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かざぐるまをめぐる冒険。その①

来る2014年3月8日、日本の福島出発のさようなら原発デモに合わせ、ベルリンでも反原発デモを行うことに。

テーマは風車。
風車が選ばれた理由は深い。よって、デモの詳細も含め、おいおい説明したいと思う。

12月のオープン会議で、芸術家の磯益子(Masko Iso)さんがさっそくリサイクルの牛乳パックで試作品を作って来てくれた。会議に参加したANTI-ATOM-BERLINの会長のハイラからは「プラスチックは使わないでほしい」私たちの活動は環境保護のあらゆる問題とも常に隣り合わせにある。インターネットなどでは、ストローと爪楊枝を使った簡単な作り方などが見られ、これらはどの家庭でも身近なアイテムでもあるが、ストローはプラスチック素材だ。

各家庭で容易に揃うアイテムで、リサイクル、自然のもので作る風車。

と云うことで、ベルリンで長く活躍されているモデラーの吉本禅(Zen Yoshimoto) さんの元へ相談に。
禅さんは2001年からベルリンで生活されている原型師。日本ではガンダムのプラモデルなどを製作しておられたが、ベルリンのミッテにあるOnitsuka Tigerのレジに飾られた金魚の詰まった大きな透明のスニーカーをご覧になった事があるベルリン市民も多いと思う、こちらも彼の仕事のひとつ。

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禅さんと一緒に、クロイツベルグのModulorへ。

この日は不思議な事が。待ち合わせのAlexenderplatzのデパートで、今年の3月のデモで告知の手伝いをしてくれたKさんにおよそ1年ぶりの遭遇。今度のデモでは風車を使うと云うと、Modulorに行くと良いと言われた。同日2人の人物からのすゝめとあらばと店に入ると、なるほど工作や美術の道具から専門的な材料がたくさん揃っている。ここで、風車と持ち手の接続部分に使う、木製のビーズを購入。他、禅さんから素人にも扱いやすい針金のサイズや材質についてご指導いただく。

風車の持ち手の棒は、ミッテのラーメン誠にて使用済みの割り箸を100本集めていただいた。最近は誠でもエコロジーな取り組みから割り箸をあまり使用されていないとの事。スタッフのみなさん、本当にありがとう。

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長男がせっせと割り箸の洗浄。

空の牛乳パックが4つ集まったのもあり、磯さんと一緒に試作第二弾に挑戦。

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材料はこんな感じ。
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まずは牛乳パックの線を利用して14㎝角に切り、中央から2㎝ずつのところまで切り込みを入れる。

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磯さんは、机に敷いてあった新聞から絵柄を切り抜いて。私は自宅にあった、半端な折り紙を貼ってみた。防水加工のため表面がつるつるしているので接着剤が必要。文字を書くためにも工夫が要りそうだ。各自の個性豊かな風車になりそう。

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キリで穴を開ける。

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牛乳パックは紙質が固く、なかなかいう事を利かない。。

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羽根と割り箸の接続部に木製のビーズを。

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1㎜の針金でぐるぐる。

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試作第二弾はこんな感じに。磯さん、お忙しい中、ありがとうございました。

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割り箸と風車の羽根の接続部品には、身近な物でアイデアいろいろ。

ANTI-ATOM-BERLINのハイラは、磯さんの試作品の第一弾である、接続部にボタンを利用したものを持ち帰った。彼らも揃って風車の制作をする予定だ。

みなさんのアイデアもぜひともお寄せいただきたい。(R)
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<協力>
・吉本禅(Zen Yoshimoto)Facebook:http://facebook.com/zenyoshimoto
・磯益子(Masko Iso)公式HP:http://isomasko.jimdo.com/
・ラーメン誠:http://www.makoto-berlin.de/jp/about.html

A2-B-C

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ドキュメント映画を観る機会が増えた。おそらくは真実を知るための一番の近道だ。「A2-B-C」は、聞き慣れないタイトル、海外でのフィルムフェスティバルでの受賞のニュースが目に止まり、気になっていた映画だ。ベルリン自由大学日本学科のブレッヒンガー・タルコット教授(Prof.Dr.Blechinger Talcott)が構内で上映会をすると云う招待を受けて、学部関係者に混じって映画を観せていただいた。

このドキュメント映画は甲状腺の検査結果で、A2、すなわち結節および嚢胞が見つかった子どもたちに初めてカメラを向けたものだ。

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無邪気に遊ぶ幼稚園児のあどけない姿が映る。ほとんどの子どもがガラスバッヂを身に着けていた。ガラスバッヂとは、特殊なガラス素材を使用した携帯型線量計で、各自の浴びた放射線を計測する装置である。子どもたちは禁止された遊具を取り囲み、どこが放射線の測定値が高く、危険であるかを指で指し示す。遊ばなければ安全と云うわけではないのに、どうして。また小学校の塀を挟んだ通学路の放射線は、インタビューを受ける母親の腰の位置でおよそ12.42μSv/h、足元ではインタビューの間中、35.37μSvと異常なまでの数値の上昇を見せた(※)。撮影が行われた日は、強風が吹き荒れ、校庭では体育の授業が行われていた。

「頭を切ったかのようなびっくりするぐらいの鼻血、2度倒れ、発疹、白血球のかなりの減少、そして医師から風邪の診断」

ある母親が自分の子どもの体調を語った。風邪で初めて血液検査を受けた上、一度も放射線についての質問をしていないのに、医師から「放射線とは関係ない」と言われたという。

「医大の検査結果では一人は嚢胞なしのA1、もう一人は嚢胞ありのA2」

ある家庭では子どもたちの検査結果に満足できず、近所の個人病院で再検査を行ったところ、2人とも嚢胞が見つかった。これを聞いた他の母親は、同じ病院に再検査を依頼したところ、医大の検査にてA2判定後は再検査はできないと断られたそうだ。この時には、原発事故後に福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一氏の文書が出回り、他県などでの検査もできなくなっていたと言う。

「怒っていいんです」

不安と怒りが入りまじり、涙を見せる母親たち。
日本では感情を押し殺して表に出さないことが美学とされてきたが、怒るべきは今なのだと語る。

「僕はA2です」

カメラを向けられた小学生たちが口々に自らの検査結果を紹介する。この判定が意味するものは何かという問いに、「白血病になって死ぬ」「癌になって死ぬ」と答える。

こんなことが普通であってたまるかと、ぐっと胸を締め付けられる思いで観ていた。やるせない哀しみと怒りが全身に行き渡り、気付けば嫌な汗をかいていた。

鑑賞後は、監督のイアン氏(Ian Thomas Ash)に質疑応答の時間を設けていただいた。主な質疑内容は以下の通りである。

―福島の汚染区にいるファミリーにはどんなオプションがあるか?
避難する人もあれば、とどまる人もある。30km圏内は居住できず、みな避難しているが、境界線の外30.2kmのところには人も住んでいるし、学校(伊達市)も再開しているという状態。
お年寄りと子どもがいる家族には、とても厳しい選択である。お年寄りはそこにとどまりたいと思うが、子どもがいる場合、とどまることは健康安全上の不安が大きい。家族が離散する状態になったり、離婚率も高くなった。

―日本ではこの作品を見ることができないと聞いたが?
まだ限られているが、9月に日本のフィルム・フェスティバルで上映し、メディア関係者への試写会も行った。

―避難しなければならなくなった家族はいつごろ戻れるのか?
その質問に対する簡単な答えはない。不透明というのが実情。

―福島の母親たちは何を一番求めているのか?
彼女たちが求めているものは、安全や賠償金などではない。一番求めているのは「信頼できる情報」である。信頼できる正確な情報があれば、家族とともに今後どうするかという正しい判断を自分たちで下すことができる。現在の情報は背後で操作されていたりして、信頼できず、その中で身動きが取れなくなっている現状に母親たちは怒っている。一人の母親との出会いからたくさんの母親たちとつながることができ、彼女たちが話し合っている場面を撮影した。声を上げることは勇気のいることだが、彼女たちは、力を合わせてこれからどうしていこうか、という将来を見据えた視点で話し合っていた。カメラの目の前で、女性たちの草の根による活動の輪がまさに生まれた瞬間に立ち会った形になり、感動を覚えた。

―除染作業をしていた人たちはどのようなモチベーションで作業に携わっているのか?
2人の作業員と話すことができた。映画の中に登場した若い作業員は、北海道出身で、勉強を続けたいが経済的に厳しく、その資金を得るため、他よりも報酬の高いこの作業に応募した。確か以前原発で働いていたと言った 作業員は、家族とともに避難したが、汚染地区での作業に毎週通っている。

―今後の活動の予定は?
配給会社を見つけるのが課題。福島の問題を継続して取り組んでいきたい。

―日本で上映した際、日本人の観客、およびメディアではどのような反応・フィードバックがあったか?
フェスティバル会場に足を運んでくるような人たちは、もともとこういう問題に意識の高い人たちなので、関心を持ってもらえたが、多くの日本人は今はインターネットで好きな動画が見れる時代で、わざわざ足を運ぶことがあまりないので把握しづらい。メディア関係者(特に日本在住の外国人ジャーナリスト)を招待しての試写会を行ったが、まだ無名の作品だったので、何か賞を取って認められないと取り上げづらいと言われた。賞を取ることが目的ではないが、賞をいただくことで、この作品に対しての注目が高まり、日本や世界に福島の現状を知らしめることの助けになればいいと思っている。

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質疑も終わりイアン氏に声をかけると、大変気さくな印象で、撮影中に子どもたちが懐く様子が見て取れたのも頷けた。翌日ベルリンで行われたRAINDANCE FILM FESTIVALでの上映の告知は、多くの人々にとって間に合わないと思うので、今後のベルリンでの上映の可能性について話した。イアン氏は、「フィルムフェスティバルの良いところは、色々な映画が混じっているところだと思う。反原発だと限られた人々にしか観てもらえない」という様な事をおっしゃった。

確かにこれが現実だと突きつけられれば、多くの日本人は目や耳をふさぐに違いない。遠く福島での出来事とたかをくくる人もいるかもしれない。でも、たくさんの子どもが、身も心も傷ついて、目に見える血を流している。私はこの現実から目をそらす事は出来ない。福島の子どもたちも、世界中の今を生きる子どもたちと同じ未来を担う子どもたちであると考える。子どもたちはみな平等に、こうした不安を感じ日常を放射能におびやかされる事なく、夢を描いて生きていく権利を持っている。大人たちにそれがどうしてわからない、またはわからないふりができるだろうか。(R)

作品中の17歳の女子高校生の言葉を反芻する。
―みんなが今の現状を忘れている事が大切な問題だと思う―

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※撮影場所と思われる箇所での測定動画

放射線量測定:福島県伊達市立小国小学校2013.1.13測定①: http://youtu.be/xrF7ewCfQrY
放射線量測定:福島県伊達市立小国小学校2013.1.13測定②: http://youtu.be/EcemHMEtbj0
50マイクロシーベルトが出ています。

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イアン・トーマス・アッシュ(Ian Thomas Ash)
公式ウェブサイトhttp://www.documentingian.com/

今後の上映スケジュールhttp://ianthomasash.blogspot.jp/2013/11/on-road-again.html

December 19th PIA Film Festival (Kyoto, Japan)
12月19日 PIA映画祭、京都

December 21st PIA Film Festival (Kobe, Japan)
12月21日 PIA映画祭、神戸

ベクレルフリーライフのすゝめ。

横浜の市民測定所の創立者のおひとりである高雄先生から、ほとんどの食品の6割が測定不可・非検出を表す中、この半年の測定で汚染が目立ってきている食品についてお話しいただいた。なめこ、レンコン、銀杏、干し芋、大豆、タラ、栗などがそうだ。他に注意が必要なものは、山菜、タケノコ、淡水魚などがある。森の中の野生動物や植物等に未だチェルノブイリの被害の残るドイツを例に見ても、野山や森林では放射線汚染の被害が半永久的に循環され続けることがわかる。

麦・麦製品、米などに至っては、福島の作物に比べ神奈川の作物の被害が顕著に見られる。これは当時、神奈川の気温の方が東北に比べてあたたかく稲穂が開いていた事などが要因に考えられている。ただこれらは全てセシウムのみの測定結果で、人体に同じく深刻な被害をもたらし、カルシウムに置き換えられ骨にたまるストロンチウムは、その測定も、高価な機械の維持も難しく調査が追いついていない。ストロンチウムがセシウムほど飛距離を持たず、近郊に降り注いだであろう事は、多くの専門家の推測にも見られるのでご存じの方も多いかと思う。

チェルノブイリの被害報告にも、ナッツ系などの木の実、芋(干すことで上がる)などは例があるが、水産物においては海を持たないチェルノブイリは例にならない。タラということでは来場の主婦らからおでんなど加工された食品はどうかとの不安の声も上がった。

この他に日本の緑茶の汚染状況が問題に上がったが、ドイツでもチェルノブイリ以後、自国をはじめとするヨーロッパの一部の食品、中には60000Bqという検査結果を出したものもあったというトルコの紅茶、ドイツではおよそ80%がトルコからの輸入に頼っていると言われるヘーゼルナッツの汚染のその後にも不安が残る。セシウムの半減期は30年。30年を経ても半分の数値が残るということだ。ドイツの測定所は現在ミュンヘンに残る一か所で、放射線防護協会のデアゼー氏の話によると、ドイツでは既にこれらの調査は打ち切られているそうだ。同じく氏の話によれば、ドイツに輸入される日本食品は日本で定められた基準値が守られ、諸外国からの食品においてはドイツの基準値で輸入されるとあったが、報道によると現在ではドイツ水際での測定は5%とほとんどされていない。こうした中、高雄先生が話された通り、測定所ができる事は測定結果の発表をしていく事だけだ。数字を見て何を思うか、どう選択していくかはあくまで私たち個人の問題なのである。

先日は長男を連れて2週間ほどの一時帰国、日本は秋の味覚を楽しんでいる真っ最中であった。レストランや電車のつり広告にも、秋の味覚をうたった色とりどりのメニューが並ぶ。私にとっても好きな物ばかり。しかしながら不安とむやみにたたかう事を避け、話にあった食品をはじめ、水産物に至ってはまったく摂取を避けて過ごした。高雄先生のお話を聞き、全ての食品が汚染されているわけではないのだとわかり、気持ちが和らいだ。高雄先生も私たちも人々の不安をかき立て煽る事を目的として、こうした活動をしているわけではない。ゼロとはいくまいと思う。だが少しの知識と努力で回避できる事は多い。住んでいればこんなことはやっていられないはずとあきらめないで欲しい。私もここ、ヨーロッパはドイツに居住をおいても気を付けている食品のキーワード群がある。チェルノブイリの汚染も未だ終わってはいないのだ。

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滞在中、妹夫婦に連れられて港北のセンター北にある自然食品を扱う「ナチュラル&ハーモニック レストラン&カフェ コア」(http://www.naturalharmony.co.jp/coa/20110927coaLP.html)にて、話には聞いていたベクレルフリーなディナーをご馳走になった。多彩な調理方法で自然栽培された野菜それぞれの味が生きたこちらのワンプレートは、視覚にも美しく、大変おいしかった。何より、滞在中に食べたどの名店の食事より、心安らかに味わえた。このレストランに併設されたショップでは、非検出、もしくは基準値以下の検出を全て明らかにした野菜や果物、スイーツも各種販売される。詳細はHPにてご確認いただきたい。(http://www.dreamnews.jp/press/0000047660/

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一部の企業の宣伝をするつもりはないのだが素直に嬉しいと感じたので、数年前から首都圏での人気を博した男前豆腐店(http://otokomae.jp/index_jpn.html)。直営店でなくとも巷のスーパーに商品が並ぶようになり、いずれもおいしく、パッケージも洒落ている。本社を京都に構えるこの豆腐会社の商品ラベルに放射能検査済み“の文字。HPではゲルマニウム半導体検出器検査結果の詳細を紹介している。こうした各社の真摯な企業努力に惜しみなく応援と感謝の意を表したい。

高雄先生のお話では、食事会の開催などベクレルフリーレストランを応援するも、だからと言って店に来客が増えるなどの反響が少ないため、努力してくれる店舗の拡大を妨げているようだ。私の周囲にも日頃から気を遣い、通販の野菜などの購入に踏み切った家庭も少なくないが、やむなく一般のレストランで食事する例が多い。お近くのベクレルフリーレストランで、家族そろって心からおいしい食事を楽しんでいただきたいと思った。私たちがこうした選択をする事は、真のベクレルフリーライフにつながりはしないだろうか。R

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・横浜市民測定所 http://www.ycrms.net/

・日本全国での測定結果の統合を目指すフォーラム http://minnanods.jimdo.com/

高雄綾子先生を招いて。

8月30日。横浜市で市民測定所を立ち上げられた代表のひとりである高雄綾子先生にお越しいただき、“食の安全と市民測定所~震災後2年間の活動”と題して講演会を行った。

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福島第一原発の事故以後、友人の中には放射線測定器の購入に踏み切った者もいた。やはり子供を抱える母たちはいち早く敏感だった。高雄先生のお話によると、横浜の市民測定所にはチェルノブイリで活躍したと云われるセシウムを測定するためのATOMTEX 1320Aという測定器があるそうだ。立ち上げ当初、賛同者から寄付を募り、この150万円の機械を購入する事が出来たと言う。この様な高価な装置を用いても食品の測定には大変な労力を伴うと言う。

例えば、水分の多いものほど値が低くなるなど、測定が困難になる。肉や魚などは、非常に細かく刻み、測定中の腐敗を防ぐための処理を施すなど、主婦を中心としたボランティアメンバーたちが試行錯誤を重ね、限られた時間の中で様々な食品の調査をされているということだ。

こうした活動が実を結び、横浜市では、こちらの市民測定所のウェブサイトでの発表を意識するに至り、現在では神奈川県の他の市に比べ、横浜市の自治体による放射線測定数が増え、学校給食での産地の公開などから市民が子供に与える食品を選別する機会が持てる様にもなったということだ。ひとえに尽力された市民測定所のみなさんの努力の賜物である。食品の測定依頼は主に有料で行われ、または既出の測定結果もすべてが無料で公開されているわけではない。これは市民測定所の厳しい台所事情にもあるように、事故後2年を経て、活動を支援する為の会員数が半減するなど人々の関心が薄れつつあることも起因する。

今後、取り組んでいかねばならないことは、水産品の汚染についての測定だろう。今までの汚染状況やこうした測定結果などは、チェルノブイリの事故後にも見られた様子に酷似しているそうだが、私たちは未だかつてなかった大規模な海洋の汚染と云う未曽有の危機に瀕している。

もっともっと、海産品の汚染状況を調べていかなければ。しかし、魚をキロ単位で購入するコストや、セシウムばかりでなくストロンチウムまでもを調べるための機械は1500万円もするばかりか24時間の監視体制も必要だと言う。人々の不安や真実を求める声が、こうした市民測定所の支援に繋がればと切に願う。

本日のお話にもあったように、何をどこまで許容できるかはあくまで個人の問題である。市民測定所は、正しい知識を正確に伝えていく事で、市民がやみくもな不安に陥れられることなく日常を送る事ができる手助けに他ならない。台所を預かる一主婦としても(ジェンダーのみなさま悪しからず)、私の持てる責任は大きいのだな、とつくづく感じさせられる講演となった。

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難しい勉強会の合間に、癒しの歌声がWerkstadtに響く。

ベルリンに在住して間もないソプラニスタ皆川卓志氏が「Amazing Grace」をアカペラでの披露。9月3日のイベントでは、彼の新たな挑戦を見せてくれる。
イベント詳細https://www.facebook.com/events/1409172132630648/

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既におなじみとなった放射線テレックスのトーマス・デアゼー氏にも、来場者からの質問に答えてもらえることとなった。チェルノブイリから27年。未だ汚染の深刻な被害が残るドイツの水道水は調査され続けているのか、食品汚染のその後はどうなっているのだろうか。日本の現況を含め、続きは後日コラムにて。

講演中に発表のあった、日本全国での測定結果の統合を目指すフォーラムはコチラhttp://minnanods.jimdo.com/

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多忙な滞在期間中にも関わらずボランティアでこのような機会を設けて下さった高雄先生をはじめ、デアゼー氏、皆川氏にこの場を借りてあらためて感謝の意を表したい。

最後になるが、今回よりWerkstadtでの室料が発生する事になった。ご協力いただいたみなさまにも感謝したい。また、この日のグッズの収益と募金75.30ユーロは今後の脱原発運動に役立てたい。R

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高雄綾子:フェリス女学院大学国際交流学部専任講師。東京大学大学院教育学研究科満期取得退学。専門は社会教育学、環境教育学。ドイツの環境市民運動が社会の多方面に影響を与えたことに関心を持ち、環境教育の分野からその影響を研究中。

横浜市民測定所共同代表。http://www.ycrms.net/

高雄先生のチェルノブイリ事故後のドイツ市民測定所運動と市民の学びについてのコラム

http://econavi.eic.or.jp/ecorepo/live/series/34

 

松井英介医師を招いて。

去る6月3日、メンバーの一人が所属するノイケルンのCafe/Bar、Werkstadtにて「放射線内部被曝による健康被害を考える」と題して、岐阜県環境医学研究所より松井英介医師にお越しいただき、講演会を行った。

素人ばかりが中心に集まる事と想定された講演会である。松井先生の配慮もあってか講演の内容については、専門的な知識を持たぬ私たちにも大変わかり易いものとなった。この素人、というのがポイントだと思う。福島の事故後に、数々の出版物や、専門家のブログが話題となったが、工学や医学の知識を持たぬほとんどの一般市民にとっては、難解な数値や専門用語のオンパレードで、なんとなく大変な事がわかったり、なんとなく恐怖を感じると云った程度である点は否めない。あまりに難しすぎると私の頭などは即座に拒絶反応を示し、一切の情報も受け付けなくなるのだ。

こうした専門的な学術のバックグランドなしでこれらの問題を理解し関わっていくことは一般市民には難しいのだろうか。 松井先生はこの日、多岐に渡る放射線や原子力発電所の問題に、世界や日本社会の縮図をも織り交ぜ、ひとつひとつの問題を優しく説き明かして下さったのである。

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ベルリン中から46名の来場者が。乳幼児を連れたお母さんたちも懸命に。

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深刻な内容も松井先生のユーモアの利いたトークで和やかなムードに。「救われる」とは来場者の声。

講演の終わり、松井先生の「食べ物の顔を見る」と云う発言を受けて、つと思う。私たちは豊かさと利便性を追求するあまり、あらゆることを他人任せにしすぎてしまったのではないか。人間が人間らしくあるべき本来の生活を取り戻していく事も、今後エネルギーにまつわる様々な問題を解決するための良き鍵になろう。

●松井英介医師の「脱被曝を実現する移住法」
http://tkajimura.blogspot.de/2013/04/blog-post_8566.html (外部ブログ「明日うらしま」)
現状を受け、私たちが今後どのようにこの問題と向かい合い取り組んでいくべきかを提唱されている。

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松井先生の講演・質疑応答の後、Bodypoet(Kazuma Glen Motomura)氏の即興のダンスが。

この日の松井先生の講演を擬えたもので、大変素晴らしいものであった。

また、講演会終了後にお寄せいただいた感想には大変励まされた。
私たちもみなさまと共に、今後の防衛策と日本の未来ある展望について学んでいきたいと思う。

最後になるが、ベルリン滞在の折の貴重なお時間を、先の環境フェスティバルとこの講演会開催の機会に割いて下さった松井先生ご夫妻に、この場を借りてあらためて感謝の意を表したい。R

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当日、松井先生からご紹介のあった、放射線防護協会の会長であるセバスチャン・フルークバイル博士の著書「子供たちへの手紙」は、ベルリン市内の以下の2店舗にて購入できる。

●Japanische Buchhandlung「YAMASHINA」
Pestalozzistraße. 67
10627 Berlin
+49 30 3237882

●HENO HENO
Kantstr. 65
10627 Berlin
http://www.henoheno.de/

“明日うらしま” でも 環境フェスティバルから松井先生講演会の模様までベルリンで雨にも負けない日本の若者たちの脱原発活動

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松井英介

略歴:医師、岐阜環境医学研究所所長 1980~81年西ベルリン市立呼吸器専門・Heckeshorn病院勤務。2001年3月まで岐阜大学医学部附属病院勤務。放射線医学講座助教授。退任後、岐阜環境医学研究所を開設、現在に至る。 日本呼吸器学会専門医、日本呼吸器内視鏡学会気管支鏡指導医、日本肺癌学会および日本呼吸器内視鏡学会特別会員。 廃棄物処分場問題全国ネット共同代表、羽島市アスベスト調査委員会委員長、 NPO法人731部隊・細菌戦資料センター共同代表、「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」世話人。

著書・分担執筆:「Handbuch der inneren Medizin IV 4A」(1985年 Springer-Verlag)
「胸部X線診断アトラス5」(1992年 医学書院)
「新・画像診断のための解剖図譜」(1999年 メジカルビュー社)
「気管支鏡所見の読み」(2001年 丸善)など

近著:「見えない恐怖 放射線内部被曝」(2011年 旬報社)
ブックレット「放射線被曝から子どもを守るために」監修著(2011年 旬報社)
セバスチャン・プフルークバイル著 エミ・シンチンガー訳「セバスチャンおじさんから子どもたちへ―放射線からいのちを守る―」 (2013年 発行:岐阜環境医学研究所 発売:旬報社)

Fina und Dylan von Lysergic

5月中旬、迫る6月2日の環境フェスティバルの参加に向けて、メンバー各自がそれぞれのプロジェクトをスタートさせていた。

3月9日の反原発集会でもバッヂのデザインを快く提供してくださったVj Chuu氏は、再びふたつ返事でやりましょう! とその心意気を見せた。今回は環境フェスティバルという事で、販売するすべてのものは、エコロジーもしくはBIO(ドイツのオーガニックの総称)でなくてはならない。LysergicのFinaとDylanの賛同とボランティアでの協力を得て、エコロジー素材でのエコバッグやTシャツのプリントをシルクスクリーンで製作することになった。

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9.3 Anti-Atomkraft-Demo ベルリンから日本へ、脱原発デモ

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昨年夏、日本に一時帰国の際、矢も楯もいられず生まれて初めてデモ行進に参加した。さようなら原発集会の企画する毎週金曜の首相官邸前デモと、代々木公園から都心を3時間練り歩く大規模なデモだ。ある金曜のデモでは、夏の雨の降りしきる中、ファッショナブルで洗練された若い男女、ベビーカーの乳幼児から高齢者に至るまで、本当に様々な人々が各々のプラカードを掲げ、原子力発電所の再稼働反対の声を上げた。

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また、3時間のデモ行進は、7月の半ば。12歳の長男は途中何度かコンビニエンスストアに飲み物やアイスを買いに走り、小休憩を取っては列に戻った。2万5千人とも、5万人とも言われているが、福島の事故を経て原子力エネルギーに不満の声を上げる人々の列は何度の休憩を経ても途絶えることなく夕刻まで続いた。そこにはかつての学生運動のような荒々しさはなく、列に加わる人々も、沿道から声をかける人々も、みな笑顔で、爽やかではつらつとしたものだった。思いもかけず何度も息子に励ましの声がかかった。主にお年寄りからの労いだった。今でも表参道の行進の事を思うと胸が熱くなる。

国外に住む日本人の間でも、日本の現状について不安を訴える声は日増しに大きくなっている。様々な事情により、自分の故郷を離れてはいるが、故郷の事を忘れる人間はいない。今年の年明けに、いろいろな思いが錯綜し、ついには自分の中で解決することができなくなった。その足で、ひとり警察署に出向いた。ベルリンでも反原発デモをやろうと決めた。

3月9日は、東京でさようなら原発集会の大規模デモが計画されていたので、日本にエールを送るとともに、日頃のジレンマをこの地で共有する事で少しでも晴らしたかった。この日のベルリンは氷点下と寒く、空はどこまでも灰色の雲に覆われた。あまりの寒さにジェネレーターがいう事を利かず、Ryo Humanelectro Fujimoto氏の演奏を合図に、予定の時間を40分も押しての開会となった事をお詫びする。

福島第一原子力発電所から40キロメートル程に位置する福島県浜通りで自営業を営んでいた香川智之さんは、国が正確な情報公開をしないがために、多くの人々がより放射線の汚染のひどい地域に避難してしまったと言う。日本政府は今もなお、正確な発表をしていないとは、専門情報誌シュトラーレンテレックス(Strahrentelex)の発行者で放射線防護協会の役員であるトーマス・デアゼー(Thomas Dersee) 氏のスピーチだ。アメリカの会社がモニタリングポストを設置したところ、この線量に驚いた日本の環境省は、「これでは値が高すぎる、変えることはできないか」と文句をつけたそうだ。その会社は、いや、それはできない、モニタリング装置というのは測定するためにあるのだから」と答えると、日本にある企業にモニタリングポストの設置が発注される。デアゼー氏ら専門家が福島を訪れる度、官庁の発表する数値がいかにインチキであるか、それは直ちに露見するのである。

デアゼー氏の演説の全容を知りたい方は当日、通訳を務めていただいた梶川ゆうさんのこちらのブログを⇒ http://donpuchi.blogspot.de/2013/03/blog-post.html

郡山市の協力者から寄せられたデアゼー氏の告発を裏付ける資料を以下に添付する。
有限会社アルファ通信プレスリリース
緊急報告書モニタリングポストの実態調査
南相馬市合同庁舎前モニタリングポスト調査

この演説の後、Bodypoet (Kazuma Glen Motomura氏)の原子力カムラ扮する風刺劇が始まった。後日、寒かった!との苦情の声が大きかった中、これには大変好評をいただいた。

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ベルリン自由大学で長年教鞭を振るわれた福沢啓臣准教授、また日本の反原発運動を現地で追いかけ日本の運動について卒業論文を書いていた同じくベルリン自由大学日本学科の学生イザベル・ピッヒラさん、署名活動にご尽力くださった女の会を代表してジャーナリストの水野博子さんからそれぞれ演説をいただき、ライプツィヒ大学の小林敏明教授と同大学日本学科の主任教授ステフィ・リヒター(Steffi Richter)教授と、世界的に著名な哲学者であるヴィルヘルム・シュミート(Wilhelm Schmid )さんらが、共に、行進後のポツダマープラッツでお話ししてくださった。この日は170数人程の参加者であったが、シュミートさんからは、「40年前、ドイツで反原発運動が起こった頃、この日の様に、小規模なデモが始まりであった。日本の40年後に期待する」との励ましを戴いた。

人々が現状から多くの物事を考え、学び、話し合う事をやめない事で、日本の未来が変るかもしれない。年老いた政治家たちが再稼働を決め、福島での経験をものともせず首相が「原子力発電所を新設する」と言っている。こんな日本に、未来はあるのだろうか。私たちはただ傍観をし続けて良いのだろうか。何よりも、日本の未来を担う子供たちが犠牲になっている。

政治は面倒だ。アツいことは実は苦手だ。人とつるむのは実はあまり好きではない。協調という言葉を何より嫌うはみ出し者の私だが、自分にとってつまらない事でも、自分が生かしてもらっている社会の仕組みを無視することはできない。自分にできる限りの義務を果たし、この先10年後も20年後も永遠に続く世代交代の中で、後続する日本の子どもたちに私たちの未来が明るいものであると呼びかけ続ける事をやめてはいけないと思った。

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私たちSayonara Nukes Berlinは、メンバーわずか5人からなる非営利団体である。3月のデモの開催に至っては、多方面から大きな助力を得た。また、反原発運動の為、Vj Chuu氏が無償でデザインを提供してくださったバッヂの売上、デアゼー氏が提供してくださったカルタの売上と募金を合わせ385ユーロ55セントから、活動にかかる経費を補う事ができた。残る144ユーロ51セントを今後の活動に生かしたい。この場を借りて、ご協力いただいたみなさまへ多大なる感謝の意を表したいと思う。

さてはて、ベルリンの長い冬が明けた。

次は6月2日。この日は首都圏でまた大規模デモが予定されている。メンバーそれぞれが多忙であるため、せいぜい年に一度の立ち上げを話し合ったものだが、日本の現状に関する情報を発信し日本の脱原発に向けた”さようなら原発集会”の署名を集める方針で、新たなメンバーを迎え、ベルリンで行われる大規模なエコロジー・フェスティバルであるUmweltfestivalへの参加を決めた。この日は、福島県郡山市の児童が起こした集団疎開裁判の取り下げを受け、子どもたちへの励ましのメッセージも集める方針である。より多くの来場者がある事を願って。R

イベント詳細(https://www.facebook.com/events/600642929970698/