『主戦場』ベルリン上映会 2019

[:ja]今『主戦場』で起きていること

永井潤子さん

ベルリン在住のジャーナリストで、ベルリン女の会の永井潤子さんが、デザキ監督の11月の訪欧の予定を聞いて監督と連絡を取り合ったのがことの始まりだった。準備期間のあまりの短さに、会場探しが暗礁に乗り上げていたところ、私たちSayonara Nukes Berlin(SNB)の有志で新たに立ち上げた平和を考える会が後を引き継いだ。ベルリンでの11月20日の開催日程が確定したのは、9月12日のことであった。

急な申し出にもかかわらず、キャンセル待ちで快く会場を提供していただいたAUSLANDのMarioさんには、この場を借りてあらためて感謝の意を表したい。作品の上映費用が高額であったため、何の後ろ盾もない私たち市民による活動では、例によって限られた資金で十分な機材の揃った会場を探すことが容易であるとは言えない。日本国外の有力紙や日本での報道が過熱する中、20代から30代の若者を中心に、およそ86人の来場者があり、一人でも多くの来場者に観ていただきたいという気持ちが勝り、立ち見はもちろん、冷たい床にも座って鑑賞していただかねばならなくなった。私もその中の一人で、テンポの速い映画に心は駆り立てられながらも舞台袖の床で臀部は冷たい石の様に固まっていた。AUSLANDから入場規制がかかり、足を運んでくださった一部の方には心苦しくも入場を断ることにもなった。また、予定していた英日通訳の方が継続不可能となり、急遽、本来は独日通訳者であるSNBの梶川が代行したことで、彼女にとっても大変な仕事を押し付けることになり、何よりみなさまにご不便をおかけすることとなったことをお詫びしたい。

作品中に登場するのは愛知トリエンナーレの時の慰安婦像(平和の少女像)であり、この展覧会は検閲されてしまったのだが、様々な方々が展示するべきと活動されたので、いったん撤去されたものの最終的には少しの期間展示されることになった。川崎市のしんゆり映画祭でも『主戦場』の上映を拒まれ、その時も愛知トリエンナーレと同様の種類の物議をかもし、作品に訴訟が起きていることから、そうした作品を見せないほうが良いのではないかという議論になった。若松プロダクションによる作品を取り下げる形での抗議や、是枝監督が急遽登壇して声明を発信するなどし、最終日に『主戦場』が上映されている。

デザキ監督からは、裁判の結果は出ておらず、法律上はまだ何も決定していないのに、ただ訴訟が起きているということが理由となって検閲されてしまうことは恐ろしいことではないか。スラップ訴訟というのも危険であるし、アーティストのなかでも、こうした作品に訴訟が起きるということで、委縮してしまうのではないかということも怖いことだと思う。日本では表現の自由がずいぶんと失われてきているのではないか、そういうお話があった。

デザキ監督は現在、テキサス親父ことトニー・マラーノ、そのマネージャーの藤木俊一、カリフォルニア州の弁護士で、日本のテレビタレントであるケント・ギルバート、新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝、なでしこアクションの山本優美子の5人の出演者(順不同、敬称略)から訴訟を起こされている。11月14日に二度目の公聴会が終わったところだが、彼らは自分たちの発言を、発言していないとは主張できないし、発言を捏造されたわけでもないため、彼らは訴えの理由に、これが商業的な作品になるとは考えていなかったことをあげている。監督は、アメリカでのそうした問題を熟知していることからも、きちんとした契約書を作成して保管していることを自身のSNSでも報告している。4月の日本での公開が始まる前に、監督は出演者らに電子メールを送っている。その内容は、作品が公開されること、その試写会への招待だった。監督によると、テキサス親父のマネージャーは、おめでとう!と言ってくれた。ケント・ギルバートは、宣伝材料があれば自身のSNSで紹介するのでぜひ送ってほしいと言い、監督は何も送らなかったが、彼は実際にSNSで映画のトレイラーを共有し、さらには産業経済新聞社が発行している月刊誌『正論』でも、映画の宣伝をして商業的なことに協力してくれていた。しかし彼は契約書が日本語であったために読めなかったと言っている。もちろん彼は英語版の承諾書に署名している。これから彼は自分をどのように弁護するのだろうか。

これが今、主戦場で起きていることだ。

上映後の主な質疑応答
-加瀬英明(日本会議)は質問に真面目に答えていないのではないか

監督:彼はとても賢い人である。本気だったと思うし、彼は高名な外交官の家に生まれて育ち、何を言っても許される立場で恐れるものがないのだと思う。

-日本の若者は慰安婦について知らないふりをしているのでは

監督:大学の教授たちが学生らにこの映画について話したところ、学生たちも慰安婦問題について十分に知らないことが多かった。作品中でインタビューに登場した若者は、日本の代表的な若者だと考えている。理由の一つに、歴史教育がされていないため、例えば“慰安婦”という言葉も報道でしか知ることができないだろう。

-加瀬英明は日本が戦争で勝ったと言っているが、それも本気で発言したと思うか

監督:彼は、日本は東南アジアをヨーロッパの侵略から救ったと考えている。それで日本が中国や韓国などを植民地化していたとは考えていない。

-韓国と日本の関係がすごくこじれてしまっているが…

監督:安倍首相や歴史修正主義者の発言に対抗するよりも、慰安婦問題を史実に基づいて忠実に伝えようとしている人を応援すること、もちろん自らもそのことを認識し、世界中にこの問題のために活動する人々がいるので、そういう人々に連帯していくことが大事なのではないか。これは日韓の問題であることには変わりないので、当然日韓できちんと話し合っていくほか解決の方法はないだろう。

-元ナショナリストのケネディさんがそういう方だと知っていたか

監督:藤木さんからケネディ日砂恵さんについての話があり、彼女がたくさんのお金を払って調査をさせていたこともそこで聞いた。それで彼女の存在を知り、彼女にコンタクトを取ったところインタビューに応じてくれた。藤木さんの話がなければ、彼女のことを知り得なかった。ありがとう藤木さん。

 

また数々のハプニングに見舞われながらも、鑑賞後に来場者から寄せられた、独英日三か国語によるアンケートには心励まされるものがあったので、その一部を紹介したい。

・感情的な問題をかなり客観的に説明していると思った。
・ドイツ人として、ヒトラーのようなシステムが再びパワーアップするのを見ている気がした。
・非常に重要だ。私たちにはファシズムに対抗するクリティカルな映画が必要だ。
・私は映画を観ながらとても怒りを覚え、考えさせられた。これからはもっとこの問題のために運動していきたい。
・自分の無知を思い知らしめられた。「知っている」というのは言葉として知っているだけであり、内容までは知らないのだと分かった。
・日本ではメディアの規制も多く、正しい情報が得られていないことを強く実感した。
・報道の自由が段階的に失われている日本で、事実に基づいた情報を得るヒントがあればほしい。教科書の改ざんや政府とメディアの癒着から慰安婦問題を知らない日本人が多いのではと感じた。両方の視点から様々な情報が描き出されており、どのようなことが起きているかを知るにはとても良いと思った。
・言葉にならなかった。個人的にこの問題について調べていたので知っていたが、それもよく理解できたのはここ数年の事。知らないということが一番恥ずかしく思う。友人たちにも拡めたいと思う。
・想像していた以上の詳細な資料と映像で、一度観たただけだと頭が整理できなかった。もう一度と言わず何度か今後観に行く。
・情報量が多かったので数回観たいと思った。
・二回目の鑑賞、テンポが早い映画なのでもう一度見る機会に恵まれてうれしい。

(文責Rokko)


『主戦場』上映会でミキ・デザキ監督を同行して

イベントを企画実行するとハプニングがあるのは付き物だが、今回も予定していたフライトでない別の飛行機で別の空港に監督が到着することになるなど、最初からハプニングが待ち構えていた。それでも無事に空港で監督を迎え、今回のデザキ監督ベルリンへの招待で協力関係にあったKorea Verbandが予約しておいたホテルに彼をお連れした。イベント場所での集合時間まで少し時間があったため、会場に行くまで二人で話す時間がたくさんあった。私はそういう意味では、一番彼と個人的に話す時間が長く、それで映画のテーマ以外にもあらゆるテーマについて彼と意見交換をする機会に恵まれたので、得をしたのではないかと思っている。

デザキ監督は洞察力の鋭く落ち着いた分析のできる、明晰かつ気さくで気難しいところのない人だというのが私の印象だ。彼とはもちろん映画と歴史修正主義者や日本のネトウヨの話、慰安婦問題はたまた戦争責任問題に関するあらゆる日本での問題点も話したが、それ以外にも戦時中アメリカにいた日系アメリカ人が体験した問題や、移民問題全体、人類が抱えている差別という問題についてもあらゆる視点から話をすることができた。さらに、彼が5年ほど英語教師として日本に滞在したり上智の大学院に行ったりしていたときに日本の若者と多く接する機会があったことから、日本の教育問題に対しても鋭い批判を持っていることが分かった。私もかねてから日本の教育問題については悲観しているが、彼もこれだけ「馬鹿で無知でいる」ことがクールだとみなされている環境(彼はだから日本人が馬鹿だ、と言っているのではなく、馬鹿げた、難しいことを言わないスタンスを保つ方が格好良いと見なされるということへの嘆きを問題にしている)、政治的社会的に発言しないだけでなく、そういうことに興味を示し、ましてや意見を持つことが「ダサい」とみなされる雰囲気、「空気を読む」能力ばかりが発達する社会になってしまっていることに警鐘を鳴らしている。問題意識を持っている人も、だからこそ意義ある運動をしている人もグループももちろんあるのだが、それが固まって大きな力になっていかないこと、そして若い年代の運動者が生まれず先細りになっていることも、これからはますます厳しくなるだろう、という予想で意見が一致した。ことに、日本では女性差別が世界水準でも149か国のうちガーナやアルメニア、ミャンマーより低い110位(!)であり、優秀な女性たちが、能力を生かす仕事を得られず、活躍できないつまらない日本を飛び出してどんどん海外に行ってしまうこと、それから昔はエリートの中でも1年くらいハーバードなどに行って「箔をつける」ことがよしとされていたのに、今ではそれはキャリアにとって「不利」されているために海外に出る人がどんどん少なくなり、「井の中の蛙」の日本人ばかりになっていることなども嘆き合った。デザキ監督曰く「それでも優秀な人には日本にとどまってもらわなければ日本はますます退廃する」というようなことを言っていて、同感である(そういう私もさっさと日本を飛び出して出てきてしまったので例外ではないが)。

彼からはさらに、彼がどのように日本と接触し始めたかという話を聞いた。彼の両親は70年代にアメリカに移民としてやってきて以来、ずっとアメリカで暮らしている。彼はアメリカで生まれ育ち、男ばかりの兄弟3人の様子だが、ほかの二人は全然日本に興味もなく日本語もほとんどできないという話だった。彼らも私の子どもたちと同様に補習校に小さい時通わされ、しかも彼が行った日本語補習校は帰国する予定の子女を対象としている学校だったため、日本語のレベルもスピードも高く、とてもついていけなくて、母親は毎週のように「子どもをどう説得して連れていくか」が闘いの毎日だったらしい(私の記憶にも新しい)。お母さんは自宅でNHKの放送などを見ているものの、うちでは皆英語で話し(あるいは親が日本語で話しても子どもは英語で答える)、日本に帰るつもりも一切ない、というところで育ってきて、彼自身、最初は日本に興味など持っていなかった。二十歳になって初めて日本に来た時も、上智の帰国子女の入る枠(英語で授業を受けるコース)に1年留学しただけだったので、特別日本語がうまくなったわけでもなかった。彼が日本の政治的社会的問題に興味を持ったのは、英語教師として日本で仕事をし始めてからということだ。

「主戦場」を見れば、彼がどういう経緯でこの映画のテーマを取材するようになったか説明されているのでわかるが、全体を通してこの映画はとても丹念に計算された構造になっていると思う。映画ではテーマ項目別にインタビューを交えながら、慰安婦が何人いたか、とか強制連行はあったのか、または慰安婦は「性奴隷」だったかどうかという核心に迫っていったが、彼は単に意見が異なる人たちの話を客観的に対置して見せたのではない。インタビューの話における矛盾や疑問点をはっきり見据え、その上でインタビューを編集し選択し提示していったはっきりした視線、メッセージ、意見があったからこそ、実際の史実に迫ることができたし、だからこそこの映画は説得力があったのではないだろうか。慰安婦問題をたとえば「数字」の問題にすり替えてしまうことの怖さ、つまり歴史修正主義者からもそこで矛盾を指摘されたり、ひいてはその存在すらも否定されたり、運動家からも事実を「劇的に脚色」するために悪用されたりする、その危険性をしっかり指摘し、同時に河野談話以降、日本の「歴史教科書」がたどってきた展開(つまりいかに日本では子どもたちに史実を伝えない方向に進んできたか)も明らかにしている。そして大切なのは、アメリカの戦後の日本における戦勝国としての影響力、政治的防衛的意味における戦略と、それと切り離せない安倍首相の祖父以来の政治リーダーとの繋がりも明示していることである。映画の最後に彼が問いかけたのは、ほかでもない日本人が「アメリカが始める(始めたい)戦争に参加したいのか」という本質をつくテーマであった。これこそ今、安倍が率いる自民党が願ってやまない「憲法改正」、そして自民党がさらに日本を導いていこうとしているあらゆる思惑を前に、日本人がしっかりと意識して判断しなければいけないことではないのか、そう彼はこの映画を通じて問いただしている、と私は思う。過去の日本軍、日本政府、日本人の行為を史実、証言を通じてありのままを理解し、忘れないよう記憶する努力を進めることが、今後の自分たちの判断、倫理、意識の形成につながるものであることを理解しなければ、私たちはこれからも平気で同じ過ちを繰り返すだろう。映画の中で証言していた元兵士の方が語っていたひどい日本人の当時の倫理や人種差別、女性蔑視、国粋主義は、現在の日本人でも同じようなものではないのか? それは自分たちがやってきたことを見て分析し、理解し、反省しようとする意志と努力があまりにないからではないのか? ドイツでは今でもさかんにErinnerungskultur(記憶の文化)といういい方を使って「ナチスの時代の過ちをはっきりと見据え、記憶し、残すこと」を努力しており、それがドイツ連邦政府の理念であることをことあるごとく強調しているが(それがどこまで浸透しているかどうかは別問題として)、それこそが日本に一番足りない要素ではないだろうか。今の日本政府の沖縄米軍基地問題の対応一つをとっても、この問題は深く繋がっているのである。デザキ監督をベルリンに招くことができて、とてもよかったと思っている。(文責YU)


主戦場公式ウェブサイト:http://www.shusenjo.jp/
Shusenjo official website:https://www.shusenjo.com/


ミキ デザキ:ドキュメンタリー映像作家、YouTuber。1983年、アメリカ・フロリダ州生まれの日系アメリカ人2世。ミネソタ大学ツイン・シティーズ校で医大予科生として生理学専攻で学位を取得後、2007年にJETプログラムの外国人英語等教育補助員として来日し、山梨県と沖縄県の中高等学校で5年間、教鞭を執る。同時にYouTuber「Medama Sensei」として、コメディビデオや日本、アメリカの差別問題をテーマに映像作品を数多く制作、公開。タイで仏教僧となるための修行の後、2015年に再来日。上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科修士課程を2018年に修了。

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