2022年8月に私は、フランスで高レベル放射性廃棄物最終処分場が計画されているビュールで行われた大きなビュールレスク反核・反原発フェスティバルに参加したが(報告記事:https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2022/08/18/%e3%83%93%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%ac%e3%82%b9%e3%82%af%e8%a8%aa%e5%95%8f%e8%a8%98/)、2025年の今年は、反核・反原発というテーマだけにとどまらず、現在世界で起きているあらゆる社会的政治的軍事的人道的環境・生態的問題点を取り上げ闘い、運動しているグループ、団体を総動員して「レジスタント」(抵抗運動自体は「レジスタンス」だが、レジスタントというのは抵抗するの形容詞でもあり、抵抗する強さ、堅牢さも指し、さらに抵抗する人たちのグループ、という意味にもなる。ただし、なぜ女性系の複数なのかははっきりしない。「闘い」が女性だからか?)という名のフェスティバルに参加した。これは、フランスのノルマンディー地方オルヌ県のサン・イレール・ド・ブリウーズという田舎の村で市民グループTerres de Luttes(土地を守る闘い、とでも訳すか)を主とする主催者により催された。このグループは、土地を不毛にするだけで、自然(大地)にとってもそこで生を営む人々や生物、植物、環境にとっても有害ばかりで無益、反民主的な大計画(土地整備・開発)に反対する各地の草の根の運動の間をつなげ、ノウハウを共有して連帯しているネットワークのような集まりといえようか。
3年前私が参加したビュールレスクの開催に協力したフランスの最大反核団体ネットワークであるRéseau Sortir du Nucléaireがこのレジスタントにも協力団体に入っていたため、反核・反原発テーマももちろん「抵抗運動」としてここで取り上げられていた(ちなみに、このネットワークも含む反原発・反核・処分場反対等の各団体は今年も共同で、9月にビュール地方で規模は3年前よりは小さいものの、最終処分場計画に反対するマニフェストアクションを計画している:La manif du futur : à Bure contre la poubelle nucléaire)
ここでは、上記のフランスの最大脱原発ネットワークRéseau Sortir du NucléaireとTerres de Luttesにより今回、ヒロシマ・ナガサキ原爆投下から80年ということで、広島平和記念資料館資料調査研究会委員、都立第五福竜丸展示館専門委員も務める奈良大学文学部史学科の高橋博子教授が招かれていた。それで私も彼女と知り合いになる機会に恵まれ、一緒に時間を過ごし、お話をうかがうことができた。彼女はヒロシマ・ナガサキ原爆による黒い雨・米核実験による放射性降下物の歴史的検証という研究を続けてきた方だ(著書に「封印されたヒロシマ・ナガサキ: 米核実験と民間防衛計画」、「核時代の神話と虚像――原子力の平和利用と軍事利用をめぐる戦後史」など)。
大体、司会者であるはずの人がいっさいモデレートすることなく、わざわざ日本から招待されてここまで来た高橋氏をしっかり紹介することも、彼女がこの「再軍備」のテーマの円卓会議で発言をすることの意味を語ることもなく、たくさんの世界各地の現在の「武力衝突・戦争に対する市民闘争」をしている人たちの話から浮き上がってしまう形になってしまったことがとても残念だった。しかも、彼女はこのフェスティバルで演説するために、彼女の今回の発言内容はすでに用意されていた英語のテキストが渡されてあったにもかかわらず、同時通訳者はそれをまったく読んでも準備してもいなくて、高橋氏の英語での発言の仏訳は間違いだらけだったと、飛幡祐規さんが嘆いていた。高橋さんの横に座って彼女の次に話をしたのが、Patrice Bouveret氏 (グループObservatoire des armements代表、武装監視市民グループとでも訳すか)だったが、彼の話が唯一、この円卓会議発言者の中で高橋さんおよびテーマに繋がる話をしたと私は理解した。
この司会をしなかった司会者はCoalition Guerre à la guerre(戦争に対する戦争連合、とても訳すか)という連合の代表で研究者のMathieu Rigouste氏という人で、現在は、植民地支配で培われてきた軍や警察の抑圧的暴力的な取り締まり方法が、治安問題における国内の「敵」に対して使われるようになっている、という視点から反軍備、反軍拡を主張しているようだ。このGuerre à la guerre(戦争に対する戦争)というのはもともと、アメリカの哲学者William Jamesが19世紀後半に確立した表現「War against war」の仏訳だ。この表現に対するWikipediaの英語版を読んでいたら、これは20世紀初頭にヨーロッパでも平和主義・反戦運動のスローガンとなった表現であり、平和主義アナキストだったドイツの作家Ernst Friedrichは、これに同調して「Krieg dem Kriege」というタイトルで1925年にパンフレットを出版し、この翻訳がヨーロッパ中に広がったという。彼は1924年にベルリンで反戦博物館(Antikriegsmuseum)を開館し、新しいラジカルな抵抗運動を提唱したという。もちろんこの博物館はナチス台頭でヒットラーが政権を取った1933年に破壊され、Friedrichもベルギーに逃亡せざるを得なかったようだが、彼はWar Against Warというタイトルで本まで出版している。(詳しくはこちらを参照:https://en.wikipedia.org/wiki/War_against_war)
ここで提唱された理想を継承する形で、現在ウクライナやパレスチナでの戦争をきっかけに、フランスやEU、そして世界全体が軍拡に舵を切っている状況に対し、これではいけない、その傾向に抵抗していかなければならない、と左派の団体や個人が集まってできたのがこの新しいGuerre à la guerreという連合だそうだ。ここに、反核・反原発の運動も参加すべきだという指摘があり、それに賛同するグループが加わっていくことになったらしい。ただ、この円卓会議はもともと、フランスで反核・反軍備をずっとやってきた前述の武装監視市民グループ(Observatoire de armements)の代表と高橋博子さんが中心になって進めるという計画だったはずなのに、Guerre à la guerreの運動が結びついたことで、この連合の中心的存在であるSoulèvements de la terre(大地の蜂起、とでも訳すか)連帯グループの人たちに、ある意味乗っ取られてしまった感じらしい。それで私の耳にも繰り返し「Guerre à la guerre」という言葉が聴こえた理由も納得できた。ただし、戦争、武装、軍拡に対し、どのように闘い、それを抑止、または縮小して平和への道を築いていけるかどうかのビジョンや、あらゆる武力闘争・戦争の共通の問題を問いただす視線は、ここでは覗えなかったと思う。
ただ最後まで耳に残ったのは、「Guerre à la guerre」だった。私は個人的には、Antikrieg、反戦、反暴力、反武装はもっともだが、戦争に対しても戦争・闘い、という表現を用いるのに抵抗がある。この表現には武力的、暴力的な印象があり、不適切に聞こえ、自分では使いたくないと思うのだ。Krieg dem Kriege、戦争に対する戦争、と言ったところで、具体的になにを示すのか? 戦争をやめるためには手段を択ばない、という立場には私にはなれない。戦争をやめるために暗殺やテロ行為を認めるわけにはいかない。「Guerre à la guerre」に参加している人たちがそういうことを主張しているというわけではもちろんないが、戦争に反対するばかりにそれに対し戦争を宣言してしまうと、そういうラジカルなものも許してしまうニュアンスが生まれてしまうので、私にはあまり使いたくない表現だ。とにかく、この「円卓」ならぬ円卓会議は、私にはとても不満なままで終わった。
ちょうど高橋さんが舞台で熱狂的な応酬を得ながら演説していているときに、大きな気球が「No Nukes」と日本語で「脱原発」と書かれた垂れ幕を付けて空に上がった。それから、紙のランタンがいくつもいくつも上げられていくのが見えた。高橋さんが拍手喝采を得て演説から戻ったときには、彼女の出番をコーディネートしてくれていた若い女性が「高橋さんが見られるように、最後の2つを取ってあるから、ぜひ一緒にきて」といって私たちをランタンを飛ばしている、少し離れた場所まで連れて行ってくれた。そこで、私たちは高橋さんとともに最後の2つのランタンに火を点けて、空に飛ばすのを体験できたのだった。レンタカーが故障して車が1台しかなくなり、移動が難しくなった私たちを助けて、車での送迎を引き受けてくれていたGuyさんという主催者の一人の男性が、その最後のランタンが空に昇るときに「No more Hiroshima Nagasaki, plus jamais ça!」としっかり声を上げていたのが嬉しかった。
We use cookies to ensure that we give you the best experience on our website. If you continue to use this site we will assume that you are happy with it.