民主主義を壊した安倍元首相の国葬を許さない

民主主義を壊した安倍元首相の国葬を許さない

よそものネット有志による声明

日本政府は、カルト教団の被害者に暗殺された安倍元首相の「国葬」を法的根拠のないまま勝手に閣議決定した。彼が行った政治を賛美し、国民に弔意を強制する儀式を国会で議論もせずに押しつけたのである。これに対して国民の大多数が反対しているが、改める様子はない。

これは言語道断である。安倍元首相が進めた政治とは、日本国憲法の平和理念を「拡大解釈」して覆し軍事拡大を促進、大日本帝国と軍による植民地支配・侵略戦争の加害と犯罪を矮小化・否定する歴史修正主義を正当化し、ヘイトスピーチを助長させ、さらに教育とメディアの統制を強化した、まさに「民主主義壊し」であった。また、福島原発事故の実態を隠蔽・矮小化してオリンピックを誘致し開催、原子力政策を推進し被害者を切り捨て、ネオリベラル政策で格差の拡大を深めて弱者を苦しめる一方、元統一教会や日本会議など右翼(極右)団体と癒着して政権存続に利用し、国政を私有化して利権者・集団を優遇した。

このように民主主義と立憲主義に反する政治を進め、公文書の改ざんさえ行った安倍元首相の不正行為の数々は、死後も検証され、追及されるべきである。私たち、民主主義と立憲主義の擁護・強化をめざす海外に住む日本人を主としたグループ・個人
は、以下に述べられた竹内康人氏のテキストに賛同し、多額の国税が投じられる安倍晋三の国葬に、断固反対の意を表明する。

反天ジャーナル アベノツミ10条、勲章の内実
竹内康人(歴史研究家)
https://www.jca.apc.org/hanten-journal/?p=1697(転載許可済)

発起人
梶川ゆう(ベルリン、ドイツ)
杉田くるみ(グルノーブル、フランス)
飛幡祐規(パリ、フランス)
団体・個人名
Sayonara Nukes Berlin
よそものネット・フランス
スイス・アジサイの会
JAN(Japanese Against Nuclear) UK
ドイツ在住
熊崎実佳
藤井隼人・弘子
フランス在住
辻俊子
小森浩子
波嵯栄ジュフロワ総子
坂田英三
宮崎洋一
齋藤紀子(Motoko Saito)
Shukuko Voss-Tabe (田部淑子)
深作裕喜子
田中千春
桐島敬子
柴田真紀子
林瑞絵
白髭節子
富樫一紀

ビュールレスク訪問記

2022年8月5日(金)~7日(日)の週末、フランス東部ムー  ズ県の、CIGEOという放射性廃棄物最終処分場建設が計画されているビュールという過疎化した村を中心に、何年も前から行われている抵抗運動グループが毎年(コロナ禍の過去2年を除いて)行っている反核・反原発フェスティバルに、グルノーブルの「遠くの隣人3.11」を代表してK.S.さん、よそものフランス(パリ)からY.T.さんを始めとする四人が参加するのに私も便乗した。

このCIGEOという名はCentre industriel de stockage géologiqueのイニシャルを取ったもので、地層貯蔵産業センターといったところか。フランスではもともと、1980年代から放射性廃棄物を地下に埋蔵するべく候補地を探したが、どこも大きな反対運動が起きたため1991年に処分場建設のための法的根拠を作った。「貯蔵所としてふさわしい地層かどうかを調べる研究所」の候補地として三つを提出するはずが、口先だけ三か所提示したものの、結論はビュールと決まっていたことから「ビュール、ビュール、ビュール」だったと揶揄されるほどだった(ちなみに、この「ビュール、ビュール、ビュール」がここでの抵抗運動のスローガンにもなっている)。1998年末の閣議決定後、ビュールでの研究所設立をANDRAに任せる政令が1999年8月に発布された2006年には「可逆性のある」地層埋蔵所を作る法律を通してしまった。どこのどういう地層が最適かという根本的な比較調査も科学的根拠を透明に人々の理解を求めるプロセスも経ずに、上から押し付けたのだ。ムーズ県ビュール地方の地層は主として粘土でできている。2016年になると最早調査ではないパイロットプロジェクト段階に入り、建設にかかる全体費用のおよそ25%を費やしたとみられているそうだ。

ここで計画されている最終処分場は、ムーズ県の5つの村(ビュール、ソードロン、リボークール、ボネ、マンドル)を犠牲とし、270ヘクターの土地(地上)に及ぶ施設建設物(敷地ではなく、あくまでも地上に建てられる建物全体の広さ。廃棄物を輸送で受け取る駅や、地下に送る前の梱包のための施設等も含む)を作り、270キロ/15キロ平米の地下トンネル貯蔵庫(ギャラリーと呼んでる)を作って、高レベル放射性廃棄物を保管しようという巨大なものである。地下埋蔵所に運ぶトンネル通路の長さは5キロ、貯蔵できる廃棄物の量は約8万立方メートル(一度貯蔵すればもう取り出すことのできないもの)。建設および貯蔵が完了するまでに130年かかると予想されているが、これにかかる費用はほぼ400億ユーロの費用と見積もられている。

CIGEOの計画の図
https://bureburebure.info/qu-est-ce-qui-se-passe-a-bure/

今年の7月8日にマクロン政権ではまず、国務院がこの計画を遂に「公益事業」と名付ける政令を、続いてボルヌ首相が「国益事業」だとする政令を出し、自治体の権限を越えて環境調査などを省き、規則も無視して事業を施工できるようにしてしまった。まだ放射性廃棄物はビュールには持ち込まれていないし、それが行われるのは2025年以降だろうと言われているが、ANDRA(Agence Nationale pour la Gestion des Déchets Radioactifs)(放射性廃棄物管理のための国立機関とでも訳すか)はすでに3000ヘクタールにわたる土地を買い取り、ここに計画に必要なインフラストラクチャーを着々と作り始めている(線路、道路、電線等)が、この法律でもっと広範囲にわたる土地の買収が可能になるほか、工事も可能となるだろうと言われている。これはあらゆる反対派の議論、問題提起を無視して行われたものだ。反対派はすぐにコミュニケを出してCIGEO事態の許可はまだ下りていないのに準備工事を始めてしまうことになることを批判し、地下埋蔵所の火災や爆発の危険性についての専門的調査が終わるのは2026年のはずなのに、既成事実を作るためにこの政令を出したと言って反対している。ANDRAはまだCIGEO建設許可の申請書を政府に提出していないのに、どうして準備工事が始められるのかと反対派は訴えているわけだが、それはドイツ・ゴアレーベンの最終処分場計画が進められていたときの話とまったく似ている。調査は形式的なものにして結論ありきでことを進め、既成事実をどんどん作ってしまおうという構造は、いわゆる「国策事業」ではよくあることなのだろう。ことに、この土地の粘土地層が花崗岩の場所と比べてどうなのかという調査研究が透明に行われてこなかった経過が気になる。ビュールが選択された後の2000年から花崗岩地層の地域15か所で調査をやろうとしたがすべて反対運動で停止になったため、しっかりした比較は行われていないようだ。

2004年からフランスとドイツの運動家たちが集まってBZL(Bure Zone Libre:自由解放の土地ビュール)という団体を作って、ビュールに古い家を購入してそれを修復し、抵抗の家(まさに名も、メゾン・ド・レジスタンス)を作った。ここで同志が集まって話し合い、コンサートや議論を催したり、寝泊まりもできる場所を作ったりしている。これも、数年前に訪ねたゴアレーベンで見た運動の在り方ととてもよく似ていると私は感じた。

このグループが主体となって毎年行っているのが私が今回参加したフェスティバルで、その名もアメリカのヴァラエティショーのジャンルの一つバーレスクのフランス語読みをもじった「ビュールレスク」だ。主催者に若い人が多いとはいえ、フェスティバルのプログラムの豊富さと大きさにはびっくりした。映画ばかりを上映するテント、講演会、議論の場を提供するテント、コンサートのテント、スペクタクルを提供する場所、それに毎日700名分の温かい食事(ビーガン)を昼間と夜提供するテントに、飲み物(地元のワインやシードルなども)、その他の食べ物(すべてビオ)を提供するスタンドなどがあり、用足しの後、木屑をかける方式のトイレが並び、救急医療のためのテントもあった。入場料はすべて「寄付」で、自分が払える、払いたい額を払えばよかった。プログラムはあまりにたくさんで、どれに行ったらいいかわからないほどだった。私が行きたいとかねがね思いながら(車がないために)まだ行けないでいるゴアレーベン(Wendland)のグループが聖霊降臨祭の頃に行うフェスティバルもこんな感じのはずだ。ただ、産業も何もない過疎化した地方であるビュール近くで行われるフェスティバル会場には行くのも大変で、私はよそものフランスのグループの人たちが車でパリから来るのに駅でピックアップしてもらわなければ当然行くことは叶わなかった。一番近くの駅からも35キロほどあり、テント野宿する元気はさすがになかったので、その会場からさらに30キロほど離れた民宿を計6人で予約した。ベルリンからは本当に遠くて、ストラスブールで一泊して次の日にビュール近くの駅へと向かったのだった。

 

 

毎日2回700名分のメニューを提供する食堂テント

 

 

私が今回ここに行くことになったのは、グルノーブルのグループ「遠くの隣人3.11」がフランス語字幕をつけた松原保監督のドキュメンタリー映画「被ばく牛と生きる」がここで上映されることになり、そのトーク・質疑応答のためにこのグループを代表してK.S.さんが招かれていたからで、それにパリのグループの数人と私が一緒についていくことに決めたからだ。「被ばく牛と生きる」は私も国際ウラン映画祭のためにドイツ語字幕をつけたのでよく知っているし、あれは詳しくフクシマまたは日本のことを知らない人でも、農家の人たちや動物好きの人たちなどには特に身につまされる作品で、世界のどこでも見せられる作品だ。映画の中で希望の牧場の吉沢さんが環境省の前で職員に向かい、「オリンピックなんてしてる場合か!」というところでは、パリ・オリンピックを控えているフランスだけに、観客から拍手が沸き起こっていた。

上映された映画用のテントはほぼ満員になり、真剣に長編の映画を見てからも、すぐに席を立つ人はほとんどいなかった。そしてその後の挨拶・質疑応答にも残ってじっと聞き入っていた。トークに残ったのはK.S.さんとY.T.さんで、映画の話というよりは、あの映画撮影時から何年も経った現在のフクシマの状況、先日の屈辱的な最高裁判決、同時に一筋の希望を与えた東電株主訴訟判決についても報告し、汚染水海洋放出が計画されている中、それに反対する運動があることもアピールした。またこの二人と一緒にフランスの環境派の農民連を代表した男性も登壇し、話をした。

質疑応答で印象に残っている質問は「こういう事故が起こってしまった場所では、人々にはレジリエンス(最近は日本語でもレジリエンスと言っているようだが、柔軟性・回復力・適応能力をひっくるめたような言葉だと私は理解している)がつくのではないか、ついて当然なのではないか、というような質問があった。しかし、これでは私たちが以前から批判しているエートスの考えと同じで、原発事故があった場合、放射能との共存を当然のように求められることにつながってしまう。本来なら事故の加害者や原因を追究し、汚染を詳細に測定して把握し、放射線防護を徹底して住民が被ばくしないように最大限の努力をして避難生活を援助すべきところを、漏れてしまったのだからそれでどうにか生きるよりない、放射能と共存することは可能だ、レジリエンスは作れる、ちょっとくらいの放射能なら大丈夫、と押し付けてしまうことになり、実に危険だ。だからレジリエンスという観念をここに持ち出すのは問題だ、ということをKさんは淡々と明確に答えていた。

 

 

映画上映後のトークに聞き入る観衆

 

 

私はかつてフランス語を勉強したとはいえ、もう35年もドイツに住んでいるうちにすっかりさび付いているので、アクティブな参加はできなかったが、自分に関心がある話だからか、議論や人の話はそこそこついていくことができた。それでも100%理解できたわけではないので、情報の正確さについては一緒にいたフランスからの仲間にチェックしてもらうことにして、参加したプログラムの中から印象に残ったものをいくつか紹介したい。

かなり以前から環境団体などから問題視されている湧き水の私有化(NestleやVittelなど)というテーマがあるが、大体水という本来その土地に住む生物の生命維持に必要なみんなの物であるはずのものを国際企業が独占してボトルに詰め、商品として有料で売る、ということがそもそも問題だ。こうした水の国際的大企業による私有化(とそれにまつわる環境汚染、社会問題その他)と廃棄物処分場の国益・公益事業としての上からの押し付けとその強硬な進め方には類似性があるのではないか、という見方での講演があった。水を土地に当てはめると、その類似性ははっきりする。

ある目的のため(商業営利、国益、臭いものには蓋の論理、とにかく行き場に困ったゴミの処分に対する解決法を強引に提示して押し付けるなど)に、そこに住む生命(人間だけではない)すべてのものであるはずの土地を買い取り、環境破壊、汚染、そこに住む生命の健康への影響などを無視もしくは軽視して、反対意見や議論は相手にせず、結論ありきの不透明な調査分析を名目上行って計画を強行する、という点で確かに類似したやり方と言える。原発建設ももちろん同じだ。ことに原発建設および運転は国策と言えど国ではなく企業が行うのだから、もっと類似性は高いかもしれない。これほど長年にわたり(放射線を出すものは半永久的に)環境を汚染し生命を脅かす危険のあるものを、本来は皆のものであるはずの土地を買収して建設し、維持していくということを、利潤追求する企業と、ある(不透明な)団体(ドイツで言えば最近バイエルン州で話題となっているTÜV、日本なら原子力規制委員会など)がお墨付きの許可さえ出せば、実行に移してもいいのか、それほどのことを一部の人間だけで決定することが許されるのか、というのは常々争われてきている問題点だ。ことに気候変動で今ヨーロッパは各地で雨が何か月もまともに降らず、川が枯渇するところが増え、水不足で水制限を始めている場所も多い。そんな中で湧き水を営利企業が独占してどんどん汲み上げプラスチックのボトルに大量に詰めて高い値で売るということが許されていいのか。ビュールのことで言えば、粘土質の地層に高レベル放射性廃棄物を貯蔵して、もし地下水が汚染されることがあれば、首都のパリも簡単に汚染されてしまう。そういう意味で、この議論は水だけでなく、フラッキング(水圧破砕法)によるガス採掘(今エネルギー危機でそれをまた推進しようとする動きが世界各地で増えている)、ウラン採掘、電池に使われるリチウム、コバルト、ニッケルその他の資源採掘、金採掘、もちろんもういい加減にやめてほしい石炭採掘でも同じことが言える。

もう一つ興味深かったのが、1980年以来、放射性廃棄物処分場候補となってきた各地方やラ・アーグ再処理工場の地元の市民たち、チェルノブイリ事故後作られたフランスの放射能に関する調査および情報提供の独立委員会(放射線防護のためのNGO)のクリラッドのメンバーなどが続けてきた地道な「戦い」の歴史を映像やインタビューでまとめたドキュメンタリーを見せながら、過去40年どのようにフランス各地で核廃棄物の埋蔵に人々が反対し、抵抗運動を展開して、実際に候補リストから抹消させるという勝利を勝ち取ったこともあったという事実を紹介する講演会だった。「過疎」地を狙って原発や廃棄物処分場を建設しようとするのはどこの原子力ロビーも同じだが、市民がさまざまな知恵を出し合って敗退させることもあったエピソードは痛快だった。ここでも長年の「闘志」が「ユニークな反対運動のアイディアはゴアレーベンのグループたちから多く学んだ」とも述べていた。こうした「成功」の経験をビュールでも生かそう、ということで各地から闘志たちが集まって思い出話やこれからの抱負などを語っていた。

私はゴアレーベンの闘志たちに会った時も痛感したが、自分の住んでいる場所、働いている場所(ことに土地や川、海と密接に結びついている農民や漁民など)がこのような想像もつかない放射性廃棄物という猛毒で取り返しがつかない形で汚染されてしまうという切迫した危険のある場所の市民の方が、遠くの都会にいる市民たちよりもずっと真剣に根強い抵抗・反対運動を続けるのだと思う。彼らは一度汚染されてしまっては遅すぎる、今抵抗して何が何でもそれを防がなければ、という危機感で連帯し、譲歩しない運動を展開できる。それがゴアレーベンでもあったことだし、このビュールでも今回見れるものだったと思う。それが、その切迫感から離れて遠くに住んでいたり、土地や川・海に直接依存した生業をしていない人たちは、世界はそのほかにも各種深刻な問題には事欠かず、注意も散漫し、危機感が薄れてしまうのかもしれない。日本を見ても、フクシマ事故から十一年経って、事故発生直後にあった反原発運動のうねりは年々減って、今も変わらず声を上げ運動し続けている人の大半は、故郷を奪われ、土地や海、川を汚され、生業を奪われ、人生が変わってしまった事故の犠牲者、被害者か、危険な原発立地地域の市民たち、もしくは最終処分場候補を名乗り上げた自治体の市民たちなどだ。しかし放射能に関しては対岸の火事、ということはあり得ない。日本列島は狭い。ロシアのウクライナ侵攻でさかんと防衛費を大幅増額し、非核三原則の見直しを求めたり核共有などと言い出す輩が増えているが、ウクライナのサポリージャ原発が攻撃を受けてヨーロッパが震撼としているように、日本が防衛強化する根拠となっているはずの中国や北朝鮮、ロシアからミサイルで日本海岸沿いの原発銀座を狙うのは簡単なはずだ。そうすればどんな防衛力を日本が持っていようが、日本列島は簡単に放射能まみれになってしまうだろう。そういう想像をしていけばいくほど、日本のどこにいても切迫感はあって当然なはずで、反原発・反核運動をしないわけにはいかないように思うのだが、そういう恐怖や不安を「大丈夫・安心・安全」のプロパガンダに包み込む機能は素晴らしく発達しているのだ。

それはフランスも似たような状況にあるように思う。フランスはまして核保有国であり、原子力によりエネルギー自立していることを誇りとしている国だ。そのフランスもしかし、そのほとんどの原発は老朽化し、支障が出て止まったりしているだけでなく、冷却水に使う川が旱続きで枯渇したり少なくなって使えなくなり、停止せざるを得なくなっている。ヨーロッパでエネルギー危機を迎えているのは、もちろんロシアからのガスや石炭が来ないこともあるが、フランスが不足する電気を(自国の需要だけでなく、オーストリアやイタリア等には契約があるから安値で売り続けなければならない)ドイツなどから輸入しなければならなくなってヨーロッパ電気市場を圧迫させているからでもある。

ドイツに至っては、せっかく今年2022年末までに最後の原子炉を停止させ脱原発を完了させる予定なのに、延長して動かせるようにバイエルン州のズーダー首相を始め、今の連邦政府の連合政権の中でもFDPなどが強く働きかけている。しかし原発は不足しているガスの代わりにはならず(ガスによる発電はわずか)、年末に停止予定だったために、今動いている最後の三基は10年ごとに行われるはずの原発定期検査を受けていないですでに数年経っており、もし運転延長をすることになればその定期検査をしなければ運転はできないはずであり、燃料棒も今年末までのものしか注文していないので、続きはない。ガスは、化学産業などの原料、そしてドイツでは多いコジェネによる地域の熱供給のために必要であり、それから石炭による火力発電や原発では細かく発電調整ができないため、再生エネルギーで電力が不足したときに微調整可能な発電としてガスが必要なのだ。そういうことをしっかり言わずに、電力不足という部分だけを煽り、原発さえ動けばすべてが解決できるように演出する原発ロビーが根強くいることを憤ると同時に、そのことにドイツにいる市民も「切迫した危機感」をもって反対していかなければならないはずなのである。

最後に参加した講演会は、最終日の日曜の最後の目玉として注目されていたもので、フェスティバル主催者側が強く推薦したらしい「Oublier Fukushima」(フクシマを忘れる)という本を書いた三人の著者(ジャーナリストなのか、アクティビストなのかはっきりしない)を招いてのものだった。この本は、核にまつわる最悪事故を忘れさせようというはっきりとした意図による、忘却のためのシナリオ、メソッドがある、ということを書いたものだ。ことに「被ばく牛と生きる」を見た著者の一人が、KさんやYさんに、ぜひここでの討論に参加してほしいと要望したこともあって、私たちもどういう本なのか、彼らがどういうことを書いているのか知りたかったし、フクシマに関することなので私たちが参加する意義があると思い、話を聞いた。

本は分厚いもので細かく章に分かれており、事故の後「事故処理をする」「避難させる」「復興する」「矮小化する」「破壊する」「帰還させる」「調査する」「祝う」などが見える。彼らが言っているのはどうやら、フクシマで起きたことを忘れさせようとする戦略シナリオがあり、最悪原発事故などは本当はなかったのだ、原発(政策)に反対する理由はどこにもないのだ、原発事故の後起こったことはすべて「非可視化」できるのだ、という方法を原子力ロビーはフクシマで実行に移した/今も移している、そしてそれはどこでも繰り返し行われるだろう、ということを主張したいようだ。そのこと自体はわかるし、一理あるのだが(実際政府・東電が電通を使って行ってきた/いることが明らかになればなるほどその通りだということがはっきりする)、この本については私たちはどう見ても賛成することができなかった。というのは、まずこの本はいろいろな人たちの発言の引用をしているのにも関わらず、その原典がどこなのかがすべてに対しては書かれていないこと、情報源提示が少ないことだ。またもとは日本語である情報源を誰がフランス語に訳したのかもわからない。だからジャーナリストとしての本としても科学者としての本としても不十分だ。この三人はそれなりにフクシマの事故の経過や何があったかを詳しく勉強してきたかもしれないが、実際に日本語ができるわけでもなく、長く福島(または日本)に住んでいたわけでもない、ほとんどがまた聞き、聞きかじりで書いたのではないかと思われるところが多い。しかも、彼らがフクシマに関する話をしていくと、詳しく知っている部分もあるが、例えば小児・若者の健康調査での甲状腺がん症例の経緯についてなど、事実とは異なる内容を憶測で適当に述べていたりする。実際あったことはより自分たちの話に合うようにドラマチックに、なかったことはあったかのように演出して話すなど、私たちとしては許せない姿勢だったことが鼻についた。

       問題の本

反原発なら、フクシマの犠牲者の味方なら、あることないこと何でも言っていいわけではない。それよりは正しく証拠のある事実をよく正視してそれを注意深く分析し、現状把握をし、同時にどうあるべきか、なにをしていくべきかを議論したり、政府や東電の批判をすべきであることは、私たちが以前から口を酸っぱくして言っていることだ。事実を矮小化したり、小さいものを誇張するのでは、私たちが批判・非難している相手と同じレベルに落ちることだ。それにしても、自分のよく知らない国や文化、人々のことをあたかも熟知しているかの如く書いたり語ったりするということはやはり恐ろしいことである。自分が長く住み、言葉もある程度マスターし、メンタリティや文化も熟知し、歴史や思想も理解して初めて少しはその国や土地について話すことも許される、というような、当然あるべき謙虚さをなくしてしまうと非常に怖いと思うし、外国に住む私たちも気を付けていかなければならないことだと思う。フクシマ原発事故後、あらゆるドキュメンタリー映画ができて、そこには外国から来た人による作品もあり、中にはこれは絶対に許せない、というのを私はいくつも見てきたが、それと同じ感想をこの本の著者三人に対しても抱いた。

日本では北海道の自治体のいくつかが高レベル放射性廃棄部の最終処分場建設に向けた政府の調査を受け入れる誘致を表明した。それでさっそく寿都町では反対運動グループができている。そのことを聞いたビュールのグループがぜひ連帯メッセージを送りたいと考え、そのやり取り仲介を「遠くの隣人3.11」のK.S.さんに依頼した。今その調整が始まっているところだ。私はそれを聞いて、ゴアレーベンの仲間に連絡を取り、彼らからも同様の連帯メッセージを出してもらってはどうかと考えている。同じような国策の被害を被ろうとしている地域の抵抗運動グループから連帯し応援するメッセージを受け取ることが少しでも励みになれば、と思う。市民抵抗の方法などに関しても学べるところがあるかもしれない。たくさんのプログラムの中でコンサートやスペクタクルなどは見る暇がなかったが、和気あいあいとした、子どもからお年寄りまであらゆる年齢層が集まったビュールレスクは、核廃棄物の最終処分場という重くのしかかるテーマをめぐりながらも実にエネルギーに満ちて、皆が楽しんでいる活気あふれたものだった。これだけのフェスティバルを計画し実際に運営するのはどんなに大変だっただろう。でも若々しくあらゆる人々に対して開かれた「反抗の祭典」であった。

フェスティバル会場で汚染水海洋放水反対を呼びかける

私たち六人は一台はパリからYさんが乗ってきた車、一台はレンタカーを地元で借りて移動していたのだが、Yさんはパリナンバーのため、二度もフェスティバル会場のそばで待ち構えていた憲兵(フランスでは大都市にしか警察はいないらしく、農村部で警察の役割を果たすのは軍に所属する憲兵ということだ)に車を止めさせられ、厳しい職務質問を受けた。一度は私も乗車していたが、乗車している者たちにもIDを出させてしっかりチェックしていた。ビュールレスクに行った人たちの中に、警察に「デモに行くのか」と尋問され「フェスティバルに行く」と答えると「じゃあデモに行くんだな」と言われた、とネットに書いている人がいたが、このフェスティバルに参加する人たちは政府の原発・核政策に反対する危険分子なのだ。孤立した反対運動は辛いし切ないが、こうやって同じように考え、行動する人たちとその考えが間違っていないことを確かめ合うことができると、やはりほっとする。私もとても遠いビュールだったが、フランスの仲間のおかげで今回参加することができて、感謝の気持ちでいっぱいである。そして切羽詰まった危機感を、私も忘れるわけにはいかない、と改めて確信した。(ゆう)

 

「被ばく牛と生きる」上映の際去年作成したフクシマ十年後の状況を伝えるチラシを配るよそものフランス

 

 

協力:「遠くの隣人3.11」K.S.さん、「よそものフランス」Y.T.さん

写真提供:「よそものフランス」、「遠くの隣人3.11」、ゆう(SNB)

参考リンク:

Bure‘lesque(ビュールレスク)フェスティバルサイト:https://burefestival.org/

ビュール反対運動グループのサイト:https://bureburebure.info/qu-est-ce-qui-se-passe-a-bure/

寿都町「子どもたちに核のゴミのない寿都を!町民の会」サイト:http://kakugomi.no.coocan.jp/index.html

よそものフランスのフェスティバル参加報告記事:
http://yosomononet.blog.fc2.com/blog-entry-459.html

 

情報パンフレットやバッジ、シールなどを売るテント

 

 

 

 

選挙に行こう!

こんにちは!

もうすぐ参議院選挙ですね。

海外からの在外投票はもう締め切られましたが、日本の投開票日はいよいよ今度の日曜日7月10日。社会を作っていくのは私たちの票に託した思い。今回の選挙が終わったら、次の国政選挙は2025年までありません。日本のみなさん、ぜひ投票にいってくださいね!

原発のない未来を目指して、ドイツの片隅で仲間たちとこじんまり活動しているSayonara Nukes Berlinは、投票率(特に在外選挙)向上のために何かできないか、ということで、昨年の衆議院選挙からSNBときどきラジオ★選挙に行こう!シリーズをYouTubeで配信しています。

私たちが「この人に話を聞いてみたい」という方をお招きして、その人のパーソナルストーリーを織り交ぜながら、政治について、選挙についてお話を伺う気まぐれ不定期な番組です。よかったら聴いてください。

これまでの配信

■第1回 『女性差別を受けながら奮闘した放送記者人生』ゲスト:ドイツ在住ジャーナリスト永井潤子さん

かざぐるまデモに参加するなど、私たちの活動を応援してくださっていた永井潤子さんは、2022年4月4日に永眠されました。永井さんの歴史を残すことができ、去年インタビューしてよかったなと思っています。永井さん、ありがとう。

 

■第2回 『優しさと寛容の時代へーLGBTもそうじゃない人も生きやすい社会』 ゲスト: DJ SiSeNさん

 

■第3回 『カンボジアで子どもの栄養問題解決を目指したソーシャルビジネスを起業! 投票に行くワケ、行かなかったワケ 』ゲスト:Nom PoPok 代表 大路紘子さん 福原明さん

 

■第4回 『社会の不条理をダンスを通して問いかける -東日本大震災がぼくを変えた-』                ゲスト:ダンサー・振付師 カズマ グレンさん

 

■第5回 『中国に残されて44年 戦争を生き抜いた壮絶な人生と二つの祖国』  ゲスト:中国残留邦人 種子島秀子さん

 

■第6回 『1人の100歩より100人の1歩 社会は必ず変わっていく! 若者と共に歩む地球人』  ゲスト:NPO法人アースウォーカーズ代表理事 小玉直也さん

 

■第7回 『日本は危機を脱することができるか 28歳でベルリンに飛び込んだ青年、48年を経て今伝えたいこと         ゲスト:梶村太一郎さん(ジャーナリスト)

 

海外から投票できる在外選挙制度。在外公館まで遠い、郵便投票が間に合わない、時間と費用がかかるなどハードルの高い在外選挙にインターネットでの投票導入を求める署名を集めています。海外在住の方も、日本にお住まいの方もご協力ください。参議院選挙後に総務省とデジタル省に提出する予定です。

署名サイトリンク https://chng.it/MN942XBs

 

 

 

おしどりマコ&ケン Zoom講演会を開催します!『フクシマ原発事故から11年 私たちは何を知っているのか』

★参加費無料★お申し込みはこちらから https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_Juv_ZcWySDm0E2Frf-0YOA

 

『フクシマ原発事故から11年 私たちは何を知っているのか』

★開催日時★
2022年5月14日(土)
東京 21:00
Berlin/Madrid/Paris 14:00
London 13:00
Montréal/New York 08:00

2022年3月で11周年を迎えたフクシマ原発事故について、私たちはなにをどれだけ知っているのか。10年過ぎてから見えてきた事実、明らかになった情報は何か。私たちが把握または理解しておくべきことは何か。

事故以来、どのジャーナリストよりも頻繁に東電記者会見に通い、作業員や市民と交流し、メディアで取り上げられない問題点を地道に取材し続けているおしどりマコ・ケンが、二人だからこそ語れるフクシマの現状と問題点を細かく報告していただきます。ぜひご参加ください!

【プロフィール】

マコとケンの夫婦コンビ。漫才協会/落語協会/保健物理学会会員。東京電力福島第一原子力発電所事故(東日本大震災)後、随時行われている東京電力の記者会見、様々な省庁、地方自治体の会見、議会・検討会・学会・シンポジウム・被害者による各地の裁判を取材。また現地にも頻繁に足を運び取材し、その報告を様々な媒体で公開している。2016年「平和・協同シャーナリスト基金」奨励賞受賞。 http://oshidori-makoken.com

 

 

講演会のフライヤーをダウンロード

おしどりマコ&ケン講演会フライヤー2022

 

2022年3月5日かざぐるまデモの報告

戦勝記念柱からブランデンブルク門を埋め尽くした2月27日の反戦デモ©SNB/Yu
©Christoph Eckelt / Green Planet Energy eG

今年のデモを計画し始めた時には、予想もしていなかった事態が起きた。2月23日にロシア軍がウクライナ侵攻を開始したのだ。そして次の日にはすぐに、原発事故のあったチェルノブイリがロシア軍によって占拠されたというニュースが入って、私たちを震撼させた。プーチンは、核兵器を特別警戒態勢に移したと脅し、ドイツから飛行機で2時間しか離れていないヨーロッパで、また核の脅威が具体的なものとなってしまったのである。ヨーロッパで急遽起こってしまった戦争に対する市民の怒り、不安、無力感は大きく、27日の日曜日にベルリンでいくつもの市民団体が共催して呼び掛けた戦争反対のデモには、主催者側が50万人というほどの人数が集まり、文字通りベルリンの中心街を埋め尽くした。子どもからお年寄りまで、ありとあらゆる国や文化の出身者が各地から集まって平和にデモを行っている間、ドイツ連邦議会ではショルツ首相が演説し、連邦政府の特別資産プールからなんと1000億ユーロを、古くなって有事での戦闘力が疑われているというドイツ軍補強・再軍備に充てる、さらにこれまでの、軍事衝突している地域に兵器は送らないという伝統を破りウクライナに兵器を供給する、そしてNATOにこれからは毎年GNPの2%を超える出費をすることを約束した。爆弾宣言だ。まだSPD、緑の党、FDPの連合による新政府ができあがって数か月だが、この新たなる軍拡宣言は、ちょうど前の赤・緑連合政府の時、それまで戦争には参加しなかったドイツがコソボ紛争やアフガニスタン戦争に参加してしまった時のあの私の脱力感を髣髴とさせる。プーチンのウクライナ侵攻は、まったくもって言語道断だが、それに対する応えが西側、しかもドイツの軍拡なのか、と問わざるを得ない。軍拡は、平和とは相いれないはずではないのか。これでますます軍事力競争と武力の連鎖が高まることにつながり、ロシアをもっと刺激することになるのではないか、と不安だ。しかも、そんな1000億ユーロもパッと出すお金があるのなら、それこそ、ロシアに依存していたガスや石油を断ち切って独立するため、そして本当に安全で持続可能な自然に優しいエネルギーを自国で持てるよう、再生エネルギーのインフラストラクチャーや建設に充てるべきではないのか。そんなことを考えて一人で悶々としていたら、今度は私たちのデモのすぐ直前、ウクライナだけでなくヨーロッパで最大の規模というサポロジア原発がロシア軍の空襲に遭い、火事まで出たという報道が入った。それこそ私たちが一番恐れていることだ。原発の建物が破壊されれば、あるいは電源がストップしてしまえば、フクシマで起こった事故がヨーロッパで、しかもまたウクライナで起こることになる。どうしてこんなことになってしまったのか。どうして人間はまだこんなに危ない原発なんかを持っているのか。ロシアからのガスにはもう期待できないことを踏まえて、さっそくバイエルン州のゼーダーを始め、今年いっぱいで停止するはずのドイツの最後の原発の稼働年数を延ばすべきだなどと言う議論も聞こえるようになった(注:これを書いている3月8日になって、やっとハーベック経済相が稼働年数を延長することはないと表明した)。危ないのは核兵器だけでなくて原発も同じであることが、今わからない人たちはどういう頭の構造をしているのだろうか。今更、どうやって原子力が「安全なエネルギー源」などと言えるのだろうか。というわけで、今年のデモは、もともとフクシマの放射能汚染水の海洋放出反対が中心テーマだったのだが、デモの意味付けが最後になってこんなにも変わることになってしまった。今の時点で核の脅威を訴え、反原発反核を訴えることは、今までより増して重要で、自宅で籠って悶々としているよりは、仲間と街頭に立ち反原発反核を訴える方がずっといいとも思えた。そうして3月5日のデモの日を迎えることとなった。

気温は0℃前後と寒かったが、太陽が出てデモ日和。2月は風の強い嵐がいくつも続いたが、そういうこともなくデモで横断幕を持って練り歩くのもきつくなかった。動員数は少ないと最初から思っていたが、デモ開始時間になるとあらゆる旗や横断幕を持った人たち、デモでしか毎年会わないがそれでも必ず来てくれる人たちの顔がそろい始めた。ダンサーのかずまは、まだ日本にいて、本来は3月初めにベルリンに戻ってデモでパフォーマンスをしたかったようだが、ウクライナでの戦争が始まり、ロシア上空も飛べなくなって来ることを断念した。

レクイエムのコーラス ©M.Naganuma

コーラスでよく歌っている歌手のえみ子が仲間の指揮者、同僚に声をかけてくれ、彼女を含め計六人が揃い、レクイエムを歌ってくれた。ブランデンブルク広場がその時静まり返って、彼らの澄んだ声の合唱が響いた。胸にしみる歌声だった。長くなく、それでいてひきしまるような合唱でのデモの始まりは、とても効果的だったと思う。

お馴染みの司会のNaturFreundeのUweは、響く声で背も高く体格もよく、たくさんの人の中でもしっかり目立つありがたい存在だが、彼がメモなど一切使わずに明確なメッセージを発言してくれるのを、今年も安心して聞けた。彼もこの反原発運動で司会を務めてからもう何十年、と自分で笑っていた。ベルリンの反原発デモには、ウィンズケール(セラフィールド)の原子炉火災事故やチェルノブイリ原発事故の頃から反原発をしている「ベテラン」運動家が多いのだが、今回SNBは若いアクティビストたちにもぜひ声を上げてほしいと願い、Fridays for Futureのベルリン支部やBUND Jugendのベルリン支部に演説を依頼したところ、喜んで引き受けてくれた。またGreenpeaceと一応一線を画すために名前を新たにGreen Planet Energyに変え、今回もまた主催者として参加してくれた広報担当のChristophがハンブルクから来られなかったため、ベルリン事務所で働いている若手の男性を演説に送り込んでくれた。そういう意味で演説者の平均年齢がぐっと下がり、それもとても気持ちのいいことだった。

150人ほど集まった参加者 ©T.Kajimura

個人的には、私は今年からは第一線でデモのオーガナイズやPR担当をするのをやめるつもりで控え目に参加するつもりだったが、急に起きたプーチンのウクライナ侵攻とチェルノブイリ原発占拠やヨーロッパ最大級といわれる原発が襲撃に遭って火事まであったということがあって、どうしてもSNBとしては何かを言わないわけにはいかないという気持ちに突き動かされ、急遽私も飛び入りで話すことになった。

Sayonara Nukes Berlinを代表して梶川ゆうと山内ひとしの演説

私がどうしても訴えずにいられなかったのは、原発がある国でまさに原発が戦争で襲撃され、停電が続いて冷却が不可能になったり原子炉建屋が破壊されたり、または管理している人員が怪我したり襲われたりすることで無人状態になってしまったりすれば、フクシマ、チェルノブイリと同じことが、いやそれ以上にひどい悪夢が起きる可能性がある、それはプーチンが核兵器で脅しをかけているのと同じくらい恐ろしく、その危険がこれほど具体的になっているのに、ロシアからのガスが望めなくなるなら、または国内でのエネルギー供給が独自に賄えるようになるために、今年中に停止するといっている原発の稼働年数を延長しようなどという声がすぐに聞こえていることに対する絶望感だった。こんなことがあってもいまだに原発がどれだけ怖いか、わからないのだろうか。私は気候温暖化を食い止めるためだけでなく、平和、民主主義的な自由とエネルギー問題は切り離せないものだという、そのことを語りたかった。(ゆうの演説はこちら:SayonaraNukesBeriln_YuKajikawa.jp

SNBの山内は、彼らしいエピソードを踏まえて科学的にどうして原発が持続可能でも未来志向でもないかという話をした。5分にはできないほど彼独特の話の展開を書いた演説より詳しいテキストがあるので、ぜひそちらを読んでほしい。(山内のテキストはこちら:SayonaraNukesBerlin_HitoshiYamauchi.jp

IPPNW/Alex Rosen ©T.Kajimura

IPPNWのAlex Rosenは、去年から代表をやめ、自分の小児クリニックを開業したりマイホームを建てたりと忙しくしているようだが、このデモでの演説は自分にとっても大切なテーマだからと、今年も快く引き受けてくれた。用意してきた原稿を読み上げずに、これだけしっかりとまとまって力強いメッセージが演説できる彼を羨ましく思う。彼は本当に私が思っていることを代弁してくれたと思う。彼はいくつかのテーマに触れたが、大体まとめると以下のようなことを語っていた。2011年の3月11日にフクシマから届いたニュースは私たちにとって衝撃だった。たくさんの人が忘れていないはずだ。その前にはチェルノブイリがあった。でもウクライナから日本、そしてまた今ウクライナに戻ってきてしまった。昨日の3月4日、もう少しで大惨事が起きるところだった。恐ろしい経験をかろうじて逃れることとなった。原発のある国で戦争をするというのは、前例のないことだ。原子力エネルギーは、平和な時代でも決して受け入れることのできない危険なテクノロジーだということを、私たちは常に言ってきたはずだ。どの科学者たちも、真剣に科学を追い、金に買われていない者ならば、右翼でなく、気が確かで良識ある者なら、誰も「グリーン」だとも「安全」だとも「安い」とも決していうことのできないはずの原子力を、まだどうにか進めようとしている者たちがいる。それを推進している国、いまだに原子力発電にしがみつき、それをこれからも続けると言っている国は、どれも結局は核兵器を持っている国か、そこと利害関係で結ばれている国だけである。原子力エネルギーと核兵器は同じ硬貨の表裏だということを忘れてはいけない。フクシマ原発事故後、健康に対する影響や被害を調査しようにも、因果関係をはっきりさせないようにするために、日本政府は甲状腺やその他の健康被害の調査を故意に怠ってきた。福島県の18歳以下の人たちも、甲状腺に関してしか調査をしなかったし、そのほかの健康被害やほかの県に住む人、若者以外の年齢層の人たちに関しては無視してきたため、科学的で独立した健康調査ができていない。これはわざと因果関係を隠蔽するためとしか思えない。原子力エネルギーがある限り、核兵器のない世界は得られない。核兵器を持つ国がある限り、原子力エネルギーのない世界も得られない、この二つは同じく、撲滅すべく闘っていかなければならない。今私たちはウンターデンリンデン通りに立っているが、すぐそばのロシア大使館の前で戦争に反対してデモをしているウクライナの人たち、そしてこのすぐ後ろで平和のために集まっているロシアの人たちと私たちは連帯している、私たちは同じ目的、核の脅威のない世界のために闘っている!以上がアレックスの演説の要約だ。

デモ行進前にGreen Planet EnergyのMaximilian Weißが演説をしたが、彼はタクソノミーに原子力エネルギーとガスが入れられグリーンウォッシングされていることを批判しながらも、どうして原子力エネルギーには未来がないか、投資家もだまされないはずであろうことや、原子力はどんなに原発ロビーがタクソノミーなどをしてもそれは彼らの最後のあがきであり、実は世界中で後退の一途をたどっていることを分析して楽観主義的な見方をした。世界もそのように理性的であることを願うしかない。(Green Planet Energyの演説の和訳はこちら:GreenPlanetEnergy_MaximilianWeiß.jp

©Christoph Eckelt/Green Planet Energy

それからデモ行進に移った。今回もコロナの影響もあり、去年と似てそんなに人は来ないだろうと考えてたくさんかざぐるまを作らなかったが、去年との大きな違いはツーリストがすでにたくさんベルリンに来るようになっていることだった。子ども連れや若者のツーリストが、黄色いかざぐるまに魅せられて寄ってきて、デモが始まる前にセルフサービスのように手にして立ち去ったため、デモ隊の持っているかざぐるまは今年は少なかったように思う。

©SNB/Yu

デモ隊はウンターデンリンデンを通ってから一回りしてまたブランデンブルク門に戻った。今回は行進後のパフォーマンスや音楽がなかったが、それで参加者の注意が散漫にならず、演説を熱心に聞いてくれ、却ってよかったと思えた。最後のプログラムの演説は今回のデモで初めて参加してくれたKorea VerbandのYujin Jungで、日本政府が放射能汚染水を海に放出するという勝手な決定をしたことに対し、海を挟んだ近隣の国の人たちがどんなに不安な思いでいるかを話してくれた。(Yujin Jungの演説の和訳はこちら:KoreaVerband_YujinJung.jp

Fridays for Future Berlin/ Johanna Buchmann ©T.Kajimura

次にはFridays for FutureのJohannaがとてもエネルギッシュではっきりしたメッセージを話してくれた。彼女がフクシマ事故が起きた時12歳だったと聞いて、唸ってしまったが、そうだ、フクシマでも事故当時子どもだった人たちで甲状腺がんに罹った人たちが成人して、原発事故と甲状腺がんとの因果関係を究明して責任を追及するため、東電を相手に集団訴訟を起こしてもいるのである。当時10歳だった子どもは、今年はもう21歳だ。この件については今年の武藤類子さんのメッセージにも書かれているが、アレックス・ローゼンも演説で話していたように、がんと原発事故もしくは被ばくとの因果関係を追求するには、独立して信頼できる調査が少なすぎるだけでなく、公害訴訟などで健康被害と事故や公害の因果関係を追求した経験のある弁護士がいないことを心配する向きもある。また東電だけで、国を訴えていないことも問題である。この件については5月半ばに予定しているおしどりマコ&ケンさんとの講演会で、彼らにも詳しく語ってもらうつもりだ。(Johannaの演説の和訳はこちら:FridaysforFutureBerlin_JohannaBuchmann.jp)

今年も、福島第一原子力発電所の事故による被害者で、福島原発告訴団の団長である武藤類子さんからメッセージが届いた。ドイツ語はSayonara Nukes Berlin、英訳はJAN UK、フランス語はyosomono-net France、イタリア語はTomoAmici、そのほか在外の有志によって、スペイン語、オランダ語に翻訳されている。

武藤類子さんのメッセージ:
日本語 https://yosomono-net.jimdofree.com/ Deutsch:https://yosomono-net.jimdofree.com/german/ English:https://yosomono-net.jimdofree.com/english/ Français:https://yosomono-net.jimdofree.com/french/ Español:https://yosomono-net.jimdofree.com/spanish/ Català:https://yosomono-net.jimdofree.com/catalan/ Italiano:https://yosomono-net.jimdofree.com/italian/ Nederlands:https://yosomono-net.jimdofree.com/dutch/
BUND Jugend Berlin/Jonathan ©T.Kajimura

最後は二十代の若者で、ドイツ最大の環境保護団体BUNDの若者の支部BUND Jugend Berlinを代表し、Jonathanが演説してくれた。彼も最初に反原発でデモ行進したときは父親の肩車に乗ってホイッスルを吹き鳴らしたそうだ。彼は去年の連邦議会選挙で初めて選挙権が与えられ選挙をしたが、もうとっくの昔に政治家が勝手に決めていて、自分たちに関係することでも、なんの決定権もないものがある、その中の一つが原発を稼働して大量の放射性廃棄物を後世に残してもいいか、という問題だと話していた。もっともである。若い世代は、私たちが何も考えずにどんどん作り出して置いていく負の遺産ばかりを背負わされるのだ。(Jonathanの演説の和訳はこちら:BUNDJugendBerlin_JonathanDeisler.jp

予定していた演説者はこれだけだったが、飛び入りの演説者が入った。ゴアレーベンの市民グループの人で、ICANなどと一緒に始めた運動「Don’t nuke the climate」のキャンペーンでベルリンを訪れたGüntherが話をした。彼は去年11月にグラスゴーで行われた気候変動枠組条約締約国会議でも、堂々と原子力ロビーが赤いじゅうたんを敷いた晴れの舞台を与えられ、いかに原子力が気候変動の対策として重要か、持続可能でクリーンかを述べ、EUのタクソノミーに入れることを歓迎するような話をしたことで、肝心の会議が悪用された話をしていた。彼らはあらゆる独立した機関の気候や地球の状態に関する報告分析にもかかわらず、いまだに原子力が持続可能な経済的発展に必要なテクノロジーかなどということを語っていると嘆いた。また、いわゆる先進工業国が気候危機を打開していくためにまずは最低1000億ユーロを出し合うのが必要と言いながらも、なかなかその額が揃わないでいる中、ショルツ首相は簡単に1000億ユーロを連邦軍に出すと決めてしまった。このことはよく覚えておく必要がある。

司会のUweは最後に鋭く語った。こうして今年のフクシマ原発事故十一周年を記念する私たちのかざぐるまデモも無事に終わった。2月24日に始まったロシアのウクライナ侵攻によるヨーロッパでの戦争という思いがけない事態が黒い影を落とし、デモでも新たな「核の脅威」を訴えざるを得なくなった。戦争で苦しむのも原発事故で苦しむのも、常に普通の市民、弱者たちだ。絶対に許せないと思う。このような信じられない武力行使がすぐそばで行われていることを思うと、無力感を感じて憂鬱な気持ちになるが、そういう時にこそこうしてデモに繰り出し、同じ気持ちの人たちと一緒に行動するのは、一人でうちに籠って悶々としているより、よかった。ウクライナから逃げてポーランドなどに難民が何百万人と入っているが、ポーランドの人は彼らを暖かく迎え入れ、ドイツでも支援する人たちが後を絶たない。私たちがデモをやっている間も、ベルリン中央駅にはぞくぞくとウクライナの難民が汽車でたどり着き、それを出迎えるボランティアたちが朝から遅くまできびきびと働いている様子がニュースに映った。私たちは戦争を知らない子どもたちとして育ち、なんの不自由もなくひもじい思いもせずに好きに旅行し、消費生活を送り、電気も大量に使って生きてきたから、ここでパンデミックを体験しなければならなくなったのかと思っていたが、そうではなくてこのコロナ禍はこれから続いていく灰色の時代のプロローグだったのかと思うと、なんとも心が暗くなる。戦争は、どうしてもだめだ。どうしてこんなことになってしまったのか。西側の国々は単にプーチンを悪魔呼ばわりするだけでなく(いくら彼が悪くとも、だ)、自分たちの失策、失敗、手抜かりを総括して反省すべきだし、今これから軍拡しても冷戦時代の軍備拡張競争となって死の商人を儲けさせるばかりで、ウクライナの人たちの助けにはならない。どうしてもっと早く再生可能エネルギーの割合を増やし、ロシアだけでなくどこにも頼らない自立した本当にクリーンなエネルギー供給体制を作ってこなかったのか、戦争で原発が空襲の標的とされるような事態が起きて、どうしていまだに原発がなければ、というような考えが出るのか、私には理解できない。それより教訓を得て、エネルギー危機を後回しにせず、今こそこの平和と民主主義とエネルギーの危機を未来の世代のために乗り越えていってほしいとひたすら願うが、悪夢は終わらないのか。私たちはこれからもずっと声をからして脱原発と核兵器廃絶を気候危機の悲鳴と共に訴えていなければならないのか。私は、やはりなかなか楽天家にはなれそうもない。(ゆう)

かざぐるまデモダイジェスト版 on YouTube↓↓

かざぐるまデモ2022年 -原子力は私たちの気候を救えない!

かざぐるまデモ2022年
-原子力は私たちの気候を救えない!

 

日時: 2022年 3 月 5日 (土),12 時より
場所: ブランデンブルグ門前 パリ広場

 

私たちは憂慮しています。原子力と石炭火力のエネルギーを再生可能エネルギーに置き換える決定にもかかわらず、最近、原子力が気候変動の対策として役立つと主張するEUのメンバーが少なくありません。

 

EUの 10か国以上の政府が、自国の原子力エネルギーを拡大すると発表しました。新しい日本政府もまた、小型原子力発電所(SMR)の開発と建設を促進する意向を明らかにしました。これは全く受け入れられません。

 

原子力発電所の通常運転によって引き起こされる日々の放射能汚染に目をつぶることはできません。大量の放射性廃棄物を最終的に処分するという問題も残っています。核廃棄物の最終処分問題は、ドイツだけでなく、世界のどこでもまだ解決されていません。原子力は環境に害を及ぼさないという主張を受け入れてはなりません。原子力発電所が一度事故を起こすと、環境、動物、そして人々にとって取り返しのつかない、想像を絶するほどの大きな被害が出ます。私たちはそのことをチェルノブイリやフクシマで学んだはずです。

 

福島第一原発事故から10年後の昨年4月、日本政府は福島第一原発事故以降に貯蔵されている放射能汚染水を太平洋に放出する計画を承認しました。東京電力がすべての放射性元素を除去したと主張するこの汚染水は、依然として主にトリチウムを含み、環境を汚染しています。この放出は、国際社会だけでなく、住民や漁師からの強い反対のためにまだ行われていません。
私たちは原子力エネルギーの最終的な終了を要求します。私たちは核のない未来を築きたいと願っています。原子力は私たちの気候を救うことはできません。

 

私たちは一丸となって要求します:

•無責任な原子力エネルギーの世界的な終了
•リンゲンとグローナウの原子力施設の即時停止
•原子力エネルギーを持続可能なエネルギーとして分類しない
•EURATOM契約の終了
•放射能汚染水を海へ放出しない

 

 

 

共催:

 

 

 

福島原発のトリチウム、何が問題か 河田昌東(2021年4月12日)

NPO法人チェルノブイリ救援・中部の理事を務める河田昌東さんの論文をご本人の許可を得て、ライプツィヒ大学のシュテフィ・リヒター教授がドイツ語に翻訳し、日本語とドイツ語でSayonara Nukes Berlinのホームページに掲載しました。


現在も続いている福島第一原発からの放射能汚染水流出問題は、今後も簡単には解決出来そうにない。その大きな原因は「トリチウム」にある。原子炉内で溶けた燃料を冷やすために10年経った今も毎日140トンの冷却水を炉心に注入しており、それが汚染水となってたまり続けている。東電の発表では2011年5月~2013年7月にかけて流出したトリチウム量は約20~40兆(20~40×1012)ベクレル(Bq)で、この中には事故直後に流出した高濃度の汚染水や東電が意図的に放出した汚染水中のトリチウムは含まれていないという。また、汚染水に含まれるセシウムその他の放射性元素はALPS(多核種処理装置)で回収できるが、このシステムではトリチウムは処理できない。そのため、ALPS等で処理後のトリチウム汚染水は、タンクに貯蔵しているがその量は既に120万トン、1200個の貯蔵タンクにためられているが、敷地に余裕がなくなり廃炉作業にさしつかえるという。東電や原子力規制委員会はじめIAEAまでもが「海水で薄めて放出」を主張し、政府は福島県民はじめ全漁連や国民の声を無視して、2021年4月13日に、トリチウム汚染水の海洋放出を決めるという

。ではトリチウム水の海洋放出は何故問題なのか。

 

(1)トリチウムって何?

トリチウム(Tritium:略号T)は日本語では三重水素と呼ばれ、化学的性質は水素(H)と同じである。水素は原子核に一個の陽子(P)、その周りを一個の電子(e)が回っている最も小さい安定元素である。トリチウムは原子核に一個の陽子の他に2個の中性子(N)を含み(1P2N)、不安定なため中性子の1個が電子を放出して陽子に変化し、原子核に2個の陽子と1個の中性子を含む(2P1N)新しい元素(ヘリウム He)になって安定化する。この時放出される電子がベータ放射線である。トリチウムの半減期は12.3年である。原子炉の中では、冷却水(H2O)に僅かに含まれる重水(H-O-D)の重水素(D)の原子核に中性子が取り込まれたり、不純物のリチウム-6という物質が分解したりしてトリチウムが出来る。従って、原子炉の冷却を続ける限りトリチウムは新たに生産され続ける。一方、我々が生きている生活圏でもトリチウムは存在する。過去の核実験や宇宙線の影響で、地球上の水の中には1~2Bq/L程度のトリチウムが含まれている。

 

(2)トリチウムは何故除去出来ない?

国や東電、原子力規制委員会などは、トリチウム水は処理できないから海洋放出せざるを得ない、という。何故処理できないのか。トリチウムの化学的性質が水素と同じで、トリチウム(T)を含む水(T-O-H)と通常の水(H-O-H)が区別出来ないからである。セシウム137やストロンチウム90など多くの放射性物質の除去には、その元素の化学的性質を利用し吸着や濾過などを行い除去する。しかし、通常の水とトリチウムを含む水はこうした化学的方法では区別できず除去できない。その結果、沸騰水型原発では原子炉内で年間20兆Bq(20×1012)のトリチウムが生成されるが、その殆どを放出可能な年間22兆(22×1012)Bqの海洋放出基準が定められている(濃度では60000Bq/L)。余談だが、青森県六ヶ所村の再処理工場が通常に稼働すれば、年間1900兆Bq(1.9×1015)を大気中に、1.8京Bq(1.8×1016)を海中に放出する予定である。トリチウムの放出基準は事実上存在せず、現実追認であり原発を運転すれば必ず発生する。これも原発を稼働してはならない原因の一つである。

 

  • トリチウムの何が問題か

トリチウム水は通常の水と同様、経口や呼吸、皮膚を通じて体内に入る。体内でも普通の水と同様に血液や体液を通じて細胞内の様々な代謝反応に関与し、タンパク質や遺伝子(DNA)の中の水素の代わりにその成分として入り込む。体内で水として存在する場合は新たに入ってくる水に置きかわり体外に排出される(生物学的半減期は12日)が、こうした細胞内の有機物の構成成分として取り込まれたトリチウムは容易に代謝されず、その分子が分解されて水になるまで長時間留まり(放射線生物学者ロザリー・バーテルによると少なくとも15年以上)、ベータ線を出し続けることになる(1)。 盛んに細胞分裂する若い細胞ではより多くのトリチウムを成分として取り込む。体内の有機物に取り込まれたトリチウムはOBT (Organic Bound Tritium:有機結合トリチウム)と呼ばれ、セシウムのように単に元素として体内に存在し放射線を出す放射能とは区別が必要だが、国際放射性防護委員会(ICRP)はこの点を過小評価している。トリチウムの出すベータ線はエネルギーが極めて小さく、外部被爆は殆ど問題にならないが、こうして体内の構成成分に取り込まれると、全てのベータ線は内部被曝の原因になる。

 

(4)DNAに取り込まれたトリチウムの問題

トリチウム水を介してトリチウムはDNAの中の酸素や炭素、窒素、リン原子と結合し、化学的には通常の水素原子と同じ振る舞いをするが、半減期とともに電子(ベータ線)を放出して周囲を内部被曝させ様々な分子を破壊する。しかし、それだけではない。トリチウムが壊れヘリウム原子に変わると、トリチウムと結合していた炭素や酸素、窒素、リン等の原子とトリチウムとの化学結合(共有結合)が切断する。ヘリウムは全ての元素の中で元も安定な元素で、他の元素とは結合出来ないからである。その結果、DNAを構成している炭素や酸素、窒素、リン原子は不安定になり、DNAの化学結合の切断が起こる。このように、トリチウムの効果は崩壊時に出すベータ線の被曝だけではなく、一般的な放射性物質による照射被爆とは異なる次元の、構成元素の崩壊という分子破壊をもたらすのである。いわゆる照射被爆は確率論的現象だが、DNAの破壊はトリチウムの崩壊と共に必ず起こる現象である(1)。

 

  • トリチウム汚染で起こること

核実験が始まった1950年代以降、トリチウムの生物学的影響に関する研究は数多く行われている。最も広く知られているのは染色体の切断などの異常である。人リンパ球を使った実験ではトリチウム水に晒された場合、3700Bq/ml位から染色体異常が起こり、370万Bq/mlではほぼ全ての細胞で染色体の切断が起こる。DNAの構成要素の一つチミジンの水素をトリチウムで置換した場合、37Bq/ml位から染色体の異常が始まり19万Bq/mlの濃度では100%の細胞が染色体異常を起こす(2)。生体次元での研究も数多くあり、染色体異常(突然変異)の結果、致死的なガンなどの健康障害が指摘されている。特に問題なのは子宮内胎児への影響である。胎盤は通常の水とトリチウムを区別出来ないため、トリチウム水はそのまま胎児に入り、盛んに分裂中の細胞に取り込まれる。その結果、胎児に異常が起こり死産や早産、流産などの他、様々な先天異常などの原因になる。米国カリフォルニア州のローレンス・リバモア国立核研究所のT. ストラウムらの研究(3)ではトリチウムによる催奇形性の確率は致死性ガンの確率の6倍にのぼる。カナダのオンタリオ湖はカナダ特有の重水原子炉から出る大量のトリチウムによる汚染が知られている。その結果、周辺地域で1978~1985年の間に出産異常や流死産の増加が認められ、ダウン症候群が1.8倍に増加し、胎児の中枢神経系の異常も確認された(4)

 

このように、トリチウムは放射線のエネルギーが低いためにその影響が過小評価されがちだが、ベータ線被曝だけでなく、生体分子の構成成分の破壊を通じて、他の放射性物質とは全く異なる生物への影響もたらすことが大きな問題である。トリチウムの海洋放出は、政府の言うような単なる風評被害ではなく実害が起こる。

  • 文献
  • Rosalie Bertell : The Health Effects of Tritium (http://www.beyondnuclear.org/)
  • 堀、中井:総説:低レベル・トリチウムの遺伝的効果について:保健物理(1976年)11, p1-11.
  • Straume, T and Carsten, AL.:Tritium Radiobiology and Relative Biological Effectiveness. Health Physics. 65 (6) :657-672;(1993)
  • Tritium Releases from the Pickering Nuclear Generating Station and Birth Defects and Infant Mortality in Nearby Communities :Atomic Energy Control Board, Report INFO-0401 (1991)

河田昌東:1940年秋田県生まれ。2004年名古屋大学理学部定年退職。現在、NPO法人チェルノブイリ救援・中部理事。遺伝子組換え情報室代表。専門は分子生物学、環境科学。

7月21日の福島県でのオリンピック競技に向けたプレスリリース

2021年7月21日のオリンピック開会式に先駆けて、福島県内のあづま球場で行われるソフトボール競技に抗議するため、前日の20日、IPPNW、Ausgestrahlt、私たちSayonara Nukes Berlinの3団体によるプレスリリースを発信しました。

日本語とドイツ語のプレスリリース:

プレスリリースオリンピック開催に先駆けて(日本語)

Start der Olympischen Wettkämpfe in Fukushima am 21. Juli(DE)

Ausgestrahlt

https://www.ausgestrahlt.de/blog/2021/07/20/%C3%A4rztinnen-warnen-vor-olympischen-wettk%C3%A4mpfen-in-fukushima/

YouTube音声配信はじめました! SNBときどきラジオ★選挙に行こう!シリーズ

突然ですが、みなさん、今の日本の政治をどう思いますか? そろそろ変化が必要じゃないかなと思いませんか? 私たちが変化をもたらすことができる一つの方法があります。それは、選挙に行って、投票で意思表示することです。

今年は衆議院選挙もあることですし、「みんなで選挙に行こう!」と盛り上げようということで、SNBメンバーがこの音声配信をドイツからお届けすることになりました。

その名も『SNBときどきラジオ★選挙に行こう!シリーズ』

私たちが「この人に話を聞いてみたい!」という方をお招きして、その方のパーソナル・ストーリーを織り交ぜながら、政治についてどんなふうに向き合っているか、お話をうかがいます。

記念すべき初回のゲストは、ドイツ在住49年フリージャーナリストの永井潤子さんです。永井さんは、まだ在外投票ができなかった時代、ドイツでたったひとりで運動を始めた方です。

外務省の一昨年の統計では、海外に住む日本人の在外投票率はわずか約20%。海外でも投票できるように嘆願運動をした人たちの努力で実現した在外選挙。この努力をむだにしたくはないですね。

■在外選挙制度について■

「在外選挙制度」とは、仕事や留学、移住などで海外に住んでいる人が、外国にいながら国政選挙に投票できる制度です。これによる投票を「在外投票」といいます。在外投票ができるのは、日本国籍を持つ18歳以上の有権者で、在外選挙人証というカードを持っている人です。 在外選挙人証を取得するまでの手続きには、2か月前後かかります。まだ在外選挙人証を持っていない方は、10月に予定されている衆議院選挙に間に合うように、大使館や領事館を通して早めに手続きしましょう。またこれから海外に行かれる方は、渡航前に登録申請できるようになりましたので、ぜひ申請しましょう。 手続き方法は、総務省や在外公館のホームページで詳しく紹介されています。

総務省 https://www.soumu.go.jp/senkyo/hoho.html

外務省 https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/sen…

日本に住むみなさんも、投票日当日に行けない場合は、期日前投票や不在者投票もありますので、どうぞあきらめないでくださいね。 私たちに与えられた一票を投じる権利、無駄にしないで、ご家族やお友だちを誘って投票に行きましょう!「今」と「未来」の私たちと社会のために。

総務省 『なるほど!選挙』 https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo…

「ときどき」ということで、配信は不定期ですが、これからいろいろ魅力的な方々のお話をお届けしたいと思います。

#日本は原発をやめられないのか -ドイツの取り組みと現状から学ぶ-

日本はなぜ原発をやめられないのか

福島第一原子力発電所の事故から10周年を迎える今年、これまでに個人的にも度々、勉強の機会をいただいている西村さんに、単独で講演していただいた。西村さんはいつものようの穏やかな口調で、ドイツはなぜ脱原発の道を選んだのか、その背景を詳しく語ってくださった。

 

地球温暖化 

世界の気温が100年あたり0.73度上昇している。日本では1.24度、1.3度上がると東京都の気候が宮崎県ほどの気候の様になるという。このままでは今までのような生活ができなくなる。ほぼ確実に言えることは、二酸化炭素の排出と気温の上昇は密接に関係しており、人間の出す温室効果ガスが世界の気温の上昇に強い影響を与えているということだ。またコロナによる経済活動の停滞での温室効果ガスの排出量の急減は、一時的なものに過ぎないだろう。IPCCIntergovernmental Panel on Climate Change/気候変動に関する政府間パネル)の研究によると、気候変動の経済的な被害も甚大なものとなるとの予測がされている。例えば日本の気温が今後100年間でさらに3度上昇すると、世界の5分の1に当たるGDPの21%が失われることになる。今後、災害被害はますます大きくなる。

冒頭に紹介されたシロクマとヒグマ

この100年で北極の氷は40%ほど減少しており、居住環境を失ったシロクマたちは食べ物を求めて南下し、一方アラスカのヒグマは北上、ヒグマとシロクマの間に子どもができるという、自然界の生態系にも、これまでになかった異常事態が起きている。

写真左:暖房のないドイツのホテル (ドイツのエコ建築については、文末にある過去のブログもぜひ参照してください)

ドイツの取り組み

冬でも暖房なしで快適性を保てるエコ建築への推進。ハロゲンランプをLEDに変え、熱エネルギーの消費量を5分の1へ。クリーンエネルギーへの転換。ドイツでは消費電力のおよそ50%以上が再生可能エネルギーに転換された。しかし熱と交通分野の再生可能エネルギーの目標が停滞している。

エネルギーの消費量を抑えたライフスタイル。大量生産・大量消費のグローバル経済とはなじまないことから、社会そのものの仕組みを変えていく。同じ量の原料でより多くの製品を作る大量生産の仕組みから、より少ない資源で適切に製品をつくるビジネスへの転換。

こうして先進的な循環型社会に即したサーキュラー・エコノミーCircular Economy/循環型経済)は、これまで主流であったリサイクルのみならず、ものづくりの段階で材料から考えていく。

西村さんがドイツのエネルギー転換で非常に優れているなと思うのは、地域の経済価値循環を維持するための取り組みが非常に進んでいること。経済価値循環というのは、基本的には、地域のお金を地域の外へ出さず、地域で循環させるということ。

日本では?安定供給⇒化石燃料と原発のベースロード、 経済効率性⇒コスパ 、環境適合性⇒科学的安全性、再エネの無謀な開発 、安全性⇒再エネの無謀な開発、原発を運転する企業の適格性…

世界のエネルギーの4Dとは、脱炭素化、分散化、デジタル化、自由化。ここにドイツでは民主化が加わり、日本では少子高齢化が加わることもある。蓄電の限界があることからも電力の3E+S(安定供給、経済効率性、環境適合性、安全性)が重要になるが、日本ではすべての項目において、SDGsやサーキュラー・エコノミーとの間にずれが生じ(写真)、世界の潮流に乗れていないという。

ドイツでは、再生可能エネルギーの発電所を一般市民である個人や農家が所有していることが多い。誰かが投資して与えてくれるものではなく、自分たちで投資して自分たちで地元に立ち上げていくものであるという意識も定着していると言える。日本にも市民が出資して再エネ発電所を建設する、日本のNPOのひとつ北海道グリーンファンドの“はまかぜ”をはじめとする各地域の取り組みがある。

基本的には再エネの推進、取り組むほどに地域が潤う。

こうした取り組みに熱心で、最も進んでいる自治体にドイツのライン=フンスリュック郡が挙げられる。この自治体では、ドイツの中でもとりわけ地域の経済価値循環に成功している。ライン=フンスリュック郡の借金は、市民一人当たり594ユーロ。同規模の自治体では平均2780ユーロ、ドイツ全体の自治体の平均が3519ユーロであることからも、非常に健全な運営がされていることがわかる。この地域では、これまでに年間約350億円、市民一人当たり34万円がエネルギーを輸入するために地域外に流出しており、2050年までに年間300億円を地域にとどめることが目標としてきた。地域にとどまったお金によって商店街の活性化や、自治体の建造物の省エネ改修、図書館の新設、幼稚園の完全無料化などを実現し、地元の価値はますます高まっている。

省エネ 

蛍光灯などをLEDに交換するだけで、一年間に一世帯1万円の電気代の節約にもつながるという。冷蔵庫を最新の冷蔵庫に買い替えると、10年前の冷蔵庫と比較して2倍、20年前のものでは3倍も電気代が異なる。こちらも年間1万円以上の電気代の節約となり、化石燃料の使用を減らすことができる。

小さな村の小高い丘には風車が立ち並ぶ。

ドイツの人口2500人規模のヴィルトポルツリート村では、地域の住民が出資して風車を建設、電力需要のおよそ7倍を発電し、出資者が8%の配当金を得るまでになった。気候変動に貢献するのみならず、再エネに取り組むとお金が入ってくることを実感した地元住民の92%が、小さな村に立ち並ぶ風車に賛成している。さらには余った電力を利用し、2011年に蓄電池の会社Sonnenを設立。わずか10年で、ドイツで最も蓄電池を売り上げる企業に成長し、2018年には石油会社Shellに買収され、人口2500人の村に再エネが数百億円をもたらした。

 

再エネにおける課題

再エネのコストは高いという印象があるが、ドイツではすでに再エネは化石燃料よりも低コストになっている。LEDや省エネ型の新しい冷蔵庫への買い替えも進み、ドイツでは個人の電気使用量はずっと下がっているため、電気代の単価が上がっても、全体的な家庭での支出は下がっていると言える。

発電業界では、大規模集中型から小規模分散型への転換が進み、電気の安定供給への対策としてVPP(Virtual Power Plant/仮想発電所)が主流に。ネットワーク化された巨大なエネルギーマネジメントシステムは、大規模電源よりも優れた安定供給を実現する。日本とドイツでは、電気系統が異なるが、必ずしもドイツのシステムが応用できないわけではないという。

このほか電気が足りないわずかな時間を補うために、蓄電池や水素をあてがい、地域で発電したものを地域で循環させることを目指す。結果として、先に挙げた自治体などのように、使ったお金は地元にとどまり、地域の経済価値が高まる。

ドイツでは、これまでの経験から大規模電源は扱いづらいということがわかってきた。従来の大規模電源である原発と小規模分散型の電源の共存は、経済効率の観点から持続不可能であり、システムの安定性を確保するためには、いずれどちらかの選択を迫られる。エネルギーの効率化を鑑みて、ドイツは国産で経済価値が循環する小規模循環型の再エネを選んだ。

エネルギー転換を目指すことによって、再エネは、地域にお金を残し、残ったお金は市民に健全かつ文化的に役立てられ、誰もが平等である社会に貢献される。このようにドイツでは、原発ではなし得なかったことが起きているという。

ドイツは総エネ60%の再エネ化を目指す

再エネの発電率を比較すると、それでもドイツはEUのなかで遅れを取り、足を引っ張っている。

今後ドイツでは、間近に迫る2022年の脱原発、2038年の化石燃料からの脱退が計画されており、2050年をめどに電力供給の80%、交通や熱を含めた総エネルギー供給の60%の再エネ化を目指すことになっている。

 

Q: 地域にお金を落とす再エネというのが日本の人々の意識に定着しないのはなぜ?

A: 専門的な話になると税制の違いなどもあるが、ざっくり言えば、日本では、誰かに任せておけば物事が解決するとの考え方が多い。ドイツでは、地方への交付金が非常に少なく、自治体は自分でお金を稼がないと地元を維持することができないため、地域が自主的に取り組んでいる。日本の場合は、稼ぎが増えると地方交付税・交付金が削減される。地方の努力が地方の豊かさに直結しない、中央集権型のシステムが国家レベルの問題としてある。もうひとつに学校など教育の場で、エネルギーについて話す機会が非常に少ないことも一因なのではないか。

(質疑応答の一部より)

参加者からのこのほかの質疑にも、丁寧にお答えしていただいていますので、以下のリンク先より、西村さんの講演の動画をぜひご覧ください。

日本のNPO団体アースウォーカーズによるプロジェクトで、ドイツの再エネを学びに渡独した福島県内の高校生を対象に、西村さんが開催された講演のブログも合わせてご一読ください。ドイツの省エネ建築と日本との制度の違いについても触れています。

ドイツの再生可能エネルギーに学ぶ福島の高校生 2019 http://snbblog.sundayresearch.eu/?p=4222
講演者:西村健佑氏

ベルリン自由大学・環境政策研究所環境学修士、エネルギー市場・政策エキスパート、ベルリンでエネルギー市場調査に関するコンサルタント会社Umwerlin (https://note.com/umwerlin) を経営。欧州のエネルギー・産業政策の調査、通訳、翻訳、また日独中小企業のビジネスコンサルも手がける。クラブヴォーバンメンバー。共著に『海外キャリアのつくり方 〜 ドイツ・エネルギーから社会を変える仕事とは? 〜 』『進化するエネルギービジネス(ポストFIT時代のドイツ)』

 

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