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『主戦場』ベルリン上映会 2019

今『主戦場』で起きていること

永井潤子さん

ベルリン在住のジャーナリストで、ベルリン女の会の永井潤子さんが、デザキ監督の11月の訪欧の予定を聞いて監督と連絡を取り合ったのがことの始まりだった。準備期間のあまりの短さに、会場探しが暗礁に乗り上げていたところ、私たちSayonara Nukes Berlin(SNB)の有志で新たに立ち上げた平和を考える会が後を引き継いだ。ベルリンでの11月20日の開催日程が確定したのは、9月12日のことであった。

急な申し出にもかかわらず、キャンセル待ちで快く会場を提供していただいたAUSLANDのMarioさんには、この場を借りてあらためて感謝の意を表したい。作品の上映費用が高額であったため、何の後ろ盾もない私たち市民による活動では、例によって限られた資金で十分な機材の揃った会場を探すことが容易であるとは言えない。日本国外の有力紙や日本での報道が過熱する中、20代から30代の若者を中心に、およそ86人の来場者があり、一人でも多くの来場者に観ていただきたいという気持ちが勝り、立ち見はもちろん、冷たい床にも座って鑑賞していただかねばならなくなった。私もその中の一人で、テンポの速い映画に心は駆り立てられながらも舞台袖の床で臀部は冷たい石の様に固まっていた。AUSLANDから入場規制がかかり、足を運んでくださった一部の方には心苦しくも入場を断ることにもなった。また、予定していた英日通訳の方が継続不可能となり、急遽、本来は独日通訳者であるSNBの梶川が代行したことで、彼女にとっても大変な仕事を押し付けることになり、何よりみなさまにご不便をおかけすることとなったことをお詫びしたい。

作品中に登場するのは愛知トリエンナーレの時の慰安婦像(平和の少女像)であり、この展覧会は検閲されてしまったのだが、様々な方々が展示するべきと活動されたので、いったん撤去されたものの最終的には少しの期間展示されることになった。川崎市のしんゆり映画祭でも『主戦場』の上映を拒まれ、その時も愛知トリエンナーレと同様の種類の物議をかもし、作品に訴訟が起きていることから、そうした作品を見せないほうが良いのではないかという議論になった。若松プロダクションによる作品を取り下げる形での抗議や、是枝監督が急遽登壇して声明を発信するなどし、最終日に『主戦場』が上映されている。

デザキ監督からは、裁判の結果は出ておらず、法律上はまだ何も決定していないのに、ただ訴訟が起きているということが理由となって検閲されてしまうことは恐ろしいことではないか。スラップ訴訟というのも危険であるし、アーティストのなかでも、こうした作品に訴訟が起きるということで、委縮してしまうのではないかということも怖いことだと思う。日本では表現の自由がずいぶんと失われてきているのではないか、そういうお話があった。

デザキ監督は現在、テキサス親父ことトニー・マラーノ、そのマネージャーの藤木俊一、カリフォルニア州の弁護士で、日本のテレビタレントであるケント・ギルバート、新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝、なでしこアクションの山本優美子の5人の出演者(順不同、敬称略)から訴訟を起こされている。11月14日に二度目の公聴会が終わったところだが、彼らは自分たちの発言を、発言していないとは主張できないし、発言を捏造されたわけでもないため、彼らは訴えの理由に、これが商業的な作品になるとは考えていなかったことをあげている。監督は、アメリカでのそうした問題を熟知していることからも、きちんとした契約書を作成して保管していることを自身のSNSでも報告している。4月の日本での公開が始まる前に、監督は出演者らに電子メールを送っている。その内容は、作品が公開されること、その試写会への招待だった。監督によると、テキサス親父のマネージャーは、おめでとう!と言ってくれた。ケント・ギルバートは、宣伝材料があれば自身のSNSで紹介するのでぜひ送ってほしいと言い、監督は何も送らなかったが、彼は実際にSNSで映画のトレイラーを共有し、さらには産業経済新聞社が発行している月刊誌『正論』でも、映画の宣伝をして商業的なことに協力してくれていた。しかし彼は契約書が日本語であったために読めなかったと言っている。もちろん彼は英語版の承諾書に署名している。これから彼は自分をどのように弁護するのだろうか。

これが今、主戦場で起きていることだ。

上映後の主な質疑応答
-加瀬英明(日本会議)は質問に真面目に答えていないのではないか

監督:彼はとても賢い人である。本気だったと思うし、彼は高名な外交官の家に生まれて育ち、何を言っても許される立場で恐れるものがないのだと思う。

-日本の若者は慰安婦について知らないふりをしているのでは

監督:大学の教授たちが学生らにこの映画について話したところ、学生たちも慰安婦問題について十分に知らないことが多かった。作品中でインタビューに登場した若者は、日本の代表的な若者だと考えている。理由の一つに、歴史教育がされていないため、例えば“慰安婦”という言葉も報道でしか知ることができないだろう。

-加瀬英明は日本が戦争で勝ったと言っているが、それも本気で発言したと思うか

監督:彼は、日本は東南アジアをヨーロッパの侵略から救ったと考えている。それで日本が中国や韓国などを植民地化していたとは考えていない。

-韓国と日本の関係がすごくこじれてしまっているが…

監督:安倍首相や歴史修正主義者の発言に対抗するよりも、慰安婦問題を史実に基づいて忠実に伝えようとしている人を応援すること、もちろん自らもそのことを認識し、世界中にこの問題のために活動する人々がいるので、そういう人々に連帯していくことが大事なのではないか。これは日韓の問題であることには変わりないので、当然日韓できちんと話し合っていくほか解決の方法はないだろう。

-元ナショナリストのケネディさんがそういう方だと知っていたか

監督:藤木さんからケネディ日砂恵さんについての話があり、彼女がたくさんのお金を払って調査をさせていたこともそこで聞いた。それで彼女の存在を知り、彼女にコンタクトを取ったところインタビューに応じてくれた。藤木さんの話がなければ、彼女のことを知り得なかった。ありがとう藤木さん。

 

また数々のハプニングに見舞われながらも、鑑賞後に来場者から寄せられた、独英日三か国語によるアンケートには心励まされるものがあったので、その一部を紹介したい。

・感情的な問題をかなり客観的に説明していると思った。
・ドイツ人として、ヒトラーのようなシステムが再びパワーアップするのを見ている気がした。
・非常に重要だ。私たちにはファシズムに対抗するクリティカルな映画が必要だ。
・私は映画を観ながらとても怒りを覚え、考えさせられた。これからはもっとこの問題のために運動していきたい。
・自分の無知を思い知らしめられた。「知っている」というのは言葉として知っているだけであり、内容までは知らないのだと分かった。
・日本ではメディアの規制も多く、正しい情報が得られていないことを強く実感した。
・報道の自由が段階的に失われている日本で、事実に基づいた情報を得るヒントがあればほしい。教科書の改ざんや政府とメディアの癒着から慰安婦問題を知らない日本人が多いのではと感じた。両方の視点から様々な情報が描き出されており、どのようなことが起きているかを知るにはとても良いと思った。
・言葉にならなかった。個人的にこの問題について調べていたので知っていたが、それもよく理解できたのはここ数年の事。知らないということが一番恥ずかしく思う。友人たちにも拡めたいと思う。
・想像していた以上の詳細な資料と映像で、一度観たただけだと頭が整理できなかった。もう一度と言わず何度か今後観に行く。
・情報量が多かったので数回観たいと思った。
・二回目の鑑賞、テンポが早い映画なのでもう一度見る機会に恵まれてうれしい。

(文責Rokko)


『主戦場』上映会でミキ・デザキ監督を同行して

イベントを企画実行するとハプニングがあるのは付き物だが、今回も予定していたフライトでない別の飛行機で別の空港に監督が到着することになるなど、最初からハプニングが待ち構えていた。それでも無事に空港で監督を迎え、今回のデザキ監督ベルリンへの招待で協力関係にあったKorea Verbandが予約しておいたホテルに彼をお連れした。イベント場所での集合時間まで少し時間があったため、会場に行くまで二人で話す時間がたくさんあった。私はそういう意味では、一番彼と個人的に話す時間が長く、それで映画のテーマ以外にもあらゆるテーマについて彼と意見交換をする機会に恵まれたので、得をしたのではないかと思っている。

デザキ監督は洞察力の鋭く落ち着いた分析のできる、明晰かつ気さくで気難しいところのない人だというのが私の印象だ。彼とはもちろん映画と歴史修正主義者や日本のネトウヨの話、慰安婦問題はたまた戦争責任問題に関するあらゆる日本での問題点も話したが、それ以外にも戦時中アメリカにいた日系アメリカ人が体験した問題や、移民問題全体、人類が抱えている差別という問題についてもあらゆる視点から話をすることができた。さらに、彼が5年ほど英語教師として日本に滞在したり上智の大学院に行ったりしていたときに日本の若者と多く接する機会があったことから、日本の教育問題に対しても鋭い批判を持っていることが分かった。私もかねてから日本の教育問題については悲観しているが、彼もこれだけ「馬鹿で無知でいる」ことがクールだとみなされている環境(彼はだから日本人が馬鹿だ、と言っているのではなく、馬鹿げた、難しいことを言わないスタンスを保つ方が格好良いと見なされるということへの嘆きを問題にしている)、政治的社会的に発言しないだけでなく、そういうことに興味を示し、ましてや意見を持つことが「ダサい」とみなされる雰囲気、「空気を読む」能力ばかりが発達する社会になってしまっていることに警鐘を鳴らしている。問題意識を持っている人も、だからこそ意義ある運動をしている人もグループももちろんあるのだが、それが固まって大きな力になっていかないこと、そして若い年代の運動者が生まれず先細りになっていることも、これからはますます厳しくなるだろう、という予想で意見が一致した。ことに、日本では女性差別が世界水準でも149か国のうちガーナやアルメニア、ミャンマーより低い110位(!)であり、優秀な女性たちが、能力を生かす仕事を得られず、活躍できないつまらない日本を飛び出してどんどん海外に行ってしまうこと、それから昔はエリートの中でも1年くらいハーバードなどに行って「箔をつける」ことがよしとされていたのに、今ではそれはキャリアにとって「不利」されているために海外に出る人がどんどん少なくなり、「井の中の蛙」の日本人ばかりになっていることなども嘆き合った。デザキ監督曰く「それでも優秀な人には日本にとどまってもらわなければ日本はますます退廃する」というようなことを言っていて、同感である(そういう私もさっさと日本を飛び出して出てきてしまったので例外ではないが)。

彼からはさらに、彼がどのように日本と接触し始めたかという話を聞いた。彼の両親は70年代にアメリカに移民としてやってきて以来、ずっとアメリカで暮らしている。彼はアメリカで生まれ育ち、男ばかりの兄弟3人の様子だが、ほかの二人は全然日本に興味もなく日本語もほとんどできないという話だった。彼らも私の子どもたちと同様に補習校に小さい時通わされ、しかも彼が行った日本語補習校は帰国する予定の子女を対象としている学校だったため、日本語のレベルもスピードも高く、とてもついていけなくて、母親は毎週のように「子どもをどう説得して連れていくか」が闘いの毎日だったらしい(私の記憶にも新しい)。お母さんは自宅でNHKの放送などを見ているものの、うちでは皆英語で話し(あるいは親が日本語で話しても子どもは英語で答える)、日本に帰るつもりも一切ない、というところで育ってきて、彼自身、最初は日本に興味など持っていなかった。二十歳になって初めて日本に来た時も、上智の帰国子女の入る枠(英語で授業を受けるコース)に1年留学しただけだったので、特別日本語がうまくなったわけでもなかった。彼が日本の政治的社会的問題に興味を持ったのは、英語教師として日本で仕事をし始めてからということだ。

「主戦場」を見れば、彼がどういう経緯でこの映画のテーマを取材するようになったか説明されているのでわかるが、全体を通してこの映画はとても丹念に計算された構造になっていると思う。映画ではテーマ項目別にインタビューを交えながら、慰安婦が何人いたか、とか強制連行はあったのか、または慰安婦は「性奴隷」だったかどうかという核心に迫っていったが、彼は単に意見が異なる人たちの話を客観的に対置して見せたのではない。インタビューの話における矛盾や疑問点をはっきり見据え、その上でインタビューを編集し選択し提示していったはっきりした視線、メッセージ、意見があったからこそ、実際の史実に迫ることができたし、だからこそこの映画は説得力があったのではないだろうか。慰安婦問題をたとえば「数字」の問題にすり替えてしまうことの怖さ、つまり歴史修正主義者からもそこで矛盾を指摘されたり、ひいてはその存在すらも否定されたり、運動家からも事実を「劇的に脚色」するために悪用されたりする、その危険性をしっかり指摘し、同時に河野談話以降、日本の「歴史教科書」がたどってきた展開(つまりいかに日本では子どもたちに史実を伝えない方向に進んできたか)も明らかにしている。そして大切なのは、アメリカの戦後の日本における戦勝国としての影響力、政治的防衛的意味における戦略と、それと切り離せない安倍首相の祖父以来の政治リーダーとの繋がりも明示していることである。映画の最後に彼が問いかけたのは、ほかでもない日本人が「アメリカが始める(始めたい)戦争に参加したいのか」という本質をつくテーマであった。これこそ今、安倍が率いる自民党が願ってやまない「憲法改正」、そして自民党がさらに日本を導いていこうとしているあらゆる思惑を前に、日本人がしっかりと意識して判断しなければいけないことではないのか、そう彼はこの映画を通じて問いただしている、と私は思う。過去の日本軍、日本政府、日本人の行為を史実、証言を通じてありのままを理解し、忘れないよう記憶する努力を進めることが、今後の自分たちの判断、倫理、意識の形成につながるものであることを理解しなければ、私たちはこれからも平気で同じ過ちを繰り返すだろう。映画の中で証言していた元兵士の方が語っていたひどい日本人の当時の倫理や人種差別、女性蔑視、国粋主義は、現在の日本人でも同じようなものではないのか? それは自分たちがやってきたことを見て分析し、理解し、反省しようとする意志と努力があまりにないからではないのか? ドイツでは今でもさかんにErinnerungskultur(記憶の文化)といういい方を使って「ナチスの時代の過ちをはっきりと見据え、記憶し、残すこと」を努力しており、それがドイツ連邦政府の理念であることをことあるごとく強調しているが(それがどこまで浸透しているかどうかは別問題として)、それこそが日本に一番足りない要素ではないだろうか。今の日本政府の沖縄米軍基地問題の対応一つをとっても、この問題は深く繋がっているのである。デザキ監督をベルリンに招くことができて、とてもよかったと思っている。(文責YU)


主戦場公式ウェブサイト:http://www.shusenjo.jp/
Shusenjo official website:https://www.shusenjo.com/


ミキ デザキ:ドキュメンタリー映像作家、YouTuber。1983年、アメリカ・フロリダ州生まれの日系アメリカ人2世。ミネソタ大学ツイン・シティーズ校で医大予科生として生理学専攻で学位を取得後、2007年にJETプログラムの外国人英語等教育補助員として来日し、山梨県と沖縄県の中高等学校で5年間、教鞭を執る。同時にYouTuber「Medama Sensei」として、コメディビデオや日本、アメリカの差別問題をテーマに映像作品を数多く制作、公開。タイで仏教僧となるための修行の後、2015年に再来日。上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科修士課程を2018年に修了。

 

第6回 国際ウラン映画祭ベルリン2017

2017年10月11日から15日にかけて、ベルリンのKulturbrauereiの映画館で、ベルリンでは第6回目になる国際ウラン映画祭が開かれた。今年はそのプログラムの一環としてツァイスのプラネタリウムで協賛団体である
ドイツIPPNWが「世界の被ばく者」というパネル展示会を催し、そこで数本の短編映画も上映されるというおまけつきだった。

私はベルリンに来てからこのウラン映画祭を何年も一般の観客としてみてきたのだが、これからは積極的に応援していきたいと思ったのは、核・原子力・放射能を巡る問題だけをテーマにした映画(ドキュメンタリー、劇映画、アニメ、短編長編すべてを含む)を集めた世界でも稀なる映画祭があることにとても感銘を受けただけでなく、実際に私も知らなかったあらゆる世界での核に関する問題を提示され、勉強させられたことが少なくなかったからだ。同時に、広島・長崎やフクシマをテーマに、日本だけでなく世界中であらゆる映画が作られ、紹介されてきている。まだドイツでは紹介されていないものも多く、いい作品をここで紹介する橋渡しができるのではないか、翻訳などで協力することができるのではないか、と思っていた。また、去年Sayonara Nukes Berlin(以下SNB)がProtestivalでいろいろイベントをしていた時、ウラン映画祭でもチェルノブイリ30周年を記念したイベントを催したのだが、その時にSNBの代表として私をパネルディスカッションに呼んでくれたことをきっかけに個人的な交流が始まっていたことから、今回のベルリンでの映画祭にもっと強く関わることとなったのである。

でも、私が参加することを決定した理由は実は、もう一つある。去年「最優秀賞」をこのウラン映画祭で受賞した、フクシマを(一応)テーマにしたドキュメンタリー映画を見て、非常に失望したことだ。こんな映画に賞を上げるのか!と憤然としたくらいだった。あまり失望したのでそのことはその授賞式の際、監督とのトークで私は自分の意見も述べたくらいなのだが、この映画ではフクシマの問題というよりは、イタリア人のジャーナリストが個人的に菅直人(以下すべて敬称略)と親しいらしく、なんだか菅直人がそこで「ヒーロー」のように扱われており、そこで菅直人が自宅でくつろぎながら話している内容は、私たちにとってはまったく新しいことでも何でもないのに(これに関しては菅直人は本も出版し、それがドイツ語にも訳されている)、それをあたかも「スクープ」したかのように報告しているドキュメンタリーになっていることに私は面食らったのだった。それで、あまりに日本の事情を知らない人たちが映画を選んでいるからこういうことになるので、これは、もう少し日本のことを知っている人が映画祭のチームに入らないといけないのではないかと思ったのが、私の正直の気持ちだったのだ。

それでSNBとして、日本の映画の紹介に関して援助できることがあったらしたい、という申し出をしたところ、彼らも大変喜んでくれ、それでSNBが協賛団体として参加することになったのは、SNBのミーティングでもいつか報告したとおりである。

Aya Domenig作「太陽が落ちた日」
坂田雅子作「私の終わらない旅」

去年のウラン映画祭後から、2017年の準備に関わるようになり、それまであまり充実していなかったホームページの日本語版を少しずつ訳し始めたり、フクシマをめぐる映画、または日本の監督の作品を推薦してほしい、という要望に応え、新しい映画ではなかったが、私たちがProtestivalでも上映し、素晴らしかったAya Domenigの映画「太陽が落ちた日」と、その前にACUDでSNBが上映した坂田雅子の「私の終わらない旅」を推薦し、彼らに応募してもらって、この二作が上映される運びとなった。

松原保作「被ばく牛と生きる」

また、私とは別のルートで、フリーでドキュメンタリー映画監督、カメラマンとして活躍されている松原保が、「被ばく牛と生きる」というフクシマ事故後、被ばくした牛たちを殺さずに飼い続ける畜産農業に携わる人たちを巡る感動的なドキュメンタリー映画を応募したことを知った。坂田雅子とは二年半前にベルリンで会ってから、個人的に親しくさせていただいていることから、「いつかドイツ語の字幕が作りたいね」と話していたこともあったので、この機会に、ベルリンで上映される時には、やはりドイツ語の字幕があった方が観客には理解されやすいので、字幕を作ることとなった。

また、「被ばく牛と生きる」は、日本語版と並んですでに英語版が出来ているのだが、これも映画祭の方から、できればドイツ語訳を作ってほしいという希望があったので松原監督とコンタクトを取ってスクリプトをいただき、翻訳することになった。二作とも長編の映画で、ナレーションやインタビューシーンが多いため翻訳するテキストは多く、大変な作業ではあったのだが、私にとってはとても勉強になり、そしてやりがいのある仕事だった。もちろん、ドイツ語が母国語でない私は、翻訳を最終的にはいつものように大切な友人Annette Hackにチェックしてもらった。この二作の翻訳を仕事の傍ら完成させたのが9月の頭くらいである。私が関わることになった映画の翻訳を仕上げる上でAnnetteが気持ちよく協力してくれたことにここで改めてお礼を言いたい。

プログラムができ、今回は合計で27本の長編・短編映画が上映されることとなった。今年はブラジルのゴイアニアで起きた放射能事故からちょうど30年前になることから、それをテーマにした映画が多く上映されただけでなく、その記録写真展が展示され、生存者の一人で被害者グループの代表として活躍しているOdesson Alves Ferreiraが来独してその話を語った。そのほか、上映作品の監督が何人も訪れ、その作品の上映後には監督トークが行われた。松原保・坂田雅子両監督もこの映画祭のためにベルリンに来独したので、ここでは通訳を務めた。

このウラン映画祭は、リオデジャネイロに住むドイツ人のジャーナリストであり、自分でもかつてゴイアニアの放射能事故に関する映画を作ったこともあるNorbert Suchanekが2011年に始めたもので、翌年の2012年からはベルリンでも毎年開かれている。私が最初にこの映画祭に注目し始め何本か映画を見に行ったときは、私を入れて二人か三人ほどしか観客がいないようなこともあって、Pankowの映画館で寂しい思いをしたものだが、ベルリンのオフィスを代表して一人で奔騰しているJutta Wunderlichの努力の甲斐あって、去年くらいから規模が少しずつ大きくなってきた。協賛団体も増え、公的な団体、国会議員やベルリン市議会議員なども「後援者」となるほか、スポンサーができたことから、場所もKulturbrauereiの映画館という、町の中心に移ったし、プログラムも充実してきた。イベントを計画して実行に移し、運営することの大変さを、私も去年のProtestivalでいやというほど実感したが、それを続けていくことの意義を思って7年間映画祭をあらゆる困難を顧みず続けてきた人たちの尽力は素晴らしいし、また、SNBのようにそれを協力する人たち、団体たちも増え続けているのはうれしい。私は個人的にも映画が好きで、ことにこうした社会的、政治的テーマをたくさんの市民に訴えていくには、映画という媒体は適していると常々思っているからこそ、これまでもSNBで数々の映画を上映する努力をしてきたわけだが、それで今回からウラン映画祭を積極的に応援できることになって、私としては、自分の興味のある部分、能力を生かせる部分で運動を続けていく、ということがこういう形で実現できるのはうれしいと思った。

SNBのステッカーを手に授賞式で話をする松原保氏
受賞したトロフィーを持つ松原さん夫妻と私

最終日には数本映画が上映された後、賞の発表があった。最優秀賞に今回選ばれたのは「ムルロアから愛をこめて」という、フランスが行った一連の核実験で被ばくした元兵士や軍務関係者をレポートしたフランスのジャーナリストLarbi Benchiha監督のドキュメンタリー映画だった。短編映画最優秀賞にはブラジル・ゴイアニアの放射能事故をテーマにした劇映画Algo do que Fica (Something that remains)が選ばれた。それから今年は特別にBerlin Audience Awardというのが作られて、松原保監督の「被ばく牛と生きる」が受賞した。ジャンクアートを製作するブラジルのアーティストGetúlio Damadoが一つ一つ手作りする賞がそれぞれ手渡されるのだが、私は松原監督に賞を渡す役を引き受け、その時にSNBからのプレゼントとしてエコバッグとNo Nukesのステッカーを数枚贈らせてもらった。その時には舞台でばっちり、SNBが毎年かざぐるまデモを行っていることも宣伝してきた。

授賞式で

外で見ているのと、実際に運営に参加するのとでは大きな違いがあることは当然だが、成長しつつあるこの映画祭にもまだまだ改善の余地が多分にあることも分かった。賞を渡すのは意味のあることかもしれないが、数名でスタートさせた当時よりずっと規模も大きくなった映画祭では、Juryのメンバーも明記して、透明性を持たせるべきだし、今回は一つ一つの映画に「Filmpate」というのを設けて、俳優や舞台監督などにそれぞれの映画を推薦させる、というふうにしたのはいいが、それがあまり効果的に使われなかった(何のためにその人がいるのかわからないなど)、司会や進行などでも「素人的」な発言などが目立ってしまった、監督とのトークなどでも、司会がある程度リードしないと、誰かの発言が長くなりすぎてしまうなど、そばから見ていて気になるところはいくつかあった。

あまり「プロフェッショナル」になりすぎて大げさだったり尊大になったりするのはもっと嫌だから、そういう意味では「素人的」な部分があるのはいいのかもしれないが、こうしてたくさんの人を集めてイベントを行う以上、ある程度の枠は維持しないといけないように思った。でも、SNBでもデモの後、毎回「反省会」をしていることを伝え、この映画祭でもしようと呼び掛けたところ賛同を得、さっそく今週ウラン映画祭ベルリンスタッフで集まって反省会を行うことになっているので、いろいろ話し合い、来年は今年気になった部分を改善した素晴らしい映画祭が開けるよう、私も自分のできるところで努力したいと思う。私は、松原ご夫婦と知り合いになってお話がいろいろできたのが楽しかったし、今次のドキュメンタリー映画(ドイツの脱原発、エネルギーシフトをテーマ)を製作中の坂田雅子を手伝ってインタビューの通訳をしたりして、また充実した時間が持てたので、けっこう疲労はしたが、受け取ることの多い濃厚な時間だった。いい作品を紹介することで、ベルリンの市民に、核・原子力の恐ろしさ、核の鎖を断ち切る以外にないのだということを改めて考えてもらう機会を作ることに貢献できたことを喜びたい。これからも、SNBが「この作品はぜひベルリンでも紹介したい」というような映画があれば推薦し、ウラン映画祭で見られるようにしていければいいと思う。(ゆう)


国際ウラン映画祭 サイト:http://uraniumfilmfestival.org/de

日本語サイト:http://uraniumfilmfestival.org/ja

『太陽が落ちた日/ Als die Sonne vom Himmel fiel』 公式ウェブサイト(英/独):http://www.alsdiesonnevomhimmelfiel.com/

『私の終わらない旅』 公式ウェブサイト(和/英):http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/

『被ばく牛と生きる』 公式ウェブサイト(和/英):http://www.power-i.ne.jp/hibakuushi/

 

 

 

沖縄映画の夕べ「標的の村」上映会の報告

Sayonara Nukes Berlin(以降SNB)はこれまで、フクシマ原発事故をきっかけに反原発・核問題だけを扱い運動するワンイッシューのグループだったが、最近ことに安倍政権になってからあらゆる問題が日本では悪化し(それは日本のことだけではなく世界中の傾向ではあるが)、特定秘密保護法問題、憲法改悪問題、共謀罪、辺野古を始めとする沖縄の基地問題など、黙っていられない事態がどんどん出現している。ことに日本における基地の問題は、ジャーナリストの矢部宏治がその著書「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」でもその本質を言い当てているように、根本的に通じる部分が多い。日本の戦後70年来の米国隷従の歴史が、この基地問題と原発問題に端的に集中して現れていると言っても言い過ぎではない気がする。そういう意味で、SNBとしてこの複雑で、よく知られていない沖縄の歴史をおさらいし、どういう問題を日本は抱え、どのような悲劇を沖縄の人たちが戦時中からずっと日本政府により与えられ続けてきたのか、勉強していく必要がある。

そこで、去年沖縄に行って、基地問題を現場で体験し、勉強してきた絆ベルリンの会長でありSNBでも活躍している福澤啓臣氏と、かつて長く沖縄に滞在し、現地での運動に参加してきたSoRAさんが中心になって、SNB初のArbeitskreis Okinawaを立ち上げた。彼らはすでに春、デモの後沖縄の勉強会を催したが、私はちょうど日本に行っていたため、参加できないでいた。

5月になって、ぜひ話題のドキュメンタリー映画「標的の村」の上映会を開きたいと、福澤さん、SoRAさん、私で集まって相談し合った。SoRAさんが調べた結果、この琉球朝日放送制作、三上智恵監督の映画は上映権がなんと6万円もかかることが分かったため、この費用を調達するため、まずSNBがかつて二度も支援金をいただいたSelbsthilfe Netzwerkに依頼してみることとなった。申し込み締め切りまでに時間が数日しかなかったのだが、福澤さんがどうにか説明文と予算明細を出して申し込んだところ、上映権費用、会場費用、フライヤー等の印刷費用として計700ユーロを支援してもらえることとなった。また、ベルリン在住のY氏も主旨に賛成して、そのために寄付をしてくれた。

ということで、上映料が高いため、だめかもしれないと思っていたこの映画が思いがけず上映できることとなり、まずはその映画上映にふさわしい場所を探すこととなった。2年前に坂田雅子さんの「私の終わらない旅」を上映した映画館ACUDに問い合わせたところ、予定の日程でそこの映画館も借りることができ、ちゃんとした映画館で上映ができる運びとなったのは、うれしい限りだ。今年になってSNBの集まりに出席するようになった緑さんがこのArbeitskreis Okinawaでは全面的に協力してくれ、彼女がポスターやフライヤーのデザイン・レイアウトをしてくれただけでなく、会場に張り出す、沖縄の地図や簡単な説明、写真をレイアウトしたすばらしいInfotafelパネルを作成してくれた。また、福澤さんが上映に伴い、ドイツではあまり知られていない沖縄の歴史と基地闘争の背景を簡単に説明することにしたので、その説明文のネイティブチェックを、緑さんの友人のFriederikeさんに引き受けてもらった。こうして、「日本人の内輪の集まり」ではなく、ベルリン市民を対象としたOkinawa Filmabendの構想が温まっていった。

Face Book(以降FB)やその他のネット情報でイベントの宣伝をし、フライヤーを配ったりポスターを貼ったりはしたものの、実際にどれだけ人が集まるか、蓋を開けてみるまではわからない状態だった。FBで来る、と言ってくれていた人たちがかなりいたそうだが、FBをしない人もいるので、最後まで不安はあった。ところが、ACUDの映画館は定員が約80名だったのが、入場開始前の6時半頃よりどんどん人が入り始め、7時ちょっと前にはもう座席が 満員となるほど、入場数を数えた。それからもさらに入場者が訪れ、 7時を過ぎた頃はもう階段など、床にも人が座って満員状態になり、これ以上は人を入れることはできない、ということになったほどだ。おそらく100人は入っていたと思う。イベント開始後も会場に入らず、外で待機してくれていた人たちの話では、始まってからもさらに人が来て、断らなければならなかったのがさらに30名近くいた模様だ。来場者の85%は日本人ではないベルリン市民(ドイツ人を主とする)だったことも、私たちはとてもうれしく思った。急に暑くなった日で会場内は定員を超す人数のため蒸し暑く、決して快適ではなかった。

7時20分ごろ、私がSNBの名で挨拶をし、Netzwerk Selbsthilfeにお礼を言い、簡単に映画監督などの説明をしてから、福澤さんにバトンタッチした。約20分ほどの福澤さんの説明の後、映画上映を開始した。

映画は私も初めて見たが、素晴らしいものだった。高江の人々はただ、自分たちのすばらしい自然の中での自分たちの生活を続けたいだけなのに、それができないため、運動をせざるを得ないこと、その運動が彼らの生活の中心にならざるを得なくなっていることが改めて理解できた。オスプレイがどれだけ彼らの生活を脅かしているかについても、私のこれまでの認識は甘かった気がする。自分たちの土地が米国の基地に奪われ、平和な生活を脅かされるゆえ、非暴力で抵抗運動を続けざるを得ない彼らを、日本政府の権力が暴力(物理的な暴力と司法を使った暴力)で踏みにじり、市民を守るどころか市民を裏切り続け、痛め続けるその姿があまりにひどく、高江の人たちの悔しさ、悲しさ、情けなさが身に迫って、私も何度も涙ぐんでしまった。また、ベトナム戦争での兵士の訓練のため作られた「ベトナム村」 で高江の人たちが標的のベトナム人にさせられてきたことなど、私は全く知らなかった。今、高江の人たちが、高江の村の真ん中にヘリパッドを作る理由は、高江の村を仮想の標的とすることで練習しているに違いないと思っているのは、当然だ。それがどんなに屈辱的であり、かつ恐ろしいことなのか、日本人のほとんどは知らないし、それを沖縄の人たちに押し付けて平気できた私たちの罪をもっと意識しなければならないと思った。この映画を上映することができて、本当によかったと思う。

沖縄の伝統的なぶくぶく茶

映画は91分、蒸し暑い館内であるにもかかわらず、ほとんどの人たちが最後も残り、質疑応答に参加し、アンケートにもこたえ、そして解散後も館内で泡盛やぶくぶく茶(これはベルリンのお茶屋さんMachaMachaに勤めるYumiさんがドイツの日本茶大使に任命されてはじめて私たちの上映会でお茶をふるまう運びとなった、沖縄の伝統的なお茶)を飲み、パネルを見ながら、たくさんの方たちが意見交換や話し合いに残ってくれたことは、有意義だった。

アンケートの集計総数は78枚、ご協力いただいたみなさんありがとうございました

質疑応答では、「沖縄の人たちは北朝鮮のミサイル発射などの状況下で、米国に守ってもらっているような気持ちはあるのか」とか、「韓国にも米国の基地があり、そこでも反対運動があるが、彼らとの交流はあるのか」、などの質問があった。また、沖縄が独立した国家であったのを、日本が占領し、さらに第二次世界大戦敗戦後、米国に占領されてきた歴史について知らなかった人たちが多いので、説明は必要であったことが分かった。ドイツも同じ敗戦国として米国の基地問題を抱えているので、意識を持っている市民も多いし、この沖縄の歴史(それはもちろん、日本の恥ずかしい歴史でもある)が抱える特殊性についても理解してもらえたと思う。

SoRAさんが用意した高江のグッズ(Tシャツ、布巾等)、緑さんの作成したバッジ、SNBのグッズの売り上げ、そして上映会に対するカンパ金は合計で261.32 232.65ユーロだった。これはどちらも合計して、SoRAさんに日本に持って行ってもらい、日本円に換金したうえ、高江の活動に寄付したい。(※グッズの仕入れ費用が寄付金の合計額にまじっていたため、7月19日の最終会計報告書に基づき一部の金額を修正しました)

世界中であらゆる問題が噴出している今、そして日本でも共謀罪がひどい状態で可決され、さらに沖縄・辺野古の新基地建設に関しても、翁長知事を始めとする沖縄市民の感情を無視し逆なでしてどんどん埋め立て工事が進められるなど、事態は悪化する一方だが、それでもベルリンでこの沖縄の問題をテーマにしたイベントを行い、これだけ動員することができたことにSNBのArbeitskreis Okinawaとしては大変勇気づけられた。とにかく、市民が一人でも多く目を覚ますこと、問題を意識すること、理解することが世の中を変えていく第一歩だ。これからもあきらめずに私たちのできる立場で運動を続けていきたいと改めて仲間同士で言い合った夜となった。(ゆう)

Protestival Filmfest「カリーナの林檎ーチェルノブイリの森」 in ベルリン

Protestivalも最後にさしかかった4月23日(土)、『カリーナの林檎~チェルノブイリの森』上映会を行った。

Kalina's apple
公式サイトより

そもそもこの映画をProtestivalで上映することになったいきさつは。。。

Continue reading Protestival Filmfest「カリーナの林檎ーチェルノブイリの森」 in ベルリン

Protestival in Leipzig

Protestival in Leipzig

ベルリンから南東へ200km離れた所にライプツィヒはある。バッハ、ゲーテ、メンデルスゾーンゆかりのある有名人をあげれば数知れず、現代でもライプツィヒは第二のベルリンと言われる文化的に自由な雰囲気を持っている。

チェルノブイリから30年、フクシマの事故から5年ということでこの問題についてより多くの人に再度考えて欲しい、そんな思いからベルリンだけでなくライプツィヒでも上映会を開くことになった。今回はこの街で行なわれた小さな上映会についての報告である。

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4月1日、幸か不幸か最高の天気に恵まれ幕を開けた Protesival in Leipzig。

一日目のプログラムはライブペインティング、グリンピースエネルギーからヨーロッパの原子力発電所の具体的な現状の紹介、そして二本の映画にディスカッション。

会場準備と共に始まったライブペインティング。ライプツィヒ在住の三人のアーテイストによるコラボレーション作品。三人で一つの絵をゼロから成っていく工程は芸術家の感性と遊び心を見せていた。芸術に言葉は要らない。だからこそ、芸術は世界を繋ぐ一つの手だてになる。

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※ 下に完成版が載ってます

まずはグリーンピースエネルギーからの話から始まる。

R0019900ドイツでは2020年まで原子力を止めることは決まっているが、放射線を出し続ける放射能廃棄物の最終処理場の問題は未だに片付いていない。ドイツのすぐ横には原発大国フランスを始めとし、近隣諸国のイギリス、チェコ、スロバキア、ポーランドを始め新しい原子力発電所の建設予定もある。再生可能エネルギーへ転換を図りEUを牽引していくドイツ国民はこの状況に対してどう取り組むべきなのか、またそれに伴う経費についても事細かに話しがあった。この問題は一つの国家の問題として捉えるべきではない、EUという連合体、つまるところ世界的な視野を持つことによって見え方も対応も変わっていくことのだ。アクチュアルな問題である避難民の問題含め様々な問題を抱えるドイツだが、原発についてはそれぞれが意識的に続けていかねばならない。彼はそのことを強調していた。(放射能廃棄物についての問題はこちらをご覧下さい→http://midori1kwh.de/2012/03/11/1512)

上映開始予定16時になっても、空からは春の暖かい日が差し込み、映画を見に来てくれた人も外で太陽の光を浴びたいから上映時間を後にしてくれないかと言われる次第。私自身も公園でごろごろしたいなと思ってしまったが、それは諦め予定通り上映を開始した。

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春のこの時期は多くの人が太陽と共に春のを訪れを実感する。

R0019903一本目の映画〈カリーナの林檎

一本目の映画はある物語〈カリーナの林檎〉。チェルノブイリ近くの街に暮らすどこにでもいる少女についての話で最終的に内部被爆をし病気になる。もし自分の子どもや未来の子どもがそんな目にあうことったらと思うだけで原発にはうなずけない。笑顔でいれば放射能は無くなる。そう言っていた政治家にはこうなることは想像できないのであろうか。翻って今の日本で行なわれている避難区域解除に対して疑問が生まれてくるのも当然ではなかろうか。ただちに影響はありませんでは困る。何かが起きてからでは遅いことだってあるのだ。

一本目、二本目の映画の間には30分程の休憩があり、愛のこもったおにぎり三種(トマトライス、ツナマヨ、タケノコ炊き込みご飯)に卵焼きに白菜の浅漬けもあった。味も見た目も大好評であった。

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二本目の映画〈首相官邸の前で

空も段々と薄暗くなりはじめ、二本目の映画〈首相官邸の前で〉の上映時間。2012年におきた首相官邸前での反原発デモのドキュメンタリー映画。『私はこの映画で楽観主義を広めたいのです。』ベルリンでそう語った監督のメッセージが表した言葉の通り、私はこの映画を見て勇気と希望を頂いた。デモを始め社会活動をほとんど知らずに育った私たちの世代。私たちにも上の世代からバトンが回ってくるし社会に対して責任はある。だからこそそれぞれが学び続け、社会に対して意見を持てるほうがいい、それが民主主義の前提でもあるのだ。

上映後にはこの映画監督である小熊英二氏とのSkypeでのディスカッションが実現した。最後まで残ってくれたのは10人(メンバーも含めて)。人数が少ないことがプラスの効果をもたらし、リラックスした雰囲気でディスカッション(というか座談会。。。)は進行した。現在の日本の市民活動の状況についての話、そして今回の小熊氏の2ヶ月間の映画上映とそれに伴う大学巡業を通してフランスとドイツの学生達の比較も含めたざっくばらんな質問や感想も聞くことができた。

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『20万もの人が首相官邸の前にいながらなぜ報道が少なかったのか、独立しているジャーナリストは何をしていたのか』という会場からの質問に対し、氏の回答としては日本には過去30年近くそういう事が起こっていなかったためそういったことを報道することに慣れていなかったのではないかと言っていた。それが理由だとしても、ジャーナリズムやジャーナリストを育ててこなかった日本の教育の問題点にも疑問が浮かぶ。

『ドイツから学ぶものはあるか』という質問に対しては彼は“地域、共同体の繋がりの強さや関わり方“を挙げられた。

その回答には私も同様のことを思っている。ライプツィヒでもベルリンでもそのような横の繋がりをよく感じる。縦の関係は時に対等であるべき討論を難しくする。上の人が常に正しいなんてことは無いからこそ、何かを決めるときには縦の関係をできるだけ排除して考えるべきだし、上の人も下の人の意見に耳を傾けるべきである。そしてもちろん下の人も上の人の意見には批判的に考えるべきである。そういう上限関係を抜きにしてこそ、地域や市民の運動はより優れたものとなっていくのではないかと思う。

※この企画当初からこの映画監督の小熊氏とはライプツィヒにきてもらうため何度かメールをさせて頂いた。その柔らかい対応と、実際に見るエネルギッシュな姿から学ぶことはたくさんあった。翌日に日本に帰るという強行スケジュールにも関わらずSkypeで対応してくれたこと、この場を借りて感謝の気持ちと敬意を述べたい。

二日目、プログラムはご飯の会に映画に音楽。

当日は日本の家で毎週土曜日に開かれる『ご飯の会』があった。『ご飯の会』は誰もがお客さんであるが手伝いたい人は下ごしらえから参加できるので言い換えれば手伝える炊き出しである。この会はライプツィヒではけっこう知られていて多くのお客さんを集める。ご飯に対して払う料金は自分で決めれるのでお客さんはお金のない学生、ホームレス、アナーキスト、ヒッピーのたまり場にもなっている。(もちろんジャンルに入らない人も多い)  今回は日本の家に来る常連さんが中心の国際色豊かなバンドによるジャムセッションあった。そのためもあって会場は大入り状態で準備した食べ物はみんなの胃の中に消えていった。(日本の家の活動についてはHPを見て欲しい→http://djh-leipzig.de/ja) 

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ご飯の会の料理は基本的にベジタリアン 野菜は財布にも健康にも良い

この日唯一の上映作品、〈太陽が落ちた日〉。原爆と原発、原爆の記憶や経験を持っている人が今の社会をどう見るのか。映画が終わったときには会場からは大きな拍手に包まれた。いいチョイスをした、日本について知らなかったし勉強にもなった。そんな言葉を数多く聞けた。これは是非多くの人に見てもらいたい。

映画のもたらした静かな会場雰囲気の中、音楽が始まった。目で見る芸術とはまた違う表現方法である。だからこそ音楽の感想を事細かに書くことはできないが、会場の雰囲気にあったいい時間であった。

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アンコールが響く中、Protestival in Leipzigは幕を閉じた。

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会場の雰囲気は最高に緩やかだった

次へ向けて

イベントのテーマは反原発で、この問題に対して『反対!』と叫ぶ事は大事だ。しかしそれよりも、未来に対して楽しい明るいイメージを持つことは重要でこういう場を持って、自分の考えを持つべきである。その意味では今回の活動が文化活動と結びついたことは何より嬉しい。なぜなら文化こそが、国や言葉を超えるものになり得るからである。グリンピースエネルギーが述べていたよう、この問題はどんどん複雑化し規模が大きくなっているのだ。それはもはや一つの国のテーマにすべきものではない。一つの社会で起きたこと、起きていることを通しそれぞれがこのテーマについて何か話をし記憶に留めてくれていれば幸いである。

私が今回思ったことは社会活動の難しさはもちろん重要性と素晴らしさである。(Wikipediaによると社会活動の定義は、社会の為に貢献するもの) こういう一つの活動が繋がりを生む。たくさんの感謝や嬉しい気持ちが自分を動かしまた誰かを動かす。それが街や人を活動させることの一歩であろう。

このことも含め私は多くのことを学んだ。だからこそこれからも小さくても何か繋がりを生める様な活動を続けていきたいと思う。

 

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Nuclear energy is for future???
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当日のライブペインティングの作品

今回ペインティングしてくれたアーティストのFacebookファンページ→ https://www.facebook.com/andecian?pnref=story

そして日本の家のご飯の会の特別ムービー!

 

 

上映作品の予告編集

・カリーナの林檎→https://www.youtube.com/watch?v=KypJEW7YBtg

・首相官邸の前で→https://www.youtube.com/watch?v=EFjsarBPAZ8

・太陽が落ちた日→https://www.youtube.com/watch?v=SXuGWRtio1g

『首相官邸の前で “Tell the Prime Minister”』

3月18 (金) AUSLAND にて、小熊英二監督のドキュメンタリー映画『首相官邸の前で “Tell the Prime Minister”』の上映会を行いました。

はじめに、この日の60名を越える来場者の皆さんに、心からの感謝を申し上げます。

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映画の内容についてはネタバレの恐れがあるので言及は避けたいと思いますが、まずこの映画を鑑賞した後、監督である小熊英二さんによるアフタートークの時間が設けられました。これがまた、皆さんとても活発に質問されていて、挙手が絶えない時間となりました。 Continue reading 『首相官邸の前で “Tell the Prime Minister”』

核のない未来へと希望をのせて「かざぐるまデモ」2015

3月7日、東京電力福島第1原発事故から4年が経つのを前にベルリンで反原発デモを行いました。
ドイツ人、日本人、韓国人、イスラエル人などベルリンに住む市民ら約700人が参加しました。
Anti-Atom-Berlin(アンチアトムベルリン)、NaturFreunde Berlin e.V(ナトゥアフロインデ)、ドイツの反原発、自然保護団体2団体との共催で行いました。

今回は「福島を忘れないで!」をテーマに、原発事故を風化させないこと、日本の原発再稼動・原発の海外輸出に反対するとともに、世界のすべての原発の早期廃炉と再生可能エネルギーへの転換を求めました。

核のない未来へとの希望をかざぐるまに象徴し、昨年に続き今年も「かざぐるまデモ」と名付けたデモ。前日まで雨が降っていましたが、見事に晴れ、かざぐるまが風を受け勢いよく回っていました。

©Tsukasa Yajima
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Puppe’n Muckeのライブ演奏がはじまりの合図となり、ブランデンブルク門前に集まった人々の注目を浴びました。

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©Tsukasa Yajima

その後、ブランデンブルク門前を舞台にSayonara Nukes Berlinから梶川ゆうさんが開会のあいさつをし、「福島の原発事故はいつでもどこでも起こりえます。放射能まみれの地球を次世代に残してはいけません」と訴えました。

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©Tsukasa Yajima

かざぐるまデモ2015 梶川ゆうさんのあいさつ全文

Kazaguruma-demo2015 Rede von Yu Kajikawa in Deutsch

参加者は東日本大震災での犠牲者と世界中で放射能の被害に遭った人々に黙とうをしました。

福島県の民謡「会津磐梯山」に合わせてかんしょ踊りのレクチャーをした後、BodyPoetとTakushi&Friendsによるかんしょ踊りのダンスパフォーマンスが行われ、「Jetzt los!」(さぁ出発)の掛け声でデモが出発しました。
かんしょ踊りとは福島県会津地方に伝わる踊りで、他の反原発アクションシーンでも踊られています。

©Tsukasa Yajima
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アンチアトムの横断幕「FUKUSHIMA HIROSHIMA NAGASAKI ATOMTOD STOPP 福島 広島 長崎 被曝死ストップ」(ママ)、女優の木内みどりさんから届いた横断幕「DON’T FORGET FUKUSHIMA」を先頭にデモは進んでいきました。

©Tsukasa Yajima
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参加者は「会津磐梯山」のリミックス曲に合わせ、踊ったり、リズムにノったりしながらベルリンの中心街をデモ行進しました。

©Tsukasa Yajima
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リミックス曲は公募し、ドイツ、フランス、イギリス、メキシコ、日本から15人のミュージシャン、DJからの応募がありました。そのうちの数曲をDJ SiSeNが演奏しました。

©Tsukasa Yajima
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ひょっとこ、おかめ、きつねのお面を被ったり、和装をしたり、法被を着たりして踊る様子は観光客や道行く人々の目を引いていました。

©Tsukasa Yajima
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最終地点Potsdamer Platz(ポツダマープラッツ)に到着後、日本で「のりこえねっと」(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク)の共同代表をしている辛淑玉(シンスゴ)さんのあいさつがありました。

©Tsukasa Yajima
©Tsukasa Yajima

辛淑玉さんのあいさつ

Anti-Atom BerlinのBernd Lisekさんが閉会のあいさつをしました。
Kazaguruma-demo2015 Rede von Bernd Lisek

©Tsukasa Yajima
©Tsukasa Yajima

最後はPuppe’n Muckeのライブ演奏で締めくくりました。

デモに参加した保育士のカタリーナ・ヴァルケンティンさん(26)は「原発事故は健康被害や環境破壊をもたらします。原発ではなく再生可能エネルギーに転換すべき。子どもの未来のためにも原発はなくすべきです」と話していました。

わたし自身、2回目の参加となる「かざぐるまデモ」。集会が始まる前にワークショップで作ったかざぐるまを参加者や観光客に渡していると、ブランデンブルク門を見に来た日本人観光客が参加しますとかざぐるまを受け取ってくれたり、かざぐるまを受け取ったスペイン語圏の観光客が「一体何をしているの?」と聞いてきて、説明するとわたしたちの主旨に賛同してくれたりと昨年より事前にデモを知らなかった人たちが関心を寄せてくれたように感じました。ライブがあったり、音楽が流れていたという雰囲気が飛び入りのデモへの参加をしやすくしたのではないかと思います。残念ながら東京電力福島第1原発事故を知らない外国の方もおり、時間の経過とともに特に海外では関心が薄れていきがちになってしまうことですが、世界の問題として、日本のみなさんとも連帯し、続けていくことが大切だと改めて感じました。

©Tsukasa Yajima
©Tsukasa Yajima

 

ベルリン在住のドキュメンタリー映画監督アーチー・ドルダー(Archy Dolder)氏が制作してくださった日英独の字幕付きかざぐるまデモ2015年ドキュメンタリーフィルム。

CLOSED CAPTION VERSION/クローズドキャプション版

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報道先リンクまとめ

rbb(ベルリン・ブランデンブルク放送) http://www.rbb-online.de/abendschau/archiv/20150307_1930/nachrichten-eins.html

共同通信 http://www.47news.jp/CN/201503/CN2015030701000946.html

NHK ニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150308/k10010007631000.html

新潟日報モア http://www.niigata-nippo.co.jp/world/world/20150307167478.html

京都新聞 http://www.kyoto-np.co.jp/international/article/20150307000153

北海道新聞 電子版 http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/international/international/1-0109153-s.html

西日本新聞 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/article/154346

佐賀新聞Live http://www.saga-s.co.jp/news/national/10209/163948

北國新聞(富山新聞社) http://www.hokkoku.co.jp/newspack/kokusai2015030701000946.html

千葉日報ウェブ http://www.chibanippo.co.jp/newspack/20150307/244604

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関連リンク

明日うらしま

みどりの1kWh

小林敏明教授の「ライプツィヒの街から35 ベルリン風車デモ 2015」 – OILife オイルライフ

FromBerlin

CO-OP NEWS

ちきゅう座
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写真アルバムリンク

Thorsten Strasas

Florian Boillot

ⒸB.Sauer-Diete/bsd-photo-archiv

Uwe Hiksch

PetShop Petshop

※写真の二次使用等それぞれの掲載元にご確認いただくなどご注意ください。

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映像リンク

原発事故から4年 ドイツで反原発デモ

Kazaguruma-Demo zum 4. Jahrestag von FUKUSHIMA| am 7.3.2015 in Berlin

Anti-Atom-Berlin – PM – Politische Demonstration und Kunstevent – die Kazaguruma-Demo in Berlin

※映像の二次使用等それぞれの掲載元にご確認いただくなどご注意ください。a3372827158_16 _TY19868

2015年3月7日に脱原発を願い、ベルリンで行われたかざぐるまデモ「福島を忘れない」のために提供された14曲の会津磐梯山リミックスを無料ダウンロードアルバムとしてリリースしました。

https://sayonaranukesberlin.bandcamp.com/album/remix-for-fukushima

バラエティにとんだ新しい会津磐梯山をどうぞお楽しみください。
この場をかりて、私たちの活動に賛同の意を表し、無償で楽曲を制作・提供していただいたアーティストのみなさまへ厚く御礼申し上げます。

※著作権は楽曲提供者である各アーティストに帰属します。許可なく営利目的で使用することはご遠慮ください。

Sayonara Nukes Berlinドキュメンタリー映画、「わたしの、終わらない旅」の上映会が6月2日、Sayonara Nukes Berlinの主催で行われ、ドイツ人、日本人など約60人が参加しました。

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あいさつする坂田雅子監督

映画の概要を紹介します。

2011年の福島第一原発事故後、坂田監督は母、坂田静子さん(故人)が1976年ころから反原発運動を続けていたことの意味に気づきます。そして、兵器と原発の2面性を持つ「核」について、フランス、マーシャル諸島、カザフスタンを巡り、そこで核実験と原発によって翻弄された人々を映し出しました。

映画を見る参加者
映画を見る参加者

フランスでは、日本の使用済核燃料が2950トン処理されたラ・アーグ再処理工場やANDRA(国家放射性廃棄物管理局)周辺で放射線検査をするACRO(放射線モニターNGO)の活動を紹介します。ACROの会長は「ラ・アーグの最大の汚染源はお金だと言われている」と話します。

アメリカの核実験が1946年から58年まで67回行われたマーシャル諸島。そのうち23回はビキニ環礁で行われました。実験のためにビキニを離れなければならなくなった島民は今も帰島できないでいます。1960年後半、アメリカの原子力委員会は「ビキニは安全、帰島できる」と発表し、72年から帰島開始、「何を食べても安全」と伝えられました。その後、多くの人が亡くなり、「これ以上住むのは危険」と再び島を離れなくてはなりませんでした。

1949年から89年まで470回の核実験が行われた旧ソ連、カザフスタン・セミパラチンスク。150万人が影響を受けました。実験場跡地の東に位置するセメイ市の病院ではガンの発症率が高いこと、若い世代の免疫力が落ちていることが指摘されました。実験場跡地、1万8千平方キロメートルの4分の1は除染され、4千平方キロメートルが農地にしても安全といわれています。旧ソ連時代、核開発が行われたクルチャトフ市の市長は「わたしたちは次世代の原発を開発しつつある。原爆と原発は別物なのです。きちんと管理していれば原子力はもっとも環境に優しいのです」と語ります。

1953年、国連総会でアメリカのアイゼンハワー大統領が「原子力の平和利用」についてスピーチをしました。その後、1954年3月1日に第五福竜丸の乗組員たちが水爆ブラボーの実験で被曝しました。日本では原水爆禁止運動が盛り上がりますが、平和利用へのキャンペーンが張られていきました。第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんは「ビキニ環礁事件が起きたとき、みんなで勉強し考えていれば日本に54基もの原発はつくられなかったのでは」と問います。フランスの元原発労働者が「それが人を殺すことを知りながら、家で原子力の電気を使うのか」と語った言葉が胸に突き刺さります。ビキニの人たちが島の美しいメロディーに合わせながら歌います。「わたしたちの島と生活は奪われた」。

1995年のもんじゅナトリウム火災事故隠しに対応して、1996年に開催された第2回原子力政策円卓会議には坂田静子さんが市民代表として出席していました。「原子力基本法、つまり国策を見直すべきではないか。国策も誤ることがあります。わたしたちの世代は身をもってこれを経験しました」。

この映画に出てくる核の被害を受けた人たちの姿を通して今の日本、フクシマが見えてきます。

「終わらない」のか「終わらせるのか」はわたしたち市民にかかっているのだと感じさせる映画でした。

上映後は坂田雅子監督への質疑応答もあり、活発な意見が交わされました。かいつまんで以下にご紹介します。

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監督に質問する参加者

-日本の現状、脱原発の現状について

監督:反原発、原発ビジネスなど立場によって言うことが異なり、一人ひとり、掘り下げないとそれぞれ考えていることが見えてこない。

-日本では原発に変わる代替エネルギーは進んでいないのか?

監督:太陽光エネルギー発電も進んでいたが、再生可能エネルギーの制度が変わり、電力会社は再生可能エネルギーの買取義務がなくなったので、高くつく再生可能エネルギーの買い取りを電力会社が避けるようになり、その発展を阻んでいる。(*買取にかかった費用は一般電気料金に上乗せしているので、結局消費者が負担している)

-なぜ、世界で60年間原発が稼動してきたのか?

監督:それこそ自分に問いかけてきたものでこの映画を撮る原動力になった。

-フランスにもドイツのように反原発運動をしている人たちがいるのか?

監督:少数だがいる。少数でもがんばっていることに意味がある。フランスでも再生可能エネルギーが発展することを願っている。

 

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*上映会の際、坂田監督へのカンパ、会場費、Sayonara Nukes Berlinの活動費のため呼びかけた
カンパ(事前、当日)は、合計337,60ユーロでした。ご協力いただいたみなさまにお礼申し上げます。
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今回上映会場となったACUD  http://www.acud.de/
*「わたしの、終わらない旅」DVD版は、amazonなどで購入することができます。