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国際ウラン映画祭との協力関係終了についての報告

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最終日授賞式でBalentesの監督LIsa Camillo(左)と話すManfred Mohr(ICBUW/IALANA) 写真:Marek Karakasevic

私がこの国際ウラン映画祭(IUFF)のことを知ったのはベルリンに来てからで、その後Sayonara Nukes Berlin(以後SNB)がProtestivalを開催した2016年、チェルノブイリ30周年を機会にIUFFベルリンでも4月23日のチェルノブイリ事故記念日にディスカッションが行われ、その時に私がSNBを代表して招かれて以来の付き合いでもある。それまでIUFFで上映された日本に関係する映画(特にフクシマ関係)の中に、これは日本の事情を知っている人があまりにいないために判断できずにエントリーしてしまったのではないか?と思わずにいられない、ある意味「とんでもない」作品がいくつかあったため、ベルリンで反原発運動をしているSNBとしては見ていられないと、IUFFに協力を申し出たのがきっかけで、私にできる範囲で援助サポートしてきた。

私は核・原子力の問題点を画像から追求する映画ばかりを世界各地から集めて上映するというこの映画祭の趣旨に賛成し、それならこのIUFFをさらに充実させるべく協力しようと思い、日本に関わる題材を扱った映画をチェックして、映画祭で見せるべきか判断を下すためのコメントを出す存在ともなり、日本からの作品を探す努力もし、同時に日本でもこの映画祭の存在をもっと知ってもらうべく、サイトを和訳する仕事などをボランティアでやってきた。松原保監督の「被ばく牛と生きる」、坂田雅子監督の「私の終わらない旅」のドイツ語字幕も作成したことなどは、かつて当ブログで報告したとおりである。

しかし、この映画祭の組織運営を知っていけば知っていくほど、私はそのやり方にも人材にも疑問が膨らむ一方だった。建設的な批判をしてもそれで議論が行われるわけでも改善されるのでもなくただ無視されるだけ、上映する映画の選考も不透明なら、賞を授与する映画の選考までなにもかも不透明で、審査員などが決まっているわけでもない。つまりは、この映画祭を創立したリオの二人だけ(おそらくはNorbertだけ)が決めているのだということが見えてきた。

ベルリンのKulturbrauereiのような映画館を使って数日間のイベントを行うとなると、非常にたくさんの資金が必要となるのはわかっている。だからこそスポンサーが必要なのはどのイベントも同じだが、ベルリンのIUFFでは何年も前から核兵器撲滅のための国際連合体(ICBUW)、核兵器に反対する弁護士連合(IALANA)、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)がパートナーとなりSchönau電力会社やExberlinerなどもスポンサーとなり、さらにドイツ連邦環境庁、連邦環境省からの助成も受けて、ここに並んだロゴの数々は堂々としたものだ。テーマが商業的な映画を集めた映画祭と違ってあまり興味を持たれない、話題にならないというのは当然あるにせよ、映画祭を開いても毎年集客数があまりにも少ない、映画祭としての認知度も低い、宣伝の仕方が悪い、というのは、核・原子力というテーマがますます普遍性を失っているというだけでなく、その他にも根本的な原因があるからだと私は思っている。

それは一つには、映画祭の組織運営と、その実現のためのしっかりしたコンセプトが不足しているからではないだろうか。ベルリンでの国際ウラン映画祭は、基本的にはドイツ語で行われている。司会も、挨拶も、インタビューもほとんどがドイツ語で行われ、ドイツ語を話さない監督には通訳を付けている。映画も可能な限りドイツ語の字幕を見せているが、予算の関係でドイツ語字幕を映画祭のために新たに付けられない時には、英語でも可能としているため、英語字幕のものもある。しかし、それなら映画祭の方針として徹底すべきである。というのは、私がこれまでにも経験したことで、今回も最終日で実感したことだが、例えば大賞を取った作品VALLEY OF THE GODS(神々の谷)はアメリカで撮影された英語の作品なので、字幕なしだった。これでは、英語がわからない市民にはあまり理解されなかっただけでなく、ポーランド人の監督が舞台に立って、英語で自己紹介したり映画の話をしたが、通訳がそこに控えているにもかかわらず彼女を差し置いて、ドイツ人の司会が(かなりお粗末な)英語でモデレートをしてインタビューをした。これまでにも急に使用言語が英語になってしまったことは何度かあって、そのたびに私はそれがまずいと思ってきたが、今回もそのコンセプトのなさが(司会とインタビューの質の悪さと共に)欠点として目立った。これでは「素人のイベント」とみられても仕方ない。言語はきちんとどれか一つに統一すべきだ。英語でするなら最初から最後まで英語で通すべきだし(ベルリン映画祭のように)、ドイツ語でするなら最後までドイツ語で徹底してほしい。

また、このウラン映画祭ではどの映画にもなぜか、このテーマに関し知識があるわけではない俳優・タレントなどに映画の推薦をさせるのだが、このことが私にとっては理解できない(これはベルリンの指揮を執っているJutta Wunderlichの方針)。そんな核・原発・反原発/平和運動・放射能問題などに知識のない人たちがうわべだけで何か感想のようなことを言っても(しかもその言い方がかなり恥ずかしいレベルだ)、映画の解説にも推薦にもならないだけでなく、私に言わせればこれらの映画に対する侮辱ですらある。そんな無駄な推薦も俳優の存在も無用だ。それなら、専門知識や経験があり、自ら反原発または平和運動に加わっているような審査員(Jury)数人を充実させるべきだし、どの映画を見せるか、ひいてはどういう理由から賞を与えるか、はたまたどういうガイドラインや方針をもとにどういう賞を授与するのかという方針を固めてウェブサイトなどで公開し、審査員に十分議論をさせて、それに沿って受賞する映画を選び、その理由、議論内容をしっかり透明に示すことが世界で意味ある「映画祭」として認められるための第一歩であるだろう。そして審査員に誰が入っているかも毎年発表すべきだ。そのようなものが一切なく、専門知識も経験もない、単にイベントオーガナイザーである人間にベルリンでの組織運営を依頼し、俳優などを司会や推薦者に招くことで「集客」しようとする試み自体が本来のこの映画祭の趣旨に反していて、だから人を説得する力も持ち得ないのではないかと私は思う。

司会者などは映画祭を通じて一人でよい。毎回いろんな(このテーマに関しては無知の)人に別々に司会をやらせる必要はなく、それよりは一人の人間がいつも同じコンセプトで、ドイツ語ならドイツ語、英語なら英語(がちゃんと話せる人)で最初から最後まで同じやり方で徹底して、プロフェッショナルにモデレートもインタビューもやってほしい。派手なイベントよりはそうした中身を充実させて映画祭としての質を上げることの方が、映画祭として価値を認めてもらうためにも必要だと私は思う。せっかくこれだけのスポンサーや協力団体がありながら、どうして素人芸のような、内輪のお祝いみたいな感じになってしまうのか、とても残念だが、それは私の見る限り、この映画祭を創立したNorbert Suchanekがそれをさせたくないからだとしか思えない。彼は自分ですべてを決めることに固執し、他の人とJuryを作って決定を誰かと共に下したり、批判や議論を受け容れたり、共同でやっていくために妥協したりすることができない。私がこれまでに提案してきた改善案や批判はことごとく無視されてきた。結局は「彼個人の映画祭」なのだ。それなら、どんなにこれを創立した時の趣旨や意図が素晴らしいものだったとしても、映画祭としては成り立たない、あるいは今回も同じで、一応できあがっても「これではちょっと…」と首をかしげざるを得ない程度のものにしかならないのだ。これでは映画祭としても、反原発・反核運動の一つとしても認められるだけのものに育たないのも仕方がないだろう。

私は日本関係の映画を担当するということになっていたのに、今年は最初から蚊帳の外で、私が推薦した映画に対するコメントも一切なく、気が付いたらもうプログラムが決まっていた。Norbertからは一切連絡はなかった。今年はコロナのせいで、ベルリンの映画祭にリオデジャネイロから来ることができなかったため、彼と話をすることはできなかったが、私はこれでは「協力」をしている関係だとは思えないため、今年度の映画祭をもってIUFFへのサポートを終えることにした。この映画祭によって知り合いになった人も、この映画祭で見ることができた数々の素晴らしい作品もあるので残念ではあるが、主催者が、協力者とコミュニケーションも取れない、たくさんの雑用はやってもらうが肝心な決定は自分以外の人にはやらせない、というのでは共同でなにかをやっていくことはできないし、こちらの時間もエネルギーがもったいない。それなら、今後はどうしても上映したいという映画があれば、SNBが主催して上映会を催す方がいい。なんだか後味の悪い国際ウラン映画祭とその協力関係となってしまった。

(ゆう)

上映作品の報告については、こちらの記事でどうぞ。

2020年国際ウラン映画祭@ベルリン(10月15日~18日) http://snbblog.sundayresearch.eu/?p=4487

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2020年国際ウラン映画祭@ベルリン(10月15日~18日)

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今年のIUFFポスター

2019年は十分な資金が集まらなかったこともありベルリンでの開催が見送られた国際ウラン映画祭だが、今年2020年はコロナ禍にもかかわらず無事にオープニングにこぎつけ、18日に終了した。

2010年にブラジルに住むドイツ人ジャーナリストNorbert Suchanekと彼のパートナーMarcia Gomes de Oliveiraがリオデジャネイロで創立した国際ウラン映画祭(IUFF)は、ウラン採掘から原子力、核兵器、放射性廃棄物に至るまで、原子の鎖に関わる(批判的)映画ばかりを集めた世界で唯一の映画祭である。ベルリンでもここ数年毎年開催され、最近ではオープニングと閉会式はベルリンの大プラネタリウムで行われてきたのだが、今年はコロナ禍のためプラネタリウムからはキャンセルされ、Prenzlauer BergのKulturbrauereiの映画館内だけでの開催となった。

今回の映画からいくつか紹介する。

「Vom Sinn des Ganzen」の1シーン

オープニングで上映された映画は、この映画祭で何度もオープニングなどの司会を務めてきたClaus Biegert(ドイツのジャーナリスト。1992年に世界会議Uranium Hearing をザルツブルクで創立し、Nuclear-Free Future Award Foundation基金によるNuclear-Free Future Awardを設立、1998年以来毎年世界各地で核兵器・原子力エネルギーのない世界のために貢献している人たちを選んで授与している)による新作ドキュメンタリー映画「Vom Sinn des Ganzen(全体の意味)」だった。これはドイツの物理学者兼平和運動家Hans-Peter Dürrの功績に光を当てた映画だが、私はこの素晴らしい人物のことをあまりに知らなかったため、すごく感銘を受けることとなった。Dürrはドイツの原爆開発チームにも加わっていた物理学者Werner Heisenbergからマックスプランク研究所の後任者として指名された物理学者だが、1987年にStarnbergでGlobal Challenges Network e.V. というNGOを創立し、自然環境を脅かす数々の問題を克服するために建設的に共同で作業する企業と団体・グループによるネットワークを作った。ゲッティンゲン宣言という有名な科学者・研究者によるマニフェストがある。これは1957年に、当時のアデナウァー首相と防衛大臣シュトラウスが、ドイツも核武装すべきだとしていた考えに反対し、核武装を認めれば、世界中での緊張感が増し核武装競争がさらにひどくなるだけだと科学者たちがドイツの核武装政策に全面的に反対したのだが、Dürrはその意志を継ぐだけでなく、戦略的防衛イニシアティブという考えに対する批判を続け、技術開発は平和目的のためにしか利用されるべきでないという立場を崩さなかったために、Right Livelihood Award(第二のノーベル賞ともいわれる)を受賞したばかりか、1995年にはノーベル平和賞も受賞している。核戦争の恐れが実際にあった時から心ある科学者として当然のあり方として平和運動を熱心に続けてきた彼だが、物理学者だからこそ持ちえたのかもしれない崇高な哲学・自然観を身に着けていたのがDürrだった。2005年には彼は仲間とPotsdamer Manifest「ポツダムマニフェスト」を発表したが、ここでの彼の核となる訴えは「We have to learn to think in a new way」(私たちは新しい別の考え方を学ぶ必要がある)、我々はこれまで「思考」の中に嵌り込み、にっちもさっちもいかなくなってしまっている、しかし新しい思考法が生まれなければ新生もありえない、人生をもっと生気に満ちたもの、持続可能なものにしていくにはどうすればいいのか真剣に考えていかなければならない、これまでのようにただ自然、地球の資源をどんどん使い、あらゆる人間の多様性、生活様式を踏みにじっていくのでは先が見えている、量子物理学の進歩で得られた新しい見識をもとに、脅威を沈静し、問題を解決して新しい方向へ向かっていかなければならない、ということであり、どういう方向に向かっていくべきか、そのために科学者たちがどう研究を続けていくべきかを2005年にすでに明確に訴えている。そして彼は「物質というのは本当はないんだ、あるのは凍り付いた光だけだ」ということを物理学者として主張し、仏教的哲学にも通じた世界観を持っていた。そしてそのために生気ある、楽しい、喜ばしいものとして人生を「祝って」いた。彼は友だちと集まって踊り、歌い、そしてよりよい世界のためにあらゆる人と議論を交わし、当時の平和運動に大きなインスピレーションと影響を与えた。映画を作ったClaus Biegertは実際にDürrが亡くなる数年前に長くインタビューをしていたため、たくさんの撮影フィルムがあり、それを使いながら、また新たに彼の人生のパートナーであるアメリカ人の夫人や、彼と一緒に研究や運動をしてきた人たちにインタビューし、Dürrの人柄と功績が目の前に甦るように作られている。最後に、ドイツでは有名なシンガーソングライターのKonstantin Weckerを訪ね、彼がDürrの言葉を歌詞にして作った歌を披露している。長くなったが、このドキュメンタリー映画で初めてDürrの人柄や哲学について知った私は、市民の運動のあり方、その背後の考え方、そして人としての生き方に関しても感銘を受け、とてもインスピレーションを受けた。Claus Biegertはこのオープニングにも来て話をしたが、彼もDürrという存在に学び感銘を受けたからこそ彼の生涯を紹介する映画を作らないではいられなかったということがよく伝わってきた。私はこれからもWe have to learn to think in a new wayということを考えていくだろうし、自分の市民参画に関しても、彼の言葉を幾度となく思い出すことになるだろうと思った。この作品はぜひ他でも上映してたくさんの人々に見てほしい映画だ。

土曜日は日本関係の映画が2本上映された。

1作はアメリカのKeith Reimink監督が作った、第五福竜丸の乗組員の運命を語ったアニメーション・ドキュメンタリー映画「Day of the Western Sunrise」と、もう1本は2011年3月11日の地震津波のあとから最初の5日間に起きた菅政権下での日本の様子を劇映画にした「太陽の蓋」(ドイツ語字幕付)だ。コロナ禍で監督やプロデューサー等関係者が誰も映画祭に来ることができないため、私がこの2作の映画の背景などを解説することとなった。第五福竜丸が1954年3月1日、ビキニ環礁で行われたアメリカのこれまで世界最大規模の水爆実験「キャッスル作戦ブラボー」で被ばくした際、その爆発時の閃光が西の空で見えたため、乗組員たちが太陽がまさか西から昇るはずはなし、と訝ったということからこのタイトルWestern Sunriseは来ている。現在もまだ健在の元乗組員3人にインタビューをし、当時の体験とそれから日本に帰ってきてからのアメリカと日本政府の対応、故郷での差別、放射線障害との闘いについて語っている画像と、思い出をイメージしたアニメが交互に出てくる。インタビューもその編集もなかなかいいのだが、私が耐えられなかったのはそのアニメというか絵の質である。本物通りである必要はないが、実際にあったことだし船も日本で見ることができ、写真や資料は豊富に残っているのだから、ある程度史実考証をした服装、船や建物の内装などを手本にすることはできなかったのか。そこがあまりにお粗末なので、インタビューとの釣り合いが取れていないことと同時に、観る者が馬鹿にされているような気にもなってしまった。インタビューをここまでして編集するだけの時間、エネルギー、考えをもって臨んだ映画なら、どうしてそこは徹底できなかったのか。また、ナレーションとアニメの登場人物のセリフ(日本語)などは素人の人たちがやったようだが、これについてももう少し質をよくすることはできなかったかと思ってしまうレベルだった。予算がない、というのはあるかもしれないが、それでももう少し練習してわかりやすい話し方などにすることはできたのではないかと残念である。

「太陽の蓋」は数年前にすでにハンブルクで上映されたためドイツ語字幕があるもので、SNBにもこの映画をウラン映画祭と共に上映してくれないかという話が入ったことがあったが、去年はウラン映画祭がベルリンで開催されず、SNBが主催者となって上映会を行う作品としては、実際のフクシマの状況を伝えるドキュメンタリーでもなく、俳優が演じているフィクションの部分が多い劇映画であることもあり、私たちの趣旨には沿わないとして上映会を見送ったものだった。今回は(私の憶測では)IUFFのNorbertと製作者の橘氏と直接話し合いの上ここで上映されることになったのではないかと思う。この映画についての私の意見は伝えてあったのだが、見事に無視され、この映画が上映されるという話を聞いたのは、IUFFベルリンでのプログラムが出来上がってからだった。それでも、私がこの映画の背景と批判も交えた解説をするよう依頼されたため、もちろんきちんと紹介をした。私も久しぶりにこの映画を見ることとなったが、この回の観客は残念ながら非常に少なかった。私としては、当時の(やや英雄的に描かれているのが気になる)管直人元首相率いる政府が、電源が切れ、緊急宣言が出されてからも東電からはっきりとした情報をリアルタイムで得ることができずにとうとう東電本社に乗り込まざるを得なかった当時のやり取りなどがかなり史実通りに再現されているので、それを詳しく知らなかった人に臨場感を与えることができるとはいえ、それと同時に描かれるフィクションの新聞記者、原発に詳しい元記者、市民の姿、避難を余儀なくされたフクシマの市民たちの描かれ方が物足りない。この映画は原発事故から時間が経ってから同じ新聞記者が当時の政府関係者にインタビューしていく形にもなっているのだが、実際はまだ収束していない原発事故なのに、なにか終わってしまったことに関して分析しているような印象を与えるのが、私には問題に思えた。こういう実際の最悪事故を劇映画にすること自体の難しさなのかもしれない。

「Atomlos durch die Macht」の1シーン

私は受付も担当している日があったので、上映された映画を全部見ることはできなかった。その中で私がもう1作、半分くらいだが見ることができたのは、最終日の日曜の夕方に上映されたオーストリアのドキュメンタリー映画「Atomlos durch die Macht」(監督 Markus Kaiser-Mühlecker)だ。オーストリアは、原発を作りながらも、人民投票で稼働反対が多数を占めたため、完成した原発を一度も運転することなく博物館にしてしまったという世界で唯一の国である。1978年のことだ。原発を作ったからにはもちろんそれを稼働したい人はたくさんいてロビーも強かったに違いない。政治的目論見も当然ある。その中で市民運動を続け、稼働させないと多数の市民が反対の投票をするまで導き、ついにはオーストリアは今後一切原子力エネルギーには手を出さないと決定させた活動家たちとのインタビューがこの映画のメインである。しかもこの原発は、2011年に事故を起こした福島第一のと同じ沸騰水型で、それもあってフクシマ事故のあとは胸をなでおろした人が少なからずいたという。しかし自国に原発がなくてもオーストリアはヨーロッパの中の小さい国に過ぎず、周りにたくさんの原子炉を持つ国々に囲まれているため、危険は変わらず存在している。だから反原発運動は今なお続いている。市民が反対しても、それでも甚大な被害を受ける可能性のある危険をはらむのがこの非民主主義的な発電方法である。ドイツは2022年に脱原発が実現するからと、この問題をもう問題視しなくてもいいように、片付いたことのように思う人たちもいるようだが、そうなってもオーストリアと同じで、問題はちっとも解決されていないことが分かる。ましてや今ドイツでは最終処分地問題で岐路に立っている。そしてドイツでは、最後の原子炉が2022年末で停止されても、ウラン濃縮工場(グローナウ)や核燃料製造工場(リンゲン)は期限なく稼働し続けており、ここからは相変わらず放射性廃棄物が出されるばかりか、世界の原発の10基につき1基がドイツで作られる燃料棒で動かされる計算であることが分かっている。それでは決して「脱原発」などではないはずだが、そういうまやかしと共にあるのがドイツの原発政策だ。このオーストリアのドキュメンタリー映画を最後まで見ることができず(受付に戻らなければならない時間になったため)上映後の監督とのQ&Aにも参加することができなかったのは、残念だった。

Valley oft he Godsの1シーン

今年最優秀映画賞を受賞したのは私には納得のいかない映画だった。ポーランドの監督Lech MajewskiによるVALLEY OF TH E GODS(神々の谷)(トレイラー:https://vimeo.com/357576802)という映画自体は、私の好みではないにせよ、画像もカメラワークもプロの質で、SFと広大な自然風景、そしてインディアンの神話に興味のある人にとってはきっと興味深い作品だったかもしれないが、問題は内容である。まがりなりにも「原子力・核・放射能・ウラン採掘などに関するテーマを扱い、それらの問題点を明らかにしていく映画を集めた」映画祭のはずなのに、この映画ではまったくそのことがテーマではないのだ。ハリウッド俳優のジョン・マルコヴィッチがナバホ族が神々の渓谷と名付けている聖なる谷でウランを採掘しようとする億万長者を演じている、という設定はあるものの、そしてナバホ族の神話や生活が描かれたりするものの、聖なる谷に眠るウランを揺り起こされようとするナバホ族の葛藤や、それが起こすだろう汚染問題などが描かれるわけではない。なんだか話は(私にはまったく納得のいかない)キツネにつままれたような話で、最後にはキングコングならぬ巨大な赤ん坊が大都市を根こそぎにしてしまうというようなSFになっていくのだが、私にはこういう映画をウラン映画祭で見させられている理由もわからなかったし、それが最初から「大賞」受賞と決まっていたために最終日の最後に授賞式で上映されるわけもわからなかった。しかも、その最後の授賞式での司会の賞授与の理由や監督とのインタビューも実にお粗末だった。

もう一つ、北大西洋条約機構(NATO)の軍隊が十年以上も演習・実験を目的に劣化ウラン弾を投下しているイタリアのサルデーニャで、自分の故郷の問題に向かい合い、観光で賑わうこの島を軍事に利用する悪習に闘う勇気ある市民たちの運動を捉えたLisa Camilloによる映画BALENTES – THE BRAVE ONES:(トレイラー:http://www.balentesfilm.com/abouthefilm)もドキュメンタリー映画賞を受賞したが、私はこの作品は受付で働いていて観ることができなかったので、残念ながらコメントできない。

以上が2020年のIUFFベルリンでのウラン映画祭に参加しての報告である。私がIUFFとの協力関係を今回をもって終了する経過は、別の記事で報告する。(ゆう)[:]

『主戦場』ベルリン上映会 2019

[:ja]今『主戦場』で起きていること

永井潤子さん

ベルリン在住のジャーナリストで、ベルリン女の会の永井潤子さんが、デザキ監督の11月の訪欧の予定を聞いて監督と連絡を取り合ったのがことの始まりだった。準備期間のあまりの短さに、会場探しが暗礁に乗り上げていたところ、私たちSayonara Nukes Berlin(SNB)の有志で新たに立ち上げた平和を考える会が後を引き継いだ。ベルリンでの11月20日の開催日程が確定したのは、9月12日のことであった。

急な申し出にもかかわらず、キャンセル待ちで快く会場を提供していただいたAUSLANDのMarioさんには、この場を借りてあらためて感謝の意を表したい。作品の上映費用が高額であったため、何の後ろ盾もない私たち市民による活動では、例によって限られた資金で十分な機材の揃った会場を探すことが容易であるとは言えない。日本国外の有力紙や日本での報道が過熱する中、20代から30代の若者を中心に、およそ86人の来場者があり、一人でも多くの来場者に観ていただきたいという気持ちが勝り、立ち見はもちろん、冷たい床にも座って鑑賞していただかねばならなくなった。私もその中の一人で、テンポの速い映画に心は駆り立てられながらも舞台袖の床で臀部は冷たい石の様に固まっていた。AUSLANDから入場規制がかかり、足を運んでくださった一部の方には心苦しくも入場を断ることにもなった。また、予定していた英日通訳の方が継続不可能となり、急遽、本来は独日通訳者であるSNBの梶川が代行したことで、彼女にとっても大変な仕事を押し付けることになり、何よりみなさまにご不便をおかけすることとなったことをお詫びしたい。

作品中に登場するのは愛知トリエンナーレの時の慰安婦像(平和の少女像)であり、この展覧会は検閲されてしまったのだが、様々な方々が展示するべきと活動されたので、いったん撤去されたものの最終的には少しの期間展示されることになった。川崎市のしんゆり映画祭でも『主戦場』の上映を拒まれ、その時も愛知トリエンナーレと同様の種類の物議をかもし、作品に訴訟が起きていることから、そうした作品を見せないほうが良いのではないかという議論になった。若松プロダクションによる作品を取り下げる形での抗議や、是枝監督が急遽登壇して声明を発信するなどし、最終日に『主戦場』が上映されている。

デザキ監督からは、裁判の結果は出ておらず、法律上はまだ何も決定していないのに、ただ訴訟が起きているということが理由となって検閲されてしまうことは恐ろしいことではないか。スラップ訴訟というのも危険であるし、アーティストのなかでも、こうした作品に訴訟が起きるということで、委縮してしまうのではないかということも怖いことだと思う。日本では表現の自由がずいぶんと失われてきているのではないか、そういうお話があった。

デザキ監督は現在、テキサス親父ことトニー・マラーノ、そのマネージャーの藤木俊一、カリフォルニア州の弁護士で、日本のテレビタレントであるケント・ギルバート、新しい歴史教科書をつくる会の藤岡信勝、なでしこアクションの山本優美子の5人の出演者(順不同、敬称略)から訴訟を起こされている。11月14日に二度目の公聴会が終わったところだが、彼らは自分たちの発言を、発言していないとは主張できないし、発言を捏造されたわけでもないため、彼らは訴えの理由に、これが商業的な作品になるとは考えていなかったことをあげている。監督は、アメリカでのそうした問題を熟知していることからも、きちんとした契約書を作成して保管していることを自身のSNSでも報告している。4月の日本での公開が始まる前に、監督は出演者らに電子メールを送っている。その内容は、作品が公開されること、その試写会への招待だった。監督によると、テキサス親父のマネージャーは、おめでとう!と言ってくれた。ケント・ギルバートは、宣伝材料があれば自身のSNSで紹介するのでぜひ送ってほしいと言い、監督は何も送らなかったが、彼は実際にSNSで映画のトレイラーを共有し、さらには産業経済新聞社が発行している月刊誌『正論』でも、映画の宣伝をして商業的なことに協力してくれていた。しかし彼は契約書が日本語であったために読めなかったと言っている。もちろん彼は英語版の承諾書に署名している。これから彼は自分をどのように弁護するのだろうか。

これが今、主戦場で起きていることだ。

上映後の主な質疑応答
-加瀬英明(日本会議)は質問に真面目に答えていないのではないか

監督:彼はとても賢い人である。本気だったと思うし、彼は高名な外交官の家に生まれて育ち、何を言っても許される立場で恐れるものがないのだと思う。

-日本の若者は慰安婦について知らないふりをしているのでは

監督:大学の教授たちが学生らにこの映画について話したところ、学生たちも慰安婦問題について十分に知らないことが多かった。作品中でインタビューに登場した若者は、日本の代表的な若者だと考えている。理由の一つに、歴史教育がされていないため、例えば“慰安婦”という言葉も報道でしか知ることができないだろう。

-加瀬英明は日本が戦争で勝ったと言っているが、それも本気で発言したと思うか

監督:彼は、日本は東南アジアをヨーロッパの侵略から救ったと考えている。それで日本が中国や韓国などを植民地化していたとは考えていない。

-韓国と日本の関係がすごくこじれてしまっているが…

監督:安倍首相や歴史修正主義者の発言に対抗するよりも、慰安婦問題を史実に基づいて忠実に伝えようとしている人を応援すること、もちろん自らもそのことを認識し、世界中にこの問題のために活動する人々がいるので、そういう人々に連帯していくことが大事なのではないか。これは日韓の問題であることには変わりないので、当然日韓できちんと話し合っていくほか解決の方法はないだろう。

-元ナショナリストのケネディさんがそういう方だと知っていたか

監督:藤木さんからケネディ日砂恵さんについての話があり、彼女がたくさんのお金を払って調査をさせていたこともそこで聞いた。それで彼女の存在を知り、彼女にコンタクトを取ったところインタビューに応じてくれた。藤木さんの話がなければ、彼女のことを知り得なかった。ありがとう藤木さん。

 

また数々のハプニングに見舞われながらも、鑑賞後に来場者から寄せられた、独英日三か国語によるアンケートには心励まされるものがあったので、その一部を紹介したい。

・感情的な問題をかなり客観的に説明していると思った。
・ドイツ人として、ヒトラーのようなシステムが再びパワーアップするのを見ている気がした。
・非常に重要だ。私たちにはファシズムに対抗するクリティカルな映画が必要だ。
・私は映画を観ながらとても怒りを覚え、考えさせられた。これからはもっとこの問題のために運動していきたい。
・自分の無知を思い知らしめられた。「知っている」というのは言葉として知っているだけであり、内容までは知らないのだと分かった。
・日本ではメディアの規制も多く、正しい情報が得られていないことを強く実感した。
・報道の自由が段階的に失われている日本で、事実に基づいた情報を得るヒントがあればほしい。教科書の改ざんや政府とメディアの癒着から慰安婦問題を知らない日本人が多いのではと感じた。両方の視点から様々な情報が描き出されており、どのようなことが起きているかを知るにはとても良いと思った。
・言葉にならなかった。個人的にこの問題について調べていたので知っていたが、それもよく理解できたのはここ数年の事。知らないということが一番恥ずかしく思う。友人たちにも拡めたいと思う。
・想像していた以上の詳細な資料と映像で、一度観たただけだと頭が整理できなかった。もう一度と言わず何度か今後観に行く。
・情報量が多かったので数回観たいと思った。
・二回目の鑑賞、テンポが早い映画なのでもう一度見る機会に恵まれてうれしい。

(文責Rokko)


『主戦場』上映会でミキ・デザキ監督を同行して

イベントを企画実行するとハプニングがあるのは付き物だが、今回も予定していたフライトでない別の飛行機で別の空港に監督が到着することになるなど、最初からハプニングが待ち構えていた。それでも無事に空港で監督を迎え、今回のデザキ監督ベルリンへの招待で協力関係にあったKorea Verbandが予約しておいたホテルに彼をお連れした。イベント場所での集合時間まで少し時間があったため、会場に行くまで二人で話す時間がたくさんあった。私はそういう意味では、一番彼と個人的に話す時間が長く、それで映画のテーマ以外にもあらゆるテーマについて彼と意見交換をする機会に恵まれたので、得をしたのではないかと思っている。

デザキ監督は洞察力の鋭く落ち着いた分析のできる、明晰かつ気さくで気難しいところのない人だというのが私の印象だ。彼とはもちろん映画と歴史修正主義者や日本のネトウヨの話、慰安婦問題はたまた戦争責任問題に関するあらゆる日本での問題点も話したが、それ以外にも戦時中アメリカにいた日系アメリカ人が体験した問題や、移民問題全体、人類が抱えている差別という問題についてもあらゆる視点から話をすることができた。さらに、彼が5年ほど英語教師として日本に滞在したり上智の大学院に行ったりしていたときに日本の若者と多く接する機会があったことから、日本の教育問題に対しても鋭い批判を持っていることが分かった。私もかねてから日本の教育問題については悲観しているが、彼もこれだけ「馬鹿で無知でいる」ことがクールだとみなされている環境(彼はだから日本人が馬鹿だ、と言っているのではなく、馬鹿げた、難しいことを言わないスタンスを保つ方が格好良いと見なされるということへの嘆きを問題にしている)、政治的社会的に発言しないだけでなく、そういうことに興味を示し、ましてや意見を持つことが「ダサい」とみなされる雰囲気、「空気を読む」能力ばかりが発達する社会になってしまっていることに警鐘を鳴らしている。問題意識を持っている人も、だからこそ意義ある運動をしている人もグループももちろんあるのだが、それが固まって大きな力になっていかないこと、そして若い年代の運動者が生まれず先細りになっていることも、これからはますます厳しくなるだろう、という予想で意見が一致した。ことに、日本では女性差別が世界水準でも149か国のうちガーナやアルメニア、ミャンマーより低い110位(!)であり、優秀な女性たちが、能力を生かす仕事を得られず、活躍できないつまらない日本を飛び出してどんどん海外に行ってしまうこと、それから昔はエリートの中でも1年くらいハーバードなどに行って「箔をつける」ことがよしとされていたのに、今ではそれはキャリアにとって「不利」されているために海外に出る人がどんどん少なくなり、「井の中の蛙」の日本人ばかりになっていることなども嘆き合った。デザキ監督曰く「それでも優秀な人には日本にとどまってもらわなければ日本はますます退廃する」というようなことを言っていて、同感である(そういう私もさっさと日本を飛び出して出てきてしまったので例外ではないが)。

彼からはさらに、彼がどのように日本と接触し始めたかという話を聞いた。彼の両親は70年代にアメリカに移民としてやってきて以来、ずっとアメリカで暮らしている。彼はアメリカで生まれ育ち、男ばかりの兄弟3人の様子だが、ほかの二人は全然日本に興味もなく日本語もほとんどできないという話だった。彼らも私の子どもたちと同様に補習校に小さい時通わされ、しかも彼が行った日本語補習校は帰国する予定の子女を対象としている学校だったため、日本語のレベルもスピードも高く、とてもついていけなくて、母親は毎週のように「子どもをどう説得して連れていくか」が闘いの毎日だったらしい(私の記憶にも新しい)。お母さんは自宅でNHKの放送などを見ているものの、うちでは皆英語で話し(あるいは親が日本語で話しても子どもは英語で答える)、日本に帰るつもりも一切ない、というところで育ってきて、彼自身、最初は日本に興味など持っていなかった。二十歳になって初めて日本に来た時も、上智の帰国子女の入る枠(英語で授業を受けるコース)に1年留学しただけだったので、特別日本語がうまくなったわけでもなかった。彼が日本の政治的社会的問題に興味を持ったのは、英語教師として日本で仕事をし始めてからということだ。

「主戦場」を見れば、彼がどういう経緯でこの映画のテーマを取材するようになったか説明されているのでわかるが、全体を通してこの映画はとても丹念に計算された構造になっていると思う。映画ではテーマ項目別にインタビューを交えながら、慰安婦が何人いたか、とか強制連行はあったのか、または慰安婦は「性奴隷」だったかどうかという核心に迫っていったが、彼は単に意見が異なる人たちの話を客観的に対置して見せたのではない。インタビューの話における矛盾や疑問点をはっきり見据え、その上でインタビューを編集し選択し提示していったはっきりした視線、メッセージ、意見があったからこそ、実際の史実に迫ることができたし、だからこそこの映画は説得力があったのではないだろうか。慰安婦問題をたとえば「数字」の問題にすり替えてしまうことの怖さ、つまり歴史修正主義者からもそこで矛盾を指摘されたり、ひいてはその存在すらも否定されたり、運動家からも事実を「劇的に脚色」するために悪用されたりする、その危険性をしっかり指摘し、同時に河野談話以降、日本の「歴史教科書」がたどってきた展開(つまりいかに日本では子どもたちに史実を伝えない方向に進んできたか)も明らかにしている。そして大切なのは、アメリカの戦後の日本における戦勝国としての影響力、政治的防衛的意味における戦略と、それと切り離せない安倍首相の祖父以来の政治リーダーとの繋がりも明示していることである。映画の最後に彼が問いかけたのは、ほかでもない日本人が「アメリカが始める(始めたい)戦争に参加したいのか」という本質をつくテーマであった。これこそ今、安倍が率いる自民党が願ってやまない「憲法改正」、そして自民党がさらに日本を導いていこうとしているあらゆる思惑を前に、日本人がしっかりと意識して判断しなければいけないことではないのか、そう彼はこの映画を通じて問いただしている、と私は思う。過去の日本軍、日本政府、日本人の行為を史実、証言を通じてありのままを理解し、忘れないよう記憶する努力を進めることが、今後の自分たちの判断、倫理、意識の形成につながるものであることを理解しなければ、私たちはこれからも平気で同じ過ちを繰り返すだろう。映画の中で証言していた元兵士の方が語っていたひどい日本人の当時の倫理や人種差別、女性蔑視、国粋主義は、現在の日本人でも同じようなものではないのか? それは自分たちがやってきたことを見て分析し、理解し、反省しようとする意志と努力があまりにないからではないのか? ドイツでは今でもさかんにErinnerungskultur(記憶の文化)といういい方を使って「ナチスの時代の過ちをはっきりと見据え、記憶し、残すこと」を努力しており、それがドイツ連邦政府の理念であることをことあるごとく強調しているが(それがどこまで浸透しているかどうかは別問題として)、それこそが日本に一番足りない要素ではないだろうか。今の日本政府の沖縄米軍基地問題の対応一つをとっても、この問題は深く繋がっているのである。デザキ監督をベルリンに招くことができて、とてもよかったと思っている。(文責YU)


主戦場公式ウェブサイト:http://www.shusenjo.jp/
Shusenjo official website:https://www.shusenjo.com/


ミキ デザキ:ドキュメンタリー映像作家、YouTuber。1983年、アメリカ・フロリダ州生まれの日系アメリカ人2世。ミネソタ大学ツイン・シティーズ校で医大予科生として生理学専攻で学位を取得後、2007年にJETプログラムの外国人英語等教育補助員として来日し、山梨県と沖縄県の中高等学校で5年間、教鞭を執る。同時にYouTuber「Medama Sensei」として、コメディビデオや日本、アメリカの差別問題をテーマに映像作品を数多く制作、公開。タイで仏教僧となるための修行の後、2015年に再来日。上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科修士課程を2018年に修了。

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2018年国際ウラン映画祭ベルリン

[:ja]2018年国際ウラン映画祭ベルリン(10月9日~14日)

閉会式での記念撮影   Foto: Marek Karakasevic

今年も10月に国際ウラン映画祭が開かれた。去年は松原保監督の「被ばく牛を生きる」と坂田雅子監督の「私の終わらない旅」をドイツ語に字幕翻訳したが、今年は敢えて訳す必要のある日本語の映画はなかったため、私は応募されてきた日本関係の映画を見て推薦することと、ダンスパフォーマンスをオーガナイズするだけにとどまった。オープニングと閉会式(授賞式)だけツァイス大プラネタリウムで、あとは去年と同じくKulturbrauereiで映画上映が行われた。

スペシャルメンションを受賞した森山氏         Foto: Marek Karakasevic

唯一日本からは同志社大学の大学院グローバルスタディーズ研究科で博士論文を書いている森山拓也氏が、トルコに滞在している間に撮ったというトルコの反原発運動がテーマの短編ドキュメンタリー映画「Unsilenced」が出品され、あまり知られていないトルコの市民運動に光を当てたことを評価して「スペシャル・メンション」を受賞した。この短編ドキュメンタリー映画は、安倍政権の売り込みで日本の企業が受注した原発建設に反対するトルコでの反原発運動を、三権分立をなし崩しにしてしまうエルドアン大統領の憲法改正という他人ごとではない政治の右傾化に合わせて取材した作品である。フクシマ事故を起こした日本がやはり地震の多いトルコに原発を建設しようとしていることを日本人として捉え、トルコの反原発デモのシュプレヒコール「沈黙するな、原発に反対」に共鳴し、「黙っていてはいけない、声を出し続けなければいけない」という意味で「Unsilenced」というタイトルをつけた、と森山氏は語っている。だからこそことに日本人にとってはメッセージ性の高いものだ。彼は2016年3月にベルリンを訪れていて、その時にかざぐるまデモに参加してくれたそうである。(彼とのインタビューは文末を参照)

私はかねがね、日本とトルコは今あらゆる意味で類似性があると思っていたが、この映画の中で運動家のある女性がこういう言葉を語っていることが頭に残った:「トルコ人はなんでも『神』に委ねます。すべて、神がいいように導いてくれる、それに任せていればいい、ということで自分の意思でなにかを変えていこうという姿勢がない、それが致命的なのです」言葉は少し違っているかもしれないが、この姿勢も、一神教の強い神はもっていない人が多い日本人だが「お上に任せておけば」「仕方がない」と受け身で、自ら自分たちの住む環境、政治を変えていこう、という人が少ないことに関しては、これも似ていると感じてしまった。トルコでは国民投票でほんの僅かな差で賛成が上回り、憲法改正(改悪)をエルドアンに許してしまったが、そんなことが日本で起こらないことを願うばかりだ。

また日本をテーマにしたものとして、スイス・フランスの監督が製作した「フクシマの半減期(Half-life in Fukushima)」があった。この約1時間のドキュメンタリー映画では、フクシマ原発事故があってすべてを失った農家の男性が、「ここまで失うものをすべて失ったから、もうどうでもよくなった。だから、自分の息子一家はこんな危険な地帯には絶対帰ってきてはいけないが、俺はもう失うものは何もないから、うちに帰るんだ」と言って、線量の高い帰還困難地域に敢えて年老いた父親と二人で帰り、水道さえ繋がっていない孤独な中で、家畜に餌を与え、家族の墓を訪れ、かつての生活がすべて失われた町や森の光景を静かに見守っている松村氏という男性の生活をなんの説明やコメントもなく追った映画である。変な説明や分析が入らないだけ、その虚しさ、やるせなさ、生活や故郷を失うという悲劇が心に沁みる、静かなドキュメンタリー映画だった。

あと特筆したいのは、アメリカが40年代50年代に数々の核実験を行ったマーシャル諸島出身の詩人Kathy Jetnil-Kijinerがその悲劇と核実験の残した傷痕や死の灰の現実を感動的に謳い上げた詩を、圧倒されるような海と空と砂浜の自然の中で読み上げるポエトリー・フィルム、「Anoined(聖別)」だ。ビキニ環礁の壮大で美しい自然の中にまるでSFでもあるかのように建つ、この素晴らしい場所を人の住めない場所にしてしまった放射性廃棄物の墓地とでも呼ぶしかないドームが映る。たった6分の映画だが、とても心を揺さぶる映画だった。

今回は、ウラン採掘と放射能汚染をテーマにした映画が目立った。マンハッタンプロジェクトのためにウラン採掘がポルトガルでも行われたこと、それからグランドキャニオンなど、アメリカ先住民たちの保留地で今、トランプ政権によりウラン採掘が行われようとしていることをテーマにした映画も、その背景が詳しくわかるドキュメンタリー映画があった。ことに、インディアン保留地近くの核実験やウラン採掘計画などは、インディアンに対する差別問題と繋がっていて、とても身につまされるインタビューなどもあった。どこでも核の問題は差別と繋がっている。

また、グリーンランドのウラン採掘計画を扱った映画(Kuannersuit/Kvanefjeld)では今、ウランの採掘計画の賛否をめぐってグリーンランドの住民が真っ二つに分かれているということを知った。原発建設をめぐって住民が真っ二つに分かれる、というのは日本でもよく聞いた話だ。グリーンランドの南部にある原住民の町Narsaqは、世界でも最大級のウランが眠る山のふもとにある。グリーンランドはかつてデンマークの植民地で、現在でも経済的にデンマークに支えられて存在している。それで、デンマークからグリーンランドが経済的にも完全に独立するには、ウラン採掘が唯一のチャンスだと思っている人たちがウラン採掘を支持し、片やウラン採掘が行われたら、その近郊での農業を始め、人々の生活が危険に晒されることになると、自然保護を求めて反対している住民もいる。その二つの議論が平行線をたどっているのだが、こうして賛成推進派と反対派を二分して対立させてしまうのも、核・原子力の特徴なのかもしれない。このドキュメンタリー映画は30分ほどだが、そのほかにもグランドキャニオンやマーシャル諸島などの映像と同じく、圧倒的で神々しい大自然の景色が画面いっぱいに広がり、どうして人はこれを壊し、その内側に眠るものを掘り起こそうとするのか、その底知れぬ人間の欲の大きさに、改めて気持ちが萎えるような感じであった。

マペットのマスコットをもって授賞式に立つ監督二人。  Foto: Marek Karakasevic

今年の映画は一部の短編を除いて、私にとってはドキュメンタリー映画の出来としてはインタビューが多すぎたり、くどかったり、全体的に長すぎたりして去年ほど「これは」と思うものは少なかったのだが、それでも内容としては学ぶことが多く、良心的にこうしたテーマをしっかり扱い、インタビューや調査を続けて発表するジャーナリストがいることをありがたく思うし、同時にこのウラン映画祭の意義を感じた。重苦しくなりがちなこのウラン映画祭の核に関するテーマを、ユーモラスにわかりやすく扱ったことが評価され、マペットショー映画「Freddy and Fuzmo Fix the World」も受賞した。

卓志とマクシム           Foto: Marek Karakasevic
マクシムのパフォーマンス  Foto: Marek Karakasevic

私は今年は映画の字幕翻訳はしなかったが、その代わり10月13日土曜日にはダンスパフォーマンスをオーガナイズした。本当はSNBのメンバーで毎年デモでパフォーマンスをするカズマ(Kazuma Glen Motomura, Bodypoet)が去年から「ぜひウラン映画祭でパフォーマンスしたい」と言っていたので推薦したのだが、あいにく彼は当日ミュンヘンで公演があってベルリン不在、それで彼の代わりに、デモのパフォーマンスでもよく参加し、私たちが主催したProtestivalの時にはWilly-Brandt-Hausでの写真展オープニングの時にカズマと一緒に素晴らしいパフォーマンスをしてくれた皆川卓志君と、カズマの推薦で、チェルノブイリ事故をテーマにダンスパフォーマンスをしているウクライナのマクシムがパフォーマンスすることになった。最初はカズマがProtestivalの時に作った自分の短編動画「Lies & Harmony」を上映し、その後に卓志君が「アベノミクス」をもじりながらAve Mariaを歌ってガスマスクと共に「アベ」を土に葬り、そのあとマクシムがチェルノブイリ事故発生当時の音声を入れたビデオを背景にダンスパフォーマンスをした。合計15分だったが、力強く、評判がよかったので喜んでいる。

映画祭の画面にはSNBのロゴもちゃんと載っています!   Foto: Marek Karakasevic

2018年のウラン映画祭に出品し「スペシャルメンション」を受賞した森山拓也氏に最終日に短いインタビューをした。

 

 

 

 

森山拓也氏とのインタビュー

森山拓也氏(筆者撮影)

―森山さんがどうしてこの「Unsilenced」を作ったのか、経緯を教えてください。

僕はフクシマ事故のあった2011年に初めてトルコを訪問し、それからトルコ語を勉強しに何度も滞在することになりました。日本でもフクシマ事故の後原発問題についていろいろ考えるようになっていて、デモなどにも行ったりしていたので、トルコではどうなっているのか興味があったので、人に聞いたり、調べたりして、だんだん深くトルコの反原発運動について知るようになりました。トルコでは1970年代から原発の建設計画に反対する運動が始まっていたのです。映画は大体2016年に撮影したんですが、フクシマ事故の後、日本がトルコに原発を輸出することに決まりました。それまでに何度もトルコに行き、トルコ語も自由になってきて、グローバルスタディーズを専攻する中、このトルコでの反原発運動を自分の研究テーマとすることに決め、それでインタビューや撮影を始めたので、それがまずこういうドキュメンタリー映画という形になったわけです。

―私はこの映画を見て、フクシマ事故を起こしながらさらに原発を輸出しようとしている日本にとってメッセージのある作品だと思ったのですが、これはもう日本ではどこかで上映されたのですか?

横浜の「横濱インディペンデント・フィルム・フェスティバル」で準優秀作品に選ばれたのですが、残念ながらここでは、優秀作品に選ばれた作品しか上映されないので、実はまだ一般の映画館などでは上映されていません。愛知県のマイナーな映画祭や自主上映会といったところで上映しているだけです。

―森山さんは、2016年にベルリンでかざぐるまデモで一緒に行進してくださったとのことですが、Sayonara Nukes Berlinに対して一言メッセージをお願いします。

フクシマの事故が起こってから、日本でも反対運動は広がったと思います。今でも毎週金曜日に集まっている人たちがいます。でも、日本での一般市民の現状はあまり世界では知らされないことが多いと思います。報道されるのは国、政府の政策や企業の進出、プロジェクトなどで、市民がどのように反対したり、行動しているのか、あまり聞かれない。それで僕も、政府や役人、企業の言っていることではなくトルコの市民の意見を聞きたくて、取材をするようになったのです。だから、Sayonara Nukes Berlinにもそういう日本の市民の実際の姿や意見をドイツでも伝えていってほしいと思います。

上映した作品よりも前に作成した、5分間の短編がオンラインで視聴できるようになっています。映画祭上映作品とはバージョンが異なりますが、興味があればどうぞご覧ください:

https://vimeo.com/180398868

(ゆう)

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第6回 国際ウラン映画祭ベルリン2017

[:ja]2017年10月11日から15日にかけて、ベルリンのKulturbrauereiの映画館で、ベルリンでは第6回目になる国際ウラン映画祭が開かれた。今年はそのプログラムの一環としてツァイスのプラネタリウムで協賛団体である
ドイツIPPNWが「世界の被ばく者」というパネル展示会を催し、そこで数本の短編映画も上映されるというおまけつきだった。

私はベルリンに来てからこのウラン映画祭を何年も一般の観客としてみてきたのだが、これからは積極的に応援していきたいと思ったのは、核・原子力・放射能を巡る問題だけをテーマにした映画(ドキュメンタリー、劇映画、アニメ、短編長編すべてを含む)を集めた世界でも稀なる映画祭があることにとても感銘を受けただけでなく、実際に私も知らなかったあらゆる世界での核に関する問題を提示され、勉強させられたことが少なくなかったからだ。同時に、広島・長崎やフクシマをテーマに、日本だけでなく世界中であらゆる映画が作られ、紹介されてきている。まだドイツでは紹介されていないものも多く、いい作品をここで紹介する橋渡しができるのではないか、翻訳などで協力することができるのではないか、と思っていた。また、去年Sayonara Nukes Berlin(以下SNB)がProtestivalでいろいろイベントをしていた時、ウラン映画祭でもチェルノブイリ30周年を記念したイベントを催したのだが、その時にSNBの代表として私をパネルディスカッションに呼んでくれたことをきっかけに個人的な交流が始まっていたことから、今回のベルリンでの映画祭にもっと強く関わることとなったのである。

でも、私が参加することを決定した理由は実は、もう一つある。去年「最優秀賞」をこのウラン映画祭で受賞した、フクシマを(一応)テーマにしたドキュメンタリー映画を見て、非常に失望したことだ。こんな映画に賞を上げるのか!と憤然としたくらいだった。あまり失望したのでそのことはその授賞式の際、監督とのトークで私は自分の意見も述べたくらいなのだが、この映画ではフクシマの問題というよりは、イタリア人のジャーナリストが個人的に菅直人(以下すべて敬称略)と親しいらしく、なんだか菅直人がそこで「ヒーロー」のように扱われており、そこで菅直人が自宅でくつろぎながら話している内容は、私たちにとってはまったく新しいことでも何でもないのに(これに関しては菅直人は本も出版し、それがドイツ語にも訳されている)、それをあたかも「スクープ」したかのように報告しているドキュメンタリーになっていることに私は面食らったのだった。それで、あまりに日本の事情を知らない人たちが映画を選んでいるからこういうことになるので、これは、もう少し日本のことを知っている人が映画祭のチームに入らないといけないのではないかと思ったのが、私の正直の気持ちだったのだ。

それでSNBとして、日本の映画の紹介に関して援助できることがあったらしたい、という申し出をしたところ、彼らも大変喜んでくれ、それでSNBが協賛団体として参加することになったのは、SNBのミーティングでもいつか報告したとおりである。

Aya Domenig作「太陽が落ちた日」
坂田雅子作「私の終わらない旅」

去年のウラン映画祭後から、2017年の準備に関わるようになり、それまであまり充実していなかったホームページの日本語版を少しずつ訳し始めたり、フクシマをめぐる映画、または日本の監督の作品を推薦してほしい、という要望に応え、新しい映画ではなかったが、私たちがProtestivalでも上映し、素晴らしかったAya Domenigの映画「太陽が落ちた日」と、その前にACUDでSNBが上映した坂田雅子の「私の終わらない旅」を推薦し、彼らに応募してもらって、この二作が上映される運びとなった。

松原保作「被ばく牛と生きる」

また、私とは別のルートで、フリーでドキュメンタリー映画監督、カメラマンとして活躍されている松原保が、「被ばく牛と生きる」というフクシマ事故後、被ばくした牛たちを殺さずに飼い続ける畜産農業に携わる人たちを巡る感動的なドキュメンタリー映画を応募したことを知った。坂田雅子とは二年半前にベルリンで会ってから、個人的に親しくさせていただいていることから、「いつかドイツ語の字幕が作りたいね」と話していたこともあったので、この機会に、ベルリンで上映される時には、やはりドイツ語の字幕があった方が観客には理解されやすいので、字幕を作ることとなった。

また、「被ばく牛と生きる」は、日本語版と並んですでに英語版が出来ているのだが、これも映画祭の方から、できればドイツ語訳を作ってほしいという希望があったので松原監督とコンタクトを取ってスクリプトをいただき、翻訳することになった。二作とも長編の映画で、ナレーションやインタビューシーンが多いため翻訳するテキストは多く、大変な作業ではあったのだが、私にとってはとても勉強になり、そしてやりがいのある仕事だった。もちろん、ドイツ語が母国語でない私は、翻訳を最終的にはいつものように大切な友人Annette Hackにチェックしてもらった。この二作の翻訳を仕事の傍ら完成させたのが9月の頭くらいである。私が関わることになった映画の翻訳を仕上げる上でAnnetteが気持ちよく協力してくれたことにここで改めてお礼を言いたい。

プログラムができ、今回は合計で27本の長編・短編映画が上映されることとなった。今年はブラジルのゴイアニアで起きた放射能事故からちょうど30年前になることから、それをテーマにした映画が多く上映されただけでなく、その記録写真展が展示され、生存者の一人で被害者グループの代表として活躍しているOdesson Alves Ferreiraが来独してその話を語った。そのほか、上映作品の監督が何人も訪れ、その作品の上映後には監督トークが行われた。松原保・坂田雅子両監督もこの映画祭のためにベルリンに来独したので、ここでは通訳を務めた。

このウラン映画祭は、リオデジャネイロに住むドイツ人のジャーナリストであり、自分でもかつてゴイアニアの放射能事故に関する映画を作ったこともあるNorbert Suchanekが2011年に始めたもので、翌年の2012年からはベルリンでも毎年開かれている。私が最初にこの映画祭に注目し始め何本か映画を見に行ったときは、私を入れて二人か三人ほどしか観客がいないようなこともあって、Pankowの映画館で寂しい思いをしたものだが、ベルリンのオフィスを代表して一人で奔騰しているJutta Wunderlichの努力の甲斐あって、去年くらいから規模が少しずつ大きくなってきた。協賛団体も増え、公的な団体、国会議員やベルリン市議会議員なども「後援者」となるほか、スポンサーができたことから、場所もKulturbrauereiの映画館という、町の中心に移ったし、プログラムも充実してきた。イベントを計画して実行に移し、運営することの大変さを、私も去年のProtestivalでいやというほど実感したが、それを続けていくことの意義を思って7年間映画祭をあらゆる困難を顧みず続けてきた人たちの尽力は素晴らしいし、また、SNBのようにそれを協力する人たち、団体たちも増え続けているのはうれしい。私は個人的にも映画が好きで、ことにこうした社会的、政治的テーマをたくさんの市民に訴えていくには、映画という媒体は適していると常々思っているからこそ、これまでもSNBで数々の映画を上映する努力をしてきたわけだが、それで今回からウラン映画祭を積極的に応援できることになって、私としては、自分の興味のある部分、能力を生かせる部分で運動を続けていく、ということがこういう形で実現できるのはうれしいと思った。

SNBのステッカーを手に授賞式で話をする松原保氏
受賞したトロフィーを持つ松原さん夫妻と私

最終日には数本映画が上映された後、賞の発表があった。最優秀賞に今回選ばれたのは「ムルロアから愛をこめて」という、フランスが行った一連の核実験で被ばくした元兵士や軍務関係者をレポートしたフランスのジャーナリストLarbi Benchiha監督のドキュメンタリー映画だった。短編映画最優秀賞にはブラジル・ゴイアニアの放射能事故をテーマにした劇映画Algo do que Fica (Something that remains)が選ばれた。それから今年は特別にBerlin Audience Awardというのが作られて、松原保監督の「被ばく牛と生きる」が受賞した。ジャンクアートを製作するブラジルのアーティストGetúlio Damadoが一つ一つ手作りする賞がそれぞれ手渡されるのだが、私は松原監督に賞を渡す役を引き受け、その時にSNBからのプレゼントとしてエコバッグとNo Nukesのステッカーを数枚贈らせてもらった。その時には舞台でばっちり、SNBが毎年かざぐるまデモを行っていることも宣伝してきた。

授賞式で

外で見ているのと、実際に運営に参加するのとでは大きな違いがあることは当然だが、成長しつつあるこの映画祭にもまだまだ改善の余地が多分にあることも分かった。賞を渡すのは意味のあることかもしれないが、数名でスタートさせた当時よりずっと規模も大きくなった映画祭では、Juryのメンバーも明記して、透明性を持たせるべきだし、今回は一つ一つの映画に「Filmpate」というのを設けて、俳優や舞台監督などにそれぞれの映画を推薦させる、というふうにしたのはいいが、それがあまり効果的に使われなかった(何のためにその人がいるのかわからないなど)、司会や進行などでも「素人的」な発言などが目立ってしまった、監督とのトークなどでも、司会がある程度リードしないと、誰かの発言が長くなりすぎてしまうなど、そばから見ていて気になるところはいくつかあった。

あまり「プロフェッショナル」になりすぎて大げさだったり尊大になったりするのはもっと嫌だから、そういう意味では「素人的」な部分があるのはいいのかもしれないが、こうしてたくさんの人を集めてイベントを行う以上、ある程度の枠は維持しないといけないように思った。でも、SNBでもデモの後、毎回「反省会」をしていることを伝え、この映画祭でもしようと呼び掛けたところ賛同を得、さっそく今週ウラン映画祭ベルリンスタッフで集まって反省会を行うことになっているので、いろいろ話し合い、来年は今年気になった部分を改善した素晴らしい映画祭が開けるよう、私も自分のできるところで努力したいと思う。私は、松原ご夫婦と知り合いになってお話がいろいろできたのが楽しかったし、今次のドキュメンタリー映画(ドイツの脱原発、エネルギーシフトをテーマ)を製作中の坂田雅子を手伝ってインタビューの通訳をしたりして、また充実した時間が持てたので、けっこう疲労はしたが、受け取ることの多い濃厚な時間だった。いい作品を紹介することで、ベルリンの市民に、核・原子力の恐ろしさ、核の鎖を断ち切る以外にないのだということを改めて考えてもらう機会を作ることに貢献できたことを喜びたい。これからも、SNBが「この作品はぜひベルリンでも紹介したい」というような映画があれば推薦し、ウラン映画祭で見られるようにしていければいいと思う。(ゆう)


国際ウラン映画祭 サイト:http://uraniumfilmfestival.org/de

日本語サイト:http://uraniumfilmfestival.org/ja

『太陽が落ちた日/ Als die Sonne vom Himmel fiel』 公式ウェブサイト(英/独):http://www.alsdiesonnevomhimmelfiel.com/

『私の終わらない旅』 公式ウェブサイト(和/英):http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/

『被ばく牛と生きる』 公式ウェブサイト(和/英):http://www.power-i.ne.jp/hibakuushi/

 

 

 [:de]Sayonara Nukes Berlin war 2017 Kooperationspartner des International Uraniumfilmfestivals(IUFF) Berlin und hat für wichtige Dokumentarfilme aus Japan stark gemacht. Dieses Jahr wurden drei Filme aus unserer Empfehlung gezeigt mit deutschen Untertiteln, ein Dokumentarfilm von Tamotsu Matsubara “Leben mit verstrahlten Rindern” hat einen Preis bekommen. Hier ist der offizielle Bericht vom IUFF Berlin, den wir hiermit mit ihrer Erlaubnis veröffentlichen:

 

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沖縄映画の夕べ「標的の村」上映会の報告

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Sayonara Nukes Berlin(以降SNB)はこれまで、フクシマ原発事故をきっかけに反原発・核問題だけを扱い運動するワンイッシューのグループだったが、最近ことに安倍政権になってからあらゆる問題が日本では悪化し(それは日本のことだけではなく世界中の傾向ではあるが)、特定秘密保護法問題、憲法改悪問題、共謀罪、辺野古を始めとする沖縄の基地問題など、黙っていられない事態がどんどん出現している。ことに日本における基地の問題は、ジャーナリストの矢部宏治がその著書「日本はなぜ『基地』と『原発』を止められないのか」でもその本質を言い当てているように、根本的に通じる部分が多い。日本の戦後70年来の米国隷従の歴史が、この基地問題と原発問題に端的に集中して現れていると言っても言い過ぎではない気がする。そういう意味で、SNBとしてこの複雑で、よく知られていない沖縄の歴史をおさらいし、どういう問題を日本は抱え、どのような悲劇を沖縄の人たちが戦時中からずっと日本政府により与えられ続けてきたのか、勉強していく必要がある。

そこで、去年沖縄に行って、基地問題を現場で体験し、勉強してきた絆ベルリンの会長でありSNBでも活躍している福澤啓臣氏と、かつて長く沖縄に滞在し、現地での運動に参加してきたSoRAさんが中心になって、SNB初のArbeitskreis Okinawaを立ち上げた。彼らはすでに春、デモの後沖縄の勉強会を催したが、私はちょうど日本に行っていたため、参加できないでいた。

5月になって、ぜひ話題のドキュメンタリー映画「標的の村」の上映会を開きたいと、福澤さん、SoRAさん、私で集まって相談し合った。SoRAさんが調べた結果、この琉球朝日放送制作、三上智恵監督の映画は上映権がなんと6万円もかかることが分かったため、この費用を調達するため、まずSNBがかつて二度も支援金をいただいたSelbsthilfe Netzwerkに依頼してみることとなった。申し込み締め切りまでに時間が数日しかなかったのだが、福澤さんがどうにか説明文と予算明細を出して申し込んだところ、上映権費用、会場費用、フライヤー等の印刷費用として計700ユーロを支援してもらえることとなった。また、ベルリン在住のY氏も主旨に賛成して、そのために寄付をしてくれた。

ということで、上映料が高いため、だめかもしれないと思っていたこの映画が思いがけず上映できることとなり、まずはその映画上映にふさわしい場所を探すこととなった。2年前に坂田雅子さんの「私の終わらない旅」を上映した映画館ACUDに問い合わせたところ、予定の日程でそこの映画館も借りることができ、ちゃんとした映画館で上映ができる運びとなったのは、うれしい限りだ。今年になってSNBの集まりに出席するようになった緑さんがこのArbeitskreis Okinawaでは全面的に協力してくれ、彼女がポスターやフライヤーのデザイン・レイアウトをしてくれただけでなく、会場に張り出す、沖縄の地図や簡単な説明、写真をレイアウトしたすばらしいInfotafelパネルを作成してくれた。また、福澤さんが上映に伴い、ドイツではあまり知られていない沖縄の歴史と基地闘争の背景を簡単に説明することにしたので、その説明文のネイティブチェックを、緑さんの友人のFriederikeさんに引き受けてもらった。こうして、「日本人の内輪の集まり」ではなく、ベルリン市民を対象としたOkinawa Filmabendの構想が温まっていった。

Face Book(以降FB)やその他のネット情報でイベントの宣伝をし、フライヤーを配ったりポスターを貼ったりはしたものの、実際にどれだけ人が集まるか、蓋を開けてみるまではわからない状態だった。FBで来る、と言ってくれていた人たちがかなりいたそうだが、FBをしない人もいるので、最後まで不安はあった。ところが、ACUDの映画館は定員が約80名だったのが、入場開始前の6時半頃よりどんどん人が入り始め、7時ちょっと前にはもう座席が 満員となるほど、入場数を数えた。それからもさらに入場者が訪れ、 7時を過ぎた頃はもう階段など、床にも人が座って満員状態になり、これ以上は人を入れることはできない、ということになったほどだ。おそらく100人は入っていたと思う。イベント開始後も会場に入らず、外で待機してくれていた人たちの話では、始まってからもさらに人が来て、断らなければならなかったのがさらに30名近くいた模様だ。来場者の85%は日本人ではないベルリン市民(ドイツ人を主とする)だったことも、私たちはとてもうれしく思った。急に暑くなった日で会場内は定員を超す人数のため蒸し暑く、決して快適ではなかった。

7時20分ごろ、私がSNBの名で挨拶をし、Netzwerk Selbsthilfeにお礼を言い、簡単に映画監督などの説明をしてから、福澤さんにバトンタッチした。約20分ほどの福澤さんの説明の後、映画上映を開始した。

映画は私も初めて見たが、素晴らしいものだった。高江の人々はただ、自分たちのすばらしい自然の中での自分たちの生活を続けたいだけなのに、それができないため、運動をせざるを得ないこと、その運動が彼らの生活の中心にならざるを得なくなっていることが改めて理解できた。オスプレイがどれだけ彼らの生活を脅かしているかについても、私のこれまでの認識は甘かった気がする。自分たちの土地が米国の基地に奪われ、平和な生活を脅かされるゆえ、非暴力で抵抗運動を続けざるを得ない彼らを、日本政府の権力が暴力(物理的な暴力と司法を使った暴力)で踏みにじり、市民を守るどころか市民を裏切り続け、痛め続けるその姿があまりにひどく、高江の人たちの悔しさ、悲しさ、情けなさが身に迫って、私も何度も涙ぐんでしまった。また、ベトナム戦争での兵士の訓練のため作られた「ベトナム村」 で高江の人たちが標的のベトナム人にさせられてきたことなど、私は全く知らなかった。今、高江の人たちが、高江の村の真ん中にヘリパッドを作る理由は、高江の村を仮想の標的とすることで練習しているに違いないと思っているのは、当然だ。それがどんなに屈辱的であり、かつ恐ろしいことなのか、日本人のほとんどは知らないし、それを沖縄の人たちに押し付けて平気できた私たちの罪をもっと意識しなければならないと思った。この映画を上映することができて、本当によかったと思う。

沖縄の伝統的なぶくぶく茶

映画は91分、蒸し暑い館内であるにもかかわらず、ほとんどの人たちが最後も残り、質疑応答に参加し、アンケートにもこたえ、そして解散後も館内で泡盛やぶくぶく茶(これはベルリンのお茶屋さんMachaMachaに勤めるYumiさんがドイツの日本茶大使に任命されてはじめて私たちの上映会でお茶をふるまう運びとなった、沖縄の伝統的なお茶)を飲み、パネルを見ながら、たくさんの方たちが意見交換や話し合いに残ってくれたことは、有意義だった。

アンケートの集計総数は78枚、ご協力いただいたみなさんありがとうございました

質疑応答では、「沖縄の人たちは北朝鮮のミサイル発射などの状況下で、米国に守ってもらっているような気持ちはあるのか」とか、「韓国にも米国の基地があり、そこでも反対運動があるが、彼らとの交流はあるのか」、などの質問があった。また、沖縄が独立した国家であったのを、日本が占領し、さらに第二次世界大戦敗戦後、米国に占領されてきた歴史について知らなかった人たちが多いので、説明は必要であったことが分かった。ドイツも同じ敗戦国として米国の基地問題を抱えているので、意識を持っている市民も多いし、この沖縄の歴史(それはもちろん、日本の恥ずかしい歴史でもある)が抱える特殊性についても理解してもらえたと思う。

SoRAさんが用意した高江のグッズ(Tシャツ、布巾等)、緑さんの作成したバッジ、SNBのグッズの売り上げ、そして上映会に対するカンパ金は合計で261.32 232.65ユーロだった。これはどちらも合計して、SoRAさんに日本に持って行ってもらい、日本円に換金したうえ、高江の活動に寄付したい。(※グッズの仕入れ費用が寄付金の合計額にまじっていたため、7月19日の最終会計報告書に基づき一部の金額を修正しました)

世界中であらゆる問題が噴出している今、そして日本でも共謀罪がひどい状態で可決され、さらに沖縄・辺野古の新基地建設に関しても、翁長知事を始めとする沖縄市民の感情を無視し逆なでしてどんどん埋め立て工事が進められるなど、事態は悪化する一方だが、それでもベルリンでこの沖縄の問題をテーマにしたイベントを行い、これだけ動員することができたことにSNBのArbeitskreis Okinawaとしては大変勇気づけられた。とにかく、市民が一人でも多く目を覚ますこと、問題を意識すること、理解することが世の中を変えていく第一歩だ。これからもあきらめずに私たちのできる立場で運動を続けていきたいと改めて仲間同士で言い合った夜となった。(ゆう)[:]

Protestival Filmfest「カリーナの林檎ーチェルノブイリの森」 in ベルリン

[:ja]Protestivalも最後にさしかかった4月23日(土)、『カリーナの林檎~チェルノブイリの森』上映会を行った。

Kalina's apple
公式サイトより

そもそもこの映画をProtestivalで上映することになったいきさつは。。。

続きを読む Protestival Filmfest「カリーナの林檎ーチェルノブイリの森」 in ベルリン

Protestival in Leipzig

[:ja]

Protestival in Leipzig

ベルリンから南東へ200km離れた所にライプツィヒはある。バッハ、ゲーテ、メンデルスゾーンゆかりのある有名人をあげれば数知れず、現代でもライプツィヒは第二のベルリンと言われる文化的に自由な雰囲気を持っている。

チェルノブイリから30年、フクシマの事故から5年ということでこの問題についてより多くの人に再度考えて欲しい、そんな思いからベルリンだけでなくライプツィヒでも上映会を開くことになった。今回はこの街で行なわれた小さな上映会についての報告である。

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4月1日、幸か不幸か最高の天気に恵まれ幕を開けた Protesival in Leipzig。

一日目のプログラムはライブペインティング、グリンピースエネルギーからヨーロッパの原子力発電所の具体的な現状の紹介、そして二本の映画にディスカッション。

会場準備と共に始まったライブペインティング。ライプツィヒ在住の三人のアーテイストによるコラボレーション作品。三人で一つの絵をゼロから成っていく工程は芸術家の感性と遊び心を見せていた。芸術に言葉は要らない。だからこそ、芸術は世界を繋ぐ一つの手だてになる。

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※ 下に完成版が載ってます

まずはグリーンピースエネルギーからの話から始まる。

R0019900ドイツでは2020年まで原子力を止めることは決まっているが、放射線を出し続ける放射能廃棄物の最終処理場の問題は未だに片付いていない。ドイツのすぐ横には原発大国フランスを始めとし、近隣諸国のイギリス、チェコ、スロバキア、ポーランドを始め新しい原子力発電所の建設予定もある。再生可能エネルギーへ転換を図りEUを牽引していくドイツ国民はこの状況に対してどう取り組むべきなのか、またそれに伴う経費についても事細かに話しがあった。この問題は一つの国家の問題として捉えるべきではない、EUという連合体、つまるところ世界的な視野を持つことによって見え方も対応も変わっていくことのだ。アクチュアルな問題である避難民の問題含め様々な問題を抱えるドイツだが、原発についてはそれぞれが意識的に続けていかねばならない。彼はそのことを強調していた。(放射能廃棄物についての問題はこちらをご覧下さい→http://midori1kwh.de/2012/03/11/1512)

上映開始予定16時になっても、空からは春の暖かい日が差し込み、映画を見に来てくれた人も外で太陽の光を浴びたいから上映時間を後にしてくれないかと言われる次第。私自身も公園でごろごろしたいなと思ってしまったが、それは諦め予定通り上映を開始した。

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春のこの時期は多くの人が太陽と共に春のを訪れを実感する。

R0019903一本目の映画〈カリーナの林檎

一本目の映画はある物語〈カリーナの林檎〉。チェルノブイリ近くの街に暮らすどこにでもいる少女についての話で最終的に内部被爆をし病気になる。もし自分の子どもや未来の子どもがそんな目にあうことったらと思うだけで原発にはうなずけない。笑顔でいれば放射能は無くなる。そう言っていた政治家にはこうなることは想像できないのであろうか。翻って今の日本で行なわれている避難区域解除に対して疑問が生まれてくるのも当然ではなかろうか。ただちに影響はありませんでは困る。何かが起きてからでは遅いことだってあるのだ。

一本目、二本目の映画の間には30分程の休憩があり、愛のこもったおにぎり三種(トマトライス、ツナマヨ、タケノコ炊き込みご飯)に卵焼きに白菜の浅漬けもあった。味も見た目も大好評であった。

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二本目の映画〈首相官邸の前で

空も段々と薄暗くなりはじめ、二本目の映画〈首相官邸の前で〉の上映時間。2012年におきた首相官邸前での反原発デモのドキュメンタリー映画。『私はこの映画で楽観主義を広めたいのです。』ベルリンでそう語った監督のメッセージが表した言葉の通り、私はこの映画を見て勇気と希望を頂いた。デモを始め社会活動をほとんど知らずに育った私たちの世代。私たちにも上の世代からバトンが回ってくるし社会に対して責任はある。だからこそそれぞれが学び続け、社会に対して意見を持てるほうがいい、それが民主主義の前提でもあるのだ。

上映後にはこの映画監督である小熊英二氏とのSkypeでのディスカッションが実現した。最後まで残ってくれたのは10人(メンバーも含めて)。人数が少ないことがプラスの効果をもたらし、リラックスした雰囲気でディスカッション(というか座談会。。。)は進行した。現在の日本の市民活動の状況についての話、そして今回の小熊氏の2ヶ月間の映画上映とそれに伴う大学巡業を通してフランスとドイツの学生達の比較も含めたざっくばらんな質問や感想も聞くことができた。

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『20万もの人が首相官邸の前にいながらなぜ報道が少なかったのか、独立しているジャーナリストは何をしていたのか』という会場からの質問に対し、氏の回答としては日本には過去30年近くそういう事が起こっていなかったためそういったことを報道することに慣れていなかったのではないかと言っていた。それが理由だとしても、ジャーナリズムやジャーナリストを育ててこなかった日本の教育の問題点にも疑問が浮かぶ。

『ドイツから学ぶものはあるか』という質問に対しては彼は“地域、共同体の繋がりの強さや関わり方“を挙げられた。

その回答には私も同様のことを思っている。ライプツィヒでもベルリンでもそのような横の繋がりをよく感じる。縦の関係は時に対等であるべき討論を難しくする。上の人が常に正しいなんてことは無いからこそ、何かを決めるときには縦の関係をできるだけ排除して考えるべきだし、上の人も下の人の意見に耳を傾けるべきである。そしてもちろん下の人も上の人の意見には批判的に考えるべきである。そういう上限関係を抜きにしてこそ、地域や市民の運動はより優れたものとなっていくのではないかと思う。

※この企画当初からこの映画監督の小熊氏とはライプツィヒにきてもらうため何度かメールをさせて頂いた。その柔らかい対応と、実際に見るエネルギッシュな姿から学ぶことはたくさんあった。翌日に日本に帰るという強行スケジュールにも関わらずSkypeで対応してくれたこと、この場を借りて感謝の気持ちと敬意を述べたい。

二日目、プログラムはご飯の会に映画に音楽。

当日は日本の家で毎週土曜日に開かれる『ご飯の会』があった。『ご飯の会』は誰もがお客さんであるが手伝いたい人は下ごしらえから参加できるので言い換えれば手伝える炊き出しである。この会はライプツィヒではけっこう知られていて多くのお客さんを集める。ご飯に対して払う料金は自分で決めれるのでお客さんはお金のない学生、ホームレス、アナーキスト、ヒッピーのたまり場にもなっている。(もちろんジャンルに入らない人も多い)  今回は日本の家に来る常連さんが中心の国際色豊かなバンドによるジャムセッションあった。そのためもあって会場は大入り状態で準備した食べ物はみんなの胃の中に消えていった。(日本の家の活動についてはHPを見て欲しい→http://djh-leipzig.de/ja) 

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ご飯の会の料理は基本的にベジタリアン 野菜は財布にも健康にも良い

この日唯一の上映作品、〈太陽が落ちた日〉。原爆と原発、原爆の記憶や経験を持っている人が今の社会をどう見るのか。映画が終わったときには会場からは大きな拍手に包まれた。いいチョイスをした、日本について知らなかったし勉強にもなった。そんな言葉を数多く聞けた。これは是非多くの人に見てもらいたい。

映画のもたらした静かな会場雰囲気の中、音楽が始まった。目で見る芸術とはまた違う表現方法である。だからこそ音楽の感想を事細かに書くことはできないが、会場の雰囲気にあったいい時間であった。

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アンコールが響く中、Protestival in Leipzigは幕を閉じた。

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会場の雰囲気は最高に緩やかだった

次へ向けて

イベントのテーマは反原発で、この問題に対して『反対!』と叫ぶ事は大事だ。しかしそれよりも、未来に対して楽しい明るいイメージを持つことは重要でこういう場を持って、自分の考えを持つべきである。その意味では今回の活動が文化活動と結びついたことは何より嬉しい。なぜなら文化こそが、国や言葉を超えるものになり得るからである。グリンピースエネルギーが述べていたよう、この問題はどんどん複雑化し規模が大きくなっているのだ。それはもはや一つの国のテーマにすべきものではない。一つの社会で起きたこと、起きていることを通しそれぞれがこのテーマについて何か話をし記憶に留めてくれていれば幸いである。

私が今回思ったことは社会活動の難しさはもちろん重要性と素晴らしさである。(Wikipediaによると社会活動の定義は、社会の為に貢献するもの) こういう一つの活動が繋がりを生む。たくさんの感謝や嬉しい気持ちが自分を動かしまた誰かを動かす。それが街や人を活動させることの一歩であろう。

このことも含め私は多くのことを学んだ。だからこそこれからも小さくても何か繋がりを生める様な活動を続けていきたいと思う。

 

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Nuclear energy is for future???
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当日のライブペインティングの作品

今回ペインティングしてくれたアーティストのFacebookファンページ→ https://www.facebook.com/andecian?pnref=story

そして日本の家のご飯の会の特別ムービー!

 

 

上映作品の予告編集

・カリーナの林檎→https://www.youtube.com/watch?v=KypJEW7YBtg

・首相官邸の前で→https://www.youtube.com/watch?v=EFjsarBPAZ8

・太陽が落ちた日→https://www.youtube.com/watch?v=SXuGWRtio1g[:]

『首相官邸の前で “Tell the Prime Minister”』

[:ja]3月18 (金) AUSLAND にて、小熊英二監督のドキュメンタリー映画『首相官邸の前で “Tell the Prime Minister”』の上映会を行いました。

はじめに、この日の60名を越える来場者の皆さんに、心からの感謝を申し上げます。

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映画の内容についてはネタバレの恐れがあるので言及は避けたいと思いますが、まずこの映画を鑑賞した後、監督である小熊英二さんによるアフタートークの時間が設けられました。これがまた、皆さんとても活発に質問されていて、挙手が絶えない時間となりました。 続きを読む 『首相官邸の前で “Tell the Prime Minister”』

坂田雅子監督を迎えて。「わたしの、終わらない旅」上映会

[:ja]ドキュメンタリー映画、「わたしの、終わらない旅」の上映会が6月2日、Sayonara Nukes Berlinの主催で行われ、ドイツ人、日本人など約60人が参加しました。

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あいさつする坂田雅子監督

映画の概要を紹介します。

2011年の福島第一原発事故後、坂田監督は母、坂田静子さん(故人)が1976年ころから反原発運動を続けていたことの意味に気づきます。そして、兵器と原発の2面性を持つ「核」について、フランス、マーシャル諸島、カザフスタンを巡り、そこで核実験と原発によって翻弄された人々を映し出しました。

映画を見る参加者
映画を見る参加者

フランスでは、日本の使用済核燃料が2950トン処理されたラ・アーグ再処理工場やANDRA(国家放射性廃棄物管理局)周辺で放射線検査をするACRO(放射線モニターNGO)の活動を紹介します。ACROの会長は「ラ・アーグの最大の汚染源はお金だと言われている」と話します。

アメリカの核実験が1946年から58年まで67回行われたマーシャル諸島。そのうち23回はビキニ環礁で行われました。実験のためにビキニを離れなければならなくなった島民は今も帰島できないでいます。1960年後半、アメリカの原子力委員会は「ビキニは安全、帰島できる」と発表し、72年から帰島開始、「何を食べても安全」と伝えられました。その後、多くの人が亡くなり、「これ以上住むのは危険」と再び島を離れなくてはなりませんでした。

1949年から89年まで470回の核実験が行われた旧ソ連、カザフスタン・セミパラチンスク。150万人が影響を受けました。実験場跡地の東に位置するセメイ市の病院ではガンの発症率が高いこと、若い世代の免疫力が落ちていることが指摘されました。実験場跡地、1万8千平方キロメートルの4分の1は除染され、4千平方キロメートルが農地にしても安全といわれています。旧ソ連時代、核開発が行われたクルチャトフ市の市長は「わたしたちは次世代の原発を開発しつつある。原爆と原発は別物なのです。きちんと管理していれば原子力はもっとも環境に優しいのです」と語ります。

1953年、国連総会でアメリカのアイゼンハワー大統領が「原子力の平和利用」についてスピーチをしました。その後、1954年3月1日に第五福竜丸の乗組員たちが水爆ブラボーの実験で被曝しました。日本では原水爆禁止運動が盛り上がりますが、平和利用へのキャンペーンが張られていきました。第五福竜丸の乗組員だった大石又七さんは「ビキニ環礁事件が起きたとき、みんなで勉強し考えていれば日本に54基もの原発はつくられなかったのでは」と問います。フランスの元原発労働者が「それが人を殺すことを知りながら、家で原子力の電気を使うのか」と語った言葉が胸に突き刺さります。ビキニの人たちが島の美しいメロディーに合わせながら歌います。「わたしたちの島と生活は奪われた」。

1995年のもんじゅナトリウム火災事故隠しに対応して、1996年に開催された第2回原子力政策円卓会議には坂田静子さんが市民代表として出席していました。「原子力基本法、つまり国策を見直すべきではないか。国策も誤ることがあります。わたしたちの世代は身をもってこれを経験しました」。

この映画に出てくる核の被害を受けた人たちの姿を通して今の日本、フクシマが見えてきます。

「終わらない」のか「終わらせるのか」はわたしたち市民にかかっているのだと感じさせる映画でした。

上映後は坂田雅子監督への質疑応答もあり、活発な意見が交わされました。かいつまんで以下にご紹介します。

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監督に質問する参加者

-日本の現状、脱原発の現状について

監督:反原発、原発ビジネスなど立場によって言うことが異なり、一人ひとり、掘り下げないとそれぞれ考えていることが見えてこない。

-日本では原発に変わる代替エネルギーは進んでいないのか?

監督:太陽光エネルギー発電も進んでいたが、再生可能エネルギーの制度が変わり、電力会社は再生可能エネルギーの買取義務がなくなったので、高くつく再生可能エネルギーの買い取りを電力会社が避けるようになり、その発展を阻んでいる。(*買取にかかった費用は一般電気料金に上乗せしているので、結局消費者が負担している)

-なぜ、世界で60年間原発が稼動してきたのか?

監督:それこそ自分に問いかけてきたものでこの映画を撮る原動力になった。

-フランスにもドイツのように反原発運動をしている人たちがいるのか?

監督:少数だがいる。少数でもがんばっていることに意味がある。フランスでも再生可能エネルギーが発展することを願っている。

 

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*上映会の際、坂田監督へのカンパ、会場費、Sayonara Nukes Berlinの活動費のため呼びかけた
カンパ(事前、当日)は、合計337,60ユーロでした。ご協力いただいたみなさまにお礼申し上げます。
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今回上映会場となったACUD  http://www.acud.de/
*「わたしの、終わらない旅」DVD版は、amazonなどで購入することができます。

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A2-B-C

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ドキュメント映画を観る機会が増えた。おそらくは真実を知るための一番の近道だ。「A2-B-C」は、聞き慣れないタイトル、海外でのフィルムフェスティバルでの受賞のニュースが目に止まり、気になっていた映画だ。ベルリン自由大学日本学科のブレッヒンガー・タルコット教授(Prof.Dr.Blechinger Talcott)が構内で上映会をすると云う招待を受けて、学部関係者に混じって映画を観せていただいた。

このドキュメント映画は甲状腺の検査結果で、A2、すなわち結節および嚢胞が見つかった子どもたちに初めてカメラを向けたものだ。

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無邪気に遊ぶ幼稚園児のあどけない姿が映る。ほとんどの子どもがガラスバッヂを身に着けていた。ガラスバッヂとは、特殊なガラス素材を使用した携帯型線量計で、各自の浴びた放射線を計測する装置である。子どもたちは禁止された遊具を取り囲み、どこが放射線の測定値が高く、危険であるかを指で指し示す。遊ばなければ安全と云うわけではないのに、どうして。また小学校の塀を挟んだ通学路の放射線は、インタビューを受ける母親の腰の位置でおよそ12.42μSv/h、足元ではインタビューの間中、35.37μSvと異常なまでの数値の上昇を見せた(※)。撮影が行われた日は、強風が吹き荒れ、校庭では体育の授業が行われていた。

「頭を切ったかのようなびっくりするぐらいの鼻血、2度倒れ、発疹、白血球のかなりの減少、そして医師から風邪の診断」

ある母親が自分の子どもの体調を語った。風邪で初めて血液検査を受けた上、一度も放射線についての質問をしていないのに、医師から「放射線とは関係ない」と言われたという。

「医大の検査結果では一人は嚢胞なしのA1、もう一人は嚢胞ありのA2」

ある家庭では子どもたちの検査結果に満足できず、近所の個人病院で再検査を行ったところ、2人とも嚢胞が見つかった。これを聞いた他の母親は、同じ病院に再検査を依頼したところ、医大の検査にてA2判定後は再検査はできないと断られたそうだ。この時には、原発事故後に福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一氏の文書が出回り、他県などでの検査もできなくなっていたと言う。

「怒っていいんです」

不安と怒りが入りまじり、涙を見せる母親たち。
日本では感情を押し殺して表に出さないことが美学とされてきたが、怒るべきは今なのだと語る。

「僕はA2です」

カメラを向けられた小学生たちが口々に自らの検査結果を紹介する。この判定が意味するものは何かという問いに、「白血病になって死ぬ」「癌になって死ぬ」と答える。

こんなことが普通であってたまるかと、ぐっと胸を締め付けられる思いで観ていた。やるせない哀しみと怒りが全身に行き渡り、気付けば嫌な汗をかいていた。

鑑賞後は、監督のイアン氏(Ian Thomas Ash)に質疑応答の時間を設けていただいた。主な質疑内容は以下の通りである。

―福島の汚染区にいるファミリーにはどんなオプションがあるか?
避難する人もあれば、とどまる人もある。30km圏内は居住できず、みな避難しているが、境界線の外30.2kmのところには人も住んでいるし、学校(伊達市)も再開しているという状態。
お年寄りと子どもがいる家族には、とても厳しい選択である。お年寄りはそこにとどまりたいと思うが、子どもがいる場合、とどまることは健康安全上の不安が大きい。家族が離散する状態になったり、離婚率も高くなった。

―日本ではこの作品を見ることができないと聞いたが?
まだ限られているが、9月に日本のフィルム・フェスティバルで上映し、メディア関係者への試写会も行った。

―避難しなければならなくなった家族はいつごろ戻れるのか?
その質問に対する簡単な答えはない。不透明というのが実情。

―福島の母親たちは何を一番求めているのか?
彼女たちが求めているものは、安全や賠償金などではない。一番求めているのは「信頼できる情報」である。信頼できる正確な情報があれば、家族とともに今後どうするかという正しい判断を自分たちで下すことができる。現在の情報は背後で操作されていたりして、信頼できず、その中で身動きが取れなくなっている現状に母親たちは怒っている。一人の母親との出会いからたくさんの母親たちとつながることができ、彼女たちが話し合っている場面を撮影した。声を上げることは勇気のいることだが、彼女たちは、力を合わせてこれからどうしていこうか、という将来を見据えた視点で話し合っていた。カメラの目の前で、女性たちの草の根による活動の輪がまさに生まれた瞬間に立ち会った形になり、感動を覚えた。

―除染作業をしていた人たちはどのようなモチベーションで作業に携わっているのか?
2人の作業員と話すことができた。映画の中に登場した若い作業員は、北海道出身で、勉強を続けたいが経済的に厳しく、その資金を得るため、他よりも報酬の高いこの作業に応募した。確か以前原発で働いていたと言った 作業員は、家族とともに避難したが、汚染地区での作業に毎週通っている。

―今後の活動の予定は?
配給会社を見つけるのが課題。福島の問題を継続して取り組んでいきたい。

―日本で上映した際、日本人の観客、およびメディアではどのような反応・フィードバックがあったか?
フェスティバル会場に足を運んでくるような人たちは、もともとこういう問題に意識の高い人たちなので、関心を持ってもらえたが、多くの日本人は今はインターネットで好きな動画が見れる時代で、わざわざ足を運ぶことがあまりないので把握しづらい。メディア関係者(特に日本在住の外国人ジャーナリスト)を招待しての試写会を行ったが、まだ無名の作品だったので、何か賞を取って認められないと取り上げづらいと言われた。賞を取ることが目的ではないが、賞をいただくことで、この作品に対しての注目が高まり、日本や世界に福島の現状を知らしめることの助けになればいいと思っている。

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質疑も終わりイアン氏に声をかけると、大変気さくな印象で、撮影中に子どもたちが懐く様子が見て取れたのも頷けた。翌日ベルリンで行われたRAINDANCE FILM FESTIVALでの上映の告知は、多くの人々にとって間に合わないと思うので、今後のベルリンでの上映の可能性について話した。イアン氏は、「フィルムフェスティバルの良いところは、色々な映画が混じっているところだと思う。反原発だと限られた人々にしか観てもらえない」という様な事をおっしゃった。

確かにこれが現実だと突きつけられれば、多くの日本人は目や耳をふさぐに違いない。遠く福島での出来事とたかをくくる人もいるかもしれない。でも、たくさんの子どもが、身も心も傷ついて、目に見える血を流している。私はこの現実から目をそらす事は出来ない。福島の子どもたちも、世界中の今を生きる子どもたちと同じ未来を担う子どもたちであると考える。子どもたちはみな平等に、こうした不安を感じ日常を放射能におびやかされる事なく、夢を描いて生きていく権利を持っている。大人たちにそれがどうしてわからない、またはわからないふりができるだろうか。(R)

作品中の17歳の女子高校生の言葉を反芻する。
―みんなが今の現状を忘れている事が大切な問題だと思う―

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※撮影場所と思われる箇所での測定動画

放射線量測定:福島県伊達市立小国小学校2013.1.13測定①: http://youtu.be/xrF7ewCfQrY
放射線量測定:福島県伊達市立小国小学校2013.1.13測定②: http://youtu.be/EcemHMEtbj0
50マイクロシーベルトが出ています。

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イアン・トーマス・アッシュ(Ian Thomas Ash)
公式ウェブサイトhttp://www.documentingian.com/

今後の上映スケジュールhttp://ianthomasash.blogspot.jp/2013/11/on-road-again.html

December 19th PIA Film Festival (Kyoto, Japan)
12月19日 PIA映画祭、京都

December 21st PIA Film Festival (Kobe, Japan)
12月21日 PIA映画祭、神戸[:]

セシウム137:ゴイアニアの悪夢

先日、ベルリンで行われた放射能に関わる映画を扱う「ウラニウム映画祭」に行ってきました。いくつか見た中から、特に興味深かった「セシウム137:ゴイアニアの悪夢」について。cesio137

この映画は1987年にブラジルのゴイアニア市で本当に起きた被曝事故をもとに作られています。私は今回、ドイツ語字幕で見たこの映画を通して初めてこの事故のことを知りました。
ゴイアニアの事故とはどんなものだったのでしょう。小出裕章さんが詳しく書いているので、以下に引用します。

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1987年 9月、ブラジル、ゴヤス州の州都ゴイアニア市で セシウム137(Cs-137)による被曝事故が発生しました。廃院となった民間の放射線治療クリニックに放射線治療装置が放置されたままになっていて、それを廃品回収業者が持ち出し、市内にあるその業者の作業場で分解されたことで事故は発生しました。
2人の若者(22才と19才)が、廃院となった病院から放置されていた治療用セシウム137 照射装置 (50.9TBg (1375Ci))を価値があるものと思い、持ち帰りました。その段階から被曝が始まり、2~3日後から2人は下痢、目まいなどに悩まされ始めました。彼らは1週間後にようやく線源容器に穴を開けることに成功し、今度は放射能汚染が始まりました。2人はこれを別の廃品回収業者に売り払いました。セシウム137は青白く光る粉末(セシウムの塩化物)であったため、暗いガレージの中で光っていました。買い取った廃品回収業者はそれを家の中に運び込み、その後数日にわたって家族、親類、隣人が、これを眺め、手を触れ、体に塗ったりしました。また業者の親戚、隣人が好奇心から自宅に持ち帰ったりしました。その家の娘は綺麗に光る粉を舐めて遊びました。作業に当たった人とその家族全員の体の調子が次第におかしくなり、廃品業者の妻が青白く光る粉に原因があるのではないかと気付き、それをゴイアニア公衆衛生局に届けました。医師は症状から放射線障害の疑いを持ち、市の公衆衛生部と州の環境局に連絡しました。放射線測定器で測定して放射線被曝事故が起こっていることがようやくに明らかになりました。当時、ゴイアニア周辺は雨季のため解体された線源中のセシウム137が溶解し、放射能汚染が広い地域に広がりました。
事故後の9月30日から12月22日までの間に約112,800名の住民の汚染検査が行われ、249名の汚染者が発見されました。120名は衣服、履物のみの汚染、残り129名には体内取込みと体外汚染がありました。0.5グレイ以上約 70人、1グレイ以上 21人、4グレイ以上8人でした。結局、この事故で38歳の女性と6歳の女の子、22歳と18歳の男性の合計4名が亡くなりました。死亡者4名の推定被曝線量は4.5~ 6.0グレイでしたが、7.0グレイを被曝しても生き延びた人もいました。もちろん、JCO事故と同じように、被曝によって加えられたエネルギーによって死んだ人たちの体温はわずか1000分の1度ほどしか上昇しませんでした。
回収できた汚染は一部でしかありませんが、ブラジルの原野に広大な置き場を作って隔離されました。

http://chikyuza.net/n/archives/5043 (図は省略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これと似たような事故が2000年にタイでもあったそうで、その際はセシウム137ではなく、コバルト60が原因でした。ちなみに、コバルト60が金属に混じる事故はいろいろなところで起きています。

放射性物質というと、原発や原爆や水爆の影響で出てくる非日常的なものという印象がありますが、医療器具だけでなく、いろいろなところに使われていているそうです。それに気づかずに、もしくはずさんな管理の結果、作業員が被曝したり、気づかないうちに放射能汚染が広まってしまうことがあります。

ゴイアニアの場合も、一般市民の日常生活の中で突如起こった放射能事故です。廃院から機材を持ち出した人たちは、金属をお金に変えたかっただけで、まさか放射性物質が中にはいっているなどとは思いもしなかった、それどころか、放射能がなんであるかすら知りませんでした。

映画を見ていて面白かった(というと語弊があるのですが)のは、セシウム137の存在を全く知らない人たちが、どうやってこの物質と自分や身の回りに起きる異変を理解するかということです。

セシウム137がどれだけ恐ろしいものか分かっている観客は、映画の中で人々がセシウムの入った容器を開けたり、中身を取り出したり、それで遊んだりするという「ありえない」行為に遭遇し、言葉を失ってしまいます。それと同時に、すぐに危険だと分からない放射能のおそろしさを痛感するのです。

セシウム137が暗いところで放つ青白い光は美しく、人々はその不思議な美しさに魅了されます。「おもしろいものがあるから見てみろ」「子供が喜ぶから少し持って行け」。そうやって放射能汚染が広まっていってしまうのですが、危ないものだと知らなければ、全く普通の、なんとも人間らしい言動です。そういえば、マリー・キュリーの伝記で、ラジウムの放つ青い光に感動するシーンがあったよな、とそんなことも思い出しました。鉄くずを売って生計を立てている貧しい人々や子供たちが、見たこともない美しい光に目を輝かせるのは、その後起こる悲劇を予想できるだけに、見ていて切ないです。

この映画を通してよくわかる、もう一つの放射能の恐ろしさは、放射線障害が食あたりや他の病気でも起きうる症状として現れることです。何か悪いものを食べたからだろう、そのうち治るだろう。そう思って、誰もすぐに病院に行こうとしません。そして病院にいっても、(本当の)原因は見つかりません。そうしているうちに放射能の汚染はどんどん広がっていきます。
あの光る物質が来てからどうもおかしい。人々が体調を壊しているのはあれのせいではないか?その因果関係を見つけるまでに時間がかかるのです。そこに気づくと、病院だったところから持ってきたものだということが引っかかり、医療知識のある人が、これは放射能なんじゃなかと疑いだします。

どこからどこまでが放射能による被害なのか。放射線障害は放射能の存在が確認されて、汚染の量が測られてみて初めてわかります。健康被害との関係は、結局のところ推測の域をでません。大量に放射能を浴びても生き延びる人は生き延び、少量でも深刻な被害を受ける人がいます。実際に、この事件でもっとも多く放射線を浴びたであろう鉄くず回収業者の男性は、事故の直後ではなく数年後に亡くなっています。
もし今私の近くで似たような事故が起きて、放射能の影響で吐き気を催しても、私はこの吐き気が放射能によるものだとはまず思わないでしょう。映画の中の人々のように、何か悪いものを食べただろうかと考え、タチの悪い風邪だろうか、しばらくすれば治るんじゃないかと思うことでしょう。
この事故で亡くなったのは4人ということになっていますが、直接の関連性が証明できないだけで、事故の影響で病気になって亡くなった人というのはおそらくもっと多いことでしょう。この映画を作った監督も、この事故の被害者の一人だそうです。後遺症に苦しむ人や、精神的なダメージを負う人がいたであろうことを考えると、たった一つの医療器具の不始末によっておこる事故の恐ろしさは計り知れません。

こうした事故が起こることで、身近なところで使われている放射性物質が確実に管理されるようになると思いたいところですが、すでに書いたように、近年でも事故は起きています。やはり、人間がやることに100%安全なことはないのです。
ずさんな管理の結果だけでなく、こうした危険な物質が意図的に盗まれて悪用される可能性も否定できません。原発は空からの攻撃に無防備だということは知られていますが、身近なところにある放射性物質を使ってテロを起こすということも理論的には可能でしょう。そう考えると・・・怖いですね。

何かおかしいと思ったときにどうするか。ゴイアニアの事故で大事な役割を果たしたのは、廃品回収業者の妻でした。夫や男たちは全く無邪気で、飼っていた小鳥が死のうが、犬が病気になろうが、自分や周りの人々が体調を崩そうが、危機感を感じません。
すべては光る粉のせいではないかと気づき、病院に行き、セシウム137を(夫の反対を押し切って)衛生局に持っていった彼女の存在がなければ、この事故はもっと深刻なものになっていたでしょう。もう一人、光る粉に最初から懐疑の目を向けたのも女性でした。放射能だと気づき激怒し絶望する、この映画の中でようやく私が理解できる行動を取ったのは、この、放射能の存在を知る母親でした。直感的に異変に気づく能力や、おかしいことをおかしいと認識する能力、それを裏付ける知識というのが大事なのだと思いました。フクシマ後、放射能が身近になった私たちにとっても、それは言えることではないでしょうか。(KIKI)

参考
・Césio 137. O Pesadelo de Goiânia ブラジル(1989), 95 min, 監督: Roberto Pires
・「終焉に向かう原子力」(第10回)放射線被曝事故の悲惨さと避ける道(小出 裕章)」
http://chikyuza.net/n/archives/5043
・日常生活の中で起きた放射能事故についてはここの書き出しも参考になります
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-927.html