高雄綾子先生を招いて。

8月30日。横浜市で市民測定所を立ち上げられた代表のひとりである高雄綾子先生にお越しいただき、“食の安全と市民測定所~震災後2年間の活動”と題して講演会を行った。

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福島第一原発の事故以後、友人の中には放射線測定器の購入に踏み切った者もいた。やはり子供を抱える母たちはいち早く敏感だった。高雄先生のお話によると、横浜の市民測定所にはチェルノブイリで活躍したと云われるセシウムを測定するためのATOMTEX 1320Aという測定器があるそうだ。立ち上げ当初、賛同者から寄付を募り、この150万円の機械を購入する事が出来たと言う。この様な高価な装置を用いても食品の測定には大変な労力を伴うと言う。

例えば、水分の多いものほど値が低くなるなど、測定が困難になる。肉や魚などは、非常に細かく刻み、測定中の腐敗を防ぐための処理を施すなど、主婦を中心としたボランティアメンバーたちが試行錯誤を重ね、限られた時間の中で様々な食品の調査をされているということだ。

こうした活動が実を結び、横浜市では、こちらの市民測定所のウェブサイトでの発表を意識するに至り、現在では神奈川県の他の市に比べ、横浜市の自治体による放射線測定数が増え、学校給食での産地の公開などから市民が子供に与える食品を選別する機会が持てる様にもなったということだ。ひとえに尽力された市民測定所のみなさんの努力の賜物である。食品の測定依頼は主に有料で行われ、または既出の測定結果もすべてが無料で公開されているわけではない。これは市民測定所の厳しい台所事情にもあるように、事故後2年を経て、活動を支援する為の会員数が半減するなど人々の関心が薄れつつあることも起因する。

今後、取り組んでいかねばならないことは、水産品の汚染についての測定だろう。今までの汚染状況やこうした測定結果などは、チェルノブイリの事故後にも見られた様子に酷似しているそうだが、私たちは未だかつてなかった大規模な海洋の汚染と云う未曽有の危機に瀕している。

もっともっと、海産品の汚染状況を調べていかなければ。しかし、魚をキロ単位で購入するコストや、セシウムばかりでなくストロンチウムまでもを調べるための機械は1500万円もするばかりか24時間の監視体制も必要だと言う。人々の不安や真実を求める声が、こうした市民測定所の支援に繋がればと切に願う。

本日のお話にもあったように、何をどこまで許容できるかはあくまで個人の問題である。市民測定所は、正しい知識を正確に伝えていく事で、市民がやみくもな不安に陥れられることなく日常を送る事ができる手助けに他ならない。台所を預かる一主婦としても(ジェンダーのみなさま悪しからず)、私の持てる責任は大きいのだな、とつくづく感じさせられる講演となった。

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難しい勉強会の合間に、癒しの歌声がWerkstadtに響く。

ベルリンに在住して間もないソプラニスタ皆川卓志氏が「Amazing Grace」をアカペラでの披露。9月3日のイベントでは、彼の新たな挑戦を見せてくれる。
イベント詳細https://www.facebook.com/events/1409172132630648/

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既におなじみとなった放射線テレックスのトーマス・デアゼー氏にも、来場者からの質問に答えてもらえることとなった。チェルノブイリから27年。未だ汚染の深刻な被害が残るドイツの水道水は調査され続けているのか、食品汚染のその後はどうなっているのだろうか。日本の現況を含め、続きは後日コラムにて。

講演中に発表のあった、日本全国での測定結果の統合を目指すフォーラムはコチラhttp://minnanods.jimdo.com/

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多忙な滞在期間中にも関わらずボランティアでこのような機会を設けて下さった高雄先生をはじめ、デアゼー氏、皆川氏にこの場を借りてあらためて感謝の意を表したい。

最後になるが、今回よりWerkstadtでの室料が発生する事になった。ご協力いただいたみなさまにも感謝したい。また、この日のグッズの収益と募金75.30ユーロは今後の脱原発運動に役立てたい。R

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高雄綾子:フェリス女学院大学国際交流学部専任講師。東京大学大学院教育学研究科満期取得退学。専門は社会教育学、環境教育学。ドイツの環境市民運動が社会の多方面に影響を与えたことに関心を持ち、環境教育の分野からその影響を研究中。

横浜市民測定所共同代表。http://www.ycrms.net/

高雄先生のチェルノブイリ事故後のドイツ市民測定所運動と市民の学びについてのコラム

http://econavi.eic.or.jp/ecorepo/live/series/34

 

Endstation Krasnokamensk

先日、ロシアのウラン採掘場のある街についての映画
Endstation Krasnokamensk. Ein Heimatbesuch (Final Destination Krasnokamensk. A Visit Home)
を見ました。
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クラスノカーメンスクは、中国とモンゴルの国境の近くにある人口5万5千人ほどのロシアの街です。1963年にこの街の近くでウランが発見され、1969年に街ができました。延々とステップが広がる「なんにもない」ところに、ウランを採掘するために作られたこの街では、毎年3000トンのウランが採掘され、それはロシア全土のウラン生産の90%を、世界レベルでみると約10%を占めているそうです。

「地の果て」にあるウラン採掘の街には刑務所もあり、数年前にそこにロシアの大物実業家が収監されたことで注目を浴びましたが、メディアにおけるこの街の描写というのは惨憺たるものです。
この映画の監督の一人であるオルガさんは、16歳の時にこの街を離れてドイツに移住しました。クラスノカーメンスクで子供時代を過ごした彼女にとって、自分の記憶にある街と、メディアで取り上げられる街には大きな隔たりがありました。実際にクラスノカーメンスクとはどんなところなのかという彼女の問いに加え、そこで暮らしているであろう、会った事のない彼女の父親を探すというのが、この映画のストーリーです。

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かつては地図にも載せられず、訪れるには特別な許可が必要だった街、クラスノカーメンスク。
どんなに物々しいところだろうか?
放射能の影響はどれほど深刻なのだろうか?
住民はどんな犠牲を強いられているのか?
そもそもそんなところで撮影をして大丈夫なのか?
そういう思いでこの映画を見ると、カメラに映し出される人々の明るさ、素朴さ、そして無邪気ともいえる雰囲気にびっくりするでしょう。街の成立40周年のお祭りに沸く街に、放射能汚染の影をみつけることはできません。
40年前に作られたであろう団地が立ち並ぶ町並みは、私の感覚では美しいとはいえないのだけれど、インタビューを受ける人々は口々に彼らの故郷の美しさと「普通さ」を強調します。ウソをついているのではなく、故郷に対する愛着と誇りから本心で言っているのでしょう。ドイツからはるばる戻ってきたオルガさんは人々に暖かく迎えられ、カメラを向けられた人はみな、それぞれの言葉でクラスノカーメンスクを語ります。

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「放射能の影響はないんですか」という問いをオルガさんは至るところで発するのですが、人々はいたって無頓着です。全然大丈夫だと言い張る行政側だけでなく、一般の住民からウラン鉱山で働く労働者まで、誰も深刻に考えていません。「ウォッカを飲めば大丈夫だとどこぞの教授が言っていた」だの、「どのみち死ぬんだからいいんじゃないか」だの、「汚染された石や服を家にもって帰るわけじゃないから平気だ」だの言う人がいる一方で、「気にはなるが、だからといってどうすることもできない」というのが大方の意見のようだと思いました。
「気にはなる」という程度で留まっているのは、言うまでもなく、クラスノカーメンスクの人々が放射能に関する知識とそれに対応するための十分な情報を持ち合わせていないからです。
行政側が根拠にする統計では、放射能による明らかな健康被害を証明することはできません。
病院は先天性異常や流産に関して「そういうこともあるけれど、それはタバコやお酒の問題なのだと思う」という返事をします。体調が悪いと言う人も、それを放射能のせいだとは断言しません。
事故で亡くなれば本人が悪いということになり、働けなくなってもちゃんとした補償はされません。
一方で、若くして亡くなった人の話や、肺の検査をうけるように勧める通達が貼られていたりと、そこここに放射能の被害が現実にあるのではないかと思わせる部分があります。

実際にウラン採掘に関わっている人々はというと、彼らの関心は放射能ではなく、労働条件です。
ソ連時代は非常に優遇されていた労働者が、今では生活の基盤すら脅かされる程度の賃金しか与えられず、彼らいわく「奴隷のような」労働に駆り出されているのです。昔からウラン採掘に関わってきた人々にとって、正体のつかめない放射能より、日々の生活に直接響く労働条件のほうが深刻なのです。
かつて国の根幹をささえているのだという誇りを持って働き、それに見合った待遇を受けていた人々が、今では私有化された企業の末端で使い捨てにされている。その現実に労働者は憤っても、ウラン採掘そのものを問題視することはありません。

「どうしようもない。」これがクラスノカーメンスクの人々の放射能に対する認識なのだと思います。労働条件の悪さを訴えれば「嫌なら辞めてください」と言われるだけ。クラスノカーメンスクを出ようにも、どこへ行って何をして暮らせばいいのか。人々はその閉塞感の中で、「今までどおり」に暮らしているのです。

映画が終わってから、監督の二人を前に質疑応答がありました。
ジャーナリストの女性が、「なぜもっとちゃんと調査しなかったのか、問題だと思う」という意見を述べ、面白い議論が起こりました。「これはロードムービーであって、ジャーナリズムの作品ではない。厳密な調査をするとなれば全く違う作品になっていただろう。クラスノカーメンスクのいろいろな立場の人に話をきけたが、ひとつの結果を出そうという意図はない」というのが監督2人の答えでした。
もう一人のジャーナリストの女性が「こういうテーマを扱うのに無責任なのではないか」というようなことも言いましたが、それは会場からもブーイング。私も、この映画が「ひとつの真実」を追求するのではなく、クラスノカーメンスクに存在する「たくさんの事実」を描き出したことを評価したいと思います。
原子力産業は、ウラン採掘から放射性廃棄物の処理に至るまで、多くの人々の生活と結びついたものです。それは、日本でも言えることではないでしょうか。原発をやめるとなったら、今までそれに依存してた自治体や人々の生活はどうなるのか。地域の誇りだった産業が悪と断罪された時、人々はその故郷とどう向き合えばいいのか。

質疑応答のあとで、もう一人の監督であるマリアンネさんと話をしました。はじめてクラスノカーメンスクに行ったのが2009年で、映画が出来上がったのが2012年ということで、その間に起きたフクシマの影響はあったのかと聞くと、全然なかった、との返事。「心配する声があったとすれば、それは原発が減ることで彼らの仕事が無くなるのではないかという事だ」という話を聞いて、なるほどと思いました。そこにウラン採掘を環境や健康の問題として考える私たちと、生活の糧としてとらえるクラスノカーメンスクの人々との決定的な立場の違いを読み取ることができるでしょう。

低予算の映画なので、大きな映画館で定期的に上映されることはないと思いますが、(ロシア語のインタビューにドイツ語のナレーションと字幕なので)ドイツ語かロシア語が堪能な人にはオススメです。(文責:KIKI)

参考
Endstation Krasnokamensk. Ein Heimatbesuch. Ein Dukumentarfilm von Marianne Kapfer & Olga Delane. 87min (2013)
トレイラー(英語):https://www.youtube.com/watch?v=dgjJF0sz_Bw
写真はフェイスブックからお借りしました。

内部被曝を考える

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環境フェスティバルの翌日に行った勉強会「東電福島第一原発大惨事の今 ―放射線内部被曝による健康障害―」について、まとめておこうと思います。

今回お話を伺ったのは、岐阜環境医学研究所所長の松井英介医師です。呼吸器学や放射線医学の専門家で、フクシマ以降は内部被曝の危険を訴えて、日本のみならず海外でも積極的な活動をなさっています。かつてベルリンで研究をされていたこともあり、ベルリンは第二の故郷とおっしゃる松井さん。「松井先生」とか「松井医師」という肩書きをつけてより、つい「松井さん」と呼びたくなるような、朗らかで親しみやすい雰囲気の方です。(ということでここでは「松井さん」と表記します)

松井さんは「見えない恐怖 放射線内部被曝」の著者でもあり、「市民と科学者の内部被曝問題研究会」の呼びかけ人の一人でもあります。内部被曝の専門的なことはそちらを参考にしていただくとして、ここでは、今回のお話の中で私が特に興味深いと思った点を挙げておきます。

まず、内部被曝とはなにか、という根本的な問いですが、これは外部被曝(たとえば原爆)と比べると分かりやすいと思いました。外部被曝がおもにガンマ線が外から身体を貫いたときの影響であるのに対して、内部被曝は、身体の中に沈着したさまざまな放射性物質からくり返し長期間にわたって照射される、おもにアルファ線とベータ線による影響です。
内部被曝の場合、影響を及ぼす放射線量は低レベルなのですが、放射性物質が体の中に留まって、そこから放射線を出し続けることにより健康被害が出ます。体のなかに取り入れられた放射性物質は、その性質によっていろいろな部分に溜まります。セシウム137は筋肉や心臓に、ストロンチウム90は骨や歯に、というように沈着して体の中にホットスポットができます。

内部被曝について考える場合、チェルノブイリ事故後の被害をみるのがよさそうです。主にガンマ線による高レベルの外部被曝である原爆の影響は、フクシマ後に微量の放射線を体に取り込み続けている現在の私たちの状況とは違います。しかし、現代の医学の基本にもなっているICRP(国際放射線防護委員会)の基準が、ヒロシマ・ナガサキの外部被曝の影響を元に推定したものなので、体の場所ごとに影響が違う内部被曝については過小評価されているそうです。
被曝の自覚がない人々に深刻な健康被害が出たという点では、イラク戦争で使われた劣化ウラン弾による被害も放射能の「見えない恐怖」を知る手がかりになりそうです。

フクシマが起こってから、必要に迫られて「放射能ってなんだ?」ということを調べだした私にとって、全く実感できないものの存在とその危険性を日々の生活の中で考えるというのはとても難しいことです。今回のお話を通じて、被曝を避ける云々以前に、そもそもそこに危険なものがあるということを突き止めてデータとして出すのが難しいことなのだということがよくわかりました。
たとえば、ホールボディカウンターでわかるのはガンマ線だけ。そうすると、ベータ線しか出さないストロンチウム90やアルファ線しか出さないプルトニウム239は測れない。空間線量を測るガイガーカウンターのようなもので食品の汚染濃度を測ることもできない。
松井さんが問題視していることのひとつに、日本での食品検査の際にストロンチウム90が計測されていないことがあります。ウクライナやベラルーシなど、チェルノブイリの影響が大きいところの調査では、セシウム137とストロンチウム90の許容線量限度値が決められたのですが、日本ではストロンチウム90が無視されています。ストロンチウム90はカルシウムと似ていて、骨に溜まる性質があり、内部被曝を考える上では非常に重要です。検出される量はセシウム137と比べ少ないのですが、ストロンチウム90の健康リスクはセシウム137の約300倍もあるそうです。
旧ソ連でできたことが、なぜ現代の日本でできないのか、などというと語弊はありますが、移住の問題にしろ、検査の問題にしろ、フクシマをめぐる日本の対応を見ていると、チェルノブイリから学ぶべきことはまだたくさんありそうです。

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松井さんのお話の中で、文系人間な私に特に響いたのは、原発というものの歴史的・社会的背景についてです。フクシマは起こるべくして起きたことなんじゃないか、私たちは清算できていない負の歴史の延長線上にいるのではないか、と思いました。原発を考える上で、第二次世界大戦や、原爆や、戦後の原子力政策を無視することはできません。

WHO(世界保健機構)は1959年に「IAEA(国際原子力機関)の了解なしに情報公開・研究・住民救助をしてはならない」という協定を結んだことにより、原子力に関する活動の自由を奪われているそうです。
原子力産業と結びつきの深いICRP(国際放射線防護委員会)が作った基準は原爆の情報をもとにしており、原子力産業に都合のいいようになっています。

「安全だ」「大丈夫だ」と言っている人々や団体は、何を根拠にそう言っているのか。彼らの示す「科学的根拠」はどこまで信用できるのか。背後にどんな権力やお金が潜んでいるのか。集めた情報をどうするのか。そういうことを疑ってかからないと、被害者はいとも簡単に「人体実験」の道具になり得てしまうばかりか、それを傍観する市民は結果的にその無責任な行為に加担するはめになってしまいます。

そんなおおげさな、と思うでしょうが、そこが私たちが歴史から学ばなければいけない核心部分だと思います。
731部隊の資料や原爆の被害者の資料はなぜアメリカに渡ったのか。
戦後に罪を問われなかった「戦犯」たちが何をしたのか。
第五福竜丸の事件後に起きた反原発(水爆)運動はなぜ消えたのか。
核のゴミで作られた劣化ウラン弾とは一体なんだったのか。
ヒロシマ・ナガサキ・第五福竜丸を経験した日本人がなぜ「原子力の平和利用」などということに手を染めてしまったのか。
そういう問いは、どこかで「なぜフクシマを経験した日本がまだ原発に頼ろうとし、よりによって外国にまで原発を売ろうとしているのか」という現在の状況に繋がってくるのではないでしょうか。

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内部被曝の恐ろしさを訴える松井さんは「脱ひばくを実現する移住法」制定への提言をしていらっしゃいます。内部被曝のメカニズムやチェルノブイリの被害などもここで詳しく紹介されているので、ぜひ一読してみてください。
”内部被曝による健康障害の深刻化を食い止めるために、今最も求められているのは、「家族や地域の人間関係を保って放射線汚染の少ない地域に移住し、働き子育てする権利を保障する法」(略称)の制定です。今だからこそ水俣病など公害闘争の歴史に学び、国際的には「チェルノブイリ法」を実現した市民運動に学び、その教訓を生かすべきです。”

松井さんの提言に深く共感する一方で、いまだに収束の見通しすらたたないフクシマの現状や、汚染された瓦礫や食品が全国各地にばら撒かれていることを考えると、早くなんとかしないと、肝心の「放射線汚染の少ない地域」が日本からなくなってしまうのではないか、という気すらします。
何を食べればいいのか、ということに神経をすり減らすだけではなく、未来に向けて社会を変えていく努力をしなければいけないのだと思います。

今回多くのことを考えるヒントを与えてくださった松井さんと、協力してくださった皆さん、どうもありがとうございました。(文責:KIKI)

参考
「脱ひばくを実現する移住法」制定への提言 http://tkajimura.blogspot.de/2013_04_01_archive.html

松井英介医師を招いて。

去る6月3日、メンバーの一人が所属するノイケルンのCafe/Bar、Werkstadtにて「放射線内部被曝による健康被害を考える」と題して、岐阜県環境医学研究所より松井英介医師にお越しいただき、講演会を行った。

素人ばかりが中心に集まる事と想定された講演会である。松井先生の配慮もあってか講演の内容については、専門的な知識を持たぬ私たちにも大変わかり易いものとなった。この素人、というのがポイントだと思う。福島の事故後に、数々の出版物や、専門家のブログが話題となったが、工学や医学の知識を持たぬほとんどの一般市民にとっては、難解な数値や専門用語のオンパレードで、なんとなく大変な事がわかったり、なんとなく恐怖を感じると云った程度である点は否めない。あまりに難しすぎると私の頭などは即座に拒絶反応を示し、一切の情報も受け付けなくなるのだ。

こうした専門的な学術のバックグランドなしでこれらの問題を理解し関わっていくことは一般市民には難しいのだろうか。 松井先生はこの日、多岐に渡る放射線や原子力発電所の問題に、世界や日本社会の縮図をも織り交ぜ、ひとつひとつの問題を優しく説き明かして下さったのである。

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ベルリン中から46名の来場者が。乳幼児を連れたお母さんたちも懸命に。

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深刻な内容も松井先生のユーモアの利いたトークで和やかなムードに。「救われる」とは来場者の声。

講演の終わり、松井先生の「食べ物の顔を見る」と云う発言を受けて、つと思う。私たちは豊かさと利便性を追求するあまり、あらゆることを他人任せにしすぎてしまったのではないか。人間が人間らしくあるべき本来の生活を取り戻していく事も、今後エネルギーにまつわる様々な問題を解決するための良き鍵になろう。

●松井英介医師の「脱被曝を実現する移住法」
http://tkajimura.blogspot.de/2013/04/blog-post_8566.html (外部ブログ「明日うらしま」)
現状を受け、私たちが今後どのようにこの問題と向かい合い取り組んでいくべきかを提唱されている。

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松井先生の講演・質疑応答の後、Bodypoet(Kazuma Glen Motomura)氏の即興のダンスが。

この日の松井先生の講演を擬えたもので、大変素晴らしいものであった。

また、講演会終了後にお寄せいただいた感想には大変励まされた。
私たちもみなさまと共に、今後の防衛策と日本の未来ある展望について学んでいきたいと思う。

最後になるが、ベルリン滞在の折の貴重なお時間を、先の環境フェスティバルとこの講演会開催の機会に割いて下さった松井先生ご夫妻に、この場を借りてあらためて感謝の意を表したい。R

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当日、松井先生からご紹介のあった、放射線防護協会の会長であるセバスチャン・フルークバイル博士の著書「子供たちへの手紙」は、ベルリン市内の以下の2店舗にて購入できる。

●Japanische Buchhandlung「YAMASHINA」
Pestalozzistraße. 67
10627 Berlin
+49 30 3237882

●HENO HENO
Kantstr. 65
10627 Berlin
http://www.henoheno.de/

“明日うらしま” でも 環境フェスティバルから松井先生講演会の模様までベルリンで雨にも負けない日本の若者たちの脱原発活動

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松井英介

略歴:医師、岐阜環境医学研究所所長 1980~81年西ベルリン市立呼吸器専門・Heckeshorn病院勤務。2001年3月まで岐阜大学医学部附属病院勤務。放射線医学講座助教授。退任後、岐阜環境医学研究所を開設、現在に至る。 日本呼吸器学会専門医、日本呼吸器内視鏡学会気管支鏡指導医、日本肺癌学会および日本呼吸器内視鏡学会特別会員。 廃棄物処分場問題全国ネット共同代表、羽島市アスベスト調査委員会委員長、 NPO法人731部隊・細菌戦資料センター共同代表、「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」世話人。

著書・分担執筆:「Handbuch der inneren Medizin IV 4A」(1985年 Springer-Verlag)
「胸部X線診断アトラス5」(1992年 医学書院)
「新・画像診断のための解剖図譜」(1999年 メジカルビュー社)
「気管支鏡所見の読み」(2001年 丸善)など

近著:「見えない恐怖 放射線内部被曝」(2011年 旬報社)
ブックレット「放射線被曝から子どもを守るために」監修著(2011年 旬報社)
セバスチャン・プフルークバイル著 エミ・シンチンガー訳「セバスチャンおじさんから子どもたちへ―放射線からいのちを守る―」 (2013年 発行:岐阜環境医学研究所 発売:旬報社)

Fina und Dylan von Lysergic

5月中旬、迫る6月2日の環境フェスティバルの参加に向けて、メンバー各自がそれぞれのプロジェクトをスタートさせていた。

3月9日の反原発集会でもバッヂのデザインを快く提供してくださったVj Chuu氏は、再びふたつ返事でやりましょう! とその心意気を見せた。今回は環境フェスティバルという事で、販売するすべてのものは、エコロジーもしくはBIO(ドイツのオーガニックの総称)でなくてはならない。LysergicのFinaとDylanの賛同とボランティアでの協力を得て、エコロジー素材でのエコバッグやTシャツのプリントをシルクスクリーンで製作することになった。

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セシウムに汚染されたブルーベリージャム

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こんにちは。Sayonara Nukes Berlinで主にドイツ(語)関係のことを受け持っているKIKIです。

まずは、2日の環境フェスティバルと3日の勉強会に協力して下さった方、参加してくださった方、本当にありがとうございました。
このホームページ上でもコラムという形で、私たちの活動と関わるテーマについてお知らせしていきたいと思います。気長におつきあいください。

第1回目は、フェスティバルでも勉強会でも反響の大きかった、ブルーベルージャムについて。

「ヨーロッパで出回っているブルーベリージャムはセシウムに汚染されている」

このことを話すと、ドイツ人の大半はびっくりします。年配の方だと、「ああ、知ってるわよ」みたいな反応が時々あるのですが、それでも詳細を話すと「うわ・・・」というリアクション。なぜヨーロッパのブルーベリージャムが危ないのか、順番にお話しましょう。 Continue reading セシウムに汚染されたブルーベリージャム

第18回環境フェストUmweltfestivalでのインフォスタンドについて

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Sayonara Nukes Berlinは、ベルリンで行われる大規模なエコロジーフェスティバル、「第18回 Umweltfestival」にインフォスタンドを出すことになりました。フェスティバルは6月1日から開催されていますが、私たちがスタンドを立てるのは2日の日曜のみとなっています 。

私たちのスタンドでは、日本の「さようなら原発」の署名を集め、日本の現状に関する情報の提供だけでなく、ベルリン在住の日本人アーティストが協力してくれたグッズの販売等もすることになりました。

スタンドの場所の詳細はここから。

http://www.umweltfestival.de/

https://www.facebook.com/events/600642929970698/

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Sayonara Nukes Berlin ist am 2. Juni beim 18. Umweltfestival am Brandenburger Tor.

Wir wollen am 2.Juni in Berlin Netzwerke mit anderen Umweltschutz- und Anti-Atomkraft-Bewegungen knüpfen, das Bewusstsein fürdie gefährliche gegenwärtige Situation in Japan stärken und Unterschriften für den Atomausstieg sammeln.

Das Detail über die Stelle des Info-Stands findet sich im folgenden Link: http://sayonara-nukes-berlin.org/?p=84
Continue reading 第18回環境フェストUmweltfestivalでのインフォスタンドについて

9.3 Anti-Atomkraft-Demo ベルリンから日本へ、脱原発デモ

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昨年夏、日本に一時帰国の際、矢も楯もいられず生まれて初めてデモ行進に参加した。さようなら原発集会の企画する毎週金曜の首相官邸前デモと、代々木公園から都心を3時間練り歩く大規模なデモだ。ある金曜のデモでは、夏の雨の降りしきる中、ファッショナブルで洗練された若い男女、ベビーカーの乳幼児から高齢者に至るまで、本当に様々な人々が各々のプラカードを掲げ、原子力発電所の再稼働反対の声を上げた。

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また、3時間のデモ行進は、7月の半ば。12歳の長男は途中何度かコンビニエンスストアに飲み物やアイスを買いに走り、小休憩を取っては列に戻った。2万5千人とも、5万人とも言われているが、福島の事故を経て原子力エネルギーに不満の声を上げる人々の列は何度の休憩を経ても途絶えることなく夕刻まで続いた。そこにはかつての学生運動のような荒々しさはなく、列に加わる人々も、沿道から声をかける人々も、みな笑顔で、爽やかではつらつとしたものだった。思いもかけず何度も息子に励ましの声がかかった。主にお年寄りからの労いだった。今でも表参道の行進の事を思うと胸が熱くなる。

国外に住む日本人の間でも、日本の現状について不安を訴える声は日増しに大きくなっている。様々な事情により、自分の故郷を離れてはいるが、故郷の事を忘れる人間はいない。今年の年明けに、いろいろな思いが錯綜し、ついには自分の中で解決することができなくなった。その足で、ひとり警察署に出向いた。ベルリンでも反原発デモをやろうと決めた。

3月9日は、東京でさようなら原発集会の大規模デモが計画されていたので、日本にエールを送るとともに、日頃のジレンマをこの地で共有する事で少しでも晴らしたかった。この日のベルリンは氷点下と寒く、空はどこまでも灰色の雲に覆われた。あまりの寒さにジェネレーターがいう事を利かず、Ryo Humanelectro Fujimoto氏の演奏を合図に、予定の時間を40分も押しての開会となった事をお詫びする。

福島第一原子力発電所から40キロメートル程に位置する福島県浜通りで自営業を営んでいた香川智之さんは、国が正確な情報公開をしないがために、多くの人々がより放射線の汚染のひどい地域に避難してしまったと言う。日本政府は今もなお、正確な発表をしていないとは、専門情報誌シュトラーレンテレックス(Strahrentelex)の発行者で放射線防護協会の役員であるトーマス・デアゼー(Thomas Dersee) 氏のスピーチだ。アメリカの会社がモニタリングポストを設置したところ、この線量に驚いた日本の環境省は、「これでは値が高すぎる、変えることはできないか」と文句をつけたそうだ。その会社は、いや、それはできない、モニタリング装置というのは測定するためにあるのだから」と答えると、日本にある企業にモニタリングポストの設置が発注される。デアゼー氏ら専門家が福島を訪れる度、官庁の発表する数値がいかにインチキであるか、それは直ちに露見するのである。

デアゼー氏の演説の全容を知りたい方は当日、通訳を務めていただいた梶川ゆうさんのこちらのブログを⇒ http://donpuchi.blogspot.de/2013/03/blog-post.html

郡山市の協力者から寄せられたデアゼー氏の告発を裏付ける資料を以下に添付する。
有限会社アルファ通信プレスリリース
緊急報告書モニタリングポストの実態調査
南相馬市合同庁舎前モニタリングポスト調査

この演説の後、Bodypoet (Kazuma Glen Motomura氏)の原子力カムラ扮する風刺劇が始まった。後日、寒かった!との苦情の声が大きかった中、これには大変好評をいただいた。

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ベルリン自由大学で長年教鞭を振るわれた福沢啓臣准教授、また日本の反原発運動を現地で追いかけ日本の運動について卒業論文を書いていた同じくベルリン自由大学日本学科の学生イザベル・ピッヒラさん、署名活動にご尽力くださった女の会を代表してジャーナリストの水野博子さんからそれぞれ演説をいただき、ライプツィヒ大学の小林敏明教授と同大学日本学科の主任教授ステフィ・リヒター(Steffi Richter)教授と、世界的に著名な哲学者であるヴィルヘルム・シュミート(Wilhelm Schmid )さんらが、共に、行進後のポツダマープラッツでお話ししてくださった。この日は170数人程の参加者であったが、シュミートさんからは、「40年前、ドイツで反原発運動が起こった頃、この日の様に、小規模なデモが始まりであった。日本の40年後に期待する」との励ましを戴いた。

人々が現状から多くの物事を考え、学び、話し合う事をやめない事で、日本の未来が変るかもしれない。年老いた政治家たちが再稼働を決め、福島での経験をものともせず首相が「原子力発電所を新設する」と言っている。こんな日本に、未来はあるのだろうか。私たちはただ傍観をし続けて良いのだろうか。何よりも、日本の未来を担う子供たちが犠牲になっている。

政治は面倒だ。アツいことは実は苦手だ。人とつるむのは実はあまり好きではない。協調という言葉を何より嫌うはみ出し者の私だが、自分にとってつまらない事でも、自分が生かしてもらっている社会の仕組みを無視することはできない。自分にできる限りの義務を果たし、この先10年後も20年後も永遠に続く世代交代の中で、後続する日本の子どもたちに私たちの未来が明るいものであると呼びかけ続ける事をやめてはいけないと思った。

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私たちSayonara Nukes Berlinは、メンバーわずか5人からなる非営利団体である。3月のデモの開催に至っては、多方面から大きな助力を得た。また、反原発運動の為、Vj Chuu氏が無償でデザインを提供してくださったバッヂの売上、デアゼー氏が提供してくださったカルタの売上と募金を合わせ385ユーロ55セントから、活動にかかる経費を補う事ができた。残る144ユーロ51セントを今後の活動に生かしたい。この場を借りて、ご協力いただいたみなさまへ多大なる感謝の意を表したいと思う。

さてはて、ベルリンの長い冬が明けた。

次は6月2日。この日は首都圏でまた大規模デモが予定されている。メンバーそれぞれが多忙であるため、せいぜい年に一度の立ち上げを話し合ったものだが、日本の現状に関する情報を発信し日本の脱原発に向けた”さようなら原発集会”の署名を集める方針で、新たなメンバーを迎え、ベルリンで行われる大規模なエコロジー・フェスティバルであるUmweltfestivalへの参加を決めた。この日は、福島県郡山市の児童が起こした集団疎開裁判の取り下げを受け、子どもたちへの励ましのメッセージも集める方針である。より多くの来場者がある事を願って。R

イベント詳細(https://www.facebook.com/events/600642929970698/

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