Ich bin ein Erbsenzähler!

Ich bin ein Erbsenzähler.

私はErbsenzählerだよ、という発言が一番印象に残った。ドイツの反原発運動では大変有名なセバスチャン・プフルークバイル(Dr.Sebastian Pflugbeil,最後に紹介)氏の言葉だ。直訳すると「エンドウ豆を数える人だよ」。日本語にすると「俺は重箱の隅を突く人だよ」となる。

3月28日の晩の7時から9時過ぎまで同氏は独日平和フォーラム(100名ほど参加)でオイゲン・アイヒホルン(Prof. Eugen Eichhorn)氏の司会でまずフクシマについて、次に核と機密保持について話した。第一部では、日本の状況に対して非常に批判的な発言が多い同氏の皮切りは、意外にも瀬戸内海にある祝島の人々との心温まる交流の紹介だった。祝島では3.5キロの海を隔てた本土側の上関に中国電力が2基の原発を建設すべく埋め立てをしている(ただし、原発建設許可はまだおりていない)。25年ほど前の計画当初から、祝島の島民は絶対反対の闘争を続けている。具体的な闘いの一つは漁業組合への補償金支払いの拒否であった。3・11の後も闘いは続いているそうだ。

日本の原発計画で中止に追い込まれた数は6つにも上がる。これらの例でも分かるように日本でも成功した闘いがあるのだというのが同氏のメッセージだった。次に福島での線量の市民測定運動、さらに双葉町の江戸川元町長との交流を紹介した。最近の安倍政権下の原子力村の攻勢によって反対運動はとても苦しい闘いを強いられている状況を述べた。

フクシマのブロック4が非常に危険な状況にある。現在いつ倒壊してもおかしくない4号炉の建物の上部にある燃料プールから燃料棒を敷地内の地上プールに移しているが、建物が壊れたり、あるいは多量の燃料棒が外れて落ちたりした場合には、日本だけの問題では収まらず,北半球全体が汚染されるだろう(注:この問題のジレンマは、そのまま放っておけば危険度が時間とともに高まっていくことだ)。太平洋の北米海岸で最近おかしな魚がたくさん獲られているが,フクシマの影響でなければいいがと心配している。特にストロンチウムが問題だが、日本では話題にもなっていない。福島県内では年間数十ミリシーベルトの強い放射能の環境下で多くの県民が生活しているが、政府は問題ないと言い放っている。子どもを抱えた避難家族では鬱になっているお母さんが多いと聞いている。本来ならできるだけ放射能汚染の少ない地域に避難・疎開させ,そのための補償金および資金を支給すべきなのに、政府は反対の政策を推し進めている。国際原子力機関のIAEA (International Atomic Energy Agency, 国際原子力機関)は福島県とパートナー契約を結んだりして、政府の政策の後押しをしている。

第2部は「核と機密保持」と題して、1938年に核分裂が発見されて以来,多くの情報が秘密にされ、市民は知らされないようになった。関係者は情報を公開しないか、公開したとしても虚偽の情報を流すかして、とにかく真実は隠されている。ナチドイツで1944/45年に原爆のテストが行われ、その過程でKZブーヘンバルドでは500名の収容人員が亡くなっているという説を最近主張している人もいるそうだ。Pflugbeil 氏は十分あり得たと言った。ちなみに、アインシュタインなどが、ヒトラーよりも早く原爆を作らないと悲惨な結果になると米国のルーズベルト大統領に訴えて、7年間という驚異的なスピードで原爆を製造し、広島、長崎の悲劇に至った話は有名だ。だが、後で分かったことだが、ヒトラーは原爆に潜まれている驚異的な可能性を信じなかったか、あるいは理解せず、製造を熱心に押し進めなかったというのが定説になっている。米国のたくさんの原爆と水爆のテストについて情報がほとんど公にされることはなかった。犠牲者は放射能による被害を訴えるにも証拠になる情報が手に入らないので、なす術もない。ソ連でもたくさんの原爆がテストされ、またそのためにたくさんの人命が失われたが、公開されることはなかった。東独でも西独でも核に関する機密保持があり、今でも変わらない。チェルノブイリの事故についても未だに犠牲者に関して正確に公開されていない。Pflugbeil 氏はさらに例を挙げたが、多いので、ここでは省く。

質問の時間になり、核に関しては強大な秘密組織がすべて操っているようだが,我々市民は何も出来ないのかという質問に対して、冒頭の「Ich bin ein Erbsenzähler」が彼の答だった。小生が理解するには、我々は小さな事実を見つけ、それらを積み上げて、秘密のベールに包んで核を推進している連中に対抗していかなければならないということだろう。では、我々もエンドウ豆を一粒ずつ数えていこう。

 

福澤 2014年3月30日

セバスチャン・プフルークバイル(Sebastian Pflugbeil)

経歴:1947年生まれ。物理学博士。1986年チェルノブイリ事故以来放射線防護問題に取り組む。

ドイツ放射線防護協会会長。オット・フーク放射線研究所員。欧州放射線リスク委員会(ECRR)理事。

1990年には東独の無任所大臣。1991年から1995年まで、ベルリン市議会議員も務める。

 

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