「ドイツの取り組み」カテゴリーアーカイブ

IPPNWドイツ支部「東京2020ー放射能オリンピック」キャンペーンの報告

[:ja]2020年夏に開催予定の東京オリンピックはコロナパンデミックにより1年延期され、それで去年IPPNWドイツ支部(核戦争防止国際医師会議)と、ドイツ最大の反原発団体である.ausgestrahltと、私たちSayonara Nukes Berlin(以後SNB)とで共同で行う予定だったアクションが一年延びて、日本が聖火リレースタートを去年と同じ3月25日に予定しているため、23日に記者会見、24日に署名運動で集めた署名リストを日本大使館に届けるというアクションを行った。

日本でも時を同じく東京や福島で反対行動やデモが行われたが、ドイツからもオリンピックの祭りをフクシマがあたかも収束し原発事故が克服されたかのような演出をする舞台に悪用しないことに対する抗議をする人たちがいることを伝えるのは大切だったと思うし、そのためにSNBのような日本人のグループも一緒にいることが必要だと考えて私を記者会見に誘ってくれたことに感謝したい。

IPPNWドイツ支部と.ausgestrahltが書いたNo radioactive Olympicsの声明自体は、詳しく言えば私には賛成しかねる部分もあったが、フクシマの人たちを本当に支え助けるためにお金やエネルギーを使わず、演出と宣伝ばかりにお金を使って、福島第一から20キロほどしか離れていない、東電の作ったJヴィレッジから聖火リレーをスタートさせ、人もまだほとんど戻っていない双葉の駅をピカピカに作って開通し、それであたかも元通りに戻ったかのように見せるために聖火リレーのコースを通過させること、それはそこを通る選手にとって放射線が高いから問題だというよりは、そこに「大丈夫だから住みなさい」と帰還政策で戻され、もとより20倍以上の年間線量を許容するよう強要されている人たちを思えばこそ許すことができないということでは気持ちは同じだと、何度もIPPNWドイツ支部の代表であるAlex Rosenの話を聞きながら確認することができたので、私は彼らとこのアクションを行うことができたのは良かったと思う。

記者会見でSNBを代表したステートメントでは、私は、ほぼおしどりマコさんケンさんが1月末の講演会で話してくれたデータを使った。

ここでは特に日本人を代表し、日本の政策批判と、オリンピック決定の背景について話してほしいと言われていたのだ。私がステートメントを読み上げた後、グリーンピースがJヴィレッジや福島での聖火リレーコースで線量測定を行い、いくつものホットスポットが見つかった数分の画像を流した。


菊のご紋を背景に(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

 

 

 

 

 

 

Sayonara Nukes Berlinを代表してのゆうのメッセージ

『すべては嘘から始まりました。2013年9月、当時の安倍首相はオリンピック招致の舞台で世界に向けてこう宣言しました。「福島はアンダーコントロールです。汚染水はブロックされています」と。 しかし当時も今も「アンダーコントロール」からは程遠い状態なのが真実です。安倍首相が2020年のオリンピック招致で演説した2013年は、地下貯水槽で漏えいが見つかり、護岸エリアで地下水の汚染が発見され、高濃度汚染水を貯留していたタンク群から大量の汚染水が漏えいしました。この2013年8月19日のタンクからの汚染水漏えいはINES(原子力事象評価尺度)で2011年のフクシマ原発事故とは別のレベル3の事故して認定されました。そのなんと十日後、2013年9月に東京オリンピックが決定しました。フクシマはアンダーコントロールだから、というわけです。 しかし東電が2021年1月に出したデータから見ると、原発事故から十年経った福島第一は今も12000ベクレルの放射性物質を大気に放出しています。この放出量は、同等の稼働中の原発の大気への放射性物質放出量と比較すると、通常に稼働している原発が一年に大気へ放出する量の40倍を、福島第一はたったの1時間に放出している計算になります。 安倍元首相とその政府はしかし、福島原発事故はもう過去のことなのだという印象を世界にアッピールするため、是が非でも東京オリンピックを悪用したいと考えました。彼らはそれで「復興オリンピック」と謳っていますが、果たして誰のための「復興」だというのでしょうか? Jヴィレッジはもともと1997年に東電が原子力発電所立地地域の地域振興事業の一つとして出資して建設してから福島県に寄付したスポーツトレーニングセンターです。フクシマ事故後は事故現場の対応拠点となり福島第一で働く人たちが寝泊まりもしていました。事故を起こした原発からは20キロしか離れていません。日本政府がほかでもないここからオリンピックの聖火リレーをスタートさせたいと言っているのは偶然ではありません。彼らはそれにより世界に示したいのです。「ほら、みてごらん、原発事故はもう克服できた! 大したことないのがわかるだろう!」と。 しかし、2011年3月に発令された原子力緊急事態宣言は、今でも発令されたままです。事故を起こした原発の周辺には、2011年3月以来避難命令が解除されていない町や村がいくつもあります。この原子力緊急事態宣言が発令されて以来、日本政府は、事故以前の許容線量を20倍に引き上げて、線量が高い場所にも戻って住むように人々に強要しています。これが彼らの言う「帰還政策」です。避難命令が解除され帰還を促された村や町でも線量が高いのはそのためです。そして避難命令が解除されると、放射線が高いのを恐れたり、昔とはインフラ設備が同じではないから、または以前の仕事に従事することができないからなどの理由で帰還しない場合にも、賠償金の支払いや住宅支援は中止されてしまいます。これまでに、事故前に住んでいた人たちの約1割、それもほとんどお年寄りの方たちしか解除された地区に帰還していません。 いわゆる除染作業というのは、そのほとんどが畑や住宅地域の汚染された土を剥ぎ取り、それをフレコンバッグに詰め込み何列にも並べて積み重ねる、ということだけを意味しています。フクシマにあるたくさんの山々や森は除染などできません。風が吹けば、雨が降れば、台風が来れば、放射性物質はまた除染した場所に戻ってきます。 それでも国や官庁は原発事故の危険性や影響をなるべく見えないようにしたいと、線量測定モニターを外したり、未成年対象の健康調査の規模を小さくしたり、または約1400万立方メートルほどの汚染土をリサイクルしようとしたりしています。彼らはあらゆる方法で、原発事故のマイナスの影響が皆の目に明らかにならないようにしているのです。そのためにはオリンピックは、それをメディア効果よく演出するために適した舞台というわけです。日本政府は原発事故の犠牲者を精神的に、医学的にそして財政的に支援する代わりに、おとぎ話を伝える方によりたくさんの支出をしています。しかし、今はそんな幻想をばらまいている時ではありません。』

Alex Rosen(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

IPPNWドイツ支部を代表してAlex Rosenは以下のような話をした。

『オリンピックが行われれば、世界が日本を注目することになる。その時に、日本は実際に国の中で起きていることを「なかったことにする」「ない振りをする」そして政治的に悪用し、復興という名を与えて違うイメージを与えようとしてはいけない。先ほどのグリーンピースの動画でも見えたように、ホットスポット、高い線量のある場所がいくつもある場所に選手が数時間競技を行うことで健康に被害がある、と私たちは言っているのではない。福島で聖火リレーを行い、また福島県の各地で競技を行うことは日本政府が意図して選んだ象徴的な選択である。東京オリンピックでありながらわざわざ福島でも競技を行うことで、日本政府はフクシマの事故の影響をなかったことに、あたかもかつての日常が戻ってきてるかのような幻想を世界に与えようとしている。私たちはオリンピックそれ自体を批判しているわけではない。しかしフクシマの現実から目を閉じること、ましてはそれ以上に違ったイメージを与えようとすることにオリンピックを悪用しようとしていることに私たちは抗議するものである。』 あとは彼がデモでも話したような、健康調査をしっかり行わなかったことの批判、それでもはっきりと被ばくが原因としか考えられない、ことに甲状腺がんを始めとする例が出ていることを語った。

.ausgestrahltの代表Jochen Stayはハンブルクに住むため、かざぐるまデモには今回演説を予定しながら参加することができなかった人物だ。.ausgestrahltはドイツで最大規模の反原発団体だが、こことはかつて映画「Furusato」のことでいやな経験をしたことがあり、私は彼らの運動の方法を必ずしもいいとは思っていないのだが、Jochenはここでドイツの原子力政策(例えばお馴染みの、脱原発を決定して来年で原子炉自体は停止するかもしれないが燃料棒製造もウラン濃縮も続けて、それをヨーロッパ各国に売っているとか)についての批判などを加えていた。

次の日、24日にこの署名運動はとうとう1万人以上の署名を集めることができたので、それをプリントアウトして日本大使館に届けるときにちょっとしたアクションを計画した。

(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

日本大使館は当然ながら署名を受け取るために大使館職員を出迎えに出すということはないが受付に渡すのならいい、ということで、代表してAlexRosenが重いファイルを届けたが、その前に私たちはティアガーテン側で横断幕やIPPNWが用意した聖火トーチ(炎に放射能マークがついている)などをもって写真撮影するアクションをする届け出をしてあり、そこに20人くらいで集まった。その後でIPPNWはメディアも招いてブランデンブルク門前でもっと演出した写真撮影を行うということで私ももともとは動員されていたのだが、人数は足りているから必要ない、ということになって大使館前で私は別れて自宅に帰ることができた。コロナでなかなか人と会うことがままならない今、デモの時以来初めてまた人とこうして「生」で会うことができるのはかなり新鮮な感じがし、春の気配が濃厚なティアガーテンを友と一緒に気持ちよく散歩することができたので、このアクションは今年のフクシマ関連最後のアクションとなるかもしれないが、なかなか気持ちのいいものになったことを喜びたい。

ブランデンブルク門前で(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

私は十周年のアクション、イベントを終えたら少し第一線から下がりたい、と話していたし、やはり今年もマコさんケンさんの講演会からデモ、その他の講演会の主催やステートメント発表、イベント出演、アクションなどでかなり消耗してしまった。これでやっと責任を果たし肩の荷が下りたとほっとすると同時に、これからの私の運動、社会参加のあり方について考えていかなければならないことを実感する。マコさんには講演会で「2021年の3月12日から本気を出さないと」と言われてしまっている。私にとってもこの十年はいろいろな意味でたくさんを学んだ十年だった。私にとってこのフクシマをきっかけに考えたこと、学んだことは、きっとこれからもどうでもよくはならないはずで、どういう形で私があまり息を切らずに社会参画していけるか、どういう方法なら私はいいと思えるのか、ということを自問していかなければならないだろう。フクシマ事故に凝縮された問題は非常に複雑で、国家がその市民を守ろうとしないばかりか、その市民を裏切り、見棄て、洗脳しようとさえするものであることを明らかにした。日本にも世界にも憂うべきことが山ほどあるこの現在の中にあって私という人間はどう生きていくのか、どう生きていきたいのか、なにをする責任があるのかという問いかけはこれからもずっと続いていくだろう。

(©Lara-Marie Krauße – IPPNW)

それは、私になにか動かしたり変えたりすることができる、というような幻想があるからではなく、今生きている人間としてなにかをせざるを得ない、何もしないわけにはいかないという存在のあり方、姿勢として、考えないわけにはいかないからだ。私が頻繁にSNBを代表して発言してきたため、また私が言い出したことで皆にも用事を増やし、強引な部分もあったかもしれないが、暖かく受け止め、協力してくれたSNBの仲間全員に心からお礼を言いたい。そしてこれからも私たち一人一人ができることを積み重ねていきたいと思う。(ゆう)

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EURATOM欧州原子力共同体の条約を改正する約束を実現するように求める公開状

[:ja]私たちSayonara Nukes Berlinは、EURATOM欧州原子力共同体の条約を改正する約束を実現するように求める公開状に賛同署名しました。

公開状ドイツ語原文:
Offener Brief Euratom PDF

(以下はSNBの有志による和訳です)

2020年7月1日からドイツはEU議長国となる。この公開状に署名した機関・グループはドイツ連邦共和国政府が議長となる機会を利用してEURATOM条約の改正を進める具体的な計画を取りまとめることをドイツ政府に求めるものである。

すでに2018年の連立政権合意書でCDU/CSUとSPDはEURATOM条約を「原子力エネルギー利用を将来の挑戦内容に合わせて調整するべきだ」と合意している。さらにこの連立政権合意書の中で将来「新しい原発建設に対しEUからは補助金は与えられるべきではない」としている。私たちはこの連立政権合意書におけるこの合意内容が不十分であることをここに表明するとともに、ドイツ政府に対しEU内で一刻も早く脱原発を実現すべく尽力することをここに求める。ドイツ政府からは少なくとも連立政権合意書の中で約束されているEURATOM条約の改正をEU理事会の議長国である間の最重要課題として推進することを期待する。

EURATOM条約はEU加盟国のエネルギー生産構造のエコロジカルな改革を妨げており、パリ協定の目標に真っ向から対立している。欧州原子力共同体の条約の前書きですでに、「強力な原子力産業を開発していく前提を作るものである」とはっきり目標を掲げており、原子力エネルギーを「経済の発展と活性化および平和の進展の基として欠かせないものである」と明言している。最近ではオーストリアがイギリスのヒンクリーポイント原子炉建設の大掛かりな補助金に対し訴訟を起こしたが、それに対し欧州司法裁判所では「国家による補助に対する規定もEURATOM条約のどちらも、技術的革新を求めるものではない」、従って新しい原発建設に対し国家が補助金を出すということは基本的に欧州条約と両立し得る」とされた。

欧州司法裁判所のヒンクリーポイント新原発計画に関する判決で、EURATOM条約の一義的な方針が確認されたことになる。欧州司法裁判所のプレスリリースでは「核エネルギーの推進の目的、ことに核エネルギー生産の新しいキャパシティを作り出すことに対するインセンティブ作成の目的は、核エネルギー分野の投資を容易にするというEURATOMの目標をカバーする…」と言及している。この判決があったからには、ドイツ連邦政府は行動起こし、EURATOM条約の改正をEU委員会で提案し、審議を他のEU加盟国にも求めていかなければならない。

「ドイツはヨーロッパにおける原子炉安全性においても、国内で脱原発したあとも持続して影響力を及ぼし続けるべきだ」と謳っている連立政権合意書の要求事項は、具体的な脱原発要求と結びつかなければならない。だから「包括的な安全性チェック」と「EUにおける勇気ある拘束力ある安全性目標」を求める要求も重要であるが、EU加盟国の全原発および核施設の即刻の停止を求める明確な要求へとつなげられていくべきである。

2020年後半にドイツがEU議長国を務める間に求める内容

・EU内での原子力推進を終了するため、EURATOM条約の撤回または契約変更に関する具体的な提案をする

・6か月内に上記の撤回または改正を実現するための契約委員会を招集すること

・Euratomの安全指針2014/87をさらに強化し、新しい原発(2020年かそれ以降に操業開始されるもの)が将来、現在の原発の安全基準を満たさなければならない(EPR欧州加圧水型炉など)ようにすること -これまでの30年前の原発建設が始められた当時のものの代わりに -

さらにドイツ政府に対し以下のことを要求する:

・EU内の全原発の即刻停止をアクティブに求めていくこと

・EU条約に、EU加盟国内での新原発建設を禁止する新条項記載を求めていくこと

署名団体・者 >

Deutschland:
.ausgestrahlt
Aachener Aktionsbündnis gegen Atomenergie
Aktionsbündnis Münsterland gegen Atomanlagen
Anti Atom Berlin
AntiAtomBonn
Anti-Atom-Bündnis Berlin Potsdam
Anti-Atom-Initiative Karlsruhe
Anti Atom Koordination Berlin
Antiatomplenumkoeln
Arbeitsgemeinschaft Schacht KONRAD e.V.
Arbeitskreis gegen Atomanlagen Frankfurt am Main
Arbeitskreis Umwelt (AKU) Gronau
Bayern Allianz für Atomausstieg und Klimaschutz
BISS e.V.
Brokdorf akut
BüfA Regensburg
Bund für Umwelt und Naturschutz Deutschland (BUND)
Bundesverband Bürgerinitiativen Umweltschutz (BBU)
Bündnis AgiEL
Bürgerinitiative Umweltschutz Lüchow-Dannenberg
Elternverein Restrisiko Emsland e.V.
EWS Elektrizitätswerke Schönau eG
Greenpeace Energy eG
IPPNW Deutschland
Mütter gegen Atomkraft e.V.
NaturFreunde Deutschlands
Natur- und Umweltschutzverein Gronau (NUG)
Sayonara Nukes Berlin
Sofortiger Atomausstieg Münster
Stop Tihange Deutschland e.V.
Umweltinstitut München e.V.
urgewald
Wolfenbütteler Atom(undKohle)AusstiegsGruppe

 

Bulgarien:
Naturfreunde Bulgarien

Dänemark:
NOAH Friends of the Earth Denmark

Finnland:
Women Against Nuclear Power

Frankreich:
Réaction en chaîne humaine

Österreich:
atomstopp_atomkraftfrei leben!
GLOBAL 2000 – Friends of the Earth Austria
Mütter gegen Atomgefahr
Salzburger Plattform gegen Atomgefahren (PLAGE)
Wiener Plattform Atomkraftfrei

Polen:
Wspólna Ziemia‘ / Association ‚Common Earth‘

Schweiz:
SES Energiestiftung

Spanien:
Ecologistas en Acción
Grup de Científics I Tècnics per un Futur No Nuclear
Movimiento Iberico Antinuclear
Stop Uranio

länderübergreifend:
Don´t nuke the climate campaign
Friends of the Earth Europe
Nuclear Consulting Group

 

[:de]

Offener Brief
an die deutsche Bunderegierung

Offener Brief Euratom PDF

Deutsche EU-Ratspräsidentschaft nutzen – versprochene Überarbeitung des
Euratom-Vertrages umsetzen

Am 1. Juli 2020 übernimmt Deutschland den Vorsitz im Rat der Europäischen Union. In dieser Zeit leitet und koordiniert die deutsche Bundesregierung die Arbeit des Rates. Die unterzeichnenden Organisationen und Initiativen erwarten von der Bundesregierung, dass sie den Vorsitz der Ratspräsidentschaft dafür nutzt, endlich einen konkreten Zeitplan für die Überarbeitung des Euratom-Vertrages zu vereinbaren.

Bereits in der Koalitionsvereinbarung von 2018 haben CDU/CSU und SPD vereinbart, dass der EuratomVertrag „hinsichtlich der Nutzung der Atomenergie an die Herausforderungen der Zukunft angepasst“¹ werden muss. Weiter wurde als Teil der Koalitionsvereinbarung festgehalten, dass in Zukunft „keine EU-Förderung für neue Atomkraftwerke“² erfolgen dürfe. Ausdrücklich weisen wir darauf hin, dass diese Vereinbarungen im Koalitionsvertrag bei weitem zu kurz greifen und fordern die Bundesregierung auf, sich innerhalb der EU für einen schnellstmöglichen Ausstieg aus der Atomenergie einzusetzen. Wir erwarten von der Bundesregierung jedoch, dass sie mindestens die im Koalitionsvertrag zugesicherte Revision des Euratom-Vertrages als einen Schwerpunkt der deutschen Ratspräsidentschaft voranbringt.

Der Euratom-Vertrag verhindert einen ökologischen Umbau der Energieerzeugungsstruktur in den Mitgliedsstaaten der Europäischen Union und steht damit den Klimazielen von Paris diametral entgegen. Schon in der Präambel des Vertrages zur Gründung der Europäischen Atomgemeinschaft wird als Ziel eindeutig festgeschrieben, „die Voraussetzungen für die Entwicklung einer mächtigen Kernindustrie zu schaffen“³
und die Atomenergie wird als „eine unentbehrliche Hilfsquelle für die Entwicklung und Belebung der Wirtschaft und für den
friedlichen Fortschritt“⁴ dargestellt. Jüngst wurde auf den Einwand Österreichs in seiner Klage gegen die massive Subventionierung des Baus des Atomreaktors Hinkley Point in Großbritannien vom Gerichtshof festgehalten, dass „weder die Vorschriften über staatliche Beihilfen noch der Euratom-Vertrag eine technische Innovation verlangen“⁵ und deshalb eine grundsätzliche Subventionierung des Baus neuer Atomkraftwerke durch die
Nationalstaaten mit den europäischen Verträgen vereinbar sei.

Auf die eindeutige Ausrichtung des Euratom-Vertrages wurde in der Entscheidung des Gerichtshofes der Europäischen Union zum geplanten neuen Atomkraftwerk in Hinkley Point ausdrücklich Bezug genommen. In der Pressemitteilung des Gerichtshofes wird darauf verwiesen, dass sich „das Ziel der Förderung der Kernenergie, insbesondere das Ziel der Schaffung von Anreizen für die Schaffung neuer Kapazitäten der Erzeugung von Kernenergie, mit dem Ziel der Euratom-Gemeinschaft, Investitionen im Bereich der Kernenergie zu erleichtern, deckt“⁶. Spätestens nach diesem Urteil muss die Bundesregierung handeln und eine Überarbeitung des EuratomVertrages in den EU-Gremien anstoßen und bei den anderen Mitgliedstaaten einfordern.

Die Forderung aus dem Koalitionsvertrag, wonach „Deutschland bei der Reaktorsicherheit in Europa dauerhaft Einfluss ausüben müsse – auch nach dem Ausstieg aus der nationalen Nutzung der Kernenergie“⁷ muss mit einer konkreten Ausstiegsforderung aus der Atomenergie verbunden werden. Auch die Forderung, „für umfassende Sicherheitsüberprüfungen“⁸ und „ambitionierte verbindliche Sicherheitsziele in der EU“⁹ einzutreten, ist sinnvoll und muss jedoch mit einer klaren Forderung nach einer schnellstmöglichen Abschaltung aller Atomkraftwerke und
Atomanlagen in den Mitgliedstaaten der EU verbunden werden.

Von der deutschen Bundesregierung erwarten wir während des Vorsitzes im Rat der Europäischen Union in der zweiten Jahreshälfte 2020, dass sie

> konkrete Vorschläge für die Auflösung oder Vertragsänderung des Euratom-Vertrages vorlegt, um die EU-weite Förderung der Atomkraft zu beenden

> innerhalb der nächsten 6 Monate eine Vertragsstaatenkonferenz einberuft, um die o.g. Auflösung oder Revision in die Wege zu leiten

> eine Verschärfung der Sicherheitsrichtlinie 2014/87/Euratom einleitet, nach welcher neue AKW – d.h. AKW, die 2020 oder danach in Betrieb genommen werden – in Zukunft das Sicherheitsniveau aktueller AKW erfüllen müssen (etwa EPR), statt wie bisher jenes von vor 30 Jahren, als deren Bauarbeiten begonnen wurden (etwa
Mochovce 3&4/Slowakei)

Darüber hinaus fordern wir die Bundesregierung auf:

> sich aktiv für die schnellstmögliche Abschaltung aller Atomkraftwerke in der EU einzusetzen

> sich für die Aufnahme eines neuen Artikels in die EU-Verträge einzusetzen, der ein Verbot des Baus von neuen
Atomkraftwerken in den Mitgliedstaaten der EU vertraglich festschreibt

1  Koalitionsvertrag zwischen CDU, CSU und SPD, Ein neuer Aufbruch für
Europa – Eine neue Dynamik für Deutschland – Ein neuer Zusammenhalt
für unser Land, 2018, S. 141
2  Ebd.
3  Ebd.
4  KONSOLIDIERTE FASSUNG DES VERTRAGS ZUR GRÜNDUNG DER EUROPÄISCHEN ATOMGEMEINSCHAFT, 2012/C 327/01
5  Ebd.
6  Gericht der Europäischen Union, PRESSEMITTEILUNG Nr. 104/18,
Luxemburg, den 12. Juli 2018
7  Koalitionsvertrag zwischen CDU, CSU und SPD, a.a.O., S. 141
8  Ebd.
9  Ebd.

Unterzeichner*innen des offenen Briefes nach Herkunft:

Deutschland:
.ausgestrahlt
Aachener Aktionsbündnis gegen Atomenergie
Aktionsbündnis Münsterland gegen Atomanlagen
Anti Atom Berlin
AntiAtomBonn
Anti-Atom-Bündnis Berlin Potsdam
Anti-Atom-Initiative Karlsruhe
Anti Atom Koordination Berlin
Antiatomplenumkoeln
Arbeitsgemeinschaft Schacht KONRAD e.V.
Arbeitskreis gegen Atomanlagen Frankfurt am Main
Arbeitskreis Umwelt (AKU) Gronau
Bayern Allianz für Atomausstieg und Klimaschutz
BISS e.V.
Brokdorf akut
BüfA Regensburg
Bund für Umwelt und Naturschutz Deutschland (BUND)
Bundesverband Bürgerinitiativen Umweltschutz (BBU)
Bündnis AgiEL
Bürgerinitiative Umweltschutz Lüchow-Dannenberg
Elternverein Restrisiko Emsland e.V.
EWS Elektrizitätswerke Schönau eG
Greenpeace Energy eG
IPPNW Deutschland
Mütter gegen Atomkraft e.V.
NaturFreunde Deutschlands
Natur- und Umweltschutzverein Gronau (NUG)
Sayonara Nukes Berlin
Sofortiger Atomausstieg Münster
Stop Tihange Deutschland e.V.
Umweltinstitut München e.V.
urgewald
Wolfenbütteler Atom(undKohle)AusstiegsGruppe

 

Bulgarien:
Naturfreunde Bulgarien

Dänemark:
NOAH Friends of the Earth Denmark

Finnland:
Women Against Nuclear Power

Frankreich:
Réaction en chaîne humaine

Österreich:
atomstopp_atomkraftfrei leben!
GLOBAL 2000 – Friends of the Earth Austria
Mütter gegen Atomgefahr
Salzburger Plattform gegen Atomgefahren (PLAGE)
Wiener Plattform Atomkraftfrei

Polen:
Wspólna Ziemia‘ / Association ‚Common Earth‘

Schweiz:
SES Energiestiftung

Spanien:
Ecologistas en Acción
Grup de Científics I Tècnics per un Futur No Nuclear
Movimiento Iberico Antinuclear
Stop Uranio

länderübergreifend:
Don´t nuke the climate campaign
Friends of the Earth Europe
Nuclear Consulting Group

 

 

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フクシマでの聖火リレー開始に向けて、IPPNWドイツ支部、ausgestrahlt、SNBの共同プレスリリース

[:ja]2020年3月24日午前11時ににIPPNWドイツ支部とausgestrahltとSNBは以下のプレスリリースを共同で公表した。つまり、2020年夏に開催予定の東京オリンピックが1年延期されることが公表される前のことである。当初の計画では、このプレスリリースで批判されている聖火リレーが3月26日の木曜に、事故を起こした福島第一原子力発電所から遠くないJビレッジでスタートされる予定になっていた。

オリンピックの延期に伴い、私たちは引き続き1年間このテーマと取り組んでいかなければならない。2020年東京オリンピックは(まだアンダーコントロールでない)フクシマのためではなく、コロナウィルスのために延期になったからだ。

 

Pressemitteilung von IPPNW, ausgestrahlt und Sayonara Nukes Berlin
Olympia-Show in der Fukushima-Sperrzone
Kritik am Start des Olympischen Fackeltransports am 26. März

https://www.ippnw.de/presse/artikel/de/olympia-show-in-der-fukushima-sperrz.html

[:de]

Am Dienstag, den 24.03.2020, um 11:00 Uhr haben IPPNW Deutsche Sektion, .ausgestrahlt und Sayonara Nukes Berlin gemeinsam die Pressemitteilung (siehe unten) veröffentlicht, also bevor die Verschiebung der Olympischen Spiele 2020 bekannt gegeben worden ist.

Nach dem ursprünglichen Plan hätte der hier kritisierte Fackellauf am Donnerstag, den 26.03.2020, im J-Village unweit von dem havarierten AKW Fukushima Daiichi starten sollen.

Also müssen wir uns mit dem Thema leider noch ein ganzes Jahr lang beschäftigen! Die Olympischen Spiele 2020 sind schließlich NICHT wegen Fukushima (das noch nicht unter Kontrolle ist), sondern wegen dem Corona-Virus verschoben worden!

 

Pressemitteilung von IPPNW, ausgestrahlt und Sayonara Nukes Berlin
Olympia-Show in der Fukushima-Sperrzone
Kritik am Start des Olympischen Fackeltransports am 26. März

https://www.ippnw.de/presse/artikel/de/olympia-show-in-der-fukushima-sperrz.html

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ヒロシマ、そしてナガサキから74年目のベルリンの平和の鐘

[:ja]

2019年8月6日、ベルリンでも平和の鐘協会ベルリンIPPNWドイツ日独平和フォーラム・ベルリン、ベルリン市のクロイツベルグ・フリードリッヒスハイン区役所の共催によって、ヒロシマ、そしてナガサキの原爆投下から74年目を迎える追悼記念の行事があった。

クロイツベルグ・フリードリッヒスハイン地区の副区長でドイツ左派党/DIE LINKEのクヌート・ミルドナー・スピンドラーさんは、89年から30年間ずっとこの活動をしてきたが、立ち上げた時代は反核運動が盛んで87年には米露の間で結ばれた軍縮条約の中距離核戦力全廃条約があったが、米露の離脱、兵器を持つ国が増えている。この時代にふたたびこの活動の重要性が増している。大事なのは記憶すること、記念すること、啓発することだ、と述べた。

ノーベル平和賞を受賞したICANのドイツ支部、ICANドイツのヨアーナ・カリピディスさんは、平和が当たり前過ぎて人々が無関心になってきている。意識を高めるためにも、こうしたセレモニーは重要である、と述べ、ウェブサイトを訪ねて私たちの活動も見てほしいと話した。

 

 

2013年の初年度にSNBでも手伝った日本のNGO、アースウォーカーズによる、福島を伝え再生可能エネルギーを学ぶ福島・ドイツ高校生交流プロジェクトが続いており、この日に福島の高校生がベルリンに到着、彼らを代表して2人の16歳の高校生らが自らの体験談を英語で発表した。3.11当時は小学1年生、7歳である。先に発表した里桜さんは、明るい挨拶のあと、当時の体験を振り返り涙が止まらずスピーチを何度も中断した。クリーンエネルギーに携わりたいとの意欲を語る聖真さんは、原発の事故をきっかけに、当時7歳の自分が何が起きたのかわからないままに生活を変えることを余儀なくされた様子を語り、ヒロシマとナガサキのために集まった人々への謝意を述べた。

 

かつての大戦の記憶は薄れつつあるのか、世界情勢は刻一刻と変化している様に思う。このところは日本国内でも中距離核戦力全廃条約をめぐる報道が熱を帯びている。報道では主にINF全廃条約、INF条約などの表現が用いられる。これまでに米露でミサイルの開発、または試験等が繰り返され、双方が批判の応酬を繰り返していた。その結果、米国は昨年10月に条約の離脱を表明し、8月2日にこの条約の失効を迎えることとなった。この条約は核弾頭の中距離ミサイルに限ったものではないが、核兵器の抑止力のひとつとしてもとらえられてきただけに、国連をはじめ、世界の平和団体からの懸念の声は高まっている。

式典の終わりには、犠牲者に思いを馳せるとともに核兵器の廃絶を願って、来場者らが平和の鐘をつく長い長い列をつくった。平和とは、常にそこにあるものではない。先人の苦労とたゆまぬ努力の上に成り立っている。恒久的な平和を目指すためにも、今後ともできることを模索して行動していきたい。


広島市 - 平和宣言【令和元年(2019年)】 http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1110537278566/index.html
長崎市│令和元年長崎平和宣言(宣言文) http://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3020000/3020300/p033237.html @nagasakimaster

 

 

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2018年国際ウラン映画祭ベルリン

[:ja]2018年国際ウラン映画祭ベルリン(10月9日~14日)

閉会式での記念撮影   Foto: Marek Karakasevic

今年も10月に国際ウラン映画祭が開かれた。去年は松原保監督の「被ばく牛を生きる」と坂田雅子監督の「私の終わらない旅」をドイツ語に字幕翻訳したが、今年は敢えて訳す必要のある日本語の映画はなかったため、私は応募されてきた日本関係の映画を見て推薦することと、ダンスパフォーマンスをオーガナイズするだけにとどまった。オープニングと閉会式(授賞式)だけツァイス大プラネタリウムで、あとは去年と同じくKulturbrauereiで映画上映が行われた。

スペシャルメンションを受賞した森山氏         Foto: Marek Karakasevic

唯一日本からは同志社大学の大学院グローバルスタディーズ研究科で博士論文を書いている森山拓也氏が、トルコに滞在している間に撮ったというトルコの反原発運動がテーマの短編ドキュメンタリー映画「Unsilenced」が出品され、あまり知られていないトルコの市民運動に光を当てたことを評価して「スペシャル・メンション」を受賞した。この短編ドキュメンタリー映画は、安倍政権の売り込みで日本の企業が受注した原発建設に反対するトルコでの反原発運動を、三権分立をなし崩しにしてしまうエルドアン大統領の憲法改正という他人ごとではない政治の右傾化に合わせて取材した作品である。フクシマ事故を起こした日本がやはり地震の多いトルコに原発を建設しようとしていることを日本人として捉え、トルコの反原発デモのシュプレヒコール「沈黙するな、原発に反対」に共鳴し、「黙っていてはいけない、声を出し続けなければいけない」という意味で「Unsilenced」というタイトルをつけた、と森山氏は語っている。だからこそことに日本人にとってはメッセージ性の高いものだ。彼は2016年3月にベルリンを訪れていて、その時にかざぐるまデモに参加してくれたそうである。(彼とのインタビューは文末を参照)

私はかねがね、日本とトルコは今あらゆる意味で類似性があると思っていたが、この映画の中で運動家のある女性がこういう言葉を語っていることが頭に残った:「トルコ人はなんでも『神』に委ねます。すべて、神がいいように導いてくれる、それに任せていればいい、ということで自分の意思でなにかを変えていこうという姿勢がない、それが致命的なのです」言葉は少し違っているかもしれないが、この姿勢も、一神教の強い神はもっていない人が多い日本人だが「お上に任せておけば」「仕方がない」と受け身で、自ら自分たちの住む環境、政治を変えていこう、という人が少ないことに関しては、これも似ていると感じてしまった。トルコでは国民投票でほんの僅かな差で賛成が上回り、憲法改正(改悪)をエルドアンに許してしまったが、そんなことが日本で起こらないことを願うばかりだ。

また日本をテーマにしたものとして、スイス・フランスの監督が製作した「フクシマの半減期(Half-life in Fukushima)」があった。この約1時間のドキュメンタリー映画では、フクシマ原発事故があってすべてを失った農家の男性が、「ここまで失うものをすべて失ったから、もうどうでもよくなった。だから、自分の息子一家はこんな危険な地帯には絶対帰ってきてはいけないが、俺はもう失うものは何もないから、うちに帰るんだ」と言って、線量の高い帰還困難地域に敢えて年老いた父親と二人で帰り、水道さえ繋がっていない孤独な中で、家畜に餌を与え、家族の墓を訪れ、かつての生活がすべて失われた町や森の光景を静かに見守っている松村氏という男性の生活をなんの説明やコメントもなく追った映画である。変な説明や分析が入らないだけ、その虚しさ、やるせなさ、生活や故郷を失うという悲劇が心に沁みる、静かなドキュメンタリー映画だった。

あと特筆したいのは、アメリカが40年代50年代に数々の核実験を行ったマーシャル諸島出身の詩人Kathy Jetnil-Kijinerがその悲劇と核実験の残した傷痕や死の灰の現実を感動的に謳い上げた詩を、圧倒されるような海と空と砂浜の自然の中で読み上げるポエトリー・フィルム、「Anoined(聖別)」だ。ビキニ環礁の壮大で美しい自然の中にまるでSFでもあるかのように建つ、この素晴らしい場所を人の住めない場所にしてしまった放射性廃棄物の墓地とでも呼ぶしかないドームが映る。たった6分の映画だが、とても心を揺さぶる映画だった。

今回は、ウラン採掘と放射能汚染をテーマにした映画が目立った。マンハッタンプロジェクトのためにウラン採掘がポルトガルでも行われたこと、それからグランドキャニオンなど、アメリカ先住民たちの保留地で今、トランプ政権によりウラン採掘が行われようとしていることをテーマにした映画も、その背景が詳しくわかるドキュメンタリー映画があった。ことに、インディアン保留地近くの核実験やウラン採掘計画などは、インディアンに対する差別問題と繋がっていて、とても身につまされるインタビューなどもあった。どこでも核の問題は差別と繋がっている。

また、グリーンランドのウラン採掘計画を扱った映画(Kuannersuit/Kvanefjeld)では今、ウランの採掘計画の賛否をめぐってグリーンランドの住民が真っ二つに分かれているということを知った。原発建設をめぐって住民が真っ二つに分かれる、というのは日本でもよく聞いた話だ。グリーンランドの南部にある原住民の町Narsaqは、世界でも最大級のウランが眠る山のふもとにある。グリーンランドはかつてデンマークの植民地で、現在でも経済的にデンマークに支えられて存在している。それで、デンマークからグリーンランドが経済的にも完全に独立するには、ウラン採掘が唯一のチャンスだと思っている人たちがウラン採掘を支持し、片やウラン採掘が行われたら、その近郊での農業を始め、人々の生活が危険に晒されることになると、自然保護を求めて反対している住民もいる。その二つの議論が平行線をたどっているのだが、こうして賛成推進派と反対派を二分して対立させてしまうのも、核・原子力の特徴なのかもしれない。このドキュメンタリー映画は30分ほどだが、そのほかにもグランドキャニオンやマーシャル諸島などの映像と同じく、圧倒的で神々しい大自然の景色が画面いっぱいに広がり、どうして人はこれを壊し、その内側に眠るものを掘り起こそうとするのか、その底知れぬ人間の欲の大きさに、改めて気持ちが萎えるような感じであった。

マペットのマスコットをもって授賞式に立つ監督二人。  Foto: Marek Karakasevic

今年の映画は一部の短編を除いて、私にとってはドキュメンタリー映画の出来としてはインタビューが多すぎたり、くどかったり、全体的に長すぎたりして去年ほど「これは」と思うものは少なかったのだが、それでも内容としては学ぶことが多く、良心的にこうしたテーマをしっかり扱い、インタビューや調査を続けて発表するジャーナリストがいることをありがたく思うし、同時にこのウラン映画祭の意義を感じた。重苦しくなりがちなこのウラン映画祭の核に関するテーマを、ユーモラスにわかりやすく扱ったことが評価され、マペットショー映画「Freddy and Fuzmo Fix the World」も受賞した。

卓志とマクシム           Foto: Marek Karakasevic
マクシムのパフォーマンス  Foto: Marek Karakasevic

私は今年は映画の字幕翻訳はしなかったが、その代わり10月13日土曜日にはダンスパフォーマンスをオーガナイズした。本当はSNBのメンバーで毎年デモでパフォーマンスをするカズマ(Kazuma Glen Motomura, Bodypoet)が去年から「ぜひウラン映画祭でパフォーマンスしたい」と言っていたので推薦したのだが、あいにく彼は当日ミュンヘンで公演があってベルリン不在、それで彼の代わりに、デモのパフォーマンスでもよく参加し、私たちが主催したProtestivalの時にはWilly-Brandt-Hausでの写真展オープニングの時にカズマと一緒に素晴らしいパフォーマンスをしてくれた皆川卓志君と、カズマの推薦で、チェルノブイリ事故をテーマにダンスパフォーマンスをしているウクライナのマクシムがパフォーマンスすることになった。最初はカズマがProtestivalの時に作った自分の短編動画「Lies & Harmony」を上映し、その後に卓志君が「アベノミクス」をもじりながらAve Mariaを歌ってガスマスクと共に「アベ」を土に葬り、そのあとマクシムがチェルノブイリ事故発生当時の音声を入れたビデオを背景にダンスパフォーマンスをした。合計15分だったが、力強く、評判がよかったので喜んでいる。

映画祭の画面にはSNBのロゴもちゃんと載っています!   Foto: Marek Karakasevic

2018年のウラン映画祭に出品し「スペシャルメンション」を受賞した森山拓也氏に最終日に短いインタビューをした。

 

 

 

 

森山拓也氏とのインタビュー

森山拓也氏(筆者撮影)

―森山さんがどうしてこの「Unsilenced」を作ったのか、経緯を教えてください。

僕はフクシマ事故のあった2011年に初めてトルコを訪問し、それからトルコ語を勉強しに何度も滞在することになりました。日本でもフクシマ事故の後原発問題についていろいろ考えるようになっていて、デモなどにも行ったりしていたので、トルコではどうなっているのか興味があったので、人に聞いたり、調べたりして、だんだん深くトルコの反原発運動について知るようになりました。トルコでは1970年代から原発の建設計画に反対する運動が始まっていたのです。映画は大体2016年に撮影したんですが、フクシマ事故の後、日本がトルコに原発を輸出することに決まりました。それまでに何度もトルコに行き、トルコ語も自由になってきて、グローバルスタディーズを専攻する中、このトルコでの反原発運動を自分の研究テーマとすることに決め、それでインタビューや撮影を始めたので、それがまずこういうドキュメンタリー映画という形になったわけです。

―私はこの映画を見て、フクシマ事故を起こしながらさらに原発を輸出しようとしている日本にとってメッセージのある作品だと思ったのですが、これはもう日本ではどこかで上映されたのですか?

横浜の「横濱インディペンデント・フィルム・フェスティバル」で準優秀作品に選ばれたのですが、残念ながらここでは、優秀作品に選ばれた作品しか上映されないので、実はまだ一般の映画館などでは上映されていません。愛知県のマイナーな映画祭や自主上映会といったところで上映しているだけです。

―森山さんは、2016年にベルリンでかざぐるまデモで一緒に行進してくださったとのことですが、Sayonara Nukes Berlinに対して一言メッセージをお願いします。

フクシマの事故が起こってから、日本でも反対運動は広がったと思います。今でも毎週金曜日に集まっている人たちがいます。でも、日本での一般市民の現状はあまり世界では知らされないことが多いと思います。報道されるのは国、政府の政策や企業の進出、プロジェクトなどで、市民がどのように反対したり、行動しているのか、あまり聞かれない。それで僕も、政府や役人、企業の言っていることではなくトルコの市民の意見を聞きたくて、取材をするようになったのです。だから、Sayonara Nukes Berlinにもそういう日本の市民の実際の姿や意見をドイツでも伝えていってほしいと思います。

上映した作品よりも前に作成した、5分間の短編がオンラインで視聴できるようになっています。映画祭上映作品とはバージョンが異なりますが、興味があればどうぞご覧ください:

https://vimeo.com/180398868

(ゆう)

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IPPNWドイツ支部キャンペーン”2020年東京「放射能」オリンピック”について

[:ja]IPPNW核戦争防止国際医師会議ドイツ支部のキャンペーンを日本語翻訳で紹介します。

Tokyo 2020 Die radioaktiven Olympischen Spiele
2020年東京「放射能」オリンピック

2018年7月16日付
日本は世界各地からアスリートを招こうとしています。2020年に東京でオリンピックが開催されることになっているからです。私たちは平和でフェアなスポーツ競争を願うものですが、同時に大変懸念もしています。というのは福島県の県庁所在地でもオリンピック競技が開かれる計画だからです。野球とソフトボールの試合が福島市で開催されるということです。ここは原発事故のあった福島第一原発から50キロほどしか離れていません。2011年にはここで複数の原子炉事故が相次いで起き、放射能雲が日本と周辺の海を汚染しました。この災害と唯一比較できるのはチェルノブイリ原発事故だけです。

これによって生態系と社会は深く影響を受け、それらは日本ではまだ消滅していません。故郷を失ってしまったたくさんの家族、住民がこぞって避難して人のいなくなってしまった地域、汚染土を入れた何百万というフレコンバッグ、放射能で汚染された森林、川、湖。「通常な状態」などに日本は戻っていないのです。

事故を起こして破壊した原子炉もまだまだ危険が去ったわけではありません。今も変わらずここから放射能汚染が出続けています。海、空気、土の放射能汚染は日々増えているのです。大量の放射性物質は壊れた原子炉建屋に今もあるだけでなく、原発敷地にも屋外で放射性物質が放置されたままです。この状況では、もし次に大地震があった場合に人間と環境におびただしい危険を及ぼす可能性があります。放射線災害はまだ続いているのです。この警告はそして、当分解除されることがないでしょう。

2020年のオリンピックの日本での開催にあたり、IPPNWドイツ支部では国際キャンペーンを始めることにしました。私たちは、参加するアスリートと競技を見物する観客たちがフクシマ近郊で被ばくするのではないかと懸念しています。特に放射線感受性の高い妊婦や子供たちが心配です。

日本政府は、このオリンピック開催には最終的に120億ユーロかかると予測しています。しかし同時に日本政府は、避難指示解除後、故郷に帰還しようとしない避難者たちには支援金の支払いを止めると脅しています。

国際的に、放射線災害があった場合に住民は、自然放射線を除いて年間で1ミリシーベルトしか放射線を被ばくしてはいけないと規定されています。フクシマの帰還政策により帰還を促された地域では、住民はそれより20倍も高い20ミリシーベルトまでの被ばくは我慢するように求められているのです。すでに村や町が除染された場合でも、森や山は放射線汚染を「貯蔵」する役割を果たすため、風や天気次第ですぐにまた汚染させられる可能性は高いのです。

この国際キャンペーンを通じて私たちはまた、世界中にまだ一つとして放射線廃棄物の最終処分場すらないことも改めて訴えていく次第です。原子力産業が残す猛毒の負の遺産を安全に保管できる場所はないのです。

オリンピックに対しては世界のマスコミが注目します。これを利用して私たちは、日本の脱原発の市民運動を支援し、世界的なエネルギー政策変換を訴えていきたいと思います。化石燃料と核燃料に別れを告げ、再生エネルギーへ向かわなければならないと訴えます。

キャンペーンでは、世界中の政治家がいかに軍産複合体と一緒になって政策を推し進めているか、より明確に指摘していきたいと思います。

IPPNWは放射能に汚染された地域にあたかも「日常生活」が戻ったような印象を世界に与えようとする日本政府に対しはっきり「ノー」を突きつけます。

このキャンペーン趣旨に賛同する個人または団体は、次のメールアドレスを通じてキャンペーンチームに連絡をくださるようお願いします。
olympia2020[at]ippnw.de

(翻訳:Yu Kajikawa von Sayonara Nukes Berlin)

#IPPNWGermany #IPPNWドイツ支部 呼びかけドイツ語 原文:http://www.ippnw.de/atomenergie/artikel/de/tokyo-2020.html[:]

第6回 国際ウラン映画祭ベルリン2017

[:ja]2017年10月11日から15日にかけて、ベルリンのKulturbrauereiの映画館で、ベルリンでは第6回目になる国際ウラン映画祭が開かれた。今年はそのプログラムの一環としてツァイスのプラネタリウムで協賛団体である
ドイツIPPNWが「世界の被ばく者」というパネル展示会を催し、そこで数本の短編映画も上映されるというおまけつきだった。

私はベルリンに来てからこのウラン映画祭を何年も一般の観客としてみてきたのだが、これからは積極的に応援していきたいと思ったのは、核・原子力・放射能を巡る問題だけをテーマにした映画(ドキュメンタリー、劇映画、アニメ、短編長編すべてを含む)を集めた世界でも稀なる映画祭があることにとても感銘を受けただけでなく、実際に私も知らなかったあらゆる世界での核に関する問題を提示され、勉強させられたことが少なくなかったからだ。同時に、広島・長崎やフクシマをテーマに、日本だけでなく世界中であらゆる映画が作られ、紹介されてきている。まだドイツでは紹介されていないものも多く、いい作品をここで紹介する橋渡しができるのではないか、翻訳などで協力することができるのではないか、と思っていた。また、去年Sayonara Nukes Berlin(以下SNB)がProtestivalでいろいろイベントをしていた時、ウラン映画祭でもチェルノブイリ30周年を記念したイベントを催したのだが、その時にSNBの代表として私をパネルディスカッションに呼んでくれたことをきっかけに個人的な交流が始まっていたことから、今回のベルリンでの映画祭にもっと強く関わることとなったのである。

でも、私が参加することを決定した理由は実は、もう一つある。去年「最優秀賞」をこのウラン映画祭で受賞した、フクシマを(一応)テーマにしたドキュメンタリー映画を見て、非常に失望したことだ。こんな映画に賞を上げるのか!と憤然としたくらいだった。あまり失望したのでそのことはその授賞式の際、監督とのトークで私は自分の意見も述べたくらいなのだが、この映画ではフクシマの問題というよりは、イタリア人のジャーナリストが個人的に菅直人(以下すべて敬称略)と親しいらしく、なんだか菅直人がそこで「ヒーロー」のように扱われており、そこで菅直人が自宅でくつろぎながら話している内容は、私たちにとってはまったく新しいことでも何でもないのに(これに関しては菅直人は本も出版し、それがドイツ語にも訳されている)、それをあたかも「スクープ」したかのように報告しているドキュメンタリーになっていることに私は面食らったのだった。それで、あまりに日本の事情を知らない人たちが映画を選んでいるからこういうことになるので、これは、もう少し日本のことを知っている人が映画祭のチームに入らないといけないのではないかと思ったのが、私の正直の気持ちだったのだ。

それでSNBとして、日本の映画の紹介に関して援助できることがあったらしたい、という申し出をしたところ、彼らも大変喜んでくれ、それでSNBが協賛団体として参加することになったのは、SNBのミーティングでもいつか報告したとおりである。

Aya Domenig作「太陽が落ちた日」
坂田雅子作「私の終わらない旅」

去年のウラン映画祭後から、2017年の準備に関わるようになり、それまであまり充実していなかったホームページの日本語版を少しずつ訳し始めたり、フクシマをめぐる映画、または日本の監督の作品を推薦してほしい、という要望に応え、新しい映画ではなかったが、私たちがProtestivalでも上映し、素晴らしかったAya Domenigの映画「太陽が落ちた日」と、その前にACUDでSNBが上映した坂田雅子の「私の終わらない旅」を推薦し、彼らに応募してもらって、この二作が上映される運びとなった。

松原保作「被ばく牛と生きる」

また、私とは別のルートで、フリーでドキュメンタリー映画監督、カメラマンとして活躍されている松原保が、「被ばく牛と生きる」というフクシマ事故後、被ばくした牛たちを殺さずに飼い続ける畜産農業に携わる人たちを巡る感動的なドキュメンタリー映画を応募したことを知った。坂田雅子とは二年半前にベルリンで会ってから、個人的に親しくさせていただいていることから、「いつかドイツ語の字幕が作りたいね」と話していたこともあったので、この機会に、ベルリンで上映される時には、やはりドイツ語の字幕があった方が観客には理解されやすいので、字幕を作ることとなった。

また、「被ばく牛と生きる」は、日本語版と並んですでに英語版が出来ているのだが、これも映画祭の方から、できればドイツ語訳を作ってほしいという希望があったので松原監督とコンタクトを取ってスクリプトをいただき、翻訳することになった。二作とも長編の映画で、ナレーションやインタビューシーンが多いため翻訳するテキストは多く、大変な作業ではあったのだが、私にとってはとても勉強になり、そしてやりがいのある仕事だった。もちろん、ドイツ語が母国語でない私は、翻訳を最終的にはいつものように大切な友人Annette Hackにチェックしてもらった。この二作の翻訳を仕事の傍ら完成させたのが9月の頭くらいである。私が関わることになった映画の翻訳を仕上げる上でAnnetteが気持ちよく協力してくれたことにここで改めてお礼を言いたい。

プログラムができ、今回は合計で27本の長編・短編映画が上映されることとなった。今年はブラジルのゴイアニアで起きた放射能事故からちょうど30年前になることから、それをテーマにした映画が多く上映されただけでなく、その記録写真展が展示され、生存者の一人で被害者グループの代表として活躍しているOdesson Alves Ferreiraが来独してその話を語った。そのほか、上映作品の監督が何人も訪れ、その作品の上映後には監督トークが行われた。松原保・坂田雅子両監督もこの映画祭のためにベルリンに来独したので、ここでは通訳を務めた。

このウラン映画祭は、リオデジャネイロに住むドイツ人のジャーナリストであり、自分でもかつてゴイアニアの放射能事故に関する映画を作ったこともあるNorbert Suchanekが2011年に始めたもので、翌年の2012年からはベルリンでも毎年開かれている。私が最初にこの映画祭に注目し始め何本か映画を見に行ったときは、私を入れて二人か三人ほどしか観客がいないようなこともあって、Pankowの映画館で寂しい思いをしたものだが、ベルリンのオフィスを代表して一人で奔騰しているJutta Wunderlichの努力の甲斐あって、去年くらいから規模が少しずつ大きくなってきた。協賛団体も増え、公的な団体、国会議員やベルリン市議会議員なども「後援者」となるほか、スポンサーができたことから、場所もKulturbrauereiの映画館という、町の中心に移ったし、プログラムも充実してきた。イベントを計画して実行に移し、運営することの大変さを、私も去年のProtestivalでいやというほど実感したが、それを続けていくことの意義を思って7年間映画祭をあらゆる困難を顧みず続けてきた人たちの尽力は素晴らしいし、また、SNBのようにそれを協力する人たち、団体たちも増え続けているのはうれしい。私は個人的にも映画が好きで、ことにこうした社会的、政治的テーマをたくさんの市民に訴えていくには、映画という媒体は適していると常々思っているからこそ、これまでもSNBで数々の映画を上映する努力をしてきたわけだが、それで今回からウラン映画祭を積極的に応援できることになって、私としては、自分の興味のある部分、能力を生かせる部分で運動を続けていく、ということがこういう形で実現できるのはうれしいと思った。

SNBのステッカーを手に授賞式で話をする松原保氏
受賞したトロフィーを持つ松原さん夫妻と私

最終日には数本映画が上映された後、賞の発表があった。最優秀賞に今回選ばれたのは「ムルロアから愛をこめて」という、フランスが行った一連の核実験で被ばくした元兵士や軍務関係者をレポートしたフランスのジャーナリストLarbi Benchiha監督のドキュメンタリー映画だった。短編映画最優秀賞にはブラジル・ゴイアニアの放射能事故をテーマにした劇映画Algo do que Fica (Something that remains)が選ばれた。それから今年は特別にBerlin Audience Awardというのが作られて、松原保監督の「被ばく牛と生きる」が受賞した。ジャンクアートを製作するブラジルのアーティストGetúlio Damadoが一つ一つ手作りする賞がそれぞれ手渡されるのだが、私は松原監督に賞を渡す役を引き受け、その時にSNBからのプレゼントとしてエコバッグとNo Nukesのステッカーを数枚贈らせてもらった。その時には舞台でばっちり、SNBが毎年かざぐるまデモを行っていることも宣伝してきた。

授賞式で

外で見ているのと、実際に運営に参加するのとでは大きな違いがあることは当然だが、成長しつつあるこの映画祭にもまだまだ改善の余地が多分にあることも分かった。賞を渡すのは意味のあることかもしれないが、数名でスタートさせた当時よりずっと規模も大きくなった映画祭では、Juryのメンバーも明記して、透明性を持たせるべきだし、今回は一つ一つの映画に「Filmpate」というのを設けて、俳優や舞台監督などにそれぞれの映画を推薦させる、というふうにしたのはいいが、それがあまり効果的に使われなかった(何のためにその人がいるのかわからないなど)、司会や進行などでも「素人的」な発言などが目立ってしまった、監督とのトークなどでも、司会がある程度リードしないと、誰かの発言が長くなりすぎてしまうなど、そばから見ていて気になるところはいくつかあった。

あまり「プロフェッショナル」になりすぎて大げさだったり尊大になったりするのはもっと嫌だから、そういう意味では「素人的」な部分があるのはいいのかもしれないが、こうしてたくさんの人を集めてイベントを行う以上、ある程度の枠は維持しないといけないように思った。でも、SNBでもデモの後、毎回「反省会」をしていることを伝え、この映画祭でもしようと呼び掛けたところ賛同を得、さっそく今週ウラン映画祭ベルリンスタッフで集まって反省会を行うことになっているので、いろいろ話し合い、来年は今年気になった部分を改善した素晴らしい映画祭が開けるよう、私も自分のできるところで努力したいと思う。私は、松原ご夫婦と知り合いになってお話がいろいろできたのが楽しかったし、今次のドキュメンタリー映画(ドイツの脱原発、エネルギーシフトをテーマ)を製作中の坂田雅子を手伝ってインタビューの通訳をしたりして、また充実した時間が持てたので、けっこう疲労はしたが、受け取ることの多い濃厚な時間だった。いい作品を紹介することで、ベルリンの市民に、核・原子力の恐ろしさ、核の鎖を断ち切る以外にないのだということを改めて考えてもらう機会を作ることに貢献できたことを喜びたい。これからも、SNBが「この作品はぜひベルリンでも紹介したい」というような映画があれば推薦し、ウラン映画祭で見られるようにしていければいいと思う。(ゆう)


国際ウラン映画祭 サイト:http://uraniumfilmfestival.org/de

日本語サイト:http://uraniumfilmfestival.org/ja

『太陽が落ちた日/ Als die Sonne vom Himmel fiel』 公式ウェブサイト(英/独):http://www.alsdiesonnevomhimmelfiel.com/

『私の終わらない旅』 公式ウェブサイト(和/英):http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/

『被ばく牛と生きる』 公式ウェブサイト(和/英):http://www.power-i.ne.jp/hibakuushi/

 

 

 [:de]Sayonara Nukes Berlin war 2017 Kooperationspartner des International Uraniumfilmfestivals(IUFF) Berlin und hat für wichtige Dokumentarfilme aus Japan stark gemacht. Dieses Jahr wurden drei Filme aus unserer Empfehlung gezeigt mit deutschen Untertiteln, ein Dokumentarfilm von Tamotsu Matsubara “Leben mit verstrahlten Rindern” hat einen Preis bekommen. Hier ist der offizielle Bericht vom IUFF Berlin, den wir hiermit mit ihrer Erlaubnis veröffentlichen:

 

[:]

SNBはWerkstatt der Kulturenの解体決定に断固として反対します!

[:ja]

私も最初、Werkstatt der KulturenからのMLでその通知を読んだとき、信じられませんでした。ベルリン市参事会は2017年6月に、1994年に「Wissmannstrasseビール醸造工場e.V – WERKSTATT DER KULTUREN」と締結された「Wissmannstrasseの旧ビール醸造工場利用契約」を2017年12月31日をもって解約する旨を言い渡したというのです。

そこで、関係者、愛好者、ファンが集まって、その廃止決定に反対する運動が始まりました。

WERKSTATT DER KULTURENは開設以来、あらゆるルーツ、文化背景をもつベルリン市民が、その多彩性をそのままに表現をし、同時に政治的・社会的問題を捉えて議論し合い、音楽・芸術・映画・講演などを通して訴えることのできる、素晴らしいプラットフォームとして活動してきました。

去年SNBがProtestivalであらゆるイベントを計画した時にも、ちょうどベルリン在住のジャズミュージシャンである安藤明さんがイニシエートし、Werkstatt der Kulturenで実現することになったFukushima the Aftermathに共催させていただけることとなり、ここで芸術・音楽・言葉を通じてフクシマの現状を提起・議論する場所を設けてもらい、たくさんの観客が動員できたことは、皆さんの記憶にもまだ新しいと思います。ここでは私たちのあらゆる質問や問題の担当者となってくれたRätherさんが、誠意をもって最後まで対応してくれ、すばらしい共同作業を行うことができました。このような場所を与えてくださったことをもう一度感謝すると同時に、この場所がなくなることを認めたくありません。こうした場は、ベルリンにこそなくてはならないもので、これをベルリンがみすみす「廃止」してしまうというのは断固として納得できません。

多彩な文化をそれぞれが持ち寄り、複雑かつ味わい深い社会を可能にし、それぞれの多彩性、違いを謳歌しながら共存する社会を私たちは望んでいます。そのことをいち早く取り上げ、プログラムに反映させてきた存在として、WERKSTATT DER KULTUREN はベルリンだけでなくドイツ全体でも珍しいものです。ここでは旧植民地、移民・難民、差別されてきた(いる)あらゆる少数波グループの問題、その他政治・社会問題をあらゆる文化・芸術・アクション形式にして取り上げ、議論し合うプラットフォームを提供し続けてきてくれました。

どうしてベルリン市参事会が、難民問題やポピュリズムの危険がこれまでよりずっと迫っている今、こうした重要な場を廃止してしまうのか、全く理解に苦しみます。理由を求めても、答えは得られなかったそうです。

皆さんも、この市参事会の決定を拒否し、Werkstatt der Kulturen存続を求めるなら、ぜひ反対のメールを以下のSenatorenに送ってください。また、オンラインでもPetitionにサインできますので、ご協力お願いします。

Elke Breitenbach (DIE LINKE), Senatorin für Integration, Arbeit und Soziales, Senatorin@senias.berlin.de
Dr. Klaus Lederer (DIE LINKE), Bürgermeister und Senator für Kultur und Europa, klaus.lederer@kultur.berlin.de.

オンラインによるペティションはこちら: Online-Petition „Nein zur Abschaffung der WERKSTATT DER KULTUREN

オンラインでなく自筆で署名したい方は、Werkstatt der Kulturenの事務所で、火曜から金曜まで、12時から18時の間、署名が可能です。[:de]

Sayonara Nukes Berlin unterstützt die WERKSTATT DER KULTUREN in ihrem Protest gegen die geplante Abschaffung!


 

Liebe Freund*innen der WERKSTATT DER KULTUREN,

einige langjährige Partner*innen, die für 2018 planen, wissen es bereits: der Senat hat überraschend, im Juni 2017, den im Jahre 1994 mit dem Verein „Brauerei Wissmannstrasse e.V – WERKSTATT DER KULTUREN“ geschlossenen Nutzungsvertrag für die ehemalige Brauerei in der Wissmannstrasse zum 31. Dezember 2017 gekündigt!

Wir sagen nein zur Abschaffung der WERKSTATT DER KULTUREN!

Seit ihrer Eröffnung vor über zwei Jahrzehnten, ist die WERKSTATT DER KULTUREN der Ort, nicht nur der Präsentation sondern auch der Repräsentation für die vielen Berliner*innen mit engen biographischen Bezügen zu unterschiedlichen Regionen und Kulturen der Welt – und damit auch zu unterschiedlichen kulturellen Milieus der Stadt.

In ihrer Funktion als Plattform für Kunst, Kultur und Aktion produziert diese einzigartige Kulturinstitution jährlich rund 450 Film-, Konzert-, und Wort-Veranstaltungen, die aktuelle kultur- und migrationspolitische Entwicklungen in den Blick nehmen – unter besonderer Berücksichtigung der Arbeiten von People of Color, Schwarzer Menschen, Angehörige kultureller Minderheiten und weiterer marginalisierter Gruppen.
Auf diese Weise, hat die WERKSTATT DER KULTUREN den gesellschaftlichen Megatrend von der relativ homogenen Gesellschaft des Nachkriegsdeutschland hin zu einer pluralistischen Bevölkerung sehr früh aufgegriffen und in ihrem Programm abgebildet. Lange war sie sogar die einzige Institution nicht nur Berlins, die die Vielfalt migrantischer und postkolonialer Kultur-, Kunst- und Aktionsformen zeigte und bis heute gibt es in Deutschland keine andere Einrichtung, die diesen Ansatz in einer ähnlichen Breite verfolgt.

Warum der Senat ausgerechnet das einzige Mehrspartenhaus für migrantische und postkoloniale Kunst-, Kultur-, und Aktion in Zeiten von steigendem Rechtspopulismus abschaffen will, bleibt vollkommen unverständlich! Um eine Begründung, haben wir mehrfach gebeten – ohne Erfolg. Wir möchten das nicht einfach hinnehmen!

Wenn Sie, wie wir, die Abschaffung der WERKSTATT DER KULTUREN ablehnen, dann richten Sie bitte eine entsprechende Protestmail an:

Elke Breitenbach (DIE LINKE), Senatorin für Integration, Arbeit und Soziales, Senatorin@senias.berlin.de sowie an
Dr. Klaus Lederer (DIE LINKE), Bürgermeister und Senator für Kultur und Europa, klaus.lederer@kultur.berlin.de.

Außerdem können Sie hier unsere Online-Petition „Nein zur Abschaffung der WERKSTATT DER KULTUREN unterzeichnen.

Per Hand können Sie von Dienstag bis Freitag zwischen 12h und 18h in unserem Sekretariat unterzeichnen.

Vielen Dank![:]

国際ウラニウム映画祭の Crowdfunding はじまる

[:ja]国際ウラニウム映画祭が,Internationales Uranium Film Festival Berlin のために Crowdfunding を立ち上げました。

この映画祭は,原発を始め,ウラン採掘,核実験,原爆水爆,そして原発事故,死の灰のごみ処理問題,核エネルギー一般などをテーマにする,世界各地で作られたドキュメンタリー映画・劇映画を応募してもらい,その中から選ばれたものを上映するという映画祭です。映画祭の最後には,ウラニウム映画祭賞(Yellow Oscar) が最優秀作品に与えられます。Yellow はもちろん,ウランの色です。

映画祭のための Crowdfunding に興味ある方は以下のページをご覧下さい。

https://www.ecocrowd.de/projekte/internationales-uranium-film-festival-berlin-iuffberlin/  (ドイツ語)

これには 1 ユーロからでも参加でき,また,ファンディングアイテムによってはチケットやグッズなどを入手するという形でも協力することができます。

国際ウラニウム映画祭参考リンク

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ドイツ連邦環境・自然保護・建築および原子炉安全省30周年を祝うイベント「環境の未来フェスティバル」でのProtestival写真展「Nuclear, Democracy and Beyond」

[:ja]2016年9月10日から11日にかけて、ドイツ連邦共和国の環境省30周年を記念するイベントが、ベルリンのシューネベルグ(Schoeneberg)にある、新しいエネルギー、スマートシティの実現を目指す革新的実験場として注目されるEuref-Campusで行われた。このキャンパスが入っているのは、もとガスタンクのあった場所で、そのガスタンクが改造されて中がイベント会場になっている。

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ここに、4月から6月にかけてドイツの社民党本部であるWilly-Brandt-Hausで行われた私たちProtestivalの写真展(広河隆一氏と樋口健司氏)が招かれた。最初の案では、最初の写真展で使われた写真40点全部をそのまま使ってもいいことになっていたが、場所の都合でそれは残念ながら大幅に縮小され、合計で10枚の写真を選び直さなければならないことになり、同時に、Willy-Brandt-Hausで使った写真は、ガスタンクの中にまっすぐな壁がなく、イーゼルに写真を立てなければならないことが分かったため、使えなくなった。これで、もともとの写真展チームのメンバーである写真家の矢嶋宰さん、メンバーのK君、私が集まって広河氏、樋口氏の写真の中から5枚ずつを新たに選び直し、さらにその展示方法を考え直した。

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イーゼルに立てるということなので、厚さ1センチほどの硬い下地の土台に、キャプションと写真を一緒にプリントアウトしたものを貼りつける方法を選んだ。これは結局矢嶋さんが一人で引き受けてくださり、会場にイベント前日、持ってきてくれた。私は環境省の担当の人との交渉を全面的に引き受け、9日の準備では矢嶋さんと私で会場に赴き、10日はイベント終了後に私がそれを全部持ち帰ることで終了した。

この環境省イベントではあらゆるEuref-Campusの全体で行われたようだが、ガスタンクの中の会場は一番メインな演説や環境省の歴史を紹介する催しが行われた様子で、入場者数は二日でかなり多くいたらしい。

私たちの展示会は合計10枚の写真とキャプション、それから私たちのメッセージ、写真家の簡単な紹介だったが、その隣には、別のロシアの写真家によるチェルノブイリの写真も展示され、広河氏の写真からは今回はチェルノブイリを抜いていたため、テーマとしてぶつかり合うことなく、チェルノブイリ30周年とフクシマ5周年、それから原子力発電という問題がすべて盛り込まれた写真展を一緒に作り出すことができたのは結果的にいいことだった。このチェルノブイリの写真展については、私は知らされていなく、現地に行って初めて分かったことであった。

日本では環境省が広河氏や樋口氏の写真展をイベントに招くなどということは決してあり得ないであろうことを思うと、ドイツの連邦省であるBMUBにProtestivalの写真展「Nuclear, Democracy and Beyond」を招いてもらったという事実は、とてもシンボリックな意味があったと思う。そして、Freundeskreis von Willy-Brandt-Hausからの口添えがあったからだとはいえ、私たちのメッセージと写真展を、縮小版ながらももう一度ここで紹介することができたことはうれしいことだった。環境省で私とずっと交渉してくれた担当の人は、「どの人もじっと写真を見、キャプションもしっかり読んでいた。とても好評で、私たちも喜んでいる。成功だった」と感謝してくれた。

この環境省からは、この写真展のためにお金をいただくことになっている。このうち、写真展準備にかかった費用、それから私たちSNBのこれからの運営費を少しだけ残すことにして、残りを広河氏の福島の子供たちを助ける基金、樋口氏には同額ずつ寄付したいと思っている。

2016年のProtestivalに関連したイベントは、これで一切終了した。でも、終わりはまた始まりでもある。ちょうどこの前の土曜日、来年のデモに関するコンセンサスを得るための初めてのミーティングを行ったばかりだ。来年の3月11日はちょうど土曜日に当たる。その日に、私たちの主張をアピールしないわけにはいかない、ということで、来年のデモへの準備がまた始まることになる。来年は今年と同じように大きなことはできないとは思うが、それでも私たちがあきらめず、持続して反核、反原発を訴えていかなければならないことは確かだ。これから、その方法を探っていくことになると思う。

報告:梶川ゆう


環境省のイベントに関する情報はこちら:

Umweltfestival 3.0

Umweltpolitik 3.0 – Das Festival zur Zukunft der Umwelt

http://www.bmub.bund.de/service/veranstaltungen/details/event/umweltpolitik-30-das-festival-zur-zukunft-der-umwelt/


広河 隆一(ひろかわ りゅういち ) :日本の報道写真家、市民活動家。フォトジャーナリズム月刊誌DAYS JAPANの元編集長。福島の子ども保養プロジェクトNPO法人 沖縄・球美の里の設立代表・名誉理事長。公式HP:http://www.hirokawaryuichi.net/

樋口健二:(ひぐち けんじ )は、日本の報道写真家。日本写真芸術専門学校副校長。2001年核廃絶NGO「ワールド・ウラニウム・ヒアリング」(本部ドイツ)創設の「核のない未来賞」教育部門賞を日本人として初受賞。HP:http://kenjihiguchi.jimdo.com/[:]

(Deutsch) Zwangsräumung des Anti-AKW-Camps in Tôkyô. Gedanken zu einer Nacht- und Nebelaktion/ Steffi Richter

[:de]

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Han-genpatsu keisanshô-mae tento hiroba (kurz: Tento hiroba) in Tôkyô

Zwangsräumung des Anti-AKW-Camps in Tôkyô. Gedanken zu einer Nacht- und Nebelaktion

Steffi Richter

 

Anlässlich der ersten Wiederkehr des Tages, an dem Nordost-Japan von der Dreifachkatastrophe verheert wurde, erschien in der Online-Ausgabe von „The Wall Street Journal“ vom 10. März 2012 ein Artikel, der mit „March 11, One Year On: Occupy METI” betitelt war. Der Journalist Obe Mitsuru beschreibt darin eingangs eine Szenerie, in der auf einem kleinen Eckplatz direkt vor dem mächtigen Ministerium für Ökonomie, Handel und Industrie (METI) im Tôkyôter Regierungsbezirk  Kasumigaseki ein vergleichsweise „wackeliges Zelt“ steht, geschmückt mit bunten Bannern und Plakaten, auf denen Japans Ausstieg aus der Atomkraft gefordert wird. Mit einem „Welcome to ‘Occupy METI,’ Japan’s take on Occupy Wall Street“ (OWS) leitet Obe dann zum Hauptteil seines Artikels über. http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2012/03/10/march-11-one-year-on-occupy-meti/

Nun, genau gesagt, sind es mittlerweile drei Zelte, die dort – gar nicht „wackelig“ – stehen; und auch das Gleichnis, ‚Occupy METI‘ sei eine Anlehnung an OWS, ist zumindest dahingehend zu präzisieren, dass mit dieser etwas später auftauchenden Bezeichnung zwar sehr wohl ein Bezug zu den New Yorker Ereignissen in Herbst 2011hergestellt worden ist. Die Belagerung des Platzes vor dem mit der Atomwirtschaft besonders eng verbundenen METI aber hatte bereits wenige Tage vor dem 17. September – dem Beginn von OWS –, am 11. September begonnen. An jenem Tag waren genau sechs Monate seit „3.11“ vergangen, weshalb verschiedene Protestaktionen in Tôkyô (aber auch in anderen Teilen des Landes) stattfanden: Eine Menschenkette sollte das METI einkreisen, was auch gelang; im Subzentrum Shinjuku war eine weitere Genpatsu Yamero-Demonstration („Schluss mit den AKW“) mit anschließender Kundgebung geplant, ca. 20.000 Menschen nahmen daran teil; und direkt vor dem METI traten vier junge Leute unter der Losung „Nachdenken über die Zukunft“ in Front vom METI in einen Hungerstreik. Sie waren extra aus Kaminoseki  (Präfektur Yamaguchi) angereist, wo gegenüber der Insel Iwaishima in der zu den schönsten Landschaften Japans gehörenden Inlandsee (Setonaikai) bereits seit Anfang der 1980er Jahre ein AKW errichtet werden soll, was lokale Atomkraftgegner lange Zeit verhindern konnten. Als dann Anfang 2011 mit Aufschüttungsarbeiten begonnen worden war, ereignete sich jedoch die AKW-Erdbeben-Katastrophe von Fukushima Daiichi, woraufhin das Vorhaben erneut auf Eis gelegt wurde. Vom Tisch ist der geplante Bau allerdings bis heute nicht, zumal laut Energieplan der jetzigen nationalkonservativen LDPJ-Regierung unter Abe Shinzô Atomstrom auch in Zukunft eine „Grundlastenergiequelle“ bilden soll (20-21% bis 2030).

Fuchigami Tarô渕上太郎(*1942) erinnert sich (vgl. in Oguma 2013: S. 79-82), dass ihm und einigen anderen Teilnehmern der Menschenkette plötzlich die Idee gekommen sei, doch nicht einfach wieder auseinanderzulaufen, sondern dass es eines realen Raumes bedürfe, um der Anti-AKW-Bewegung zu mehr Kontinuität zu verhelfen. So sei noch am gleichen Abend – auf besagtem Eckplatz – ein erstes, sechs tsubo (reichlich 18m²) großes Zelt errichtet worden, in Nachbarschaft zu den vier jungen Leuten, die sie als eine Art Enkelgeneration wahrgenommen hätten. Letztere haben insgesamt 10 Tage, bis zum 19. September, ausgeharrt, während die wesentlich älteren „Zeltleute“ – unter ihnen auch (wie Fuchigami) ehemalige Kämpfer gegen den Sicherheitsvertrag mit den USA, deren durchaus auch radikale politische und soziale Protesterfahrungen bis in die 1960er und 1970er Jahre zurückreichen – nach einigen Beratungen sowie Verhandlungen mit Beamten des METI beschlossen haben zu bleiben . Sie  stellten einen Antrag auf Erlaubnis der Nutzung des staatlichen Bodens. „Auf diese Weise wurde der Zeltplatz vor dem METI in Kasumigaseki , mitten in der Hauptstadt – eben dort, wo sich alle Ministerien und Behörden dicht aneinanderreihen – zu einer Willenserklärung des Protestes gegen die Befürworter von Atomkraft, also gegen TEPCO als Verursacher der Havarie im AKW Fukushima Daiichi und gegen den Staat in Gestalt des METI.“ (80) Einen guten „Rundumblick“ über das Areal, in dem Tento hiroba liegt – eine vielbefahrene und sonst vor allem von Beamten und Geschäftsleuten frequentierte Straßenkreuzung – bietet die folgende knapp eineinhalbminütige Videosequenz von „Voicesofprotest“ aus YouTube: https://www.youtube.com/watch?v=WcMag_O45Tc ). Der offizielle Name des Camps lautet seither  Datsu/Han-genpatsu keisanshô-mae tento hiroba (kurz: Tento hiroba): „Zeltplatz vor dem METI gegen AKW/für den Ausstieg aus der Atomkraft“.

In wenigen Tagen wäre dort der bereits in Vorbereitung befundene 5. Jahrestag begangen worden – wenn nicht in einer Nacht- und Nebelaktion der Polizei und staatlicher Behörden in den Morgenstunden des 21. August 2016 in nicht einmal zwei Stunden das Lager geräumt und damit der weltweit längsten „Occupy“-Aktion ein Ende bereitet worden wäre. Es war diese der 1807. Tag seit Beginn der Besetzung, ein Tag, an dem sich, wie einer meiner Studenten in Erfahrung bringen konnte, einige der Aktivisten in Fukushima aufhielten, um dort an verschiedenen Veranstaltungen teilzunehmen – was darauf hindeutet, dass die Planer der Räumung über die Aktionen der (vermutlich rund um die Uhr beobachteten) Zeltbewohner Bescheid wussten. Und es war auch der Abschlusstag der Olympischen Spiele in Rio, an dem die ohnehin große Aufmerksamkeit der Bevölkerung und der Massenmedien sich Stunden später noch einmal auf einen besonderen Höhepunkt richten wird: auf die Abschlussveranstaltung, bei der nicht nur die Olympische Flagge an Koike Yuriko überreicht wird, also an die gerade neu gewählte Gouverneurin von Tôkyô, dem Austragungsort der 2020er Spiele. Es wird auch Premier Abe Shinzô auftauchen, der als „Superma-Rio“ verkleidet ist und – vom Kasumigaseki-Regierungsviertel kommend – via Subzentrum Shibuya durchs Erdinnere mitten ins Maracana-Stadium gebeamt wird. Dort hält er einen roten Ball in der Hand, den er nach einer furiosen Laser-und Tanzshow in die Hände japanischer Olympiateilnehmer legt und mit ihnen gemeinsam ruft: „See you in Tôkyô!“. Ein Gruß, der als Schriftzug auch in der Spielfeldmitte  erscheint, darüber die illuminierte Silhouette der Megalopolis mit dem „heiligen“ Weltkulturerbe Fuji-san, dem Fuji-Berg, im Hintergrund (leider ist diese YouTube-Videosequenz aus urheberrechtlichen Gründen nicht mehr abrufbar).

Doch lange bevor dieser Gruß aus dem virtuellen Tôkyô auch über die Bildschirme japanischer Zuschauer flimmerte, waren – ebenfalls dank Hightech und der Neuen Medien – bereits erste Protestaktionen gegen die sehr reale Zwangsräumung im realen Tôkyô im Gange, auch wenn diese sich von der Zahl der Teilnehmer in Grenzen hielten. „Ein Gefühl tiefer Enttäuschung, des Verlustes geht einher mit stillem Zorn. Der Gedanke, etwas Unersetzbares verloren zu haben, Trauer, die wohl nicht so schnell verschwinden, nicht zu trösten sein wird, und von der ich auch nicht möchte, dass sie verschwindet. Ich schaue auf die kalt und hoffnungslos aussehenden Mauern der Macht, und möchte doch diesen Anblick nicht vergessen. Das bleibt als Erinnerung tief in mir erhalten, war  vielleicht der Sinn für mich als Mitorganisator der Zelte.“ Das sind erste Reflexionen des Publizisten (und ebenfalls ehemaligen studentischen Aktivisten der 1960er/70er) Mikami Osamu三上治 (*1941), die er an den Tagen 1 und 2 nach den 1807 Tagen im „Zelt-Tagebuch“ (Tento nikki, vgl. hier: http://tentohiroba.tumblr.com/ ) niederschreibt. Ja – das ist die neue Zählung von Aktivisten wie Mikami, die von Beginn an dabei waren – und deren Sicht ist es vor allem, die ich in diesem kleinen Text referiere. Wurde also vom 11.9.2011 an die Zeit in Tagen gemessen, die das Lager bestand (und zwischendurch auch in Tagen, an denen ganz Japan atomstromfrei ist und war) , so wird nun in „Tagen danach“ gezählt. Und es sind keineswegs nur solch verhalten-nachdenkliche, in die vergangenen knapp fünf Jahre zurückschauenden Einträge, die das Tagebuch nun bestimmen, sondern schon wird zu den nächsten Aktionen aufgerufen, die an das, was bisher geleistet wurde, unmittelbar anknüpfen. So wird am „Tag 5 danach2 (26.8.2016) davon berichtet, was seit dem Tag 1807 (bzw. 1 danach) eben dort passiert, wo bislang die Zelte gestanden haben, nun aber eine mit grünen Blättern bemalte Absperrung errichtet wurde: Sit-ins, Gesprächsrunden im Stehen, Ansprachen von den Zelt-Aktivisten selbst (von denen einer den originellen Gedanken äußert, dass die Zelte zwar beseitigt wurden, die AKW ja aber noch nicht, weshalb nun wohl nichts anderes übrig bleibe, als dass jede, jeder einzelne nun selbst zum Zelt werden und bleiben müsse), aber auch Beiträge von Leuten, die  „Occupy METI“ in der einen oder anderen Weise unterstützt haben. Auch der Bauer Yoshizawa Masami吉沢正巳 (*1954) kommt aus seiner nur 14 km vom havarierten AKW Fukushima Daiichi entfernt in der  „No go-Zone“ gelegenen „Farm der Hoffnung Fukushima“ (Kibô no bokujô Fukushima) angereist, wo er auch nach „3.11“ mit seinen etwa 300 kontaminierten Rindern lebt und sich weigert, die Tiere notschlachten zu lassen, wie die Regierung es ganz nach dem Motto „Was stinkt – Deckel drauf“ per Dekret eigentlich verordnet hatte (vgl. auch Richter 2013: 407-411). Ausführlich – in Form von Live-Video-Mitschnitten – informiert über diese Aktivitäten das unabhängige und alternative Live-Stream-Medium „Independent Web Journal“ (IWJ) von Iwakami Yasumi岩上安身 (*1959) und seinem Team, das am 21.8. ab etwa 9 Uhr vor Ort filmte; siehe hier: http://iwj.co.jp/wj/open/archives/326652 ; http://iwj.co.jp/wj/open/archives/326859 . In einer auf YouTube auch einzeln zugänglichen Sequenz der IWJ-Dokumentation (https://www.youtube.com/watch?v=gQ_ISk8jWr8) kann man Yoshizawa auf seiner „Nostalgie-Kuh“ (bôkyô no ushi) sitzen sehen – eine drahtige Skulptur, die er von der Künstlerin Tomotari Mikako (*1965) 2012 geschenkt bekommen hatte und mit der er seither an Anti-AKW-Demonstrationen auch in Tôkyô teilnimmt, stets mit einem Abstecher zum „Occupy METI“.

Umringt von zahlreichen Polizisten, versucht Yoshizawa die im doppelten Sinne aufgeheizte Atmosphäre zu beruhigen, bevor er von seiner „Nostalgie-Kuh“ heruntergezerrt wird. Später von einem IWJ-Mitarbeiter interviewt, erzählt er, dass er natürlich am kommenden 11. September am (bereits vor dem 21.8.) geplanten „AKW-Ausstiegs-Wut-Festival“ (Datsu-genpatsu 9.11. ikari no festibaru) partizipieren werde, dafür habe er jetzt auch seine Kuh mitgebracht, die er dann in einen Mikoshi – einen tragbaren Schrein – verwandeln und mit ihr durch die Straßen prozessieren werde. Und im Hintergrund hört man ein knarzendes Saxophon, auf dem der auch als Punk- Rocker und DJ bekannte Kamuro Tetsu (alias Kaenbin (=Molotov) Tetsu, der auch die oben erwähnte Zelt-Idee äußerte http://fukusimatotomoni.blog.fc2.com/ ) „We shall overcome“ spielt.

Mit diesen wenigen Impressionen soll gezeigt werden: Die Aktionen gehen weiter, und zwar in der Weise, die auch bisher prägend gewesen war. Der schon mehrfach erwähnte Zorn (ikari) ging und geht stets auch mit einer Prise Humor einher; es wurde und wird diskutiert, gestritten, musiziert. Im Laufe der knapp fünf Jahre wurde zudem gemeinsam gekocht und gegessen, auch getanzt, geweint, getrauert – um verstorbene Aktivisten und Aktivistinnen. Mikami  Osamu fasste, als das Zeltlager 500 Tage alt wurde, das Leben dort in seinem Bericht „Fast zwei Jahre: Der Zeltplatz an der Ecke vor dem METI (3)“ (Keisanshô no ikkaku ni datsu-genpatsu tetnto sonzoku shiteiru (3)) folgendermaßen zusammen. „Viele Leute kommen her, um sich auszutauschen, treffen sich hier. Auch Versammlungen finden häufig statt, und traditionelle Tänze wie der „Kansho odori“ werden aufgeführt. Auch unschöne Dinge geschehen. Mal herrscht eintöniger Alltag, dann wieder passiert etwas und bringt alles durcheinander. Hier ist ein wirklich unbeschreiblicher Raum (Platz) entstanden … Mag sein, dass das nichts als unsere Sehnsüchte sind, doch ich jedenfalls empfinde es so.“ http://www.alter-magazine.jp/index.php?%E7%B5%8C%E7%94%A3%E7%9C%81%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A7%92%E3%81%AB%E8%84%B1%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AF%E5%AD%98%E7%B6%9A%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%EF%BC%883%EF%BC%89 .

Zu den unschönen Dingen gehören sicher die Provokationen von rechtsextrem-nationalistischen und AKW befürwortenden Kräften, die mit ihren schwarzen, mit Mega-Lautsprechern bestückten Autos immer mal wieder aufkreuzen und Drohungen ausstoßen (zuletzt am 14.8., worüber auch IWJ berichtete, vgl. hier: http://iwj.co.jp/wj/open/archives/325531 ), zuweilen auch handgreiflich werden würden, würde nicht die Polizei zwischen beide Fronten gehen.  Und sicher gehört auch die gerichtliche Klage dazu, die die staatliche Behörde gegen zwei der „Okkupanten“ (neben Fuchigami auch gegen Masakiyo Taichi 正清太 (*1938) erstmals Ende März 2013 erhoben hat. Auch jetzt stehen noch und wieder jene Schilder vor der errichteten Absperrung, auf denen zu lesen ist: „Staatseigenes Land. Betreten für Unbefugte verboten“ (Kokuyûchi – kankeisha igai tachiiri kinshi). Da die Aktivisten als Unbefugte gelten (das heißt, ihrem Antrag auf Nutzungserlaubnis wurde nie stattgegeben) haben sie dieses Verbot verletzt und müssen sich wegen widerrechtlicher Besetzung staatlichen Landes vor dem Obergericht Tôkyô juristisch verantworten – die Räumung des Platzes wird gefordert und eine Schadenssumme in Höhe von ca. 33 Mio. Yen (= knapp 290.000 Euro; pro Tag 21.917 Yen = 292 Euro). Unterstützt von zahlreichen Rechtsanwälten wehren sich die Angeklagten natürlich gegen diese Vorwürfe und führen immer wieder die Gründe an, mit denen sie ihr widerständiges Handeln rechtfertigen. Denn was heißt schon „unbefugt“? Mit ihren Aktionen wollen sie auf das unverantwortliche Handeln des Fukushima Daiichi-AKW-Betreibers TEPCO wie auch des Staates/METI im Gefolge des Supergaus aufmerksam machen. Tento hiroba sei zu einem Ort geworden, an dem sich all jene treffen können, die den Ausstieg aus der Atomkraft verwirklichen wollen; ein Ort, an dem die Gedanken und Empfindungen der Menschen zusammenkommen, die aufgrund der Havarie haben fliehen müssen und die es in alle Winde zerstreut hat; ein Ort, der einer nach Tôkyô evakuierten Frau aus Fukushima zur „zweiten Heimat“ geworden sei – so ist es zu lesen auf der Homepage http://tentohiroba-saiban.info/ , die Materialien und Informationen über den laufenden Prozess und den Widerstand dagegen bereitstellt.

In der Tat ist der „Zeltplatz“, ist „Occupy METI“ seit dem 11. September 2011 zu einem zentralen Ort, zu einem Knotenpunkt der Anti-AKW-Proteste geworden, die bereits seit April des gleichen Jahres anschwellten und seither andauern. Über sie berichtet der Dokumentarfilm „Tell the Prime Minister“ des japanischen Soziologen Oguma Eiji小熊英二 (*1962) – mittlerweile selbst Aktivist –, der zu Beginn des Jahres 2016 auch in verschiedenen deutschen und europäischen Städten zu sehen war (vgl. auch das von Oguma 2013 auf Japanisch herausgegebene Buch „Leute, die die AKW stoppen. Von 3.11 bis zu den Protesten vor der Residenz des Premiers“, das auch Fuchigamis obigen Bericht enthält). Zu einem solchen rebellischen Raum konnte er sich dank des Zusammenwirkens der folgenden drei Momente konstituieren

  1. Die Präsenz und die verschiedenen Aktivitäten der „Okkupanten“ selbst, die sich in ihrer Anwesenheit einander abwechselten und so dafür sorgten, dass die Zelte stets, Tag und Nacht, bei Hitze und Kälte, während Taifunen und Erdbeben, besetzt waren: zunächst Zelt 1, seit Ende 2012 Zelt 2 als das „Atomkraft, nein danke!-Frauenzelt: an der Seite von Fukushima“, und 2013 kam ein drittes hinzu.
  2. Von ebenso großer Bedeutung sind die vielen in- und ausländischen Besucher der Zelte, die an diesem Ort aus unterschiedlichen Motiven zusammenkamen und mit ihren sehr verschiedenen Ideen, Aktivitäten und (finanziellen, logistischen, Ess- und Trinkwaren-) Unterstützungen dessen Langlebigkeit überhaupt erst ermöglichten. Am lebendigsten war, ist, und wird es wohl sein an den Freitagen, an denen viele Teilnehmer ´vor oder nach dem „Freitagsprotest vor dem Amtssitz des Premierministers“ (Kinyôbi kantei-mae kôgi) einen Abstecher auch zum nahegelegenen Zeltplatz machen. Diese Protestaktion fand erstmals am 29. März 2012 und dann seit dem 6. April freitags zwischen 18 Uhr und 20 Uhr statt, seither Woche für Woche um die gleiche Zeit – über die Zahl der Teilnehmer gibt die eine Homepage Auskunft, die von den Organisatoren Metropolitan Coalition Against Nukes  betrieben wird: http://coalitionagainstnukes.jp/?p=6199 ). Auch die künstlerische Komponente ist zu erwähnen, die zur Anziehungskraft des Platzes beitrug. So verwandelten die Frauen von Zelt 2 ihr Domizil Anfang Dezember 2015 zugleich in ein „Anti-nuclear Tent Museum“ (Han-genpatsu bijutsukan)  um, in dem schon wenige Tage später, am 19. Dezember, ein „Anti-Atom(bombe wie auch –kraftwerk)-Holzschnitt-Workshop“ veranstaltet wurde, organisiert und durchgeführt vom “A3BCollective/ Anti-War, Anti-Nuclear and Arts of Block-print Collective”, Illcommonz, Misato Yugi und anderen Künstlern. Die dabei entstandenen Werke wie auch alle anderen Artefakte des Museumsbestandes wurden am 21.8. ebenfalls von den Räumungsvollstreckern mitgenommen und einer Zwischenlager-Firma übergeben. Werden die Dinge innerhalb eines Monats nicht abgeholt, würden sie versteigert – meldet die Facebook-Seite des Museums am 27.8. (10:35 https://www.facebook.com/antinuketent2015/ );
  3. Neben diesen beiden Formen der „physischen“ Präsenz spielt zudem die mediale Präsenz von Tento hiroba eine zentrale Rolle. Das Internet-(online-)Tagebuch wurde bereits erwähnt, hinzuzufügen ist vor allem auch der TV-Sender Aozora („Blauer Himmel“), der wesentlich von der Journalistin Matsumoto Chie 松本ちえgeprägt wurde. Wie vom Namen angedeutet, geht dieses Livestream-Fernsehen „unter freiem Himmel“ über den Äther – erstmals am 14. September 2012 und dann über Monate hinweg (fast) jeden Freitag ab 16 Uhr. Das ermöglichte Interessenten in Japan wie auch außerhalb, live vom Zeltplatz aus über aktuelle und / oder länger laufende Anti-AKW-Aktivitäten im ganzen Land informiert zu werden und Hintergrundwissen dazu zu erfahren – je nachdem, wer vor die Kamera geladen war und berichtete. Und wie die spontanen Protestaktionen unmittelbar nach der Zwangsräumung am 21.8. zeigen, sind natürlich auch die sozialen Netzwerke wie Twitter, Facebook oder Mixi unverzichtbar für die Alltagskommunikation und damit den Bestand dieses umkämpften Raumes mitten im Regierungsviertel.

Ich fasse einstweilen zusammen – mit dem wohl überflüssigen Hinweis darauf, dass eine Analyse des Tento hiroba in seiner zeitlichen Gesamtheit, seiner Bedeutungsvielfalt, einschließlich der eben erwähnten medialen Quellen (unter denen das Tagebuch wohl die größte Herausforderung bildet), aussteht. Eine Analyse, die aber zweifellos eine lohnenswerte und notwendige Aufgabe darstellt, denn die Aktivitäten des „Frauenzeltes“ etwa wurden hier noch gar nicht berührt bzw. in den Blick genommen:

Vor knapp 50 (1967) Jahren erschien Henri Lefebvres inzwischen zum Klassiker gewordene Schrift „Recht auf Stadt“. Es war dies eine Zeit, in der Leute wie Mikami, Fuchigami oder Masakami mit Helmen und Knüppeln auf die Straße zogen und sich dort sowie in den Universitäten verbarrikadierten, um sich vor der Bereitschaftspolizei zu schützen; in der sie sich in den Dienst des proletarisch-antikapitalistischen Kampfes verschiedener radikaler Organisationen stellten. Auch darüber reflektieren sie im Tento hiroba-Tagebuch, diskutieren sie untereinander und mit Besuchern. Tento hiroba ist ein Forum, ein Ort, an dem Demokratie verteidigt und der Stimme „des Volkes“ Raum gegeben werden soll. Es geht, so Fuchigami, auch um die Verteidigung des Artikels 12 der japanischen Verfassung, der da lautet: „Das Volk wird unablässig bestrebt sein, die durch diese Verfassung garantierten Rechte und Freiheiten aufrechtzuerhalten. Es wird sich jeden Mißbrauchs dieser Rechte und Freiheiten enthalten und immer dafür verantwortlich sein, daß sie im Interesse des öffentlichen Wohles wahrgenommen werden.“ Fuchigami fährt fort: „Die Zelte zu errichten und den Willen zum Protest Ausdruck zu geben, eben das ist unserer Meinung nach unablässiges Bestreben des Volkes, Recht und Freiheit aufrechtzuerhalten.“ (81). Dafür einen zentralen Ort, einen Raum zu konstituieren, wo den verschiedenen Forderungen der AKW-Gegner immer wieder Gehör verschafft wird, ist auch eine wichtige Praktik, Recht auf Stadt und ein gutes Leben darin zu beanspruchen. Möge es auch weiterhin – ganz im Sinne von Kamuro Tetsu – viele Zelte geben.

Literatur:

Fuchigami, Tarô: „Keisanshô-mae tento wa gôhôsei o mezasu“. [Die Zelte vor dem METI streben nach Legalität]. In: Oguma Eiji (Hg.): Genpatsu o tomeru hitobito – 3.11 kara kantei mae made [Leute, die die AKW stoppen. Von 3.11 bis zu den Protesten vor dem Amtssitz des Premiers]. Tôkyô: Bungeishunjû, 2013, S. 79-82.

Richter, Steffi: „‘Fukushima‘. Wissen er/fahren: Vor Ort“. In: Gebhardt, Lisette/Richter, Steffi (Hg.): Lesebuch „Fukushima“. Übersetzungen, Kommentare, Essays. Berlin: EB-Verlag Dr. Brandt, 2013, S. 400-421.

(Mit Erlaubnis der Autorin etwas gekürzte Fassung)[:]

写真展: Nuclear, Democracy and Beyond 会期延期のお知らせ*6月12日迄、並びにメディア反応など。

[:ja]

6月12日迄会期延長!

Sayonra-Nukes-BerlinとFreundeskreis  Willy-Brand-Haus e.V.(FkWBH)との共同開催の広河隆一氏と樋口健二氏による写真展: Nuclear, Democracy and Beyond. Photographs by Photographs by Ryûichi Hirokawa & Kenji Higuchiはお陰さまで 先週の日曜22日をもって公式の日程を終えました。

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展覧会オープニングセレモニー会場にて。オープニング当日開場前の写真。

なお、FkWBHのギャラリーでの展示会は6月12日まで展示が継続することになっています。6月2日にオープニングを迎えます同ギャラリーでのワールドプレスフォト16展開催に合わせてさらに多くの訪問者に広河氏と樋口氏の写真を見てもらえるようとのギャラリー側の配慮と熱意によって2週間ほど期間の延長が決定しました。 続きを読む 写真展: Nuclear, Democracy and Beyond 会期延期のお知らせ*6月12日迄、並びにメディア反応など。