ルポライター山秋真さんに聞く「核エネルギーと民主主義」

[:ja]福島の原発事故から5年、チェルノブイリの事故から30年の節目の今年、ベルリンで3月11日から長期にわたって開催中の「核エネルギーと民主主義」をテーマにしたProtestival2016。このテーマに沿って様々な職業人の立場からいただいたインタビューを連載しています。第六回目は、脱原発の希望がたくさん詰まった「原発をつくらせない人びと―祝島から未来へ」の著者である山秋真さんにお話を伺いました。

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はじめてメバルを釣りあげてご機嫌@西瀬戸内海・祝島

核エネルギーと民主主義から何を思うかと言ったら、まず『矛盾』!

 

山秋 両立しえない。核を使おうと思ったら威力が大きい分、秘密も多くなるのでどうしても情報公開と逆行し、必然的に民主主義とは離れていくと思っています。ロベルト・ユンクの「原子力帝国」という本を大学生時代に読み、一学生としてはびっくりして、受け止めきれない面もあったのだけど、その後の世の中の出来事を見ていくと、あの本に書いてあった通りだ、過大表現ではなかったんだ、と。今の日本の様子を見ていてもそう思います。

―気付いたらこの道にたぐり寄せられるように能登半島の珠洲(すず)市へ

山秋 なんとなく原発は好きじゃないなと思いはじめたのは、86年のチェルノブイリの事故からでした。チェルノブイリまでは何も知らなくて、のんきに学生生活を送っていました。でも事故の後、たまたま自宅にあった雑誌を手に取ってみたら原発事故の影響を伝える記事があって、読んでみると「なんかイヤだな」と。だからといって自分が動いたりすることはなかったんですが、数年後のアメリカ留学中に、ふと思い立ってスリーマイル島へ行きました。それを切っ掛けに「原発って何だろう」と思うようになったかもしれません。帰国後、ロベルト・ユンクさんをはじめ、いろいろな本を読み、詳しい人がいるからとまわりの人がご紹介くださったのでインタビューも重ねました。無知な学生を心配してくださったのか、皆さんいろいろ教えてくださったうえ、「今度この人に話を聞いてみたら」と言って次々と紹介してくださった。そうしていつしか、能登半島の珠洲市に行きつきました。珠洲は当時、原発の予定地でした。そこで私ははじめて原発問題と出会いました。ちょうどそのころ、原発問題が最大の争点と言われた珠洲市長選挙がありました。春休み中ではあったし珠洲の友人にも頼まれたし、私は選挙の応援に行きました。そこで原発選挙の内実を見聞するうちに、ますます「原発はイヤだな」と思うようになりました。その選挙は票数が合わない結果となり、有権者が裁判*⁴を起こして、最終的には数年後に最高裁で無効になるんですけど、私はその経験を通し、「いったい原発って何だ」「日本はどういう世の中だったんだ」と疑問をもつようにもなりました。たとえば、票数が合わないことの説明を有権者が求めても誰も説明できないまま、国と県と電力会社の強力なバックアップを得て原発をガンガンやろうと旗を振っていた現職市長候補の続投が決まってしまった。それまで私が学校で教わってきた日本の社会像…民主主義とか主権在民とか法治国家とか…全部をはげしく裏切る現実を目の前で見せつけられて、たいへんなショックを受けました。だから、いったい何があったのか、自分は何を見たのか知りたくて、この裁判を傍聴しようと心に決めたんです。そして実際に何年間も通い、結果的に本を書くことになりました。

―山秋さんは上関原発立地予定地の田ノ浦で2011年3月11日を迎えました

山秋 311の当日は上関原発の予定地にいました。あのころ、原発のための埋め立て工事をめぐり、海と陸の両方で紛争がおきていました。私は珠洲での経験から、市民ができるだけ自前の記録をとることが重要だと思い、田ノ浦の対岸に浮かぶ祝島(上関町)に数ヶ月滞在していたんです。市民が国や電力会社と対峙する原発をめぐる紛争では、圧倒的に市民側が不利なので、市民側から見える現実を提示して世論に訴えるためにも、言いがかりをつけられたり濡れ衣を着せられたりした場合に切り返すためにも、人の目が少ない海上の現場に立ち会い、できる限り記録をとっていました。その間に、東電の福島第一原発事故がおきてしまったわけです。事故を受けても、上関の原発計画は中止にはなっていません。原発のために海を埋め立てる工事は、事故発生から数日後に一時中断されていますが、「工事じゃなくて調査だから」等といって続けられた作業もありました。311の事故後も、上関原発計画は正念場が続いていたので、4月上旬に首都圏に戻ってからも、祝島と行ったり来たりして、関連する裁判や議会を傍聴して、絶えず関わっています。

―今まで各地方都市では原発建設とたたかう市民運動が常にあった。それが311の事故を受け、官邸前での大きな運動に発展したことをどう見ていますか

山秋 私の中では、デモに限らず、各地で物申す人が増えたっていうことは、すごく励みになっています。原発問題は国策だから、この国の誰もが考えなきゃいけない問題です。一地域だけの問題じゃないから、広く話し合って考えなきゃならないのに、それなしには解決しないのに、立地や計画の現地から隔たれた首都圏や都市部の地域では、原発のことや原発問題のことを知らなくてもこれまで生きてこられた。一方で祝島や珠洲には、原発問題を避けることが難しい状況があった。過大な負担を押しつけられ、不当に困難な状況に長くさらされながら、たとえば祝島では30年以上、デモを続けています。だから、原発のことは他人事じゃない、自分もなんか言わなきゃと思う人が増えて、全国各地で、新宿や官邸前で、声をあげデモやパレードする人が増えたというのは、仲間が増えたというか、みんなで考えるべき問題を我が事として考えようとして物を言う人が増えたということで、心強い。もっとも時差を感じることもあります。たとえば事故直後、祝島に来たのはドイツやフランスなど海外メディアが早かった*⁵。日本メディアも後でたくさん来たのですが、時差があった。そういうところに、まだまだ考えるべきことはある、とは思います。でも、まずは原発問題を我が事ととらえ、当事者になっていく人が増えていくのは、希望だと思っています。祝島に来た人がその後、首都圏や各地でデモをやったり行ったりすることもあるようで、実際、SEALDsの前身であるSASPLの頃、ネットにアップされたデモやスピーチの映像を見て、311後に祝島に来た若者たちが活躍していることに気づいたこともありました。

―山秋さんも発起人の一人に名を連ねるOVERSEAs*⁶の一員としてこれからしていきたいこと

山秋 これまで現地で原発問題とたたかういろいろな場面を見てきた中で、女性が状況を変える場面に何度か遭遇し、女性の存在の大きさを感じました。同時に、意思決定の場に女性がほぼいないと気づき、原発立地は事実上の女性ぬきで進められてきたのかと愕然としました。それで、女性の参加や発言が重要と痛感し、「怒れる女子会」*⁷というのを仲間と始めました。かつての井戸端会議のように、女性が気軽に自由に政治や選挙について話せる環境や状況を作っていって、女性が公式の場でも発言したり行動したりできるような土台が培われるといいなと。女性だけでなく、現在は声が聞かれにくい立場の人たちの声が、正当に反映されるようになればと願うわけです。そういう中で、日本の選挙権を持ちながら行使できていない方が海外にたくさんおられると気づきました。各地でいろいろな経験をして、日本での暮らしや価値観などを相対化する機会に恵まれた人たちの知見を政治に反映できていないのは、残念というかモッタイナイというかヤラレタというか。意図的かどうかはわかりませんが、明らかに政治の怠慢で、それによって市民の不利益になっていると思います。そこで、仲間とともにOVERSEAsを立ちあげました。違いは豊かさですよね。単色でなく多彩な意見を意思決定の場に反映させたい。そうすることで、原発をはじめ、重要な政策決定も変わりうると思うんです。これからも、そのためにできることを探して動いていきたい。

―珠洲市や祝島の原発とたたかう人々を見つめてきた山秋さん。5年目を迎えてみんなにメッセージがありますか

山秋 不安が第一動機だと脆いかもしれないと思うんです。流されやすいというか。いいタイミングに、いい方向へ、いいかたちで流されれば幸いだけど、望む方向性とは逆の方角に流されたり、利用される恐れもある。もちろん原発や核エネルギーに対する不安があるからこそ、肯定できない、同意できないということになるんだけど、その中で、自分は何を肯定し、何を望むのか。必ずしも自覚してつかめていなくても、自分が大切にしたいものに根ざして生きていると、ぶれにくい、流されにくい、挫けにくいのかなと思ったりしています。というのも、国策に抗って原発計画を押しとどめる人びとに、生きることへの自信、自分の生への愛情と感謝を感じるんです。もちろん、原発を国策として進めるために整備された法の下で、市民の非暴力・不服従の抵抗がいつしか追い詰められていく困難な状況はあって、それへの怒りや不信なども感じます。そこは誰かがいずれ切り込んでほしいと願うけれど、現地の方々にそこまでやれと言うのは、酷であるばかりか横柄な姿勢かと思います。現地では現地だからこそできることを、原発のために土地や海を売れとカネを積まれても拒むとか、脅されても追いつめられても諦めず心折れず、現地の暮らしを大事に続けるとか精いっぱい続けておられる。それは文字通り「一生懸命」で、すごく本気なんだけど、どっかで肩の力は抜けていて、打たれても打たれても折れない、しなやかさ、やわらかさがある。

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上関原発予定地・田ノ浦から撮った祝島

―私が山秋さんの本を読んでいる間に感じたのは、こんな活動なんだけど、打ちひしがれて本当につらい活動なんだけれど、やっている人たちは朗らかで柔軟、ユーモアがあって明るいこと。島のみなさんは仲間割れや分裂したりはしないのでしょうか

山秋 祝島の自然は、たとえば風や潮など厳しいけれど、同時にそれが豊かな恵みを人びとにもたらします。島のみなさんは、その地の自然に根差した暮らしをすることで、海や山に生かされている人びととも言えます。だから、原発ができたら他所で暮らせばいい、とはならない。状況に応じて別のどこかへ気軽に移って暮らせるわけではないので、失えないものが、はっきりしている。その分だけ切迫感は高くなり、粘り強さに反映されて、まとまっている面もあるかもしれません。第二次安倍政権のもとで日本の状況がすごい勢いで悪くなっていくなか、(原発をめぐる)国策の現場も、今まで「地方のすごく遠いところ限定」だったけど、広がってきている、以前より多くの人の身近に迫ってきている、そういう状況にあると思います。原発から基地、安保法制、改憲と、ひとつひとつも大きな問題である爆弾が次々に投下されて、対応に忙しくて休む間もないような昨今、現地で国策に対峙して頑張ってこられた先輩方の後姿が私の力になっている、教えられていると感じることが増えました。たとえば、人が集まれば意見の対立や分裂もあって当然で、ある程度まで仕方がないと、普段なら思います。でも今度の選挙での野党共闘に向けた動きは、まとまるべきところでまとまらないと、最後に笑うのは誰?というのは考えなきゃ、とか。311で日本中がそれぞれ厳しい体験をして、それはまだ終わっていません。それでも、少なくない人びとがそれをきっかけに変わり、世の中をいい方向へ変えたいと、そのために仲間を増やしてきました。これは希望ですよね。危機が降ってきたときは、それを乗り越える力も底から湧いてくるものなのかもしれません。

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祝島から未来へ

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山秋 真 : (やまあき しん) 「ためされた地方自治——原発の代理戦争にゆれた能登半島・珠洲市民の13年」(桂書房、2007)で平和・協同ジャーナリスト基金荒井なみ子賞(2007年)、松井やよりジャーナリスト賞(2008年)を受賞。2010年9月から2011年8月までの1年間は、原発をつくるための海の埋め立て工事にあらがう西瀬戸内海の祝島(いわいしま)に延べ190日以上にわたり滞在し「原発をつくらせない人びと——祝島から未来へ」を出版。ブログ「湘南ゆるガシ日和・・・急がず、休まず」

新連載「潮目を生きる」がWAN(ウィメンズアクションネットワーク)のHPにて好評連載中!
潮目を生きる・1「海賊の島々と祝島」
潮目を生きる・2「海と原発とカネ」
潮目を生きる・3「潮目が見えるか その1海売りは漁師の問題?」
潮目を生きる・4「潮目が見えるか その2潮の満ち干が糧となり砦となり」

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補足:

*1 ロベルト・ユンク : (Robert Jungk 、1913年5月11日-1994年7月14日) ユダヤ人ジャーナリスト。ベルリンに生まれ、1933年ナチ政権成立の後、パリへ亡命。反ナチ抵抗運動を経て、第二次世界大戦後にアメリカへ渡り、反核・平和運動へ。何度も広島を訪れ被ばく者を取材し「灰墟の光」を出版、世界14カ国語に翻訳される。

*2 「原子力帝国」 : ロベルト・ユンク著、山口祐弘訳。1977年発行、世界でベストセラーになる。核開発は国家のあり方をどう変えるのか。安全性神話を覆し災害の不可避性を説くとともに、民主主義と人権の蹂躙を告発する(作品紹介より)。フクシマの事故後、2011年5月23日ドイツのシュピーゲル誌には「Nukleartechnik:Der Atomstaat」と題し、「まるでロバート・ユンクの描く原子力帝国の恐ろしいビジョンが現実になったかのようだ」と書かれた。

 上記のシュピーゲルに掲載された記事の和訳
「原子力国家」コルドゥラ・マイヤー(翻訳:梶川ゆう)

*3 珠洲市。石川県の北東部、能登半島の先端に位置する市。

*4 珠洲市長選挙の無効。1993年4月18日当時原発立地を推進していた現職の林幹人(はやし みきんど)氏と原発建設反対派の樫田準一郎(かしだ じゅんいちろう)氏で珠洲市長選挙が行われるも、投票数に対して投票総数が16票多いという不正選挙の疑惑が浮上。原発建設反対派は同年12月に名古屋高等裁判所金沢支部に選挙無効を提訴、1995年12月11日選挙無効の判決。そののち石川県選挙管理委員会は最高裁判所に上告するも、1996年5月31日に上告を棄却する決定、選挙の無効が確定した。http://www.nippyo.co.jp/download/SHINSAI/PDF2/housemi_495_p20.pdf

*5 祝島に取材に来たドイツ人ジャーナリスト のブログ

Iwaishima Part1 Live and Sea(2014年4月1日)

Iwaishima Part2 Live and Sea: Protest (2014年4月3日)

*6 OVERSEAs。安保法制に反対する海外在住者/関係者の会。OVERSEAs-PEACE for World (OVERSEAs) HP:http://www.overseas-no9.net/

*7 怒れる女子会。「オッサン政治」を変えたい人たちが、リアルな空間で集まっておしゃべりをする場。

怒れる女子会ガイド

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Protestival 2016

明日7日はドキュメンタリー映画「太陽が落ちた日/”Als die Sonne vom Himmel fiel" Dokumentarfilm 2015」の無料上映会。

オリジナル日本語/ドイツ語・ドイツ語字幕 ロカルノ国際映画祭、スイス映画祭ノミネート作品
2016年4月7日(木)19:00から(開場 18:30)
場所:AUSLAND, Lychener Str. 60, 10437 Berlin
入場無料(会場にてカンパ箱設置)
上映後、アヤ・ドーメニク監督とのスカイプトークセッションあり
Facebook イベントページ : https://www.facebook.com/events/477900869076298/permalink/481048315428220/
いよいよ近日公開、樋口健二&広河隆一 写真展 Nuclear, Democracy and Beyond

2016年4月15日(金)から5月22日(日)まで
オープニングセレモニー4月14日(木)19:30
場所:Willy-Brandt-Haus, Stresemannstr. 28, 10963 Berlin 
開館時間 火~日曜日 12時から18時まで
(最終入場17:30)月曜休 
入場無料 ※入場には身分証明書の提示が必要です。

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