去年はぎりぎりセーフでロックダウン前にデモが実行できたが、今年はまだロックダウン真っ最中。それもあって予定していた演説者が二人来れなくなったり、参加者も少ないことが予想されていたが、十周年のフクシマ・デモをやらないわけにはいかないとトラックの舞台も準備してブランデンブルク門でかざぐるまデモを行った。共催団体はいつもの通りNaturFreunde、AntiAtom Berlin、Greenpeace Energyだ。今年は動員数も少ないと思われたため、配布するかざぐるまもずっと少なくし、その代わり10周年として大きなかざぐるまを作ってみたのが、なかなか目立ってよかった。赤と黄色が灰色のベルリンの町でも目立っていたようだ。
当日は寒いながらも天気も晴れの予報で、朝起きた時には本当に青空だったので、よかったと思っていたのに、実際にブランデンブルク門前のパリ広場に集まった時は空がかき曇って雪が舞い始め、恨めしそうに空を仰いだ。でもありがたいことに、デモを開始する時間にはそれもやんで、それからは雪も雨も降らないでもってくれた。
東日本大震災から十年。あの日、コンピューターで見る東日本の津波の映像に釘付けになりながら、福島の原発が全電源を喪失し、原子力緊急事態が発令されたのを知った。それから心配で不安で何も手につかずに過ごした数日のことを思い出さずにはいられない。あれからもう十年も経ってしまったのか、という気持ちと、いや十年など放射性物質にとってはわずかな時間なのだという思いが一緒に広がっている。まして十年経っても元の生活を取り返すことのできない人たちにとっては、その思いはどれだけのものだろうか。
舞踏家の古谷充康(ふるたに・みちやす)氏が今年はパフォーマンスを引き受けてくれた。これまでのように、デモ開始の合図として、アイキャッチャーとしてのダンスや音楽を期待していた人たちには「まだデモの準備をしているの?」と思われるように、静かなスローモーションのパフォーマンスだった。彼は木材と工具を用意し、高い柱を組み立ててその先にかざぐるまを結び付け、それを立てる、というパフォーマンスをしたのだった。何の音楽もない「無言」のその動きをじっと見ている、またはその意味を考える、悟ることができずに、お喋りし出してしまう人、その周りを横切る人、イライラして「いつパフォーマンスは始まるのか?」と私に聞く人、など様々だった。でもそのパフォーマンスを見ながら、誰にも聞かれも頼まれもしないのに手助けをする人が何人か出始め、しかも最後に柱を立てるときは一人では立ち上げることができない、何人もの力を合わせて初めてそれが可能になるということを一緒に体験し、その柱がブランデンブルク門の前で厳かに立ってそのてっぺんで私たちの平和なエネルギーのシンボルであるかざぐるまがくるくると回った時は確かに圧巻だった。
あのパフォーマンスは、エネルギーシフトを成功させるにはそうした人々の積極的な協力、共同作業があって初めて可能になる、ということを言葉を使わずに表現したものだったのかもしれない。思えば無言というのは難しいことで、無言に耐えることは、ことに「なにかを見たい、聞きたいと期待されている場面」ではなかなか理解されない。特にデモのようにこうしてたくさん人が集まっているところでは、無言は「空っぽ、なにも起きていない」ということと解釈されてしまうことが多く、刺激を求める人たち、「なにか見えるもの、聞こえるもの」を求める人たちには興味を持たれない、無視されてしまいがちだが、無言というのは本来力強いメッセージでもある。しかし、同時にそれは受け取る側にその用意ができていないと難しく、無言を受け止めることをああいうデモで求めるのは難しかったのかもしれない。しかし無言の古谷さんのパフォーマンスのメッセージを受け止めた人も中にはいたようだ。一人一人に考えさせるパフォーマンスを用意して実現してくれた古谷さんにここでもう一度感謝したい。
演説はかざぐるまデモの「伝統」に則り、SNBの演説から始まった。私はあの事故から10年ということで、自分なりのこの10年、この事故を他人ごと、遠い話とは思えずにずっとかかわらざるを得なかった自分のこれまでの運動を通じた思いを総括する気持ちを籠めた話をした。SNBの皆もそれぞれ自分なりの思い、感情があると思うが、私にとってはこの「フクシマ」という名で括っている悲劇の中に潜むそれぞれの「あの事故さえなければ」という体験、人生計画や喜び、幸せを奪われたり台無しにされたりした人たちの一人一人の運命、10年経っても変わらない不安や恐れを思わずにはいられず、同時に、それなのにきちんと自分たちの政策や決定の過ちを認めず、責任を一切取らず、その上事故が起きても市民を守らず、助けず、支えないばかりか見棄て、「なかったことにしよう」とするためのプロパガンダの方には費用を惜しまない国と東電に対する怒りをどうしても訴えずにはいられなかった。
かざぐるまデモ2021_Sayonara Nukes Berlin_梶川ゆう演説_和訳(オリジナルはドイツ語:KazagurumaDemo2021_YuKajikawa_Original_de)
IPPNWのAlex Rosenは毎度のことながら原稿を読むのでなしにフリーにそれでいてあれだけ説得力ある力強い演説ができるのに感心してしまう。反原発運動の中心となるアクティビストたちはドイツでも高齢化が進む中、IPPNWドイツ支部の代表である彼はまだ小さい子供のいる40代くらいのエネルギッシュな若手で、彼のような人がIPPNWを代表してフクシマのテーマを扱ってくれるのはとても頼もしい。デモの1週間前に行われたIPPNWドイツの「フクシマから10年」のシンポジウムでも原発事故後の健康への影響や健康調査の結果をよくあれだけしっかり扱ってくれたと思う。Alexは演説ではまず原子力発電というのは決して制御できないものであり、社会にとって決して容認することのできないリスクであるということを伝えるとともに、ドイツで原発をすべて停止するとしながら、Gronauでまだウラン濃縮を行ったり、Lingenで燃料棒を製造して、ベルギーやフランスの原発にそれらを売り、これらの原発の稼働年数を延長することをとどのつまり認めているということは許せない、と訴えた。そしていくつかの原子力産業や軍事産業が民間のインフラストラクチャーと税金を使って原子力潜水艦や長距離ミサイルを配備できるようにするために原子力は利用されているのだとも語った。彼は「自分は子どもの父親として」「一市民として」そして「小児科医として」憂慮していることをそれぞれ伝えたが、それが心に響いた。彼は、フクシマで最初からしっかり健康調査していればいろいろなことが判明し、防ぎ、救えたかもしれないことが敢えて隠され、した方がいい調査をしないで済まされ、この大事な十年をある意味でずいぶん棒に振ってきてしまったことを日本政府に対して非難していた。また、妊婦や子供であっても事故前より20倍の線量で生活することを余儀なくされているフクシマで、これから何十年とかけて出てくるだろうあらゆる健康に対する影響に対して、彼らを保護せずに放っておく政策に対しても批判していた。
今年のデモは一年経ってもまだ終わりの見えないコロナ禍ロックダウンの続く中行われ、演説のため遠くから来る予定だった二人がベルリン訪問をあきらめたこともあり、あまり動員数が期待できない状況ではあったものの、十周年という区切りのデモはそれでもやろうという共催団体との気持ちは固く実行に臨んだ。配布するかざぐるまの数もそれで思い切り少なくしたが、およそ250人が集まり、雰囲気はとてもよかった。新型コロナの規制の影響により、Greenpeaceのドラム隊は今年は来られなかったがドラムを持ってきてくれた人もいたし、Friday for
futureでいつも音楽を流しているという、自転車にスピーカーを載せて反原発や環境問題をテーマにしたラップを流す人も来て雰囲気を出してくれた。しかもNaturFreundeのUweまでがシュプレヒコールの余興をしたりして、気持ちよくUnter den Lindenを練り歩くことができた。私はロッコとデモの先頭に立って今年のデモのモットーを掲げた横断幕を持って歩いた。今年、十周年のためにつくった大型かざぐるまも大きさも色も灰色の町の中で目立ち、風にくるくると回っていたのが嬉しかった。
デモ隊はUnter den LindenからGendarmenmarktの方に折れ、Französische Straßeの地下鉄の入り口の横を通ってまたUnter den Lindenに戻りブランデンブルク門前に帰った。観光客の少ないコロナ禍だが、それでも通り過ぎる人たちは皆携帯を向けて写真を撮ったり、楽しそうに見物していた。時々風が強くて、横断幕をピンと張ってしっかり持っているのが大変だった。
パリ広場のトラック舞台のところに戻ってみると、古谷さんはかざぐるまが先端についてくるくる回っている長い棒を持ったまま立っていた。そしてその棒をまた数人の助っ人に助けられながらゆっくり倒して石畳の上に置き、黙々と解体を始めていった。
ここでの演説の始めはSNBが今年招待した作家の多和田葉子氏だった。彼女は自分がフクシマ事故後に書いたという詩というのかエッセイを使って今回の十周年フクシマ記念デモのために書いてくれた文章を読み上げてくれた。運動家の演説とは違って、誰か(国や東電その他)を批判したり、データを挙げたりあってはならない事態を憂いたりする文章とは違って、彼女が感じている放射能や原発に対する恐怖、不安を、彼女ならではの感性で綴った文章で、とても印象的だった。「記憶の半減期はどれくらい長いのか」という表現はことに心に残った。彼女にその文章をぜひブログで紹介したいのでテキストが欲しい、それを日本語でも載せたいが、と申し出たところ、承諾してくれた上、翻訳は私に頼みたい、と言ってくださった。私はでは、翻訳したら彼女にそれを見せるからチェックして必要なところを訂正してほしい、と言い、私が彼女のテキストを翻訳させてもらった。私にとってもこういう文章の翻訳は願ってもない仕事で、任せてもらったことを感謝している。
かざぐるまデモ2021_多和田葉子演説_和訳(オリジナルはドイツ語:KazagurumaDemo2021_YokoTawada_Original_de)
いつもならGreenpeace EnergyのChristoph Raschがヨーロッパでの原発問題をテーマに話すところだが、去年の夏から彼はベルリンからGreenpeace Energy本部のあるハンブルクに移ってしまい、コロナ禍でベルリンに来るのを諦めたため、その代わりにめずらしく司会のUwe Hiksch(NaturFreunde)が最後に話をした。彼は現在新建設や拡張が予定されているEU内の原発計画に言及した。ポーランド、チェコ、スロバキア、スロベニア、ハンガリー、リトアニア、ルーマニア、ブルガリアやフィンランド、それからEUを離れたイギリスだ。また、ついこの間原発運転年数を40年から最大50年までを許可することにしたフランスの政策(フランスの原発はもうそのほとんどが古く、40年を超えているのに稼働しているものもある)についても批判した。さらにUweは現在アフリカの16か国が原発を建設して原子力エネルギーを始めようとしていることに対する危機感を表明した。政治は原子力エネルギーを「クリーンなエネルギー」「二酸化炭素を出さないのでエネルギーシフトには欠かせない電源」という風に宣伝することによって、風力発電や太陽光発電を増やしていくのを妨げているのだと。そしてドイツはまずEURATOM欧州原子力共同体を脱退して、原子力エネルギーと核兵器の開発管理にこれ以上手を貸してはならないと求めた。気候変動を救う、という謳い文句で原子力エネルギーを再興しようという動きが世界で広まっていることにはっきりとノーを叩きつけるUweの迫力ある演説だった。
2013年にSNBがデモを始めてから、8年。NaturFreundeとAntiAtom Berlinと一緒にデモを始めてから7年。彼らともこのデモの運営に関しては気心の知れる仲となって、信頼感が育ったのを今年は強く感じた。ドイツの反原発運動の人たちにとっては、フクシマの事故はまさに「警告」であったわけで、だからこそ追悼というよりは今起きていること、これから起きる可能性のある危険について人々に訴えるためにデモをするのだが、フクシマを機に集うデモだからこそ、私たち日本人のグループと一緒にデモをやることがいいと思ってくれているのでもあるし、それでこのように単に日本人による追悼だけでなくドイツ、ヨーロッパとどのつまりは世界の問題について議論し合う場、これからも反核・反原発運動を続けていくしかないと確認しあう場となるのはいいと思う。このデモでフクシマのことを中心に据えて追悼しないことについて日本の人たちの中には「不本意だ」と思う向きもあるかもしれないが、私はドイツでデモをやる以上、それは当然だと思う。そしてこのような事故が本当に二度とどこでも起きてはならないのだ、これを戒めとして原発はやめなければいけないのだということを言い続ける責任があると思う。だって、こんな恐ろしいことを続けていけば、またどこかで必ず事故が起こるに決まっている。そして事故が起こらないまでも放射性廃棄物はどんどん溜まっていくばかりだ。
そして十年が過ぎてもその前の平穏な日常生活に戻ることのできないたくさんの福島近郊の人たちのことを思うと、私たちはそれを忘れてはいけない義務があると思う。忘れさせよう、風化させよう、見えなくしてしまおうという政府のやり方がこれほどひどいのが分かっていれば、なおさらだ。しつこく、従順にならないでいつまでも言い続けよう。ノーモア・フクシマと。(ゆう)
Fukushima: “Von Normalität kann keine Rede sein” https://www.dgs.de/news/en-detail/120321-fukushima-von-normalitaet-kann-keine-rede-sein/
かざぐるまデモライブ動画アーカイブ:
https://fb.watch/4xGq2B6wSs/