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大切なあなたの一票を海外から届けよう―在外選挙の呼びかけ

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日本国外在住のみなさん、在外選挙人登録はもうお済みですか?

※2016年に書かれた記事ですが、記事の終わりにある在外選挙を呼びかけるためのフライヤーをいつでもどこでも配布できるよう更新してあります。ぜひご活用ください。今回が間に合わなくとも、この機会にぜひ在外選挙への登録を。(2017年更新)

今年2016年の夏(6月下旬以降)に参院選があります。この参院選は、連日ニュースで伝えられているとおり、野党共闘初の選挙となり、自民・公明とそれ以外の党というかたちで二つの選択肢が明確に提示される選挙になります。私たちベルリン在住の日本人グループSayonara Nukes Berlin(SNB)は、今度の参院選を前に、みなさんにぜひ在外選挙制度を活用していただくよう呼びかけています。

今回の参院選で自公が2/3以上の議席を占めることになれば、憲法改正が現実となってきますし、川内原発や高浜原発につづいて他の原発も再稼働される可能性が出てきます。日本の未来がどうあってほしいか、今回の選挙を機会に海外からあなたの意思を票にのせて送りましょう。

申請から在外選挙人証を受け取るまでに2~3か月かかります。まだお持ちでない方は、ぜひ今から準備をし、夏の参院選に備えましょう。

申請の流れ(総務省ホームページより)

http://www.soumu.go.jp/senkyo/pdf/061025_02.pdf

在外選挙関連申請書一覧(外務省ホームページより)

http://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/senkyo/shinseisyo.html

さらに詳しい情報は下記Q&Aでチェック!

Nさん(81歳・ドイツ在住43年)のおはなし

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『1970年代ドイツで「海外在住の日本人にも投票のチャンスを」という運動を一人で始め、日本に一時帰国した時に当時の自治省の担当者などに会って希望を伝えましたが、何年も何も起こりませんでした。そのずっと後になって、アメリカ在住の大勢の日本人の運動が実り、2000年から海外の日本人も投票できるようになりました。なかばあきらめていた私はすごく喜び、以来1度も棄権したことはありません。私たちは一票で日本の政治につながっているわけですから、この権利を海外でも行使するのはとても大切だと思っています』

 

在外選挙Q&A

Q. 日本と出てくるときに転出届をだしていないのですが、在外選挙人証を取得することができますか?

A. ①在外選挙人証を取得するには、まず市区町村役場に転出届を提出し、日本での住民登録を除籍しておく必要があります。転出届を行わないと日本国内の選挙人名簿に登録されたままとなるため、在外選挙人名簿に登録できません。

②転出届けは代理人でも可能です。代理申請に必要な書類は:

1.パスポートのコピー(出国した日付が確認できるページと、本人確認ができるページ)

2.出国してから14日以上たってしまった場合は、遅れた理由を一筆書いたもの(原則として、1年以上転出する場合は、転出届を出すのが義務なため。)

3.同じ世帯同居人が代理ではなく、一人暮らしだった場合、代理人は上記の書類のほか申請者の委任状の提出が必要。(様式は各市町村のホームページなどでダウンロードできます)

Q. 移転先でまだ在留届を出していないのですが。

A. 在外選挙人登録申請には、在住の地域を管轄する日本大使館または領事館等に「在留届」が提出されている必要があります(オンラインでも簡単に届け出ることができます)。在外公館に出向いて在留届を提出する場合、一緒に在外選挙証を申請することができます。

在留届について(在独日本大使館ホームページより)

http://www.de.emb-japan.go.jp/nihongo/konsular/001zairyu.html#zairyu

Q. 国民年金を払い続けるために、日本に住民票を置いてきたのですが。

A. 日本に住所がなくても国民年金を払うことができます。転出届を出す前に、年金課で「任意加入」の手続きをすれば可能です。

Q. 在外選挙人登録申請は郵便でもできますか?

A. パスポートの提示など本人確認が必要ですので、必ず本人が在外公館に出向く必要があります。

この他にもご質問などありましたら、どうぞお気軽に、sayonara-nukes-berlin@posteo.net までお送りください。

在外選挙呼びかけフライヤーを印刷用にダウンロードする ↓

在外選挙制度2017 呼びかけ更新版_表

在外選挙制度活用の呼びかけ_裏

 

Protestival 2016 Nuclear, Democracy and Beyond

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期間:2016年3月11(金) – 2016年4月26日(日)

今年2016年、福島原発事故は5周年、チェルノブイリ原発事故は30周年を迎えます。

Sayonara Nukes Berlin は、この二つの事故日である3月11日から4月26日までの7週間の間、「核エネルギーと民主主義」というテーマをめぐる各種のイベント -Protestival-を行なうことにしました。

福島とチェルノブイリの原発事故は決して過去の出来事ではなく、いつどこでまた同じような過酷事故が発生してもおかしくありません。私たちは、この二つの節目を機会に、あらためて核エネルギーの危険、世界中で核技術をめぐり日常で行なわれている差別、人権蹂躙の構造をもう一度思い起こし、市民に訴えていきたいと思います。

私たちが住んでいるドイツでは脱原発が決定しているとはいえ、いまだに8基の原子炉が稼動しています。世界中の原子炉が全基停止するまでは、地球上の放射性廃棄物は増える一方で、その処分方法がいまだに解決されていないばかりではなく、何十万年、百万年という信じられない時間の単位であらゆる生命を脅かし続けるのです。フクシマは日本だけの問題ではありません。チェルノブイリはウクライナの問題だけではありません。これは、すべて地球に生きる私たち一人一人の問題であり、脅威です。そのことを一緒に考えていくために、私たちはProtestivalを企画しました。一つ一つの催し物を通して、私たちはどのように生きたいか、どのような地球を子どもたちに遺したいか、そしてそれを実現するためにどのように社会参加が可能なのか、もう一度考える機会をもちたいと思います。

アート、音楽、パフォーマンス&パネルディスカッション、映画上映、写真展、そして毎年恒例のかざぐるまデモなど。

ぜひご参加ください。

詳細はこちら>> www.protestival.de

 

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JunさんとKimさんとの出会いー韓国における活動

先日に日本に一時帰国したとき、東京のある人と話していて、東日本大震災と原発事故のことを話題に出してみた。

「ああ、そんなこともありましたねえ。」

もうだいぶ昔のことで、もうそれは解決されているかのような言葉に、ちょっとショックを受けた。

人間は「喉元過ぎれば熱さ忘れる」性分だが、あの大惨事の直撃を受けた被災地の人々が強いられた損失は埋められず、もう住めなくなってしまった土地や放射性廃棄物は横たわり続け、今も放ち続ける放射能、そこから生まれる差別や搾取構造などを考えれば、何も解決されていないし何も終わっていない。

放射能のように、それそのものが目に見えないものを問題だと意識するにはそれなりの知識が必要だし、それを周囲に伝えて理解を促すことは簡単ではない。でも、その恐ろしさを知り、またそれが先の世代に対して大きなツケになってしまうと知ってしまったからには、何事もなかったかのように何もせずにいることは、未来に対して無責任だと思わされる。

その簡単でないことを、韓国で続けているJun Sun Kyungさんに出会った。

きっかけは、Sayonara Nukes Berlinメンバーが書いたドイツのブルーベリージャム放射能汚染のブログ記事を見つけたJunさんが、ベルリンに行くのでSayonara Nukes Berlinのメンバーと意見交換したいとコンタクトしてきたことだ。

Junさんはソウルで「安全給食連帯」というネットワークの代表をしている。2人のお子さんを持つJunさんは福島の原発事故以来、食品の放射能汚染の危険性を認識するようになり、子どもたちが学校で食べる給食に放射能に汚染された食材を使わないでほしいと行政に訴えたり、放射能に汚染した食品から子どもを守るための法律作りを目指してロビーイングをしたり、ソーシャルネットワークを活用して情報発信している。

JunさんとKimさんとカフェでお茶を飲みながら。
JunさんとKimさんとカフェでお茶を飲みながら。

「韓国でも、反核については関心はあるが、放射能汚染食品による内部被ばくについては、あまり関心を持ってもらえない。やはりだんだんと人々の関心が薄れてしまって、一緒に活動していた仲間も日常の忙しさのために少なくなってしまいました。」 しかし、明るいJunさんの顔に「だからあきらめる」というネガティブな影はなく、むしろ「だから続けていかなければ」という頼もしさが光る。

人々の関心が薄れようと、放射能はそこにある。出てしまったのだ。

チェルノブイリ事故で低線量被爆国であったドイツは、現在も健康被害が続いているという。*1

日本でどれだけ低線量の汚染食品による長期的内部被爆について認識されているだろう。

日本では、有名人がブログで放射能汚染食品についてちょっと不安をもらしたら、ものすごいバッシングにあったとか。怒りを向ける矛先が違うのではないか!と思う。人々が正直な不安を口にすることができない世の中の空気を作り、「食べて応援」とか「風評被害」などという言葉を隠れ蓑に、本来その怒りを受け止めるべき東電や原発メーカーそして、政・官が、その責任を免れている構造になっていて、結局私たちもそれを容認しているような状態だ。

Junさんのように、子どもを守るため「欲しくありません」と声をあげてもいいのだ。そうした訴えは、批判されたり排除されるべきものではなく、吟味されるべきものなのだ。何よりも「いのち」にかかわることなのだから。

Junさんの今回のドイツ視察の旅には、ソウル市のエネルギー市民協力課で働くKim Hyeon Suさんも同行し、Sayonara Nukes Berlinのメンバーとの会合に同席し、ソウル市の状況をシェアしてくれた。

 

現ソウル市長の朴元淳(パク・ウォンスン)氏は、ソウル市長に当選した翌年の2012年に、原発一基分の発電量に相当するエネルギー削減を目指し、 ”One Less Nuclear Power Plant政策”を打ち出した。きっかけは2011年9月に韓国で全国的規模で起きた大停電。162万世帯が影響を受けた。福島第一原発事故が起きたばかりで、人々の原発に対する不安も高まっていたころだ。行政と市民が協議を重ねた結果、1000万世帯のソウル市の未来に安全で安定したエネルギー供給を引き継ぎたい、という思いから、このOne Less Nuclear Power Plantは始まった。ソウル市にエネルギー設計所が創設され、Kimさんの働くエネルギー市民協力課も設置され、発電、効率化、節電などに関連する71のプロジェクトがデザインされた。

ソウル市のOne Less Nuclear Power Plant Projectの冊子
ソウル市のOne Less Nuclear Power Plant Projectの冊子
2014年までに2百万TOE(1TOE=11.63MWh)のエネルギー削減を目標を立てたが、6か月早く目標値に達し、現在さらに原発もう一基分のエネルギー削減をめざすプロジェクトの第2フェーズ”Seoul Sustainable Energy Action Plan”に入っているそうだ。
2014年までに2百万TOE(1TOE=11.63MWh)のエネルギー削減を目標を立てたが、6か月早く目標値に達し、現在さらに原発もう一基分のエネルギー削減をめざすプロジェクトの第2フェーズ”Seoul Sustainable Energy Action Plan”に入っているそうだ。

公的施設の屋根を市民組合などに貸し出したり、小型ソーラーパネルへの市の補助など、Kimさんからいろいろお話をうかがうと、ソウル市は進んでいるなと感じる。Kimさんから頂いた冊子を読むと、鍵はリーダーの決断力と計画段階からの市民の参画だと思う。一国の首都が国内の脱原発・エネルギー転換のモデルになるという姿はうらやましい限りである。

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20年前に日本に2年間留学していたというJunさんの日本語と、韓国語が流暢なメンバーの通訳のおかげでお二人と良い交流を持つことができた。消えそうな火も連帯すれば灯り続ける。

 

参考:*1 福本まさお著『ドイツ・低線量被爆から28年-チェルノブイリは終わっていない』

http://sayonara-nukes-berlin.org/?p=105

http://sayonara-nukes-berlin.org/?p=266

かざぐるまデモ2015・ドキュメンタリー動画できました!

3月にベルリンで行ったかざぐるまデモのドキュメンタリーができました! こんな立派なものができてしまうなんて、予想していませんでした。 そもそも私たちにはそんなお金も自作するスキルもがない。。。 では、なぜできたかというと。 デモで使う風車を製作するワークショップをボランティアの人たちと行っていたときのこと。 メンバーのS子ちゃんのつながりで、アメリカ人男性アーチーさんがワークショップに来てくれました。 ワークショップの終わりころに自己紹介して、名刺をいただいたら、プロデューサーとある。 へえ、そんな人もかざぐるまデモに関心を持ってくれるなんて、うれしいな、くらいでその日は終わりました。

さて、デモの当日の映像記録を去年してくれた人が、今年は都合がつかずできないとのこと。 さて、困ったな。。。 「アーチーさんに聞いてみたら?」とのS子ちゃんのアドバイスにコンタクトを取ってみたら、「喜んで協力するよ!」と快諾してくださいました。 当日、ブランデンブルク門の前に2台のカメラでチームで来てくれたアーチーさんを見てびっくり。え?そんなすごいカメラで撮るんですか。

そしてデモから数ヶ月。 「とりあえず、こんな感じで作ってみたけど、どうかな。」 え!なんかすごい。ここまで期待していなかった!いい感じ! さて、そこからが長旅。 内容について、何度もディスカッション。 映像が決まったら、今度は何度も言葉を吟味しての字幕の翻訳と打ち込み作業などなど。 何度変更があっても、絶えず忍耐強く引き受けてくれ、時に逆に私たちを励ましてくれた紳士なアーチーさん。 15分の映像でこんなに大変なら、長編映画などはさぞ大変だろうと、映像制作の大変さを学びました。

そして完成したのが、こちら!

https://youtu.be/9awBgwV0BSc  日独英字幕

https://youtu.be/l2zl6Kgmqws Closed Caption(聴覚障がい者用)の字幕

私たちのデモも普通の人たちが集まってやっているデモなので発展途上ですが、 プロのアーチーさんやアーティストの方々みなさんが、思いを共有し無償で協力してくださいました。 これからも私たちなりのスタイルで、未来のために、原発反対の声を上げ続けていきます。

字幕打ち込み作業中!
字幕打ち込み作業中!

http://elevenfox.de/

http://kazagurumademo.de/

被爆、終戦70年、現在、そして未来

「兵隊が姉の遺体を竹棒でつつきながら焼くところを見ても、涙が一滴も流れず、自分が非情な人間に思えて自分を責め続け、このことがずっと私を苦しめることになった。」

被爆体験を語り継いでいる、カナダ在住のサーロー節子さんは、足の痛みを押して杖をつきながら被爆体験の証言をするためにドイツに来られ、講演の司会者に「広島の原爆を経験し、感情的にどのように乗り越えたのか」という質問に、冒頭こう答えた。

私は自分の持てる限りの想像力でそのときの節子さんの状況を心の中で思い描いてみた。

目を閉じてその光景を描き、自分の愛する家族と置き換えて考えてみた。

でもそれは、また次に訪れる日常の出来事にかき消され、痛みを共有できたように思えたのはほんの一時だった。

でも、節子さんは70年、その痛みとともに人生を送ってこられたのだ。

「ある精神科の専門家に、“人間は悲惨な出来事にあうと、その渦中を生き抜くために感情機能を一時的に遮断する。それは人間的に自然な現象なのだ” と聞いたとき、初めて罪の意識から解放され、自分が泣きたいだけ泣けるようになった」と節子さんは語る。

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ICAN主催のベルリンでの講演会で証言するサーロー節子さん

節子さんは戦後、母校広島女学院の恩師の勧めで、ソーシャルワーカーの学びをするために奨学金を得てアメリカに留学する。

到着してすぐ、広島から来た女学生ということでインタビューを受けたそうだ。

その時に、原爆投下を批判的に語った彼女の元に、たくさんのヘイト・レターが届き、渡米して早々傷つき、悲しみのスタートを切った。

しかしそれにくじけることなく、ソーシャルワーカーとしてキャリアを積み、同時に、生き残った者としての使命を感じて被爆体験と核兵器廃絶を訴えて国連本部を初め世界中で語ってきた。

その原動力とは何かと問われ、彼女はこう答えた。”Demonstrating faith through action” ― クリスチャンである節子さんは、行動を通して信仰を証するという信念が彼女を支えているという。

「世界で唯一の被爆国であり、フクシマ事故という大惨事を起こした日本が、原発を再稼動しようとし、また法案を作って再び戦争のできる国にしようとしている今の日本の状況をどう思いますか?安倍総理に手紙を書くとしたらどんなことを書きますか?」という質問が会場からあった。

「Wake Up! 目を覚ましなさい!そして嘘をつくのはおやめなさい。国民の命を守る政権が、権力と利権のために、国民の命を再び危機におとしめるようなことをしている。国民と十分に話し合わないうちにアメリカと約束をして、国民に不正直になり、憲法を守らず暴走するのは、国民の意思に反することだということに気づきなさい、と言いたい。」

心の底からふりしぼられたような声で節子さんは語った。

壮絶な過去の戦争体験を自ら語るのは簡単なことではない。

生き残った被爆者の方々でも沈黙を続けている人たちも多い。

過去を思い出すことがあまりにも辛いからだ。

だから、思う。

節子さんたち被爆者の方々は単に被爆という日本の戦争被害をアピールするために証言を続けているのではないと。

勇気を持って証言を語り続けるのは、懲りずに核兵器を持ち続けるこの世界へ警鐘を鳴らし、再び過ちを繰り返さず平和な未来をつくるためのミッションなのだ。

広島と長崎の原爆投下という過去を記憶し続けることも。

そのような証言を続ける人たちの努力とは裏腹に、日本はまた戦争に加担する道を歩もうとしている。

いくら後方支援とか国際貢献とか言っても、戦争は戦争だ。ひとたび始まってしまえば歯止めが利かなくなる。

過去の戦争責任をあいまいにしている日本が、再び戦争犯罪の歴史を塗り重ねるようなことをしていいはずがない。

終戦からもう70年、私たちにとっても、戦争の証言をじかに聞く機会はもうあまり残されていない。

私たちは自国の過去の被害だけでなく加害の歴史も直視して真摯に取り組み、「不戦の誓い」を貫くべきである。

もう”意図的な無知”を続けるのはやめて、声に出して語り合おう。

この日はアメリカ人プロデューサー、キャサリーン・スリヴァン さんの作品The Ultimate Wish – Ending the nuclear age-という映画も上映された。

映画ではアメリカで被爆体験を証言し、核兵器の恐ろしさを語り継ぐ長崎の被爆者の女性、フクシマ事故の被災者で避難した女性、また技術者や科学者の証言を通して、核の狂気に私たちは目をつむり続けてはいけないことを訴える。

映画の中である専門家は言う。「核兵器は原発とまったく同じ技術者、科学者でつくれてしまう。」

すなわち、原発を持つということは、核兵器を所持することに等しいのだ。

世界には17,000以上の核兵器があり、これは地球上の人類を滅ぼすに足る量であるという。

それに既存の原発を加えれば、どんなにおびただしい数の恐ろしい爆弾を抱えているかがわかる。

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サーロー節子さんと映画プロデューサーのキャサリーン・スリヴァンさん(中央)

ベルリン近郊ブランデンブルク州の州都であるポツダムは、ドイツが降伏したあと、アメリカのトゥルーマン大統領、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチル首相が集い戦後処理を協議した有名なポツダム会談が行われた場所だ。(現在でも会談が行われたツェツェリエンホーフは日本語オーディオガイド付きで見学することができる。)

会談に出席するためポツダムに滞在していたトゥルーマン大統領は、1945年7月25日、宿舎となっていたポツダムの邸宅から、広島と長崎に原爆を落とすGoサインを出したのだ。

2010年、トゥルーマン大統領が宿としていたポツダムの邸宅前の公園に、原爆犠牲者の慰霊と核兵器のない平和な世界を願って、広島から送られてきた被爆石と石碑が築かれ、ヒロシマ・ナガサキ広場と名づけられた。

広島と長崎に原爆が投下されて70周年でもある今年の7月25日、ポツダムのヒロシマ・ナガサキ広場では被爆者の慰霊式典と灯篭流しが行われる。(詳細は下記ヒロシマ広場をつくる会のホームページをご覧ください。)

異国の地ドイツでも、広島・長崎の原爆のことが覚えられている。

なぜなら、これは現在進行形の人類全体に対する脅威の問題だ、とドイツ人も認識しているからなのだ、と思う。

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ヒロシマ/・ナガサキ広場の慰霊碑に花をささげる節子さん

★サーロー節子さんの証言全文はHibakusha Storiesというサイトで読むことができます。また朝日新聞デジタルにその日本語訳が掲載されていますので、ぜひご一読ください。

Hibakusha Stories

http://www.hibakushastories.org/meet-the-hibakusha/meet-setsuko-thurlow/

広島・長崎の記憶 - 被爆者からのメッセージ(朝日新聞デジタル)

http://www.asahi.com/hibakusha/others/jogakuin/jogakuin-028j.html

The Ultimate Wish – Ending the nuclear age-

https://theultimatewish.wordpress.com/

ヒロシマ広場をつくる会 ホームページ

http://www.hiroshima-platz-potsdam.de/jp/aktuellesjp.htm

写真提供 International Campaign to Abolish Nuclear Weapons(ICAN) Germany

http://www.icanw.de/

希望の象徴・かざぐるまを作る2015

先日、3月7日に行う「かざぐるまデモ」で配るかざぐるまを作るワークショップを行いました。

ベルリンに住む日本人、アメリカ人、そしてドイツ人など約30人以上が集まり、力を合わせて約600本の風車ができました!

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かざぐるま職人たち@ワークショップ

今回日本からは、日本全国の脱原発アクションシーンで登場し人気上昇中のゼロノミクマも、なんと!かざぐるまデモに参加するため日本から駆けつけてきてくれました。

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日本から到着早々、かざぐるま作り+踊りのワークショップに参加してくれたゼロノミクマ

 

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パティシエNさんによるモバイルカフェも登場。日本的なふんわりやさしい味のケーキ(懐かしい味!)とサイフォンで入れたコーヒーで幸せ気分で一休み。売り上げから出た利益76ユーロをSayonara Nukes Berlinに寄付してくださいました。Nさん、ありがとうございました!

ワークショップの他、方々歩いてポスター貼りやチラシを配りをしてくれたり、SNSを駆使してデモの情報を拡散して宣伝をしてくれたり、ラジオ番組で取り上げてくれたり、無償で広告動画を作ってくれたり、チラシをつけたかざぐるまを小学生の子どもたちが一生懸命配ってくれたり、アーティストの人たちが快く協力を申し出てくれたり、ドイツの団体がデモにかかる経費のために補助金を出してくれたり、日本が起こした問題に、ここベルリンでたくさんの人が関心を持って関わってくださって、みんなの力が結集して「かざぐるまデモ」が作り上げられていく様は感動的です。

「敬遠されがちな”政治的”といわれる活動も、楽しくさわやかに、そして政治を考え意見を声に出すことは市民としてごく自然なことだと思ってもらえるようにしたい」というコンセプトで企画した「かざぐるまデモ」が、さまざまな人とのつながりの中で形になって来ています。

デモまで1週間。あと、もう少しです。

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今年は同じかざぐるまがデュッセルドルフ、ロンドン、パリでも回ります。

「会津磐梯山」リミックス募集!

 

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Sayonara Nukes Berlinでは、2015373回目となる反原発アクション「かざぐるまデモ」を行います。

テーマは「福島を忘れないで」。

今回は、福島原発事故の教訓を忘れず、原発に頼らない安全な未来をめざそう!という思いと福島の文化への敬意をこめて、福島伝統芸能のひとつ「かんしょ踊り」でベルリン市内を踊り歩きます。

この踊りに使われる曲は福島民謡「会津磐梯山」です。シーンの中で歴史を作り上げたクラブがあり、伝説的なフェスティバル「Love Parade」の発祥の地ベルリンで、一見古臭く思われてしまう民謡もクールなダンスミュージックになるんだ、とプレゼンできないものか?と考えました。

音楽のジャンルは問いません。そんな私たちの思いを実現してくれるような、「会津磐梯山」リミックスバージョンを大募集します!

「会津磐梯山Sayonara Nukes Berlin version を作成しました。下記サイトでサンプルが視聴できます。

https://soundcloud.com/sayonara-nukes-berlin (Wave file)

http://www.mediafire.com/listen/k9bvdw1d0kx96p8/会津磐梯山_(Aizu_Bandaisan)_.mp3(MP3 file)

こちらのヴァージョンで利用されているデータを無料配布いたします。

下記より編集用サンプル全データがダウンロードできます。このデータをお好きなようにご利用ください。

オーディオデータ(90BPM48KHz

MP3ファイル

http://www.mediafire.com/download/b2cslc706wncdsy/Aizu_Bandaisan_Audio_Files_for_Remix_(mp3).zip

Wavファイル

http://www.mediafire.com/download/e7uh9adfvy55ffx/Aizu_Bandaisan_Audio_Files_for_Remix_(WAVE).zip

 MIDIファイル

http://www.mediafire.com/download/xvorgxgxvs9busr/aizubandaisan_17.01.2015_midi_data.mid

応募条件は、かんしょ踊りを踊れる、5分以内のパワフルなダンスミュージックであることです。

MP3もしくはWAV,AIFF等のステレオデータをDropbox等のダウンロードサービスのリンクを下記メールアドレスまでご送付ください(メールに直接データを添付されますと容量の関係で受信できません)。

info@sayonara-nukes-berlin.org

ご応募いただいたデータはデモ当日にご協力いただくDJの方に演奏していただきます。著作権フリーで利用させていただける作品のご応募をお願いします。

ベルリン在住の有無は問いません。またベルリン在住者で当日作品とともにライブで演奏したいという希望のある方はあわせてご相談ください。

締め切り2015年2月27日
お問い合わせ  info@sayonara-nukes-berlin.org   担当:長針 

もっと会津磐梯山やかんしょ踊りについて知りたい方は下記リンクを参考にどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=8bRH72OIS4A

https://www.youtube.com/watch?v=ph9kgmP_rwM

https://www.youtube.com/watch?v=fsvNT9frQy0

https://www.youtube.com/watch?v=Wjqe_laTIYo

https://www.youtube.com/watch?v=1wKlZaPOoD4

https://www.youtube.com/watch?v=6GES91gKwBM

https://www.youtube.com/watch?v=krRAHitkJcQ


 

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2015年3月7日(土) 13:00から ブランデンブルク門前

福島の原発事故から4年、“福島を忘れないで!” の思いをこめて

今年も「かざぐるまデモ」やります

福島の原発事故からもうすぐ4年が経とうとしている今、次第にあの惨事が人々の記憶から薄らいできつつあります。でも、福島の事故は終わっておらず、まだまだ続いています。

原発を再稼動しようとし、海外に原発を輸出しようとする日本は、大きな負の遺産を未来の世代に引き継がせることになります。私たちはそのことをこのまま傍観していてよいのでしょうか?

Sayonara Nukes Berlinは、Anti-Atom-Berlin、NaturFreundeとともに、ドイツから日本と世界に向けてNOと声を上げるため、そして日本の反原発運動に連帯するため、今年3度目となる「かざぐるまデモ」を実施します。
※SNB主催のデモは本年度で3度目、かざぐるまデモは昨年度より続けています。

今年のデモの特徴は、かんしょ踊り!

福島の民謡「会津磐梯山」のリミックスの音楽に合わせた「かんしょ踊り」でブランデンブルク門からベルリンのメインストリートを練り歩きます。

ステップは簡単、誰でも楽しく踊れますので、踊りの参加も大歓迎です。

そして核のない未来を求める願いを象徴してかざぐるまを回します。

一緒に踊って、かざぐるまを回し、さわやかな風を吹かせましょう!

 

※かざぐるまはデモ当日にも配布します。   http://kazagurumademo.de/ 

かんしょ踊りとは? 

会津の伝統芸能「民謡」の代表格「会津磐梯山踊り」の起源と云われる「かんしょ踊り」。「かんしょ」とは会津弁で「一心不乱、無我夢中になる様」を意味し、まさに言葉通り、当時は若者を中心に朝まで踊り明かしたそうです。(かんしょ踊り保存会ホームページより)

踊りの様子はこんな感じです :https://www.youtube.com/watch?v=ofDNxVGFpC0

info[at]sayonara-nukes-berlin.org

飯舘村の女性たちとの出会い

先日、福島県飯舘村の女性たち10人とベルリンで食事をともにする機会があった。

飯舘村は放射能汚染の影響で計画的避難区域となり、彼女たちも福島県内の他市で避難生活を強いられている。

ドイツ料理とドイツビールをいただきながら、話が盛り上がり一気に距離が縮まる。事故直後当時の混乱、避難後の生活で思うこと、今取り組んでいること、政治のこと。

彼女たちとテーブルを共にし、いろいろな話を聞きながら思ったことは、彼女たちの顔が輝いていることだ。安易な意味での印象ではない。原発事故以来、村を襲った過酷な現実と再生への意志の間で果敢に闘っている人が放つ輝きだ。避難した新しい土地で、ほとんどの方が新しい仕事や取り組みをしている。

彼女たちは24年前、東西再統一前のドイツを訪れている。飯舘村で「女が変われば、男も変わり、村も変わる」というコンセプトで“農家の嫁”を、村で資金補助をしヨーロッパに研修旅行に送るという、非常に画期的な『若妻の翼』プロジェクトで第一期生として送り出されたメンバーだ。

(『若妻の翼』について:多くの方がブログに書いていらっしゃるが、ここではアメーバニュースでの記事を紹介:http://news.ameba.jp/20111003-67/

さて、今回どのようなきっかけで、彼女たちがドイツを再訪することになったかという話。

SayonaraNukesBerlinの活動に参加してくれている強力な助っ人さいこちゃんが、日本に一時帰国中福島を訪れた。その時のIさんとメンバーSちゃんの出会いが、「24年前ベルリンで植えられた桜の木の成長を見に行こう」という話に発展し実現した。

(ベルリン南部の東西境界線の町に、東西再統一を記念して日本市民の募金によって桜の木が植樹され、春には満開の桜並木になる「テレビ朝日通り」がある)

Sちゃんは語る。

「報道からはあまり実感を伴って知り得ない、福島で生活が行われている、人間ひとりひとりが住んでいるということが知りたくて、たいした計画もなく福島に行きました。友人のご両親を頼って行ったところ、いろいろな境遇の方に引き合わせてくださり、飯舘村から来られた方の話しも聞くといいといって『若妻の翼』第一期生のIさんの営む珈琲店「椏久里(あぐり)」にも連れて行ってもらい、お話を伺いました。

飯舘の映画のポスターがお店の入り口に貼ってあり、それを見るように勧められたとき、Iさん自身は見ていると辛すぎて頭痛がしてきた、それほどの心の傷なのだ、とおっしゃっていたのが大変心に残っており、それがなによりその後のお話を聞く私の態度に大きく影響を及ぼしました。

ほんとうにおいしいコーヒーとドイツ菓子を誇りを持って出されているお店とともに、いろいろな事実を知った上でそこに住むと決断されたIさんのお話には迷いがなく、報道などで表現される“翻弄される福島県民”というものとはまるで違うものでした。

飯舘のお話のほかに、以前ドイツに来られたことがあることも伺いました(これはまったくの偶然)。飯舘の農家のお嫁さんたちが大挙して海外へ研修に行った『若妻の翼』というプロジェクトはとても革新的なもので、帰国後参加者のみなさんで出版された報告書をおみやげにいただきました。この本がまた想像以上におもしろくて、私はすっかり若妻の翼さんたちのファンになりました。」

私も『若妻の翼』のみなさんに魅了されたひとりだ。

 「東京からも人が来て、行政側が開いた説明会で、飯舘村は安全ですから避難する必要はありませんと言われた次の日に避難勧告が出た」

「現状をよく知らないで、福島はもう住めない、もうだめだと言わないでほしい」

「東京が2020年のオリンピックの開催国になると決まったとき、とても傷ついた。オリンピックよりまず被災地の復興に責任を持って早く進めてほしいのに」

「たばこの葉栽培農園を持っていたのに、すべて失った」

そんなつらいことを語りながらも、Iさんのように避難先で再びお店を開いた人、昔取得した資格を役立て保健師として働く人、新しいビジネスを始めた人、飯舘村出身の高齢者を避難先に巡回訪問し見守り役をする人などのストーリーを聞くと、彼女たちがこうして活躍するのは、もしかして24年前の『若妻の翼』プロジェクト参加で得たものが、今ここに生きているのではと感じる。当時、周囲で反対がありながらも確信を持って実施に踏み切った当時の飯舘村の村長、斉藤長見さんの将来を見据えた決断と、農繁期の忙しい時期にあえて”嫁”たちを送り出したご家族にも感服する。そしてそれに応えるような生き方をしている飯舘村の女性たちを見て、私もこういう女性を目指そうと思う。

 Iさんからお土産にいただいた自家焙煎の椏久里珈琲。帰りの電車なかで、バックをあけて豊かなコーヒー豆の香りを何度も深く吸い込みながら家路についた。

 

あぐり珈琲で朝食。お湯を注ぐと新鮮な証拠の泡がぷくぷくと立って、その音を聞いているだけでもちょっと幸せな気分になる。
いただいた椏久里珈琲で朝食。お湯を注ぐと新鮮な証拠の泡がぷくぷくと立って、その音を聞いているだけでもちょっと幸せな気分になる。

椏久里珈琲 http://www.agricoffee.com/

かざぐるま@金曜デモ!

日本に一時帰国した先日、国会議事堂周辺で続けられている金曜デモにと経産省前の脱原発テント村にかざぐるまを持って行ってきました。強い風に雨がちらつく悪天候の中、原発のない日本にするため、地道に声を上げ続けている人たちがいました。

そして、夕闇に静かにそびえる国会議事堂。2014-04-04 18.45.45

反対の声をひたすら「無反応」でかわして人々の気力が萎えて消えるのを待ち、不都合な真実を包み隠したり情報を操作して人々の不安や疑問を巧みにうやむやにさせる戦法を取っているような政府と原子力ムラ、民意を無視しつづけるこの国のリーダーたちを象徴しているように見えました。

福島原発事故が起きた直後、ドイツ全国で反原発運動がさらに広がり、これまで原発推進であった政府は、その政策を大転換させ、2022年までにすべての原発をなくすことを決定しました。原発がはらむ危険性は、高度な技術を持っても手に負えないことを福島の原発事故が証明したことも大きな理由ですが、高まる反対の声をドイツ政府に受け止めさせた市民の力も大きかったと思います。そして、それに対して政府がきちんとアクションを起こしたわけです。

国会議事堂や官邸前などいくつかの場所で展開されている金曜デモは、最近参加者が減少しているとのこと。

しかし、そこで断念せずNOと言い続けてほしいと、未来の大人の子どもたちの叫びが私には聞こえるようです。

もはや日本の問題だけではない日本の原発問題。

次なる世代に安全な未来を残すべく、NOと言い続けることが、今を生きる大人の責任だと思いませんか。

 

 

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Link: 原発いらない女たちのテントひろば http://fukusimatotomoni.blog.fc2.com/

安倍総理大臣宛の公開書簡を提出して来ました!

日本大使館前で。
日本大使館前で。

本日3月7日、Sayonara Nukes Berlin とAnti Atom Berlinは、ベルリンの日本大使館に、以下の内容を求める安倍総理大臣宛の公開書簡を提出してきました。

 

*すべての原発の再稼動と原発の新設を断念し、原子力から撤退す 

*原子力技術を海外に輸出しない

*再処理施設と高速増殖炉もんじゅを廃止する

*再生可能エネルギーをより一層拡大させるほか、エネルギーの効率利用をめざして投資を拡大する

*福島県とその周辺地域がこれ以上放射能によって汚染されないようにするほか、太平洋にこれ以上汚染水が流出しないようにするため、効果的な措置を講じる(国際社会からの技術支援も受け入れる)

*汚染地域からの移住を希望する被災者、特に子どものいる家族を財政的に支援する

*除染しても、国として住民が汚染地域へ帰還するのを奨励しない

*東京電力が正当な損害賠償を行うよう、国が厳重に監視する

*福島原発事故被災者に対する支援を強化する。たとえば、被災者支援法の内容をすぐにも具体

 化させる。被災者、特に子どもたちと原発後処理作業員の健康診断と治療(精神的疾患も含む)

 をより頻繁に行う

*他の原発で働く派遣労働者を含め、福島第一原発で後処理作業をする労働者と除染作業員が

 搾取されないよう厳しく監督し、適正な賃金が支払われることを保障する

*福島第一原発の後処理と廃炉によって発生する放射能廃棄物を危険度に応じて適切に処分す

*汚染された土やガレキ(焼却灰も含めて)が放置状態で保管されているが、それを撤去して安全

 に保管する

*原子力問題に関して情報を透明化させるほか、原子力問題では特定秘密保護法を適用しない

 

公開書簡には、ドイツ在住の日本人およびドイツ人47人の個人(主に著名な方々)および、ドイツ国内の団体20団体から賛同をいただきました。

公開書簡日本語版2014年3月7日