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“ヤクザと原発” 福島第一潜入記ドイツ語版出版記念講読会

[:ja]3月13日、ハンブルグに次いでベルリンでも”ヤクザと原発”のドイツ語版の出版を記念し、著者である鈴木智彦氏を招いての講読会が開催された。鈴木氏は、ジャーナリストという職業柄、自身が取材を受けるのは苦手であると断った上で、ジャーナリストとしては初めて事故後の福島第一原発に入ったので自分には応える義務があると、原発に関しては世界40~50か国からの取材を受けたそうだ。

また日本では福島の事故で民衆が分断し、大事なエネルギーの問題や将来の問題を話さなければならない中、それが叶わず、残念な状況にあると話された。

来場者を前に執筆の経緯を話す鈴木氏

もともとは原発への反対も推進する意図もなく、ジャーナリストとしてまだ誰もやっていないことをしようという目論見から潜入取材を試み、著書を出版された鈴木氏である。

著書については、ご自身が実際に見てこられた作業工程の他には、私たちのグループ内の読者からも不明瞭で精査性がないという感想が多かったように思う。私自身も疑問を抱えての読了、一部の単位や表現については合点がいかず専門家に確認する必要もあった。しかし一部のメンバーからは、ヤクザと原発をつなぐ着眼点がこれまでにない発想であるとの高い評価もあり、私は最終的には著書の中身よりも、この日、鈴木氏がお話になった演説や質疑応答にスッキリするものがあり、好感触を抱くことができた。

この日は本に書かれなかったことでは、原発の労働者にヤクザが入っていると疑ってから、福島県内で二番目に大きな指定暴力団を何度も観察に訪れるうち、所有車が次第に国産車から高価な外国車に移り変わる様子に気づいたという。会場からは度々笑いの声も。

日本の出版社からは暴力団からのクレームを恐れ、仮名表記との希望があった。そうした中、外国のメディアが取材に訪れては実名報道に勤しむ姿を目の当たりにし、この本を書いて日本の電力、権力がおかしいと思ったが、僕ら日本のメディアもおかしいのだと知ったと鈴木氏。

―東京電力の幹部から関連企業に”死んでもいい人間を集めてくれ” 事故当時、労働者を集めることができるのは暴力団だけだった

ヤクザがその体制を生かし、普段から組員一人当たりが10人から20人ほどの労働者を囲い、仕事に応じて派遣するのを知っていた鈴木さんは、東京や大阪の日雇い労働者をあたる。しかし事故後の混乱の最中では、信ぴょう性の薄い情報が飛び交い、次第に鈴木氏は自身が労働者の中に入っていく必要性を感じることとなる。

―みなさんが僕の目を借りて、原発を見るわけだし、日本を見るわけだし、なるべく正確に応えようと思っている

会場は満席、活発な質疑が寄せられた

事故後の福島第一原発で働く労働者たちの中には、一定の被ばく線量に達することで職を失う事から、線量計の位置をずらしたり、休憩時間にカバンにしまうなどの工作をされる方がよくいたそうだ。

来場者から途切れることなく寄せられた質疑Qと鈴木氏の回答Aの一部を以下に紹介する。

Q:”使い捨て作業員”信じられないが、一緒に働いていた仲間が線量を浴びて病気になったり亡くなったりするのを見て怖くなったり辞めたいと思うような作業員はいないのか
A:そういう人は爆発の時点で辞めていった。事故後に来ている作業員で後の健康等を考えている人間はほとんどいなかった
Q:なぜヤクザは(原発から)なくならないか 
A:原発はみんな嫌だ、土地にはお金が落ちて東電や東芝らは書類さえ揃えば良いと、地域のことは地域でやってくれと丸投げする、そうして原発が建つまでのプロセスに初めからいることで排除できなくなっている
Q:潜入取材の中で親しくなって、作業員らが本当に放射線への恐れも知識もない、それは信じられないが、他にも話を聞いたか
A:子どもをつくることができなくなるなどの多少の知識やパニックはあったが多くの作業員がヒロイズムに浸り、酔っていた。たくさんの労働者が逃げて、自分は日本を救うために残った、怖いとは言えない。直後であったために冷静に考える余裕がなかった
Q:原爆の被害をよく知っているはずの日本の方たちが、こんなに技術や学業が発達した国で、どうしてこのような仕事ができるのか 
A:日本は学歴やステータスによってまるで住む世界が違う。(原発の)末端の労働者は情報弱者、知らないし知ろうともしない人たち
セバスチャン・プフルークバイル(Sebastian Pflugbeil)博士、物理学者・ドイツ放射線防護協会会長

ここでセバスチャン・プフルークバイル博士から、原発というのはもともと技術が発達してはじまったわけだが、ウランを扱うところからも健康被害があると最初からわかっていた技術でもあり、被害がないという事はあり得ないのが原発である。作業員の使い捨てということが前提となって行われている技術なのだから、もっとフェアに労働者を雇い、被害があった場合に対策をすることを考えなければならない。線量が高いということもあり、もしどんなにきちんと防護服やマスクを身に着けても被ばくを防げないことがあるはずだというようにおっしゃった。

Q:東電をかばうつもりはないが、あんなに暑い中でも防護マスクや防護服を身に着けなければ働けなかったわけでそれなりのことはしているのではないか
A:防護服はただの紙で、放射線を防ぐ役目はない。目的はホコリの中に舞う放射線物質の持ち帰りと拡散を防ぐことのみ
翻訳に携わったフェリックス・ヤヴィンスキ(Felix Jawinski)氏

同時通訳をされ、著書の翻訳にも携わったライプツィヒ大学のフェリックス・ヤヴィンスキ(Felix Jawinski)氏から、防護服というものは鉛ではなくて、完全に被ばくを防ぐものではないとの補足が。

 

 

 

 

 

―鉛で遮蔽されたスーツなんてないんです。そんなものが必要な可能性は絶対にないから、そんな装備はいらないというのが日本の原発の考え方

実際に現場で着衣される作業着を広げる鈴木氏。これではほとんどの放射線を防ぐことはできない
Q:私たちはどのように助けることができるだろうか
A:技術的なことでは仏アレバをはじめとする世界中の技術者が参入し事故の収束に当たっていることからも心配はないと思う。しかし日本はこんな事故の後でも原発をつくろうとしていて、理性的に原発のことを話せる場を日本人は持つべきだ。外国の報道を見て日本や原発の様子がおかしいことに気づくし、ドイツでの議論がマスコミを介して日本に伝わることで、もっと日本での議論の手伝いになる
© Verlag Assoziation A ヤクザと原発ドイツ語版 ”INSIDEFUKUSHIMA”

以上、この日の質疑応答の様子が素晴らしかったので、ライブ形式での記事とした。R


鈴木智彦:(すずき ともひこ、1966年 – )日本のカメラマン、フリーライター、ジャーナリスト、元『実話時代BULL』編集長。ジャーナリストで初めて作業員として事故後の福島第一原子力発電所に潜入した。著書に、「潜入ルポヤクザの修羅場」「ヤクザ1000人に会いました!」「極道のウラ知識」など。

 [:de]Von Felix Jawinski

Ⓒ Tsukasa Yajima

Vom 10. März bis 14. März weilte der Autor des Buches Inside Fukushima – Eine Reportage aus dem Inneren der Katastrophe Suzuki Tomohiko in Deutschland. Die europaweite Buchpremiere fand am sechsten Jahrestag der Dreifachkatastrophe von Nord-Ost-Japan im Rahmen des Lesefestivals „Lesen ohne Atomstrom“ im Hamburger Völkerkundemuseum statt. Als Ergänzung zu den Anti-AKW- Demonstrationen am 11. März in mehreren deutschen Großstädten erinnerte die Veranstaltung nicht nur an die Katastrophen und deren Folgen, sondern auch daran, wie die japanische Regierung gemeinsam mit vielen weiteren Akteuren des sogenannten japanischen Atomdorfs versucht(e), die Lage im geborstenen AKW Fukushima Daiichi in den Griff zu bekommen. Suzuki Tomohiko ist genau dieser Frage nachgegangen und hat sich drei Monate nach der Katastrophe für mehr als zwei Monate im havarierten AKW Fukushima Daiichi als AKW-Arbeiter verdingt. In Japan bekannt als Journalist und Spezialist für die Yakuza, über die er seit Jahrzehnten berichtet, setzte er sich auch vor der Katastrophe mit dem gesellschaftlichen Phänomen der organisierten Kriminalität auseinander. In der Ausnahmesituation nach dem Super-GAU entschloss er sich dann genau dorthin zu gehen, wo viele seiner Kollegen sich nicht mehr hinwagten. Anfänglich als Begleiter der Yakuza in Hilfsgüterlieferungen in die betroffenen Gebiete eingebunden, merkte er schnell, dass die Verbindungen der Yakuza in das AKW-Gewerbe und die Rekrutierung von Arbeitskräften tiefer waren, als er es bisher für möglich gehalten hatte. Verstrickungen der Yakuza in viele Bereiche der Wirtschaft, wie z.B. dem Baugewerbe, dem Glücksspiel, aber auch ins Rotlichtmilieu, waren ihm auch vorher bekannt. Hellhörig wurde Suzuki Tomohiko aber, als ihn in den ersten Tagen nach der Katstrophe beständig ranghohe Mitglieder der Yakuza anriefen und ihn fragten, ob er nicht jemanden kenne, der im AKW arbeiten wolle, bzw. ob er nicht Leute kenne, die Arbeiter vermitteln könnten.

In den Diskussionen auf den Veranstaltungen kamen folgende Fragen immer wieder auf. Zum einen erklärte Suzuki den Unterschied zwischen der japanischen Yakuza im Vergleich zur italienischen Mafia. Die Frage, wieso er sich hier offen präsentieren könne und keine Angst vor Vergeltungsaktionen haben müsse, spielte dabei genauso eine Rolle, wie das Interesse daran, wie es überhaupt möglich sei, über die Yakuza zu berichten. Weitere Erklärungen stillten die Neugier des Publikums nach den Arbeitsbedingungen, den Schutzmaßnahmen vor Radioaktivität und seinem Doppelleben als AKW-Arbeiter und Journalist. All diese Fragen erläuterte Suzuki Tomohiko sowohl in Hamburg und dann am 13. März 2017 noch einmal in Berlin, bei einer Lesung im Verlag Assoziation A. Die Veranstaltung in Hamburg fand großen Zuspruch der Bürgerschaft. Ungefähr 500 Menschen kamen und wollten dabei sein. Darüber hinaus wurde die Veranstaltung aufgezeichnet und sogar live gestreamt und kann deshalb auch jetzt noch online nachgeschaut werden. Die Diskussion wurde in Hamburg von der Mitgründerin von Greenpeace Deutschland Monika Griefahn geleitet. Auf dem Podium saßen außer Suzuki Tomohiko der Präsident der Gesellschaft für Strahlenschutz Dr. Sebastian Pflugbeil und der bekannte Undercover-Journalist Günter Wallraff. Sowohl in Hamburg als auch in Berlin ging den Diskussionen eine Lesung voraus. Während in Berlin der Schauspieler Richard Schnell, der schon an der Aufführung von Stimmen aus Tschernobyl mitgewirkt hatte, eindrucksvoll und stimmgewaltig die Situation der AKW-Arbeiter in den Raum projizierte, übernahm diesen Part in Hamburg die Schauspielerin Anna Thalbach. Auch in Berlin überstieg die Besucherzahl die Erwartungen – es kamen mehr als 100 Interessierte und folgten seinen Ausführungen.

© Verlag Assoziation A

In den Medien fand die Buchpremiere ebenfalls großen Anklang.Vom 6. – 9. März lief eine vierteilige Radiosendung mit dem Titel „Weiterleben“ der Journalistin und Japanologin Judith Brandner im ORF.Darüber hinaus verfasste sie eine Rezension für die Schweizer WOZ. Der WDR berichtete in einer Radiosendung ebenso wie der NDR. Am 11. März berichtete die MOPO über das Buch im Zusammenhang mit einem Interview mit Günter Wallraff. Als Reaktion auf die Berliner Veranstaltung erschienen Beiträge in der Tageszeitung Junge Welt, und bei Telepolis. An dieser Stelle sei noch einmal allen Beteiligten von Lesen-ohne-Atomstrom, dem Verlag Assoziation A, den DolmetscherInnen und OrganisatorInnen dieser Leseveranstaltungen gedankt, ohne die das Projekt so nicht hätte realisiert werden können. Allen LeserInnen wünschen der Autor und die ÜbersetzerInnen nun viel Freude bei der Lektüre! Wer mehr über die Struktur der AKW-Industrie, den Autor oder über die weitere Diskussion des Themas AKW-Arbeit in Japan erfahren möchte, kann gern den Text des Mitübersetzers Felix Jawinski zurate ziehen.


 

Felix Jawinski:

2007 – 2011 Bachelorstudium der Japanologie und der Politikwissenschaft an der Universität Leipzig, Auslandsstudium in Japan an der Aichi Prefectural University 2009 – 2010. Thema der Masterarbeit: „Atomkraft und Arbeit: Versuch einer Annäherung am Beispiel Japans“. Seit 2010 zunächst studentische Hilfskraft, dann wissenschaftliche Hilfskraft und seit Oktober 2014 wissenschaftlicher Mitarbeiter am Institut für Japanologie Leipzig.[:]

講演レポート「フクシマ原発事故の健康被害について」

[:ja]2016.6.14 (火) の 19:00 より,Sayonara Nukes Berlin の主催で「フクシマ原発事故の甲状腺ガン患者の苦悩」という講演が行なわれました.話者は西里扶甬子氏です.副題として,「フクシマ原発事故の甲状腺ガン患者の苦悩」とありました.

西里氏はドイツ国営テレビ放送 ZDF のプロデューサーとして活躍されておられるジャーナリストです.「福島の嘘 (Die Fukushima-Luege)」などのドキュメンタリーの制作に関わりました.今回はジャーナリストの視点から,福島の現状,問題点などの講演をして下さいました.
講演では特に章などはなく,連続的に続きましたが,このレポートでは,話の流れを以下のように分けてレポートします.

  1. 西里氏が取材をした人達の話の紹介
  2. 科学者 (技術者・研究者) とメディアのコラボレーションについての提案
  3. 除染事業の構造的問題
  4. 補償問題について
  5. ドイツ人の疑問
  6. 福島報道における諸刃の刃
  7. 福島第一原発事故から5年,現状は
  8. その他の問題

1. 西里氏が取材をした人達の話の紹介

a. 菅直人と小泉純一郎: 原発推進から反核へ

小泉氏はかつては原発推進をした立場だったが,「原子力はクリーンで安くで安全とずっと信じてきたが,それはみんな嘘だった.」と反対になった.このように,小泉氏は以前推進してきたことも積極的に発言しており,今は反省に立って立場を変えたとしている.

菅氏は事故時の対処に関して批判もあるが,しかし,浜岡原発を停止したことや自然エネルギーのための立法などに奔走したことなどがあり,西里氏はそれなりの評価をしているということであった.

b. 井戸川克隆: (元双葉町長)の以下の発言を紹介

  • 政治(行政・官僚)は「国民のためという基準では動かない.」
  • 行政と企業は「経済優先」というところで癒着している
  • 政府と大企業は平気で嘘をつく
  • ジャーナリストは怒りを持て

井戸川氏は,地域の行政側から被災者(被曝者)になった.地方の行政からすると,問題は山積している.たとえば,漁業復興ということを考える.漁業をする方々が漁業ができないという苦しみをどうするのか.しかし,安全を確認する前にすぐ再開することによる問題はどうなのか.

c. 大学の研究者

  • 山敷庸亮京大教授: 汚染を運ぶ阿武隈側,海洋汚染などについて発表.
  • 小出裕章: 反核の科学者

国立機関にいるものとして発言が難しいこともあることを紹介.

d. 汚染地域に住む被災者の人達

  • 吉澤正巳: 黒毛和牛生産者
  • 松村直登: 富岡町,避難時に受け入れ先で拒否された経緯などの紹介

e. 市民運動

  • 根本淑栄: 県民健康調査の前線で起きていることの紹介.

土に生きる人達はどうしても作っている.福島産の野菜などを食べて助けようという人達と,ちゃんと測ってからにしようという人達,同じ福島県民の中での軋轢,分断がある.

2. 科学者 (技術者・研究者) とメディアのコラボレーションについての提案

コラボする分野は何か

  • 廃炉作業の進捗状況 (核燃料の状況)
  • 3 炉メルトダウンという大事故が起きた原因と経緯を明らかにする
  • 住民の避難,ヨウ素剤配布や,同心円状の避難区域の設定,Speedi のデータ
  • 隠蔽を含めた事故対応の反省と検証,責任の追求
  • 風向きを考慮した避難訓練も実施されていたが,事故の時には Speedi データが出てこなかった.このようなことについての反省や検証はどうなっているのか
  • 福島県民健康調査の嘘を科学的に,判りやすくみる必要がある
  • 甲状腺癌発症の実態についての詳しい調査と報道の必要性

3. 除染事業の構造的問題

除染事業はゼネコンや,地域の建設業者などが請け負う.多くは除染の知識がない人達である.ゼネコンも地域の建築業者も原子力に関しては建設も請け負い,除染も受けおう.このために,事故の前は建築の仕事があり,事故が起きても除染の仕事になるため,事業者としては事故に関する関心は薄くなる.

4. 補償問題について

「人道と社会正義」に軸足をおいて監視するべきであろう.その際,中立はメディアにとって一番大切なことではない.客観的であることは必要であるが,腐敗や不正を暴く役割はメディアの役割であろう.なぜなら,被災者や一般人は弱い立場である.それを中立の立場のために,弱者側と権力側とを同じに扱うことはメディアに求められることなのであろうか? そうではないと西里氏は提案する.

5. ドイツ人の疑問 (2013年11月)

a. 日本人はなぜ怒らないのか.ドイツなら暴動が起きているはず.

ドイツにはチェルノブイリ事故の国民的トラウマ(ポジティブな意味で)がある.日本人は戦わない国民性,権力に支配されることに慣れている,あるいは支配されていることにも気がつかない,気がつく必要を感じない国民性があるのかもしれない.

b. これだけの事故でなぜ誰も逮捕されないのか? 責任は誰が取るのか?

班目春樹氏の発言などを挙げ,犯罪的嘘ではないかと疑問を呈している.また,説明を市民にする際に,ごまかそうとしているような発言は説明責任を果たしていないのではないかと疑問を呈している.たとえば,水素爆発時の「なんらかの爆発的事象が起きた」という発言など.

c. なぜ東電が今でも存続しているのか?

d. 日本のメディアはどうなっているのか?

6. 福島報道における諸刃の刃

a. 甲状腺癌患者 (2015 年12月31日集計で甲状腺癌及び,その疑いのある患者は 166 人) が内部告発的状況にあること

政府が因果関係を認めていない現状では,報道で自分の状況を告白しようとしても難しい.他の被曝者で潜在的な人々(まだ癌とはされていない人々)から,そういうことを言うと,今後差別されるかもしれないのでやめて欲しいという圧力があることもあると取材で判明.

被害者,またはまだ発症していないがおそれのある潜在的被害者は 0 から 18 歳という若者たちであるため,本人のみならず,親兄弟姉妹の苦悩が深い.西里氏は,過去ヒロシマ,ナガサキで行なわれた差別のような状況との類似を指摘した.たとえ,実際に甲状腺癌を発症し,手術しても,おそらく遺伝的なものであろう.などと診断されることがある.

b.汚染地域の明暗と除染事業

浜通り,20 キロ圏,30キロ圏,とその外側との補償や避難に対する援助に格差 がある.汚染や被曝の実態は同心円状ではない.ホットスポットなどがあるが その対応が困難である.

以下のような基準値の引き上げによる実態の深刻さを隠蔽

  1. 公衆被曝上限 1mSv/y から 20mSv/y
  2. 放射性廃棄物基準 100Bq/kg -> 8000Bq/kg (仙台湾の海底の泥 4000Bq/kg)
  3. 体表面汚染のスクリーニング基準の変更 13,000CPM -> 100,000 CPM (CPM = Count Per Minites)
  4. 原発労働者の緊急作業時被曝限度 100 mSv -> 250 mSv
  5. 30 キロ圏の外では避難していない人々が多く,報道の対象にもなっていない.
  • 避難できない以上は除染はして欲しいとの住民の要望がある.
  • 汚染物の行き場はまだない.生活圏(仮仮置き場) に積んである.
  • 山や森の除染は無理
  • フレコンバックは 3 から 5 年の寿命で,そろそろ寿命.

7. 福島第一原発事故から5年,現状は

2016年2月15日第22回「県民健康調査」検討委員会で発表された中間とりまとめの次のような要旨

「福島県の放射線量は低い,甲状腺集団のほとんどが受けた線量は 1 mSv 未満だった.甲状腺検査の最少年線量ではこれまでガンは発生していない.スクリーニング効果および,治療した場合は過剰診療になりうる.リスクコミュニケーションが不可欠である.」

と,最大の問題は Radiophobia (放射能恐怖症) という重松逸造氏などの言葉をひいて,一般人の立場からみると,論点のすり替えと非科学的詭弁に見える.事故は起き,危険はある.どういうものかを明らかにし,対処すべきではないのか.「放射線の影響は,実はニコニコ笑ってる人には来ません.クヨクヨしてる人に来ます.」で終わっていいのか,リスクコミュニケーションで対処する前にすることはないのか,という疑問を提示した.

第23回県民健康調査検討委員会(2016 年6月6日発表) で甲状腺癌の患者数が 166から 172 人になったこと,甲状腺癌家族会が 2016年3月12日に発足したことを述べた.これは,患者家族間の交流のための会で 311kazoku.jimdo.comにサイトがある.

8. その他の問題

  • 廃炉事業,汚染水,凍土壁,労働者と被曝の問題
  • 帰還問題
  • 除染と廃棄物の保管問題
  • 健康障害,メンタルヘルスという結論に抗して被曝手帳などを発行
  • 補償の問題
  • エネルギー問題と再稼動の問題
  • 地震王国日本
  • 特定秘密保護法,メディアの弱体化

最後に,核について長年とりくんでこられたことからか,最近の米大統領広島訪問についてのコメントがあった.

2時間に及ぶかなり長い講演であったが,講演中には会場からもコメントなどがあり議論もあった充実した講演会であった.

プロフィール

西里扶甬子 / Fuyuko Nishisato: 海外メディアの日本取材時におけるコーディネーター/フィクサー、インタビューアー、ディレクターとして活動。2001年からはZDF東京支局を中心に活動。現在はフリーランサーとして、これまでの経験を基に独自の取材を続けている。著書に「生物戦部隊731」 (2002年草の根出版会)。「七三一部隊の生物兵器とアメリカ」(2003年ピーター・ウイリアムズ、デヴィッド・ウォーレス著かもがわ出版) の翻訳。[:]

公開討論: 破局後五年目のフクシマと今後

[:ja]3月11日ベルリンはノイケルンのWerkstatt der Kulturenでさまざまな分野の芸術家たちによる「Fukushima the Aftermath(フクシマ、その余波)」という記念の催し物があり、この日は午後三時ごろから夜遅くまで多くの人が会場を入れ代わり立ち代わり訪れました。この公開討論はその催し物の一環として行われたものですが、企画およびそのオーガナイズにはわれわれSayonara Nukes Berlin(以後SNB)のメンバー梶川ゆうさんが精力的にアンガジェしてくれました。 続きを読む 公開討論: 破局後五年目のフクシマと今後

おしどりマコ&ケンさん座談会

[:ja]

Tsukasa Yajima
Tsukasa Yajima

おしどりマコ&ケンさんの座談会を2月28日(日)、ベルリンのカフェ で行いました。2011年3月の福島第一原発事故後、東電の記者会見に通い、被災地や識者に積極的に取材活動を続けている芸人ジャーナリストことおしどりマコ&ケンさん。本業の夫婦漫才師ならではのボケと突っ込みで度々会場は参加者の笑い声でわきました。

おふたりは東電の記者会見に通い続けているため、今では他の記者や東電の広報担当よりも詳しい記者とのこと。今の広報担当は自ら「情報オンチ」と言っているという話には東電の無責任さにあきれてしまうばかりです。

Tsukasa Yajima
Tsukasa Yajima

マコさんは取材をしてきて気になっていることを大きく分けて3つの点にしぼって話してくれました。

①放射性廃棄物の再生利用

②小児甲状腺がん

③「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟

①放射性廃棄物の再生利用についてはおしどりポータルサイトに詳しいので、そちらを見てください。

http://oshidori-makoken.com/?p=1863

環境省ホームページ

http://www.env.go.jp/press/101515.html

恥ずかしながら、このことについてわたしは今回はじめて知りました。マコさんもおっしゃっていましたが、一体何のために「除染」をしているのか、何をしたいのか理解に苦しみます。

②小児甲状腺がん

マコさんは2015年5月18日開催の第19回福島県「県民健康調査」検討委員会で出された「甲状腺検査に関する中間取りまとめ」に「こうした検査結果に関しては、我が国の地域がん登録で把握されている甲状腺がんの罹患統計などから推定される有病数に比べて数十倍のオーダーで多い。」という文章が入っており、この内容は中間取りまとめ案にはなかったため驚いたと話していました。マコさんは以前から中間取りまとめにかかわった医者たちにも取材しており、チェルノブイリ事故後、ボランティアで甲状腺がんの内視鏡手術を行ってきた清水一雄医師(甲状腺評価部会、部会長)は「原発事故による被ばくの影響は無い、と個人的には思ってはいるが、そのような先入観を持っての調査は科学的ではない。」と言いはじめてきたと紹介し、中間取りまとめが出てから委員の医師たちの雰囲気が変わってきた様子を話してくれました。

中間取りまとめについての詳細はおしどりポータルサイトを見てください。

http://oshidori-makoken.com/?p=1094

「甲状腺検査に関する中間取りまとめ」

http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/115335.pdf

③「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟

原告の人たちを取材してきたマコさんとケンさん。「生業を返せ、地域を返せ!」の意味は原発事故前の原発のある生活に戻せということではなく、原発ができる前の生業をなくす心配のない生活を取り戻すということであって、彼らは「原発をなくすための裁判」をしているのだと話してくれました。原告は現在約4000人。福島県の全市町村と近隣の被災した県などにいます。画期的な出来事は原告団の要望により、裁判長と裁判官が浜通りと中通りの現場検証に行くことが決定したこと。同じ被災者から「そんなにお金がほしいのか」との嫌がらせも受けていますが、本人尋問の中身を聞くと原発事故の影響によって自ら命を絶った人の家族や自分の言葉で被害を訴えられない知的障害を持った教え子たちに代わって発言する特別支援学校の先生といった人たちが原告になっており、彼らはお金のためではなく、他の誰かのために原告になっているのだとのマコさんの言葉が印象的でした。

「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟

http://www.nariwaisoshou.jp/

Ysukasa Yajima
Ysukasa Yajima

マコさんとケンさんが理事も務めている福島の子どもの保養施設「沖縄・球美(くみ)の里」についての紹介もありました。

球美の里のホームページ→http://www.kuminosato.com/

おふたりが球美の里で福島の子どもたちと交流していると、性のことと同列に被ばくのことが話題になる。それは彼らにとっては被ばくのことは大人には聞いてはいけないタブーとなっているということで憤りを感じるとおっしゃっていました。

世論調査では脱・反原発が半数を超えるのに、選挙になると原発を推進している自民党・公明党が勝ってしまうのはなぜなのか。ドイツに長年住んでいると歯がゆい思いがするとの参加者の質問に対して、選挙のときに100人アンケートをとったマコさんは大多数の人が選挙に行かない。選挙に行く人は「謝りながら自民党に入れるお年寄り」ということと「365日、創価学会員(=公明党)から手厚いケアを受けている人」と自らの分析結果を紹介してくれました。SEALDSの若者たちとも早い時期から関わりのあるマコさんが最後に締めくくった言葉は「自分の思ったことが自由に発言できる状況になってほしい。日本に住んでいても歯がゆいです」でした。

Tsukasa Yajima
Tsukasa Yajima

今回の座談会は約5年間原発事故関連の取材を続けているまさに専門記者からの報告で、非常にためになるお話でした。被災者に寄り添い、疑問は追及し続け、事実から裏付ける取材スタイルはトップが安倍首相とお食事をしている大手商業紙、テレビ局といった日本のマスコミの堕落ぶりも浮き彫りにされるようでした。おふたりにはこれからも芸人ジャーナリストとして発信し続けてほしいと思いました。

Tsukasa Yajima
Tsukasa Yajima
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講演: 菅直人氏「危機管理-2011年3月の東日本大震災および福島原子炉発電所事故から得た教訓」

[:ja]2015年10月13日(火) にハインリヒ・ベル財団とベルリン日独センターによる菅直人氏の「危機管理-2011年3月の東日本大震災および福島原子炉発電所事故から得た教訓」と題する講演があった.

講演会告知(ベルリン日独センター)

まずはドイツ側がこの講演の背景,脱原発の状況などを説明した.

  • メルケル首相の過去の発言「日本のような世界有数の技術を持つ国ですらあれほどの事故と損害が起きることを考えると,ドイツのためには脱原発は理にかなっている」
  • 日本の方が自然エネルギーの可能性が高い.風,太陽光,バイオに追加して,地熱や潮力など,ドイツよりも可能性があり,そして世界有数の技術がある.欠けているのは,おそらく政治的判断だけであろう.
緑の党の核・エネルギー政策担当、Sylvia Kotting-Uhl氏
緑の党の核・エネルギー政策担当、Sylvia Kotting-Uhl氏

菅氏からは以下のような事故や事故後の政策についての話があった.

事故直後,原発は安全であるという前提に基づいていたため,危機管理は考慮されていなかったことが次々に明るみになった.3月22日頃,最悪のシナリオを専門家に作成してもらうよう依頼した所,250 km 圏内の避難が数十年間必要であると言われた.これは東京を含む 5000 万人に影響がでることを知り,もし5000 万人の避難民が生まれたらどうなるのか,日本が存続できるかどうかの危機と認識した.

初動では政府側も東電でも上層部はほとんど情報を把握できない状況であった.一方で現場の吉田所長はマニュアルにはない独創的な方法を使って炉を冷す努力をしたこと,消防,東電,警察,自衛隊などの,現場の努力が日本を救った大きな力であったことを述べた.メルトダウンした燃料は東電の発表によれば70Sv/h の放射線を出し,人間が浴びれば 5 分と生きられないものである.格納容器は高圧で壊れて穴が開いたが,幸いこの燃料が飛び散る自体にはならなかった.しかし,安全であるとされていたため,事故のシミュレーションもなかったので,格納容器がもし破裂したら燃料はどうなっていたのか不明である.また,4号機の燃料プールには格納容器もなく空焚きによるメルトダウンが心配された.しかし,当時ないはずの水が工期の遅れなどでたまたま存在してその事態は避けられた.「政治家らしい言葉ではないが,神の加護としか思えなかった」と事故について語った.

講演をする菅直人元首相 (撮影:矢嶋宰)
講演をする菅直人元首相
(撮影:矢嶋宰)

現在も 1 日 300 t の水を入れて冷やしている.しかし格納容器に穴があるので,その水は漏れている.それを汲み上げてタンクに貯めているが,全てを汲み上げることはできない.現在もとても Under control ではない.

福島原発は廃炉作業をしている,予定では 40 年ということだが,菅個人としてはさらに長い時間がかかることだと思っている.

なぜこのような事故になったかを考えると,その原因は以前からの積み重ね,そしてハードとソフトの両方にあった.福島の海岸はほぼ 35 m の高さがある.東電は原発を置く場所として 35 m の高さの高台を 20 m 削って低くした.東電はこれによって冷却水の汲み上げの電気代を安くしたことを利点とした.非常電源の設置場所を低い場所にするなど,ハード的に事故が起こりやすいものとなっていた.一方,ソフト的なこととしては,日本では事故は地震,津波などと同時に起こりやすいが,それが想定されていなかったこと.責任を持つ官僚にも専門家を配置していなかったこと.当時,政府の原発の事故の責任者は経済学者で原発については知らないということがあった.また原発の規制をする側と推進をする側が同一の組織であった.つまりハード,ソフト両面で事故を防げなかった.

3.11 前には,他国の首脳に会った時には日本の原発を買うように勧めていたが,3.11. 以降は考えを完全に変えた.

経産省が安全と推進の両方をしていたが,このソフト面の問題を解決するため,推進と安全の担当を分離し,再稼動の条件を厳しくした.

ドイツの FIT を参考にして,自然エネルギーの導入を推奨した.

将来は日本のエネルギーは原発のみではなく,化石燃料もやめて再生エネルギーにシフトしたい.地球上にふりそそぐ,太陽のエネルギーの 1万分の1で人間の現在の活動は全てまかなえるという研究もある.各国がそれぞれエネルギーを他国に依存しなくなれば,国際紛争の大きな原因の1つであるエネルギー問題を減らすことができる.つまり,世界の安全保障は,エネルギーのシフトによってより高まると考える.ドイツをその先人として見ている.ドイツの中でも様々な意見があるのは知っているが,福島の後の数ヶ月でメルケル首相が再生エネルギーへの転換を判断したことには感銘を受けた.

現在の日本の状況は再生可能エネルギーに向かう方向が遅くて残念な状況である.しかし経済的に考えても原発は安いものではないことが明るみになってきているので,今世紀中には経済的に立ち行かなくなってなくなるとは予想している.しかしそれまでに事故が再び起きない保証はなく,遅いかもしれないので,それを待つわけにはいかない.

最後に,「幸いにして国が壊滅することは避けられた.神の御加護があったと思う.しかし,もう一度事故があった時に,神の御加護はあるのか,私にはわからない.その前に日本の原発をなくすこと,そして世界の原発をなくすることが私の重要な課題である.」としめくくった.

この後,以下のような質疑応答があり,活発な議論が交わされた.

Q: なぜ,事故のあった日本がまだ脱原発できないのか.

A: 現在でも日本の世論調査をすると,過半数は脱原発を望んでいる.しかし,経済界,原子力ムラの力がまだ強く残っている.最終的には選挙によって脱原発を推進するしかないが,前回の選挙では経済政策が争点となって,原発推進の自民党が過半数以上を占めることになった.そのため脱原発は実現できていない.

さまざまな質問に答える菅氏 さまざまな質問に答える菅氏
さまざまな質問に答える菅氏
さまざまな質問に答える菅氏

Q: 東電などは事故があってもどうして原発の推進を続けるのか.

A: 原発推進には東電の意思よりも国の意思が強かった.電力会社自体は国の意思に沿う見返りに,かかった費用の 3% を上乗せして電力料金を決められる権限を持った.総括原価方式である.つまり,電力を生産するのが高コストになればなるほど,利益がでる仕組みが作られた.これは企業努力が不要で利益を生むことができる.したがって,利益を追求する会社は努力せずに利潤が増加できる原発の推進をすることになる.

この総括原価方式によって例えば電力会社がゼネコンにわざと高い注文をすることができる.そのコストは電気の利用者へと転嫁ができる.その一部をゼネコンからキックバックとして得ることで例えば年 2000 億円の政治資金を得る.たとえ,事故によって数兆円を越える負担が国に生じても,それは国民の負担であるので,この利権は魅力である.この力が日本ではまだ強い.そのため,電力会社に有利となるように政治家が活動することが多いことも原因であろう.

Q: 3.11 以前と以降で日本で変わったことは何か.

A: 様々あるが,私が思うことの1つは裁判所の姿勢の変化である.以前は原発の稼働は専門家が決めることであるということで,裁判所は判断をしなかった.しかし,一部とはいえ,裁判所の姿勢は変わりつつある.今後,日本は再生可能エネルギーなどの発展によって,原発が経済的には成り立たなくなると予想する.そして原発は少なくとも今世紀中には世界からなくなるとは思っている.しかしこの変化は政治的でなく,経済的に任せられることは残念である.

Q: 政治的には変化は起きないのか

基本的には草の根の運動の圧力から変化は起こると思う.しかしそれが日本では国政選挙に十分に反映できていない.ドイツは比例代表で決まる部分が高いが日本の小選挙区では,死票が多い.たとえ各地区に 10% の反対がいても,小選挙区制ではそれは死票となり 0 と見なされてしまう.国政選挙に反映されるだけの勢力となるかが重要だが,現在の日本はそこまでに至っていない.

Q: 当時の資料などはどのように検証されているか.

A: 当時は重要な情報が隠されていたし,現在も明るみになっていない部分が多いはずである.東電と福島のサイトの間は 24 時間接続されていた.しかしその情報は東電が選んだものしか出てこない.たとえば,3/15 日に私が東電に行った時に撤退はしないで欲しいと言ったことがある.その映像は公開されているが,その音声はない.東電は手違いで音声を消したと言うが,私個人としては信じられない.関係者の起訴が行なわれて,様々な状況がもっと明かになることを期待している.

Q: 講演にあった東電の事故を拡大させないために奔走した吉田所長とはどういう人か.

A: 吉田所長は残念ながら事故から 2 年後に癌で死亡してしまった.それが被曝の原因かどうかは不明である.事故直後に一度直接会うことができたが,吉田所長は信頼できる人であることがすぐにわかるような人であった.

Q: 避難や帰還はどのような判断で行なわれているのか.

A: 事故当時はモニタリング能力も低く,格納容器が破壊された時のため,避難区域を円状に決めた.その後,放射性物質が風などの影響でどう流れるかによって決めたが時間がかかった.どの程度で避難すべきかは専門家によって違う.現在は1ミリシーベルト/年.子どもに関しては患者の数が増えているが,調べ方が厳しいから増えているだけという考えもある.自治体の判断は帰ってきて欲しいので基準をゆるくしたいと考える傾向.基本的には専門家の意見を聞いて判断しているが,それが適切かどうかは疑問.

Q: なぜあなたの党(民主党)は勝てないのか.

A: 小選挙区制の影響が大きい.小選挙区制は1つの選挙区の中で1位にならないと議席がとれないために,全国で 10% の賛成があっても議席は1つもとれない.

筆者も他の多くの人達同様,事故当時の錯綜する様子,その後についてはinternet 等を通じて様々な情報に触れた.しかし,今回その渦中にいた人の講演を本人から聞くことができたのはまた違ったものであった.この講演を聞き,質疑を聞いている時,ふとその原点,世界の脱原発ということに戻って考えることができた.その原点へと戻ると,危機管理や事故の原因,法整備などは各論となる.最初の質問も,結局なぜこのような大惨事にもかかわらず脱原発が進まないのかへと立ち戻るものであった.私はその質問の最中,メルケル氏はフクシマを他山の石とし,即脱原発ができたのに,どうして菅氏には結果的にできなかったのかと考えた.しかし,実はこの二人の個人の違いではないのではないだろうか.結局これはドイツ国民にはできて日本国民にはできなかったということではないかと考えた.それはチェルノブイリを考えれば,当時のソ連も日本と同様,状況は様々異なるとは言え,即脱原発はできなかったということである.私はこの報告を書きながら,新たにその意味を考えている.

講演後、主催者、緑の党議員たちと。 会場はドイツ人、在ベルリン日本人などでほぼいっぱいであった。
講演後、主催者、緑の党議員たちと。 会場はドイツ人、在ベルリン日本人などでほぼいっぱいであった。
[:en]Date: 2015-10-13 (Tue)
Venue: Heinrich Böll Foundation, Berlin

We had a lecture entitled “Crisis Management – Lessons Learned from the Threefold Catastrophe in March 2011” by Naoto Kan, former prime minister of Japan.

The hosts and German politicians started by introducing this lecture then explaining the current German situation. On German energy policy they mentioned the following:

  • Referring to Merkel’s Memorandum and her plan to replace all the German nuclear power plants with renewable energy, they said: “Concerning the fact that even one of the world’s leading technology countries like Japan has faced such a catastrophic accident, it makes sense for Germany to abandon its nuclear power plants.”
  • Compared to Germany, Japan has more natural energy. Japan can use wind energy, solar energy, and energy from biomass, but also geothermal and tidal energy. Moreover Japan has world class technology. The only missing piece would be the political decision.
Sylvia Kotting-Uhl, Grünen, atompolitische Sprecherin
Sylvia Kotting-Uhl, Grünen, atompolitische Sprecherin

Then, the organizer introduced Naoto Kan. The following is a summary of Kan’s lecture.

Just after the accident [March 11th, 2011], we found out there was no crisis management in Fukushima, because everything was built on the assumption that the atomic reactor was safe. Around March 22nd (2011), I asked a specialist to evaluate the worst-case scenario. He said that all the people who lived inside a circle of 250km radius from the reactors needed to be evacuated for a few decades. Tokyo lies within the circle. 50 million people would lose their home. I recognized that in fact the problem was, if Japan could continue existing. How could we manage 50 million refugees at once if the worst-case scenario happened?

At the early stage of the accident, both the government and TEPCO did not know what happened and could neither manage to circulate information about the accident. On the other hand, the plant manager called Yoshida improvised a new way to cool down the reactors because all the common methods had broken down. Japan was saved by mainly the people on the spot, including fire fighters, police, self defense forces and TEPCO workers. According to TEPCO, the melt down of nuclear fuel emits 70Sv/h radiation. The radiation can kill a nearby person within five minutes. The containment vessel was damaged due to the high pressure, but it only had holes. Therefore, fortunately, this fuel was not dispersed into the air, but melt down into the earth. We found out that there was no simulation for such a high pressure accident, since the assumption had always been, that an accident was impossible. If the containment vessel had blown up instead of just punching holes, we would have had no idea what happened. The fuel pool of reactor IV contained nuclear fuel, but the pool had no containment vessel. We worried that the water could dry, but we could not go near due to the high radiation. However, coincidentally, there was extra water due to the delay of the maintenance work that was being done there and so the meltdown was unexpectedly avoided. “I know this is not the words from a politician, but I can only think that God protected us.” Today we still need to cool down the fuel by putting 300 tons of water every day onto it. But the containment vessel has holes, so the water is leaking. We pumped up the water and put it in tanks. But we cannot pump up all the water. It is still not under control today.

Naoto Kan, Former Prime Minister of Japan (Photo:Tsukasa Yajima)
Naoto Kan, Former Prime Minister of Japan (Photo:Tsukasa Yajima)

We are working on Fukushima’s decommissioning. The current plan says it will take 40 years, but I personally think we need more time to finish it.

I thought about the question why this accident happened. There was a chain of the causes. They also lie equally in hardware and software, by software human factors are meant. The average height of the shore line of Fukushima is around 35m. TEPCO lowered 20m of this height and reported how they save the pumping water costs for cooling down the reactors. They put the emergency electricity generators at a low place. This severely failed design caused the accident. These are hardware problems. On the other hand, there were also software problems. In Japan many accidents of this kind are caused by earthquakes, which are often followed by tsunamis. However, this possible situation was not considered. The bureaucrats who are responsible for the security of accident are not specialists for atomic reactors. For example, when I met the responsible person of the reactor accident, I asked the responsible person, “are you a specialist for atomic reactor?” The responsible person answered, “I graduated from the economy department of Tokyo University. I don’t know technical details about the reactor.” The organization for the reactor accident and the organization of the propelling nuclear reactors were the same organization. This chain of problems led to the accident.

Before 3.11 I have always recommended to sell Japanese reactors to other countries. But after 3.11 I completely changed this opinion.

After the accident, we first separated the department of the nuclear safety and the department propelling the nuclear reactors. We also changed the regulation so that it becomes more safety oriented. This basically shut down all the reactors in Japan.

We introduced a law to encourage green energy. We studied the German FIT system.

In the future, I want to abandon the fossil fuel and want to shift to all the sustainable energy in Japan. A research report says that the current human energy consumption is only 1/10000 of energy from the sun to the earth. If each country can support the energy by its own, one of the large international conflict source will be solved. It seems the national security will be better if we could shift to the natural energy. I admire Germany as a forerunner. I heard there are many different opinions in Germany, though I was quite impressed that Merkel changed the German energy policy to be based on the sustainable energy just after a few months after the Fukushima accident. I am disappointed with the current Japanese energy policy since it is not going only towards sustainable energy. However, it was revealed that the nuclear energy is not cheap. Thus, I expect the nuclear energy will be abandoned in this century due to economical reasons. But, there is no guarantee that there will be no other accident before it is abandoned. Let’s not wait until it is too late.

At the end of the lecture, Kan concluded “Fortunately, we could avoid the destruction of the country. I felt there was a protection of God. But, I don’t know whether there will be another protection when the next accident happens. My aim is to abandon nuclear reactors all over the world before the next accident.”

After the lecture, we had a lively question and answer session.

Q: Why is Japan still not able to abandon the nuclear power, even after the accident?

A: According to the opinion polls, a majority of Japanese wants to abandon nuclear power. However, the Japanese business community and the people who depend on nuclear power businesses are still strong. At the end, we need to promote the denuclearization by the election, but the focus of the last election was economy policy, and the LDP, which promotes nuclear power, won the election. Therefore we have not achieved the denuclearization.

さまざまな質問に答える菅氏 さまざまな質問に答える菅氏
Lively discussion with Kan

Q: Why do power companies, such as TEPCO, continue to promote the nuclear power even after they faced an accident like Fukushima?

A: The government wanted to promote the nuclear power, the power companies however didn’t. The government gave the power companies the authority to add up to 3% on top of the electricity costs depending on how much they invest. It is a rate-of-return regulation for power companies. In other words, if a power company has higher costs to produce power, their profits become higher. The power company can get more profit not requiring the endeavor of the company. Therefore, the power companies would like to promote the nuclear power since it can increase the profit without any effort.

The power company can abuse the rate-of-return regulation legally. For example, a power company can have an order with deliberately high cost to a general contractor. They can raise the electricity price due to the regulation, so the user must pay this cost. There could be a secret agreement that the general constructor pays back a part of the higher cost. A book recently revealed this mechanism and the pay-back is estimated at around 200 billion yen per year. The power companies use this money to promote nuclear power. Even though the accident cost 10 trillion yen, until now it was mostly covered by the tax. Therefore this situation is quite attractive for the power companies in Japan which are also favored to the many politicians.

Q: How did Japan change after 3.11?

A: I think there were many changes. One thing I would like to mention is the change in court’s attitude. The court did not use not make decisions about the safety, they used to let the experts decide since nuclear power plants are highly technical. Even though this is only true for some members, but they changed their attitude. In the future, I expect that the nuclear energy business cannot sustain due to its high costs and also the emerging of renewable energies. I believe nuclear power plants will be abandoned in this century. However, this is an economical movement and not a political movement. That is unfortunate.

Q: Will the change not happen politically?

A: I think the change might happen from grassroots movements. But they are not seen in the outcome of the national election in Japan. I heard that the German system has more weight for the proportional representation than the Japanese system. Japan uses single-member district method for election. This system has a wasted vote problem. For example, if 10% of people are against the nuclear reactor, these people’s votes are wasted in single-member district method and these 10% people are considered as 0. We need to have enough anti-nuclear people in the Japanese diet, however, Japan has not yet reached so far.

Q: How has information been verified when the accident happened?

A: At the time, critical information had been hidden, many of them are still not publically available. The communication line between TEPCO Tokyo and Fukushima site had been connected for 24 hours. However, only the information chosen by TEPCO was made public. For example, at March 15th, I visited TEPCO and asked the TEPCO officials not to retreat from Fukushima site. The video has been published without voice. TEPCO said the voice was erased by mistake, but I personally don’t believe it. Now a prosecution of the officials is carried out, so I expect more information will come to light.

Q: What kind of person is Yoshida, the general manager, who prevented the accident to become a lot worse?

A: Unfortunately Yoshida, the general manager died of cancer two years after the accident. Whether the cancer is the cause of exposure is unclear. I was able to meet him once just after the accident. I recognized immediately that he was a reliable person.

Q: How have the decisions to evacuate the site or to allow people to return been made?

A: At the time of the accident, the government’s monitoring ability was low and there was a danger that the containment vessel was going to be destroyed. So we decided to evacuate the area within a certain radius having the reactors as its center. Then, we figured out that the distributed radioactive substance depends on the wind. But this took time. Evacuation criteria differed by experts. The current criterion is 1 mSv/y. The number of children being patients is increasing, but some experts say that this is due to our checking method which is strict and makes numbers only looks like they were increasing. Municipalities tend to lower the criterion to make it easier for the people to return, since they want them to return to the area. Basically, we decide according to the experts’ opinions, but I have question this is appropriate.

Q: Why can your party (Democratic Party of Japan) not win the elections?

A: The effect of single-member district election method is strong. Within this system, we always need to get the first position in the district. Therefore, even if the 10% of the people favor our party, it is possible that we do not get a seat in the diet.

After the lecture: Kan with the host and green party politicians
[:]

被爆、終戦70年、現在、そして未来

[:ja]「兵隊が姉の遺体を竹棒でつつきながら焼くところを見ても、涙が一滴も流れず、自分が非情な人間に思えて自分を責め続け、このことがずっと私を苦しめることになった。」

被爆体験を語り継いでいる、カナダ在住のサーロー節子さんは、足の痛みを押して杖をつきながら被爆体験の証言をするためにドイツに来られ、講演の司会者に「広島の原爆を経験し、感情的にどのように乗り越えたのか」という質問に、冒頭こう答えた。

私は自分の持てる限りの想像力でそのときの節子さんの状況を心の中で思い描いてみた。

目を閉じてその光景を描き、自分の愛する家族と置き換えて考えてみた。

でもそれは、また次に訪れる日常の出来事にかき消され、痛みを共有できたように思えたのはほんの一時だった。

でも、節子さんは70年、その痛みとともに人生を送ってこられたのだ。

「ある精神科の専門家に、“人間は悲惨な出来事にあうと、その渦中を生き抜くために感情機能を一時的に遮断する。それは人間的に自然な現象なのだ” と聞いたとき、初めて罪の意識から解放され、自分が泣きたいだけ泣けるようになった」と節子さんは語る。

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ICAN主催のベルリンでの講演会で証言するサーロー節子さん

節子さんは戦後、母校広島女学院の恩師の勧めで、ソーシャルワーカーの学びをするために奨学金を得てアメリカに留学する。

到着してすぐ、広島から来た女学生ということでインタビューを受けたそうだ。

その時に、原爆投下を批判的に語った彼女の元に、たくさんのヘイト・レターが届き、渡米して早々傷つき、悲しみのスタートを切った。

しかしそれにくじけることなく、ソーシャルワーカーとしてキャリアを積み、同時に、生き残った者としての使命を感じて被爆体験と核兵器廃絶を訴えて国連本部を初め世界中で語ってきた。

その原動力とは何かと問われ、彼女はこう答えた。”Demonstrating faith through action” ― クリスチャンである節子さんは、行動を通して信仰を証するという信念が彼女を支えているという。

「世界で唯一の被爆国であり、フクシマ事故という大惨事を起こした日本が、原発を再稼動しようとし、また法案を作って再び戦争のできる国にしようとしている今の日本の状況をどう思いますか?安倍総理に手紙を書くとしたらどんなことを書きますか?」という質問が会場からあった。

「Wake Up! 目を覚ましなさい!そして嘘をつくのはおやめなさい。国民の命を守る政権が、権力と利権のために、国民の命を再び危機におとしめるようなことをしている。国民と十分に話し合わないうちにアメリカと約束をして、国民に不正直になり、憲法を守らず暴走するのは、国民の意思に反することだということに気づきなさい、と言いたい。」

心の底からふりしぼられたような声で節子さんは語った。

壮絶な過去の戦争体験を自ら語るのは簡単なことではない。

生き残った被爆者の方々でも沈黙を続けている人たちも多い。

過去を思い出すことがあまりにも辛いからだ。

だから、思う。

節子さんたち被爆者の方々は単に被爆という日本の戦争被害をアピールするために証言を続けているのではないと。

勇気を持って証言を語り続けるのは、懲りずに核兵器を持ち続けるこの世界へ警鐘を鳴らし、再び過ちを繰り返さず平和な未来をつくるためのミッションなのだ。

広島と長崎の原爆投下という過去を記憶し続けることも。

そのような証言を続ける人たちの努力とは裏腹に、日本はまた戦争に加担する道を歩もうとしている。

いくら後方支援とか国際貢献とか言っても、戦争は戦争だ。ひとたび始まってしまえば歯止めが利かなくなる。

過去の戦争責任をあいまいにしている日本が、再び戦争犯罪の歴史を塗り重ねるようなことをしていいはずがない。

終戦からもう70年、私たちにとっても、戦争の証言をじかに聞く機会はもうあまり残されていない。

私たちは自国の過去の被害だけでなく加害の歴史も直視して真摯に取り組み、「不戦の誓い」を貫くべきである。

もう”意図的な無知”を続けるのはやめて、声に出して語り合おう。

この日はアメリカ人プロデューサー、キャサリーン・スリヴァン さんの作品The Ultimate Wish – Ending the nuclear age-という映画も上映された。

映画ではアメリカで被爆体験を証言し、核兵器の恐ろしさを語り継ぐ長崎の被爆者の女性、フクシマ事故の被災者で避難した女性、また技術者や科学者の証言を通して、核の狂気に私たちは目をつむり続けてはいけないことを訴える。

映画の中である専門家は言う。「核兵器は原発とまったく同じ技術者、科学者でつくれてしまう。」

すなわち、原発を持つということは、核兵器を所持することに等しいのだ。

世界には17,000以上の核兵器があり、これは地球上の人類を滅ぼすに足る量であるという。

それに既存の原発を加えれば、どんなにおびただしい数の恐ろしい爆弾を抱えているかがわかる。

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サーロー節子さんと映画プロデューサーのキャサリーン・スリヴァンさん(中央)

ベルリン近郊ブランデンブルク州の州都であるポツダムは、ドイツが降伏したあと、アメリカのトゥルーマン大統領、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチル首相が集い戦後処理を協議した有名なポツダム会談が行われた場所だ。(現在でも会談が行われたツェツェリエンホーフは日本語オーディオガイド付きで見学することができる。)

会談に出席するためポツダムに滞在していたトゥルーマン大統領は、1945年7月25日、宿舎となっていたポツダムの邸宅から、広島と長崎に原爆を落とすGoサインを出したのだ。

2010年、トゥルーマン大統領が宿としていたポツダムの邸宅前の公園に、原爆犠牲者の慰霊と核兵器のない平和な世界を願って、広島から送られてきた被爆石と石碑が築かれ、ヒロシマ・ナガサキ広場と名づけられた。

広島と長崎に原爆が投下されて70周年でもある今年の7月25日、ポツダムのヒロシマ・ナガサキ広場では被爆者の慰霊式典と灯篭流しが行われる。(詳細は下記ヒロシマ広場をつくる会のホームページをご覧ください。)

異国の地ドイツでも、広島・長崎の原爆のことが覚えられている。

なぜなら、これは現在進行形の人類全体に対する脅威の問題だ、とドイツ人も認識しているからなのだ、と思う。

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ヒロシマ/・ナガサキ広場の慰霊碑に花をささげる節子さん

★サーロー節子さんの証言全文はHibakusha Storiesというサイトで読むことができます。また朝日新聞デジタルにその日本語訳が掲載されていますので、ぜひご一読ください。

Hibakusha Stories

http://www.hibakushastories.org/meet-the-hibakusha/meet-setsuko-thurlow/

広島・長崎の記憶 - 被爆者からのメッセージ(朝日新聞デジタル)

http://www.asahi.com/hibakusha/others/jogakuin/jogakuin-028j.html

The Ultimate Wish – Ending the nuclear age-

https://theultimatewish.wordpress.com/

ヒロシマ広場をつくる会 ホームページ

http://www.hiroshima-platz-potsdam.de/jp/aktuellesjp.htm

写真提供 International Campaign to Abolish Nuclear Weapons(ICAN) Germany

http://www.icanw.de/[:]

Ich bin ein Erbsenzähler!

Ich bin ein Erbsenzähler.

私はErbsenzählerだよ、という発言が一番印象に残った。ドイツの反原発運動では大変有名なセバスチャン・プフルークバイル(Dr.Sebastian Pflugbeil,最後に紹介)氏の言葉だ。直訳すると「エンドウ豆を数える人だよ」。日本語にすると「俺は重箱の隅を突く人だよ」となる。

3月28日の晩の7時から9時過ぎまで同氏は独日平和フォーラム(100名ほど参加)でオイゲン・アイヒホルン(Prof. Eugen Eichhorn)氏の司会でまずフクシマについて、次に核と機密保持について話した。第一部では、日本の状況に対して非常に批判的な発言が多い同氏の皮切りは、意外にも瀬戸内海にある祝島の人々との心温まる交流の紹介だった。祝島では3.5キロの海を隔てた本土側の上関に中国電力が2基の原発を建設すべく埋め立てをしている(ただし、原発建設許可はまだおりていない)。25年ほど前の計画当初から、祝島の島民は絶対反対の闘争を続けている。具体的な闘いの一つは漁業組合への補償金支払いの拒否であった。3・11の後も闘いは続いているそうだ。

日本の原発計画で中止に追い込まれた数は6つにも上がる。これらの例でも分かるように日本でも成功した闘いがあるのだというのが同氏のメッセージだった。次に福島での線量の市民測定運動、さらに双葉町の江戸川元町長との交流を紹介した。最近の安倍政権下の原子力村の攻勢によって反対運動はとても苦しい闘いを強いられている状況を述べた。

フクシマのブロック4が非常に危険な状況にある。現在いつ倒壊してもおかしくない4号炉の建物の上部にある燃料プールから燃料棒を敷地内の地上プールに移しているが、建物が壊れたり、あるいは多量の燃料棒が外れて落ちたりした場合には、日本だけの問題では収まらず,北半球全体が汚染されるだろう(注:この問題のジレンマは、そのまま放っておけば危険度が時間とともに高まっていくことだ)。太平洋の北米海岸で最近おかしな魚がたくさん獲られているが,フクシマの影響でなければいいがと心配している。特にストロンチウムが問題だが、日本では話題にもなっていない。福島県内では年間数十ミリシーベルトの強い放射能の環境下で多くの県民が生活しているが、政府は問題ないと言い放っている。子どもを抱えた避難家族では鬱になっているお母さんが多いと聞いている。本来ならできるだけ放射能汚染の少ない地域に避難・疎開させ,そのための補償金および資金を支給すべきなのに、政府は反対の政策を推し進めている。国際原子力機関のIAEA (International Atomic Energy Agency, 国際原子力機関)は福島県とパートナー契約を結んだりして、政府の政策の後押しをしている。

第2部は「核と機密保持」と題して、1938年に核分裂が発見されて以来,多くの情報が秘密にされ、市民は知らされないようになった。関係者は情報を公開しないか、公開したとしても虚偽の情報を流すかして、とにかく真実は隠されている。ナチドイツで1944/45年に原爆のテストが行われ、その過程でKZブーヘンバルドでは500名の収容人員が亡くなっているという説を最近主張している人もいるそうだ。Pflugbeil 氏は十分あり得たと言った。ちなみに、アインシュタインなどが、ヒトラーよりも早く原爆を作らないと悲惨な結果になると米国のルーズベルト大統領に訴えて、7年間という驚異的なスピードで原爆を製造し、広島、長崎の悲劇に至った話は有名だ。だが、後で分かったことだが、ヒトラーは原爆に潜まれている驚異的な可能性を信じなかったか、あるいは理解せず、製造を熱心に押し進めなかったというのが定説になっている。米国のたくさんの原爆と水爆のテストについて情報がほとんど公にされることはなかった。犠牲者は放射能による被害を訴えるにも証拠になる情報が手に入らないので、なす術もない。ソ連でもたくさんの原爆がテストされ、またそのためにたくさんの人命が失われたが、公開されることはなかった。東独でも西独でも核に関する機密保持があり、今でも変わらない。チェルノブイリの事故についても未だに犠牲者に関して正確に公開されていない。Pflugbeil 氏はさらに例を挙げたが、多いので、ここでは省く。

質問の時間になり、核に関しては強大な秘密組織がすべて操っているようだが,我々市民は何も出来ないのかという質問に対して、冒頭の「Ich bin ein Erbsenzähler」が彼の答だった。小生が理解するには、我々は小さな事実を見つけ、それらを積み上げて、秘密のベールに包んで核を推進している連中に対抗していかなければならないということだろう。では、我々もエンドウ豆を一粒ずつ数えていこう。

 

福澤 2014年3月30日

セバスチャン・プフルークバイル(Sebastian Pflugbeil)

経歴:1947年生まれ。物理学博士。1986年チェルノブイリ事故以来放射線防護問題に取り組む。

ドイツ放射線防護協会会長。オット・フーク放射線研究所員。欧州放射線リスク委員会(ECRR)理事。

1990年には東独の無任所大臣。1991年から1995年まで、ベルリン市議会議員も務める。

 

おしどりマコ講演会@ベルリン

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3月3日、医療関係者の立場から核戦争を防止する活動を行うための国際的な組織であるIPPNWの招待で、ベルリンにおしどりのマコさんとケンさんがやってきた。

平日は月曜の夜の催しで、告知期間が短かったにもかかわらず会場には120人もの来場者があった(スタッフ数え)。

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311以降、ジャーナリストとしての手腕を見る見るうちに開花させ、報道規制のままに身動きが取れない各報道機関を差し置いて、マコさんは真摯にフクシマの問題に取り組み、市民が触れられない情報を発信してきた。講演会ではマコさんの人柄や歯切れの良い話術が、人々を落ち込ませることなく、深刻なテーマをかみ砕いてお話しくださったため、来場者の多くからは、わかり易かった、有意義だった、彼女のユーモアあふれる講演に好感を得た等の感想をいただいた。

秘密保護法案が国会を通過して間もない日本では、マコさんらの行く取材の先々にて公安調査庁の人間が付きまとうと聞き、日本の現況に新たな不安を覚えた。

おしどりマコさんの講演の詳細はこちらをどうぞ→みどりの1kwH「ベルリンで行われたおしどりマコさん講演会

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おしどりの本業も披露。ケンさんの針金アートにマコさんの軽やかな歌声が響いて。次回はアコーディオンを持って来ます!と笑顔のマコさん。

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Bodypoetおなじみの生命のダンス、マコさんのトークにインスピレーションを受けたと即興で。

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Lysergicの賛同とボランティア協力によりSNBのみんなで製作したChuuさんのイラスト入りエコバッグに「かわいい!」

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ベラルーシからベルリン入りし、この日は午前中から現地での記者会見をも経て、会場入りしたお疲れのはずのマコさん、ケンさん。講演終了後も、来場者からエネルギーを分けてもらいたいと人の列。ご挨拶に人前に立っただけでも疲労した私は、この晩の遅い夕食の席でも、自然エネルギーに満ち溢れて元気はつらつなマコさんの様子には驚かされたのだった。

当日のSayonara Nukes Berlinのごあいさつ全文

 ⋆Sayonara Nukes Berlinを代表してメッセージ 
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主催: IPPNW (核戦争防止国際医師会議、International Physicians for the Prevention of Nuclear War)

Anti Atom Berlin

Sayonara Nukes Berlin

司会:Dr.Lutz Brügmann (IPPNW)

通訳: 梶川ゆう

写真:矢嶋宰[:]