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おしどりマコ講演会 2019 報告 (3)

書籍: 放射能測定マップ+読み解き集

おしどりさんは講演で書籍の「放射能測定マップ+読み解き集」を紹介されました。これは情報は自分で集めないと信頼できないと考えた人たちが各地で放射線の市民測定を行いはじめたことがきっかけです。後にネットワーク化しようという人たちもあらわれ,その結果できた本,ということです。(草の根的に行なわれたことなどがあり,このネットワークに加わっていない市民測定の人たちもいるようです。) この本では, 4 千人以上の人々が 3 千地点以上の土を測定してまとめています。

https://minnanods.net/

東京の汚染に関しては,流通している食物を調べている限り,まず汚染はないということです。ただし山菜などの汚染は残念ながら残っていることが報告されています。

2019-02-06 放射能測定マップ+読み解き集の紹介
2019-02-06 放射能測定マップ+読み解き集の紹介

都市濃縮現象

東京大学の発表ですが,東京の一部の土地に放射性物質汚染が観測されることが紹介されました。

これはコンクリートが多く,放射性物質で汚染された水が濃縮してしまいホットスポットとなる現象がみつかっていることです。

このホットスポット調査をしている人々がいてその紹介がありました。5 cm 高での測定で,3.3 マイクロシーベルト/h も見つかることがあるそうです。(これは一様に汚染されていることを前提として空間線量の測定方法,地上 1m での測定,とは異なりますので,通常の空間線量とは比較できないことには注意が必要ですが,ホットスポットの場合には有効です。) この方々は測定して汚染された公園などがみつかると,行政に除染を願い出るなどして東京都民の安全のためのボランティアをしているそうです。私はこれはボランティアに頼るのではなく行政が組織的に調査をしても良いのではないかと思います。

2019-02-06 東京のホットスポット調査をしているボランティア紹介
2019-02-06 東京のホットスポット調査をしているボランティア紹介

オリンピックと復興の関連

会場からは,オリンピックの安全や,オリンピックと復興の関連について以下のような意見や質問がありました。

Q: アンダーコントロールの発言で誘致したオリンピックであったが,汚染水問題など現状ではアンダーコントロールであるかの疑問がある。そのあたりはどうお考えか?

A: 誘致の 10 日前に,フクシマでは,汚染水漏洩で level 3 の事故を起こしたため,東電にはそのような状況で総理にアンダーコントロールと報告したのかとの質問が記者からあった。しかし,東電自身からは,彼らも発言の意味を理解できず政府に趣旨を問い合わせているという回答であったという。確かにアンダーコントロールかどうかは疑問がある。

Q: 日本にいた頃は,国が決めたポジティブな政策には反対しにくい雰囲気を感じていた。復興を先に確実にして欲しいとはいえ,だからオリンピックに反対というのは言いにくいかもしれない。日本国内ではどういう雰囲気があるのか?

A: 確かに「オリンピックは復興の助けになる」,ということを言う人もおり,それに疑問を呈すると,復興を妨げるのか,反県民,反村民などと言われる場合がある。そもそも東京にスタジアムを作って福島の復興になるという部分がわからないので,復興の助けになるのならそのロジックを丁寧に説明して欲しい。しかし,議論がかみあわないようなこともしばしば見うけられる。もう少し冷静に福島や日本の将来を考えて議論ができると良い。

議論の時,おしどりさんからは補足として以下がありました。

先の福島第一の高濃度汚染水タンクの解体作業に外国人研修生が利用された事件も,オリンピックの建設関係に人手が取られて,福島の復興には人手が不足してしまっている場合があり,そこに外国人労働者があてられる場合があるという指摘がありました。

最近の報道でも,「『新国立競技場は間に合わせるけれど、被災地は遅れたって構わない』。そう言われているようだ」という岩手の復興にかかわる人の談話がありました。(https://digital.asahi.com/articles/ASM330D32M32UTIL02K.html)

2020 年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催に向けた首都直下地震対策ロードマップ

政府は東京に直下型地震が来た場合に防災する計画を発表しています。オリンピックと関連した情報は以下のようにいくつか公開されています。国土交通省の見解では,オリンピックの年付近の地震の可能性が排除できないので,どのように対策を練るかということに関する情報です。

国土交通省防災ポータル
http://www.mlit.go.jp/river/bousai/olympic/index.html
http://www.mlit.go.jp/river/bousai/earthquake/pdf/earthquake/7kai-ref02-01.pdf

我が国の地震対策の概要
http://www.bousai.go.jp/jishin/gaiyou_top.html

我が国で発生する地震
http://www.bousai.go.jp/jishin/pdf/hassei-jishin.pdf

最終処分場に関して

除染した際の除去土壌の処理については,中間貯蔵を福島がうけおうが,福島には最終処分場は作らないことで政府との合意がなされています。30 年を経過した後に福島の中間貯蔵除去土壌は県外に移されることになっており,そのための法律も成立しています。

しかし,2019 年現在,福島県外で最終処分場を受けおう場所のめどがありません。そこで,特定の場所に最終処分をするのではなく,日本全国で除去土壌を再利用するという考えが検討され,そのための実験が開始されています。

中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略検討会
http://josen.env.go.jp/chukanchozou/facility/effort/investigative_commission/

最終処分場を負担する場所が一箇所もみつからないのなら,日本全国に分散させて負担するという考え方ですが,私にはあまり良い考えに思えません。しかしではどうするのかということは難しい問題です。ただ,私に一つ確実に言えるのはこういう問題を今後拡大しないために,早期に原子炉を廃炉にし,廃棄物をこれ以上増やさないことです。しかし,廃炉をするにしても最終処分場がない現状では中間貯蔵などで問題を先送りにするしかなく,我々は子孫に負担をおしつけることになります。

ここでまず,汚染土を日本中に分散させる方法しかないのか? ということが疑問です。多くの市町村が受け入れることになるでしょうが,その受け入れ地との議論やコンセンサスを得られるのか,という疑問が残ります。一方で福島に全てを負担させるわけにもいかないこともあると思います。これは我々が今後直面していく問題です。既に法律で時間も区切られました。そこで,上記の環境省の資料は一読の価値があると思います。その中には,「再生利用の必要性や放射線に係る安全性に関する知見を幅広い国民と共有し」ということも書かれています。現時点で私はこの部分はほとんどなされていないのではないかと感じています。これは議論していく必要のある問題だと思います。

また,これまでは中間貯蔵場,または最終処分場にしか置けないとされていた汚染土が,リサイクル可能にされる場合は問題です。福島は最終処分場にはしないという約束で汚染土を 30 年間受けいれました。しかし,何かの理由や処理により「汚染土」が「リサイクル可能土」へと変わることが可能になる場合がでてきます。このため,汚染土として集められた土が,福島県内であっても,実質的に永久に処分されることが制度上可能になります。その場合どのように処理するかの条件などがあるでしょう。そして,名目上は最終処分ではなく,リサイクルされたということになるのではと思います。しかし,私はこれには問題があると思います。

現状では経済と原発の関係について議論もありますが,廃炉と最終処分と経済という部分の議論はあまりみかけません。ドイツの Greifswald で実際に廃炉を行なっているところからは,廃炉の費用は 1 基あたり日本円で 5000 億円では難しいことが報告されています。また,イギリスの Nuclear Decommissioning Authority https://www.gov.uk/government/organisations/nuclear-decommissioning-authority
では,この廃炉や最終処分の費用の見積りが年々上がっていき,2015 年には 1600 億ポンド,20 兆円を越えた金額です。しかし,国会の質問では日本ではこの 10 分の 1 程度,1 基あたり数百億円でできるという話になっています (例,衆議院での質問 http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a196413.htm) 既に廃炉作業を 30 年以上すすめている実績のある所の価格よりもまだ大型の商用炉で廃炉を行なっていないところがなぜこんなにも安くできると見積っているのかが判明しません。イギリスは日本よりも早く原発を作ったので,既に廃炉作業に入っている原発がいくつもあります。私にはどちらの価格が正しいのかが判断をできないのですが,実績のある複数の数の方を考えると,廃炉と最終処分は,経済,特に日本の今後の国際競争力に重くのしかかってくることを危惧します。私たちは子孫の経済に足かせをつくっているのではという心配がぬぐえません。少なくともどれだけの負担になるかの見積りが必要で,そして計画をたてて対処が必要です。そのためにも最終処分場の議論がもっと進まないとまずいと思います。それは国の経済が将来どうなってしまうのかにかかわる問題であると思います。

おわりに

フクシマの問題は様々な面で終わっていない,あるいは新たな問題が始まっていると私は感じました。事故当時の人たちの健康の問題,帰還して農業を始めた人たちの問題,外国人労働者の問題,汚染土の問題,など,これだけにとどまらず,汚染水の問題もあります。起きてしまった事故に対しては,それをどうするかそれぞれを考えていかねばならないこともいくつもあることがわかりました。一方で,もうこれ以上の問題を起こす可能性もつみとっておく必要をまた強く感じました。そして子孫への負担をできるだけ押しつけないために,一つできることがあります。それは再生可能で,持続可能なエネルギー源に我々ができるだけ投資をしておくことです。石油もウランも世界でとれる地域は限られ,かつ,いつかは枯渇する資源です。我々が子孫に残すものが核のゴミだけになってしまうとしたら,なんともひどいことではないでしょうか。少なくとも日々の生活に必要なエネルギーは子や孫に残しておくべきだと思います。

おしどりマコ講演会 2019 報告 (2)

子供の健康: 調査の検査結果数に関して

これは複雑なことになっています。おしどりさんの指摘した問題点をかいつまむと,

  • がんが見つかった場合でも福島のがん発症数に入らない場合がある。
  • 2012 年以降に生まれた子どもは調査対象ではない。

などにより,がんの発症数として報告されている数に入らないがんが存在することに注意が必要になるということです。数え方などは発表されていますが,単純にここでのがんの発症数は,素人が考えるような,「福島に当時いて現在がんを発症した患者の数」とは違うことに注意が必要です。おしどりさんの指摘はこれでは正確な患者の数が把握できないだけではなく,現在の方式では,上記の素人感覚に比較して患者の数が減るようになっていることも問題として指摘されていました。

これについてもう少し説明してみます。

福島県では,県民健康調査が行なわれています。これについては放射線医学県民健康管理センターのサイトが http://fukushima-mimamori.jp/ や,https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/portal/kenkocyosa-kojyosen.html にあります。

検査対象の子ども達は福島県に住んでいた事故当時 18 歳以下および 2011 年内に生まれた子ども達でその数は約 38 万人と考えられています。ここで甲状腺の検査は 20 歳を越えるまでは 2 年ごとに行うことになっています。(20 歳を越えた場合など,より詳しくは上記のサイトを参照) また,県外に移転した人も検査対象ではありますが,私の探した限りでは何らかの義務があるという記述がみつかりませんでした。この場合,年々検査する人数が減るという可能性もあります。

ここでの検査方法は上記のサイトにもありますが,一次検査と二次検査があります。一次検査では A1, A2, B などの判定結果がつけられます。これは,しこりなどの大きさの判定であり,この結果はそのまま手術が必要ながんであるかどうかとかいう基準ではないというおことわりがあります(http://fukushima-mimamori.jp/thyroid-examination/)。治療の判定は判定委員会によるということでした。検査と治療とは別になることは注意が必要です。

すると「県民健康調査での診断,がんとして治療を受けた人の人数」と,「がんとして治療を受けた人数」は実は一致しないことに注意が必要です。この制度に関してはどのような手続きかの発表はなされているのですが,検査で治療を受けた数だけを見ていると誤解を生む場合があります。

まずは,県立医大以外でのがんの手術は二巡目以降はここでの数に入らないことです。他県に移動してからがんがみつかり,手術した場合は福島県の数に入りません。これは実務的にその数を数えるのが難しいなどの理由があるようですが,手続き的な問題で解決可能なはずです。この問題は福島県に当時いて,後に県外に移動してしまい発症したものが含まれなくなってしまうことです。

2019-02-06 甲状腺ガンの検査と治療と数え方の違い
2019-02-06 甲状腺ガンの検査と治療と数え方の違い

この場合,原発と関係なく発症したかどうかなどの議論はあるにせよ,事故当時福島県にいたかどうかを追跡しておくような仕組みが必要です。そうでなければ,避難などで移住してしまうと,調査の対象者数そのものが減少するので,がんの数が減ったように見えてしまいます。すると,がんの発症率が下がったのか,人がいなくなったので減ったのかの区別がつきません。ただし,これに関しては行政側も不備があると考えているようで,実は対策があります。しかしそれには別の問題があるので,それは後に説明します。

もう一つの問題は,地元の医師ががんと判断した場合,二次検査まで行ったとしても,その治療が半年後になった場合には,やはりこの検査での結果としての数に入らないことです。例として,図 http://fukushima-mimamori.jp/thyroid-examination/images/img_inspection.png での診断基準で判断の A1 A2 相当とされた場合などで,しかし,半年後にはがんとして治療を受けた場合です。

確かにがんであっても検査からの治療ではないので,調査の数には入れないということになります。しかし,結局がんであったのに,福島県の調査のがんの数には入らないことになります。

また,甲状腺調査に関しては,ヨウ素 131 の半減期が 8 日程度ということから,2012 年以降に生まれた子ども達は検査対象ではありません。(チェルノブイリでは検査対象です。) 半減期は半分になる期間であり,ヨウ素 131 はバセドウ病などの治療に利用されることがあり,その場合予防策として影響ははっきりしていないとしても安全のために 6 ヶ月は妊娠を避ける必要があるというガイドラインがあります。(例: 腫瘍・免疫核医学研究会http://oncology.jsnm.org/files/pdf/thyroid-guideline_201408.pdf) すると妊娠までの 6 ヶ月,誕生まで 10 ヶ月などを考えると,少なくとも 2012年の子どもたちの調査は必要なのではないかという疑問があります。ここでもう一つの問題は,調べていないのであれば,チェルノブイリとの比較ができないことです。できないながら,チェルノブイリよりも子どものガンの発症率が低いという記事を拝見することがあります。このような情報では混乱が生じます。比較対象は何にするのかをそろえるのは困難があることも予想できますが,少なくともチェルノブイリと同等のデータを集める,できればそれ以上のデータを収集することはできないでしょうか。

また,これは危険を警鐘する側にも見られる問題ですが,発症数しか述べないという問題があります。確かにどれだけのガンが出たのか,それは気になる数です。しかし,被害の可能性を論じる場合,どれだけの人を検査したかに関係します。つまり調査人数が減れば,発症し,治療する人間もそれだけで減りますが,それは発症数だけではわかりません。また,検査する人数が増えて発症数が増えたから,それでガンになる可能性が高くなっているというわけではありません。発症数ばかり言う問題は,仮の話として,発症数を減らし,県民を安心させるために,「検査数を減らす`」ということにでもなれば,おかしなことになってしまいます。検査数,サンプル数が多い方が母集団の推定は正確になります。ですから,判断をする方も発症数ばかりに気をとられるのではなく,発症の可能性の分母の検査数にも注意を払うべきだと思います。発症数はわかりやすい数ですが,検査方法によって左右される数であることは注意すべきです。たとえば,検査数が減っているために発症数が年々減る場合があるとします。それか,病気になる可能性が減っているといういう判断をすれば誤ってしまいます。

このように調査の方法によって発症数が変動してしまいますが,調査の数をどう出すかを詳しく見ていくと,個人の健康を守り,また必要な補償などのためには,できるだけ網羅的な調査が必要であると私は思います。その観点からすれば現在の調査方法には改善の余地があると思います。

また,福島県立医大の持つ情報に関しては,福島県立医大の研究者のみが情報にアクセス可能であり,他大学の研究者にもアクセスはできないという話がありました。発表の場合には学内で倫理審査があり、県民の利益があるかの審査があり,県民に不安となるような情報は公開しないということも場合によっては可能ということでした。またこれらは情報公開対象でもありません。そうすると,甲状腺ガンのより正確な数は把握されている可能性はありますが,一般には知ることができないという状況です。

全国がん登録について

これまではがんの患者のデータは都道府県ごとでした。そのため,上記の移住によって治療場所が変わるとデータの重複などの問題がありました。また,福島の甲状腺検査には逆の問題があることを前節では指摘しました。

この問題は少なくとも第一の問題に関しては政府も正確な数字の把握ががんの治療に必要であるとして,すべての病院ががんの情報を提出するという仕組みが 2016 年にできています。それが全国がん登録です。この制度自体は超高齢化社会の死因原因の 1 位のがん対策を目的とするとあり,2013 年 12 月に「がん登録等の推進に関する法律」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8C%E3%82%93%E7%99%BB%E9%8C%B2%E7%AD%89%E3%81%AE%E6%8E%A8%E9%80%B2%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B によって成立し,2016 年に施行されています。

https://ganjoho.jp/reg_stat/can_reg/national/public/about.html

この制度によって福島にいた子ども達の甲状腺がんの状況「も」全国的に把握できる可能性があります。しかし,その情報は個人情報保護のために,行政が認めた研究者以外には非公開です。会場からは新聞社などのマスコミはアクセスできるのかとの質問がありましたが,おしどりさんはそれも非公開と回答でした。

もう一つ,後に知人から指摘がありました。それは全国がん登録が 2016 年から施行されたというタイミングです。このため,たとえ情報が公開されたとしても,事故前のデータはありません。ですから事故前後のデータの比較はできません。

OECD Nuclear Energy Agency の会議への参加報告

おしどりさんは,OECD Nuclear Energy Agency の会議へも参加し,取材をしています。これは原子力産業の会議です。会議参加者の中には,原子力産業のセールスの人たちもいてその人たちに取材ができたそうです。セールスとしては,フクシマ以前は「事故は起きない」ということを主に,フクシマ以降は,「起ってもあまり問題はない」というセールスを展開するような戦略を推奨するとのことです。特に事故の起こった地域の住民が自分で帰還し,住み続けることを決め、自ら除染することはモデルケースとなるので業界としては後押しするべきだという意見があったという報告でした。また,特に原爆を経験した日本が原発事故を大丈夫で問題ないとすることは業界にプラスになるという情報が共有されていたということでした。

おしどりマコ講演会 2019 報告 (1)

2019 年 2 月はじめ,おしどりマコさん,ケンさんがフランクフルトのエキュメ二カル (http://www.zentrum-oekumene.de/)などの協力でヨーロッパのエネルギー政策に関して学ぶためにヨーロッパの一部を回られました。その際,SNB も日本の状況についての情報などを伺いたいとベルリンへの招待をし,今回それがかないました。2月 6 日に Versammlungsraum im Mehringhof Gneisenaustraße 2a, 10961 Berlinにて一般に公開された形で 19:00 から 22:00 までの講演,質疑応答がありました。

このブログはそこでの議題や質問,応答などのまとめです。

news clip
2019-02-06 おしどりマコ講演会

おしどりマコさんの自己紹介と原発問題へのかかわり

2011 年にはおしどりマコさんはテレビの仕事をしていました。フクシマの事故の際,東京は大丈夫という報道を聞いていました。一方,多くの有名な俳優など仕事の関係者が東京から避難をする場面に出会い,また,仕事では,視聴者に心配させないように「原発」「爆発」という言葉を使わないようにという通達を受け,いったい何が起きているのだろうという疑問を持ったそうです。それがきっかけで原発事故の取材を始め,2011 年 4 月から東電の会見に出席するなど,原発関係の情報に触れるようになりました。

東電の会見は最初の頃には国民の関心も高く,100人以上のジャーナリストが参加していたとのことですが,近年は 10 人以下であるということです。また,新聞社などのプロの記者には数年での人事異動があることがあり、当時から現在も取材に来ているのは,おしどりさんくらいということです。その上,東電側の説明側もやはり人事異動があり,人の入れ替わりがあり,また,以前の人と報告が一貫しないということもあるということです。講演では東電側の説明する人と時間経過のグラフを拝見できました。

2019-02-06 Tepco 記者会見人物変遷図
2019-02-06 Tepco 記者会見人物変遷図

情報の変遷の例

当時の説明と異なる例としては,山下俊一氏の 2011 年 3 月に行なわれた「福島県放射線健康リスクアドバイザーによる講演会」での「危険だと思いすぎる方が健康に被害がある」といわゆる「ニコニコしていれば放射線の影響が避けられる」という発言がありました。これについては日本国内のみならず,世界の主要誌が本人へのインタビューを行ない世界中の新聞,テレビで有名になりました。例えば現在でもイギリスのガーディアン (https://www.theguardian.com/world/2012/mar/09/fukushima-residents-plagued-health-fears),ドイツのシュピーゲル (http://www.spiegel.de/international/world/studying-the-fukushima-aftermath-people-are-suffering-from-radiophobia-a-780810.html) などの記事が読めます。後のインタビューでは,本当の意図は福島県民がおびえているので,それを緩和するためだったという発言もみうけられます。筆者もこの講演をビデオで拝見しましたが,あの講演で,専門家の発言だから信じてしまって大丈夫だと思った人もいたかもしれません。それによって被曝をうけた人はどうすればいいのであろうかという疑問が残ります。しかし,これは新しい情報というわけではありません。今回の講演で指摘されたのは,2019/1/28 東京新聞こちら特捜部の<背信の果て>((2)「ニコニコ」発言の一方で被ばく「深刻」真意はhttp://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2019012802000128.html)の記事では,山下氏が大丈夫と発言していたほぼ同時期に,彼は子どもの被ばくについて「深刻な可能性」と政府への見解を示したことが記録されていたことが報道されたということでした。当時の情報で一般に知られていなかったことが現在になってでてきていることがあるというもののいくつかの例の 1 つとしてこれが紹介されました。

2019-02-06 情報が変遷する例 2019/1/28 山下氏の見解記録
2019-02-06 情報が変遷する例 2019/1/28 山下氏の見解記録

復興庁の「放射線のホント」について

復興庁が「放射線のホント」という冊子を以下のように公開しています。

http://www.fukko-pr.reconstruction.go.jp/2017/senryaku/pdf/0313houshasen_no_honto.pdf

この放射線のホントについて,おしどりさんからの指摘は,「日本の食品基準は最も厳しいとされています。」という部分についてです。これは基準が厳しく食は安全という意味で使われています。しかしその検査量に関しては特に他国と比較して厳しくより安全であるというわけではないということでした。つまり検査の量が少なければ,結果としてこの安全基準が厳しいにもかかわらず,実際には検査されていないものが流通する可能性があるというものです。検査数が少ない場合,基準を越える Bq/kg の食品が流通される可能性が上がります。おしどりさんの示した資料では確かに日本の場合,そのような基準を越える Bq/kg の食品の流通される可能性の上限が他の国よりも多くなっていました。

これについてこのブログを書くにあたって私も少し調べましたが,直接の資料がでてきません。次回の機会におしどりさん達に詳しく確認できればと思います。しかし参考になる資料はあります。厚生労働省医薬食品局食品安全部長名での書類 https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000002xqoq-att/2r9852000002xqxc.pdf では,調べる指標は市町村ごとに 1 検体や 3 検体となっています。

復興庁の「放射線のホント」では確かにどれだけの量を検査するとは書いていません。私は最初はたとえば,出荷のロットごとに検査しているのだろうと誤解していました。それは私の勉強不足でもありますが,今回調べてはじめてどのような検査かわかりました。私の知る範囲でも通常の生産品に関しては,どれ位の流通量で誤りがあるのかを元に,たとえば 97.5 % の信頼区間でどうするかということを考えて抜き取り検査量を決め,さらに恣意が入らないようにどのような抜き取り方法をするかを決めるのが普通です。ところが,そのような通常の品質管理手法ではなく,市町村で1 つや 3 つという検査手法の指導がみつかりました。もっと詳しく知りたいのですが,私の知った限りでは,それぞれの検査して出荷できなくなる食品の Bq/kg の値は,日本は他の国などより確かに低い値です。ところが,検査をどれだけして,検査から漏れてしまう可能性をどれだけ減らすか? の部分は日本の方が漏れる可能性が高い値が採用されていました。これで本当に他の国よりも安全基準が厳しいと言えるのか,というのがおしどりさんの指摘です。この冊子の比較方法では,検査方法を含めた比較になっていないというのは,私のような素人には指摘されなければわかりません。

私が以前住んでいた宮城の仙台では,事故の後に信頼をとりもどすために自主的に上記のように,全部のロットからサンプルを抜き出して検査をしている生産者があるという話を聞いていました。このような売り手や市民の意識が高いということが,全てにあてはまるかは不明です。そのため,公的基準に頼る部分がでてくることになりますが,それを説明する冊子で書かれていない部分があるということを指摘されると,疑問が生じます。

この復興庁の「放射線のホント」については,私は書いてあること自体はそれなりの情報のように思いました。しかし,一方でこのように,書いていないことがあるというのが難しいと感じました。市民はより賢くないといけないとまた考える場面に出会いました。今回の講演でこういう情報を共有できたことはありがたいことでした。

福島第一の高濃度汚染水タンクの解体作業

現在,被曝の多い作業としては高濃度汚染水タンクの解体作業について紹介がありました。

2012 年に作ったタンクは急いで作ったこともあり,フランジ型 (ボルトでしめつける方式) の溶接をしていないものだったため,2013 年に継ぎ目から水漏れが発生していることが判明しました。そこで,その対策として 2015 年以降に溶接型の制作に変更になり,古いタンクからの水の入れ替えが必要になりました。 http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/decommissioning/committee/osensuitaisakuteam/2018/12/3-1-2.pdf

この作業は全部の機械化はできず,最後にタンクの底に残った水を人間がモップでふきとるという作業があります。これがここでの最も被曝する作業とのことです。この作業を立案する際,労働者の安全性はどれだけ考えられたのかは不明ですが,被曝を避けられない形の作業になっています。そしてそこで海外からの労働者,海外技能実習者が働いていたことも問題となりました。このブログを書くにあたって調べてみるといくつかの記事がありました。たとえば https://mainichi.jp/articles/20180315/k00/00m/040/082000c がそうです。

これはベトナムで社会問題化し,ベトナム政府から日本政府に問い合わせがあったこともあり,日本では法律が改正され,2018 年から実習生には福島の除染作業はさせないことになったということです。しかし,技能実習制度は請負会社が扱っている場合があり,法律改正前の実態があまり把握されていません。実習生は経済的に立場が弱い場合もあり,やめようにも違約金が高かったりという問題もあるようです。今回発覚したのは,労働組合に助けを求めたケースでした。そのように助けを求めなかったケースなども調査が必要と感じました。この調査をせず,日本が安心して働ける場所かどうかわからないということになれば,今後の労働者確保にも問題が出ることでしょう。

2019-02-06 汚染水タンクの解体作業
2019-02-06 汚染水タンクの解体作業

農家の放射線健康管理について

講演では日本の法律では,40000 bq/m^2 以上の場所は放射線管理区域とされていて,事業者が健康管理の義務を負うと説明がありました。(ただ,筆者が知人に指摘されて調べたところ,これは医療法管理区域で,おそらく外部放射線についての実効線量が 3 ヶ月あたり 1.3 mSv の放射線管理区域のことだと思います。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A%E7%AE%A1%E7%90%86%E5%8C%BA%E5%9F%9F)

農家の場合,農地と住居は除汚されてそれ以下になっている場合がありますが,自宅から農地までの間に放射線管理区域に相当する地域がある場合があります。管理区域の設定も原子力発電所や病院などを想定していて,このように広域に放射性物質が拡散してしまった場合を法が想定していないようです。http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-04-05-03

このような線量としては管理区域の基準に該当してしまう場所のある農家が市などに問い合わせをしたところ,農家は自営業であり,この法律は適用されず。管理責任は自分にあるとの回答でした。しかし,責任は農家にあると言われても,実際問題としてそれでは困るでしょう。

それに関連するものとして,2016 年の 11 月 11 日に農作業における放射線対策と健康講座が,福島県川俣町で行なわれました。

探した所,以下から資料がダウンロードできます。https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/259689.pdf

受講者の方から作業や汚染地域で気をつけることに関しての質問がでたようですが,ほこりは息を止めるなどできるだけ吸わないようにする。作業後には着替えをしてほこりを家に持ちこまないようにする。との回答にがっかりされたかたも多かったそうです。ただ,筆者はこの説明会はある意味正直である気もします。既に汚染されてしまった地域で他に有効な対策が不明だからです。本来は,そこに帰還するしか選択肢のなかった方々にはどうすればいいのかという議論が必要なのではないかと思いました。あるいはこのような放射線の問題が回避できない状況で,なぜ制度として帰還できるような判断が下されたことに対する議論はどうだったのでしょうか。このパンフレットには放射性物質の入ったほこりをあびたらどうするかなどの対策で,服を洗う,マスクをするというようなもので,会場からはそこに疑問の声もありましたが,私は一方でその場の人たちに役場の人たちは他に説明ができないのではないかと思いました。私はこの役場の人たちがなぜこのような説明をしなくてはならないような状況になっているのかを疑問に思いました。

これに対しては被曝に関する健康問題に対して対策をとってほしい人たちが市や国と交渉を始めたということでした。

私はこのパンフレットや説明会でもまた,問題はここで議論されていないことや,このパンフレットに書かれていないことのように思いました。そもそもなぜ,その土地にいるというだけでその人たちが放射性物質と共存しなくてはいけないのでしょう。その人たちが自分達の土地を放射性物質で汚染して欲しいとお願いしたわけではないはずです。放射性物質と共存したくてしているのでなければ,そうなってしまった原因こそが問題です。洗濯をしましょうというのは対処法にすぎず,それは確かに現状ではそういうことしかできないかもしれません。しかし,ここではもっと大きな問題が見えなくなっているように思いました。

国際ウラニウム映画祭の Crowdfunding はじまる

国際ウラニウム映画祭が,Internationales Uranium Film Festival Berlin のために Crowdfunding を立ち上げました。

この映画祭は,原発を始め,ウラン採掘,核実験,原爆水爆,そして原発事故,死の灰のごみ処理問題,核エネルギー一般などをテーマにする,世界各地で作られたドキュメンタリー映画・劇映画を応募してもらい,その中から選ばれたものを上映するという映画祭です。映画祭の最後には,ウラニウム映画祭賞(Yellow Oscar) が最優秀作品に与えられます。Yellow はもちろん,ウランの色です。

映画祭のための Crowdfunding に興味ある方は以下のページをご覧下さい。

https://www.ecocrowd.de/projekte/internationales-uranium-film-festival-berlin-iuffberlin/  (ドイツ語)

これには 1 ユーロからでも参加でき,また,ファンディングアイテムによってはチケットやグッズなどを入手するという形でも協力することができます。

国際ウラニウム映画祭参考リンク

福島県教育委員会作成放射線教育用学習ビデオ教材についての勉強会 (3)

「科学的」と「安全」について

この他の学年用のビデオでは「科学的」という言葉もあった。科学的に測るとか,あるいは科学的に安全というようなことも良く言われる。しかし,私にはそのビデオで言っている「科学的」の意味がわからない。なぜわからないのかを説明しよう。まず,私の考える科学的についてちょっと説明する。

科学的ということに関しては様々な解釈があるだろう。私が思う科学的とは,「世界を観察し,繰り返し観察される共通となるような真実をもとに,その観察される現象をより理解可能な要素に分解し,それを論理的に組みたて,理解のための仮説を提案し,実験により確認して,世界の理解をすすめていく方法」と言ってみようと思う。しかし,これではかなり難しくなってしまった。これも何を言っているのかわからないということになりかねない。そこで,一つ例の話をしよう。それからまた戻って考えてみて欲しい。でもこれは私の考えでしかないことにも注意して欲しい。(ただし,ここにあるものとかなりの部分は共通している)

「食べ物は胃で消化されるのに,どうして胃は溶けてしまわないのだろうか?」という話を私の言う意味で科学的に考えてみる。ここでは胃で食べ物が消化されるということはわかっているとする。それは観察されることで,この議論に加わる人達は皆共通の真実と考えたとしよう。そこで,この議論に加わっていたロッコさん(仮名)が仮説を言ったとしよう「胃は消化されないものからできている」この仮説は食べ物は消化されるが,胃が消化されないということをモデルにする考えだ。とてもいいと思う。では,これを確かめられるか? ひとし(仮名)さんが「中華料理には胃の料理がある」ことに気がついた。では,皆でそれを食べて実験してみよう。そうしたら,ひとしさんなど複数の人が次の日にトイレに行って,胃の料理が消化されたことを確認した。つまり,胃そのものは消化される。これでロッコさんの仮説は棄却されてしまった。そこで他の仮説を考えてこれが説明できないかを考える。人間の胃袋は動物とは違うという仮説も可能であるが,そうすると動物の胃袋は動物自身に消化されないことの説明ができないので仮説としては(世界の現象を理解するすすめにならないので)あまり意味がない。

これが私の言う科学的方法というものだ。観察し,それがなぜかを考えて仮説をたて,仮説に基いて検証し,間違いならさらに仮説をたて,現象への理解を深めていくことだ。この例では,問題を分解するなどなどはしなかったので,「世界を観察し (胃が消化されない),…,理解のための仮説を提案し(胃は消化させないものでできている),実験により確認して(胃袋の料理を食べ,トイレに行く),世界の理解をすすめていく方法」ということになる。この話ではまだ「食べ物は胃で消化されるのに,どうして胃は溶けてしまわないのだろうか?」の結論はでていない。科学的方法自体には結論がでていないものも多いから,ここでは結論は出さなかった。私の言う科学的とはプロセスであって,科学的とは何かがわかっていることとも違うこともわかって欲しいからだ。

「科学的に放射線を測る」ということがこのビデオで出てきた。特に中学年用の 7:35 秒は衝撃だった。「では,どうしてこのように放射線の量がわかるのでしょうか? それは,放射線は測ることができるからです。」である。これはトートロジーである。広辞苑には「トートロジー,同語反復: 定義する言葉が定義さるべきものを言葉通り繰り返す定義上の虚偽。」と説明されている。

「なぜ今日はあたたかいのでしょうか? それはあたたかいからです。」「車はどうして走ることができるのですか? それは車だからです。」これらは理由の説明になっていない。どうして? の解答ではない。「なぜ放射線は測れるのか? それは測れるからです。」これが放射線についての理解を深める教材ビデオのした説明である。これを科学的と言うことには衝撃を受けた。このどこに科学があるのだろうか。科学的理解とは観察し仮説をたて実験して検証するプロセスを通して世界を理解していくことだ。どうして放射線は測れるのか? に対し,例えば,歴史的な経緯で,蛍光版が反応していることに気がついたとか,感光板が感光してしまうことに気がついて存在がわかってきた,とか,そういうことは言えなかったのだろうか。。霧箱が本当に放射線を可視化しているのなら,どうして霧箱周辺を放射線計測器で測って対応を見せなかったのだろうか? 霧箱が測定できる放射線と,γ線の測定器の測れる放射線が違うからか? しかし先生は,「このように身の回りにあって測れる」と言ったではないか。なぜそれを科学的に証明しようとしないのか。ところで,
霧箱を作っている会社のページにはこの霧箱は自然の放射線を見せているのではなくて,霧箱内部に置いたラドンなどの核種を見せています。とある。この製品はガラスと金属に覆われているので,α線やβ線は入ってこれないからです。とある。確かに先生は,α線は紙でも止まりβ線はアルミニウムなどの板でも止まると言った。説明はおかしくないだろうかと確認すると,「普通の生活では見えない放射線も霧箱の中では観察できる。このように身の周りに放射線があるのです。」と説明している。これはどういうことなのだろう?

私はこのビデオの「科学的」に「科学」を見ることができない。だからここで言う科学的の意味がわからない。ファインマンという物理学者がこういう説明を批判して,何もわからないのなら,どんな名前でも同じじゃないか。と言う話がある。それはエネルギーの話だったが,ここでも同じことができるだろう。放射線のお話とは言わなくてもいい。ヨダソウのお話とでも言えばいい。ピッと音がなるたびに,ヨダソウが通った。科学の力でヨダソウの存在が測定できるのです。すばらしいですね,ヨダソウ。

科学的と言う意味を考えずに,科学的というだけでそれが正しいの同義語などと考えるのはやめにしよう。理解しなければ,それはヨダソウにすぎない。「ヨダソウとは何か? ヨダソウのことだ。」では理解にはならない。

では,時々聞く「科学的に安全」とはどういうことなんだろうか。まずそこには何が「安全」なのかを知らないといけない。「安全」の意味は何か? 「安全」の定義とは何だろう。誰がそれを決めたのか?

以前,SNBのメンバーに何 mSv では安全とか科学的にわかっていないのか? という質問を受けた。私の定義での科学的に知るためには,前にいったように,安全とは何かを定義し,それを観察して,ある現象に対して仮説をたてて,それをまた検証しなくてはいけない。

たとえば,年齢別に 1万人の人を集め,半分の人達に放射線を浴びせ,もう半分の人達は放射線を浴びせずに,その違い以外は同じ生活をしてもらう。そしてその量と病気などの関係を長期間に渡って調べる。これによって科学的な実験ができる。しかし,それは倫理的にできるのか? 放射線は 100 mSv まで安全という人に,99 mSv を浴びる実験台になってもらうべきだという意見の人もいたが,そういう実験をするのは科学の前に人間として許されないという問題がある。そうすると科学的に実験によって危険性を確かめることはかなり難しくなる。

私はこういう危険なものの安全性を確かめながらおっかなびっくり使うよりも,そういう問題がそもそもないエネルギー源を使えばいいじゃないか。そういう技術はけっこうあるじゃないかと思っている。まあ,それには異論もあるだろう。でも避けられる危険なら避けたほうがいいと思う。我々にはそういう技術がある。

例として,ウクライナでの放射線の安全性というのは,人間が 100 mSv を越える放射線を浴びると危険であるという説に基づいている (アメリカ合衆国国立生物工学情報センター).  ここでは,These data provide clear evidence of radiation-induced cancer risk at doses above 100 mSv. とあり,「これらのデータから,100 mSv を越える線量を浴びた場合にはガンのリスクがあるというはっきりした証拠が提供される」とある。しかし,前回の「寄らば切る」の話のように,100 mSv 以下なら安全とはこの研究結果でも「言っていない」のだ。実は 100 mSv では危険は確実というこの同じ報告の中で, 10 mSv から 100 mSv でも危険があるかもしれないと言っている部分がある。しかし,10 – 100 mSv でも危険があるかもしれないという部分はほとんど聞くことはない。

そこでウクライナでは人間は 100 年位の寿命があるとして,1 mSv/yの場合,一生で 100 mSv だから,この基準にしようとした (ウクライナの事故への法的取り組み)。

日本で 20 mSv/y で帰還していいという人達は,もしもウクライナと同じ説に基づくなら,人はここには 5 年は住まないから大丈夫という「安全」を考えたのかもしれない。それならば何らかの理屈が見えてくる。20 mSv/y × 5 y = 100 mSv なので,これ以上の滞在は危険とわかっている。だからこれ以上は住まないように,という基準なのだろうか。ちょっと待って欲しい。前回の「寄らば切る」の話を思いだそう。ここから先は危険なのは確実としても,それ以下は安全とは「言っていない」。「安全」とは何かを知らないのなら,落とし穴に落ちることになるだろう。数値がどうかなんてのはこのように安全の定義を変化させればいくらでも操作できる。

つまり,少なくとも 2 つの説明が必要だ。1. 「安全」の定義は何か? 2. 「科学的」とはどのように調べ,どのような証拠が得られたのか。これについて定義がなく。説明がないのなら,それは私の言う科学的ではない。

「安全」とは何か。誰がどうやって決めたのか? たとえば,どこかが毒で汚染されていて,でもそれが安全という場合,安全というのはどういう意味か。それはその毒を摂取した場合,1 年は生きていられるという意味なのか? それとも 2 年は生きていられるという意味なのか? 100 人その毒を摂取したら,次の日には 3 人しか死ななかったので,97 % 安全です。などということもあるかもしれない。100 人のうち 3 人死んでいるが,97 % の生存率ならばすごい安全だ。そういう定義かもしれない。この場合,1ヶ月後には 100 人全員死亡しているかもしれない。それでも,1 日の生存率ならば嘘は言っていない。1ヶ月後,全員死亡しましたが,安全です。ということも,この定義ならば科学的にも論理的にも正しい。だから論理的とか科学的と言うことで「はいそうですか」というのはあまりにナイーブだ。私は怖い。100 人のうち 97 人が 1 ヶ月無事だから安全です。という意味の安全だったら,それを私は「安全」の定義として受けいれられるのか? 安全の意味を知らなければ,安全ですと言われただけでは何も意味がない。

そして,「科学的」とは何だろうか? どうやって検証されたのか。この場合,その毒を実際に多数の人間に摂取させてわかったのか? いったいどうやってわかったんだ? どこにエビデンスがあるんだ? 科学的の定義が違う人もいるかもしれないが,仮説をたて,実験をして理解を深めるという私の定義では,実験されないものは科学的ではない。特にたまたま一人で実験して大丈夫でしたというのは一回限りで再現性がないので科学的とは言い難い。まず,科学的と言う人に,あなたの言う「科学的」とはどういう意味なのか,私は尋ねざるを得ない。

だから私は新聞などで説明のない「科学的に安全」という言葉を見る度に,どういう意味なんだ。と考えてしまう。これは私にはあいまいな言葉で,ほとんど何も意味していない,非科学的な言葉だ。

今回の放射線のお話のビデオでは,多岐に渡って考えることが多かった。もっと多くの議論ができることと思う。私はできれば,このビデオを見た子ども達と一緒に考えていきたい。科学的とはどういうことか。メッセージは何だったのか。どうしてこのようなビデオができたのか。そして,このビデオを見せている先生には,子どもが社会に出て生きていけるように,自分で考えることについてぜひ少しヒントをあげて欲しい。この文章がそのヒントの 1 つになってくれると嬉しい。

現実は厳しいものだ。夢の中で生きていく方がいいかもしれないこともある。しかしそれができるのは一部の人達だけで,ほとんどの人達には現実は情け容赦なくふりかかってくる。現実を認識し,それに向かっていくときに考える方法が少しでも見え,それが子ども達の未来を少しともしてくれることを願う。そしてそれを子ども達と議論することが,大人としての責任ではないだろうかと思う。

根拠もなく,安全だ,大丈夫だ。僕達はすごいんだ。では子ども達を守れない世界にしてしまったことを,子ども達にすまなく思う。一番簡単なことは,誰かのせいにすることだ。しかし,それでは子ども達は守れない。でも,そのままで良いと私は思わない。

だからまずは知って考えていこうと思う。

今回の勉強会の講師は「廃炉のおはなし」と同じふくもと氏でした。ありがとうございます。
記録は私,ひとしでした。

最後に,「ヨダソウとは何か」ですが,後ろから読むとわかるかもしれません。本当です。ヨダソウ。

ひとし

福島県教育委員会作成放射線教育用学習ビデオ教材についての勉強会 (2)

2.2 放射線のおはなしビデオ

放射線のおはなし(低学年)というビデオをマー君達と見て,僕らは少し話し合った。このビデオの話のすじはこういう感じだ。(読者にはもし機会があれば実際のビデオを見て欲しい)

放射線について勉強しましょう。

でもまず「生きるために必要な 4 つのこと」を考えましょう。

水は生きていく上で必要なものです。
土は生きていく上で必要なものです。
火は生きていく上で必要なものです。
空気は目に見えないけれども生きていく上で必要なものです。

では,目に見えないけれどもまわりにあるものについて考えます。
宇宙はどこにありますか? 空の高いところにあります。
太陽から届くもの,それは光,熱,紫外線,放射線です。

私達の身のまわりには放射線がある。放射線は見ることも音として聞くこともできないが,測ることができる。

放射線はレントゲン写真として役にたっている。
放射線を使って殺菌することで役にたっている。
放射線はジャガイモの芽がでないようにするために役にたっている。

原子力発電所では,生活の役に立つ電気を作っていた。
東日本大震災が起きて,事故で放射線が漏れ人々が避難した。
どうして人々は避難したのだろう?

火は沢山あると火事になる。
水は沢山あると嵐や台風で洪水。
火や水と同じく放射線も多すぎると危険,だから避難した。

これから放射線について学んでいきましょう。

別にいい話じゃないかと思うかもしれない。マー君はどういうメッセージを受けとったかな。メッセージって何かって? どんなお話にもメッセージがあるんだ。そのお話を作った人が伝えたいことだよ。僕が君に話をする時は少なくともそうさ。お化けとか河童のおはなしもそうかって? もちろんさ。お化けってのはね,死ぬというのは怖い,良くないことだという考えを伝えるためさ。それが本当に怖いことか良くないことかはもっと大きくなってから自分考えて欲しい。できれば僕と同じように怖いと思ってもらえるといい。命は大切だと思ってもらえたら嬉しい。河童の話? 河童は子どもを食べるんだよ。だから川に行かないようにっていうのさ。これはね,大人の都合だけど,子どもが川で溺れないようにするためさ。怖い怪物が川にいるなら,川には行きたくないだろう。でもマー君,川には本当に河童がいるから一人で行ったりしてはいけないよ。

このビデオの話は,もう少し短くすればこんな感じに受けとめられたかもしれない。

火や水や土や空気は生きていくのに必要なものだ。
火や水や土や空気は身の回りに昔からあったものだ。
放射線も身の回りに昔からあったものだ。
火や水は多すぎたら危険だけど,少なければ大丈夫。
放射線も身の回りにあっていろいろと役にたっているんだよ。

君は僕の授業を受けているから,大人も先生も間違うし,言いたくないことは言わないってわかっているよね。でも,僕は君に伝えたいことがあるし,それがいいものと信じて話をしている。でも僕にも間違いがあるかもしれないから,君には自分で考えて欲しい。たとえば,算数やかけ算は君が大人になれば習っておいてよかったと思うものだとわかってくれると思って教えているんだ。理科だってそうさ,知らないと君を騙そうとする人に対処できない。この水を飲めば癌が直るとかね。本当に直るのもあるかもしれないよ。でも,そうじゃないことだってあるんだ。それは君が自分で判断しないといけない。残念なことに君を騙そうという人がいないとは僕には言えない。だから賢くなって欲しい。騙されなくなって欲しい。

このビデオの話はまず,最初の 5 分間は放射線の話がない。「放射線のおはなし」なら,「放射線とは○○です。」というふうに始まっていいと思わないかい? マー君について説明するお話なら,僕はまず「マー君とはこういう人です」というふうに話をはじめると思う。でも,ここでは 6 分間も放射線の話をしないんだよ。そして火や水や土や空気の話をするんだよ。僕はね,関係ない話をえんえんとしていると思ったね。君はどう思った? 放射線のお話なら,放射線の話をすればいいじゃないか。6 分と言えば,このビデオの 3 分の 1だよ。どうして関係ない話を 3 分の 1 もするんだろうね。考えてみてよ。放射線と水は関係あるんじゃないかって? ないわけじゃないけど,でも水は放射線じゃないし,土は放射線じゃないよ。

そして,

火や水や土や空気は生きていくのに必要なものだ。
火や水や土や空気は身の回りに昔からあったものだ。
放射線も身の回りに昔からあったものだ。

という話になった。ここで,君は素直だから,放射線は生きていくのに必要なものだ。と思ったんじゃないかい? アルキメデスの 4 元素を出してきて,それは身の回りにあります。昔からあります。生きていくのに必要なものです。と言われて,実は,放射線も身の回りにあります。昔からあります。と言われたら,「生きていくのに必要なものです。」と思う人もいるかもしれない。でもそれは言っていないよ。「それは言っていない」んだよ。

  • ウイルスだって病気だって,身の回りに昔からあったものだ。
  • 毒キノコや,毒ヘビだって,身の回りに昔からあったものだ。

これも「言っていない」んだよ。関係ないから? そうさ。火や土だって,放射線とは何か, の話に何の関係がある? でも言っている。身のまわりに昔からあるものが全て生活に必要なものだなんて言っていない。火を燃やせば二酸化炭素が出る。部屋を占めきって火を燃やせば,二酸化炭素中毒でたいへんだ。二酸化炭素だって昔からあった。身の回りに昔からあった。どうして二酸化炭素の話はしないんだろう?

「放射線も身の回りに昔からあったものだ。」

だから何なのだろう。このお話を作った人が何が言いたいのか考えよう。メッセージを考えるんだ。何がここで言われなかったのか。この教材はとてもすばらしい批判的にものを見る教材になる。でも,君の年では先生のガイダンスがとても重要になる。

僕達は安全ということを考える。君達には安全で健康で育って欲しいからだ。それは親の多くが思うことだ。放射線を学ぶ教材が作られたと聞いて,僕は君達の安全と健康のためにこういうビデオが作られたんだと思ったよ。

でもここでは安全という話はあまりなかったね。放射線がどういうものかもあまりなかった。結局身のまわりにあって宇宙からきたりするものらしい。まあ,難しいからかもしれない。でも安全についてこのビデオでは言って欲しかった。役に立つかどうかばっかりだ。役に立つならいいことじゃないかって? うーん。

役に立つことと安全かどうかは別の話だ。包丁やナイフだってとても役に立つけれも,そのままで安全なものではない。車だってとても役に立つものだけど,子どもが運転していいものではない。責任ある大人が試験を通ってやっと使わせてもらえるもの,そういう意味では危険なものだ。役に立つならなんでもいいというわけじゃないし,それは誰にでも安全かどうかはあまり関係がない。

レントゲン写真は役に立つだろう。でもレントゲンを取ったことのある人なら,レントゲンを取るお医者さんがその部屋から毎回出ていくのを知っているだろう。レントゲン写真で使う X 線も人間の体には害を及ぼすからさ。そこにいたら危険なんだ。だからお医者さんはいつも他の部屋に行くんだ。役に立つものでも危険なものはいっぱいある。

放射線を使って殺菌する。それは役に立っていることだろう。でも,菌というものも生きものだ。それを殺すことができるということはどういうことか考えてみよう。紫外線と似ていると言う。日焼け位した方が健康だという人もいるかもしれない。多いといろんなものが危険になるというのは,まあ僕も賛成だ。紫外線だって浴びすぎれば病気になる。ガンの放射線治療というのも聞くだろう。ガン細胞はとてもやっかいでなかなか死なない。それを殺すことができるような強い毒を使うこともある。そのうちの一つが放射線だ。放射線ほどガンを殺す能力が高いものもなかなかないからだ。役に立つということと安全というのは同じことではない。それはこのビデオでは言っていなかった。火や水は僕たちの生活には絶対必要だ。でも先生の言うことを良く聞いてごらん。放射線がないと僕たちは生きていけないとは「言っていない」んだよ。火や水が多いと危険なように,放射線も同じように多いと危険だ。と言っていたけど,放射線がないと,僕たちは死んでしまうとは「言っていない」んだよ。気がついたかい?

放射線でジャガイモの芽がでないようにする。これを役に立つ例として出してきたのはすごいね。じゃがいもはじゃがいもの植物の子どもだ。子どもが成長しないようにする。これはどういうことなのか,考えてみよう。これはビデオを作った人もここまできたら,役に立つということと安全とは関係があまりないことだと伝えたかったのかもしれない。

ビデオの中の放射線によってじゃがいもの芽がでないようにする説明部分。勉強会にて
ビデオの中の放射線によってじゃがいもの芽がでないようにする説明部分。勉強会にて

役に立っていたということが繰り返されたのは,これは伝えたいことだからなのだろう。しかし,役に立つことというのは,どういう意味なのかな。役に立つには,誰かがいないといけないね。誰にとって役にたったのだろう? 原子力発電所の事故で人々が避難しなくてはいけなくなった。その場合,避難した人々の生活には役にたっていないみたいだ。役に立つとはどういうことだろう。多分,役に立つことはいいことだ。って誰かに言われてきたんだよね。それはいつも本当なのかな。そうじゃない時もあるかもしれないんじゃないかな。いろいろと考えることが増えちゃったな。

あと,世界中の人がある量の放射線を浴びているというのもあったね。地域によって違うとかはあっても,自然放射線を浴びていること自体は本当だろう。それでどう思った? 世界中の人が浴びているのなら心配はないって? どういうことかな。

たくさんの人がしていることは安心できるってこと? うーん。この場合,自分で選んでないとか,もっと大事なのは,自然にあるものに追加された量がどうかなんだけど。。。皆が同じなら大丈夫ってこと? なるほど。そうだね。じゃあ煙草は,たくさんの人が吸えば安全になるのかな。世界中でもっと多くの人がすえばもっと安全になるのかな? 皆が吸った方が安全になるの?

この場合,「どれだけの人がするか」と「安全」とは関係がないとは思わないかい。煙草を吸う人が増えれば増えるほど煙草が安全になるかというと,煙草自体は変化していないのだから,個々の安全性は関係ないと思うよ。放射線を世界中の皆が浴びれば浴びるほど安全になるなら,皆で放射線を浴びればいい。本当にそうかな? この場合には皆がやっているというのは皆がやっているというだけのことだ。ここで重要なのは,このビデオが「皆が浴びているんだ」ということで何を言いたいのか,どんなメッセージを送ろうとしているかを考えることさ。「赤信号,皆で渡れば怖くない」という冗談が昔あった。「放射線,皆で浴びれば怖くない」というメッセージ?これはちょっとブラックだったかな。何を言っているかわからない? まあ,考えてみてよ。「考えてみて」ばっかりだって? 僕が答えを全部あげられることはない。だから君には今から考えて欲しいのさ。

僕の頃は論理の基礎は中学で習った。マー君はまだ 9 歳だから,論理についてあまりちゃんと習っていないかもしれない。でも,こういうビデオを見なくてはいけないのなら,もっとちゃんと習わないといけないね。大変だねえ。僕たちは言葉で考えるのだから,その言葉の使い方を,何を意味しているのか,何を意味していないのかを考えなくてはいけない。その助けになるのが論理というものだ。でも実は意味を理解していないとあまり助けにならない。

私の好きな先生の本に,論理の話があって,「寄らば切る」と言うさむらいの話がある。ある時,ある町人はそのさむらいの近くに寄らなかったのに,そのさむらいが切りかかってきた。「寄らば切ると言ったじゃないか。俺は遠くにいたじゃないか。どうしてわざわざ近くに寄ってきて切りかかってくるんだ」という町人に,「寄ってこない時に何をするとは言っていない。寄らば切る。とは確かに言ったが,寄らずとも切る。それだけだ。」とそのさむらいは言った。ひどいさむらいだと思ったよ。寄らば切ると言っただけだ。でも,確かに「寄らずとも切る」とは言わなかった。くやしいけどさむらいは論理的には間違っていない。でもひどいとは思わないか。論理的に正しいけどひどいよ。論理的に正しいからいいなんてこともないんだ。論理は考えの道を照らしてくれるけど,そこに進むかは君次第なんだ。そこに穴があると教えてくれても,そこに進んで落ちるかどうかは君次第なんだ。だから勉強するのはいいけど,勉強したからってそれだけじゃだめなんだ。勉強するとか努力することが考えもせずにとにかくいいことなんて信じてはいけない。どうして勉強するのか,どうして努力するのか考えて欲しい。「また考えてみて」だって? まあ,そうなんだけど。

火は身のまわりにあって,生きていくのに必要なものです。
土は身のまわりにあって,生きていくのに必要なものです。
水は身のまわりにあって,生きていくのに必要なものです。
空気は身のまわりにあって,生きていくのに必要なものです。
放射線は身のまわりにあります。

このビデオはこう言っていたね。僕は「寄らば切る」のさむらいよりも,くどいだけひどいと思ったね。よくわからない? うーん。そうだなあ。僕はね,マー君がこういうビデオを見た時に,ちょっとだけ考えて欲しいんだ。先生が言ったことは素直に聞くものだと先生に言われた? 確かに。それで君の安全と健康が守られるなら,僕もそう言うだろう。君が将来安全に生きていけるならそれでいい。でもね,もしかしたら,僕達は君の安全と健康を守れないかもしれないと,僕は思うようになったんだ。こんなことを君に教えないと君が将来困るかもしれないということになってしまった。ゴメンネ。でも,僕がしてあげられるのは,こんなふうに考え方をちょっとだけ教えてあげることだけなんだ。

え,どうして僕がこんなことを話すかって? いいところに気がついたね。むしろ気がつかなかったら困ったことだった。ビデオを作った人達と同じように,僕も君に伝えたいメッセージがあるからさ。ここにあるのは僕のメッセージだ。このビデオを作った人が伝えたいこととは多分,別のメッセージなのだけどね。どうして僕が君にこういう話をするのか,それを考えるのもとてもいいことだと思うよ。

君が僕を考えずに信じたらそれは残念なことだ。僕の言うことを疑って考えて自分で理解して欲しい。僕の言うことをそのまま信じるような人になっちゃあいけない。僕も間違いをする。「考えてみてよ」でしょうって。その通り。「ひとしさんが,ひとしさんを信じないようにって言うけど,信じないようにってことを信じたら,ひとしさんの言う通りだ。でもそれは駄目ってひとしさんは言うのでしょう。何もできないよ」って? まいったな。いや,すばらしい。マー君,君は論理学を本格的に学ぶ準備ができているよ。

僕が君にこういうことを言うのは,簡単に言えば,この社会には民主主義という方法があって,その場合,大多数の人が騙されたら,僕もその人達と一緒に強制的に騙されないといけないことが多いからなんだ。そして僕は騙されたくない。だから,騙される人はできるだけ少なくしたいんだ。なんだい? 自分が騙されたくないだけかって? エゴと言われるかもしれないけど,確かにそれは大きな動機だよ。僕も若い頃は,僕だけ騙されなければいいと思っていたこともあったよ。でも皆が騙されないようにならないと,困るというのも本当さ。もちろん僕がマー君を好きで,君が騙されて欲しくないといういうのもあるから,君にまず話をしているんだけどね。

マー君,君が自分で考えて理解して判断するようになりますよう。皮肉に聞こえるかもしれないけど,このビデオは批判的思考法を鍛えるにはとても良いビデオだった。本当だよ。マー君には,情報が来た時に,「何を言っていないのか」「メッセージは何か」を考えて情報に触れるようになって欲しい。

紫外線の説明と放射線の説明を並べたもの。紫外線も放射線も目に見えないと説明しながら,矢のような形をしており,放射線にだけはさらに「目」がついている。さて,このビデオの作者は,何を意図して放射線だけに「目」をつけたのだろう? 考えてみよう。
紫外線の説明と放射線の説明を並べたもの。紫外線も放射線も目に見えないと説明しながら,矢のような形をしており,放射線にだけはさらに「目」がついている。さて,このビデオの作者は,何を意図して放射線だけに「目」をつけたのだろう? 考えてみよう。

次回はこのビデオの語らなかったもう一つのこと,科学的と安全ということについて話をしよう。

ひとし

福島県教育委員会作成放射線教育用学習ビデオ教材についての勉強会(1)

1. 勉強会報告について

1 月に SNB では,福島で行なわれている放射線教育のビデオ教材についての勉強会がありました。この記事はその報告です。この報告は 3 回に分かれています。

今回の報告では,教材の内容についてよりも,私がこの教材を見てどのようなことを考えたかについて書くことにしました。

視点としては,私が一番なじみのある,技術者の目を通して見たらどうなるのか,を考えました。ある意味,このビデオは平凡な物を作っている技術者の持つ,critical thinking から見て面白い教材です。これを教材に他のビデオを見る目を考えることを念頭に置きました。

私はソフトウェア技術者なので,ソフトウェアの不具合 (それをソフトウェア技術者はソフトウェアのバグ (虫) と言います) などを追いかけることがあります。この場合,ソフトウェア技術者はある意味,探偵の目でバグを追いかけます。どこかにソフトウェアの問題になる犯人 (バグ) が隠れている。なぜ犯人が隠れているとわかるのか? それはたとえば,ソフトウェアがクラッシュするなどの目に見える症状があるからです。そこでその症状を起こす犯人がここにいるのならこれがあるはずという仮説をたて,それを検証していきます。また,もしそれがないということはここにはいない。というふうにも考えていく視点です。あるいはそれがないということは,この犯人はこうしたはずだ。というふうに「何かがない」ことも犯人を追う一つの手掛かりになります。ソフトウェアの場合には,犯人を追うための道具にバグがあったり,ある時には,コンピュータ (ハードウェア) が実は壊れていることもあります。そういう意味では探偵仲間に裏切りがあることもあります。しかしこの記事ではそこまでは考えませんでした。今回は,このビデオが何を言ったのか,そして何を「言わなかった」のかを考えることになります。

また,「科学的」と言えば,いいことだとつい無条件で考えてしまう,「役に立つ」ものなら無条件でついいいことだと考えてしまう,「安全」と言えば,その安全の意味は何かは実はあまり考えたことがない。そういうこともよくあると思います。そんなことも一歩立ち止まって考えてみたらいいのではないかなと考えて書いてみました。

この勉強会については私のような視点だけではなく,他の視点からもいろいろと書けるのではと思います。少しだけふれますが,一つとしては,このビデオについて情報リテラシーという観点で書くのも面白いと思います。

しかし,キュービズムのように同時に複数の視点を表現することでものをとらえる,というのは,私には荷が重く,その点は私は今回はできませんでした。他の視点からのブログを書いてみたいという人はぜひお願いしたいと思います。

お楽しみ下さればと思います。

2017-1-21 福島県教育委員会作成放射線教育用学習ビデオ教材についての勉強会の様子
2017-1-21 福島県教育委員会作成放射線教育用学習ビデオ教材についての勉強会の様子

2.1 はじめに

今回,Sayonara Nukes Berlin では,福島県教育委員会の作成した,放射線教育用学習ビデオ教材 (平成 27 年 3 月) を 2017 年 1 月 21 日に見る機会があった。

正直,このビデオを見て私は愕然としてしまった。私はその内容についての意見もあるが,それ以前にも,この製作者の考える教育についての疑問である。このビデオを作成した人達がどうしてこのような形でこのビデオを作成したのか考えざるを得なかった。

私の考える教育には,「子ども達が社会に出た時に生きていけるようにするための知識や考え方を訓練する」ことも含まれている。私達の社会は残念ながら理想郷ではない。だからものごとを筋道たてて考えることを子ども達には学んで,そしてできるだけ騙されないように生きていって欲しい。良い人ばかりなら,「君はとてもすばらしい。」とだけ言って育てればいいかもしれない。しかし,たとえば仕事を探すことを考えてみたら,今の社会ではただそこに存在するだけでは生きることは難しい。多分,それは社会の方が間違っているのだろうけれども,では私は子ども達に社会が間違っているから,生きていけなくて残念だねとは言えない。そこで,それぞれの個性の中に,他の人達を助けられるような,そういう部分を伸ばしていって,そして生きていって欲しいと願う。それは私のエゴでもあろう。でも,私は自分や友人の子ども達が世界の中で生きていけるようにするためにできるだけのことをしたい。

ここでは私の視点が述べられる。それは私の経験などに基づいている。だから,私の書くことが唯一の真実だなどとは言わない。私は技術者で物を作っている。物が設計したどおりに動くかどうかは私の感情や希望とは関係がない。私がそこにある物理などを理解しているかどうかに多くがかかっている。私はそういう視点からこのビデオについて議論をしたという話をしたいと思う。他の視点からのアプローチもあるはずだ。それはまたいずれ他の人が書いてくれるだろう。

だから,私は今回はちょっとした寓話の形でこの教育ビデオについて書いてみたいと思う。私には,他に良い話の仕方がわからなかったからだ。そして,私はこのビデオを作った人達に関しては実はあまり関心がない。これを見る子ども達,そしてその親や先生達に考えてみて欲しい。私達は現実の中に生きている。夢の中に生きて,何もしなくても生活ができるような,めぐまれた人達は,現実を認識する必要もないかもしれない。自分が何もしなくても世界ですばらしいとほめてもらってその夢の中で生きていける人達はそれでいい。しかし,そうでない私のような人間は現実を認識し,生きていかなくてはいけない。

甘い言葉ばかり聞いているのは,お菓子ばかり食べているようなものだ。時々食べるお菓子は心にうるおいをもたらしてくれるだろうけれども,それしか食べないのでは,病気になってしまう。私は子ども達にお菓子もあげたいが,でも,ちゃんとした食事もして欲しい。

このビデオについての目的は,福島県教育委員会のホームページ(http://www.pref.fks.ed.jp/committee.html) からのリンクにある相双教育事務所のページでみつかる (http://www.sousou-eo.fks.ed.jp/07%20%E2%85%A6_%E5%8F%82%E8%80%83%E8%B3%87%E6%96%99.pdf) それをまず書いておこう。

指導の重点

  1. 学校や地域の実状及び児童生徒の実態に応じた指導計画及び指導内容を工夫し、実践する。
  2. 放射線等の基礎的な性質について身に付けさせ、自ら考え、判断する力を育む指導方法を工夫する。
  3. 放射線から身を守り、健康で安全な生活を送ろうする意欲と態度を育てる。

この指導の重点を見る限りは良さそうに見える。そして私達は実際のビデオを見た。

次回は寓話的にこのビデオの話をしたいと思う。

ひとし

講演レポート「フクシマ原発事故の健康被害について」

2016.6.14 (火) の 19:00 より,Sayonara Nukes Berlin の主催で「フクシマ原発事故の甲状腺ガン患者の苦悩」という講演が行なわれました.話者は西里扶甬子氏です.副題として,「フクシマ原発事故の甲状腺ガン患者の苦悩」とありました.

西里氏はドイツ国営テレビ放送 ZDF のプロデューサーとして活躍されておられるジャーナリストです.「福島の嘘 (Die Fukushima-Luege)」などのドキュメンタリーの制作に関わりました.今回はジャーナリストの視点から,福島の現状,問題点などの講演をして下さいました.
講演では特に章などはなく,連続的に続きましたが,このレポートでは,話の流れを以下のように分けてレポートします.

  1. 西里氏が取材をした人達の話の紹介
  2. 科学者 (技術者・研究者) とメディアのコラボレーションについての提案
  3. 除染事業の構造的問題
  4. 補償問題について
  5. ドイツ人の疑問
  6. 福島報道における諸刃の刃
  7. 福島第一原発事故から5年,現状は
  8. その他の問題

1. 西里氏が取材をした人達の話の紹介

a. 菅直人と小泉純一郎: 原発推進から反核へ

小泉氏はかつては原発推進をした立場だったが,「原子力はクリーンで安くで安全とずっと信じてきたが,それはみんな嘘だった.」と反対になった.このように,小泉氏は以前推進してきたことも積極的に発言しており,今は反省に立って立場を変えたとしている.

菅氏は事故時の対処に関して批判もあるが,しかし,浜岡原発を停止したことや自然エネルギーのための立法などに奔走したことなどがあり,西里氏はそれなりの評価をしているということであった.

b. 井戸川克隆: (元双葉町長)の以下の発言を紹介

  • 政治(行政・官僚)は「国民のためという基準では動かない.」
  • 行政と企業は「経済優先」というところで癒着している
  • 政府と大企業は平気で嘘をつく
  • ジャーナリストは怒りを持て

井戸川氏は,地域の行政側から被災者(被曝者)になった.地方の行政からすると,問題は山積している.たとえば,漁業復興ということを考える.漁業をする方々が漁業ができないという苦しみをどうするのか.しかし,安全を確認する前にすぐ再開することによる問題はどうなのか.

c. 大学の研究者

  • 山敷庸亮京大教授: 汚染を運ぶ阿武隈側,海洋汚染などについて発表.
  • 小出裕章: 反核の科学者

国立機関にいるものとして発言が難しいこともあることを紹介.

d. 汚染地域に住む被災者の人達

  • 吉澤正巳: 黒毛和牛生産者
  • 松村直登: 富岡町,避難時に受け入れ先で拒否された経緯などの紹介

e. 市民運動

  • 根本淑栄: 県民健康調査の前線で起きていることの紹介.

土に生きる人達はどうしても作っている.福島産の野菜などを食べて助けようという人達と,ちゃんと測ってからにしようという人達,同じ福島県民の中での軋轢,分断がある.

2. 科学者 (技術者・研究者) とメディアのコラボレーションについての提案

コラボする分野は何か

  • 廃炉作業の進捗状況 (核燃料の状況)
  • 3 炉メルトダウンという大事故が起きた原因と経緯を明らかにする
  • 住民の避難,ヨウ素剤配布や,同心円状の避難区域の設定,Speedi のデータ
  • 隠蔽を含めた事故対応の反省と検証,責任の追求
  • 風向きを考慮した避難訓練も実施されていたが,事故の時には Speedi データが出てこなかった.このようなことについての反省や検証はどうなっているのか
  • 福島県民健康調査の嘘を科学的に,判りやすくみる必要がある
  • 甲状腺癌発症の実態についての詳しい調査と報道の必要性

3. 除染事業の構造的問題

除染事業はゼネコンや,地域の建設業者などが請け負う.多くは除染の知識がない人達である.ゼネコンも地域の建築業者も原子力に関しては建設も請け負い,除染も受けおう.このために,事故の前は建築の仕事があり,事故が起きても除染の仕事になるため,事業者としては事故に関する関心は薄くなる.

4. 補償問題について

「人道と社会正義」に軸足をおいて監視するべきであろう.その際,中立はメディアにとって一番大切なことではない.客観的であることは必要であるが,腐敗や不正を暴く役割はメディアの役割であろう.なぜなら,被災者や一般人は弱い立場である.それを中立の立場のために,弱者側と権力側とを同じに扱うことはメディアに求められることなのであろうか? そうではないと西里氏は提案する.

5. ドイツ人の疑問 (2013年11月)

a. 日本人はなぜ怒らないのか.ドイツなら暴動が起きているはず.

ドイツにはチェルノブイリ事故の国民的トラウマ(ポジティブな意味で)がある.日本人は戦わない国民性,権力に支配されることに慣れている,あるいは支配されていることにも気がつかない,気がつく必要を感じない国民性があるのかもしれない.

b. これだけの事故でなぜ誰も逮捕されないのか? 責任は誰が取るのか?

班目春樹氏の発言などを挙げ,犯罪的嘘ではないかと疑問を呈している.また,説明を市民にする際に,ごまかそうとしているような発言は説明責任を果たしていないのではないかと疑問を呈している.たとえば,水素爆発時の「なんらかの爆発的事象が起きた」という発言など.

c. なぜ東電が今でも存続しているのか?

d. 日本のメディアはどうなっているのか?

6. 福島報道における諸刃の刃

a. 甲状腺癌患者 (2015 年12月31日集計で甲状腺癌及び,その疑いのある患者は 166 人) が内部告発的状況にあること

政府が因果関係を認めていない現状では,報道で自分の状況を告白しようとしても難しい.他の被曝者で潜在的な人々(まだ癌とはされていない人々)から,そういうことを言うと,今後差別されるかもしれないのでやめて欲しいという圧力があることもあると取材で判明.

被害者,またはまだ発症していないがおそれのある潜在的被害者は 0 から 18 歳という若者たちであるため,本人のみならず,親兄弟姉妹の苦悩が深い.西里氏は,過去ヒロシマ,ナガサキで行なわれた差別のような状況との類似を指摘した.たとえ,実際に甲状腺癌を発症し,手術しても,おそらく遺伝的なものであろう.などと診断されることがある.

b.汚染地域の明暗と除染事業

浜通り,20 キロ圏,30キロ圏,とその外側との補償や避難に対する援助に格差 がある.汚染や被曝の実態は同心円状ではない.ホットスポットなどがあるが その対応が困難である.

以下のような基準値の引き上げによる実態の深刻さを隠蔽

  1. 公衆被曝上限 1mSv/y から 20mSv/y
  2. 放射性廃棄物基準 100Bq/kg -> 8000Bq/kg (仙台湾の海底の泥 4000Bq/kg)
  3. 体表面汚染のスクリーニング基準の変更 13,000CPM -> 100,000 CPM (CPM = Count Per Minites)
  4. 原発労働者の緊急作業時被曝限度 100 mSv -> 250 mSv
  5. 30 キロ圏の外では避難していない人々が多く,報道の対象にもなっていない.
  • 避難できない以上は除染はして欲しいとの住民の要望がある.
  • 汚染物の行き場はまだない.生活圏(仮仮置き場) に積んである.
  • 山や森の除染は無理
  • フレコンバックは 3 から 5 年の寿命で,そろそろ寿命.

7. 福島第一原発事故から5年,現状は

2016年2月15日第22回「県民健康調査」検討委員会で発表された中間とりまとめの次のような要旨

「福島県の放射線量は低い,甲状腺集団のほとんどが受けた線量は 1 mSv 未満だった.甲状腺検査の最少年線量ではこれまでガンは発生していない.スクリーニング効果および,治療した場合は過剰診療になりうる.リスクコミュニケーションが不可欠である.」

と,最大の問題は Radiophobia (放射能恐怖症) という重松逸造氏などの言葉をひいて,一般人の立場からみると,論点のすり替えと非科学的詭弁に見える.事故は起き,危険はある.どういうものかを明らかにし,対処すべきではないのか.「放射線の影響は,実はニコニコ笑ってる人には来ません.クヨクヨしてる人に来ます.」で終わっていいのか,リスクコミュニケーションで対処する前にすることはないのか,という疑問を提示した.

第23回県民健康調査検討委員会(2016 年6月6日発表) で甲状腺癌の患者数が 166から 172 人になったこと,甲状腺癌家族会が 2016年3月12日に発足したことを述べた.これは,患者家族間の交流のための会で 311kazoku.jimdo.comにサイトがある.

8. その他の問題

  • 廃炉事業,汚染水,凍土壁,労働者と被曝の問題
  • 帰還問題
  • 除染と廃棄物の保管問題
  • 健康障害,メンタルヘルスという結論に抗して被曝手帳などを発行
  • 補償の問題
  • エネルギー問題と再稼動の問題
  • 地震王国日本
  • 特定秘密保護法,メディアの弱体化

最後に,核について長年とりくんでこられたことからか,最近の米大統領広島訪問についてのコメントがあった.

2時間に及ぶかなり長い講演であったが,講演中には会場からもコメントなどがあり議論もあった充実した講演会であった.

プロフィール

西里扶甬子 / Fuyuko Nishisato: 海外メディアの日本取材時におけるコーディネーター/フィクサー、インタビューアー、ディレクターとして活動。2001年からはZDF東京支局を中心に活動。現在はフリーランサーとして、これまでの経験を基に独自の取材を続けている。著書に「生物戦部隊731」 (2002年草の根出版会)。「七三一部隊の生物兵器とアメリカ」(2003年ピーター・ウイリアムズ、デヴィッド・ウォーレス著かもがわ出版) の翻訳。

ソーラーハウス (Effizienzhaus) 見学

2016 年 2 月 1 日に何人かで Berlin の Fasanenstrasse にあるソーラーハウスを見学する機会がありました.このソーラーハウスは Bundesministerium fürUmwelt, Naturschutz, Bau und Reaktorsicherheit によって実験として建てられたものです.プロジェクトは Effizienzhaus Plus mit Elektromobilität と言い,「電気自動車を含む効率的家屋プラス」とでも訳せばいいでしょうか.

このソーラーハウスはドイツでは 35 件建てられたエネルギー効率の高い実験用の通常の家屋の1軒です.それぞれが異なる建築家によるもので,一件一件異なります.ベルリンのものは写真のようにかなりモダンなキューブ形状です.しかし,伝統的なドイツの家のようなものもあります.

Berlin にある Effizienzhaus Plus
Berlin にある Effizienzhaus Plus
Effizienzhaus Plus 内
見学会での説明会 (Effizienzhaus Plus 内)

エネルギーの効率的な家屋,と言っても Plus と名前にあるように,省エネではなく,「年間で作るエネルギーが消費するエネルギー以上になる家」の実験として建てられています.これは電気自動車 1 台を含みます.それぞれの家では,公募で選ばれた家族が1 年住んでエネルギー消費の実験をします.この家にはこれまで 2 家族がそれぞれ 1 年住みました.

この家はソーラーパネルを使って電気を生産し,蓄電池に貯める方式です.この家の建築家は家庭でのエネルギー消費は,主に朝,そして夕方から夜にかけてあり,昼は家族が仕事や学校に行くために下がると予想し,ソーラーパネルを東と西の壁に設置してあります.また,外観 (色) を重視したため,エネルギー変換効率が10% と比較的効率の低いパネルを利用しています.

ドイツでは家屋では暖房でのエネルギー使用が大きいので,窓は 3 重構造の熱を伝えにくいもの,換気には熱交換器,暖房はヒートポンプを利用し,南側と北側は大きなガラスで採光を重視,また,電灯は LED を利用,壁も断熱を重視するなど,様々な省エネの技術を利用しています.また電気エネルギーだけで全てすむようにガスなどは利用されていません.

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熱を逃がさない 3 重構造ガラス

実験結果は,初年度には家で消費する分のエネルギーは生産できましたが,自動車の分まではまかなえませんでした.しかし,この家ではエネルギー消費をモニタリングしており,2つの大きなエネルギー消費源が特定されました.1つは熱交換器が製造した会社の説明通りに作動しなかったことで,これは交換されました.そして,リビングからすぐ階段がありますが,リビングの熱が階段に抜けていくことも判明しました.そこでリビングの出口にガラスのドアを1枚設置しました.この変更の後,2年目にはこの家で生産されたエネルギーの総量は年間を通すと,家屋と電気自動車のエネルギー消費を含めて上まわりました.また,動きセンサーライトは,猫を飼っていた最初の家族には合わないという話もありました.

様々な最新技術が使われているのに,目標達成には結局「1枚のドア」が足りなかったということは興味深いことでした.やはり,実際に実験する必要があるのです.また,利用者のマインドが省エネをあまり考えずに,少し浪費する傾向があったことです.確かにエネルギーが全部自分の家で生産されるとなると,あまり省エネを考えなくなるかもしれません.しかしそれは社会のマインドとしてどうなのかという新しい問題を提起します.あとは,空気の熱を逃がさないという意味では窓は開けない設計というものもあるそうなのですが,住んだ家族には窓が手動で開けられるということは重要な要素だという結果などもあります.これらの結果は全て online で見ることができます.

さて,ここからは私の感想です.

私がこの家を見て思ったことは,「こんなボーグキューブみたいな家には住みたくないな」でした.ただ,これはこの家が3年で解体する実験予定だったことや,建築家のデザインによるもので,他の Effizienzhaus Plus には「この家なら住んでみたい」というものもありました.また外観は私の好みではありませんが,内装は良かったと思います.

今回の見学では,技術の成熟が見えてきたことが印象に残りました.この家は既に 2012 年のものですが,ドイツの技術は既に,

省エネではなく,エネルギー生産であること

です.そして,先にデザインの好みの話をしましたが,私が感じた問題は既に技術的な性能問題ではありません.デザインが重要になってきたということは技術が成熟してきていることを示していると思います.私は 1999 年に 5 色の iMacというコンピュータが登場した時のことを思い出します.私にとって,コンピュータは性能でした.「CPU が Power PC 750 の 266MHz はいいが,メモリが少ないかな.」などと思っていました.しかしその当時,あまりコンピュータになじみのない人達が,「何色の iMac がいい?」と,色の話をしていたことに驚きました.インテリアのデザインの一部としてコンピュータが考えられた時,技術の成熟を感じました.一般に広まる時には,性能はあまり問題ではないのだと驚きでした.

今回の家でもそうでしたが,ソーラパネルの性能は落としても色を重視するというデザインが考えられていました.今後重要なのは,色のあるソーラーパネルなどかもしれません.今後,様々な色のパネルが生まれ,それがデザインとなって,やがてソーラーパネルとはわからなくなる時に,この技術はより成熟するのでしょう.このような家は,エネルギー効率だけを語る時代ではなくなりつつあるまで進歩していました.たとえば,緑のソーラーパネルのある家は,遠目には庭の植物と一体化するようになるかもしれません.

自然エネルギーの他のもの,例えば風力も,風力と見てわかるようなものではまだまだかもしれません.それはオランダの風車のように風景となる方向に進歩するかもしれません.もしかしたら遠くから見たら木のように見える風力発電機ができるかもしれません.垂直軸発電方式など既にある技術がやがて景観を考えたデザインとなる日が来るでしょう.風力発電地域はいつか森のようにしか見えないという時が来るでしょうか.いや,本物の森の木々の中に気がつかないように風力発電機がある,そういう形で技術が成熟していくのかもしれません.発電所は自然がいっぱいある公園であるという未来をふと想像してしまうような家でした.

自然エネルギー促進のための共有経済の試み

自然エネルギーへの転換を進めるために,市民にできることはなんでしょうか.私は時々そういうことを考えます.今日は共有経済という考えを使って,自然エネルギーへの転換を図っている人達の記事を紹介します.

共有経済 (Sharing economy) はモノやサービスという資源を共同で利用する形の経済活動です.ソフトウェアの共有という形で Open Source が,オークションの共有という形で eBay が,Uber のような車の共有,Airbnb や CouchSurfing のように部屋の共有などがあります.もちろん,時には行きすぎて共有の範囲を越えてしまう問題なども含みながら,それでも様々な共有経済がでてきています.

自然エネルギーも共有経済を使えないでしょうか? 私はアパート暮らしで,屋根がありません.ソーラーパネルを自分の家の屋根に置くことはできません.風力発電機を置く庭がありません.しかし,IT の力で同じことはできないでしょうか.屋根はあるが,ソーラーに投資するお金がない人と,ソーラーに投資したいが,屋根がない人をつなぐのはどうでしょうか.

実はそういう経済が始まっています.2015年 4 月にソーラーの共有をはじめたのは,Yeloha [1] というアメリカのスタートアップです.たとえば,65 ドルで1 枚のソーラーパネルを 1 年間借りることができます.発電した電気は,屋根を貸した側が買ったり,売電し,そのうちの何割かが投資者に戻る形になっています.これで投資対象になるほどのお金もうけができるかというと,それははっきりしないのですが,自然エネルギーの発展を望む市民が少しだけ投資することに参加できるようになります.そしてそれは自然エネルギーの発展に寄与できます.Yeloha では,屋根を貸す側の地理的条件や,建物などを判断して年間どれだけの電気が作れるかなどを評価するソフトウェアを開発しているようです[2].

このような考えやビジネスが小規模の風力発電,バイオ発電などにも適用され,自然エネルギーの発展を進めてくれたらいいなと私は考えました.こういうものが日本やドイツでもでてこないかと期待します.

現在(2016-1-23(Sat)),原油の価格が下がっています.これでエネルギーの価格が少し安くなるでしょうが,こういう時にこそ地産地消の自然エネルギーに投資しておくのが良いと私は思います.再びエネルギー価格がグローバルで上がった時への備えとなるからです.

参考文献

  1. Yeloha, http://www.yeloha.com/
  2. Lauren J. Young, Startup Profile: Yeloha Brings Solar Into the
    Sharing Economy,
    http://spectrum.ieee.org/at-work/start-ups/startup-profile-yeloha-brings-solar-into-the-sharing-economy,
    IEEE Spectrum, Nov. 2015