えられる前の情報を集めることが、間違いを繰り返さない術と考えるマコ&ケンさんは、今となってはフクシマ事故以来あらゆる経緯を熟知する唯一のジャーナリストです。15年間東電記者会見に通い続け、細かい取材・調査・分析をし続けてきているお二人だからこそできる濃厚な報告を、今年もしていただきます。世界各地で同時視聴していただける時間帯を選択していますが、時間が合わず、ライブ視聴できない方たちのために、講演会は録画して後日公開しますので、必ずご覧いただけます。

参加費は無料。ライブ視聴には下記URLからの事前登録が必要です。

https://us06web.zoom.us/webinar/register/WN_5lZoZDGmT9-wdjXD7RPdhA

お二人の取材活動を支援する寄付金にもご協力ください。

マコさんケンさんのご祝儀口座: http://oshidori-makoken.com/?page_id=126

海外からの送金は、下記お問い合わせメールアドレスへご相談ください。

お問い合わせ E-mail:sayonara-nukes-berlin[at]posteo.net

©おしどりケン

©おしどりマコ&ケン

2026年かざぐるまデモ報告

©Friedensglockengesellschaft Berlin

2026年4月18日(土)12時から、ベルリン・ブランデンブルク門前パリ広場で、かざぐるまデモを各種団体と共催で行った。いつもなら3.11の前の土曜日に行うところ、今年はその3月8日にIPPNWドイツ支部がフクシマ15周年記念の国際会議を行うというので、その日を諦め、ことに今年はチェルノブイリ40周年でもあることから、4月18日に開催することにしたのだった。

しかし、3月初めに、よりによって同じ日にFridays for FutureとCampactがエネルギシフト政策の充実を求めるデモを行うと宣言したため、慌ててしまった。Campactに連絡したが、彼らも全国各地でこの日にデモを行うので日にちは動かせないというし、私たちももう警察の届け出や他団体との話し合いもあってこれ以上の延期はできないことから、泣く泣く同じ日、同じ時間にデモを並行して行うことを受け入れざるを得ないこととなった。主旨としても、デモ参加の対象者も重なるデモで、FFFとCampactの方がもちろん動員数は圧倒的に多いはずなので不運だとは思ったが、今世界はありとあらゆる問題に満ちていて、毎日デモを行ってもおかしくないような状況だ。こういうことがあってもしかたない、それでも私たちは私たちのデモを実行しよう、と気を取り直して、デモの準備を進めることとなった。

「かざぐるまデモ」とSayonara Nukes Berlinの歩みを振り返る

私たちが13年以来毎年続けてきたデモは、2013年の3月、日本での「さよなら原発1000万人アクション」に対応する形で、ベルリンでロッコが居ても立ってもいられず、とにかく一人でデモを申請したところから始まる。私はまだ南ドイツからベルリンに越してきたばかりで、日本人の知人もほとんどいなかったが、フクシマ事故後、当時住んでいた場所でチャリティコンサートを開き、ネッカーズヴェストハイム原発のデモに参加したりするほか、ドイツのメディアで公開された報道番組(例えば「フクシマの嘘」など)に日本語字幕をつけたりしていたことから、ベルリンでデモが行われることを聞き、参加したことから私のSNBでの活動も始まった。それから13年間、とにかく毎年デモだけは開催してきたのだ。 次の年からはNaturFreundeやAntiAtomBerlinなどの共催団体が加わり、そこからさらにネットワークが徐々に広がっていった。2016年のフクシマ5周年では、単にデモだけでなく、あらゆるアクションを繰り広げるProtestivalも主催し、当時はまだGreenpeace Energyという名だった今のGreen Planet Energyという大きな共催仲間を得た。思えばフォトジャーナリスムを専門とするWilli-Brandt-Hausの展示場(ドイツ社会民主党SPD本部の建物の中)で大きな写真展を開いたり、環境省に招かれてそのイベントでも写真展を開かせてもらえたりしたのは大きな業績だった。

(https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2016/07/18/2016%e5%b9%b4protestival-nuclear-democracy-and-beyond-%e5%a0%b1%e5%91%8a/)

10周年の2021年のデモは、コロナ禍が広がり始めた頃で、ロックダウンでデモも禁止になるぎりぎり直前に許されたデモだったため、皆でマスクをして行進した。2020年に開かれる予定だった東京オリンピックは延期されて2021年に開催されたが、政府が「復興オリンピック」と名付けてフクシマがあたかも「収束」したかのように世界に印象付けるために、避難住民の支援を断ち切り、いまだに高線量の場所が多くあるのに帰還政策を強いる政府に反対し、IPPNWドイツ支部と一緒になって署名運動を行い、集めた署名を日本大使館に届けてアクションを行ったりした。実際に政府は東京オリンピックに備え、JR常磐線を全線開通し、すっかり荒廃していた双葉駅の駅舎を新しく建て替え(実際には駅や常磐線を使うような住民はそこにはなく、駅のすぐそばは高線量で、帰還困難区域のまま)たり、聖火リレーをフクシマでも走らせたりしたことはまだ記憶に新しい。

(https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2021/03/31/ippnw%e3%83%89%e3%82%a4%e3%83%84%e6%94%af%e9%83%a8%e3%80%8c%e6%9d%b1%e4%ba%ac2020%e3%83%bc%e6%94%be%e5%b0%84%e8%83%bd%e3%82%aa%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%83%94%e3%83%83%e3%82%af%e3%80%8d%e3%82%ad%e3%83%a3/)

2023年にはあらゆる反対の声にもかかわらず、政府の許可を得て東電は汚染水の海洋放出を開始した。汚染土もどんどん「リサイクル」されて日本各地で使われることになった。同時に2023年4月にドイツは、当初の予定より数か月延期されたものの、稼働していた全原発を停止した。いわゆる「脱原発」の実現、だが、ドイツではこれで確かに原発により電気は作られなくなったものの、ウラン濃縮工場と核燃料棒製造工場はまだ普通に稼働している。矛盾だらけの脱原発だ。ロシアのウクライナ侵攻によりEUではロシアに対してあらゆる経済制裁が取られるが、燃料棒に必要なウランをロシアからの輸入に頼っているため、これに関する制裁は一切なしで、フランスとロシアのジョイントベンチャーがドイツ国内で燃料棒を製造している。

(https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2023/05/06/%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%b2%e3%83%b3%e3%81%a7%e3%81%ae%e7%a5%9d%e8%84%b1%e5%8e%9f%e7%99%ba%e3%83%87%e3%83%a2%e5%8f%82%e5%8a%a0%e5%a0%b1%e5%91%8a/)

2024年元旦には能登半島で大地震が起きた。珠洲の原発計画が、市民の力で実現されていなかったことに胸をなでおろした人はたくさんいた。原発の事故があった場合の「避難路」など、なんと机上の空論でしかないかということも明らかになった。

去年2025年は、第二次世界大戦終了(日本とドイツでは敗戦)から80年ということでいろいろな催しがあったが、初めて戦争で原爆が投下されてからも80年ということで、ICANドイツ、IPPNWドイツとIPBが原水協の協力も得て被団協理事長の佐久間邦彦氏を招くことができ、私も通訳という形で同行し、協力することができた。(https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2025/06/08/%e5%ba%83%e5%b3%b6%e7%9c%8c%e8%a2%ab%e5%9b%a3%e5%8d%94%e3%83%bb%e7%90%86%e4%ba%8b%e9%95%b7%e3%81%ae%e4%bd%90%e4%b9%85%e9%96%93%e9%82%a6%e5%bd%a6%e6%b0%8f%e3%81%ae-%e3%83%99%e3%83%ab%e3%83%aa%e3%83%b3/)

2026年はフクシマ事故から15年として、今の現状を伝える小冊子を制作することができた。これはよそものフランスの計画に便乗して同じ執筆者の原稿を使わせていただいたものだが、ドイツでの製作では、寄付や支援金を募り、プロのレイアウターにもお金を払うことができたし、しっかり印刷された小冊子を各地の団体や個人に届けることができたのはありがたかった。

(https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2026/03/01/%e3%83%95%e3%82%af%e3%82%b7%e3%83%9e%e5%8e%9f%e7%99%ba%e4%ba%8b%e6%95%85%e3%81%8b%e3%82%8915%e5%b9%b4/)

そしてフクシマ事故から15

こうしてフクシマ事故以来活動してきて痛感するのは、あれだけ反原発の運動が高まり、当時のメルケル首相がその前の「脱・脱原発」を撤回して、あらたに脱原発を決定せざるを得なくなるほど、ドイツでは原発と核武装に対する市民の反対意見は強かったが、脱原発も一応実現され、そのほか世界各地で、また気候変動でもあらゆる問題が起こってくると、反原発反核のテーマではなかなか動員するのが難しくなってきていることだ。年々デモ参加者数も減り、今年はことに並行して大きなデモが予定されていたので、どれだけ人が集まるか?と危惧された。警察にも「参加者が50人程度なら歩道を歩いてもらう」と言われていたので、始まるまでどきどきしていたが、とにかく100人近く集まり、それなりのデモ行列で道路を封鎖して、横断幕を張って練り歩くことができたのはうれしかった。それにしても、NATOもアメリカを信頼できない、アメリカに防衛を頼り続けることはできないとしてどんどん武力増強の声が強まり、防衛費がどこもうなぎ上りに増額されていっている。EUでは核大国であるフランスを中心にヨーロッパの核の傘を求める声まで聞こえている。ドイツは「ヨーロッパ最強の軍隊を作る」などと防衛相が語り、兵役をまだ義務付けるかどうかの議論も始まっている。

かつて1977年にゴアレーベンに「核設備センターを建設する」といったのはニーダーザクセン州のアルブレヒト州知事だったが、その娘で現在EU委員会会長であるフォン・デア・ライエンは先日、「脱原発は戦略的過ちだった」と述べた。ここで指摘すべきは、彼女の発言にはまさに「本音」が出ているということだ。「戦略的過ち」というのは、経済的または環境生態的には正しかったかもしれないが、それでドイツなどがみすみす核武装のための技術能力を放棄してしまう、それが戦略的にはまずかった、と言いたいことを白状しているのだ。つまり原発を推進したい政治家・ロビーの本音はその「コインの裏側」である核武装能力にあることを堂々と認めていることになる。そうでなければ、あんなに高価で、武力闘争の標的になったり飛行機墜落などのリスク、維持も後始末(放射性廃棄物)も大変なものを作って危険を冒して動かすはずがない。戦争や気候変動によるエネルギー危機で調達や運転がどんどん難しくなる化石燃料に頼らず、それぞれの土地に十分にある太陽光、風、水、地熱などによる再生可能エネルギーシステムを推進していく方がどれだけ安全で持続可能で、コストも抑えられるかわからない。そういう意味で、「お前たちの策略には乗らない」ということをしっかり訴える今回のデモは意味があったし、賛同して参加してくれた人たちがこれだけ集まったことも嬉しかった。

今年はことに、チェルノブイリ40周年としてチェルノブイリ事故後、ドイツ・ベルリンでは市民がどう動いたか、ウクライナやベラルーシの市民を支援するために、どんな活動をしてきたグループがいるか紹介したいと思い、実際の「証人」を招いた。

第一のゲストとして、長年情報誌「放射線テレックス」を発行してきた、SNB創立以来ずっと応援してきてくれているThomas Derseeに短いインタビューを行い、チェルノブイリ事故後ベルリンで市民測定所を開いた当時の思い出や観察を語ってもらった。

©Friedensglockengesellschaft Berlin

その次には、チェルノブイリ事故後、ベラルーシ・ミンスクの放射能安全研究所と協力して、ことに子どもたち・若者を支援し続けてきた団体SODIのメンバー二人Christa Dannehl & Hagen Weinbergに、活動の歴史と内容を語ってもらった。40年経った今もずっと支援活動を続けるだけでなく、ドイツの学校で若者と記憶を繋げていく活動も怠らない彼らに頭が下がった。

©Friedensglockengesellschaft Berlin

ゴアレーベンのグループBI Lüchow-Dannenbergは、前述のアルブレヒトが1977年2月に「核施設建設計画」を発表してから来年2027年で丸50年、つまり彼らの「抵抗の歴史」が半世紀を迎える、ということで、わざわざヴェントラントからベルリンに来てくれたElisabeth Hafner-Reckersに、またもや力強く励まされる演説をしてもらった。来年の2月にゴアレーベンで50年を記念したイベントが開かれるということで、私も招待してもらったので、ぜひ参加したいと思う。

©Bernd Latzel

そのほか、毎年デモにも参加し、今年も小冊子制作の支援もしてくれた平和の鐘のグループのAnja Mewesもしっかりと戒めの言葉を語ってくれた。

©Friedensglockengesellschaft Berlin

ハンブルクからデモのために来てくれたICANドイツのChristoph van Lievenからは強い政治メッセージがあった。

©Friedensglockengesellschaft Berlin

Protestival以来、SNBのデモを共催してくれて来たGreen Planet Energyの若いMax Friedrichは、人の目をごまかすために使われる原子力の経済性の嘘やその理由などを指摘した。

それぞれが重要なメッセージを壇上で述べてくれたので、ぜひデモのダイジェスト版動画(Youtubeで公開しました!↓です)見てほしい。

©Friedensglockengesellschaft Berlin

今年もFalkが舞台づくりと技術を担当してくれ、デモ行進では抜群の反核ソングを集めたサウンドトラックで自転車BGMを流してくれた。彼には本当にずっとお世話になった!このつながりもとても嬉しい。

それから今年のライブ音楽は、おととしも演奏してもらったMarions Männerによる力強い音楽で、エスコートしてくれた女性警察官も最後に「音楽がよかったね~」と言われた。Stevieがわざわざかざぐるまデモのために作ってくれた「原発バイバイソング」もブランデンブルク門前で響き、たくさんのツーリストたちも立ち止まって聞いていた。

Marions Männer ©Friedensglockengesellschaft Berlin

SNBがデモを始めてから数年は、毎年パフォーマンスをしてくれたBodypoet Kazumaが、これでかざぐるまデモが終わりになるなら、ぜひパフォーマンスをさせてほしい、と最後に舞台で短いパフォーマンスをして、それでデモは終わりとなった。

©Friedensglockengesellschaft Berlin

15年経ってSayonara Nukes Berlinの仲間もぐっと人数が減り、ワンイッシューアクションとしてのかざぐるまデモを手伝ってくれるマンパワーも極めて少なくなったし、現在のめまぐるしい地政学的状況にあって、動員も難しくなったのは否めない。毎年3.11を記念して行ってきた「かざぐるまデモ」はそれで、今年でとりあえず終わりにし、違う形での活動を続けていく話をしている。

デモ以外に細々と手がけてきたこれまでの活動(武藤類子さんや森松明希子さんなどを始めとする日本の声をドイツに届ける、日本語の動画・映画にドイツ語字幕を付ける、これまで築き、培ってきたドイツ国内外の各反原発・反核団体とのネットワークを維持して情報交換を続ける、ドイツの人が日本の運動家、専門家、科学者たちとコンタクトを求める場合に仲介し、必要ならば通訳・翻訳するなどの活動)は続けていくつもりだ。また、おしどりマコさんケンさんの講演会も、年に一度はこれからもよそものフランスと遠くの隣人3.11と協力して続けていきたい。

小さくても、ドイツのベルリンにSNBがあるということで日本で運動をしている市民たちへの応援に少しでもなれればいい。反核・反原発の私たちの価値観、立場を脅かす状況は変わらないどころか、さらに脅威が強まっている今、やめるわけにはいかない大切なテーマであることは、今後も変わらない。かつて朝日新聞に連載された「プロメテウスの罠」という連載報道があったが、まったく人間は自分の手に負えない原子・核というとてもない火を手に入れて(作り出して)しまい、その報いで自分たちの生と生活圏を脅かしている。どうしてこんなことがこれだけの規模で許されているのか、という純粋な(ナイーブではない!)問いかけを忘れたくないと思う。(ゆう)

ゆうの手作り横断幕 ©Sayonara Nukes Berlin

©Friedensglockengesellschaft Berlin

©Sayonara Nukes Berlin

フクシマ原発事故15周年を機に寄せられたフクシマ出身の女性二人のメッセージ

今年も、3.11を前に武藤類子氏と森松明希子氏から寄せられたメッセージをお届けします。

このメッセージは、ドイツ語、フランス語、英語にそれぞれ翻訳されて公開されます。

原発事故15年後の福島

武藤類子

福島県三春町在住、福島原発告訴団団長

東電福島原発事故から15年。現在の福島では、復興の物語の中で、事故の被害や避難者、事故後に起きている様々な問題が見えなくされ、無いものとされつつある。

 2025年3月5日、最高裁判所は東電旧経営陣たちの原発事故の責任を問う刑事裁判の上告を棄却し、彼らの無罪が確定した。夥しい量の放射性物質を環境にまき散らし、今も人の住めない土地と故郷に帰れない人々を大量に生んだ原発事故の刑事責任は、誰も取らないことになった。2022年の福島原発事故関連の4件の損害賠償裁判で最高裁が「国の責任はない」とした判決後、ほとんどの損害賠償裁判が最高裁の判決に倣い国の責任を否定している。東電刑事裁判をはじめ、東電株主代表訴訟の控訴審(1審の東電旧経営陣に13兆円を支払う判決が賠償責任ゼロになった)、子どもたちの被ばく避ける権利を闘うこども脱被ばく裁判、避難住宅追い出し裁判なども同じように影響を受けている。

2015年から始まった、福島の復興の加速化を謳う福島イノベーション・コースト構想には、毎年100億円単位の復興予算がつぎ込まれ、最先端技術の企業が福島県浜通りを中心に事業を展開し、その総数が今年で433件となっている。浪江町に研究都市を造り、福島のイノベーション・コースト構想の司令塔となるF-REI(福島国際研究教育機構)は、最初の7年間で1000億円の予算とし、ロボット、農林水産、エネルギー、放射線科学、原子力災害に関連するデータや知見の集積を主な研究として、世界から50の研究者チームを招聘しようとしている。その家族のための学校、保育所などが整備されている。一方で早々に、ロボット関連企業、食品加工工場やスポーツウェアの縫製工場、断熱材製造業の工場、太陽光発電システム製造会社の工場、食堂などが経営破綻している。被害者の望む復興とは乖離した惨事便乗型の資本主義は、被災地の助けになるとは思えない。植民地化していくだけではないだろうか。

汚染水の海洋投棄や汚染土の再利用などの放射性物質の再拡散が福島復興と廃炉のためにと行われている。事故後に心身の疾患を病んだ住民は多く亡くなった人もいるが、数字に表れているのは、福島県が行なう唯一の健康調査で発見された甲状腺がん(当時未成年だった県民対象)だけで、それについても原発事故との関連は否定されたままだ。政府の各省庁や福島県などが広告代理店や大手メディアなどに発注する国策のプロパガンダが、特に若い人に向けて盛んに行われ、被害者の不安や疑問を封じ込め、住民の健康や人権がますます蔑ろにされている。

2025年にはエネルギー基本計画が改定され原発が主要な電源として位置付けられた。各地で止まっていた原発の再稼働が進められている。隣県の宮城県女川原発が2024年に再稼働され、新潟県の柏崎刈羽原発の再稼働を新潟県知事と県議会が容認した。隣接する福島県は再び原発事故による被ばくの危険に晒される可能性がある。

しかし、抗うことを諦めてはいない人々もいる。2024年には、ジャーナリストの後藤秀典さんの取材で最高裁判事との癒着を明らかにした。このことに衝撃を受けた多くの裁判の原告団や弁護団、支援者が結集し、2024年から最高裁の包囲行動を開催し、司法の独立を訴えている。ALPS処理汚染水の海洋投棄を止めるための裁判を闘ったり、廃炉に関する市民集会や廃炉機構との話し合いを開催している。また、事故時のヨウ素剤配布の事例の冊子[注1]を作成した。

政府や原子力推進勢力のお金と力を使ったブルドーザーのような勢いに対して、小さくてもできることを一つずつ積み重ねていこうと思う。

[注1]「あの日 風しもの町で起きたこと」東京電力・福島第一原子力発電所事故直後の福島県三春町での「安定ヨウ素剤」の配布。 発行:「風しもの村 風しもの町」実行委員会

基本的人権として放射線被ばくのない生を求める

森松明希子                          東日本大震災避難者の会代表                  原発賠償関西訴訟原告団代表

事故直後、私たち一般市民には放射能汚染の情報は知らされず、無用な被ばくを重ねました。空気、水、土壌が汚染される中、私は放射性物質が検出された水を飲むしかなく、生後5ヶ月の乳児に母乳を与え、子どもたちを被ばくさせてしまったことを後から知りました。

多くの核災害被災者が、事故から15年が経過した今現在も被害に苦しんでいます。(ここでは、行政の線引きに関わらず、すべての被害者を含めます。)その理由は、放射能汚染という客観的事実が残存しているからです。そして私は子どもたちにこれ以上、1マイクロシーベルトたりとも無用な被ばくはさせたくないため、今なお避難を続けています。

「万が一にも事故を起こさない」と約束した加害者の側は、事故後、「これくらいの被ばくなら良いだろう」と都合よく基準を緩め、加害者の論理で誰が被害者であるかを一方的に線引きし、被害者同士を分断させました。

私たちは、「被ばくしたくない」「健康を享受したい」という、生命と生存に関わる根本的な権利を侵害されています。この尊厳を踏みにじる行為を決して許してはなりません。

原発問題は基本的人権の問題です。

日本の司法は、国が原発事故後に一方的に緩和した「安全基準」を追認し、最高裁判決以来、避難者が起こした民事訴訟で賠償を勝ち取ることは極めて困難な状況にあります。これは、「無用な被ばくを避ける権利」という人権が、日本の司法の場で尊重されていないことを意味します。

放射線被ばくから免れ健康を享受するという基本的人権(「被ばくからの自由」)を人類の普遍的な権利として確立することによって、全世界の核被害を根絶することが可能となります。それが、私たちが目指すべき未来です。

唯一の戦争被爆国である日本は、第二次世界大戦の終結から80年を迎えました。日本被団協のノーベル平和賞受賞や、ヒバクシャの世界的なスピーチにより「被ばく」に注目が集まる今こそ、広島、長崎、福島を経験した日本は、この「被ばくからの自由」という基本的人権を普遍的な権利として確立すべきオピニオンリーダーとしての役割を果たすべきだと私は考えます。

世界の核被害を訴える人々、例えば、原水爆実験の被害者、ウラン採掘による被ばく被害、核ゴミや汚染水の海洋放出による環境汚染なども、広い意味では核被害の拡散にあたります。福島を経験した私たちは、軍事利用・民間利用を問わず、誰もが核被害者になりうることを知っています。私たちはこうした世界中の全ての核被害者とつながり、この「被ばくからの自由」という普遍的な権利を確立すべきだと考えます。

放射線被ばくの脅威から免れる権利は、地球上の全ての人が有する基本的人権です。この普遍的な権利の確立のために、福島核災被害者である私も、声を上げ、闘い続ける決意を新たにしています。

このメッセージを読んでくださっている皆さまとともに、無用な被ばくを避け、自らの命や健康に対する権利を手放さないこと、被ばくするかしないかは私たち一人ひとりにそれを決める権利があること、その命に関わる基本的人権の確立のために、これからもともに歩んで参りたいと思います。ともに声を上げ続け、この権利を勝ち取りましょう。

フクシマ原発事故から15年

「原発事故の歴史が書き換えられないように」

Sayonara Nukes Berlinがフクシマ原発事故から15周年を記念し制作した小冊子が完成しました!

それぞれの分野で活躍する、今のフクシマとそれをめぐる数々の問題を語るのに欠かせない重要な5人の方々に執筆していただき、それをドイツ語に訳しました。

ドイツ語版のプリントバージョンをご希望の方は、希望数と送り先を書いて、SNBまでご連絡ください。できれば郵送料を負担してくださると助かります(もちろんご寄付はいつでも大歓迎です!)。ちなみに、ドイツ語版のPDFをお求めの場合は、下記のリンクからどうぞ:

日本語読者の方たちのために、執筆者のオリジナル原稿をドイツ語版のレイアウトデザインに基づいてレイアウトし直し、PDFでダウンロードしていただけるようにしました。

どうぞ、下記からダウンロードするか、ウェブ上でお読みください。

15年経った今も、苛酷なフクシマ原発事故は収束からは程遠い状態です。詳しい情報が入りにくくなっている今、あらゆる角度から今も続く問題点をドイツ語圏の皆様にも知っていただくために、制作しました。お知り合い、お友達とも情報を共有してください。

なお、今年のかざぐるまデモは、チェルノブイリ事故から40年であることから、4月18日(土)にブランデンブルク門/ベルリンで行うことになりました。呼び掛け文、フライヤーは後日このサイトでも公開いたします。皆さんもどうぞ参加してください!

被爆80周年 世界核被害者フォーラム 80th Anniversary World Nuclear Victims Forum

https://mp-nuclear-free.com/Nuclear/2025_WNVF_01.html

2025年10月5日から6日にかけて、広島で原爆投下から80年を記念して、世界核被害者フォーラムが開かれた。これを主催したのは以下の団体である:

核兵器廃絶をめざすヒロシマの会  Hiroshima Alliance for Nuclear Weapons Abolition (HANWA)
核のない世界のためのマンハッタン・プロジェクト  Manhattan Project for a Nuclear-Free World

呼びかけ団体は次の通りである:

日本原水爆被害者団体協議会 (Nihon Hidankyo)
原水爆禁止日本国民会議 (GENSUIKIN)
原水爆禁止日本協議会 (Gensuikyo)

2025年、広島・長崎は米国の原爆下から80年を迎えている。核の時代は、米国が広島・長崎に原爆を落とし人間が地上から人類を抹殺する力を手に入れ人類滅亡の危機に直面して始まった。原爆投下は、一瞬にして無数の無辜の民を虐殺し、ヒロシマ・ナガサキに未曾有の非人間的悲惨さの極みをもたらした。地獄の惨禍をくぐり抜け生き延びてきた被爆者は、放射能の影響に今なお苦しんでいる。国家のひき起こした戦争の結果もたらされた無差別大量虐殺の犠牲者への補償は切り捨てられたままである。

80余年にわたり、核利用を進めてきた国々と核産業は、放射能による健康への影響の事実を矮小化あるいは隠蔽し、核の軍事利用あるいは「平和」利用を問わず、世界中に核被害者=ヒバクシャを生み出してきた。核被害の多くは、先住民や植民地支配の下に置かれた人々に押し付けられてきた。そして、チェルノブイリ、福島の原発重大事故を起こしてもなお、これらの国々と核産業は、「地球温暖化対策」を口実に原発推進を掲げ、核被害をさらに拡大させようとしている。

私たちは、核利用の根底的な廃絶とこれ以上ヒバクシャをつくらない世界を目指し、核被害者および核被害者と共に闘う人々の国際的連帯の場を広島で作り出したい。ヒロシマから世界に届けよう!
核と人類は共存できない!
ヒバクシャの救済と人権獲得を!
世界の核被害者と共にヒロシマに集い、連帯の絆を結ぼう!

この主旨に連帯し、SNBではこのフォーラムで決議された世界核被害者の権利宣言の日本語版、英語版を私たちのサイトでも公開するととともに、ドイツ語圏の方たちも読めるよう、ドイツ語翻訳したので、それを記載する。(ゆう)

作業部会有志(五十音別)
● 安在尚人 NPO 法人世界ヒバクシャ展事務局長
● 井上まり 世界核被害者フォーラム共同代表、核の無い世界のためのマンハッタ
ン・プロジェクト共同創始者、ニューヨーク州弁護士
● 海渡雄一 弁護士、脱原発弁護団全国連絡会 共同代表
● 川野ゆきよ 世界核被害者フォーラム事務局次長、核兵器廃絶をめざすヒロシマ
の会(HANWA)運営委員
● 清水浩 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部
● 藤元康之 世界核被害者フォーラム事務局長・核兵器廃絶をめざすヒロシマの会
(HANWA)事務局長
● 振津かつみ チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西・共同代表、医師
● 森瀧春子 世界核被害者フォーラム共同代表、核兵器廃絶をめざすヒロシマの会
(HANWA)共同代表
● 森松明希子 東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表、原発
賠償関西訴訟原告団代表
● 籔井和夫 広島市在住ジャーナリスト、日本平和学会

世界核被害者の権利宣言 2025

1.この宣言の目的
1)世界核被害者の権利宣言 2025 は、核被害者の権利と補償確立に向けた、核被害者の人権宣言である。
2)核の加害者の責任を厳しく問い、核被害者の権利・補償の確立と核廃絶をめざす運動の指針を示す。
3)核被害者の権利と補償を確立するため、多分野にわたる具体的政策を提言し、その実現に向けて、国際社会及び各国政府、議会への働きかけに活用する。
4)核兵器や原発、ウランや核廃棄物、核燃料サイクルやそれを維持する政治的抑圧などの影響を受けた多様な核被災地やの核被害者の声を反映させ、核被害者自身及び核被害者と連帯する様々な人々との協働で作成し確認する。

  1. 核被害者の定義
    原爆の被爆者、核実験の被害者、核物質を使った人体実験の被害者、核の軍事利用と民生利用の別を問わず、ウランの採掘・精錬・濃縮の活動、核の開発・利用・廃棄などの核兵器関連活動と原発・核燃料サイクルの全過程における労働と環境放射能汚染によるヒバクシャ、原発事故被害者、放射性廃棄物の劣化ウランを用いた兵器によるヒバクシャなど、の放射線被曝と放射能汚染による被害者すべてを含む。
  2. 基本的権利
    核時代を終わらせない限り人類はいつでも核被害者=ヒバクシャになりうる。「核と人類は共存できない」ことを確認する。
    現在と将来の核被害を防ぐために全ての人々は以下のことを求める権利を有する。                         1.自然放射線および合意の上での医療用放射線以外の放射線被曝を受けないこと。
    2.被曝労働を強制しないこと。被曝労働が回避できない場合には、最小化すること。
    3.医療被曝を必要最小限に留めること。
    4.放射線被ばくの危険性について、意図的な誤った情報ではなく正確な情報を学校教育、社会教育を通して提供すること。情報には以下のことを含めるべきである。放射線被ばくは、どんなに低い線量であっても線量に応じた健康リスクがあること。特に子どもや胎児は大人に比べて放射線被ばくへの感受性が桁違いに高いこと。また、生殖健康(リプロダクティブ・ヘルス)において、現在あるいは将来、妊娠、出産、新生児ケアに重要な役割を果たす母体を担う人に対する放射線被ばくの影響には、特別の配慮が必要であること。従って、現在、原子力産業が採用している「成人男性モデル」のみによる人体への被ばく健康影響の基準は、子どもや女性への健康影響を考慮していない点においても決定的に誤っていること。            5.事故時はもちろん、平常時においても、核施設の環境リスク評価が被ばく防護策や治療法に関する情報と共に透明性をもって公開されること。                            6. 関連する政策の意思決定プロセス(過程)に参加すること。  利害関係者(ステークホルダー)と権利者の意思決定過程への参加は、関連する国の計画や政策を策定する際に、参加しやすく、包括的で、差別的ではなく、透明性のあるものでなければならない。    インフォームド・コンセント(利害関係者や権利者の十分な情報を得た上での合意)は、利害関係者が関連する国や地方の政策に関わるリスクの性質と程度を理解するために必要な知識や手段、通知とパブリックコメント(公開の意見募集)の機会を提供しなければならない。                    政策の意思決定に同意するかについては、核正義への政策及び実践を保障するための監視とアドボカシー(権利擁護)を必要とし、その同意は強要してはならない。                    核正義とは、核被害に関する情報公開、核被害者として認めること、加害者による謝罪、加害責任の追及、核被害者の救済と補償、汚染地域の環境修復、再発防止、核廃絶を含む。            7. 被ばくした個人や地域の被害に関する生きた経験と証言を正当に評価し、その調査結果を公的な文献や、被ばくと救済に関する政策に取り入れること。                        8.予防原則と人道的観点に基づく関連政策を策定すること。    9.軍事・民生利用を問わず、核利用を拒否すること。これ以上の高レベル放射性廃棄物を生み出すことを拒否すること。核施設の建築、稼働または再稼働を拒否すること。                10.将来世代にこれ以上の核被害をもたらさないこと。
  1. 核被害者の健康と生活の保障のため
    a. 医療を受ける権利
    現在、疾病を有しているか否かに関わらず、「被ばくの事実」    (被ばく線量に関わらず)と「被ばくによる健康リスクの可能   性」があれば、核被害者として健康を守り、医療を受けること    のできる権利。

これは「特定の放射線の曝露態様の下にあったこと、そしてその  曝露態様が放射能により健康被害が生ずることを否定することが  できないものであったことを立証することで足りる(2021 年 7    月14 日広島高等裁判所「黒い雨」訴訟控訴審判決 151 頁が被爆者  援護法 1条 3 号の解釈として示した規範)」を基にする基準であ  る。

医療を受ける前に、十分に情報を提供し、同意が自由にできるよう
保障すること。

治療の過程で研究が行われる場合は、被験者を保護するための倫  理規定及び研究基準を遵守すること。

b. 救済をうける権利
c. 生命と健康に対する権利
d. 関連する政策の決定プロセスに参加する権利を保障すること。
e. 核被害者の権利が侵害された場合に、国内および国際レベルの双 方で、効果的な司法もしくはその他の適切な支援を受ける権利

  1. 先住民族の権利
    a. 先住⺠への差別・抑圧、植⺠地⽀配をなくす闘いへの⽀持と、先住⺠族の生存権と自己決定権の尊重が不可分であるとの視点に⽴った要求を求めるために、「先住民族の権利に関する国連宣言」は核被害者の権利の確立における最低基準である。
  2. 労働者被曝(職業被曝)
    a. 労災補償、放射線防護・健康管理、被曝リスクに関する情報を受ける権利。
    すでに⽣じている被害の労災補償、⽇常の被曝管理及び被曝線量を
    最小限にする放射線防護・健康管理、放射線防護や被曝リスクに関
    する教育・研修を受ける権利。

b. 被曝線量の測定・管理をされながら労働し、定期的な健康診断を受ける権利。
原則的には被曝線量を測定・管理されながら労働するという被曝  労働者の特殊な⽴場での権利の⾔及が必要である。放射線被曝を  伴なう労働について、日々の被曝線量を完全に把握し、その結果  と健康に対する影響について、十分な情報と知識を与えられる。   健康に対する影響を調査するために、労働者は、定期的な健康診   断を受ける。

c. 被曝管理と長期的な健康管理を受ける権利。
廃炉や廃棄物管理、「除染」や輸送などの処分・管理に伴う労働者
の被曝の影響と健康管理の必要性は長期にわたって残るため、離  職後も生涯にわたって健康管理と医療を受ける権利を有する。そ  の権利を証明する公的機関が発行した証明書を所持する権利を有  する。

d. 危険な放射線被曝を伴う労働の危険性に関する情報を知る権利と被曝労働を拒否する権利
危険な放射線被曝を伴なう労働について、事前にその危険性につ  いて十分な情報と知識を与えられる権利を有する。労働者が「許  容」被曝線量を受けた場合の死亡率や障害発生率などのリスクが  事前に公表されなければならない。当該労働に従事するか否かは、  その都度、労働者の自由な意思決定に委ねられる。
e. 被曝労働を拒否する権利と差別されない権利
被曝労働を拒否した場合と被ばく限度に達した場合に、当事者の  要求をもとに「代替え職場」での仕事を保障すること。労働を拒  否した場合でも、労動契約上、何らの不利益を受けない。軍人か  民間人か、元請けか下請けかなどの雇用形態にかかわらず、差別  されない権利を有する。原発労働において、重層下請け構造のよ  うな被曝押し付ける構造は許されず、これを無くしていかなけれ  ばならない。無くすまでの間においても、元請企業は、末端の労  働者の権利も補償することに誠実に取り組まなければならない。
f. 関連する政策の決定プロセスに参加する権利を保障すること。
g. 権利を主張した場合の弾圧、差別、解雇、報復などの不当な罰  則の対象にならないことを保障すること。
h. 事業者は、被曝事故があった場合、これを正確に記録し、保管  しなければならない。

i. 事業者は、被曝記録の作成及び管理の責任者を明確にし、ヒバク シャの求めに応じ、何時でもこれを開示しなければならない。
j. 以上の諸項目に違反して、労働者を働かせた使用者は、民事上の 損害賠償責任を負うとともに、行政罰、刑事罰を科せられる。

  1. 住民被ばく(⼀般公衆の被ばく。ウラン関連産業及び核施設の周辺 住民、核実験風下住民、原発を含む核施設の重大事故時の周辺及び 風下住民、等を含む。)
    放射線被ばくをした全ての人は以下の権利を有する。
    a. 被ばく線量のいかんに関わらず、後記の医療被ばくを除く、追加 被ばくを本人の承諾なしに受けた場合には、核被害者(ヒバクシャ)として認められるべきである。多くの場合、正確な個人被ばく線量 の推定は困難であるので、核被害地域に居たり、入域したり、放射 性降下物(フォールアウト)を受けたという状況証拠があれば核被 害者として認められるべきである。
    b. ヒバクシャは、自らの被ばくの推定線量を知る権利を有する。
    c. ヒバクシャは、自らの被ばくが、自らの肉体的、遺伝的、心理的 健康に与える影響について、正確な情報及び知識を得る権利を有する。
    d. 関連する情報の公開を請求する権利。 放射線の安全に関する情報 については、人と将来世代の生命と身体に影響を及ぼすため、生き る権利を行使することに影響するものであるから、国家や軍・核産 業の利益をこれに優先させてはならず、全ての者が情報公開を請求 することができる。
    e. リスクに関する情報を得る権利。 一般人が許容被ばく線量を受け た場合の死亡率や障害発生率などのリスクが公表されなければなら ない。
    f. 被ばくによる人の健康と環境への影響を評価する知識と経験を持 つ独立した科学者及び専門家に助言を求める権利。
    g. 将来の被ばくを最小限に抑えるためのリスク低減政策や放射線防 護政策を求める権利。
    h. 持続的な健康診断と最善の医療の提供を、放射線被ばくによって 引き起こされる可能性のある全ての疾病について自己負担なく受け る権利の保障。疾病は、がん・白血病などの悪性疾患に限定されず、非ガン疾患も含まれる。
    i. すべてのヒバクシャは、その放射線障害によってもたらされる各種 の疾病を予防するための最良の措置を受ける権利を有する。

j. 放射線被ばくと疾病の関連の有無を証明する義務は加害者にある。加害者は被害者の疾病について「被ばくと関係ない」ことを証明で きないならば補償すべきである。
k. 予防原則に基づき、いかなる低線量被ばくであっても線量に応じ た晩発性障害のリスクがあることを認め、放射線被ばくと被害者の 健康障害の間に因果関係が推定されるとの法原則を確立しなければ ならない。
l. 放射線被ばくによる晩発性障害、遺伝的障害については、時間の 経過は賠償を求める権利に影響を及ぼさない。加害者は時効を主張 してはならない。
m. 核施設(原発やウラン関連施設を含む)において環境中に大量の 放射性物質が放出された事故が起こった場合、政府は以下を認めな ければならない。

● 電離放射線を含む有害物質による被ばくから保護するための
予防と防護対策を受ける権利、避難者・移住者のための避難
の権利と、環境汚染による⽣業の喪失への補償、⽣活再建へ
の⽀援、コミュニティ全体の崩壊、⽣活・⽂化全体への被害
の補償を受ける権利。
● 家族は社会の自然かつ基本的な集団単位であり、社会と国家
による保護を受ける権利がある。子ども・胎児・妊婦への特
別な配慮が必要である。放射線被ばくのリスクを十分理解し
た上で、家族や親戚を救出するために行動する者を誰も止め
てはならない。
● 汚染した地域の住⺠・帰還者のための被ばく防護のための施
策や治療を受ける権利。それを保障するための食糧と飲料
水、健康・医療、住居、教育・情報、保養の提供などを含
む。

n. 核被災地の住民の権利を保障するための、各国の「補償法」を確 立し、強化すること。
o. 放射能汚染地域からの避難・移住の権利と、自発的に安全かつ尊 厳をもって帰還または他の場所への定住の選択を確実に行使できる ことを保障すること。

p. 国連憲章および主要な国際文書および関連する地域、国内、地方 の文書に基づく権利は、無国籍者または難民の人々を含む全ての 人々が、核被害によって避難した場合に保障されなければならない。

  • 核被災地から避難した国内避難民に対しては、指示による避
    難者・自主避難者を問わず、平等な条件で支援と補償を受け
    る権利と、国際基準である国内避難に関する指導原則を適用
    しなければならない。これを国の法律または地方の条例,お
    よび行政における規則等に反映させることが推奨される。
  • 避難民には帰還や別の土地への再定住,家族やコミュニティ
    の再統合に関連する政策に基づく計画の決定プロセスに参加
    する権利が保障されるべきである。
  1. 医療被曝について
    a. 全ての人は医療被曝を必要最⼩限にとどめる権利を有する。
    b. 被曝による健康リスクと患者の⽣命・健康を守るという患者に  とっての利益を⼗分に説明した上で、患者⾃⾝が選択できる権利を 有する。(インフォームドコンセント)
    c. 患者と医療従事者の被曝害を防ぐため、低線量被曝にリスクがあ ることを含む、放射線被曝の健康リスクに関する独立した最新の研 究や情報について、医学教育と医療者への再教育(研修)が必要で ある。
    d. 健診業者や私的医療機関の経済的利益を優先させない。

関西訴訟結審 ‐ 原告団長・  森松明希子氏による最終陳述

©Takezo Takahashi

原発事故で関西に避難してきた人達が、2013年に国と東京電力に対し損害賠償請求を求めた訴訟が始まってから12年。これまで避難者による約1万人を含む原告団による訴訟は30ほどあったが、国と東電の責任を認めた判決が控訴審で出されたのは3件(2020年の「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」訴訟、2021年の千葉と愛媛の訴訟)、しかし最高裁はその後2022年6月に、事故は予見できなかったものとみなして国の賠償責任を否定し、4件(前述の訴訟3件と群馬訴訟)で原告の訴えを却下した。

その一連の「原発事故避難者による訴訟」の中で、この「関西訴訟」は「しんがり」裁判でもあり、2013年9月17日に訴訟を起こしてから実に12年を経て、やっとこの2025年12月24日に最終口頭弁論・結審を迎えることとなった。この間、原告全員である79の家族が尋問を受けた。それまでの裁判では、原告全員ではなくて限られた人が尋問を受けるだけだったが、ここで大阪地裁の方法は違っていた。原告の尋問は月一度のペースで2025年9月まで行われてきた。もう一つ異色だったのは、長く続く裁判では裁判官が交代して変わっていくことが多いのだが、この関西訴訟ではずっと同じ裁判官が続けたことである。それだけに、この判決がどういうものになるのか、市民の注目を集めている。

結審は2025年12月24日に行われ、判決期日は2026年9月2日と定められた。

この日に関西訴訟の原告団長、森松明希子氏が心打つ最終陳述をしたが、そのテキストをここに紹介する。


最終意見陳述書(森松明希子)

原告番号1−1の森松明希子です。

最終意見陳述を法廷で述べる機会をいただき、ありがとうございます。

1.家族の分断と平穏生活の喪失

    福島県郡山市から大阪市に2人の子どもを連れて、今日も母子避難を続けています。

    夫を福島に残し、家族バラバラの生活も14年9ケ月となります。

    震災当時0歳と3歳だった子どもたちも、今は15歳と17歳になりました。

    中学3年生、高校3年生という多感な時期を迎えており、父親は健在であるにもかかわらず、人生について様々な相談やアドバイスを求めたくても子どもたちのそばに居られず、この14年間、子どもの成長を夫は毎日見ることができず、子育ての苦楽を私たち夫婦は共有することができませんでした。子どもたちは、「家族が、一堂に集まり、楽しく会話をしながらリラックスして過ごす」という平穏な時間、すなわち家族団欒を一切合切失うことになりました。これは原発事故による明白な被害です。

    2. 「被ばく」を避けたいという切実な願い

    それでも、私たちが母子避難を続けているのは、2011年3月11日に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故により福島県郡山市はもとより広範囲に放射性物質が降り注いだからです。放射能汚染がそこに「ある」から避難を続けるのです。本来しなくてよい「被ばく」を避けたいから、そこから避難し続けているのです。

    そして、「強制避難」ではないからこそ、苦肉の策としての「母子避難」を敢行しているのです。強制避難区域の外側からも含め、現在わかっているだけでも2万6,597人(復興庁2025年12月5日「全国の避難者数」)が今なお避難を続けています。これほど多くの人々が実際に避難を続けていても、国はこの14年間、避難者を保護する制度や施策をほぼ何も実施して来ませんでした。

    私たちは「自主避難」ではなく「自力避難」を強いられ、苦境に立たされて来ました。原因は、国策による原発事故の放射能汚染だと誰が見ても因果関係が明確であるにもかかわらず、原発避難の統計や母子避難の実態を正確に把握する努力もせず、差別や誹謗中傷の標的として晒され続けてきました。

    3. 被ばく強要という「自己決定権」の侵害

    私は、パニックを起こして避難をしたわけではありません。

    2011年3月11日、その日に存在していた基準・規範に基づいて避難することを判断し、客観的な汚染の事実と照らし合わせて避難を続けたいと申し上げているのです。

    通常一般人の公衆被ばく限度が年間1ミリシーベルトだったものを、3.11後に年間20ミリシーベルトに引き上げて(ゆるめて)、それで大丈夫と言われても、納得も許容もできるはずがありません。なぜ福島だけ高い被ばく線量を受け入れなければならないのでしょうか?これは、明らかな差別です。

    もう一点、「自主避難」に対する誤った世論があります。

    それは、自主避難者は避難するか、しないかの選択肢があたかもあるかのように捉えられています。避難の選択をしたのは自由意思に基づいた自己責任であり、自分勝手に避難したのだから被害はないかのように理解されている点です。

    これは明らかに誤りです。私たちは、避難するか、しないか、という選択肢を与えられたのではなく、「放射能に被ばくし続けるか」、それとも「被ばくが嫌なら避難するか」という、どちらも選びたくない二つの苦痛を、平穏な生活の場で、強制的に選ばされたのです。

    その被害について、何ひとつ触れずに、加害者が決めた「これくらいの被ばくなら大丈夫だろう」「我慢せよ」という被害の押し付けに甘んじるつもりは毛頭ありません。

    4. 「広報」は真実を教えてくれない

    本人尋問の中で、被告東京電力は、毎回避難元の「広報誌」を提示して「広報を見ていないのか?」「安全だと書いてある」と言わんばかりの主張を繰り返しました。

    私は裁判官の皆さんにお聞きしたいです。

    「祭り」や「入学式」を「広報」で宣伝すれば、放射能汚染の事実は無くなるのでしょうか? 自主避難区域には様々な理由でその地にとどまっている住民の方々がいます。人が住んでいれば花見もすれば夏祭りで花火も打ち上げます。「がんばろう東北」の掛け声と莫大な復興予算が投入される中、大きなイベントも開催し、あたかも「復興」したと盛り上げることはできるでしょう。

    「広報」は国や行政が税金を投入して国民(市民)に知らせたいことを知らせるものです。私は「プロパガンダ」や「大本営発表」という言葉も知っています。歴史上どういう役割を果たしてきたかも理解しています。国や行政が、国民に知らせたいことだけを伝える「広報」は、私たち避難者の知りたい真実を何一つ与えてくれるものではありませんでした。

    一方で、私の避難元の郡山市では午前・午後通しで時間制限なく屋外で運動会が再開されたのは2018年になってからです。(原発事故からは実に7年も経ってからです。)

    避難した当時、100万人に1人か2人しかかからないと言われた小児甲状腺がんは、約37万人しかいない福島県の当時18歳未満だった子どもたちの県民健康調査の結果では、現在400人近くが発症しており、誰の目にも多発の事実があります。放射能は県境では止まりませんが、公費で大規模に健康調査がされているのは福島県だけです。

    そして、当時、6歳から16歳までだった子どもたちが、東京電力を被告として小児甲状腺がんにかかったのは福島原発事故が原因だと集団訴訟を提起しています。そこでの子どもたちの証言を聞くと、「何も知らずに無防備に雨風に当たった」「親には外に出ないように言われたが友達と遊びに出てしまった」と被ばくに対して脆弱な子どもたちが無防備に放射線被ばくに晒されつづけ、それを後悔しているという事実が証言されています。

    5. 裁判官への問いかけ

    裁判官の皆さん、具体的な生活者の視点で、1人の人間として、想像してみてほしいのです。外で運動会もできないようなところで子育てをしたいと、あなたは本気で思いますか?

    あなた方にお子さんがいらっしゃるかどうか、私は知りません。ですが、あなた方にも子どもだった時代はあったはずです。運動会をはじめ、外遊びの時間を制限されながらのびのびと自由に遊びに出掛けられなかった記憶はありますか?食べ物に関して、触るものに関して、いちいち、被ばくしないだろうか、健康被害は出ないだろうかと心配して過ごす毎日を送ることが、どれほどの負担になるか、考えたことはありますか?

    ましてや、毎日飲む水道水に「放射性物質が検出された」と報道されて、その水を飲み続けることが、あなたにはできるのか? ご自身に置き換えて、そして育ててもらった親の顔を想像して、考えてみてください。

    親であれば誰しも子どもに1マイクロシーベルトたりとも無駄に被ばくはさせたくないと思うのが通常一般人の合理的意思ではないでしょうか?

    放射線量の寡多は問題ではなく、被ばくするかしないか、が問題なのです。

    被ばくするかしないかは、私が決める。それが憲法で保障された「自己決定権」を行使できる状況ではないでしょうか?

    6. 絶望を終わらせてほしい

    私は闇雲に避難したい、避難を続けたいと言っているわけではないのです。

    何度でも繰り返します。

    放射線被ばくから免れ健康を享受する権利は、人の命や健康に関わる最も大切な基本的人権にほかなりません。

    誰にでも、等しく認められなければいけないと、私は思います。

    少しも被ばくをしたくないと思うことは、人として当然のことであり、誰もが平等に認められるべきことです。

    また、これから先、将来のある子どもたちに、健康被害の可能性のリスクを少しでも低減させたいと思うことは、親として当然の心理であり、子どもの健やかな成長を願わない親は一人としていないと思うのです。

    そこには、一点のくもりもなく、放射線被ばくの恐怖、健康不安があってはならないと思うのです。

    裁判で、客観的な汚染の事実をいくら提示しても、事故を矮小化したい国と東京電力が、加害者主導で賠償基準を勝手に決めて、そのまま裁判所の賠償認定にも影響を与えるということでは、とても公平な裁判所とは言えないと思います。

    避難するためには費用もかかります。東京電力福島第一原発事故による避難の特徴的な形態となった母子避難世帯の場合、居所を2箇所に分けて二重に生活費もかかります。家族再会の費用も自力で負担しなければなりません。父子再会の費用を抑えれば、それだけ子どもが親と会えない精神的負担を強いられます。原発事故がなければ、誰も好きこのんで家族バラバラに避難することなどしません。

    そしてこれらはすべて、原発事故による放射線被ばくから免れるために、つまり、被ばく防御のための苦肉の策としての私たち家族の最善であり、明らかに原発被害なのです。

    2022年6月17日に最高裁判所が国の責任を認めないという論理的にも説得力を欠く不当判決を言い渡しました。それ以降、被害実態にそぐわない不当に矮小化された損害認定が下級審でも量産されています。

    しかし、司法がいかなる判断を下そうとも、原発事故による放射能汚染を原因とする私たち被害者の被害が消えて無くなるわけではありません。私は今日も避難を続ける必要があり、苦渋の決断で、今日もまた避難を続けています。 つまり原発事故による損害は間断なく、今この瞬間もこうむり続けているのです。

    不当な判決が出されるたびに、私は司法からも「絶望」を与えられ続けています。

    そして、無用な被ばくを避ける権利を人類が手放す「危機感」しか感じられないでいます。

    松本展幸裁判長、右陪席の寺田幸平裁判官、左陪席の清水康平裁判官、どうか、これ以上、原発被害者に「絶望」を与えないでください。

    放射線被ばくから免れ健康を享受する権利を奪わないでください。

    人の命や健康よりも大切にされなければならないものはあるのでしょうか?

    私は放射線被ばくから免れ、命を守る行為が原則であり、そのことが最優先で尊重される判決を心から希望します。

    私からは以上です。

    ドキュメンタリー映画   「サイレントフォールアウト」(2023年、伊東英朗監督、    英語版ドイツ語字幕)         ドイツ上映会ツアー報告

    2025年10月1日から9日にかけて、私がドイツ語字幕をつけ、ドイツ国内でのプロモーションを引き受けた伊東英朗監督のドキュメンタリー映画「サイレントフォールアウト」が各地で上映された。本当は、伊東監督がフランスの反核ネットワーク・レゾーの招きでフランスに来ることになっていたのに合わせ、ドイツにも招いて集中してドイツでの監督トーク付き上映会ツアーを行う予定で計画していたのだが、伊東監督が病気でドクターストップがかかったため、伊東監督の代わりに私だけが赴いて上映会が開かれた。ツアーは以下のスケジュールで行われた。

    10月1日:Braunschweig市内Universum映画館

    主催:Braunschweig市福音教会アカデミー/ブラウンシュヴァイク市日独協会

    10月4日:Kaiserslautern市内Union映画館

    主催:Friedensinitiative Westpfalz

    10月5日:ハノーファー市ラッシュ広場映画館

    主催:ハノーファー独日協会

    10月6日:ダルムシュタット市レックス映画館

    主催:ダルムシュタット平和フォーラム

    10月7日および9日:ベルリン国際ウラン映画祭オープニング、ツァイスプラネタリウム内映画館およびベルリン国際ウラン映画祭第3日目夜のプログラム、ACUD映画館

    主催:Sayonara Nukes Berlin、ICAN ドイツ、IPPNWドイツ支部、ICBUW、IALANA、平和の鐘協会、ベルリン国際ウラン映画祭

    上記の上映会ツアーでは私が監督代理・ドイツ語字幕翻訳者・プロモーションをした者として話をし、会場の質問にも答えたが、そのほかにもドルトムント、ボッフム、ツェレでも上映会が行われ、それぞれ主催者により伊東監督にも寄付が寄せられた。

    ここでは私が参加した上映会の全体的な報告をしたい。

    私はプロモーションに当たり、ドイツ語字幕付きの映画トレイラーのリンクと一緒に、あらすじと伊東監督のプロフィールなどを付けたフライヤーとともに、ヒロシマ・ナガサキ原爆投下から80年の今年に、ぜひこの映画を上映して、核兵器とはどういうものなのかを議論する場を作ってほしい、という呼びかけを知り合いの団体に回したり、SNSでも拡散していた。それでいくつかの団体が上映会を申し出てくれて、上映会が実現したのだった。

    例えば、Kaiserslauternカイザースラウテルンはサッカーファンには馴染みの深い名前だが、それ以外には特別に大きな都市ではない。しかし、ここから約9.5㎞ほどのところにヨーロッパ最大のアメリカ空軍基地ラムシュタインがあり、ヨーロッパに駐留する米空軍部隊を統轄するアメリカ空軍司令部、そしてNATO軍の航空部隊を統轄する連合航空軍司令部もある。イラクやアフガニスタンなどに航空部隊を送り込む司令が出されたのはここからだ。そのこともあって、ここでの平和運動は長い。上映会を主催してくれた平和イニシアチブも歴史が長く、ずっと軍縮、核兵器反対、武器輸出反対の運動を続けてきたグループだ。彼らは毎年一度、自分たちのテーマに合う映画を見つけては、町のアートハウスシネマであるウニオン映画館の協力を得て、上映会をしているという。今年はヒロシマ・ナガサキ原爆投下から80年ということがあったので、ぜひ核兵器に関する映画を上映したいと思っていたところ、サイレントフォールアウトの話を聞いて、私に連絡してくれたのだった。

    主催者グループの一人で司会をしてくれた人は、職業が歯医者だそうで、あれだけ乳歯を集めて検査した、という事実が感慨無量だったそうだ。

    ハノーファー市の独日協会では、よそものネットのメンバーでもある田口理穂さんが理事を務めており、彼女がもう一人のメンバーで「ヒロシマ連盟」という平和運動にも携わっていて独日協会のメンバーでもあるドイツ人女性と二人で、このサイレントフォールアウトをぜひハノーファーでも上映したいと努力してくれたため、この上映会が実現した。ラッシュ広場映画館というのはハノーファー中央駅すぐそばにあるアートハウスシネマで、この日曜日のマチネで上映してくれることになった。

    ハノーファーで参加してくれた男性の一人が話してくれたことが印象に残った。チェルノブイリ事故発生した時、自分のこどもはまだ小さかった。事故後、近所の公園が軒並み閉鎖され、しばらく外で遊ばせなかったことを思い出したが、あの時は、ある程度日にちが経つと「もう大丈夫」というような「解除」が州知事から出されて、公演は解放され、子どもたちがまた皆、何もなかったように普通に遊ぶようになったが、もしかしたらあの時の「大丈夫」の根拠はなかったのかもしれない、とその男性は語ってくれたのだった。

    ハノーファー市独日協会のメンバーで、ヒロシマ連盟という組織にも加わって平和運動をしているという女性は、来年1月末に核兵器禁止条約発効(2021年1月22日)5年を記念したイベントを予定しているので、ここでもぜひこの映画をもう一度ハノーファーのIPPNWグループと一緒に上映したいとも申し出てくれた。

    ダルムシュタット平和フォーラムには、Regina Hagenという反核運動ベテランの女性がいて、この人が中心になって今年、ヒロシマ・ナガサキ原爆投下から80年を記念して、核問題を扱う映画を4作、地元のアートハウス映画館で上映し、その他にも展示会や講演会、ディスカッションなどの一連のプログラムを企画した。今回上映された4作の最後の作品がサイレント・フォールアウトだが、その他に上映された作品は「ザ・デイ・アフター」「太陽が落ちた日」「風が吹くとき(アニメ版)」だ。

    伊東監督は、この映画を特にアメリカ人に見せて、放射能被害は遠い国の出来事ではなく、アメリカ人も同じように被害者なのだ、ということを伝えたいために制作した、と語っているが、実際にアメリカでの反応はどうだったのか、という質問が出た。ドイツでもチェルノブイリ原発事故後、フォールアウトが風に乗ってことにドイツ南部を襲って土壌を汚染したので、その時の影響でバイエルン地方では例えば、今でも野生のイノシシやキノコは放射能汚染されている。アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の核実験の影響、チェルノブイリ、フクシマなどの原発事故の影響、核のゴミ、原発・核施設周辺で出される放射線などがずっと地球全体を汚染していて、汚染されていない場所はどこにもない、というマンガノ氏の映画の最後の言葉が会場で繰り返された。

    また、ケネディ大統領は、イギリス、ソ連の間で部分的核実験禁止条約(PTBT)を1963年にモスクワで調印したが、この条約では、地下を除く大気圏内、水中、宇宙空間での核実験を禁止するものの、地下核実験は禁止されなかったこと、そして1996年にやっと、宇宙空間、大気圏内、水中、地下を含むあらゆる空間での核兵器の核実験による爆発、その他の核爆発を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)が国際連合総会によって採択されて翌年1997年に批准されたが、いまだに核兵器保有国を含む44か国が批准していないため、未発効だ。従ってアメリカも、イスラエル、イラン、エジプト、中国が署名のみで批准していないし、朝鮮、インド、パキスタンは署名すらしていない。核爆発を伴わない未臨界核実験はこの条約の対象ではないため、アメリカとロシアで臨界前核実験は繰り返し行われているし、インド、パキスタン、朝鮮はそれから核実験を行っている。そして今、第二次トランプ政権のもとで、再び核実験を行うという議論がされているようだ。またトランプ政権下で、このサイレントフォールアウトに出てきたような風向きの情報やその他のフォールアウトの情報などがどんどんインターネットで見られなくなってしまうのではないかという懸念が増加した、というコメントも出た。

    7日と9日はベルリンでの国際ウラン映画祭という場を得て、私のイニシアチブでICAN、IPPNW、ICBUW、IALANA、平和の鐘協会とSNB主催で2回も上映会を実現することができた。7日はウラン映画祭のオープニング映画としてツァイスプラネタリウムの映画会場で、そして9日はACUD映画館で上映された。7日は私が伊東監督のメッセージを伝えたり映画の裏話などを話し、会場からの質問にも答えたが、9日はICANドイツの理事の一人であるヤニーナ・リューター氏、ICBUWの代表であるマンフレッド・モアー氏、そして私が、国際ピースビューローのルーカス・ヴィルル氏の司会でパネルディスカッションを行った。

    ここでのディスカッションでは特に、この映画の中でケネディ大統領が発表する部分的核実験禁止条約(PTBT)と、包括的核実験禁止条約(CTBT)、それから2021年に発効した核兵器禁止条約について触れた。部分的核実験禁止条約は、正式名を日本語で「大気圏内、宇宙空間および水中における核兵器実験を禁止する条約」と言い、映画の中でケネディが語るように、1963年にモスクワで正式調印され(アメリカ合衆国、イギリス、ソ連)、それから108か国が調印して、発効した。しかし中国、フランスを含む十数か国が調印しなかったこと、それから地下での核実験が除外されていた(のちにアメリカとソ連間で地下核実験制限条約が著名され、地下核実験での最大角出力を150ktに制限することが決められたが、1990年まで批准されなかった)。

    それで1996年にようやく包括的核実験禁止条約(地下核実験も禁止対象)が国連総会で採択され、186か国が署名し、178か国が批准したが、発効要件国とここで設定されている核兵器保有国を含む44か国が批准していないため、未発効である。

    ICBUW代表で国際法専門家であるManfred Mohr氏(今年もかざぐるまデモで演説してくれた)は、ここで興味深い話をした。2021年に核兵器禁止条約(TPNW)が発効したが、これは、発効要件が厳しかったために包括的核実験禁止条約がいまだに発効できないでいることからの教訓を得て、発効に必要な批准国数として50か国と設定したため(さらに核兵器保有国を含むとしない)、それで発効が実現できた、ということだった。この核兵器禁止条約の国連総会での採択や条約の推進には、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)とそこから独立して結成されたICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が大きく貢献しており、それで2017年のノーベル平和賞を受賞しているのだが、残念ながらここには核兵器保有国だけでなく、いわゆる「核の傘下」を謳っているドイツ・日本を含め、ほとんどのNATO加盟国も署名していない。それでも、この締約国会議では、例えば実際に核実験で汚染され、被害者援助や環境修復に関する国際信託基金を作ることや、環境修復するための科学顧問グループなどを作るなどの検討会議が開かれている。そこに去年まではドイツもオブザーバーとして参加していたのだが、ウクライナ戦争などから地政学的状況が変わった、ということを理由に今年3月の会議にドイツはオブザーバーを送ることをやめてしまった。そのことに対する批判もこのディスカッションでは出された。ちなみに日本はヒロシマ・ナガサキ原爆投下を体験した国でありながら、オブザーバーにすらなったことがない。

    それでも、このサイレントフォールアウトの中で描かれている、子どもたちを守るために乳歯を集めて検査し、政治を動かした女性たちのように、政治家、専門家のいいなりになることなく、自分や自分の愛する人たちの健康、生活環境を守るために情報を集め、自分が納得できない場合にはとことん調査し、データ収集してそれを同じ懸念を持つ仲間同士で共有し合い、話し合って、抵抗しなければいけないところではしっかり抵抗する、声を上げる、改善を求める、そういう市民運動がいかにこれからも欠かせないか、結局は自分の生を自分で守っていくために市民が力を合わせていくしかないという、連帯や市民運動の重要性を確認して、ディスカッションを終えた。(ゆう)

    フランス・ノルマンディー地方で行われた「抵抗」フェスティバル参加報告

    Les Résistantes „Rencontres des Luttes locales et globales” ‐Terres de Luttes

    2022年8月に私は、フランスで高レベル放射性廃棄物最終処分場が計画されているビュールで行われた大きなビュールレスク反核・反原発フェスティバルに参加したが(報告記事:https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2022/08/18/%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%82%af%e8%a8%aa%e5%95%8f%e8%a8%98/)、2025年の今年は、反核・反原発というテーマだけにとどまらず、現在世界で起きているあらゆる社会的政治的軍事的人道的環境・生態的問題点を取り上げ闘い、運動しているグループ、団体を総動員して「レジスタント」(抵抗運動自体は「レジスタンス」だが、レジスタントというのは抵抗するの形容詞でもあり、抵抗する強さ、堅牢さも指し、さらに抵抗する人たちのグループ、という意味にもなる。ただし、なぜ女性系の複数なのかははっきりしない。「闘い」が女性だからか?)という名のフェスティバルに参加した。これは、フランスのノルマンディー地方オルヌ県のサン・イレール・ド・ブリウーズという田舎の村で市民グループTerres de Luttes(土地を守る闘い、とでも訳すか)を主とする主催者により催された。このグループは、土地を不毛にするだけで、自然(大地)にとってもそこで生を営む人々や生物、植物、環境にとっても有害ばかりで無益、反民主的な大計画(土地整備・開発)に反対する各地の草の根の運動の間をつなげ、ノウハウを共有して連帯しているネットワークのような集まりといえようか。

    どんな発想から始まったかは知る由もないが、最終的に計画実行されたのは大規模な市民フェスティバルで、これだけたくさんのテント会場や駐車場などを仮設する土地を見つけるのは容易ではなかったはずだ。だから実際に、会場のすぐ隣に駐車場が作れなかったなどの問題点もあり、大きな酪農地をもっている農家の人が提供した土地(通常は牛が放牧される場所)で、開催が可能となったと聞いた。

    以下がそのプロモーション動画:

    3年前私が参加したビュールレスクの開催に協力したフランスの最大反核団体ネットワークであるRéseau Sortir du Nucléaireがこのレジスタントにも協力団体に入っていたため、反核・反原発テーマももちろん「抵抗運動」としてここで取り上げられていた(ちなみに、このネットワークも含む反原発・反核・処分場反対等の各団体は今年も共同で、9月にビュール地方で規模は3年前よりは小さいものの、最終処分場計画に反対するマニフェストアクションを計画している:La manif du futur : à Bure contre la poubelle nucléaire

    信じられないほどのたくさんのイベント(ディスカッション、展示パネル、各グループのインフォスタンド、アクション、映画上映、芝居などなど)がいくつも同時進行であらゆるテントや野外で行われ、その数も種類もあまりにたくさんで、プログラムもはっきり言って見にくく、どこで何が行われていて、自分は何を見たいか、何に興味があるかを探し出すのも一苦労なのは確かだった。それにこのフェスティバルは8月7日(木)から始まり、8月10日(日)まで続いたのだが、そこにその間訪れた人たちの数は合計で約7500人(主催者側の発表)ということもあって、野外トイレの設置や食事や飲み物の提供、子どもの遊び場、救急医療体制、音響技術、はたまた最寄りの駅からの送迎バス(最寄りの駅からはかなり何キロもある)、駐車場(いくつかに分かれている)のロジスティクス、その案内・門番係だけでもたくさんのボランティアを総動員しての大イベントだった。

    広いフェスティバル会場にはいくつもの大きなイベント用テントが        建てられていた

    私は前回ビュールレスクを訪問した時のように、フランスのよそものフランスのパリのグループ数人と、遠くの隣人3.11のグループ数人とでパリで合流し、2台の車(1台はよそものメンバーの一人の自家用車、1台はレンタカー。車がないとフェスティバルの場所と借りていた休暇用貸家との往復や買い物などができないため)にブースで使う折り畳みの机や椅子、横断幕、資料と私たちの荷物を載せ、さらに4人は電車でノルマンディー地方のArgentanという駅まで向かった。

    ここでは、上記のフランスの最大脱原発ネットワークRéseau Sortir du NucléaireとTerres de Luttesにより今回、ヒロシマ・ナガサキ原爆投下から80年ということで、広島平和記念資料館資料調査研究会委員、都立第五福竜丸展示館専門委員も務める奈良大学文学部史学科の高橋博子教授が招かれていた。それで私も彼女と知り合いになる機会に恵まれ、一緒に時間を過ごし、お話をうかがうことができた。彼女はヒロシマ・ナガサキ原爆による黒い雨・米核実験による放射性降下物の歴史的検証という研究を続けてきた方だ(著書に「封印されたヒロシマ・ナガサキ: 米核実験と民間防衛計画」、「核時代の神話と虚像――原子力の平和利用と軍事利用をめぐる戦後史」など)。

    このフェスティバルでは、高橋氏の演説、「世界の再軍備に対してどう闘うべきか」というタイトルでの円卓会議への高橋氏の出席、長崎原爆忌である9日の朝は、(私も秋にドイツで上映会を予定している)伊東英朗監督の映画「Silent Fallout」のフランス語字幕付きの上映会(その後の討論に高橋さんが参加)が予定されていた。そのほか、よそものフランスが、広島平和記念資料館、長崎原爆死没者追悼平和祈念館から被爆者が描いた絵を選んでデータとして借り出し、それをA2の大きさにきれいにプリントアウトしてラミネート加工し、キャプションも丁寧に翻訳して、フェスティバル開催中誰もが見られるように展示されることになっていた。

    残念ながらパリからArgentanの駅に到着して、駅前で車組と電車組が合流して昼食を取った最初の日から私たちは不運が続いた。2台の車のうち、1台はフェスティバルの会場でよそものフランスと遠くの隣人3.11の共同ブースの設置や、被爆者の絵の展示の準備に会場に向かい、もう1台は食料の買い出しをしてから高橋さんを宿泊先に送り届け、私たちの宿泊先にもチェックインする予定だったのだが、あいにくこのレンタカーが故障してしまい、道中レッカー車を手配して運び込まれることとなった。

    私はフェスティバルに向かう組だったが、駐車場の標識がわかりにくく、また駐車場自体が会場からとても遠くて、会場設置用の荷物があるから、入り口まで行かせてほしいという頼みも剣もほろろと厳重に断られ、私たちはなんの陰もない田舎道や土地を強い日差しと高い気温の中、えんえんと歩かされる羽目となった。駐車場からこれだけ歩かされるのでは、若い人はともかく、年配の方やハンディキャップのある方たち、ベビーカー連れの家族などはどんなに大変か、と思われる感じで、しかも人によって説明や指示が異なったり、コミュニケーションが全体に行き通っていないのを感じた。入り口にたどり着いても、そこから反核・反原発・放射性廃棄物処分場建設反対の団体が集まっているブース用テントまで標識もない中をかなり歩き、やっと着いた時には私は半分熱中症になった感じで、しばらく日陰で腰をおろして休憩しなければならなかったが、飛幡祐規さんははるばるパリから車を運転しただけでなく、何度も遠い駐車場から会場を行ったり来たりし、関係者と交渉し、役立たずの私とはまったく対照的な活躍ぶりだったが、この彼女の精力的な活躍は、最後パリに帰り着くまで続いた。

    駐車場から会場入り口までなかなか到着しない長い道のりで、          「あともうちょっとだよ」という標識が出た時は思わず失笑

    一方、同じころレンタカーが買い物をした後で故障してしまった車組は、車を脇道に入れたまま、レンタカーに連絡したもののレッカー車が来るまで、結局何時間も待たされていたのだった。そんなつもりではなかったため、皆がわずかな飲料水しか持っていなくて、暑い中を杉田さんが最後まで持っていた少ない水筒の残りを皆で分け合いながら飲んだということだった。

    というわけですっかり恵まれない星の下で私たちのレジスタントフェスティバルは始まった。次の日、金曜の高橋さんも出席する「円卓会議」(テーマ:「世界の再軍備に対してどう闘うべきか」)は夕方から開始だということで、金曜はゆっくりでかけた。被爆者の絵の展示は、展示用のイーゼルを真似たスタンドが木曜はしっかりできあがっていなかったのだが、それも完成し、見事に並び、思わず立ち止まって説明を読み、絵に見入ってしまう、といった人たちがフェスティバル開催中、続いた。これは私もぜひベルリンでも原爆投下から80周年の今年、実現したかったのだが、ICANやIPPNW、ICBUWなどとも相談したのだが、展示する場所も資金もなく、あきらめたものだ。やはり原爆投下後の写真や被爆者の写真とは違い、実際に被爆した人たちがその体験を絵に描いたものというのはまた別の大きく人の心を揺さぶるものがある。そして大切なのはそれぞれの絵についているキャプションで、そこにその絵をめぐるストーリーが隠れている。広島平和記念資料館と長崎原爆死没者追悼平和祈念館のウェブサイトで見ることのできるたくさんのイメージデータの中から、力強い絵を何枚も選び出し、それをデータとしてプリントアウトし、キャプションも丁寧に翻訳してこれだけ力強い展示会を実現したよそものフランスのメンバーを称えたいと思う。

    圧巻だった被爆者の絵の展示。たくさんの訪問者が足を止めて          じっくり見て、説明を読んでいた

    次の金曜日に行われた「世界の再軍備に対してどう闘うべきか」というテーマの円卓会議には、もともと予定されていた最初のコンセプトからどんどん変わってしまい、会議に並ぶ面々もかなり増えてしまった、という話を聞いていた。それにしても、テーマもさることながら、きっと自分たちの応援するグループの誰かが出席している、などの理由か、会場は開始前からあふれるほどの人々が入り込み、席が足りずに地面にじかに座り込む若者たちも大勢いた。高橋さんだけがフランス以外から来た方として壇上に並び、彼女は英語で発言するため、同時通訳用のイヤホンなどが貸し出され、ブースにも同時通訳の人たちが並んだ。これだけ盛況に始まったのはいいが、実際に見せられたものは円卓会議でもパネルディスカッションでもなんでもなかった。私のフランス語ヒアリング能力では残念ながらすべてを理解することはできなくて、完全にいろいろな内容が把握できたわけでも、各グループの背景などがわかっていたわけでもないので、後から情報をよそものフランスの飛幡祐規さんや遠くの隣人3.11の杉田くるみさんに補ってもらったことを、ここに記しておく。

    モデレーションをすることになっていた男性はいたのだが、その彼も、舞台正面のテーブルに所狭しと座っていた円卓会議「発言者たち」も、自分が参加している、または率先して行っている「闘争」について饒舌にまくしたてるだけで、「世界の再軍備」という本来のテーマで、その数々の世界における武力衝突、戦争、植民地主義的・帝国主義的・構造的レイシズムを推し進めるような政策の共通点や違いを比べることも、根本にある共通の問題を問うこともなく、どう異なる場所や問題を超えてお互いに連帯しあい、「再軍備」を超越することが可能か、という話にはいっさいならなかった。

    大体、司会者であるはずの人がいっさいモデレートすることなく、わざわざ日本から招待されてここまで来た高橋氏をしっかり紹介することも、彼女がこの「再軍備」のテーマの円卓会議で発言をすることの意味を語ることもなく、たくさんの世界各地の現在の「武力衝突・戦争に対する市民闘争」をしている人たちの話から浮き上がってしまう形になってしまったことがとても残念だった。しかも、彼女はこのフェスティバルで演説するために、彼女の今回の発言内容はすでに用意されていた英語のテキストが渡されてあったにもかかわらず、同時通訳者はそれをまったく読んでも準備してもいなくて、高橋氏の英語での発言の仏訳は間違いだらけだったと、飛幡祐規さんが嘆いていた。高橋さんの横に座って彼女の次に話をしたのが、Patrice Bouveret氏 (グループObservatoire des armements代表、武装監視市民グループとでも訳すか)だったが、彼の話が唯一、この円卓会議発言者の中で高橋さんおよびテーマに繋がる話をしたと私は理解した。

    この司会をしなかった司会者はCoalition Guerre à la guerre(戦争に対する戦争連合、とても訳すか)という連合の代表で研究者のMathieu Rigouste氏という人で、現在は、植民地支配で培われてきた軍や警察の抑圧的暴力的な取り締まり方法が、治安問題における国内の「敵」に対して使われるようになっている、という視点から反軍備、反軍拡を主張しているようだ。このGuerre à la guerre(戦争に対する戦争)というのはもともと、アメリカの哲学者William Jamesが19世紀後半に確立した表現「War against war」の仏訳だ。この表現に対するWikipediaの英語版を読んでいたら、これは20世紀初頭にヨーロッパでも平和主義・反戦運動のスローガンとなった表現であり、平和主義アナキストだったドイツの作家Ernst Friedrichは、これに同調して「Krieg dem Kriege」というタイトルで1925年にパンフレットを出版し、この翻訳がヨーロッパ中に広がったという。彼は1924年にベルリンで反戦博物館(Antikriegsmuseum)を開館し、新しいラジカルな抵抗運動を提唱したという。もちろんこの博物館はナチス台頭でヒットラーが政権を取った1933年に破壊され、Friedrichもベルギーに逃亡せざるを得なかったようだが、彼はWar Against Warというタイトルで本まで出版している。(詳しくはこちらを参照:https://en.wikipedia.org/wiki/War_against_war

    ここで提唱された理想を継承する形で、現在ウクライナやパレスチナでの戦争をきっかけに、フランスやEU、そして世界全体が軍拡に舵を切っている状況に対し、これではいけない、その傾向に抵抗していかなければならない、と左派の団体や個人が集まってできたのがこの新しいGuerre à la guerreという連合だそうだ。ここに、反核・反原発の運動も参加すべきだという指摘があり、それに賛同するグループが加わっていくことになったらしい。ただ、この円卓会議はもともと、フランスで反核・反軍備をずっとやってきた前述の武装監視市民グループ(Observatoire de armements)の代表と高橋博子さんが中心になって進めるという計画だったはずなのに、Guerre à la guerreの運動が結びついたことで、この連合の中心的存在であるSoulèvements de la terre(大地の蜂起、とでも訳すか)連帯グループの人たちに、ある意味乗っ取られてしまった感じらしい。それで私の耳にも繰り返し「Guerre à la guerre」という言葉が聴こえた理由も納得できた。ただし、戦争、武装、軍拡に対し、どのように闘い、それを抑止、または縮小して平和への道を築いていけるかどうかのビジョンや、あらゆる武力闘争・戦争の共通の問題を問いただす視線は、ここでは覗えなかったと思う。

    名ばかりの円卓会議は超満員だった

    とにかく、この名ばかりの「円卓会議」で、唯一遠い国からはるばる招かれてきていて、フランス語話者ではない高橋さんだけが異様に浮く場となってしまったのは、この円卓会議の主催者と司会の完全な失敗であり、高橋氏に対してとても失礼な扱いでもあっただけでなく、「世界の再軍備に対してどう闘うべきか」というテーマにふさわしくないイベントとなってしまった。今、世界各地でどんどん進められている再軍備・軍拡の共通の問題を問いただし、どうやってそうでない平和運動を目指すことが可能か、なにを互いの闘いから学ぶことができるか、どんな歴史からの教訓があるか、議論することができれば意味があっただろうし、すばらしい機会であったはずなのに、残念だったとしかいいようがない。

    ただ最後まで耳に残ったのは、「Guerre à la guerre」だった。私は個人的には、Antikrieg、反戦、反暴力、反武装はもっともだが、戦争に対しても戦争・闘い、という表現を用いるのに抵抗がある。この表現には武力的、暴力的な印象があり、不適切に聞こえ、自分では使いたくないと思うのだ。Krieg dem Kriege、戦争に対する戦争、と言ったところで、具体的になにを示すのか? 戦争をやめるためには手段を択ばない、という立場には私にはなれない。戦争をやめるために暗殺やテロ行為を認めるわけにはいかない。「Guerre à la guerre」に参加している人たちがそういうことを主張しているというわけではもちろんないが、戦争に反対するばかりにそれに対し戦争を宣言してしまうと、そういうラジカルなものも許してしまうニュアンスが生まれてしまうので、私にはあまり使いたくない表現だ。とにかく、この「円卓」ならぬ円卓会議は、私にはとても不満なままで終わった。

    次の日、8月9日は朝早くからドキュメンタリー映画「サイレント・フォールアウト」(伊東英朗監督)の上映が行われた。これは、私も10月からドイツ各地で上映会を行うべくドイツ語字幕版を作ってプロモーションしている映画だが、フランスでは遠くの隣人3.11.がフランス語字幕版を作り、フランス各地で上映会を行っており、このフェスティバルでもその上映会が実現したのだった。遠くの隣人3.11のメンバーである杉田くるみさんが司会をし、上映後は高橋博子氏がこの映画のテーマ、背景の解説者として話をした。

    マンハッタン計画ですでにアメリカ軍は放射線兵器開発をして、人体実験もしていたこと、だからこそ放射能フォールアウトの問題性をアメリカは世界に知られては困ると、できるだけ放射能の影響を矮小化し、隠蔽しようとしていたこと、ABCCも米エネルギー省が管轄していたもので、ヒロシマ・ナガサキでの原爆投下後の調査も、その後のマーシャル諸島での一連の核兵器実験での調査も、次の核戦争の準備のために行われていたのだという、高橋さんの研究結果を踏まえた話が力強く語られた。

    左から:ICAN FRANCEのJean-Marie Collin氏、よそものフランスの        飛幡祐規さん、奈良大学の高橋博子さん、遠くの隣人3.11の杉田くるみさん

    また、この映画にでてきたように、乳歯を集めることでかなりのフォールアウトの分析ができるのに、それをフクシマ原発事故後に始めようと言い出した人が当初は自民党の福島県議員にさえいたのに、その後その話は姿を消していき、「乳歯を集めることの意味のなさ」を説明する話に取り替わって、福島県を中心に乳歯を集めるという企画は水に流されたことも、話してくれた。「サイレント・フォールアウト」はまさに、アメリカ本土でのアメリカによる核実験による放射能汚染とその影響を調べるために、大々的に乳歯を集めたプロジェクトをある女性医師がイニシアチブを取って始め、分析を可能にしたことを土台にしたドキュメンタリー映画なので、高橋さんの解説はとても大切な補足情報となった。

    そしてこの映画は、女性たち(母親)が子どもを守ろうとして立ち上がったことを示すものでもあるが、司会の杉田くるみさんが、日本のフクシマ原発事故後も、母親である女性が主に、子どもたちを放射能から守ろうと、夫(子供の父親)と離れ離れになろうとも自己避難し、一人で故郷を離れ子どもと新生活を始め、差別や非難に晒されても、国・自治体や東電からの援助や損害賠償の欠乏にも耐え、それでも子どもがさらなる差別に遭わないようにとできるだけ名前を表に出さないようにし、子どもを支えながら事故発生後からずっと頑張ってきている、その女性たちに対し大いなる尊敬の意を表したい、と語り、会場の拍手を買ったが、私もまったく同感である。

    また、ヒロシマ・ナガサキや、サイレント・フォールアウトに出てきたアメリカによる核実験による被害の話だけでなく、ICAN Franceの男性が、フランスがアルジェリアや南ポリネシア、ムルロア環礁でおこなった核実験の被害についても語って、情報を補足したのは、とてもよかったと思う。

    正午になって、たくさんのフェスティバル参加者たちが昼食のための長い行列を作る横で、原爆投下から80年を記念したアクション行列に私も参加し、横断幕を掲げながらフランスのICANなどを始めとする運動家たちと一緒に練り歩いた。ここでは、スティルツ(竹馬のようなもの)で背を高くし、仮面を被った「死神」が鎌で人をどんどん打ち倒していく(要するに倒された人たちはそこでダイイン)というパフォーマンスや、招かれた舞踏家のダンスなどがあった。よそものフランスにいた、今は亡くなってしまったメンバーの一人が、毛糸の残りなどを使って編み、さらに刺繍やパッチワークをして作ったという、オリジナルの素晴らしい編み物横断幕があり、私もそれを持たせてもらって一緒に行進した。この横断幕はそれだけで十分にアート作品なので、たくさんの人が写真を撮っていた。ただ、この日も昼間はものすごく暑く、さらに会場はテントを出ると日陰というものが一切ないので、この日帽子を宿に忘れていった私としてはなかなか辛かった。

    夜は、毎晩いくつものテントで遅くまであらゆるコンサートが開かれているようだったが、9日の夜はLGBTQ+の人たちが多いパンクロックといった感じのコンサートがあり、そこでコンサートの合間に高橋さんを舞台に登場させて演説してもらう予定だという。それからその頃、会場のどこかで、原爆投下80年を記念して、ランタンを空に昇らせる、ということだった。最初はどの程度の規模のものなのか、高橋さんの演説がそんなコンサートの会場で聞く耳をもたれるのか、疑問だったのだが、蓋を開けてみたら、それは素晴らしい驚きとなった。

    皆が熱狂して踊っているコンサート会場で、舞台のバンドが休憩で引っ込むと同時に、高橋さんを紹介すると言って、その前から高橋さんのプロフィールなどを彼女に直接インタビューして話を聞いていた若いタトゥーも見事な男性(彼もクイアかな)が、それまでに音楽に酔っていた会場の聴衆の熱を冷まさずに、ラップとも思われるノリで高橋さんを紹介し、彼女と通訳の飛幡祐規さんを舞台に呼んだ。そこで熱狂的な拍手と歓声で迎えられた二人は、レジスタント・フェスティバルのトレードマークである拳を上げている「抵抗」のロゴが背後にそびえる舞台で、力強い演説を行った。高橋さんもその熱い歓迎に応えて、演説の前に「音楽がレジスタンスであることがよくわかりました!」と英語でいうと、観衆はまた熱烈な歓声で応えた。それから高橋さんが用意してあった演説(彼女の演説はこちら:https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2025/08/11/80-jahrestag-der-atombombenabwurfe-auf-hiroshima-und-nagasaki-august-2025/)を区切りながら読み、その仏訳を飛幡さんが読んだのだが、その区切りのたびに観衆は最後まで歓声や指笛で応酬していて、こんなにこの反核テーマで盛り上がった演説はこれまでになかったのでは、と思えた。

    熱狂に包まれたコンサート会場での高橋博子氏の演説

    高橋さんの演説をこのコンサートの合間にするというアイディアは、ビュールで最終処分場計画に反対するグループで活躍しているアンジェルという女性が強く推したからだそうだが、単に「世界初の原爆投下から80年を記念して」というタイトルでは決してこれだけの人が集まらないことが安易に予想されるだけ、こういうところで演説をさせることによって、こういうところでなければ、きっとこのテーマに関する演説を聞くことはなかっただろうというタイプの若者たちにも耳を傾けてもらうチャンスとなったので、まさに大当たりのアイディアだった。ここにいた人たちも、マイノリティーとして差別や弾圧、人権問題に敏感にならざるを得ない当事者であることが多いと考えられ、それだけに高橋さんのスピーチが受け入れられたのかもしれない。

    ちょうど高橋さんが舞台で熱狂的な応酬を得ながら演説していているときに、大きな気球が「No Nukes」と日本語で「脱原発」と書かれた垂れ幕を付けて空に上がった。それから、紙のランタンがいくつもいくつも上げられていくのが見えた。高橋さんが拍手喝采を得て演説から戻ったときには、彼女の出番をコーディネートしてくれていた若い女性が「高橋さんが見られるように、最後の2つを取ってあるから、ぜひ一緒にきて」といって私たちをランタンを飛ばしている、少し離れた場所まで連れて行ってくれた。そこで、私たちは高橋さんとともに最後の2つのランタンに火を点けて、空に飛ばすのを体験できたのだった。レンタカーが故障して車が1台しかなくなり、移動が難しくなった私たちを助けて、車での送迎を引き受けてくれていたGuyさんという主催者の一人の男性が、その最後のランタンが空に昇るときに「No more Hiroshima Nagasaki, plus jamais ça!」としっかり声を上げていたのが嬉しかった。

    このように、最初はかなり印象が悪く、悪運も続いて始まったレジスタンス・フェスティバルだったが、この9日は長丁場の一日で疲れたことは疲れたが、とてもいい結果となり、高橋さんもわざわざ訪れた甲斐があり、とても喜んでいた。このコンサート会場での演説は、忘れがたい思い出となった。全体的には、確かに問題点が多く残り、不消化気味の、オーガナイズが今一つよくない、大きくなり過ぎたフェスティバル、という印象は残ったが、あらゆる「抵抗運動」を1か所に集めて提示する、というのは興味深い試みだと思う。それも、これだけあらゆる問題が満載している今の世界では、そういう俯瞰図的な視野、全体像を見る試みは必要なはずだ。抵抗しなければならない問題、対処していかなければならない問題は、山積みにあり、増える一方だ。

    これまでにもずっとあったあらゆる環境問題は悪化の一途をたどっており、解決されない原発や核廃棄物とその最終処分場計画問題に加え、ウクライナやガザ、スーダンなどで現実に悲劇となっている戦争の実態、それにともなう世界の武装強化、はたまた当たり前のように議論され始めたヨーロッパ独自の核の傘構想がある。あっという間に軍事費のGNPに対するパーセンテージが各国で吊り上がったことは言及するまでもない。同時に気候変動は確実に進んでおり、あらゆる土地の砂漠化、森林火事の増加(ちょうどこのフェスティバルの間も、南フランスの各地で大きな森林火事がニュースとなっていた)洪水や水不足、猛暑記録の更新などは日常茶飯事だ。それなのに、相変わらず石油や石炭は惜しまず使われており、土の地面をコンクリート舗装して覆い、断熱対策をきちんとしないまま大都市のヒートアイランド現象は増加している。飛行機のCO2 の排出量が高いことは知られているのに、ローコストキャリアの運航サービスで、鉄道よりも安上がりに観光のための長距離旅行ができるシステムはいまだに変わらない。グリーンディールとしてEUがかつて掲げていたあらゆるエネルギーシフトのための政策はどんどん骨抜きとなっていっている。

    レジスタント直後に開かれていた、プラスチック環境汚染を規制するための国際プラスチック条約交渉も、合意に至らなかった。気候変動の対策に関する各国、EUまたは世界のコンセンサスもできないまま、さらにたくさんの人命を奪い、その人たちの築いている生活、社会、生命線、インフラストラクチャー、住居、農地を夥しいエネルギーを使って破壊する戦争が各地で続けられており、それらに私たちはなんらかの形で望む望まないにかかわらず加担させられている。性暴力、あらゆるマイノリティに対する差別、人権問題、レイシズム、女性蔑視、LGBTQ+差別、そして新植民地主義的思想や支配構造もなくならない。

    そして、市民が「抵抗」せずにいられないのは、一部の独裁者、権力者、資産家、グローバル企業などが自分たちの利害獲得や維持のために、環境・生態系を破壊し、資源を独占・消耗し、社会・共同体を破壊し、権力・軍事・経済力で人々の生命を殺傷し、生活手段を奪い、貧困や飢餓を招き、経済的精神的なトラウマを生み出し、一方でその罪も自らもたらした加害の事実も認めないばかりでなく、あらゆる影響・損害を矮小化し、黙殺し、なかったことにするか事実を書き換えようとすることがあらゆる場所とレベルで行われてきて、それに声を上げずにはいられないからだ。そういう意味で、私たちは「抵抗」し、闘って解放と変革・改善を求めていかなければいけないものに囲まれて生きているともいえるし、同時にあらゆる異質の抵抗がその根元で、同等であるべき人間の尊厳に関する「人権問題」なのだということもできる。だからこそ、このフェスティバルのようなありとあらゆる「抵抗」運動を集めて一緒に問題提起しよう、連帯しよう、交流を深めよう、という試みはとても意義あることだと、私は思う。ただ同時に、これだけ多彩多様な運動、グループ、市民たちを集めるだけの意義にふさわしい、交流・発表・マニフェスト・話し合いを可能にするためには、それなりのモデレーションとビジョン、方向性、シナリオが必要だと感じた。

    手作りのベンチにはリラックスのシンボルと                    抵抗の拳のシンボルが両方描かれている

    私の知る限り、まだドイツではこのようにあらゆる抵抗運動を1つに集中させてフェスティバルの様な場で集まり交流し、意見・情報交換しよう、という試みはまだ行われていない。オーガナイズはかなりカオティックではあったが、それでもこれだけボランティアを集め、あらゆる企画を実現させ、合計7500人もの参加者を集めたのは凄いことだ。資金もかなり必要だっただろうし、ボランティアの数は約2500人いたという。こうしたアクションに情熱をかけ、エネルギーと時間を注いで頑張る人たち(特に若者たち)がこんなにもいることが、まさに今、日々少なくなってきている希望の光であると思った。この光がたくましく育つよう、私も非力ながら私なりの努力を今後も続けていきたいと思った。(ゆう)

    核へのレジスタンス

    ヒロシマ・ナガサキ原爆投下から80年

    高橋博子氏の演説

    ©Hiroko Takahashi

    本日2025年8月6日は、アメリカ合州国政府による広島への原爆攻撃から80周年にあたります。この攻撃による「爆風」「熱射」「放射能」によって残酷な被害をもたらしたこと。そのことを正面から考えなくてはなりません。

    この原爆攻撃によって何が起こったのか。現在に至っても核被災の実態は人類共有の体験として充分には共有されてきておりません。とりわけ核のフォールアウトの人間や環境への影響については実態が隠されています。その理由としては、第1に、原爆の影響については日本占領期に情報統制があったこと、第2に、放射線影響研究そのものが軍事機密情報として扱われ続けていること、第3に、米国政府は原爆の威力については公表するけれども、国際法違反に問われかねない情報については公表せずにきたことがあげられます。そうした中で核被災者の救済や援護は国際政治の中でも国内政治の中でも構造的に放置されてきました。

    広島・長崎の場合、爆風・熱射・放射線が生じますが、原爆の炸裂後1分以内に発生する放射線を初期放射線、それ以降に発生する放射線を残留放射線という。残留放射線のうち放射性物質がチリ・ほこり・雨などに付着して広い範囲に降下することを核のフォールアウト(放射性降下物)といいます。この影響は過小評価され、核被災者の救済や援護は国際政治でも国内政治でも構造的に放置されてきました。核被災者を軽視することから、更なる核被災者が出てきているのです。

    米ソ冷戦下「国家安全保障」の名の下で、国家レベルでは核被災者は放置されてきましたが、ジャーナリスト・科学者・知識人、そして市民による実態解明・救済活動はこの80年様々な形で実施されてきました。フランスでも1959年に公開されたアラン・レネ監督の映画『HIROSHIMA MON AMOUR』は広島での悲惨な原爆の影響を示す映像を使用しました。

    グローバル・ヒバクシャによる運動も高まってきました。逆に訴えなければ何も救済されない80年間だったのです。原爆症認定集団訴訟、広島「黒い雨」訴訟、ビキニ水爆被災訴訟、長崎被爆体験者訴訟、福島原発訴訟と核被災者は裁判に訴え続けてきました。いずれも直接的・間接的の違いはあるものの被告は日本国政府です。日本政府はアメリカによる原爆攻撃直後、毒ガスの使用や不必要な苦しみを与え続ける兵器を禁止したハーグ陸戦条約違反だとしてスイス政府を通じてアメリカに抗議しました。しかし日本政府による抗議はこれだけです。現在に至るまで80年にわたって、日本政府は抗議するどころかアメリカと一緒になって原爆の残虐性を否定し続けています。日本外務省の公式な見解としては「日米同盟の下で核兵器を有する米国の抑止力を維持することが必要です」、「核兵器禁止条約では、安全保障の観点が踏まえられていません。核兵器を直ちに違法化する条約に参加すれば、米国による核抑止力の正当性を損ない、国民の生命・財産を危険に晒(さら)すことを容認することになりかねず、日本の安全保障にとっての問題を惹起(じゃっき)します」などと言って核兵器禁止条約にも参加しません。それどころかアメリカと一緒になって核兵器の残虐性、とりわけ残留放射線・内部被曝・フォールアウトの影響を過小評価したり否定しているのです。また、放射線被ばくは成長する子どもたちにとりわけ大きいことは早くからわかっているにも関わらず原発事故の影響も含めて子どもたちへの影響は隠されてきました。

    こうした日本政府に対して、私は幾つもの裁判で、放射線人体研究が人を救うためではなく、核戦争の準備や放射線兵器の開発のため、いかに医学研究として問題があるのかについて歴史的に検証した意見書を提出してきました。これは私の「原爆投下肯定論」「核抑止論」「戦争正当化論」に対するレジスタンスです。そして未来を核被災から守るためのレジスタンスなのです。

    核によって脅すことも脅されることも、被害者になることも加害者になることも、核被災を隠蔽することも隠蔽されることにも、レジスタンスすることを呼びかけます。

    右側が演説をする高橋氏(左は通訳の飛幡祐規さん)

    高橋博子:奈良大学文学部 史学科 教授、広島・長崎原爆による黒い雨・米核実験による放射性降下物の歴史的検証研究で知られる。この演説は、2025年8月7日から10日にかけて行われたフランス・ノルマンディー地方での大きなレジスタント(抵抗)フェスティバルで、ナガサキ原爆投下80年の8月9日に行われた。

    おしどりマコ&ケン        ZOOM講演会

    Fukushima matters!                問い続けよう、知ろう、フクシマの現状

    2025年7月12日(土)東京 20:00/Berlin/Madrid/Paris 13:00/London 12:00/Montréal/New York 07:00

    事前登録はこのリンクから:

    https://us06web.zoom.us/webinar/register/WN_jQhDPkk4SLKYbI_4RDp0NA

    2025年3月で14周年を迎えたフクシマ原発事故。11月には燃料デブリからたった0.7グラムを取り出し、デブリ撤去が本格的に始まったかのように報道されましたが、その陰ではたくさんの作業員が高線量の被ばくを強いられました。

    汚染水海洋放出が続行される中、空になったタンクを撤去する作業員も、底にたまった高線量の泥の処理で被ばくします。メルトダウンを起こし、たくさんの住民から故郷を奪い、今も収束からは程遠い原発事故ですが、どんどん事実を伝える報道が少なくなり、安全を謳う広告記事の方が大々的に流される今、核心の問

    題点、東電や官庁が話したくない事実、見逃しがちなテーマを追求し続けるマコ&ケンの存在はますます貴重です。東電記者会見に通い続け、追及の手を緩めず、データをチェック分析するおしどりマコ&ケンによる恒例のオンライン講演会「Fukushima matters! 問い続けよう、知ろう、フクシマの現状」。

    【プロフィール】

    マコとケンの夫婦コンビ。漫才協会/落語協会/保健物理学会会員。東京電力福島第一原子力発電所事故(東日本大震災)後、随時行われている東京電力の記者会見、様々な省庁、地方自治体の会見、議会・検討会・学会・シンポジウム・被害者による各地の裁判を取材。また現地にも頻繁に足を運び取材し、その模様を様々な媒体で公開している。2016年「平和・協同ジャーナリスト基金」奨励賞受賞。http://oshidori-makoken.com

    欧州・米大陸などで反原発・反核運動に取り組む日本人を中心としたネットワーク「よそものネット」では、今年もまたおしどりマコ&ケン・オンライン講演会を開催します。

    2025年3月でフクシマ原発事故は14周年を迎えました。東京電力の旧経営陣が業務上過失致死傷の罪で、検察審査会の議決で強制的に起訴された裁判で、最高裁は上告を退け、無罪が確定されました。世界史上でも重大な事故の責任を「責任者」であるはずの経営陣が取らなくていいと司法が認めるということが、理解できません。原告団代表の武藤類子氏はその後の会見で「どれだけの被害がこの事故によって引き起こされたのか、どれだけの人が人生を狂わされたのか、未来の世代にどれだけの負の遺産を負わせたのか」と語りましたが、事故以来ずっと、せめて司法による正義を求めて闘ってきた被害者の方たちの悔しさを思うと、言葉になりません。責任が問われずに済むなら、こういう事故が再発する可能性が高まります。原発事故はまだ収束からほど遠いのに、当事国の日本では、海洋放出も汚染土「再生利用」もすべて「安心」と宣伝だけ熱心で、肝心の健康調査や避難者の支援などはどんどん減らされています。これまでに1gにも満たないデブリを取り出したものの、溶け落ちた燃料デブリは合計で880トンもあります。

    そのほかにも報道されないため私たちが知らない事実がたくさんあります。14年間東電記者会見に通い続け、細かい取材・調査・分析をし続けてきているマコ&ケンさんだからこそできる濃厚な報告を、今年もお二人にお願いします。各国にまたがる「よそものネット」が世界各地で同時視聴可能な時間帯を選択しています。また、時間が合わず、ライブ視聴できない方たちのために、講演会は録画して後日公開しますので、必ずご覧いただけます。

    参加費は無料。ライブ視聴には下記URLからの事前登録が必要です。

    https://us06web.zoom.us/webinar/register/WN_jQhDPkk4SLKYbI_4RDp0NA

    各国にまたがる「よそものネット」が世界各地で同時視聴可能な時間帯を選択しています。また、時間が合わなくてライブ視聴できない方たちのために、講演会は録画して後日公開しますので、必ずご覧いただけます。

    お二人の取材活動を支援する寄付金にもご協力ください。

    マコさんケンさんのご祝儀口座: http://oshidori-makoken.com/?page_id=126

    海外からの送金は、下記お問い合わせメールアドレスへご相談ください。

    お問い合わせ E-mail:sayonara-nukes-berlin[at]posteo.net

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