
2026年4月18日(土)12時から、ベルリン・ブランデンブルク門前パリ広場で、かざぐるまデモを各種団体と共催で行った。いつもなら3.11の前の土曜日に行うところ、今年はその3月8日にIPPNWドイツ支部がフクシマ15周年記念の国際会議を行うというので、その日を諦め、ことに今年はチェルノブイリ40周年でもあることから、4月18日に開催することにしたのだった。
しかし、3月初めに、よりによって同じ日にFridays for FutureとCampactがエネルギシフト政策の充実を求めるデモを行うと宣言したため、慌ててしまった。Campactに連絡したが、彼らも全国各地でこの日にデモを行うので日にちは動かせないというし、私たちももう警察の届け出や他団体との話し合いもあってこれ以上の延期はできないことから、泣く泣く同じ日、同じ時間にデモを並行して行うことを受け入れざるを得ないこととなった。主旨としても、デモ参加の対象者も重なるデモで、FFFとCampactの方がもちろん動員数は圧倒的に多いはずなので不運だとは思ったが、今世界はありとあらゆる問題に満ちていて、毎日デモを行ってもおかしくないような状況だ。こういうことがあってもしかたない、それでも私たちは私たちのデモを実行しよう、と気を取り直して、デモの準備を進めることとなった。
「かざぐるまデモ」とSayonara Nukes Berlinの歩みを振り返る
私たちが13年以来毎年続けてきたデモは、2013年の3月、日本での「さよなら原発1000万人アクション」に対応する形で、ベルリンでロッコが居ても立ってもいられず、とにかく一人でデモを申請したところから始まる。私はまだ南ドイツからベルリンに越してきたばかりで、日本人の知人もほとんどいなかったが、フクシマ事故後、当時住んでいた場所でチャリティコンサートを開き、ネッカーズヴェストハイム原発のデモに参加したりするほか、ドイツのメディアで公開された報道番組(例えば「フクシマの嘘」など)に日本語字幕をつけたりしていたことから、ベルリンでデモが行われることを聞き、参加したことから私のSNBでの活動も始まった。それから13年間、とにかく毎年デモだけは開催してきたのだ。 次の年からはNaturFreundeやAntiAtomBerlinなどの共催団体が加わり、そこからさらにネットワークが徐々に広がっていった。2016年のフクシマ5周年では、単にデモだけでなく、あらゆるアクションを繰り広げるProtestivalも主催し、当時はまだGreenpeace Energyという名だった今のGreen Planet Energyという大きな共催仲間を得た。思えばフォトジャーナリスムを専門とするWilli-Brandt-Hausの展示場(ドイツ社会民主党SPD本部の建物の中)で大きな写真展を開いたり、環境省に招かれてそのイベントでも写真展を開かせてもらえたりしたのは大きな業績だった。
10周年の2021年のデモは、コロナ禍が広がり始めた頃で、ロックダウンでデモも禁止になるぎりぎり直前に許されたデモだったため、皆でマスクをして行進した。2020年に開かれる予定だった東京オリンピックは延期されて2021年に開催されたが、政府が「復興オリンピック」と名付けてフクシマがあたかも「収束」したかのように世界に印象付けるために、避難住民の支援を断ち切り、いまだに高線量の場所が多くあるのに帰還政策を強いる政府に反対し、IPPNWドイツ支部と一緒になって署名運動を行い、集めた署名を日本大使館に届けてアクションを行ったりした。実際に政府は東京オリンピックに備え、JR常磐線を全線開通し、すっかり荒廃していた双葉駅の駅舎を新しく建て替え(実際には駅や常磐線を使うような住民はそこにはなく、駅のすぐそばは高線量で、帰還困難区域のまま)たり、聖火リレーをフクシマでも走らせたりしたことはまだ記憶に新しい。
2023年にはあらゆる反対の声にもかかわらず、政府の許可を得て東電は汚染水の海洋放出を開始した。汚染土もどんどん「リサイクル」されて日本各地で使われることになった。同時に2023年4月にドイツは、当初の予定より数か月延期されたものの、稼働していた全原発を停止した。いわゆる「脱原発」の実現、だが、ドイツではこれで確かに原発により電気は作られなくなったものの、ウラン濃縮工場と核燃料棒製造工場はまだ普通に稼働している。矛盾だらけの脱原発だ。ロシアのウクライナ侵攻によりEUではロシアに対してあらゆる経済制裁が取られるが、燃料棒に必要なウランをロシアからの輸入に頼っているため、これに関する制裁は一切なしで、フランスとロシアのジョイントベンチャーがドイツ国内で燃料棒を製造している。
2024年元旦には能登半島で大地震が起きた。珠洲の原発計画が、市民の力で実現されていなかったことに胸をなでおろした人はたくさんいた。原発の事故があった場合の「避難路」など、なんと机上の空論でしかないかということも明らかになった。
去年2025年は、第二次世界大戦終了(日本とドイツでは敗戦)から80年ということでいろいろな催しがあったが、初めて戦争で原爆が投下されてからも80年ということで、ICANドイツ、IPPNWドイツとIPBが原水協の協力も得て被団協理事長の佐久間邦彦氏を招くことができ、私も通訳という形で同行し、協力することができた。(https://sayonara-nukes-berlin.de/ja/2025/06/08/%e5%ba%83%e5%b3%b6%e7%9c%8c%e8%a2%ab%e5%9b%a3%e5%8d%94%e3%83%bb%e7%90%86%e4%ba%8b%e9%95%b7%e3%81%ae%e4%bd%90%e4%b9%85%e9%96%93%e9%82%a6%e5%bd%a6%e6%b0%8f%e3%81%ae-%e3%83%99%e3%83%ab%e3%83%aa%e3%83%b3/)
2026年はフクシマ事故から15年として、今の現状を伝える小冊子を制作することができた。これはよそものフランスの計画に便乗して同じ執筆者の原稿を使わせていただいたものだが、ドイツでの製作では、寄付や支援金を募り、プロのレイアウターにもお金を払うことができたし、しっかり印刷された小冊子を各地の団体や個人に届けることができたのはありがたかった。
そしてフクシマ事故から15年
こうしてフクシマ事故以来活動してきて痛感するのは、あれだけ反原発の運動が高まり、当時のメルケル首相がその前の「脱・脱原発」を撤回して、あらたに脱原発を決定せざるを得なくなるほど、ドイツでは原発と核武装に対する市民の反対意見は強かったが、脱原発も一応実現され、そのほか世界各地で、また気候変動でもあらゆる問題が起こってくると、反原発反核のテーマではなかなか動員するのが難しくなってきていることだ。年々デモ参加者数も減り、今年はことに並行して大きなデモが予定されていたので、どれだけ人が集まるか?と危惧された。警察にも「参加者が50人程度なら歩道を歩いてもらう」と言われていたので、始まるまでどきどきしていたが、とにかく100人近く集まり、それなりのデモ行列で道路を封鎖して、横断幕を張って練り歩くことができたのはうれしかった。それにしても、NATOもアメリカを信頼できない、アメリカに防衛を頼り続けることはできないとしてどんどん武力増強の声が強まり、防衛費がどこもうなぎ上りに増額されていっている。EUでは核大国であるフランスを中心にヨーロッパの核の傘を求める声まで聞こえている。ドイツは「ヨーロッパ最強の軍隊を作る」などと防衛相が語り、兵役をまだ義務付けるかどうかの議論も始まっている。
かつて1977年にゴアレーベンに「核設備センターを建設する」といったのはニーダーザクセン州のアルブレヒト州知事だったが、その娘で現在EU委員会会長であるフォン・デア・ライエンは先日、「脱原発は戦略的過ちだった」と述べた。ここで指摘すべきは、彼女の発言にはまさに「本音」が出ているということだ。「戦略的過ち」というのは、経済的または環境生態的には正しかったかもしれないが、それでドイツなどがみすみす核武装のための技術能力を放棄してしまう、それが戦略的にはまずかった、と言いたいことを白状しているのだ。つまり原発を推進したい政治家・ロビーの本音はその「コインの裏側」である核武装能力にあることを堂々と認めていることになる。そうでなければ、あんなに高価で、武力闘争の標的になったり飛行機墜落などのリスク、維持も後始末(放射性廃棄物)も大変なものを作って危険を冒して動かすはずがない。戦争や気候変動によるエネルギー危機で調達や運転がどんどん難しくなる化石燃料に頼らず、それぞれの土地に十分にある太陽光、風、水、地熱などによる再生可能エネルギーシステムを推進していく方がどれだけ安全で持続可能で、コストも抑えられるかわからない。そういう意味で、「お前たちの策略には乗らない」ということをしっかり訴える今回のデモは意味があったし、賛同して参加してくれた人たちがこれだけ集まったことも嬉しかった。
今年はことに、チェルノブイリ40周年としてチェルノブイリ事故後、ドイツ・ベルリンでは市民がどう動いたか、ウクライナやベラルーシの市民を支援するために、どんな活動をしてきたグループがいるか紹介したいと思い、実際の「証人」を招いた。
第一のゲストとして、長年情報誌「放射線テレックス」を発行してきた、SNB創立以来ずっと応援してきてくれているThomas Derseeに短いインタビューを行い、チェルノブイリ事故後ベルリンで市民測定所を開いた当時の思い出や観察を語ってもらった。

その次には、チェルノブイリ事故後、ベラルーシ・ミンスクの放射能安全研究所と協力して、ことに子どもたち・若者を支援し続けてきた団体SODIのメンバー二人Christa Dannehl & Hagen Weinbergに、活動の歴史と内容を語ってもらった。40年経った今もずっと支援活動を続けるだけでなく、ドイツの学校で若者と記憶を繋げていく活動も怠らない彼らに頭が下がった。

ゴアレーベンのグループBI Lüchow-Dannenbergは、前述のアルブレヒトが1977年2月に「核施設建設計画」を発表してから来年2027年で丸50年、つまり彼らの「抵抗の歴史」が半世紀を迎える、ということで、わざわざヴェントラントからベルリンに来てくれたElisabeth Hafner-Reckersに、またもや力強く励まされる演説をしてもらった。来年の2月にゴアレーベンで50年を記念したイベントが開かれるということで、私も招待してもらったので、ぜひ参加したいと思う。

そのほか、毎年デモにも参加し、今年も小冊子制作の支援もしてくれた平和の鐘のグループのAnja Mewesもしっかりと戒めの言葉を語ってくれた。

ハンブルクからデモのために来てくれたICANドイツのChristoph van Lievenからは強い政治メッセージがあった。

Protestival以来、SNBのデモを共催してくれて来たGreen Planet Energyの若いMax Friedrichは、人の目をごまかすために使われる原子力の経済性の嘘やその理由などを指摘した。それぞれが重要なメッセージを壇上で述べてくれたので、ぜひデモのダイジェスト版動画(ただいま制作中)見てほしい。


今年もFalkが舞台づくりと技術を担当してくれ、デモ行進では抜群の反核ソングを集めたサウンドトラックで自転車BGMを流してくれた。彼には本当にずっとお世話になった!このつながりもとても嬉しい。
それから今年のライブ音楽は、おととしも演奏してもらったMarions Männerによる力強い音楽で、エスコートしてくれた女性警察官も最後に「音楽がよかったね~」と言われた。Stevieがわざわざかざぐるまデモのために作ってくれた「原発バイバイソング」もブランデンブルク門前で響き、たくさんのツーリストたちも立ち止まって聞いていた。

SNBがデモを始めてから数年は、毎年パフォーマンスをしてくれたBodypoet Kazumaが、これでかざぐるまデモが終わりになるなら、ぜひパフォーマンスをさせてほしい、と最後に舞台で短いパフォーマンスをして、それでデモは終わりとなった。

15年経ってSayonara Nukes Berlinの仲間もぐっと人数が減り、ワンイッシューアクションとしてのかざぐるまデモを手伝ってくれるマンパワーも極めて少なくなったし、現在のめまぐるしい地政学的状況にあって、動員も難しくなったのは否めない。毎年3.11を記念して行ってきた「かざぐるまデモ」はそれで、今年でとりあえず終わりにし、違う形での活動を続けていく話をしている。
デモ以外に細々と手がけてきたこれまでの活動(武藤類子さんや森松明希子さんなどを始めとする日本の声をドイツに届ける、日本語の動画・映画にドイツ語字幕を付ける、これまで築き、培ってきたドイツ国内外の各反原発・反核団体とのネットワークを維持して情報交換を続ける、ドイツの人が日本の運動家、専門家、科学者たちとコンタクトを求める場合に仲介し、必要ならば通訳・翻訳するなどの活動)は続けていくつもりだ。また、おしどりマコさんケンさんの講演会も、年に一度はこれからもよそものフランスと遠くの隣人3.11と協力して続けていきたい。
小さくても、ドイツのベルリンにSNBがあるということで日本で運動をしている市民たちへの応援に少しでもなれればいい。反核・反原発の私たちの価値観、立場を脅かす状況は変わらないどころか、さらに脅威が強まっている今、やめるわけにはいかない大切なテーマであることは、今後も変わらない。かつて朝日新聞に連載された「プロメテウスの罠」という連載報道があったが、まったく人間は自分の手に負えない原子・核というとてもない火を手に入れて(作り出して)しまい、その報いで自分たちの生と生活圏を脅かしている。どうしてこんなことがこれだけの規模で許されているのか、という純粋な(ナイーブではない!)問いかけを忘れたくないと思う。(ゆう)


