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原子力と環境保護 : 偽りの親環境派  tazの記事和訳

Atomenergie und Klimaschutz: Falsche Klimafreunde

偽りの親環境派

ライマー・パウル

原子力で気候環境目標がより容易に達成されるのだと、原子力産業のロビーイストたちが主張している。しかし、それは正しくない。

原子力産業のファンたちは気候環境危機の時期には朝の空気を感じ取る(朝の空気を感じ取る:諺でチャンスをうかがうの意味)。二酸化炭素の出ないことを自称する原発を稼働延長したり、新設したりすることによって、環境目標がより容易に達成されるのだと、原子力産業やそれと組んだ政治勢力が主張している。「Sundays for Future」をモットーに、国際原子力ロビー機構の Nuclear Pride Coalitionが10月20日ついに世界中でアクションとデモを組織した。

政党所属またはそれに近い立場をとる原子力産業および石炭産業の組織、新社会自由市場イニシアティブ(INSM)、さらにNuclear Pride、技術のための市民といった財団や産業寄りの見せかけの市民運動が原子力と石炭火力発電所に賛成して行動を起こし、再生エネルギーを抹殺しようとしているが、この原子力の擁護派には、あのビル・ゲイツも入っている。『ワシントン・ポスト』紙によれば、彼は最近、原子力エネルギーの誤った有利不利について説得するために、アメリカ連邦議会の議員たちと会合をもった。ある公開書簡で彼はこう書いている。「核エネルギーは気候変動に対応するのに理想的である。なぜなら、それは唯一二酸化炭素を出さず、スケーラブルなエネルギー源であり、四六時中利用可能だからである」。マイクロソフトの創立者ゲイツはTerraPowerという会社をもっているが、ここでは新種の原子炉開発研究が行われているのである。

11月の末に、ヨーロッパ議会はマドリッドの気候環境会議(正式には「第25回気候変動枠組条約締約国会議」)の決議を修正し、いまや原子力は気候環境の救い手だとされている。この修正にCDU/CSU、FDP、AfDから38人のドイツ人議員が賛成票を投じ、残り52人は反対であった。かつて欧州委員会の委員だったギュンター・エッティンガー(CDU)は、どうせ原子力は必要不可欠になると述べたが、彼の同志ノルトライン=ヴェストファーレン州政府首相アルミン・ラシェット(CDU)も最近、核からの撤退は早すぎたと嘆くに至っている。

この『taz』紙にも核に賛成する記事が誤って寄稿された。「小さい害としての核エネルギー」というタイトルのもとに、二人の客員ライターは次のような非難を展開している。彼らはtaz Panter財団に属し、一人は原発企業EnBWの職員である。彼らによれば、ドイツは「緑の圧力によって」核の研究開発を広範囲にストップしてしまった。これに対し、将来を見据えるEUの隣国は原子力によるエネルギー転換までの時期に橋を架けたのだと。

経営的には原発の建設はもはや意味はない。コストが何倍にもなったからである。

「気候環境にニュートラルな原子力」というが、いったい何が真実なのだろうか。環境団体や反原発団体はロビー活動でなされる論議をファクトチェックすることを始めている。それによると、地球上に存在する原発は現在そのすべてで世界のエネルギー需要の2%、電力需要の10%を占めているが、そうなると、地球の二酸化炭素放出をわずかに減らすだけでも、膨大な数の原発の新設が必要になる。しかし、それは気候環境保護に間に合うほど早く建設できない。それにエネルギー需要が高まるため、古い原子炉も休むことができなくなる。

地球の温暖化を2度までに抑えるためには、世界中の二酸化炭素放出量を現在の370億トンから2050年の期待値50億トンにまで下げなければならない。ヴッパータール気候・環境・エネルギー研究所の報告では、このシナリオのために原発が寄与するのはせいぜい5%だとされている。しかもそのためだけでも何千もの原発が新設される必要があるというわけだが、それにしてもなんとグロテスクなヴィジョンだろう。

しかも、原発はけっして気候環境にニュートラルではない。環境庁によれば、ウラン鉱の採鉱、破砕、選鉱、核燃料への変換は放射性廃棄物の処理や保管、廃炉、ウラン採鉱地域の再自然化と同様、汚染の原因となる。ウラン鉱山の搾取が進行すれば、結果はさらに悪化するだろう。さらに最終処分で発生する二酸化炭素の放出に関しては予測もつかないのである。

原発はきわめて危険でコストのかかるものであるが、これは今後もそのままであろう。いわゆる平常運転でも原発は放射能を環境に放出している。最近では代替エネルギー資源は原子力発電よりはるかにコスト安になっている。営業的には原発の建設はもはや割りが合わず、コストが何倍にもなっている。専門家たちの見積もりでは、たとえばフランスのスーパー原子炉フラマンヴィルを建設するには60億ユーロかかるという。したがって原発は独裁国や半独裁国、あるいは原子力産業が国営であったり、膨大な助成金が出たりする国でしか新設されないのである。核融合炉のような、多大な努力がなされている絶対安全な新型原子炉の開発は停滞してしまっており、今後20年でこのテクノロジーが利用に供されることはない。

予測不可能なリスク

最後に、とりわけ高放射能性の核廃棄物の最終処分は世界中の政府にとって、いまだとっかかりも見つけられない大きな挑戦課題となっている。それにはまた、最近出た『World Nuclear Waste Report – Focus Europe』に述べられているような予測不可能な技術上、ロジスティクス上、経済上のリスクが伴う。

このレポートによれば、ヨーロッパだけでも - ロシアとスロヴァキアを除く - 6万トン以上の使用済み核燃料棒が中間処理施設に貯蔵されているという。これまで高放射性核廃棄物のための最終処分施設を稼働させた国がないからである。さらに、このレポートによると、ヨーロッパではこれまでにすでに250万㎥以上の放射性廃棄物が貯まっているという。ヨーロッパの原発はその耐用年数を超えて、およそ660万㎥の放射能廃棄物を生産しているのである。

このレポートは世界の国々から集まった何十人もの研究者たちによってまとめられたものであり、原子力の専門家マイクル・シュナイダーを中心とした研究チームによって毎年発行されている定評のある『World Nuclear Industry Status Report』を補足するものである。核時代が始まって70年後の今日、放射能を発するこの原発の遺産を真に解決することができた国は世界に一つとして存在していない。

(『taz』2019年12月14日記事)


元記事:

Atomenergie und Klimaschutz: Falsche Klimafreunde – taz.de

https://taz.de/Atomenergie-und-Klimaschutz/!5646067/

著者:ライマー・パウル

1955年生まれ。フリー・ジャーナリスト、執筆者。専門分野は環境、原発、交通、保健。おもに『taz』『Tagesspiegel』その他通信社。

民主主義、それは捨ててもいい ツァイトオンラインの記事和訳

Japan: Demokratie, das kann weg

―民主主義、それは捨ててもいい

 
                  フェリックス・リル、東京、ツァイトオンライン
日曜の参院選で、日本人は彼らの自由について採決するのかもしれない。安倍首相はそれを制限したい。しかし多くの有権者はそれに気づいていないようだ。
東京の通りのプラカードはいつもと同じような約束を意図する。
安倍が首相になってから近年の快適なテーマ:人びとにもっとお金が回るために消費税の値上げの遅延。
より多くの雇用をもたらす経済回復。そして国家の強化:日本はもちろんすべての人の福祉のため、ますますグローバル化する世界で力強さを保つ。誰がそのような曖昧な言葉で表現したアイデアにノーを言うでしょう。
 
安倍晋三は2012年、2013年、2014年の選挙の勝利の後、今回も過半数を制するようだ。日曜、日本人は影響の少ない参議院の選挙をする。そこで242議席の半分が新しく与えられる。まず第一に、重要でない投票には見えるが、国を根本的に変化させる選挙になる可能性がある。つまり安倍は、自民党とその同志で三分の二議席が取れるなら、彼の好きではない日本の憲法を変える重要な障害物を取り除くことを完了し、日本はもう第二次世界大戦後に自由であった国ではなくなるだろう。
 
三年半前から、有罪判決を受けた戦争犯罪者である総理大臣の孫、62歳のナショナリストは、かつて日本をアジアの中の最初の自由な民主主義国家にした分子を弱らせようとしている。彼の経済戦略による経済ブームを約束し、2012年の年末には確かな過半数で選挙された後、まもなく特定秘密保護法を通過させた。それからは政府がある際どいと判断したテーマを公衆から遠ざけておく権利があり、告発またはそれについての報道は今では刑務所で処罰される。
その上まもなく安倍は日本国憲法の新しい解釈を達成した。第二次世界大戦の後で戦勝国の米国に決定的に書かれたテキスト、憲法9条はいかなる場合も武力の行使を禁止する。
 
安倍のようなナショナリストから見ると日本は9条によって去勢されている。多くの人々が憲法違反だと考え、アンケートでは日本人の多数が誤りであるとした新しい解釈は、ある特定な条件で軍隊の海外派遣を容認する。例えば日本の存在に関わる意味のある連合国の安全を防衛する場合。新解釈は国防予算の増員と日本の軍需品の輸出の新たな可能性を伴う。
去年安倍内閣は学問に的を絞った。すべての国立大に宛てた手紙で、当時の文部科学大臣が、大学から社会学と精神科学をなくすことを催促した。研究と教育は、実用的でもっと応用的な教育を提供し、社会のニーズにより望ましく適合させるべき。これに従い、コンピューター、ロボット工学と医学のような学科を増進させるべき。哲学と外国語ではなく、これらは未来の成長産業部門である。政府は、学校では生徒と教師は政治的な活動をしてはいけないということを明確にした。公にイデオロギーにとらわれない学習空間を保証するためだ。
(本記事の中の “praktischere, mehr angewandte Bildung anbieten, die besser auf die Notwendigkeiten der Gesellschaft eingestellt” は、本来は実際の大臣の文言をじかに表しているのですが、原文を見つけることができなかったため、こちらも翻訳しました)
※後半部は近々更新します。

2index

Verfassung wie in den 1930er Jahren

-1930年代の様な憲法

 

これらの多くの歩みは一つ一つ見ると、今の日本の特殊な状況によって正当化できる。日本は北朝鮮や中国のような好戦的で拡張主義的な国々に囲まれていて、NATOのような軍事同盟のメンバーでないので、平和主義の憲法の新解釈には意味があり得る。その上、太平洋での戦略的提携国アメリカは、徐々に軍事展開を縮小している。

同様に安全保障は正当化できる:すべての国は同じような法律を持っている。なぜ日本はいけないのか?しかし、この場合のタイミングが怪しい:安全保障はいつ実施になったかというと、福島の事故の後で、政府と東京電力の有罪と公然の陳述の嘘を明らかにしている詳細が重ねて表面化していた時であった。安全保障が実施になってから、福島については妙に静かになった。報道の自由の国際的比較で、日本は他の自由な国より大変に遅れを取っている。また研究と教育への干渉の理由は、就職市場とイデオロギーにとらわれないことだけでないようだ。安倍の文教政策の反対者は、ますますの経済化だけではなく、反政府勢力が口止めされることにも慷慨している。そしてそれらは特に学校や精神科学と社会学の学部に集中している。

現在、安倍の自民党の半民主主義的志操を一番明らかにしているのは参院選で可能になる予定の憲法改正である。安倍は、平和主義的な9条だけでなく、出来れば全てのテキストを作り直したがっている。政府党の憲法案によって、表現の自由と集会の自由は公の秩序に障ると、すぐ制限できるようになる予定である。憲法案では公の秩序というものは定義していない。だが、インプリケーションが明らかである:それによって、個人の権利は集団の権利に従属させられる。東京の名高い明治大学の法学教授のローレンス・リピタによると、安倍が予定している憲法テキストの人間像は1930年代のそれだ。

改憲案によっては、今後の憲法改正も今より簡単になる。今までは、衆院でも今選挙される参院でも三分の二以上の賛成の上に国民投票が必要だが、新しい憲法ではその障害物を安定多数まで下げる。衆院では、安倍の自民党と憲法改正を望んでいる他の勢力は必要な賛成を得そうだが、参院では得るのが難しく121のうち79の賛成票が必要である。憲法改正が国会を通るのであれば、何人かのオブサーバによると多くの投票者の政治的常識が足りないために国民投票はより低い障害物となる。

現実となれば、日本は報道の自由と世界一流の研究の展望、一意的で平和主義的な憲法にさようならと云うだけではなく、どの現代的な民主主義国家にもある一番基本的な自由も、個人的な政治家の見計らいに依存するものになる。それを止めるために、野党は珍しく力を合わせた。社会民主党と共産党は今回の選挙で共同に候補者を立てている。安倍晋三がこれ以上に強くならないように。
それが足りるかは不確かである。安倍の選挙対策の焦点にあるのは、前の三つの選挙の時と同じように、多くの投票者がまだ期待をかけている経済政策のテーマである。その上、3.11以来、当時の政権を握り、一番力を持っている野党の民主党(現民進党)の信用性は大変に弱くなっている。
前回と同じように、有権者の半分ぐらいは選挙に行かないだろう。多くは失望している。だから、安倍晋三は比較的高い支持率を得たまま、それが変わらない様に特に何もしなくてもいい。彼はただ経済政策の他に何を企画するかについてあまり高らかに話さないほうがいい。しかし、それは熟練している。

(2016年7月14日更新)

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元記事:

Japan: Demokratie, das kann weg | ZEIT ONLINE:

http://www.zeit.de/politik/ausland/2016-07/japan-oberhaus-wahl-demokratie-shinzo-abe

自然エネルギー促進のための共有経済の試み

自然エネルギーへの転換を進めるために,市民にできることはなんでしょうか.私は時々そういうことを考えます.今日は共有経済という考えを使って,自然エネルギーへの転換を図っている人達の記事を紹介します.

共有経済 (Sharing economy) はモノやサービスという資源を共同で利用する形の経済活動です.ソフトウェアの共有という形で Open Source が,オークションの共有という形で eBay が,Uber のような車の共有,Airbnb や CouchSurfing のように部屋の共有などがあります.もちろん,時には行きすぎて共有の範囲を越えてしまう問題なども含みながら,それでも様々な共有経済がでてきています.

自然エネルギーも共有経済を使えないでしょうか? 私はアパート暮らしで,屋根がありません.ソーラーパネルを自分の家の屋根に置くことはできません.風力発電機を置く庭がありません.しかし,IT の力で同じことはできないでしょうか.屋根はあるが,ソーラーに投資するお金がない人と,ソーラーに投資したいが,屋根がない人をつなぐのはどうでしょうか.

実はそういう経済が始まっています.2015年 4 月にソーラーの共有をはじめたのは,Yeloha [1] というアメリカのスタートアップです.たとえば,65 ドルで1 枚のソーラーパネルを 1 年間借りることができます.発電した電気は,屋根を貸した側が買ったり,売電し,そのうちの何割かが投資者に戻る形になっています.これで投資対象になるほどのお金もうけができるかというと,それははっきりしないのですが,自然エネルギーの発展を望む市民が少しだけ投資することに参加できるようになります.そしてそれは自然エネルギーの発展に寄与できます.Yeloha では,屋根を貸す側の地理的条件や,建物などを判断して年間どれだけの電気が作れるかなどを評価するソフトウェアを開発しているようです[2].

このような考えやビジネスが小規模の風力発電,バイオ発電などにも適用され,自然エネルギーの発展を進めてくれたらいいなと私は考えました.こういうものが日本やドイツでもでてこないかと期待します.

現在(2016-1-23(Sat)),原油の価格が下がっています.これでエネルギーの価格が少し安くなるでしょうが,こういう時にこそ地産地消の自然エネルギーに投資しておくのが良いと私は思います.再びエネルギー価格がグローバルで上がった時への備えとなるからです.

参考文献

  1. Yeloha, http://www.yeloha.com/
  2. Lauren J. Young, Startup Profile: Yeloha Brings Solar Into the
    Sharing Economy,
    http://spectrum.ieee.org/at-work/start-ups/startup-profile-yeloha-brings-solar-into-the-sharing-economy,
    IEEE Spectrum, Nov. 2015

安全保障と経済成長のためのエネルギー転換(脱原発)

ここ数日でいくつかの面白い記事や本を読みました.そのうちエネルギー政策のもので面白かったものを1つ紹介したいと思います.

ふくもとまさお,ドイツ・メルケル政権の脱原発の現状,月間「社会主義」12月号

以下はこの記事を読みながら私が考えたことです.

福島第一事故と世界の脱原発を考えた時,事故の起きた国の首相の菅氏と比べられることがあるのがドイツのメルケル氏です.当時メルケル氏が脱原発を決定し,それを世界にアピールする中,菅氏にはそれができなかったというふうに私は単純に思っていました.当時,メルケル氏が作った委員会の名前は,「エネルギー安定供給のための倫理委員会」[1] と言います.私の印象としては最後の「倫理委員会」が一人歩きして,まるでドイツは倫理や道徳で原発を止めたように思っていました.つまり,メルケル氏は福島から学んで倫理から脱原発をし,菅氏はできなかった.私はこう誤解していました.しかし話はそう簡単ではなかったのです.誤解を恐れずに言ってしまえば,「安全や倫理だけで原発を止めたわけではない」のです.この委員会には原発という文字が入っていないことにも注意がいると思います.「脱原発のための倫理委員会」でもなかったのです.反原発の記事の中には,この決断からメルケル氏はすごい,というものもありますが,逆に,いや,日本とドイツは違うから参考にならない,だから日本では脱原発は無理だという論調もみかけます.しかしそれは表面的です.ドイツにも当然利権の問題はありますし,メルケル氏は20年前には原発推進派でした.2011年のこの決断だけを見て判断するのは早計にすぎることをこの記事は教えてくれます.

メルケル氏はもともとは原発の推進派で1997年には原子力発電所の安全規制を緩める法律を作成しました.しかし,翌年の選挙で社会党と緑の党の政権となり,この法律は撤回されました.その後,ドイツの脱原発は2000年頃に決定されました.その計画の延長などの紆余曲折はありました.しかし,2011年のメルケル氏の決断はその計画を多少前倒しにしたにすぎず,基本的な計画の変更はないのです.実際のこの政策の原動力として,もちろん大きな市民の努力はありましたが,コストと安全保障と経済成長の戦略の一部であることが書かれています.簡単に言いすぎかもしれませんが,安全保障と国際権力と金のためには原発が邪魔だっただけなのです.

まずは安全保障です.どうして発電方法が安全保障に関係するのでしょうか? たとえば石油です.石油の輸入に頼る国では石油の輸送の安全や産油国の影響を受けます.輸送路の安全を確保するためには軍隊も負担しなくてはいけないのかということになることもあります.しかしもし,エネルギーを自分達の国の中で作れたらどうでしょうか? 自分の生活の基盤を他の国の資源にほとんど頼ってしまうと,世界のどこかで紛争が起きたらその度に戦争に巻き込まれてしまうかもしれません.それは国内でコントロールがきかないという意味で,国の安全としてはあまり良いことではありません.ではウランはどうでしょうか.石油と同じくウランを産出する国は限られています.ですからウランも石油と同じ問題があります.そして石油もウランも限られた枯渇する資源ですから,いつかは足りなくなって値段が上がり,そこでまた争いが起こるかもしれません.近年,ガスのパイプラインが政治に利用されることがありました.「あんまり私達の言うことに耳を貸さないのなら,ガスの通りが悪くなるかもしれない」という事件も起きました.国民の生活が海外の政治圧力におびやかされてしまう.自分達の生活を自分達でどうにかすることができない.国民生活の安全保障の問題です.だからと言ってその度に軍事力でどうにかしようというのもとても高くつきますし,命が失なわれます.誰かの生活を守るために誰かが死ななくてはならない世界を未来として考えていくのは時代後れのように私は思います.

エネルギーの独立性に対して,かつて世界で注目された技術の1つが高速増殖炉でした.もしこれができたら安全性はともかく,エネルギーの生産は国内でできそうです.しかし,あまりにも難しい.アメリカ,ドイツなど撤退する国があいつぎ,今は4ヶ国しか残っていません.今でも実用化はまだまだというのが現状です.

いくつかの国は他の方法を考えました.自然エネルギーもその1つです.太陽,風,バイオマス,地熱,水力,などなどです.これらのエネルギーは比較的地球上のどこでも入手できます.つまり,自然エネルギーの利用は,エネルギーの問題で他の国の戦いにまきこまれにくくなります.安全保障を守りやすくなります.また,戦争やテロを考えると原子力発電所は攻撃目標になった時には危険なものですが,太陽電池パネルや風力発電は原子力発電所に比べれば危険さは少ないです.これが理由で新規の原発を作るべきではないとしている国もあります.[2]

そこに経済成長戦略が持ちこまれました.しかし成長戦略と自然エネルギーの関係もすぐには見えません.特に,自然エネルギーは集中して大量生産することに向きません.ですからそれぞれの土地で作らなくてはいけません.それは集中型のトップダウンの方式には合いません.集中型のトップダウンの方式では誰かが集中的に作ってそれを分けることになります.これはお金を集中させることで効率良くできる利点がありますが,しっかりと社会が監視しないと「あんまり私達の利益を考えないのなら,電気が止まってしまうかもしれないよ」と言われる危険性があります.集中方式は誰か特定の人が利益を得る仕組みを作りやすいのです.かつての産業はお金を集中させて道路や鉄道という生活の基盤を作って都市に人を集中させて効率を上げました.自然エネルギーは集中が難しいので,そういうモデルには合いません.だから上手くいかないのだという考えがあります.

しかし,それでは地方はさびれる一方です.お金はどんどん大都市に集中してしまいます.地方を活性化させるのはどうするのでしょうか.かつての集中方式は当然働きません.集中方式はどこかへの集中をモデルとしているから,分散した地方に適用しても無理があります.田舎が東京のまねをしても,東京にはなれません.分散化の方法はないのかと考えてみると,自然エネルギーがそうではありませんか.都会は集中をすればいい.自然エネルギーは地方の経済発展に使おう.という適材適所の考えがでてきます.分散しなくてはいけない自然エネルギーは,集中型ではないという不利さを持つという考えから,分散型を利点として使うという考えの転換があります.集中させられないから,適切に発展させることで分散した地方の雇用へとも結びつけるという考えがでてきました.ドイツは連邦制をとっていて,地方の分権が強いという背景もあります.この考えで政府と産業界が話しあってエネルギーの転換がすすめられました.エネルギーの転換によって産業界にもお金が行くような方策が考えられました.だから2011年にメルケル氏が突然脱原発を決めたわけではないのです.脱原発は既に10年以上行なわれた計画で,今回の早くなった計画でも2022年までかかるものです.そういう意味ではドイツの決断は 2011 年に一朝一夕でできたものという考えは誤解と言えるでしょう.

ドイツでは脱原発とは言いません.「エネルギーの転換(Energiewende)」です.なぜなら,脱原発は目的ではないからです.ドイツでは脱原発というのは単なる副作用で起きたことです.「安全とか倫理だけで原発を止めたわけではない」のです.国の独立を守り,国の安全を守り,産業界を潤し,経済を成長させること.そこででてきた戦略が「エネルギーの転換」です.たまたまその戦略では石油とウランへの依存が邪魔でした.脱原発はおまけだったのです.

石油やウランを生産する国の問題で自分の国民の生活がおびやかされないようにすること.地方の経済を含めて経済を活性化させる成長戦略,そしてこれ以上の原発の安全のコストや核廃棄物の負担のコストという経済の足をひっぱる部分から抜けでること.長期的には枯渇してしまうものへの依存をなくす.それがエネルギー転換の一面です.ですから脱原発だけではありません.石油と石炭への依存からの脱却もその中に含まれます.その時に電気を使わないようにして,国民の生活の質を落とすという選択はありませんでした.最初の2011年の脱原発を決めたという委員会の名前に戻りましょう.「エネルギー安定供給のための倫理委員会」です.これを脱原発が主だとみてしまうと意味が通りませんが,将来的な安全保障と経済成長の一環とみれば妥当な委員会名ではないでしょうか.

ここで紹介した記事は紆余曲折がありながら,ドイツではどうして脱原発ができたかのということが解説されています.私の理解では,ドイツで起こったのは「脱原発ではなく,エネルギー転換だった」ということ.そして結局は「脱原発は国としての独立性を強め,安全保障を高め,国富を増やす方法」として行なわれたということです.これが良いのかどうかの議論はまた別の機会にゆずりますが,少なくとも福島の教訓を学んだとか,倫理であったというのはほんの一面でしかないことはうかがえます.

私は,地産地消になる自然エネルギーは特定のエネルギーの輸出国や,国際的なマネーの変動の影響を受けにくいという意味で成長戦略と安全保障に有利という点を考えたことがありませんでした.ドイツでは,安全を求める市民による自然エネルギーへの投資額が大きいという市民の力も1つの柱で無視できないものですが,もしかしたらそれだけでは脱原発にはならなかったかもしれません.これに加え,国家の成長戦略と安全保障を追求した結果,エネルギー転換を行なったことを考慮した方が良いと思います.機会があったらぜひ読まれることをおすすめします.

  1. Wikipedia de, エネルギー安定供給のための倫理委員会, https://de.wikipedia.org/wiki/Ethikkommission_f%C3%BCr_eine_sichere_Energieversorgung
  2. Amory Lovins, A 40-year plan for energy, TEDSalon NY2012, http://www.ted.com/talks/amory_lovins_a_50_year_plan_for_energy